手切れ丁稚(てぎれでっち)

二代目笑福亭枝鶴

「すて=Aこれは大阪落語界の楽屋の通言つうげんで一般にいう小噺こばなしである。こゝに掲ぐる手切れ丁稚もその小噺を少しく引き伸して多少の尾鰭おひれを付けたものである。演者に依ってそれ/\特異の点はあろうが、この手切れ丁稚の演者は古い落語を極めて上手に現代化して演じている。あまりに濃厚なモダンかぶれも気障きざではあるがこの程度の改訂はある意味に於て演者の熱心振りも窺われる訳である」(花月亭九里丸記)


 御婦人の職業しょうばい唯今ただいまでは随分多方面にわたって参りまして、ステッキガールも自己が是任ぜにんしている職業しょくぎょうなら、美貌を誇りに飾窓しょーういんどーつ女、即ちマネキンガールも新しい職業の一つでございましょう。誰やらがいいました。おめかけさんも立派な職業婦人であるとは、…私なんぞは、そらどうや知りまへんけれど、此間このあいだも新聞で見ますと内縁の妻は正妻せいさい同様の権利があると大審院だいしんいんの判決がありましたが、同じ大審院の判決でもお妾さんは家庭の平和を惑乱わくらんし、風紀をみだすと言うので、全然妻同様の要求や離縁になって手切れ金の請求も出来ぬそうだすな。これはちょっと私がすべてに研究してある所をお客様に向かってえらそうに宣伝してるのだす。と口に妾さんと申しましても、特等から上中下、そのと三段も四段にも別れていますもので御妾おてかけ様、様――御妾おてかけさん、おてかけ、おてか、おて…かの字の付かぬ者もある位だすが人間にはちっとも変わりがございませんが、妙な物だすね。明治時代は、大阪でてかけハンの巣は、北船場きたせんばの浮世小路が主要おもとこで、浮世小路と言えば上等のおてかけハンのお宅の代名詞となってあった位です。
 大正から昭和と時代が移りますと郊外の発展と市街中心地の銀行会社商店の改築で流石さすがのおてかけハンも市内から追い出されたと言おうか進んで閑静な郊外へ移住、移住と言うとまるで植民地のようですが、彼方あちらへ移られました。唯今ただいまでは南海沿線なら諏訪の森に高師の浜、近くて粉浜こはま、岸の里、平野線にはふみの里、大鉄線の恵我えがしょう大軌だいき沿線では小坂、瓢箪山ひょうたんやま、京阪沿線では香里こうり、新京阪の千里山、阪急線の牧落まきおち、桜井、螢ヶ池、阪神沿線では香炉園こうろえんに芦屋と色々ありますが、土地建物会社の月賦買いから総付け貸しの敷金なし、それに青い屋根赤い壁の文化住宅、しかしやはり表が二けん半間口に船板塀ふないたべい忍返しのびがえしに見越みこしの松がニューとくびを突き出しで、表の標札も陶器か彫刻ほりであんまり姓名は揃えて書かぬもので大抵は苗字だけで、たまには下へぐうの字を付けてあります。
 格子を開けて玄関まで少しの間隔がある庭が縮緬ちりめん漆喰じっくい靴脱石くつぬぎいしが据わってあります。上へ上がりますと、一面に畳が敷いてある。畳が敷いてなけりゃ空家あきやや。けやき玉目たまもく台輪だいわの火鉢がでーんとも何とも言わずにおいてありまして、唐木からき枝火鉢えだひばちなどごく体裁のよい物です。南部霰なんぶあられの鉄瓶に湯がしゅんと沸いている欄間らんまには静物せいぶつの油絵が結構な額縁がくぶちに納まってかゝっている。大丸の家具部で買うた立派な水屋みずやの横手に、出入りの洗い張り屋のカレンダーが四五日分もめくるのを忘れてかゝってある。
