樟脳玉(しょうのうだま)

五代目三遊亭圓生




当今では樟脳しょうのうが台湾あたりからドン/\出来て参りまして、種々いろいろ需用のみちひろくなっておりますが、昔はわずかにこの粉を紙に包んで箪笥たんす抽斗ひきだしへ入れておくとか、たまはひなの箱へ入れるとか、五月の武者人形の箱の中へ入れておくとか致すと、虫が付かないなどゝ云って用いたもので、この樟脳を小さく丸めて、これを赤く塗りまして、香具師やしが火をけててのひらへ載せて樟脳玉、一名いちめい長太郎玉ちょうたろうだまと申して売っておりました。今はあまり見掛けませんが、従前は縁日などで商いまして、子供衆が玩具おもちゃに買ったものでございます。それから思い付いてのおはなし。いったい人と云うものは、我々のような智恵のない男がきゅうしますと、ろくな事は考えません。小人しょうじん閑居かんきょして不善ふぜんをなすとか申して、智恵のない癖に働くのがいやで、どう美味うまい物を食べてブラ/\遊んでいたいなどゝ云ので、種々いろんな事を考える。
○「きっさん在宅うちかえ」
吉「誰だ、開けねえ」
○「今日こんちは」
吉「オウ八か、どうした、ちっとも顔を見せねえが、一ツ長屋にいてお前の顔を四五日見ねえと、何だか二三年会わねえような心持ちがする。どうだ何か面白い事があるか」
八「それがちっとも面白え事がねえんだ。今年ぐらい悪い年は兄哥あにいえね。どうにもこうにも方返ほうがえしが付かねえ。何かうめえ事はねえかと思って考えてるんだが、どうもぜに儲けというものはねえものだなァ」
吉「それはお互いだ。俺もこのせつりが付かなくなって、やはり手前てめえと同じで、ただ何かうめえ事を見付けてえと考えてるんだ。何か手前てめえ考え付いたか」
八「じつは三日三晩寝ずに考えた金儲けの事があるんだ。兄哥あにい半口乗ってくんねえか」
吉「そいつァ剛義ごうぎだ。金儲けの口といやァ半口どころかまるで乗ってもいい。どういう事だ」
八「人に知れると一大事の話なんだ」
吉「フーン何様どんな話だ」
八「そこをたってくんねえ。人に聞かれると大変だ」
吉「サァ早く聞かせねえ」
八「兄哥あにい気の毒だが引窓ひきまど一寸ちょっと閉めてくれ」
吉「何だって、引窓を閉めるんだ。暗くなっていけねえや」
八「人にのぞかれると一大事だ。引窓が開いてるとてんが見通しだ。御天道様おてんとうさまに見ておられちゃァ気が差して話が出来ねえ」
吉「くだらねえ事を云うな」
八「くだらなかァねえ、後生ごしょうだから閉めてくれ」
吉「厄介な奴だな……ホラ閉めた、これでいいだろう」
八「ウム、モウ一ツお願いがある。仏壇を一寸ちょっと閉めてくんねえな」
吉「いいじゃァねえか、仏壇が開いてたって」
八「イヤそうでねえ。おめえのところの御先租様にこの話を聞かれちゃァ大変だ。後生だ一寸ちょっと……」
吉「厄介な事を云やァがるな。俺の所の仏壇は風呂敷を掛けりゃァいいんだ。サアこれでよかろう」
八「いけねえ」
吉「何が」
八「そばに猫がいる。猫をどこかへやってくんねえ」
吉「猫がいたっていいじゃァねえか」
八「いけねえよ、猫は魔物だってえから、人間に化けてどこへ行って喋舌しゃべらねえとも限らねえ。お願いだから其奴そいつってくんねえ」
吉「厄介の事を云やがるな。シーッ畜生、アハヽ猫が驚いて飛び出してきやァがった、サアこれならよかろう、話をしねえ」
八「まだいけねえ」
吉「何だ」
八「ダッテおめえがそこにいるじゃあねえか」
吉「俺が退いて手前てめえ誰に話をするんだ」
八「アヽそうだなァ、そんなら安心だ。ほかの事じゃァねえがな」
