スイス・レマン湖付近の古城


シヨン城


バイロンの詩で有名に

 スイスのポスト・カードには、シヨン城の写真がよく使われている。レマン湖にポッカリと浮かんだ城である。中世の名残をとどめた形の良い城である。要するにヨーロッパでも絵になる城の一つだ。
 ジュネーブから1時間ほど列車に乗ると、モントレーに到着する。ここからシヨン城まではバスで10分足らずだ。バスを降りるとすぐ湖水に映える城が目に入る。
 シヨン城のあるレマン湖周辺には、その昔、ケルト人の一族が住んでいた。ローマのカエサルに率いられた軍隊も、この地に駐屯したとも伝えられている。石造りの城となったのは、12―13世紀のころで、サヴォイ王家の支配下にあった。
 しかし、今日のシヨン城は19世紀になって荒廃していた城を復元したものである。
 このシヨン城が有名になったのは、詩人バイロンが書いた詩による。宗教改革者として、サヴォイ公に逮捕され、ここに監禁されたフランソア・ボニヴァールの物語を題材としたものである。この詩「シヨンの囚人」が、ヨーロッパの人々に知られてポピュラーなものになったのだ。
 城内には大広間、騎士の間、従者の間、城主や奥方の寝室、チャペルなど多くの部屋がある。この美しいシヨン城は牢獄でもあった。地下牢の床は、レマン湖の岩盤をそのまま利用しており、冷え冷えとした空気が漂っている。
 その一隅にあのボニヴァールが繋がれたと言われる柱や鎖などが残っているのだ。
 こんな話が残っている。サヴォイ家のピーター二世の時代、この城に従兄弟のピエール・スタニェールという貴族が住んでいた。その妻カトリシアは、美人で気性の激しい女であった。
 家臣に、ボレン・マイヨールという騎士がいた。若く美男のこの騎士は城主から信頼されていた。カトリシアは、ボレンに妻を持たせようと美女を紹介するが、ボレンは無関心。そこでカトリシアは、ボレンと夫ピエールの仲を疑った。
 ある日、カトリシアは隠し窓から夫の部屋をうかがうと、ベッドの上で、夫とボレンが抱き合っていた。数日後、本家のサヴォイ家に出掛けた夫の留守中、ボレンを地下牢に監禁した。戻った夫はその理由を妻に聞きただすと、寝室に入ってきて乱暴したという。おまけに証人までいるという。
 ピエールはボレンの無罪を信じるが、何ともできない。やがて地下牢に水があふれ、ボレンは水死した。その日からこの城に亡霊が出るようになったという。毎夜の亡霊騒ぎにカトリシアは狂い死ぬ。ボレンの怨念が晴れたのか、その後、亡霊は出なくなったという。

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