夏どろ(なつどろ)
七代目三笑亭可楽
泥棒などは別に時候に構いそうもない者でございますが、コソ/\泥棒は夏にかぎるそうでございます。
隙を狙ってちょっと入る。冬は戸が閉まっているから、これを開けて入るという事はなかなか難しい。俗にデモ泥棒といって頭へデモが付く奴がございます。色々な事をして、どうも
巧くゆかないから、泥棒デモして見ようという。これがデモ泥棒。中にはデモ役者、デモ
落語家などというのがある。デモの付くのに余り良いのはないようでございます。泥棒は泥棒だけに、立派な泥棒というのも
可笑しゅうございますが、大袈裟の事をしたいというので、それ/″\やはり修行をする。けれども初めから
大盗賊になろうという望みの者は、千人の
中の一人だそうで、ちょっとその場の出来心からやるのが多い。人が汗をたらして働いてようやく出来たものを、只
盗るのでございますから、実に
憎むべき者で、もちろん
盗られる方にも油断があります。
中には余り暑いから閉め切っては寝られないというので、表だけ締まりをしで庭の方をあけッ放して寝る方がある。そういう所へ入るのはコツ/\といって、大した盗棒ではございません。
女「お前さん、ちょっとお起きなさいよ。泥棒が入った様ですから」
男「ナニ泥棒が入った。泥棒が入った所で何も盗られる物はない。
打捨って置きなさい」
女「だって、恐いじゃァありませんか。何もないといって、勝手道具一つ持ってかれたって早速こまりますよ」
男「マァ騒ぎなさんな。どこへ入った」
女「台所の方でガタ/\しています」
主「アヽ庭の方の戸をあけっ放しにして置いたから入ったかな。なる程ゴト/\やってるな…。ウム鼠だ。泥棒じゃァない」
女「イーエ泥棒ですよ」
主「鼠だよ」
泥棒これを聞いて仕方がないから、台所でチュウ/\と鼠の鳴き声をした。
主「ソレ見なさい、鼠が鳴いてる」
女「なる程。…しかし鼠にしては少し音が大きいじゃァありませんか」
主「そうさな、そういえば猫かな。泥棒の
類だ。飼い主のない猫を俗に泥棒猫といって、食いものに困って、それで来たのだろう。マァいいや/\」
泥「ニャアン…」
主「それ猫が鳴いてらァ」
女「猫にしては、少し声が大きいじゃァありませんか」
主「それじゃァ犬かな」
泥「ワン」
主「オヤ、ワンと鳴いた」
女「けれども犬よりモット大きく聞こえましたよ」
主「じゃァ馬じゃァねえか」
泥「ヒイーン」
女「馬より大きいようで…」
主「牛だろう」
泥「モーッ」
女「牛より大きい」
主「虎かな」
盗棒も虎じゃァ鳴き声がわかりません。驚いてガタ/\駈け出しました。
主「ソラ虎だ」
主人が
雪洞をつけて庭へ飛び出したから、泥棒は塀を越えて逃げようとしたが、塀が高くて飛び上がれない。逃げ場を失って、庭をうろ/\していたが、真ん中に池がある。さのみ大きくはないが、古池でかなり深い。これへ飛び込んで隅の所に頭だけ出して隠れている。
主「あれのようだな。あの松の枝が垂れている。松の枝の下の所にいる。それとも杭かな何かないか、棒は…」
女「そうですね、あすこに竿竹がありますよ」
主「サム、アヽ竿竹を出しな」
竿を取っ泥棒の頭をポカ/\殴って、
主「杭か泥棒か、杭か泥棒か」
泥棒仕方がないから、
泥「クイ/\」
泥棒にもこんな気楽な奴がございます。前申し上げた通り、決して大泥棒になろうのなんのという訳でなく、出来心でやるのだと申します。これはモウそれに相違ないようで、
性は
本善とか申しまして、人間の心は
直ぐなるもの、ところが欲情だの、
色情だのという
魔道がありまして、これがために直ぐなる心が曲がります。その証拠には人殺しをするような大悪人でも、大川端を通って
南無阿弥陀仏と身を投げて死のうという人を見れば、後ろから突き飛ばして殺してしまう気遣いはない。マァ待ちなと
留めるのは当然、人の物を盗もうという気はあっても、往来で老人の物を落として知らずに行けば、お婆ァさん何か落ちましたよぐらいの事は教える。こういう場合には自然本性の善が現われるのだそうで、往来を歩いてる時に、
