本あれこれ

現代マンガ資料館・昭和史資料室資料収集覚書    


本との出会いに終始する生活です。さまざまな本との出会いを綴ってみました。


ファイルbW 平和の鐘 昭和21年(1946)
ファイルbV 科学画報 大正14年(1925)10月号
ファイルbU SCREEN LAND4月号  アメリカ1925年4月
ファイルbT @ 写真週報93号 昭和14年11月22日
ファイルbS @ 写真週報34号 昭和13年10月12日 蒋介石よさらば
         A 戦いの時代 白鳥敏夫 昭和16年4月25日
         B 大東亜少年軍 山中峯太郎 昭和16年5月5日
ファイルbR @日本の将来 A新戦艦高千穂 B日本の傷を醫す者
ファイルbQ ガダルカナル日記 
ファイルbP 日本危うし! 太平洋大海戦




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 2008年3月23日(日)

   スライド「平和の鐘」シナリオ 1946年(昭和21年)

 敗戦直後の混乱期、戦災孤児に象徴されるでしょうが、こどもたちには大変厳しい社会でした。例を申し上げるまでもないでしょう。

 大阪も混乱をきわめ、飢えを満たすために人々は闇市に群がりました。このような時代、新しい社会の到来をつげるために児童教育指導用としてスライド映写が行われました。「平和の鐘」は絵物語としても作成されていますが、マンガスライドフィルムも作成されました。オールカラー。

 資料は、大阪市警視庁青少年防犯部青少年防犯課が青少年の教育指導に使用したもののひとつです。もちろん主体はスライドフィルムです。

 戦後混乱期の様相をマンガという視点から照射する資料でもありますが、紙芝居とスライド映写が重なる場面でもあります。

    注 画像は「ロビンソンの冒険」です。「平和の鐘」の台本は使いこまれていて
      不鮮明なものになりました。
      















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 2008年3月8日(土)

   科学画報 1925年(大正14年)10月号

 再び、アーサー・コナン・ドイルのSF作品「失われた世界(THE LOST WORLD)」の映画化についてです。

 アニメーションの原点ともいうべき意義を持つ歴史的作品ですが、アメリカにおける公開から半年ばかりで日本においても公開(8月)されました。サイレント作品ですから、弁士による語りがついたもので、このときの語り手のひとりが徳川夢声でした。東京丸の内の「帝国劇場」で上映されました。

 関東大震災のダメージから立ち直ったばかりの「帝劇」でしたが、ロスト・ワールドは復興の象徴的役割もになったようです。

 
本雑誌「科学画報」 1925年10月号には日本における映画「ロストワールド」公開のお知らせが掲載されています。
 

 現代マンガ資料館では、マンガ作品、児童書など、ロストワールド関連作品を集めてこの春に展示会を行う予定です。3月15日(土)から。もちろん本書も展示予定です。




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 2007年9月4日(火)

   SCREEN LAND4月号 1925年(大正14年)4月

 1912年、この年、アーサー・コナン・ドイルのSF作品「失われた世界(THE LOST WORLD)」が公開されました。
 どのような物語かここで語るまでもないでしょう。

 SFでは、私が最も好きな作品です。
 公開以来、多くの人々の知的好奇心、冒険心を刺激した作品ですが、1925年にはじめて映画化されました。サイレント作品です。この映画によって、さらに多彩な人々が失われた世界への興味を駆り立てられたことでしょう。日本でも上映されました。
 失われた世界への興味を駆り立てられたひとりに漫画家手塚治虫が含まれます。後年、「ロストワールド」を描き
また、監修作品になりますが、ドイルの世界を忠実に描いたマンガ作品も公開されています。
 
 本雑誌「SCREEN LAND」 1925年4月号、映画「ロストワールド」公開のお知らせが掲載されています。
 ファンにとっては、歴史的な出来事のひとつでしょう。

 現代マンガ資料館では、マンガ作品、児童書など、ロストワールド関連作品を集めてこの秋の読書週間に展示会を行う予定です。
 













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 2007年8月2日(月)

   写真週報93号  昭和14年11月22日  内閣情報部

  戦時中の言論統制は徹底したものでしたが、内閣情報局(昭和14年までは内
 閣情報部)はその中心的役割を果たしました。この内閣情報局が発行した週刊誌
 のひとつが写真週報です。週報とともに政府広報の中心的存在でした。

