樟脳玉(しょうのうだま)
五代目三遊亭圓生
当今では
樟脳が台湾
辺りからドン/\出来て参りまして、
種々需用の
路も
弘くなっておりますが、昔は
僅かにこの粉を紙に包んで
箪笥の
抽斗へ入れておくとか、たまは
雛の箱へ入れるとか、五月の武者人形の箱の中へ入れておくとか致すと、虫が付かないなどゝ云って用いたもので、この樟脳を小さく丸めて、これを赤く塗りまして、
香具師が火を
点けて
掌へ載せて樟脳玉、
一名長太郎玉と申して売っておりました。今はあまり見掛けませんが、従前は縁日などで商いまして、子供衆が
玩具に買ったものでございます。それから思い付いてのお
噺。いったい人と云うものは、我々のような智恵のない男が
窮しますと、ろくな事は考えません。
小人閑居して
不善をなすとか申して、智恵のない癖に働くのが
厭で、どう
美味い物を食べてブラ/\遊んでいたいなどゝ云ので、
種々な事を考える。
○「
吉さん
在宅かえ」
吉「誰だ、開けねえ」
○「
今日は」
吉「オウ八か、どうした、
些とも顔を見せねえが、一ツ長屋にいてお前の顔を四五日見ねえと、何だか二三年会わねえような心持ちがする。どうだ何か面白い事があるか」
八「それが
些とも面白え事がねえんだ。今年ぐらい悪い年は
兄哥無えね。どうにもこうにも
方返しが付かねえ。何か
旨え事はねえかと思って考えてるんだが、どうも
銭儲けというものはねえものだなァ」
吉「それはお互いだ。俺もこの
節は
遣り
切りが付かなくなって、やはり
手前と同じで、ただ何か
旨え事を見付けてえと考えてるんだ。何か
手前考え付いたか」
八「じつは三日三晩寝ずに考えた金儲けの事があるんだ。
兄哥半口乗ってくんねえか」
吉「そいつァ
剛義だ。金儲けの口といやァ半口どころか
全で乗ってもいい。どういう事だ」
八「人に知れると一大事の話なんだ」
吉「フーン
何様な話だ」
八「そこを
閉てくんねえ。人に聞かれると大変だ」
吉「サァ早く聞かせねえ」
八「
兄哥気の毒だが
引窓を
一寸閉めてくれ」
吉「何だって、引窓を閉めるんだ。暗くなっていけねえや」
八「人に
覗かれると一大事だ。引窓が開いてると
天が見通しだ。
御天道様に見ておられちゃァ気が差して話が出来ねえ」
吉「くだらねえ事を云うな」
八「くだらなかァねえ、
後生だから閉めてくれ」
吉「厄介な奴だな……ホラ閉めた、これでいいだろう」
八「ウム、モウ一ツお願いがある。仏壇を
一寸閉めてくんねえな」
吉「いいじゃァねえか、仏壇が開いてたって」
八「イヤそうでねえ。お
前のところの御先租様にこの話を聞かれちゃァ大変だ。後生だ
一寸……」
吉「厄介な事を云やァがるな。俺の所の仏壇は風呂敷を掛けりゃァいいんだ。サアこれでよかろう」
八「いけねえ」
吉「何が」
八「
側に猫がいる。猫をどこかへやってくんねえ」
吉「猫がいたっていいじゃァねえか」
八「いけねえよ、猫は魔物だってえから、人間に化けてどこへ行って
喋舌らねえとも限らねえ。お願いだから
其奴を
逐ってくんねえ」
吉「厄介の事を云やがるな。シーッ畜生、アハヽ猫が驚いて飛び出してきやァがった、サアこれならよかろう、話をしねえ」
八「まだいけねえ」
吉「何だ」
八「ダッテお
前がそこにいるじゃあねえか」
吉「俺が
退いて
手前誰に話をするんだ」
八「アヽそうだなァ、そんなら安心だ。
外の事じゃァねえがな」
吉「ウム」
八「この長屋の
捻兵衛な」
吉「ウム、
捻兵衛がどうした」
八「
彼ァ
捻兵衛というじゃァねえんだよ。
真正の
名前は
喜六というんだが、変に
捻じけているから、
彼奴の事を
皆なで
捻兵衛と
綽名を付けたんだ。ところがお
前この節は当人も捻兵衛さんというと、ヘエーと返事をするようになったから
可笑いじゃァねえか」
吉「そんな事はどうでもいいが、金儲けの話てえのは何だ」
八「マア聞きねえって事よ。アノ