突然にそこへ火が燃え上がりでもすれは、
団扇を持って火を
煽ぐ気遣いもなければ、これを大きくしようという考えもない。やはり消そうという念が浮むものだと申します。デモ泥棒がある晩の事、モウ十時過ぎという刻限とても大きな所へは入れません。こんな裏にはちょっと金を持った奴がいるだろうという所を狙って入って参りました。もちろん抜け裏らしい。入る所がなかったらこっちから向かうへ抜ければいいというので、行って見れば突き当たる。仕方がないから、また元の道へ帰ろうと思ってやって来ると、蚊いぶしがパッと燃え上がりました。この蚊
燻しというものは、火を置きながら、どういう訳だか、なんとなく涼しいようで、いゝ心持ちなものでございます。
泥「オヤ/\仕様がねえな、こゝの
家は留守なのかえ、物騒だなァ。開けっ放しにして、
真正に呆れかえって物がいわれねえ。オヽイいねえのか、これは大変だ。オイ/\乱暴な家だな。こんな
毀れた
摺鉢へ、なんだ
古木を入れやがって…アヽ、蚊いぶしをしたんだな。こんな家だって板の間へ燃え付けば火事になってしまう。オイいねえのか、蚊いぶしを仕っ放しで、どこかへいっちまったんだ。随分小汚ねえ家だが、こういう所にいる奴に、食う物も
碌々食わねえで、チビリ/\金をためてる奴があるもんだ。おなじ銀貨でも古い方が
量目が重くっていいと古い奴を
選って貯めるのが沢山もなかろうが事によると五円や十円の金は持っているだらう。オヤあすこの隅になんだか寝ている奴がある。…ウヽ蚊いぶしをして寝ちまいやがった。幾らいぶしたって蚊は遠慮なく出てくらァ。オイ起きろい、サァ金を出せ、起きろい/\」
男「ヘエ、ヘエ、アヽ…、ヘエなんで…」
泥「
寝惚けてやがるな、こん畜生。サァ金を出せ」
男「なんだ。
突然に起こされたんで…アヽ恐ろしい
丈の高い人だね。向こうの
佐兵衛さんだと思ったら、そうじゃァねえ。
他の人だ。 アッ肝をつぶした。一体お前はなんだ」
泥「言わなくっても分かってる」
男「俺の方には少しも分からねえ」
泥「なんだと、
夜々中人の家へ案内もなく入って来りゃァ、いわずとも知れた泥棒だ」
男「あゝそうか、泥棒か。それじゃァ安心だ」
泥「安心だってやがる。
盗人だ」
男「大きな声を出すない、お前は素人だな。近所隣りもあらァ、泥棒だの
盗人だのっで
呶鳴る奴があるか、泥棒と親孝行とは大変に違わァ」
泥「なにをいやがる。サァ有り金を残らずまとめて出せ」
男「有り金って、そんなものはありゃァしねえ」
泥「ナニ」
男「ありゃァしねえよ」
泥「
白ばくれやがるな。よくものを考えて見ろ。こんな
家でも一軒の家を構えていて、何もねえって事があるか」
男「それでも
無えんだよ」
泥「嘘をつけ」
男「
全くねえ」
泥「そこかにぼろ切れにでもつゝんで銀貨か何かしまってあるだろう」
男「そんなものがあるものかな」
泥「第一今この蚊いぶしが燃え上がって、おれが消してやらなけりゃァ、こゝの家は丸焼けだ。
汝黒焼けに焼け死んじまったんだ。いわば俺は命の親だ」
男「余計な事をしやがる。燃え上がって焼けちまう方がいいんだ」
泥「
家が焼けりゃァ
汝だって死んじまう」
男「死んでもかまはねえ。また逃げようと思えば、
身体さえ飛び出せばいいんだ」
泥「いやに
沈着いてやがる。有るの無えのといやァがりゃァ、二尺八寸
段平物を
伊達には差さねえ、
横腹を
抉るぞ」
男「二尺八寸段平物って、暗くってよく分からねえが、見た所がお
前腰に何も差してねえじゃァねえか」
泥「今夜は忘れて来たんだ」
男「忘れて来て、横腹を抉るといったって無理だ。これから忘れねえようにしねえ」
泥「何をいやァがる、サァ金を出せ」
男「金を出せったって
無えんだよ。この人はよっぽどわからねえ人だな。もっとも分かりゃァこんな所へ泥棒に入りゃァしめえけれども…」
泥「幾らかあるだろう」
男「ウム五円あった」
泥「五円あるなら出せ」
男「
昨日あったんだ」
泥「なんだ」
男「昨日の
払暁まであった」
泥「昨日の
払暁まであったのをどうした。
