碁どろ(ごどろ)
四代目柳家小さん
この碁どろというお
噺は、師匠(三代目)が得意中の得意として
演しましたもので、我々がどうやりましても、とてもアヽいう味は出ません。実に師匠が独特の妙技として
類と
真似人がないといってもいい位のものでありまして、高座ではあまり私どもも
演りませんが、今度落語全集の出版について除く事の出来ない、お噺でございますから、ホンの物真似に申し上げる事に致します。
譬にも碁将棋に凝ると親の死に目にも遇わないという戒めの言葉がございますが、全くどうもこれに凝ると、どんな大切の用を控えていても忘れるほど夢中になります。しかしまた、それだけ面白い物には違いありません。けれども当人同志が勝負を争うのが面白いというのは判っておりますが、それを脇で見ていて、
助言をするのを愉決とする人があります。それがまた幾ら断わられても怒られても
止められないというのは不思議で、同じ
助言をされても、勝った方はそれほどでもないが負けた人はきっと腹を立つ。これはマァ当然のことで、随分それがために飛んだ喧嘩を初めることなどが幾らもございます。
甲「どうだい
一丁いこうか」
乙「
止そう」
甲「
何故」
乙「
何故ッてこの涼み台でやってると、横丁の隠居が来やがって、口を出して仕様がねえ。
此間もあんまり
蒼蝿えから
剣突を食わしてやったら、いい
塩梅に帰ったと思うと、また
翌日来やがってツベコベ口出しをしやァがって
煩さくってならねえ。あの
爺が来るから
御免を
蒙る」
甲「もし来たら
助言をしちゃァいけねえと断ってしまおうじゃァねえか」
乙「断ったって性分だから駄目だよ」
甲「それで口を出したら、こりゃァ賭け将棋なんだ。百円の勝負だから一生懸命だ。
側で口なんぞ利いて邪魔をする者は、誰でも構わねえ、
打擲くと脅かしてやろうじゃァねえか」
乙「成程そんなら大丈夫だろう。じゃァそろそろ始めよう」
隠居「やァこれは、相変わらずやってるね、ヘボ同志で」
乙「ホラやって来た」
甲「エヽ隠居さんお出でなさい」
隠「イヤどうも好きだな」
甲「ナニ好きッてえ程でもねえんですけれども…今日は隠居さん、少し口を出さねえようにしておくんなさい」
隠「アヽ出しませんよ」
甲「出さないといいながら、お前さん
直きに夢中になって口を出すから困っちまう。今日は
只の将棋でねえんで、賭け将棋なんですから」
隠「賭け将棋はお
止しよ。
僅かの事で
了簡が卑しくなるから」
甲「ところが僅かじゃァねえんで、どうも只じゃァ張り合いがねえから、百
円ずつの賭けで始めたんで」
暇「
止しなさいよ、馬鹿/\しい」
甲「
止せったってモウ約束をしちまったんで、百円の遣り取りだから、互いに一生懸命だ。
側で口を出しちゃァいけません」
隠「そういう将棋では、
迂闊に口は出せない。出しませんよ」
甲「出さなけりゃァようございますが、欲と二人連れだからね。
一身上に有り付くか、身上を潰すかという
興廃存亡の場合だから」
隠「イヤ大きく出たね。そういうことなら決して
助言はしない」
甲「見ているだけならようございます」
隠「アヽ見ているだけだ。しかし初めの内は将棋というものは面白くないな」
甲「そんな事を言わねえでおくんなさい」
隠「ナニ
助言をする訳ではない。…アヽ失礼ながらお前さん
等の将棋はこれだから面白いな。モウそこへ喧嘩が出来た。ウームとうとうこれは戦争になった」
乙「
蒼蝿えな。戦争も
軍もねえんだから、隠居さん、黙ってゝおくんなさい。後生だから」
隠「イヤ
助言をする訳じゃァない…」
乙「けれども騒々しくっていけねえ、百円の遣り取りで今大切のところなんだから」
隠「エヽ口は出しませんよ…。アヽ
辰さん、お前の方が少し旗色が…」
乙「それがいけねえんだよ。旗色が悪かろうがよかろうが、大きなお世話だ」
隠「そうでもあろうが、ウーム、こりゃァどうも…」
乙「オイ殴るよ。誰だって構わねえから…、こっちァ百円の一件なんだ」
