盗人の仲裁(ぬすびとのちゅうさい)
初代桂春団治
喧騒な都会で
劇務に追われ、
抹消神経はいやが上にも過敏になり、
宅に帰って疲れた体や、神経を休ませようと思うと、表は電車、自動車の行進曲で、
尚更、神経が
亢奮する。夜も眠られん。仕方がないので
心プラ(心斎橋)をやって、カフェーへでも飛び込み、コーヒの一
碗でも
啜って、落ち着いた気分にでも成ろうと思うと、ジャズバンド――とかで、追い立てる様に
囃し立てられる。いよいよ、市中での
住居は
厭になる。
住居は郊外に限ると、どん/\郊外へおいでになる。ところが、この郊外生活も物騒で、昼間からでも、
怪しげな奴がウロ/\します。中にも
宵コソという奴、こんな奴は余り、心斎橋や、道頓堀なんて、賑やかな所は歩かんそうで、やッぱり、こういう裏町、または、
露路、なんかを
窺うもので、ちょうど、電燈の
点くか、つかぬという晩方に、
泥棒「ちょっと、お尋ね致します。この辺に
臭井屁助という人がおまへんか。臭井さんというのが」
――と露路をウロ/\と歩いてますと、ガタンという音に、そこは
脛に
庇もつ奴ですから、ヒャーとして
直ぐ片側の暗い影に隠れてますと
内儀「お隣の
姉ハン、ちょっと、出て来ますで、留守をお頼み申します。ヘエー戸は閉め寄せときましたが、どうぞ、おたのみ申します」
と、長屋のお
内儀さん、出て行きました。これを、暗がりから見ていた宵ドロ
泥棒「ヨシ、留守は確かに私が引き受けました、
御緩くりしてお帰り」
えらい奴が留守を引き受けよったもの。
泥棒「マァ、
内部へ入れて貰お。なかなか綺麗にしたるで。道具万端、揃うたるがなァ。先ず
箪笥を開けさして貰お。なんや、これは
女子物やなァ。
瓦斯か。
常着やなァ、
瓦斯も
好かろ。電燈と競争やで。これは、お召しか。お召しがお
粥でも。これは、大島。大島は
流行んというても、えゝもんやなァ。大島で安心。桜島やったら、爆発の恐れがあるで。
長襦袢、なんぞ、風呂敷でも…。有る/\、
衣桁に
一反風呂敷が掛かったる。これに包んで、持ってお帰りといわんばかりに。大きな包みになったなァ。中ほどけがする。なんぞ。有る/\
兵児帯が、これで
中縛りをして、先ず
店の
間へ持って来とこ。ハァーン。中の間(茶の間)の長火鉢には鉄瓶が掛かって、湯がシュン/\と沸いたるぞ。お膳が出たる。
八寸膳やなァ。
新世帯やなァ。
亭主が帰って来たら差し向かいで喰おうという寸法ですか。『
八寸を
四寸ずつ喰う仲のよさ』なんて、お膳の上には
布きんが着せたある。ちょっと取らして貰おう。なんです、高野豆腐に、しいたけ、
蒲鉾、ちょっと
乙なお
菜やで。こっちゃは豆に昆布の煮たのですか、よばれたろ。ウム――なかなか旨いこと煮たる。旨い。高野豆腐も頂こう。
飯もよばれたろう」
――とゴテ/\独り言いいながら、喰い掛けてるところへ
亭主「ヘエーまた、出て行きましたか、大きに
憚りさんで」
――と帰って来ましたのが、嫁はんやったら
好かったのですが、御亭主、これを聞いた泥、喰い掛けの飯もほったらかしで、裏へ逃げ出そうと思いますと
一方口。仕方がないので電燈を消して、暗い処で
踞んでますと、
亭主「帰る時分に、出て行きやがるのや、帰った時に『お帰り』とか『今日は
早よおましたなァ』とか、いうてくれてこそ、帰った
精があるのや、それに帰って来ても、
内部は、
暗闇やし、自分で、そこらを手探りで電燈を
点けんならんし、これやったら、
嬶なんか
入らへんがなァ、(電燈をつける格好する)なんじゃ、
店の
間に大きな風呂敷包み、ハァン――呉服屋の
藤助はんのやなァ。いつでも藤助はん
宅へ預けといて、活動を観に行くのや、活動なんぞ見に行く人の荷物なんて、預からいでもえゝのや、それそも落語でも聞きに行くとかいうのなら、――(これは、
口演者の勝手だすが)日の暮れ前に、出て行って、おまけに、
錠も掛けずに、
盗られたら、どうする
心算やろ。
弁償せいといわれても、
弁償されへんがなァ。なんや、お膳も、
布きんも掛けずに、鼠が来たらどないにする。 アッ――もう、チャンと鼠が来てるがなァ。蒲鉾も
噛ったるがなァ。待てよ、この風呂敷はなんや。見覚えがあるぜ。コラ、中にある着物は俺のや。この着物、