 奥の間にはひのき造りの神棚に金光こんこう様がお祀りしてございまして、床の間には春挙しゅんきょ先生が丹精こめてきたる墨絵の龍の陣羽織じんばおりやない風景物ふうけいもの淡白あっさりした軸、その前には早川尚古齋しょうこさい先生が編んだ編籠あみかごに時候向きの花がけてある。総桐そうぎり箪笥たんすに江戸風流な玩具おもちゃへ惜し気もなくぜにを掛けて硝子函がらすばこに納めてある。唐木の大きな姿見に錦紗きんしゃ別染べつぞめ、旦那の紋を染め抜いた鏡掛け、櫛函くしばこ瓶台ひんだい、その上には巴里パリー流行はやっている化粧品の数々、ポマード、キニネー、べーラム、クリーム ミルクセーキー、ソーダ水、そんな物はおまへんが、唐木の机があって、舶来のインクスタンド、そばには主婦の友、婦人世界、蒲田画報や性の研究などが置いてあります。その横には、ニュウトロンのラジオが立派なセットで置かれてある。緞子どんすのお座蒲団の脇の桑の小箱の中には百人一首の歌がるた、トランプ、麻雀、花札、虫札むしふだ八々はちはちの道具、それからこういうおうちにはきまってちんが飼うてあります、昔からちん瓜実顔うりざねがおと言うのは見た事がない。ちょんちょろ短い顔で年中涙をこぼしているのがちんの仲間でもえゝ方で、私でも人間でなくちんの方へ生まれたらえゝ方です。
 お客さん!わての顔がちんよりブルドックの方がよう似ているとおもていなはるやろ。…ちん怪体けったいな顔をしてお妾てかけハンが綺麗きれいですさかい。おてかけハンが抱いてはってもズーと容貌きりょうが上がって見えます。広い世間の中には、ちんよりもまた可笑気おかしげなお顔、奇蹟的に人間社会にせいむさぼる人がちんを抱いて公園を散歩していやはるのを見ますと、どうしても狆籍ちんせき調べぬと判らぬ。
「ハヽン、あの女があのちんを産んだのかい」と思う事もある位だす。
 えゝ方の御妾様おてかけさん、月に五六百円のお手当を頂戴して下女の二人も使うて、何不自由なしにお暮しになっていますが、これに反しておてか=Aおて≠フ部類になりますと、なかなかこうは行かぬ。お住まいでも郊外やのうて旧市内と新市街の接続地の密集地帯に限ってあるようで、今宮いまみやの釜ヶ崎に天神橋七丁目の東、長柄ながら墓地の横、表が半間はんげん間口で奥行三十九間、間口の割に奥行が長過ぎるとおもたら裏長屋うらながや船板塀ふないたべいという工合ぐあいには行きまへん。節穴だらけの焼板やきいたの塀が申し訳だけにありまして、見越みこしの松の代わりに大きな榎が高入道たかにゅうどうのようにそびえておる。
 長屋の突き当たりが共同便所の雪隠せっちんの金物が腐ってもたれかけてある。落書き一杯の壁は克明に釘で穴を開けた不届きの奴があった形跡が歴然として残されてある。塵芥箱ごもくばこは御近所一帯兼用で貿易茶箱にコールターを塗った品、このなかの一軒一けん間口まぐちに奥行二間半、表にせんたく、仕立物致しますと藁紙わらがみに書いてペッタリと張ってある。標札でも陶器や彫刻ほりものでなしに名刺が貼ってあるのはよっぽどよい方で中には蒲鉾板かまぼこいたに書いてあるものや、塵紙ちりがみヲに切って書いて貼ってある、ちょうど今日こんにちこころざしと間違いそうな。庭が凸凹でこぼこしてあって靴脱石くつぬぎいしの代わりに石油函せきゆばこが横にして下駄の鼻緒の切れたのが放り込んである。上へ上がると畳がない。アンペラが敷いてある。まるで黒砂糖の袋見たような物が敷いてありまして、火鉢が無いのでかんてき(七輪)が針金で鉢巻をしてその上には黒燻くろくすぶりになった土瓶の口が欠けて、ふたがないので手塩がせてある。台所もなかもない。無論奥の間もない。一間ひとまり。
 床の間に軸を掛ける代わりに所々落ちた壁を隠すために活動写真のポスターが二三枚吊り下げられて阪妻ばんつま大河内伝次郎おおこうちでんじろうの宣伝の応援をしている。唐木の机がないので蜜柑函みかんばこが二つならべて、雑誌の置いてない代わりに状袋じょうぶくろやセルロイドの玩具おもちゃが内職。いや立派な家庭副業として積まれてある。