窃られたとでもいうのか」
男「ウム、取られたにゃァ違いねえが、
一昨日の晩から
博奕をしたんで、昨日の
払暁にみんな取られちまった」
泥「馬鹿な野郎だほんとに、気の利かねえ癖に
博奕なんぞするな」
男「お前も気の利かねえ癖に、泥棒なんぞするない」
泥「オヤこん畜生。馬鹿にするな。その残りが幾らかあるだろう」
男「残りたって、そんなものはねえ。
博奕打ちなんてえものは、あるだけ皆な使っちまうもんだ。少し残して来るような、そんな
吝嗇の事が出来るか」
泥「金がなけりゃ、なにか商売物でもあるだろう」
男「そんな物はねえよ、大概人間を見たって分かりそうなもんだ。
高が
土方だ」
泥「土方だってなにか商売道具票があるだろう」
男「商売道具なんぞありゃァしねえ。土方というものは、
畚と天秤棒がありゃァいいんだ。それも親方の所にあるんで、家にゃァねえ」
泥「何かありそうなもんだな」
男「分からねえな、ねえよ。ある位なら寝てやァしねえ。雨ふりがか続いたんで、稼業にゃァ出られず、一文なしで、食う物も
碌に食わねえで、水ばかり飲んでるんで、腹がへって仕様がねえ。寝てるのが一番。起きてると
大儀だから、水を飲んで小便ばかりしている」
泥「何をいってやがる。それじゃァ百もねえというのか」
男「百もねえ。しかしお前も縁あって来たんだから、マァ話して行きねえ。全体お前の商売は
資本は
要らず、力も要らない。いい商売だと思うが、なかなか初めっから旨くやる事は出来そうもねえ。どうか俺を弟子にしてくれめえか」
泥「なにをいってるんだ」
男「それからな、縁あってこうやって上がって来たんだから、済まねえけれども五十銭貸してもらいてえ。くれろというんじゃァねえ、りるんだ」
泥「馬鹿な事をいうない」
男「馬鹿な事ってえけれども
真正なんだよ。そうなりゃァお
粥でも食べて、明日からお天気なら仕事に行ける.可哀想だと思って貸してくんねえ。どうせ只取る商売だから貸したってよからう」
泥「馬鹿ァいえ、
盗人に可哀想も不憫もねえ。他人が幾ら困たって構うもんか」
男「それはお前の
了見違いだぜ。鼠小僧という人は、大名や何かの金を
窃って来て、貧乏人に
施したという人で、今でもその名が残っている、偉い人だった。お前と鼠小僧と一緒にするなァ無理だけれども、少しはお前、施しをして置くと、捕まる所も捕まらねえで、うまく
工合よく行くんだ ネーそう思って貸してくれ」
泥「貸さねえ」
男「ウム、きっと貸さねえか」
泥「なにをこん畜生。
当然よ。
汝達に
箆棒めえ
銭なんぞ貸して堪るかい」
男「ウム、じゃァいい。貸してくれなけりゃァ仕方がねえ、ちょっといってくる」
泥「オー、どこへ行くんだ。野郎どこへ行く」
男「
路次を閉めりゃ一本口だ。木戸をピッタリ閉めて
掻金を掛けて、押さえていて、俺が大きな声で、泥棒―ッ
呶鳴るぞ。そうすりゃァ長屋が三十六軒あって、この長屋は
車力だの
土方だの…相撲取りも三人住まってる。三十六人皆な出て来りゃァ、お
前がそどう暴れたって、グル/\巻きにして警察へ連れて行くからそう思え」
泥「オイ/\、馬鹿にするな」
男「それが
忌だと思うなら貸しておくれな。たった五十銭だ。たゞくれたって
高が知れてらァ」
泥「あんな事をいやァがる。貸せねえよ」
男「貸さなけりゃァ構わはねえ…」
泥「オイ/\また出掛けやがる。くれるよ/\」
男「くれればいい。サァ
愚図々々しねえで早くお出しよ」
泥「仕方がねえ、やらァ」
男「有難いな、五十銭あると、お米を三十銭買って、薪を買ってしまうと
失なっちまう。仕様がねえなァ、
御菜の銭をモウ三十銭ばかり貸してくれ。なんぼ土方だって
牛ぐれえ買って食わなけりゃァ骨離れがしちまうから」
泥「馬鹿な事をいえ。それで沢山だ」
男「お
前の方で沢山と
極める奴はねえ、縁あってこゝへ来たんだ。
仏作って魂入れず、せっかく五十銭貸してくれても、これで
美味しく飯を食う事が出来なければ何にもならねえ。モウ三十銭貸しておくれ、いけねえかえ、いけなけりゃァ仕方がねえ、ちょっと俺は…」