吉「ウム」
八「この長屋の捻兵衛ねじべえな」
吉「ウム、捻兵衛ねじべえがどうした」
八「あれ捻兵衛ねじべえというじゃァねえんだよ。真正ほんとう名前なめえ喜六きろくというんだが、変にじけているから、彼奴あいつの事をみんなで捻兵衛ねじべえ綽名あだなを付けたんだ。ところがおめえこの節は当人も捻兵衛さんというと、ヘエーと返事をするようになったから可笑おかしいじゃァねえか」
吉「そんな事はどうでもいいが、金儲けの話てえのは何だ」
八「マア聞きねえって事よ。アノ捻兵衛ねじべえの女房が大したもので、じつに捻兵衛ねじべえって奴は、良い月日つきひの下で生まれやがった奴だと、うらやましく思ってるんだ。彼奴あいつの女房なんぞになる女じゃァねえ。あれはお前も知ってるだろう。ある屋敷へ奉公をして、ウンと金を儲けて一生奉公をする心算つもりでいたところが、その屋敷が瓦解とか何とかで、暇が出たもんだから急に身を固める事になったが、何でも大事にしてくれて、心質こころだての優しい人をというんで段々諸方を聞いたうえ、捻兵衛ねじべえがいいとこうなって、彼奴あいつうちかたづいたんだ。捻兵衛ねじべえ喜んで、何でも女房の事というと、いやといわずにするんだ」
吉「なんだ手前てめえなにか、その話をしてえために、俺の所へ来て、猫をい出したり、引窓を閉めさしたりしたのか」
八「そうよ」
吉「くだらねえ事を云うな。手前てめえから聞かなくっても一ツ長屋にいるんだ。俺の方でよく知ってらァ、何をくだらねえ事を云やァがるんだ」
八「怒っちゃァいけねえ、これから金儲けの話になるんだからマア聞いてくれ。スルとあの女房が、コロリ死んだろう」
吉「ウム」
八「生きてるうちの様子をおめえ見たか知らねえが朝俺が出掛でがけに道具箱を担いで彼所あすこうちの前を通る時に、女房が見てえから俺がお早うございますと声を掛けると、捻兵衛ねじべえがオヤ八さんでございますか、お早うございます。マアお寄んなさいましと云うから、野郎に用はねえが寄って見ると捻兵衛ねじべえが茶を汲んで出したり何かして、女房はまだ寝ているんだ。めし捻兵衛ねじべえが自分でくんだな。俺が茶をんでると、その間に女房を起こすんだがな、その起こし方が大変だ。三度起こしてえんだ」
吉「なんだ三度起こしたァ」
八「枕許まくらもとへ行って、サア起きてもいい時分だから起きたらどうだえ、八さんが来ているよ。起きたらいいだろう、モウ起きたらいいだろう……」
吉「なんだい、それは」
八「声を段々にこう、せり上げて来るんだ。初めがちいせえ声で、次が中くらい、しまいでけえ声をする それが三段起こし。初めから大きな声を出して起こすと、女房がハッと驚くといけねえというので、段々に大きな声を出すんだ。それほどに思う女房が死んだんだから、捻兵衛ねじべえはまるで狂人きちげえのようだ。うちに閉じこもって仏壇の前へ座って、愚痴ばかりこぼしている。何故なぜめえは死んでくれたんだとかなんとか云って位牌と話をしている。そこで俺が考えた。これほどに死んだ女房の事ばかり思ってる男だ。夜中に小便しょうべんに行くだろう。丁度いい事に捻兵衛ねじべえのとこの便所を今修繕なおしてるんで総雪隠そうごうかへ行くんだ。二人ふたり捻兵衛ねじべえの来るのを待って、めのわきから彼奴あいつの女房の幽霊になって出るんだ。ナニこのままじゃァいけねえが、怪談をやる落語家の懇意こころやすいのがある。そこへ行って着物とかつらを借りて、このかお白粉おしろいを塗ってめのそばからヌーッと出てうらめしい捻兵衛ねじべえさん、私はお金や衣類きものに気が残ってどうしても浮ばれない。