 緞子どんすの座蒲団の代用がメリケン粉の袋、縁先にビール四だーす入りの空き箱が横にして半分に仕切って上へ二鉢三鉢の貧弱な植木、下の半分が米箱にして、半分が鏡台に活用する廃物利用法。ちんが飼うてない代わりに、たちの悪い猫を飼うて置きまして、正午ひる前になると猫が近所歩きをして近所のいえが魚を買うてある。それをって来さして猫の頭脳あたまを殴り付けてその魚を強奪しそれをお副食かずにして猫の上前をはねる。女中などはおいてない。女中の代わり役を全部自分がしてしまう。その代わりに旦那から月々にえゝとこで十四五円、悪いとこで一ヶ月一円四五十銭見当。ようそんなぜにで喰べて行けるなあと思し召すが、食うて行けるようにしてある。旦那は一人やない。大抵は五六人ありまして、旦那同志が正面衝突せぬように用意周到にしてあります。
「旦那!私、日曜になると貴方あんたの顔が見とうなります。どうぞ日曜に来て頂戴」
 またこっちの旦那には、
「なあ、旦那ハン、わて(私の意味)金曜日になったら貴方あんたの顔が見とうなります、金曜日ごとに来ておくなはれ」
 まだそんなのはよろしいが、
貴方あんた、一六だすせ、…、貴方あんた二七だすせ、…、貴方あんた三八だす、…」
 夜店出し見たいに日がめてある。それを、どないやらすと日を間違えて朋輩ともだち同志が路次ろじの入口でべったり出喰わして、
「イヨーウ、岡本君、君来てるのか」
「ヤー、木全きまた君、お先へ失敬」
 これは月に六十円級のおてかけだすね。時候にしますと祭月まつりづきの夏七月、時間にしますと午後ひるからの三時頃、
「お梅ちゃん、うちだすか」
「誰やと思うたらおとらはん。どこへ行きなはったんや」
 「あんまり暑うおますさかいに、汗流しに今風呂へ行て来ましてん」
「まあお這入はいり、上がんなはれ、ちょっとぐらいはよろしいやないか」
「へえ大きに、お母はんは」
今日きょうはそれ、島の内に瀧野たきのの兄さんとこのお祭りやので、饗餐よばれに行きはって留守だんねん、今一杯飲もうて思うてるとこ」
「そう、おおきに御馳走さん、上げて貰いまっさ」
「遠慮せんとおきなはれ。御互いや、ビール?お酒?どっちでもおまっせ」
「あてはどっちでも結構、お梅ちゃん、おうちいつ来ても綺麗にしてあるな。ほんまに貴方あんた果報者やし、よっぽど(親指を示す動作しぐされてはるねんな」
「あほらしい、しようもない事言いなはんなや、何があのおやんが」
「おじいさんかて何かてお金さへくれはったらえゝやないか」
「そやけどもなあ、お寅はん。この間も明石が一枚ほしいと言うたら、三越へ一緒に行て買うたると言うねん、いややがなわて、あほらしいもない、あのおやんと一緒に、人目の多い三越へ行く、まるで娘か孫やがな」
「どっちみち、物を買うて貰うのやないか、誰がまた笑うもんかいな」
「そいで貴女あんた、三越へ行くとアノエレベーダーに乗ると怖い/\とふるうてな。お寅はん!わてたもとを持って堅うなるねんし」
「北浜で自動電話の中を便所と間違えて小便をして巡査に叱られるやら、交叉点の真ん中に立って、電車に狭さまれてキリ/\舞いをしてり込んでを合わして南無阿弥陀仏なむあみだぶつ、々々々々々々と言うやら、電車の中で水洟みずばな垂らして、鼻汁はなかんでエと甘えるやらで、明石一たんがためにえらい恥さらしをしたのやし」
「まあえゝが、二つえゝ事ないと言うて」
 二人でベラ/\喋苦しゃべって飲んでおります。所へ出て来ましたのが十五六の丁稚(小僧)顔に面胞にきびの三つ四つも拵えて、