  93号の特集は満蒙開拓青少年義勇軍現地報告隊による「君等を迎えに帰った
 ぞ」。
  満州開拓の一翼をになった青少年義勇軍の隊員がそれぞれの郷里に帰り、現
 地報告と新規隊員の勧誘(迎えに帰ったぞ)を行ったという活動を報告した記事で
 す。昭和20年年8月のわずか6年前のことです。

  捧げ銃する青少年義勇軍隊員の写真。
  
  写真週報に掲載されたこどもたちの情報を今整理していますが、この写真は秀
 逸な情報のひとつです。青少年義勇軍とはなんであったのか、実に鋭く私たちに
 語りかけてきます。





 






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 2007年6月18日(月)

   写真週報34号  昭和13年10月12日  内閣情報部 蒋介石よさらば
   戦いの時代 白鳥敏夫 昭和16年4月25日
   大東亜少年軍 山中峯太郎 昭和16年5月5日

  昭和12年7月7日北京郊外における日中両軍の衝突が日中戦争のきっかけ
 になりました。当初不拡大方針をとった近衛内閣でしたが、停戦協定締結直後
 に華北派兵を決め、一ヶ月後の8月9日には第二次上海事変が起こり、日中戦
 争は全面的なものになっていきます。
  内閣情報局発行「写真週報」昭和13年10月12日号は「蒋介石よさらば」とい
 う特集を組んでいます。日中の対峙が蒋介石を相手にせず、という近衛内閣の
 姿勢から抜き差しならないものになっていく歴史を物語る資料のひとつです。
  かくして、どこまで続くぬかるみぞ・・・ということになるわけですが、この歴史的
 局面を白鳥敏夫は「戦いの時代」という言葉で実に端的に描き出しています。

  「
支那事変の当初から、戦争の相手は支那よりは寧ろその背後にあって之を
 操縦する敵性諸国であると云はれたのであるが、事変三年有半後の今日にな
 っては、いよいよその事は一般に周知されてきた。国内にさしも反対の強かった
 日独伊同盟が遂に成立を見たのも、支那事変を通して英米の敵性が日本国民
 の骨身に染み込んだ結果、ヨーロッパの戦争とアジアの戦争とが、その本質を
 同じうするものであり、三国は共同の敵と戦っているものであることが明瞭となっ
 たからである。


   このような白鳥の視点が一般的であることは、さまざまな資料が証明している
 が、山中峯太郎の冒険児童小説「大東亜少年軍」もそのひとつだろう。冒頭、山
 中が記す「この本の中の心」で彼はつぎのように小説のねらいを明記しています。

  「
日本人と支那人は、大東亜の兄弟だ。日支両国ともに力をあはせて、大東亜
 の平和を護り、我らの大東亜を隆々と興さねばならぬ。この重大な任務を、将来
 にかけて両方の肩に負ふている者は誰か、即ち日支両国の少年少女である。
  大東亜の少年少女は、今のうちに心を一つにし、正義によって堅く仲よく同盟し
 なければならぬ。
  大東亜の平和を第一の主義とする日本人の正しい真意を知らず、あるひは疑
 っていた心の暗い支那人が、自分たちを陥れる悪魔の如き白人の力を借りて、
 実に不幸なる支那事変を捲き起こした。


  「大東亜少年軍」の冒険を語るまでもないだろう。

  白鳥も山中も同じことを対象を変えてプロパガンダしているということだろう。
  
  白鳥の言葉ではないが、「戦いの時代」への突入を物語る三冊といえるだろう。

  このような流れのなかで、昭和15年秋の開催が予定されていた東京オリンピッ
 クがはじきとばされることになるなど、さまざまな出来事が生起し、人々の運命を
 変えていくことになります。















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2007年5月28日(月)

   日本の将来      昭和 3年8月20日 服部教一  日本植民学校
   新戦艦高千穂    昭和11年2月21日 平田晋策  講談社
  日本の傷を醫す者  昭和22年4月5日 矢内原忠雄 白日書院
  