嬶のやがなァ。ハァーン、なんじゃ、
先達から、お
可怪い/\とおもてたのや。なんじゃ
束髪は顔に似合わんさかい、
丸髷に結うやたら、風呂は日に二遍位は
浴らんと汗づくやたら、あの
白粉は、つきが悪いやたら、あのクリームがどうのと
吐してたか、さては男が出来て、こゝでは、晴れて
世帯も持てんで、どこぞへ駈け落ちしてと、この包みをこしらえやがったのやけど、
己れでは、持てんもんやさかい、男を呼びに行きやがったのや。マァ、今日は早よ帰って来てよかったわい。
糞垂めが。いまに帰って見さらせ」
――と
亭主さん、カン/\になって、安物の
赤芋見たいに筋だらけになって怒っております。
女房「お隣の姉はん、只今帰って来ました。大きに
憚りさんだした。ヘエー帰って来ましたか、イーエ、怒ってますのか。内入りの悪い人で、イーエ大丈夫だす。いつもだん――ネ、外で気色の悪いことがあると、
宅へ帰ってポン/\いいますのや、イーエ今日は
髪結さんが、晩方に来たもんだすさかい。そこへ風呂に行きましたやろ。風呂へ
浴ったら、お
新さんに逢いましてな、
久方振りでなにや、かやと、
噺をしながら背中の流し合いしたもんだすよって、こないに遅うなりましたのや。大きに
憚りさんだした。――お帰り、いま私が隣の姉はんていうてたの、聞こえてましたか。イーエ、あら、
貴郎に聞こえがしにいうてましたんだっせ。なんだんね。怖い顔して。外で気色の悪いことがあると帰って来て、怖い顔をして、あたいの知った事やおまへんやないか。オヤ――店の間に大けな風呂敷包み。また藤助はんのを、
私の留守に預かりなはったのか」
亭主「なにを、スペコべ
喋ってくさるのや、藤助はんのー、なにを
吐かしてるのじゃ。
己れが包んで置きながら、
過日から、
怪しいくとおもてたら、俺が、もう、一足帰りが遅かって見い。近頃は、
束髪がどうの、
丸髷やなかったらいかんやたら、あの
白粉は
塗らんやたら、日に二度は風呂へ
浴らなんだら、気持ちが悪いやたら、どうせ
碌な事は出来てへんとおもてたら、こんな事じゃ。己れ一人では、この大けな風呂敷包みが持てんさかい、男を呼びに行きおったのやろう。そうして、手に手を取って駈け落ち。あのがきがおったら、晴れて添う訳には行かんで――という所へ俺が帰って来たのじゃ。それに俺が帰ったもんやさかい。テレ隠しに、藤助はんのを預かりなはったのなかんて
吐かして、よう男の顔へ泥を塗りさらしたなァ」
女房「アラ――
私の
着物やは、コラ
貴郎の
着物、ア――ア――コラ私の長襦袢に帯、知ってるわ知ってるわ(泣き啜りながら)隣の姉はんがいうてくれててったわ。ちょっと
悋気をしなはらんと、仕舞いには酷い目に逢いますえ。近頃隣り裏の後家はんと
怪しい関係が出来てます様な
工合やさかいと、注意はしてくれはったけれど、ソラ、私かて悋気の一ツもする位の事は知ってます。女の悋気の無いのと西洋館に窓の無いのと、電燈に笠が無いのは、
極くズボラかなもんやけど、これが、
宅を不自由な目に逢わすという訳やなし、男の腕でしてなはる事やと、なんにもいわずにいると、有りもせん、毛を一本/\
列べくさって、夜店で売ってる
人絹のシャツ見たいに、ピカピカと頭を光らしやがって、電燈が
点火と、
蜻蛉の尾を切った様に、飛んで出やがるのや。それでもなんにも言わずに
無言ってると、仕舞いには、女にそゝのかされやがって、こゝばかりに日が照るのやなし、どこぞへ行って楽しい
世帯を持って暮らしまひょといわれ、頭が
禿げた事を忘れ、この包みを持ち出して、私の
着物をその女に着せて、お前やったら
好う似合うやなんて、言おうと思てる処へ、あたいが帰って来たものやさかい。テレ隠しに難題を持ち出しやがったのやろ。――このスットコドッコイ――め」
亭主「なに、
逆捻じじゃ。それでは。
己れら、出て行け、この、ど
多福め」
女房「なんじゃ、二言目には、出て行けなんて
吐しやがって、なにが、ど
多福じゃい。半期前のことを忘れやがったかい、私が吉本さんに奉公していたら、変な目付きをしたり、
素振りをしたりしやがって、それで、あたいも
厭な奴とおもてたら、夜店の晩に
