お駒丈八(おこまじょうはち)
八代目桂文治
毎度御婦人のお噂が出ますが、世の中に女ほど罪の深いものはないそうで、なんのことはない、女は男を迷わせるために生まれて来たようなもので、
殊に同じ女でも
容貌の
美いほど罪は深くなります。そこへ行くと我々の女房どもは
至極罪のない方で、大きに安心でございますが、昔の
小野小町などは、女の
美いところから男がワイ/\いうと、それをすげなくピン/\振りつけた。深草の少将を初め、小町のために振り殺された男がどのくらいあったか知れなかった。あまり男を振り付けた
罰で、小町はとうとう
終いに乞食にまで成り下がったという。また
傾城の
高尾太夫とてもそうで、これはまたあまり多くの男を
欺して金を絞った罪で、
終には仙台様に吊し斬りにされてしまった。そうかと思うと、八百屋お
七見たような、男に遇いたいために火を
放けて、江戸中を焼き払って多くの人を殺したために、
己れも
火焙りの刑に処せられました。今も昔も変わりのないのが色恋の道で、このためには、大きな間違いも出来ます。昔
一休様が一皮
剥けば美女も悪女も同じだといわれたそうで、悟って見ればそうかも知れませんが、さて凡人には中々そう悟れませんもので、電車に乗っても隣に腰を掛けた女が、美人だとその女が、自分の
何でなくっても
満更悪い気持ちはしないが、大きに醜い汚ない女でもあると、あまりいゝ心持ちはしません。その人の性質の善い悪いは
交際て見なければわからないが、顔の
美醜は一目でわかりますから、
御容貌は美しくお生まれなすった方がどのくらい徳か知れません。よく
外面如菩薩内心如夜叉ということを申します。見たところは美しくっても、心が鬼のやうな女があります。お芝居でいたす
城木屋お駒、これなどは内心如夜叉の代表的人物でございます。日本橋
新材木町の城木屋
庄左様門の娘で、またこの
親父の庄左衛門というのが誠に善くないもので、
紀伊国屋文左衛門の一番々頭でございましたが、主人の金を
瞞着して自分のふところを拵えまして、二代目の文左衛門が
零落をしてしまってから、幾分か恵んで貰いたいと頼みにいっても、木で鼻を
括ったような挨拶をしたという位の不人情な奴、主人の怨みでも
碌な娘の出来る訳がございません。その庄左衛門が死んで
後家のおつねと娘のお駒、
殊にお駒は大層な
容貌美で界隈の評判娘でございます。どこがいいといって
褒め出したら褒め尽くせないというくらい、姿といい、顔立ちといい、
黄八丈の着物に
絞の帯を締めて日傘でも差して歩こうものなら、誰一人振り返らない者はない。横丁の
斑犬まで
涎を
滴して
見惚れているというくらいでございます。ところで店を預かる番頭の
丈八、
今年四十三で、至って
醜男、お
神楽の
外道とヒョットコを一緒にしたような顔をしている癖に、年にも恥じず、主人の娘のお駒に
想いを掛けまして、色目使う
忌みったらありません。色気付いた犬見たように、フン/\匂いを
嗅いではお駒の
傍へいって、手を握ったり、お尻を撫でたりいたします。お駒は気味悪がって逃げて歩き、
偶に
は平ッ手でピシャリと手の甲を叩いたり、長い
袂で頭を叩いたりすることもありますがも丈八は懲りるどころか、
却ってホク/\喜んでいるというのだから始末にいけません。丈八この頃はもうお化粧で夢中でございます。朝に晩に
湯屋と
髪結床が出掛けて行っては磨き上げる。
終いには皮か
剥けて風が当たるとピリ/\痛いというくらい、着物羽織を
種々取り替えて着て見たり、匂い袋をぶらさげたりいたして、只今でいう色情狂という奴。
或日のこと娘の
袂へ
艶書を入れました。娘が利口ですから、
阿母さんの針箱の
抽斗に入れて置きました。
阿母さんが
裁縫をしようと思って針箱の
抽斗を開けて見ると驚いた。恋しきお駒さん参る、
焦がるゝ丈八よりという
怪しからん
文が出ました。これは
飛んでもないことになった。飼い犬に手を
噛まれるというはこのこと、
捨てては置けない今の内なんとかしなければなるまいといったところが、子供でもなし
分別男。番頭に、こんな意見は
仕難い。
つね「
定吉や定吉」
定「ヘーイ」
つね「ちょっと、こゝへお出で」
定「
内儀さん何か御用でございますか」
つね「今、番頭さんは何をしているね」
定「なんだか知りませんが、
先刻お湯から帰って来まして、今二階で水を浴びております」
つね「なんだとえ、二階で水を浴びられては困るが、なんだってそんなことをするのだね」
定「番頭さんだって水を浴びる
了簡じゃァございませんけれど、
水鏡をしている内に夢中になって上へ持ってゆくもんですから、水を浴びちまうんで」
つね「実にどうも仕様がないね」