捻兵衛の女房が大したもので、じつに
捻兵衛って奴は、良い
月日の下で生まれやがった奴だと、
羨ましく思ってるんだ。
彼奴の女房なんぞになる女じゃァねえ。あれはお前も知ってるだろう。ある屋敷へ奉公をして、ウンと金を儲けて一生奉公をする
心算でいたところが、その屋敷が瓦解とか何とかで、暇が出たもんだから急に身を固める事になったが、何でも大事にしてくれて、
心質の優しい人をというんで段々諸方を聞いたうえ、
捻兵衛がいいとこうなって、
彼奴の
家へ
嫁づいたんだ。
捻兵衛喜んで、何でも女房の事というと、
嫌といわずにするんだ」
吉「なんだ
手前なにか、その話をしてえために、俺の所へ来て、猫を
逐い出したり、引窓を閉めさしたりしたのか」
八「そうよ」
吉「くだらねえ事を云うな。
手前から聞かなくっても一ツ長屋にいるんだ。俺の方でよく知ってらァ、何をくだらねえ事を云やァがるんだ」
八「怒っちゃァいけねえ、これから金儲けの話になるんだからマア聞いてくれ。スルとあの女房が、コロリ死んだろう」
吉「ウム」
八「生きてるうちの様子をお
前見たか知らねえが朝俺が
出掛けに道具箱を担いで
彼所の
家の前を通る時に、女房が見てえから俺がお早うございますと声を掛けると、
捻兵衛がオヤ八さんでございますか、お早うございます。マアお寄んなさいましと云うから、野郎に用はねえが寄って見ると
捻兵衛が茶を汲んで出したり何かして、女房はまだ寝ているんだ。
飯も
捻兵衛が自分で
焚くんだな。俺が茶を
喫んでると、その間に女房を起こすんだがな、その起こし方が大変だ。三度起こしてえんだ」
吉「なんだ三度起こしたァ」
八「
枕許へ行って、サア起きてもいい時分だから起きたらどうだえ、八さんが来ているよ。起きたらいいだろう、モウ起きたらいいだろう……」
吉「なんだい、それは」
八「声を段々にこう、せり上げて来るんだ。初めが
小せえ声で、次が中くらい、
終に
大え声をする それが三段起こし。初めから大きな声を出して起こすと、女房がハッと驚くといけねえというので、段々に大きな声を出すんだ。それほどに思う女房が死んだんだから、
捻兵衛はまるで
狂人のようだ。
家に閉じ
籠って仏壇の前へ座って、愚痴ばかり
溢している。
何故お
前は死んでくれたんだとかなんとか云って位牌と話をしている。そこで俺が考えた。これほどに死んだ女房の事ばかり思ってる男だ。夜中に
小便に行くだろう。丁度いい事に
捻兵衛のとこの便所を今
修繕してるんで
総雪隠へ行くんだ。
二人で
捻兵衛の来るのを待って、
掃き
溜めの
側から
彼奴の女房の幽霊になって出るんだ。ナニこのままじゃァいけねえが、怪談をやる落語家の
懇意いのがある。そこへ行って着物と
鬘を借りて、この
面へ
白粉を塗って
掃き
溜めの
側からヌーッと出て
恨めしい
捻兵衛さん、私はお金や
衣類に気が残ってどうしても浮ばれない。お願いだから着物に
御金を持って来ておくれというと、
彼奴は女房の事といえば何でもするんだから、そうかえ、お前がそんなに気が残ってるなら持って来てあげようと言うのでそこへ
雑物を持って来るだろう。持って来た時に、まさか幽霊が包みを
背負う訳にいかない、ソコで
兄哥、お
前が
黒衣を着て
側に
後見をしていて真っ黒に塗った竹の先へ釘かなにか付けた奴をヌッと出して、その包みを引っ掛けて引いてくんねえ。暗い所だから分らねえ。
彼奴が驚いて眼を
閉って念仏でも唱えてるうちに、
掃き
溜めの陰へ引っ込んでしまって、後で
雑物を山分けにしようというんだ、素晴らしい良い金儲けけだ、
兄哥手伝ってくんねえ」
吉「
手前の智恵はそんなものだろうな。よく考えて見ねえ、
捻兵衛という奴は未練な奴で、死んだ女房の事ばかり思ってるんだ。その幽霊を
手前と思わねえで女房だと思って、
彼奴が驚かねえで、女房かよく出てくれた、懐かしかったとか何とかい云って