 もちろん、三冊は歴史的に深く関連しています。
 「日本の将来」の著者服部教一氏は北海道内務部長等の経歴を有し、日本
 植民学校校長。
 「新戦艦高千穂」の作者平田晋策氏は児童向け海洋冒険小説を描いた作家。
 「日本の傷を醫す者の矢内原忠雄氏は植民政策を専門にした学者。

  昭和3年、服部氏は日本の将来について次のように述べています。「我日本
は人口(内地六千万)の割合に国土が過小、物資が不足であるから、国民は
生活難に陥っているのである。しかも人口は尚年々八,九十万から百万増加
し、五十年後には一億、百年後には一億七千万、二百年後には五億、五百年
後には百億となる。如何にして此の人口問題を解決するか、此が日本民族の
興亡に関する最大問題である。世人の多く唱ふる内地の開拓、産業立国等の
如き姑息の案では之を救ふことが出来ない。大々的に海外移民を計らねばな
らぬ。」 「日本の将来」出版の数ヶ月前、昭和3年の6月には満州において軍
閥張作霖爆殺が関東軍の謀略で起こされています。実行の指揮をとった東宮
鉄男大尉はその後満州開拓移民に深くかかわっていますが、北米などへの海
外移民が困難な状況で、満州と海外移民の関係が急速に強まっていくことに
なります。
また、この当時、経済的には金融恐慌による混乱の最中にあり、国民が生活
難に陥っている、という服部氏の記述は具体的にはこの状況にかかわるもの
でしょう。

  新戦艦高千穂は北極を舞台にした海洋冒険小説、「少年倶楽部」に連載さ
れました。北極に眠る豊富な金や鉄資源争奪戦に新戦艦高千穂の活躍で勝
利し、北極が日本の領土となるという海外への発展雄飛の物語です。日本の
将来的希望は、海外への発展という主張の児童文化版といえるでしょう。
 服部氏、平田氏の方向は周知のように実に無惨な結果を迎えることになりま
した。

 さて、満州植民路線に批判的だったために大学を追われることになった矢内
原氏は、講演記録「日本の傷を醫す者」の中で経過を語っています。そのなか
で松岡洋右満鉄総裁がある訪問者に「満州移民が駄目だといっている大学教
授がある。」と話していたというエピソードを昭和17年の講演時に明らかにして
います。
日本の満州植民政策が批判的動きを封殺して遂行されたという事実を物語る
エピソードのひとつです。

 昭和の日本の流れとその帰結を物語ることができる三つの資料です。

 

 
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2007年5月21日(月)  ガダルカナル日記  翻訳出版 昭和21年2月20日
               著者 R・トレガスキス 訳者 福澤守人 出版 三光社


 「ガダルカナル日記」は従軍記者リチャード・トレガスキス氏のガダルカナル
島における戦いの見聞記録で1942年末にアメリカで出版されてベストセラー
になりました。

 アメリカ軍の反攻のスタートとされるガダルカナルは、さまざまな意味で戦
後有名になりました。
 たとえば、「ガ(餓)島」という呼称が生まれました。補給を絶たれた日本
軍の凄惨な実態が明らかになるなかで、愚劣な作戦指導に対する批判を含
めてこのような呼称が生まれたものでしょう。
  たとえば、「転進」という言葉も大変有名になってしまいました。ガダルカナ
ル戦の真相を隠して大本営は、ガダルカナル戦の目的を達したので軍をガダ
ルカナルから他の作戦目的のために転進させたという意味のことを発表しまし
た。敗退を転進と言い換える言葉の使い方が不快です。

  敗戦後、ようやく歴史の実相を知りうる立場になった国民の知りたいという
欲求は強く、さまざまな情報が溢れ出しました。本書もそのひとつでしょう。ア
メリカ軍の側からとらえたガダルカナルの戦い、ここに真相が描かれていると
いうわけで、昭和21年2月、敗戦から半年ではやくもこのような本が出版され
ている社会的背景といえるでしょう。本書がアメリカの戦意高揚に大いに役立
ったことはベストセラーになったことからも伺えますが、戦闘場面の淡々とした
描写ひとつとっても日本の側から見たら相当にショックです。たとえば、テナル
河畔における日本の一木支隊の敗北のようすは凄惨です。