今日こんにちは」
「ヘエ、どなた?あっ定吉さだきちどんやないか」
「旦那はんがこれを貴女あんたに渡して来て、お返事を聴いて来いと言うではりました」
「へえ大きにはばかりさん、さあこっちへお上がり」
「いつでもなァ、貴女あんたの顔見るたびに言おう/\と思うてますねんけど、よう言いまへんねえ」
「心の悪いやこと、どんな事や言うて見なはれ」
「けどもね、言うたらな、貴女あんたが行かぬと言やはったら気まりが悪いさかいな」
「どんな事や言うて見なはれ」
左様さよか、笑わんとおいとくなはれ、…、実はナ、本宅うちは朝が早いので今時刻いまごろになったら眠とうて/\仕様がおまへんのや、ちょっとの間だすさかい昼寝をさしとくなはれんか」
「なんや、吃驚びっくりしたが。さあこっちへ上がりなはれ、寝床ねまを敷いたげますさかい」
寝床ねまを敷いて貰うたら、グウーと寝込みますさかい。エヽこゝで結構だす」
感冒かぜひきまっせ」
「いゝえ馴れています。グウー、グウー、グウー(鼾声いびき)」
「まあ、子供と言う者は罪のないものや、もう寝てるワ、…ちょっと待っとくなはれや寅ちゃん(手紙を読む)、早速ながら申上候もうしあげそう御申越おんもうしこしの件都合有之候つごうこれありそろゆゑ一時いちじ御断おことわ申上候もうしあげそろあなた様にはこの頃ほかによきお楽しみが出来たとの事、…マァ莫迦ばかにしてるワ、なんやえゝとしをして人間並に悋気りんきして、この頃他によきお楽しみが出来たとの事って、よう恥も知らずにこんな事言うて来たなァ」
「お梅ちゃん、どないしたんや」
「ちょっと!、わての無心を言うてやったらナ。それが断りを寄越して来たんや」
「なんぞ可笑おかしい事かあったんやないか」
「いや何もないけれどもナ、この金を取ったらズドンと肱鉄砲ひじでっぽうをかましてやろとおもてたんや」
「こないに結構にしてろてゝなんでやねん」
「モウあんな老齢としより何彼なんかにつけてうるさいさかい、今のうちに綺麗に手を切ってしまおうと思たんや」
 二人は夢中で喋舌しゃべっておりますと、朝まで眠っていた小僧は目をさまして、
「あゝ大分と寝過ぎました。大きに。お返事もろうて帰えりますさ」
「おゝいややの、貴方あんた寝てゝのやなやかったのか」
「いゝえ。よう寝さして貰いましたのや」
「嘘つきなはれ。貴方あんた、旦那はんから頼まれてうち隠密おんみつにおいなはったんだっしゃろ」
「隠密って何だすねん」
「寝たふりしてうちの事をすっかりさぐりに来なはったんやろ…定吉どん、これ少しだすけれど、なんなと買うてお帰り」
「あっ大きに、…一円だすな。大きに、…一遍活動写真を見に行て、帰りに洋食を喰べてやろ」
「その代わりに今こゝで二人が話をしてた事を、帰宅いんで旦那はんに秘密ないしょにしといとくなはれや。わてかて旦那はんに偉いれ方してるという風に言うといておくなはれ、頼みまっせ」
「よろしい、私も男や。一たん頼まれりゃいやとは言わぬ。一円の手前もあるさかい」
「アハヽヽヽヽ、まあ現金やこと」
「へえ先ぜにだすさかい、…、さよなら、…、ヘエ旦那はん唯今ただいま
「なんじゃ、ばた/\と」
「お梅はんのおうちへ行て来ました」
「どうやった」
「なかなか斥候せっこうの任務は重大にして責任が」
「生意気な事を言うな。様子はどうやったと聞くのや」
「向こうのな路次口ろじぐちからナ。そーット忍び足で行きましてな。門口の様子を探りますと、内部うちらに話し声が聴こえます。こりゃ放って置けぬ、と突然だしぬけに飛んで這入はいったんだす」
「こういう事は其方おまえに限る」