手前に抱き付いたらどうする」
八「なるほど、そういやァ
彼奴の事だからやり兼ねねえ。そんな事をされちゃァ困っちまう。もし抱き付いたら、相撲の手で
投り出す」
吉「それだから
手前の考えなぞは駄目だ。
真正に
手前それをやる気か」
八「やる気があるから引窓を閉めて貰ったり、猫を
逐い出したりしたんじゃァねえか」
吉「そういう事はもし
遣り損なって知れると、二人とも食らい込むぜ」
八「そうだ」
吉「ダカラ
迂闊にゃァが出来ねえ、じつは俺もそれに似た考えをしていたんだ。
手前がやる気なら俺も一緒にやるけれども、しかしその手じゃァいけねえ。この考えは俺の方が少し上だろうと思う。ここにこういう物がある」
火鉢の
抽斗から出した例の
香具師の売っている
長太郎玉という樟脳が玉にした奴で、これは
附木で火を付けると、青い火が燃える。それを
掌へ載せて転がしているから」
八「何だいそれは、火の玉を
掌の上へ載っけて熱くねえか」
吉「ウム、こうして転がしてりゃァ熱くも何ともねえ。こうやると消える、フッ……」
八「なるほどこれは不思議だ」
吉「
手前、
一寸、
掌の上へ載せてみねえ」
八「
火傷をしやァしねえか」
吉「大丈夫だ。ホラどうだ」
八「なるほどこりゃァ面白いや」
吉「熱くなかろう、吹き消してみな」
八「フッ……アヽ消えた/\、妙な匂いがするな」
吉「
汝知らねえのか、こりゃァ樟脳を丸めた
長太郎玉ッてんだ」
八「そうか」
吉「こいつを
拵えて針金の先へ付けて、夜中に
捻兵衛が念仏を唱えてる時分、屋根へ
昇って、引窓を開けて火を付けた玉を、ブラ下げるんだ。どうせ
狭え
家だから仏壇の前に座ってるところへ台所で火の玉が燃えりゃァすぐに気が
注くから、
必度驚くだろう。そいつを二ツ三ツ廻して引き上げて、
翌る朝、
手前が肩へ風呂敷を掛けて、お早うございますと、
捻兵衛の所へ行くんだ」
八「俺が行って何か
昨夜引窓から火の付いたものが下がりやァしねえかと聞くのか」
吉「そんな事を云っちゃァいけねえ。なんでも真面目
臭って、さぞ
女房さんが亡くなって、お
淋しいかろうとか何とか
悔みを云うんだ」
八「ウム、俺はまだ
捻兵衛に
染み/″\
悔みを云わねえ、なんだか
悔みの文句が難しいからな。その癖
葬式の時には寺で手伝ってやった。
平常は
吝嗇だが、
流石に女房に
惚れてたゞけに、思い切って
銭を使った。長屋の
葬式であのくらい立派なのはマア
無えね。何より
赤飯に銭を掛がった。どこへ
誂えたのか
雁擬が馬鹿に
美味かった。じつは俺は三つ持って来た」
吉「食い物の話なんァどうでもいい。
手前まだ
悔みを云わねえというから丁度幸いだ。さて
捻兵衛さん、この度はお
内儀さんが飛んだ事でございました。何とも申しうようがございません。
御丹精甲斐もなく、さぞ、御力落としでございましょう。けれども
貴所が
後生をよくなさるので、お
内儀さんも定めし極楽往生をなさいましょうと二三度繰り返して云って見ねえ、スルと
捻兵衛が、イエ極楽往生は致しますまい。何か
彼は心に残る事があると見えて。
昨晩魂が来たとか火の玉が来たとか云やあ締めたもんだ。その口に乗ってそいつァ驚きましたね。なるほどして見ると何かお
内儀さんの心に残る事があるんでございましょう。
貴所はお
内儀さんの
衣類やお金をお寺へお納めなすったか。イエ納めませんと云ったら、じゃァそれへ気が残ってるんでございましょう、早速お納めなさいまし。もし何なら私がこれから
貴所のお寺の近所まで
用達しに行きますから納めて来てあげましょう。この通り私は風呂敷を持って来ました。大方これは仏様の引き合せでございましょう。この風呂敷へ包んで持って行ってあげましょうと、こう云って、金と
雑物を持って来い。それを叩き売って金はもとより
手前と山分けにする。この方がよっぽど考えがいいだろう。どうだ」