お願いだから着物に御金おかねを持って来ておくれというと、彼奴あいつは女房の事といえば何でもするんだから、そうかえ、お前がそんなに気が残ってるなら持って来てあげようと言うのでそこへ雑物ぞうもつを持って来るだろう。持って来た時に、まさか幽霊が包みを背負しょう訳にいかない、ソコで兄哥あにき、おめえ黒衣くろを着てそば後見こうけんをしていて真っ黒に塗った竹の先へ釘かなにか付けた奴をヌッと出して、その包みを引っ掛けて引いてくんねえ。暗い所だから分らねえ。彼奴あいつが驚いて眼をつぶって念仏でも唱えてるうちに、めの陰へ引っ込んでしまって、後で雑物ぞうもつを山分けにしようというんだ、素晴らしい良い金儲けけだ、兄哥あにい手伝ってくんねえ」
吉「手前てめえの智恵はそんなものだろうな。よく考えて見ねえ、捻兵衛ねじべえという奴は未練な奴で、死んだ女房の事ばかり思ってるんだ。その幽霊を手前てめえと思わねえで女房だと思って、彼奴あいつが驚かねえで、女房かよく出てくれた、懐かしかったとか何とかい云って手前てめえに抱き付いたらどうする」
八「なるほど、そういやァ彼奴あいつの事だからやり兼ねねえ。そんな事をされちゃァ困っちまう。もし抱き付いたら、相撲の手でほうり出す」
吉「それだから手前てめえの考えなぞは駄目だ。真正ほんとう手前てめえそれをやる気か」
八「やる気があるから引窓を閉めて貰ったり、猫をい出したりしたんじゃァねえか」
吉「そういう事はもしり損なって知れると、二人とも食らい込むぜ」
八「そうだ」
吉「ダカラ迂闊うかつにゃァが出来ねえ、じつは俺もそれに似た考えをしていたんだ。手前てめえがやる気なら俺も一緒にやるけれども、しかしその手じゃァいけねえ。この考えは俺の方が少し上だろうと思う。ここにこういう物がある」
 火鉢ひばち抽斗ひきだしから出した例の香具師やしの売っている長太郎玉ちょうたろうだまという樟脳が玉にした奴で、これは附木つけぎで火を付けると、青い火が燃える。それをてのひらへ載せて転がしているから」
八「何だいそれは、火の玉をてのひらの上へ載っけて熱くねえか」
吉「ウム、こうして転がしてりゃァ熱くも何ともねえ。こうやると消える、フッ……」
八「なるほどこれは不思議だ」
吉「手前てめえ一寸ちょっとてのひらの上へ載せてみねえ」
八「火傷やけどをしやァしねえか」
吉「大丈夫だ。ホラどうだ」
八「なるほどこりゃァ面白いや」
吉「熱くなかろう、吹き消してみな」
八「フッ……アヽ消えた/\、妙な匂いがするな」
吉「てめえ知らねえのか、こりゃァ樟脳を丸めた長太郎玉ちょうたろうだまッてんだ」
八「そうか」
吉「こいつをこしらえて針金の先へ付けて、夜中に捻兵衛ねじべえが念仏を唱えてる時分、屋根へあがって、引窓を開けて火を付けた玉を、ブラ下げるんだ。どうせせめうちだから仏壇の前に座ってるところへ台所で火の玉が燃えりゃァすぐに気がくから、必度きっと驚くだろう。そいつを二ツ三ツ廻して引き上げて、あくる朝、手前てめえが肩へ風呂敷を掛けて、お早うございますと、捻兵衛ねじべえの所へ行くんだ」
八「俺が行って何か昨夜ゆうべ引窓から火の付いたものが下がりやァしねえかと聞くのか」
吉「そんな事を云っちゃァいけねえ。なんでも真面目くさって、さぞ女房おかみさんが亡くなって、おさびしいかろうとか何とかくやみを云うんだ」