内部うちらの火鉢の横で差し向かいで一杯飲んではりますねん」
「そうか。なんじゃこの頃銭使ぜにづかいが荒いと思うたんや。それじゃから金の無心を寄越してるねん。おんと二人か」
「いゝえ、おはんはお留守だす」
先方むこうは母親と二人暮しじゃが、一体その一人は誰じゃ」
「若いとしで綺麗な顔して派手な模様の浴衣でお梅はんに馴れ/\しい物言いをして」
「ウーン、芸人じゃ、…、俳優やくしゃやな、…そうやろう。落語家はなしかじゃない。落語家はなしかは至って品行ひんこうの正しい者じゃ。それで定吉、なんと言う名じゃ、先方さきは」
「寅ちゃん/\と言うてはりました」
「寅ちゃん?俳優やくしゃで寅ちゃん、箱登羅はことらかいな。女寅めとら、でもなし、幾歳いくつ位や」
「二十四五で、頭髪あたまを綺麗にわけて」
おのれ、お梅の餓鬼がきめ、ようも浮気で、一体その寅ちゃんと言うのはどこの者やろ」
「日本人で大阪のなまりだす」
「当たり前じゃ。オイ定吉。その寅ちゃんというのは定めしえゝ男やろ」
「いゝえ女だすせ、お寅ちゃんって」
莫迦ばかッ!なんという物の言い方をしてわしに心配をかけるのじゃ。お寅ちゃん、それなら三軒目のやっぱり同じおてかけさんじゃ」
「旦那はん。男の悋気りんきは見っとものうおまっせ」
「何をかす、人の命をみじこう縮めやがった。お梅に限ってじゃ、わしがこれと見込んだおなごがお梅じゃ。よもや浮気はせまいと承知をしていても、ツイ気のまわる物で、ワハヽヽヽヽ定吉笑うてくれるなよ」
「あっ旦那ハン、よだれが落ちまっせ…、やあれ、禿げちゃんの色事師いろごとし
「仕様もない事を言うな。しかし、あのお寅、彼奴あいつはなかなかと筋縄では行かぬ奴じゃ。お梅に悪智恵を吹き込んで惑乱わくらんさす奴じゃ、…お梅何ぞ言うてたか」
わたしという者は、なんでこうまであの旦那にれた者やら、ただ我が身が判らぬ位や。それでもわたいがこんな無細工ぶさいくな顔やさかいに、よそにえゝおなごはんが出来て、もしや捨てられんかと」
「フウーン、/\」
「それが心配で、心配で夜もられんと」
「なにを、ウフン、仕様もない、嘘つけ」
本間ほんまつく」
本間ほんまつくと言う奴があるか、…それからどうした」
「そない前へ乗り出して来て聞きなはんなや。それに、こんな人を疑う手紙を寄越して、わての心も知らずして、ほかの男があるような、今のお前のことわては腹が立つわいな」
「お梅がそないまで言うてくれたか」
「いゝえ、これは向かいの大将が浮瑠璃じょうるりを稽古してはる壺坂つぼさかの文句だす」
「やゝこしい。ちょい/\人をだます奴じゃ。お梅はなんと言うていた」
「いゝえ、その時、そのお寅はんという人が、お梅はんに、お梅ちゃん、貴女あんたが旦那に疑われるような事をしたのが悪いねんさかい。それ程旦那はんにれてるなら惚れてると言う証拠に心中立しんじゅうだてをして見せなはれと言やはるとナ」
流石さすがはお寅、えゝ事を教えてやってくれた。なにしろお寅は海に千年、山に千年の世情に通じた女、お梅はあの年でいてまるで生娘きむすめじゃから、そんな事はお寅に教えて貰わぬと判らぬのじゃ、フン、それから」
「そうすると、お梅はんが、旦那はんの事なら、どんな事でもしますワと」
「そうするとなにか、定吉、わしの事なら心中立にどんな事でもすると、偉いわ、指でも切ると言うたか」
「指くらいはなんでもない事だす。五十円もろうたら、スッパリと手を切ってしまうと言うてます」





底本:名作落語全集・第三巻/探偵白浪篇
   騒人社書局・1929年発行

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