  さて、本書は、戦争における敵に対する憎悪と犯罪についての例証として取
り上げられることが少なくありません。ガタルカナルに向かう船上での兵士の
会話に「日本兵の金歯をとってネックレスにする」とか「耳を切り取って戦利品
として持ち帰る」というような記述があるからです。ジョン・ダウワー氏は、「人種
偏見ー太平洋戦争に見る日米摩擦の底流ー(1987)」でこのようなことがあま
り違和感なくアメリカ社会に受け入れられていた当時の雰囲気に言及していま
す。 このような雰囲気は、背景に人種偏見、そして対敵プロパガンダによる増
幅などを通して醸成されたようです。ジョン・ダウワー氏は、ドイツ兵、イタリア兵
に対して同じことをしたら大問題になったのではないか、と結論しています。
  対敵プロパガンダは、相手をおとしめ戦意高揚をはかることが多く、その場
合、受け手の遅れた意識を刺激することになりがちです。戦争の怖さのひとつ
です。「鬼畜米英」とこちらがいうならば、「イエローモンキー」と相手はののし
る、というようにです。人間としての存在を認めない、ここにこのようなプロパガ
ンダの本質があります。 

  「ガダルカナル日記」は、資料としてこのように位置づけることができるもの
です。ミュージアムとしては実物でこのようなデータを確認する機会に備える
べきもので、しばらく入手を検討していましたが、今回踏み切ることにしました。



注 映画ガダルカナル・ダイアリー

  ベストセラーになるとともに映画化されることで、反攻の象徴的役割をにな
ったようです。DVDを入手しました。





























  ファイルbP

   2007年5月18日(金) 日本危うし! 日米大海戦  出版  昭和7年6月15日
          著 者 海軍少佐中島武  出版社 軍事教育社(東京神田)


  日米戦架空戦記のジャンルに入るでしようが、かなり読み込まれています。背表紙の文字は摩滅し判読困難な状態。出版から9年余りで実際に日米戦が始まります。それまでに読み込まれたものでしょう。タイトルが示すように本書ではオーソドックスな艦隊決戦が日米戦のイメージで、そのように描かれています。しかし、真珠湾奇襲攻撃に始まった実際の太平洋の戦いは、空母機動部隊の活躍に象徴されるように空の戦いが戦局を支配し、本書の描くものとはかなり異なることになります。本書を読む場合、むしろどのような歴史的局面で出版されているか、その歴史性が重要です。

  本書出版の昭和7年(1932)6月とはどのような歴史的局面にあったのでしょうか。

  前年、1931年9月に満州事変が始まり、この年1月28日には第一次上海事変、3月1日満州国建国宣言、5月15日(出版の一ヶ月前)には海軍将校らによる犬養首相暗殺、さらに出版の翌年3月23日熱河作戦開始、27日、国際連盟からの脱退通告、というきわめてナーバスな内外社会状況にありました。 
 このような局面での本書の出版は、情勢に即した歴史的性格を濃厚に有しているといえるでしょう。
  本書の目次からその点を考えることができるでしょう。

   軍令部参謀の憤死
   倫敦(ロンドン)会議の真相
   統帥権干犯問題
   米国の魔手
   日本密偵の活躍
   米国の最後通牒
   米機の帝都爆撃
   敵艦隊は何処
   相対峙する日米艦隊
   我潜水隊の猛襲
   皇国艦隊の出動
   壮絶!決死の夜襲
   乾坤一擲大決戦
   新鋭艦隊の東京襲撃

 本書出版の当時、陸軍省が内外情勢についてのパンフレットを盛んに出版しています。軍部発プロパガンダ隆盛の局面で本書も民間出版(軍事教育社)の形ですが、この次元に属しています。「日東書院」からも刊行されているようで、このようなところにも出版者の明確な目的を意識してしまいます。空の戦いを副次的に配した日米艦隊決戦という本書の描写には軍事技術的にばかりでなく政治的にもそのように描く必然性があるようです。エピローグはワシント海軍軍縮条約廃棄通告とでもいいうるでしょうか。

  入手したい本のひとつでした。読み込まれ、判読困難な背文字のようすにむさぼり読まれたのではないか、というように時代を感じてしまいます。なお、表紙にタイトルは表示されず戦艦の主砲射撃場面のイラストのみという装丁。