八「なるほど、こいつァ
巧えや。そうしてやろう」
吉「じゃァ樟脳を買って来い」
それから買って参りました樟脳を
捏ちまして、その晩更けるのを待っております。
捻兵衛は相変わらず夜に
入りますると、仏壇へ向かって、
捻「
南無阿弥陀仏。/\/\アヽお前もとう/\紙一枚にお成りだ。私は愚痴を
溢すようだが、どうしてお前私を置いて先へ死んで
終ったのだ。私は幾ら諦めようとしても、お前の姿が目先にチラついて、諦める事が出来ない。情ない事になった。私はお前の事は忘れられない。朝も早く起きてお前の笑い
貌を見るのが楽しみで、
煮焚きをして
枕許へ行って私が
煙草を付けて出すと、お前が有り難う。とそれを
喫んで嬉しそうな
貌をして私を見る。その顔がいまだに目に付いていてどうにも忘れる事が出来ない。お前が死んだからといって、モウ
他に女房は持たないから安心して、浮んでおくれよ。南無阿弥陀仏、/\/\。私があんまり
鈴を
敲くんで
鈴が
損んでしまった。
明日良い
鈴を買って来て鳴らしてあげるよ。南無阿弥陀仏/\/\」
しきりに愚痴を云っては念仏を唱えております。
二人の者は
密と屋根へ
昇って来て、
八「
兄哥やってるぜ」
吉「
叱ッ、声を出すな。引窓を開けなくっちゃァいけねえ。どうだ開いたか、
旨え/\。静かにしろよ……サア樟脳玉へ火を付けろ。ソレいいか」
スーッと引窓から針金でブラ下げました。
捻兵衛一生懸命、
捻「南無阿弥陀仏/\/\」
やってる所へ火の玉が下がって参りましたから、
捻「南無阿弥陀仏/\/\/\。お前迷って出たか。浮かんでおくれ/\南無阿弥陀仏/\/\」
云ううちスーッと引き上げて二人は帰って参り、
夜が明けると肩へ風呂敷を掛けて、
八「ヘエお早うございます。
捻兵衛さんお早うございます」
捻「
何方でございます。オヽお長屋の八さんでございますか。この度は
種々御世話くださいまして有り難う存じます。
一寸御礼に上がりたいのでございますが何や
彼やにかまけまして」
八「どう
致しまして、どうも
種々貴所もお骨が折れましてこざいましょう。さてこの度はお
内儀さんが飛んだ事になりまして、さぞ御力落としでございましょう。どうもじつに立派な
御葬式でございましたねえ。
雁擬の塩加減なぞは全く結構で、あんなにお前さんが
後々もよくしてあげたら、さぞ
内犠さんも行く所へ行かれましょう。極楽往生が出来ましたろう。
内儀さんは確かに極楽往生でございましょう」
捻「有り難う存じます。皆さんがそう仰って下さいますが、
彼れは極楽往生をなかなか致しません」
八「
戯談云っちゃァいけません。お前さんがこんなによくしてあげて、これで極楽往生が出来ねえ訳はございません」
捻「イエよくしてやる心得ではございますが。何か気に
入らない事があると見えまして、
貴所だからお話し申しますが、じつは昨晩
彼れの魂が参りました」
八「エーッ、お
内儀さんの魂が……驚いたなァ」
捻「何か心の残る事でもあるのでございましょう」
八「
怖かねえね、来ましたかえ。それは何か心残りが……
貴所何ですかい。お
内儀さんの着物なんぞお寺へお納めなすったかね」
捻「イーエ、何も納めません」
八「アーそれだ。そいつァお前さん
衣類に気が残っているに違いありません。それはお寺へ納めたらようございましょう」
捻「そうでございましょう……。
彼が着物の事ばかり始終云っておりましたから……」
八「それへ気が残ったに違いありません」
捻「よく仰って下さいました。早速誰か頼みまして、
彼の物を寺へ納めましょう」
八「モシ/\
捻兵衛さん、誰も頼む事はありません。ここへ私が来合わしたのが縁でございましょう。丁度御寺の近所へ用があって参りますから、私が行って納めてあげましょう」
捻「そう願えれば結構でございますが、御気の毒様でございますな」