八「ウム、俺はまだ捻兵衛ねじべえみ/″\くやみを云わねえ、なんだかくやみの文句が難しいからな。その癖葬式ともらいの時には寺で手伝ってやった。平常ふだん吝嗇けちだが、流石さすがに女房にれてたゞけに、思い切ってぜにを使った。長屋の葬式ともらいであのくらい立派なのはマアえね。何より赤飯こわめしに銭を掛がった。どこへあつらえたのか雁擬がんもどきが馬鹿に美味うまかった。じつは俺は三つ持って来た」
吉「食い物の話なんァどうでもいい。手前てめえまだくやみを云わねえというから丁度幸いだ。さて捻兵衛ねじべえさん、この度はお内儀かみさんが飛んだ事でございました。何とも申しうようがございません。御丹精ごたんせい甲斐がいもなく、さぞ、御力落としでございましょう。けれども貴所あなた後生ごしょうをよくなさるので、お内儀かみさんも定めし極楽往生をなさいましょうと二三度繰り返して云って見ねえ、スルと捻兵衛ねじべえが、イエ極楽往生は致しますまい。何かあれは心に残る事があると見えて。昨晩ゆうべ魂が来たとか火の玉が来たとか云やあ締めたもんだ。その口に乗ってそいつァ驚きましたね。なるほどして見ると何かお内儀かみさんの心に残る事があるんでございましょう。貴所あなたはお内儀かみさんの衣類きものやお金をお寺へお納めなすったか。イエ納めませんと云ったら、じゃァそれへ気が残ってるんでございましょう、早速お納めなさいまし。もし何なら私がこれから貴所あなたのお寺の近所まで用達ようたしに行きますから納めて来てあげましょう。この通り私は風呂敷を持って来ました。大方これは仏様の引き合せでございましょう。この風呂敷へ包んで持って行ってあげましょうと、こう云って、金と雑物ぞうもつを持って来い。それを叩き売って金はもとより手前てめえと山分けにする。この方がよっぽど考えがいいだろう。どうだ」
八「なるほど、こいつァうめえや。そうしてやろう」
吉「じゃァ樟脳を買って来い」
 それから買って参りました樟脳をでっちまして、その晩更けるのを待っております。捻兵衛ねじべえは相変わらず夜にりますると、仏壇へ向かって、
捻「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ。/\/\アヽお前もとう/\紙一枚にお成りだ。私は愚痴をこぼすようだが、どうしてお前私を置いて先へ死んでしまったのだ。私は幾ら諦めようとしても、お前の姿が目先にチラついて、諦める事が出来ない。情ない事になった。私はお前の事は忘れられない。朝も早く起きてお前の笑いがおを見るのが楽しみで、煮焚にたきをして枕許まくらもとへ行って私が煙草たばこを付けて出すと、お前が有り難う。とそれをんで嬉しそうなかおをして私を見る。その顔がいまだに目に付いていてどうにも忘れる事が出来ない。お前が死んだからといって、モウほかに女房は持たないから安心して、浮んでおくれよ。南無阿弥陀仏、/\/\。私があんまりりんたたくんでりんいたんでしまった。明日あした良いりんを買って来て鳴らしてあげるよ。南無阿弥陀仏/\/\」
しきりに愚痴を云っては念仏を唱えております。二人ふたりの者はそっと屋根へのぼって来て、
八「兄哥あにいやってるぜ」
吉「ッ、声を出すな。引窓を開けなくっちゃァいけねえ。どうだ開いたか、うめえ/\。静かにしろよ……サア樟脳玉へ火を付けろ。ソレいいか」
 スーッと引窓から針金でブラ下げました。捻兵衛ねじべえ一生懸命、
捻「南無阿弥陀仏/\/\」
 やってる所へ火の玉が下がって参りましたから、
捻「南無阿弥陀仏/\/\/\。お前迷って出たか。浮かんでおくれ/\南無阿弥陀仏/\/\」
 云ううちスーッと引き上げて二人は帰って参り、が明けると肩へ風呂敷を掛けて、