隠「イヤ
助言をする訳ではない」
乙「
助言でなくっても
蒼蝿えよ」
隠「アヽそら…ウーム口は出さない」
乙「出さなけりゃァいい。見ているだけなら構わねえが、黙っていておくんなさい…、コウッと…こう
往けばこう来ると、どうも弱ったな」
隠「弱ることはないだろう。
筋違に銀を突っ込めば」
乙「エーッ
此奴ッ」
隠「痛い、
打ったな」
乙「
打たなくってよ。百円のいきさつだ」
隠「ウーム、ヤッ成程約束だから、
打たれても仕方がない。モウこれきり口は出しません。しかし面白くなって来たな。アヽ
其奴を…」
乙「オイまた殴るよ」
隠「けれどもこの位のことは、いったっていいだろう。何も
助言という訳ではないから」
乙「いけないよ。
蒼蝿くって仕様がねえ、何でも口を出せば殴るから、その
心算でいておくんなさい」
隠「しかし、それでは以来口は出さんことにする。けれど面白いな。アヽ
詰があるよ、そこには」
乙「
此奴ッ」
隠「痛いなこれは…イヤまた来ます」
乙「ウフッ行ちっまやァがった。思う様殴り付けてやったら、変な
面をして行きゃァがった」
親方「オイ
門口で将棋を差すのは
止しなよ。今見ていりゃァ横丁の隠居さんを殴ったじゃァねえか」
乙「ナニ約束なんだから構いません」
親「約束だって
若え者は
老人を
劬わるべき者だ。幾ら将棋で夢中になったって、
老人を殴るという法はねえ」
乙「ナニ先方も覚悟なんで」
親「覚悟だってピシャ/\、音のする程殴る奴があるか、門口で差すからいけねえ」
乙「モウこれから差しません」
親「ありゃァ只の隠居じゃァねえぜ」
乙「ヘエー、なんの隠居なんで」
親「元剣術の先生じゃァねえか、よくも男の
面体を打ったな、恥辱を
雪ぐから覚悟に及べとか何とか言って今に来るぜ」
乙「ナニ大丈夫ですよ」
親「大丈夫じゃァねえ」
甲「オイそうでねえよ。親方のいう通り来たぜ向こうから」
乙「ドレ…アヽ来た/\。なにか
冠ってると思ったら剣術の
面を
被って来やがった」
隠「ヤー先程は失礼。サァおやんなさい」
甲「モウやりませんよ」
隠「そう言わんでモウ一番、今度は
打たれてもいいように面を
被って来た」
夢中になるとそんなものでございましょう。碁でも将棋でも違いはございません。
客「今晩は」
主「オヤお出でなさい、どうもお気の毒様、ツイ
無人だもんですから、ちょっと使いでも上げればようございました」
客「イエナニ別の用もないからブラ/\来ました。また明晩伺います」
主「イヤ、少し待って下さい。
明日の晩もいけないんで」
客「じゃァ
明後日」
主「明後日にもなんにも当分碁が打てない事が出来ちまって」
客「ヘエー」
主「
今朝家内がな、碁の事について、少し愚痴を言いました」
客「ヘエー、しかしお互い様に碁を打つために、夜更しをして、商売を外にすると言う訳じゃァなし、昼間一日稼いで夜の楽しみに打つんで、それも時間を
極めて十時をチンと打てばマァ打ち掛けていても
止めて、
明日打ち直すという事にしているんだから、差し支えないじゃァありませんか」
主「イヤそれは
俺もそう言った。ところが女房のいうには、
外に何もいう所はないが、火の用心が悪いからどうか碁だけは打ってくれるなと言うんで」
客「ヘエ火の用心が」
主「なんで火の用心が悪いのかと、聞いて見た所が、奥の六畳へ行って見てくれというから行って見た」
客「ウム」
主「六畳といえば、
毎時碁を打つ座敷だ。昼間は敷物が敷いてある。この敷物を上げてこの通りだと言われた時には、我が身ながら
慄然としたね」
客「どうして」
主「碁盤の
周囲は焼け
焦げだらけ、因果と二人ながら噛むほど煙草が好きだし夢中になって碁を打ちながら
喫うので、吹き
殻が畳の上へ落ちる。この吹き殻のために火事になった事が昔も今も有りがちの事で、
如何にも無用心だから、なにか