坊ン/\抱いて歩いてたら、バッタリ出会って、マァ、えゝ
処で逢うた。ちょっと、話があるさかい、と、人を暗がりへ引っ張って行きやがって、どうや
過日からも言う通り、俺と夫婦になってくれと涙を流して頼みやがったやないかい。あたいは、こいつ、
変態性やないかと思って、
宅へ帰ると、
坊ン/\が、
御寮人さんに、
告げ口をなしたものと見え、御寮人さんが『都合で一時、帰ってくれ』と
暇を出され、
伯父の
宅へ帰って、話したら、どうせお前も
両親はなし、いづれは嫁入りする体やさかい、それ程までに言うてくれる人やったら、
末始終、捨てられる事はあるまいさかい、と、
粋な伯父さんの
計らいで、
夫婦になったのやないかい。来た当時の
風態はなんじゃい、仕事にも行かんと、人が針仕事をしている
側にヘバリ付いて、寝転んで、
涎を流して、人はどないに言うか知らんけど、お前は、俺の眼から見たら、小野小町か
照手の姫か、支那の楊貴妃の再来かと
吐かしやがったやないかい。俺hなんという幸福な、えゝ
月日に生まれたんやろというた。それが半期位で、ど
多福と早替わりするかい。出て行けというなら、出て行ったるわイ。どうせ、
暇出されたら、まだ 若い体やさかい、嫁入りせんならんさかい、
暇状を書きさらせ。まだ
落語家の
枝鶴さんかて
独身者やで、あの人に
貰てもらうわい。サァ、離縁状を書きさらせ」
亭主「書いたるわイ。
硯と紙と持って来い」
女房「自分の暇状、書いて貰うのに、ヘエー
左様ならと、硯と紙を持って行く
阿呆があるかい。コノオタンチン、セキセイのコロめ」
亭主「セキセイのコロ?」
――
亭主は理屈につまったもんですさかい。
側に有った、煮えくり返った鉄瓶を、嫁はんに投げ付けました。嫁はんも慣れたもんで、肩スカシを喰わしますと、鉄瓶は、嫁はんに当たらずに、庭の柱に当たって、
側に
踞んでた
盗人の頭から、熱い/\湯を浴びた物ですさかい。
吃驚しやがった泥棒、それへ飛んで出やがって
泥棒「マァマ――大将、待ちなはれ」
亭主「イヤー太田はん、ほっといて、今日という今日は勘弁ならんので」
泥棒「マァ――そう言わずに――痛い/\、そんなに足を掻きむしったら、マァー姉はん、あんたも、ちょっと、大将、マァー上げてる手を降ろして――手を降ろして」
亭主「降ろせ――というても、
貴郎が差し上げてるので」
泥棒「ナル程、マァ、マァーあんまり手荒い事をせずに。自分の女房を殴るのは、寝て吐く
唾だす。やッぱり自分に掛かるので。また、
姉はんも、男に、
口応えするのが、いきまへん。して、この風呂敷包みは、大将が、した物でもなし、また、姉はんがした物でも無いので」
亭主「太田はん、
夫婦喧嘩の中を納めるのに、なんぼ、なんでも、そう――
出駄羅目な事をいう(と泥棒の顔を始めて見て)御いでやす、オイ――このお方、どこのお方や」
女房「ソレ、見くされ、もう眼も見えたらへんのや。いつも厄介になってる、太田の
兄さんの顔を。(ト泥棒を見て)本当に、この人は見た事は無い人やわ。おいでやす」
泥棒「そう言われると、穴でも有ったら、
這入りたい位だすのや。実は私は泥棒で、その包みは私がしたので」
亭主「ヘエ――それ見い。言わん事やない。日の暮れ前に
宅を開けたら、泥――お泥棒が
這入ってくれはるやろがなァ――しかし、よう出とくなはった、
貴郎が出ておくなはらへなんだら、
訳判らずに、
夫婦別れをせんならん、とこだした」
太田「徳さん、えゝ加減にしておきや。あんまり
交情が、
好すぎるで、
夫婦喧嘩をするのや」
亭主「イヤー太田はんだすか。実は
家へ、お泥棒はんが
這入ってくれはってなァ」
太田「なに、泥棒が、
早よ言わんかいなァ、そんな、生優た事を言うない、お泥棒はんが――泥棒なら――泥棒でえゝのや。もっと早やかったら、殴り飛ばしてやるのに」
亭主「殴り飛ばしいなァ、
貴郎の
背後に立っていやはる」
太田「ゲエー早よ、それを先に言いいなァ。ヘエーヘーヘーこれは/\お泥棒はんだすか、この
露路のかゝりに住んでます太田という者で。ヘーヘー口は悪いのだすが、腹は至って
好え男で。ヘーヘー。どうぞ、まァ、これをご縁にして、手前の
宅へもチョイ/\と御越しを、エー願わん様に」