泥「オイ/\どこへ行くんだ」
男「どこへ行くって
極まってらァ。
路次をピタリ締めて、大きな声で泥棒と
呶鳴れば長屋三十六軒残らず出て来る。相撲取りもいれば車力もいれば、土方もいる。みんな力のある奴が揃ってるから、お
前の一人ぐれえ
捕縛るのは造作ねえ。グル/\巻きにふん縛って警察へつれて行くんだ」
泥「冗談いうな。こん畜生、仕様がねえなァ」
男「仕様がねえってこっちだって仕様がねえ、くれなけりゃァ」
泥「やるよ/\」
男「アヽ有難え。これで米も買えりゃァ薪も買える。
牛も買う事が出来る。サァ早くくんねえ」
泥「やるよ、仕方がねえ、サァ五十銭…」
男「有難え/\。これでマァ腹を
造れえて、湯にも入る事が出来る。アヽ有難え…、ヤッ大変な事が出来た」
泥「なにが」
男「この間雨の降った時に、
蚊帳だの何かみんな質に入れちまった」
泥「それがどうした」
男「どうしたってよく考えて見ねえ。蚊帳を釣らなけりゃァ、蚊に食われて今夜
終夜起きてなけりゃァならねえ。力も要る商売だ。
夜中起きてた日にゃァ、
明日は病人見たようになっちまって、眠くて仕事も出来ず、親方に叱られちまう。どうしてもこの蚊帳を出さなけりゃァならねえ」
泥「馬鹿な事をいうな」
男「馬鹿な事も
悧巧な事もありゃァしねえ。蚊帳がなくって寝られるものか。俺はまた蚊が大嫌いで、仕様がねえから、
根太板を引っ剥がして紋いぶしをして寝ていた所へお前が縁あって来たんだ。気の毒だがモウ五十銭でいいから貸してくれ」
泥「蚊帳が五十銭で質にはいってるのか」
男「ウム、三十五銭に質に入ってるんだが、利息を取られるから、五十銭なくっちゃァ足りねえ。モウ五十銭貸してくれよ。くれなけりゃァ構わねえ、
路次へ行って…」
泥「判ったよ。やるよ」
男「くれりゃァいい」
泥「
五月蝿なァ、大きな声を出すない…サァこれっきりやらねえよ」
男「有難い、
真正に気の毒だ。けれどもこれは借りたんだ。今度来た時に…」
泥「幾度も来るもんか」
男「そういわずにチョイ/\お出で、
明日仕事に行かれるようになったのもお
前のお
蔭だ。なんだか親類のような心持ちがするぜ。俺も
他に身内も何にもねえから親類になってくれ」
泥「何をいってやがる。
呶鳴るときかねえぞ」
男「
呶鳴るどころか、お
前が大きな仕事をして、捕まらねえように神信心でもしてやる」
泥「変な事をいうな。じゃァ俺は行くから
呶鳴るときかねえぞ」
男「
呶鳴りゃァしねえ、大丈夫だ。誰が
呶鳴る奴があるものか。マァモウちっと
緩くりして
往きねえ、湯を沸して茶でも入れるから、またこれを縁にたび/\お出でよ」
泥「何をいやがる。泥棒がチョイ/\来られるか」
男「来ればこの銭を返すよ。けれどもまた困れば借りらァ。どっちだか分からない」
泥「下らねえ事をいうな。
呶鳴るときかねえぞ」
男「じゃァ帰るかえ。お
前知ってるか、知らねえが、この
路次を出て右へ行くと、
角に交番があるから、
成たけあすこを通らねえ方がいい。左へ行けば何にもないから。
直ぐにあれから裏通りへ入った方がいい」
泥「変な事をいう奴だな、
呶鳴るときかねえぞ」
男「心配しなさんなよ、大丈夫だ。…そんなに振りかえらねえでもいい。オッ。オーイアッいっちまった。有難え/\、先ずこれだけあれば二三日は
継げる。…オヤこれは大変だ、今の泥棒め、アワを
食やァがって、煙草入れを落っことしてッた。素人の泥棒だな。銭を借りたり何かしたんだから、煙草入れだけも返してやりてえもんだが、モウ行っちまったから仕様がねえ。右へ曲がると四ツ角に交番があるから、左へ曲がって
直ぐに裏通りへ
往けと教えてやったが、教えた通りの道を行けばこれから追っかけて行っても間に合う。俺は煙草も
喫まず、そうかといって泥棒の物を
屑屋に売っちまう訳にもゆかねえ。持ってってやろう」
男「オーイ、オーイ…恐しい足が早いなァ、オーイ泥棒…」
泥「シーッ、こん畜生。
汝に幾らでも銭をやったじゃねえか。間抜けめえ、泥棒と
呶鳴る奴があるか」
男「それでもお
前の
名前が判らねえから…」