外に安心の出来る慰みと変えて碁だけは打ってくれるなと、こう言われて見ると、それでもやるという訳にはいかない」
客「ハァー、また因果と煙草が好きだからなァ。困ったねえどうも、火事を出して構わないという訳もなし、
私の
宅へお出でを願うと言ったところが子供が多いからゴタ/\騒々しくっていけず、どうにか一つ火の用心をして、これならば安心という事にしてやろうじゃァありませんか」
主「そこだてね。安心と言ったところで煙草を
喫まねということは出来ない」
客「それは出来ないけれども…じゃァ庭の池を拝借しましょう。池には水があるから吹き殻が落ちてもチュウ/\消えてしまう」
主「それはいいが水の中は冷たい」
客「冷たい位我慢をしなければならない。好きな道だから」
主「好きな道だって私ゃァ
身体が弱いから
到底池の中へなんぞ入ってる事は出来ない」
客「それでは畳をトタンで張るということにしては」
主「そんな事は今夜の間に合はない」
客「それだから今夜だけ池でやりましょう」
主「どうも池じゃァ碁盤が仕様がない、水の中に立っちゃァ」
客「首から
紐を下げて両方に吊っていれば差し支えはない」
主「どうも首から吊ってるのは勝手が悪いねえ。しかしそれはマァいいとして、
碁器はどうする。石を
袂に入れてちゃァ重くっていけず、一
掴み出すというのも
工合が悪い」
客「それは腰へ
魚籠を提げてその中へ入れる」
主「それじゃァ、釣りだ。馬鹿/\しい」
客「馬鹿/\しいと言わないで、これならばやれるという所を一つ御相談をしよう、モウそう寒くもなし、アノお座敷へ二人
楯籠って」
客「中は全然火の気なし。マッチ一本置かない事にしたら、幾ら
喫みたくっても、火の気のない所では煙草は
喫めない」
主「それはいけない。お互いに碁が好きか、煙草が好きかといえば、碁の方は去年の暮れなどは十日ばかり
商法が忙しくって休んだ事もある位だから、この方は我慢も出来るが、煙草の方は十日はたて置いて、只の一時間でも我慢が出来ない」
客「成程」
主「シテ見ると、碁より煙草の方がつまり好きの
度が強い」
客「もちろん」
主「
如何に碁が面白いといった処で、それより以上好きな煙草が
喫めないということになると、物に
譬えて見れば頭を
擦られて尻の方を
打たれる理屈でつまらない」
客「イヤ全然
喫まないということは
到底出来ない話だが、一
石の勝負が何時間掛かるというものじゃァない。大体こりゃァどっちが負けだと見切りを立って半ばで
毀しちまうような碁ばかり打ってる我々だから、十分か十五分で
形が着く。その間はピッタリ我慢をして、次の
間へ火を置いて
戴いて勝負が着いてからその喫煙室へ行って煙草を
喫む。腹に溜まるものじゃァないから随分
喫み置きも出来る」
主「そんなに沢山
喫みゃァ目が
眩る」
客「マァ
眩暈のするほど、ウンと
喫んでまた盤に向かって碁を打つ、一石打ってしまったら煙草を
喫む碁は碁で片を着け、煙草は煙草と、こう別にやれば大丈夫だと思う」
主「成程、それは気が着かなかった。碁は碁でやって、煙草は煙草で
喫む。イヤそれならいいだろう…。エヽ
其方で何を笑ってるんだ。笑うどころじゃァない。どうか安心なことをしてやりたいと思って
種々相談しているんだ。なにも
可笑しいことはないじゃァないか。エヽ、そんならは差し支えないッて、
当然だ。火のない所でやって差し支える道理がない。サァどうぞ
此方へ」
客「じゃァ早い方がいい。一石も余計に打ちたいから」
奥へ通って盤へ向かったらモウ夢中で、
主「エヽト、碁は碁で打って煙草は煙草と」
(碁を打つ動作)
客「今日は最初から
甚く考えてるのは
可笑しいね。どうしました」
主「イヤ今夜の碁は
難しい、煙草は煙草と」
客「ハァ
仰るね、それなら
此方でも、煙草は煙草、碁は碁と、こんなものだ」
主「ウーム、煙草は煙草、碁は碁と」
客「お前さんも煙草と仰るから、
此方でも煙草は煙草と…アヽ悪いなァこれは、こういけばこうとどうも、