定「何だか知りませんが、独り言をいって気取っていますよ」
つね「そうかい、それじゃァお前番頭さんのところへいって、人目にかゝると
蒼蝿から、知れないように、ちょっと奥へお出でなすって下さいと、丁寧に頼んでお出で」
定「ヘエ、じゃァ何でございますか。番頭さんに、人目にかゝらないように、ソッと奥へ来てくれろと、こういうんですか」
つね「丁寧にそうおいい」
定「畏まりました」
二階へ
昇って来ると丈八は
頻りに、何か独り言をいって気どっております。
定「番頭さん番頭さん番頭さんたら」
丈「オヽ
吃驚した。馬鹿め、定吉じゃァないか、
突然に大きな声をする奴があるか」
定「アレあんなことをいってらァ、幾度も小さい声で呼んだんですよ」
丈「なにか用か」
定「なにか用かって店が忙しくって仕様がないんで、けれども今はそれで来たんじゃァないんで
内儀さんが番頭さんはどうしたと聞きました」
丈「ナニ
内儀さんが
私のことを聞いたか、この頃は大層
綺麗になったと、
褒めてはいなかったか」
定「褒めましたよ」
丈「フヽヽ、そうか褒めていたか」
定「それで番頭さんに少し話したいことがあるから、人目にかゝらないように、ソッと奥へ来てくれろと、こう
仰いました」
丈「必ず/\人にいってはならんぞ。今夜なにか
奢ってやるからな。今
直ぐに参りますと
内儀さんにいってくれ…。これはマァえらいことになってしまったぞ。お駒さんが
靡いて来たと思ったら
内儀さんが
私に思し召しがあるか、
道理だ。旦那様が
没なってモウ七年後家でおられるからな。
譬にもいうとおり、
二十歳後家は通せるが四十後家は通せないという。しかし今までよく我慢をしていなすった。なにしろ日に二度三度入った湯の
効能か現れたかな。とはいうものゝ、
内儀さんの方へいったらお駒さんが定めし
私を怨むだろう。といってお駒さんの方へいったら、
内儀さんが腹を立つだろう。
彼方立てれば
此方が立たず、
此方立てれば
彼方が立たず、両方立てれば身が立たず、コリャ/\…」
と
暢気な男で、二階から踊りながら下りて来ました。
丈「エヽ御免下さいまし、
内儀さん何か御用でございますか」
つね「サァ/\丈八さん、遠慮なくこっちへ入っておくれ」
丈「エヘヽヽ、御免下さいまし」
つね「
厭な笑い方をするね。丈八さん呼んだのは
外ではないが、マァ私の口からこんなことはいい
難いがね」
丈「
御道理でございます。こういう事というものは、とかく御婦人の方からはいい
難いもので、私も心に思っていないではございませんが、
貴方は御主人、私は奉公人、失礼があってはと思って御遠慮申しておりました。旦那様が
没なってお
淋しいのは
御道理でございます。
私見たようなものでも
宜しければ、
何日何時でも
仰せ付けの御用を達します」
つね「丈八さん、お前さんはそれ程私を馬鹿にしていなさるか。私をそんな
淫らな女だと思っていなさるのか。実にお前には
愛想もこそも尽き果てた。こともあろうに、まだ子供といわれるくらいのあのお駒へ、この手紙は何ごと、恋しきお駒さんへ、焦がるゝ丈八より、四十三になりながら、
些とは理屈を考えて見たらどうだい…、これから
婿を取ろうという大切な娘へ、なんだってこんな物を付けなすった」
丈「エヽッ」
つね「この手紙に覚えがあろう。お前さん、お駒の
懐中か
袂へ入れなすったろう」
丈「イエ左様なことはございません」
つね「そうかえ、実は私も大方これは
外のものゝ
悪戯だろうと思ったが、しかしこういうことのあるのも、つまりお前が行き届かないから、こういふ
猥らなことになるのだ。どうかこの
後こういうことのないようにしてくれなければ困ります。婿を取る娘に
瑕の付かないようにしておくれよ」
後家さんといふものは辛いもの、腹を立ったが強いこともいわれず、
劬わるように、意見をいいましたが、心のよくない丈八は知れたと思ったから、
自暴半分、店の金を五十両持ち出して吉原へいって使い果たしてしまった。サァ金が無くなった。幾ら
図太しい奴でも、ノッソリ店へも帰れないから、
己れの
故郷へ帰ろうにも、今の静岡市、昔の府中でございますから、
今日とは違って汽車の
便はなく、早い足で三四
日、遅けれは五六
日も掛かるというのだから
一文なしじゃァ
往かれない。いっその事、
想いを掛けたお駒を手に掛けて殺し、その場で
直ぐに腹を切って死んだら、お駒丈八という
浮名が立って
後の世までも色男の見本になるだろうと、恋に迷った丈八が、勝手知ったる裏口から忍び入り、お駒の
寝間へ参りまして、寝ている上に馬乗りに
跨り、
咽喉元をブツリとやろうと思ったが、根が馬鹿な奴、ガタ/\震えて突き下ろすことが出来ません。その内にお駒が物音に驚いて目を覚まして見ると、