八「ヘエお早うございます。捻兵衛ねじべえさんお早うございます」
捻「何方どなたでございます。オヽお長屋の八さんでございますか。この度は種々いろいろ御世話くださいまして有り難う存じます。一寸ちょっと御礼に上がりたいのでございますが何ややにかまけまして」
八「どういたしまして、どうも種々いろいろ貴所あなたもお骨が折れましてこざいましょう。さてこの度はお内儀かみさんが飛んだ事になりまして、さぞ御力落としでございましょう。どうもじつに立派な御葬式おともらいでございましたねえ。雁擬がんもどきの塩加減なぞは全く結構で、あんなにお前さんが後々あとあともよくしてあげたら、さぞ内犠おかみさんも行く所へ行かれましょう。極楽往生が出来ましたろう。内儀おかみさんは確かに極楽往生でございましょう」
捻「有り難う存じます。皆さんがそう仰って下さいますが、れは極楽往生をなかなか致しません」
八「戯談じょうだん云っちゃァいけません。お前さんがこんなによくしてあげて、これで極楽往生が出来ねえ訳はございません」
捻「イエよくしてやる心得ではございますが。何か気にらない事があると見えまして、貴所あなただからお話し申しますが、じつは昨晩れの魂が参りました」
八「エーッ、お内儀かみさんの魂が……驚いたなァ」
捻「何か心の残る事でもあるのでございましょう」
八「おっかねえね、来ましたかえ。それは何か心残りが……貴所あなた何ですかい。お内儀かみさんの着物なんぞお寺へお納めなすったかね」
捻「イーエ、何も納めません」
八「アーそれだ。そいつァお前さん衣類きものに気が残っているに違いありません。それはお寺へ納めたらようございましょう」
捻「そうでございましょう……。あれが着物の事ばかり始終云っておりましたから……」
八「それへ気が残ったに違いありません」
捻「よく仰って下さいました。早速誰か頼みまして、あれの物を寺へ納めましょう」
八「モシ/\捻兵衛ねじべえさん、誰も頼む事はありません。ここへ私が来合わしたのが縁でございましょう。丁度御寺の近所へ用があって参りますから、私が行って納めてあげましょう」
捻「そう願えれば結構でございますが、御気の毒様でございますな」
八「ナニ気の毒な事はありません。コレ御覧なさい、幸い私が大きい風呂敷を持っています。この風呂敷へ包んで持って行きましょう」
捻「ヘエ貴所あなた風呂敷をお持ちでございますか。全くこれは草場くさばかげあれが引き合わせるのでございましょう」
八「アヽそっちで云われてしまった」
捻「何でございます」
八「ナニこっちの事で……。確かにお内儀かみさんの引き合わせに違いありません」
捻「それではこの箪笥たんすの中にあるものを皆な納めましょう」
八「サアお出しなさい」
捻「八さん見てください。この縮緬ちりめんは京都から取り寄せたものでございます」
八「ヘエー、良い羽織だね」
捻「これは糸織いとおりで」
八「何だか素晴しいものだね」
捻「これはつむぎの着物でございます。この紋を見るに付けても思いのたねでございます」
八「ヘエ!、泣くような事があるんでございますか」
捻「マア聞いてくださいまし。御屋敷でれが白紬しろつむぎいただいて参りましたのを、着物にしたいと云うので、色は何に染めたらよかろうと云うと。私はモウ貴所あなたおっととしたからには、ほかの色には染まらないよう黒にしたいと申しますから、なるほどそれがよかろう。紋は何にしようと云うと、いっその事、貴所あなたの紋と私の紋と比翼ひよくに付けたいと申します」
八「ウムなるほど」