全然遣り損なった。エーッ煙草とやっちまえ」
主「ウム成程
道理です。そう来ればまた
此方でも…煙草と行くかな」
客「どうもこれは裏門からお出でなすったな。コウッ…と渡ると…渡らせんと、これを打ち切る、覗いて来る。
継ぐの一手、サァ悪い石が出来たよ。これは、煙草は煙草と、…待って下さいよ。ここだけは考えものだ」
もう盤へ気が入って二人ながら、
全然夢中、煙草入れを出して、幾ら夢中でも煙草は詰めたが火がない。これはある道理がございません。
主「オイまだ
此処へ火が来ていないよ。どうしたんだ、火を持って来なよ」
妻「アラ持ってッちゃァいけないよ。困ったねえ、モウ例の通り
全然夢中になって
在っしゃるんだよ」
下女「どう致しましょう。持って来いと
仰いますが」
妻「今夜ばかりは大丈夫だと思って、いい敷物を敷いて置いたら、あれもまた焼け穴だらけにしちまっては仕様がない。御自分でしといて、
後でお小言だから困っちまう。持ってッちゃァいけませんよ」
主「オーイ火を持って来ないか」
下「アラまた言ってらっしゃいますよ」
妻「なにか火の代わりになるものはないかい」
下「炭を入れてきましょうか」
妻「炭じゃァ黒くっていけない。なにか無いかねえ、煙草盆ばかりじゃァ持って行かれない。アヽこうおし、縁側の
庇の裏に
烏瓜が吊るしてあるだろう」
下「
烏瓜」
妻「アヽあれを一つもぎってお出で、黄色いのがあるけれども、真っ赤になってるんでなくっちゃァいけないよ。…ナァニ夢中で分かりゃしないよ。スッカリ
埋けて、なにを笑ってるのさ、笑って持ってッちゃァいけないよ。笑わずにいいかえ」
両人は気が着きません。
主「
後を閉めてけ(スッパ/\煙草を吸い付ける動作)ハテナ…碁は碁煙草は煙草」
烏瓜の頭を持ってっては、スパ/\やっておりますが、幾らスパ/\やっても烏瓜の頭から火が発するする訳がありません。
煙管を
咬えて見てはまた
烏瓜の頭を
撫でている。これなら安心と細君は下女を連れて風呂へ参りました。
両人は差し向かい、表の方は誰もおりません。そこへ入ったのが因果と奥の二人より碁が好きという泥棒で、大きな包みを
造らえて、それを
背負て逃げ出そうとした時が、モウ十時近い刻限、パチリ/\と
盤石の音、これが耳に入ったから
堪りません。
泥「イヤ
蔭で聞いても
快い
心地だな、どこだろう」
と音に引かされて、泥棒が奥の方へノソリ/\包みを
背負たまゝ入って来た。
泥「アヽここだな。気が散るといけないというので、ピッタリ閉め切って差し向かいだ、アヽふっくりとした、いい石だな。
盤石がいいと
平常より
二目方強く打てるというが
真実だね。いい石だ、
塩煎餅の
生見たように、
反っくり返った石じゃァ面白くない。
甚だ失礼ですが。
互先ですな、碁は
互先に限りますな。ハァ、その大きな石が攻め合いになってますな。力の入る碁だ。コウッとここは切れ目と、ここを…アヽ
貴所その黒は悪うございますよ。それは
継ぐの一手だ」
主「
蒼蝿いな。黙ってゝ下さいよ、見物は黙ってゝ下さい。見ているのは構わないが、口を出しちゃァ…
岡目八目助言は御無用と、一つこれへ打って見ろい」
客「
助言御無用とは
御道理、私も
助言は御無用と」
泥「アヽヽ、アヽ手を放しちまっては仕方がないが、攻め合いの石を、
貴所ダメを埋めてくれなんて、そんな…」
主「
蒼蝿いな、また口を出して…、オヤ/\あまり
平常見たことのない人だ…、エーコウッ…と。あまり
平素見たことのない人だと…。大きな包みを
背負てますね。大きな包みだと」
客「これは大きな包みと」
主「大きな包みを
背負てお前は誰だい…と一つ打って見ろ」
客「成程、お前は誰だいは恐れ入ったな。それでは私もお前は誰だいといきますかな」
主「じゃァ私も…お前は誰だい」
泥「ヘヽヽヽ、エヽ泥棒」
主「フーン泥棒」
客「成程、お前は泥棒かと」
主「これは泥棒さん、アヽよくお出でだねッ」