八「ナニ気の毒な事はありません。コレ御覧なさい、幸い私が大きい風呂敷を持っています。この風呂敷へ包んで持って行きましょう」
捻「ヘエ
貴所風呂敷をお持ちでございますか。全くこれは
草場の
蔭で
彼が引き合わせるのでございましょう」
八「アヽそっちで云われて
終った」
捻「何でございます」
八「ナニこっちの事で……。確かにお
内儀さんの引き合わせに違いありません」
捻「それではこの
箪笥の中にあるものを皆な納めましょう」
八「サアお出しなさい」
捻「八さん見てください。この
縮緬は京都から取り寄せたものでございます」
八「ヘエー、良い羽織だね」
捻「これは
糸織で」
八「何だか素晴しいものだね」
捻「これは
紬の着物でございます。この紋を見るに付けても思いの
種でございます」
八「ヘエ!、泣くような事があるんでございますか」
捻「マア聞いてくださいまし。御屋敷で
彼れが
白紬を
戴だいて参りましたのを、着物にしたいと云うので、色は何に染めたらよかろうと云うと。私はモウ
貴所を
夫としたからには、
外の色には染まらないよう黒にしたいと申しますから、なるほどそれがよかろう。紋は何にしようと云うと、いっその事、
貴所の紋と私の紋と
比翼に付けたいと申します」
八「ウムなるほど」
捻「
彼の紋は井筒で私の紋が
橘 井筒と橘の比翼に染めにやりますと、
紺屋で間違えまして、この通り
井桁の中へ橘を付けました。これを着て歩きますと皆さんが、
彼はお祖師様の
御仕着せじゃァないかと申しますので……」
八「マア泣いちゃァいけません。なるほどそうでございますか。それじゃァこっちへ重ねます」
捻「それからこれは帯で、
唐繻子と
繻珍の
腹合わせ、
後は夏物でございます。これは
上布」
八「アヽ良い上布だ」
捻「これは
透綾、これは明石でございます」
八「皆な
上物ですね」
捻「これは
白薩摩」
八「ヘエー」
捻「この白薩摩……」
八「ヘエー」
八「へエー」
捻「この白薩摩を見るに付けても思いの
種でございます」
八「また始まった。ヘエどうしましたえ」
捻「これが誠に
彼れによく似合いますので、丁度両国の川開きの時でございました」
八「なるほど」
捻「
彼は今まで御屋敷におりまして、両国の花火を見た事がないと申しますから、それから私が連れてってやろうと申しますと、大層喜んで、夕方から
仕度をさせて、その時にこの白薩摩を着ましてございます」
八「さぞ似合いましたろうね」
捻「エーじつによく似合いました。それに万事に気の
着く事一通りでございません。夜分になって万一寒くなると、風邪でも引いてはいけませんから。
貴所袷の羽織を持ってってください。雨が降るといけないから
合羽をと申しますから、私が
合羽と羽織を風呂敷に包んで
背負いました」
八「ヘエーお前さんが
背負ったんで……」
捻「それから雨が降っても困らないように、
足駄も持って行ったらよかろう傘もと申しまして、あんな気の付く女はございません。私が風呂敷を
背負って傘を二本担ぎ、
足駄を二足
紐でブラ下げて、
彼の
後から付いて参りますと、途中で
若衆たちが見て、
彼所へ行く女を見ろ。アノ
年増は
美い女じゃァないかと皆さんが
賞めてくださるのが私の耳に入って嬉しくって/\。スルト女は大層
美いけれども
後から風呂敷を
背負って傘を担いで
下駄をぶら下げて行く奴の
面を見ろ。間抜け々々していると皆様が申しました。その時の私の嬉しさというものは、どんなでございましたろう……」
八「ダッテお前さん悪い云われたんじゃァねえか」
捻「デモそれほど
彼れが
美かったと思うと、それが涙の
種でございます」
八「イヤどうも困ったな。泣かないであとをお出しなさい」
捻「これは
長襦袢で、これが
湯布でございます」
八「ようございます。じゃァ私がこういう
工合に包んで、済みませんが
中結わえの
紐か何か貸しておくんなさい……こう真ん中を結わえて行きゃァ大丈夫」