捻「あれの紋は井筒で私の紋がたちばな 井筒と橘の比翼に染めにやりますと、紺屋こんやで間違えまして、この通り井桁いげたの中へ橘を付けました。これを着て歩きますと皆さんが、あれはお祖師様の御仕着おしきせじゃァないかと申しますので……」
八「マア泣いちゃァいけません。なるほどそうでございますか。それじゃァこっちへ重ねます」
捻「それからこれは帯で、唐繻子とうじゅす繻珍しゅちんはら合わせ、あとは夏物でございます。これは上布じょうふ
八「アヽ良い上布だ」
捻「これは透綾すきや、これは明石でございます」
八「皆な上物じょうものですね」
捻「これは白薩摩しろさつま
八「ヘエー」
捻「この白薩摩……」
八「ヘエー」
八「へエー」
捻「この白薩摩を見るに付けても思いのたねでございます」
八「また始まった。ヘエどうしましたえ」
捻「これが誠にれによく似合いますので、丁度両国の川開きの時でございました」
八「なるほど」
捻「あれは今まで御屋敷におりまして、両国の花火を見た事がないと申しますから、それから私が連れてってやろうと申しますと、大層喜んで、夕方から仕度したくをさせて、その時にこの白薩摩を着ましてございます」
八「さぞ似合いましたろうね」
捻「エーじつによく似合いました。それに万事に気のく事一通りでございません。夜分になって万一寒くなると、風邪でも引いてはいけませんから。貴所あなたあわせの羽織を持ってってください。雨が降るといけないから合羽かっぱをと申しますから、私が合羽かっぱと羽織を風呂敷に包んで背負しょいました」
八「ヘエーお前さんが背負しょったんで……」
捻「それから雨が降っても困らないように、足駄あしだも持って行ったらよかろう傘もと申しまして、あんな気の付く女はございません。私が風呂敷を背負しょって傘を二本担ぎ、足駄あしだを二足ひもでブラ下げて、あれあとから付いて参りますと、途中で若衆わかいしゅたちが見て、彼所あすこへ行く女を見ろ。アノ年増としまい女じゃァないかと皆さんがめてくださるのが私の耳に入って嬉しくって/\。スルト女は大層いけれどもあとから風呂敷を背負しょって傘を担いで下駄げたをぶら下げて行く奴のつらを見ろ。間抜け々々していると皆様が申しました。その時の私の嬉しさというものは、どんなでございましたろう……」
八「ダッテお前さん悪い云われたんじゃァねえか」
捻「デモそれほどれがかったと思うと、それが涙のたねでございます」
八「イヤどうも困ったな。泣かないであとをお出しなさい」
捻「これは長襦袢ながじゅばんで、これが湯布ゆもじでございます」
八「ようございます。じゃァ私がこういう工合ぐあいに包んで、済みませんが中結なかゆわえのひもか何か貸しておくんなさい……こう真ん中を結わえて行きゃァ大丈夫」
捻「お気の毒様で」
八「ナニ気の毒の事はございません。じゃァこれからすぐに納めて来ます」
捻「宜しくお願い申します」
 風呂敷を背負しょって表へ出て、四辺あたりへ気を配り、
八「オウ行って来た」
吉「御苦労々々。早く入ってうしろを閉めねえ/\。風呂敷がつかえてるじゃァねえか。サアおろしねえ。俺がうしろで受けてる……大分だいぶあるな」
八「ウム、こんな貧乏長屋の女房かみさんには珍しい物持ちだ」
吾「何様どんな様子だった」
八「何様どんなって驚いた。彼奴あいつが一々これを見るに付けても、思いのたねでございますと一々泣きやァがるんだもの、真正ほんとうに辛かった」
吉「ウム、こりゃァ大したものだな。金はどうした……金はどの位あったよ」
八「金……サア大変だ。金をスッカリ忘れちまった」