頬被をした男がドキ/\した物を持って、自分を上から突こうとしておりますから、
吃驚して、
「アレー、人殺しッ」
と
金切声で
呶鳴りました。こうなると素人の悲しさには、突くだけの勇気はない。あわてゝ障子や
唐紙に
打付りながら、そこを飛び出してしまいました。
後に落ちておりましたのが、狼の
上頤の付いた煙草入、誰かこれを知っているものはないかというと、小僧の定吉が、
定「私が知っております。これは番頭さんの丈八さんのです」
つね「確かに丈八の持ち物か」
定「確かでございます。この前お伊勢詣りにいった時に、
壺屋で買って来た紙煙草入で、大変に自慢にしていました」
つね「感心によく覚えていました。それでは
正しく丈八の
所業に違いありません」
早速
町役人のところへ届ける。それより
直ちに願書を
認めまして当時名奉行の聞こえ高き
大岡越前守様へ願って出でました。
上の御威勢は今も昔も同じこと、
何所に隠れていたものか丈八は
直ぐに、召し捕りになりました。そこで城木屋へ
差紙が付きましたから、町役人付き添いで後家のおつねが奉行所へ出頭いたしました。その内におよび込み、
「新材木町城木屋色事出来ない一件
入りましょう」
正面には大岡越前守、
目安方、
御祐筆、
蹲踞の同心など大勢ズラリと
列んでおります。
越「城木屋つね、町役人、五人組付き添いおるか」
一同「ヘヽヽ」
越「コレつね、あれに縄付きになっているものを存じておるか」
つね「ハイ、このたび御厄介を掛けましたる丈八めにございます」
越「丈八
頭を上げろ、コレ
面を上げろ、
其方は何歳じゃ」
丈「モウいけませんでございます」
越「黙れ、モウいけませんということがあるか、
何歳に相成るのじゃ」
丈「四十近うございます」
越「四十近いと申すと三十七八か」
丈「イヽエ、四十三でございます」
越「
然らばその
方は五十近いのではないか」
丈「イヽエ四十の
方に近うございます」
越「控えろ。年を
後へ数える奴があるか、その方は主人の娘に
恋慕いたし、
剣戟を持って、
主家へ忍び入ったであろう。どうじゃ、包まず白状いたせ。事の始まりを申し上げろ」
丈「恐れながら申し上げます。事の始まりをお問いになりますか、そもそも国の始まりは
大和国、
郡の始まりは
字多郡、町の始まりは
泉州堺、島の始まりは淡路島、
鞠の始まりは
橘寺、武家天下の始まりは多田の
満仲公、
饅頭の始まりは小麦に砂糖に小豆とでござい。棒の始まりは、これより東に当たる、鹿島香取、香取とは
香取る、棒は
木扁に
奉るとござい」
越「黙れ、それは棒使いの口上じゃ。わからん奴じゃ、駒の始まりを問うのじゃ」
丈「申し上げます。申し上げます。そもそも
独楽の始まりは、
菅相丞様
筑紫へ
御流罪の
砌、
島守喜惣太をお招きあり、
喜惣太よ、何かよき慰みはなきやと
仰せられたる時に、
喜惣太ハッと答えて、
都より
一夜にての
飛梅の
古木参りしを幸い、独楽に削り
菅相丞様に差し上げたれど、
紐なくては独楽は廻らず、
冠の紐を取ってキリ/\とまき、独楽を
発矢と投げれば、七日七晩廻ったとある。手前どもの独楽はそうは廻らぬ。
明の
六ツから
暮の六ツ、これをさして日暮しの独楽、前の曲は三社宮廻り、子供衆の慰みといたして寺
小姓の独楽、この板に五つの独楽を置きまする、
此方は
権念坊、
此方は
西念坊、真ん中は
運突坊…これは振り落とした。またやり損ない…」
越「黙れ、それは
源水独楽廻しの口上じゃ。娘駒との始まりを問うのじゃ。その方は隠し立てをいたするが、
余事を申しても逃がさんぞ。駒の
許へ送ったる
艶書の末に
認めたる
怪しげなる文句狂歌ともつかず、
地口かなんじゃ」
丈「ハヽア、恐れ入りました。左様な物がございますれば、包まず白状致します。娘さんの事は今始まった事ではございません。イヤモウとう
海道から思い詰め、鼻の下も日本橋、
彼のお駒はんの
色品川に迷いましたのが
過失で、
川さき(川崎)/″\の評判にも
彼ァいう
女子をかん
奈川(神奈川)に持つならさぞ程も
宜し
程ヶ谷と、
戸塚まいて
口説いてもかぶりふじざわ(藤沢)大いそ(大磯)/\とお駒さんのお婿の相談も持ち上がりましたゆえ、どうか
小田原になれば
宜いと、
箱根の山ほど夢にみしま(三島)、たとえ
沼津食わずに
居りましても、
腹(原)はよし
原(吉原)、かんばら(蒲原)立てど、口には
由井かね、寝つ
興津、
江尻もじりとしておりました」
越「
其方は東海道を
小細に
弁えおるが、シテ
汝の
生国は
何所じゃ」
丈「
駿河の御城下でございます」
越「ウム、こゝな
府中(不忠)ものめ」