捻「お気の毒様で」
八「ナニ気の毒の事はございません。じゃァこれからすぐに納めて来ます」
捻「宜しくお願い申します」
風呂敷を
背負って表へ出て、
四辺へ気を配り、
八「オウ行って来た」
吉「御苦労々々。早く入って
後を閉めねえ/\。風呂敷が
閊えてるじゃァねえか。サア
下しねえ。俺が
後で受けてる……
大分あるな」
八「ウム、こんな貧乏長屋の
女房には珍しい物持ちだ」
吾「
何様な様子だった」
八「
何様なって驚いた。
彼奴が一々これを見るに付けても、思いの
種でございますと一々泣きやァがるんだもの、
真正に辛かった」
吉「ウム、こりゃァ大したものだな。金はどうした……金はどの位あったよ」
八「金……サア大変だ。金をスッカリ忘れちまった」
吉「間抜けだなァ。金が
大専で
代物は二の次だ。
肝腎の金を忘れる奴があるかい」
八「そう
叱言を云いなさんな。お
前は
家に座ってるから何でもねえが、行った者の身になって見ねえ、泣かれるんで随分辛かった。仕方がねえから
兄哥、また今夜やろうじゃァねえか。今夜、
昨夜より大きく
拵えてやったらど何うだ」
吉「じゃァモウ一晩やろう」
それからまた樟脳玉を
拵えて真夜中に二人、ミシ/\屋根へ上がって参りました。
捻兵衛さんは例の如く仏壇へ向かって、
鈴を鳴らし。
捻「
南無阿弥陀仏/\/\。お前が迷ってる事は知らなかった。
今日はお長屋の八さんを頼んで着物をお寺へ納めたから、あれでどうか浮かんでおくれ。南無阿弥陀仏/\/\」
引窓の所から樟脳玉へ火を付けてスーッと下げると、
捻兵衛吃驚して、
捻「南無阿弥陀仏/\/\。お前また今夜もお
出でか、お前の気の残っている着物は今日八さんに頼んで、お寺へ納めたからモウ迷わずに浮かんでおくれ。南無阿弥陀仏/\/\」
そのまま二人は樟脳玉を引き上げて
翌朝。
八「お早うございます」
捻「オヤ八さんでございますか。サアどうぞこちらへ……」
八「
昨日お寺へ着物を納めに行ったら、和尚さんが大層
賞めて、結構な事だと云って、お経をウンとあげてくれたから、モウお
内儀さんは迷う気遣いありません。大丈夫ですよ」
捻「八さん、
昨日は御苦労様、
貴所が御心配をしてくださいましたが、まだ迷っております。また
昨夜も参りましたよ」
八「エーまた来ましたえ」
捻「来たどころではございません。前の晩より大きくなって……」
八「ヘエーそれは驚きましたねえ。まだ、何か気の残るものがあるかな……何を納めなすったかね。アノ金を」
捻「イーエ」
八「アーそれじゃァ金だ。金に気が残ってるんだ。早速金をお納めなさい」
捻「有り難うございますが、御金と申して別にございません」
八「
串戯云っちゃァいけません。
無え事はねえでしょう。ウンと有りましょう」
捻「イエ八さんの前でございますが、葬式万端なにや
彼やで、金は残らず
費いまして只今では少しもございません」
八「ヘエー、こいつァ驚いたなァ魂の遣り損ない……イエナニ、金がなければ
外に何かありきうなもので」
捻「そうでございますね。そう云えば、
彼のお
雛様がございます」
八「お
雛様……」
捻「大層、
彼が大事にしておりましたので……」
八「マアお
雛様でもようございましょう。季節に向かえば幾らかになるから」
捻「エヽ」
八「ナニサ、そんな物でも幾らか気がが残ってるんでしょう。納めてお
了いなさい。持ってってあげるから」
捻「そうでございますか。デワ、どうぞお願い申します」
と戸棚を開けて、
葛籠を出し。
蓋を取りまして、中から
雛の箱を一つく出して、
捻「御覧くださいまし。これは
秀月。これは
玉山でございます」
八「どうも
好い
御雛様ですねえ……オヤ
捻兵衛さん、またお前さん泣いてなさるがどうしたんで」
捻「ヘエ八さん、
彼は全くこの
雛に気が残っていたに違いございません。魂の
匂が致します」