吉「間抜けだなァ。金が大専だいせん代物しろものは二の次だ。肝腎かんじんの金を忘れる奴があるかい」
八「そう叱言こごとを云いなさんな。おめえうちに座ってるから何でもねえが、行った者の身になって見ねえ、泣かれるんで随分辛かった。仕方がねえから兄哥あにき、また今夜やろうじゃァねえか。今夜、昨夜ゆうべより大きくこしれえてやったらど何うだ」
吉「じゃァモウ一晩やろう」
 それからまた樟脳玉をこしらえて真夜中に二人、ミシ/\屋根へ上がって参りました。捻兵衛ねじべえさんは例の如く仏壇へ向かって、りんを鳴らし。
捻「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ/\/\。お前が迷ってる事は知らなかった。今日きょうはお長屋の八さんを頼んで着物をお寺へ納めたから、あれでどうか浮かんでおくれ。南無阿弥陀仏/\/\」
 引窓の所から樟脳玉へ火を付けてスーッと下げると、捻兵衛ねじべえ吃驚びっくりして、
捻「南無阿弥陀仏/\/\。お前また今夜もおでか、お前の気の残っている着物は今日八さんに頼んで、お寺へ納めたからモウ迷わずに浮かんでおくれ。南無阿弥陀仏/\/\」
 そのまま二人は樟脳玉を引き上げて翌朝よくちょう
八「お早うございます」
捻「オヤ八さんでございますか。サアどうぞこちらへ……」
八「昨日きのうお寺へ着物を納めに行ったら、和尚さんが大層めて、結構な事だと云って、お経をウンとあげてくれたから、モウお内儀かみさんは迷う気遣いありません。大丈夫ですよ」
捻「八さん、昨日さくじつは御苦労様、貴所あなたが御心配をしてくださいましたが、まだ迷っております。また昨夜ゆうべも参りましたよ」
八「エーまた来ましたえ」
捻「来たどころではございません。前の晩より大きくなって……」
八「ヘエーそれは驚きましたねえ。まだ、何か気の残るものがあるかな……何を納めなすったかね。アノ金を」
捻「イーエ」
八「アーそれじゃァ金だ。金に気が残ってるんだ。早速金をお納めなさい」
捻「有り難うございますが、御金と申して別にございません」
八「串戯じょうだん云っちゃァいけません。え事はねえでしょう。ウンと有りましょう」
捻「イエ八さんの前でございますが、葬式万端なにややで、金は残らずつかいまして只今では少しもございません」
八「ヘエー、こいつァ驚いたなァ魂の遣り損ない……イエナニ、金がなければほかに何かありきうなもので」
捻「そうでございますね。そう云えば、あれのおひな様がございます」
八「おひな様……」
捻「大層、あれが大事にしておりましたので……」
八「マアおひな様でもようございましょう。季節に向かえば幾らかになるから」
捻「エヽ」
八「ナニサ、そんな物でも幾らか気がが残ってるんでしょう。納めておしまいなさい。持ってってあげるから」
捻「そうでございますか。デワ、どうぞお願い申します」
 と戸棚を開けて、葛籠つづらを出し。ふたを取りまして、中からひなの箱を一つく出して、
捻「御覧くださいまし。これは秀月しゅうげつ。これは玉山ぎょくざんでございます」
八「どうも御雛様おひなさまですねえ……オヤ捻兵衛ねじべえさん、またお前さん泣いてなさるがどうしたんで」
捻「ヘエ八さん、あれは全くこのひなに気が残っていたに違いございません。魂のにおいが致します」





底本:名作落語全集・第四巻/滑稽怪談篇
   騒人社書局・1929年発行

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