米揚げ笊(こめあげいかき)
二代目桂塩鯛
この落語は、初代桂塩鯛の原作でございまして、これが塩鯛の名をつぎます者は、必ず譲られる事になっております。私はちょうと三代目で、しかし原作の時代と只今とは、時代も替わって来ましたので、多少は時代に合わして替えてあるところがございますからその段は幾重にも御容赦の程願います。それに言葉と品物の称えが多少違います。東京で笊の事を、大阪では、「いかき」と申します。なおこの噺の中に、チョイ/\「げん」――という事を申し上げてございますが、これは、東京で「縁喜」と申す事でございます。それからまた、この落語は、米相場の立ちまする、堂島、東京の「蠣殻町」のようなところを背景として喋りますので、どうかその辺をお含みで御愛読の程お願いいたします。あまり他の連中が演りませんので、ちょっと、珍しかろうと思いまして、お邪魔をした訳でござります。
□「ヘエ、今日は、只今は大きに」
甚兵衛「オオ、誰やと思うたら、喜イやんかァ、こちらへ這入り。いま、女房の奴をお前のところへ遣ったが、女房の奴は行ったか」
喜「ヘエ、いま、女房の奴が来ましたが、まだ、女房の奴は、帰りまへんか」
甚「コレ、そういうたら、どっちの嬶や、判らへんが、お前が女房の奴ということがあるかい。時に、お前を呼びに遣ったは、外のことやない。お前がまだ、遊んでいると聞いたので商売をさしてあげようと思うて」
喜「それは、大きに、貴郎が、資本金を、出しとくなはるのだすか」
甚「イヤ、別に資本を出すのやないが、実は私の親類に、天満の源蔵町に笊屋重兵衛という人があるのじゃ。そこから、売り子を頼まれているので、お前を売り子に、世話しようとおもて呼びに遣った様な訳じゃが、行くか」
喜「やらして貰います。もう、近頃は、銭儲けやったら、なんでも行きます」
甚「ソラ、結構々々、なんでも、その気にならな、どむならん。シテいつから行く」
喜「ヘエー思い立ったのが、命日といいますさかい。これから行きますわ」
甚「おかしい、ものゝいいかたを、しなや。命日やなんて。それでは、いまから行くか、それでは、こゝに、手紙が書いたるで、これを持って行きなされ。それでいうとくで、お前は、いらんことを喋るが、男という者は、そう、ベラ/\と喋る者やない。言葉多きは品少なしという事がある。「口あいて五臓の見える欠伸かな」というて、先方へ行ったら、あまり喋りなやァ。ただ、委細は手紙にというて、いまもいう通りベラ/\喋りなや、それで、天満の源蔵町へ行く道は判ったるか」
喜「存じまへん」
甚「大阪で、生まれて天満の源蔵町へ行く位は知らんのか」
喜「ヘエー判りました。こゝを表へ出まして南へ取ります。難波の駅へ行きまして、南海電車に乗りまして、和歌山へ行きます」
甚「コレ/\ちょっと待ち、それでは方位が違うがなァ。和歌山なんて行たら、天満源蔵前へ行かれやせんが」
喜「ハアヽ、すると和歌山の者と天満の者とが夫婦になって世帯を持ってますか、あら、どないして持ったんだす」
甚「おかしい理屈をいうない。道を教えてあげる。こゝを表へ出ると丼池筋や、それを北へドーンと突き当たる」
喜「突き当たると鼻を打つわ」
甚「余計なことを喋りな。鼻を打つまでに、えゝ加減に止まらんかい。こゝが大川筋、こゝに橋がない」
喜「サヨ/\、昔からない。今だに無い、これ一ツの不思議」
甚「なんの不思議なことがあるものかい、橋のない川は渡れん」
喜「そこを泳いで渡る」
甚「それでは大胆なわィ。一丁、東へ行くと栴檀木橋じゃ」
喜「その橋を渡りますのやろう」
甚「それは、渡らへんのや」
喜「せいだい、逆らえ」
甚「もう、一町、東へ行くと浪花橋じゃ」
喜「その浪花橋を渡らへんのやろう」
甚「今度は、渡るのじゃ」
喜「意地の悪い人やなァ。なんで、そんなに逆らう」
甚「その浪花橋を渡って、北へ行くと、源蔵町へ出る。笊屋重兵衛という看板が出てある。盲目さんでも、解る看板じゃ」
喜「盲目さんが判る看板、どんな、看板だす」
甚「盲目さんには判らへんけど、それ位、大きい看板が出てるというのじゃ」
喜「アハー、ナル程」
甚「もし、道が判らなんだら、尋ねて行きや。問うは当座の恥、問わずは末代までの恥やで、按梅行といでや、重兵衛さんに、私が宜しゅういうてたとなァ」
喜「ヘエー、宜しいだます。大きに、なァ、甚兵衛はんは、えゝ人やなァ。アハヽ、そう/\道が判らなんだら、尋ねて行け、問うは、エ…と…なんやったいなァ、なんや、言やはったで、問うは…そう/\豆腐屋の恥、問わな、松茸屋の恥か、なんでも、尋ねたら判るのや。しかし、道を尋ねるのも、緩くり歩いてる人に、尋ねたら、愚図々々と教やがるで、こら、急がしそうにしてる人に尋ねたら、早よ言うてくれよる。誰ぞに尋ねてやろ、アハヽ向こうから来る人、なんや、忙しそうに走っていよる。あの人に尋ねてやろ。モシ、モシ/\ちょっと、あんた」
○「アハー吃驚りした、なんだす」
喜「あんた、えらい、忙しそうに走ってなはるが、なんぞ急がしやすか」
○「怪ったいな人やなァ、私はいま、急いでますのや」
喜「なんで、そないに急がしいので」
○「いま、宅の嬶に『産気』が付きかけてますのや」
喜「ハァー――貴郎とこの嫁はんに、狐が付きかけてますのか」
○「違う/\嬶が懐妊だす」
喜「ハ――ハ、ナル程、カイ/\だすか」
〇「なにをいうてなはる、モシ、袂を掴まえんと離しておくなはれ」
喜「なかなか、こうなったら離さんぞ、貴所、丼池の甚兵衛はん、知ってなはるか」
○「そんな人、知りまへん」
喜「知りまへん、そんな事があるものかいな。この間も飯をよばれたがな」
○「そんな事を、私は知りまへんが、袂をはなしとくなはれ、私、産婆へ走らならんで」
喜「その甚兵衛はんの、表を出ると丼池や、それを北へ突き当たると、鼻打つやろとおもてるやろ」
○「そんな事、おもってや、しまへん」
喜「イヤ、思う。私かて思うた、突き当たらん間に止まる。するとこゝが大川筋、こゝには、橋がない、昔からない、いまだに無い、これ一ツの不思議、そこを、あんたは、泳いで渡ろとおもてるやろ、それでは大胆な」
○「私は、何にもいうてやしまへんがァ。貴郎、勝手に喋ってなはるのや」
喜「そこを、一丁東へ行くと、栴檀木橋、この橋を、あんた、私が渡るか、渡らんか、どっちやと思いなはる」
○「サァ、存じまへん」
喜「存じまへんでは、解らん どっちか、いうて見なはれ」
○「難儀やな。えらい人に捕まえられたなァ、それなら、渡りなはるのか」
喜「ところが、この橋は渡りまへんわ。もう一丁東へ行くと、浪花橋、この橋を渡るか、渡らんか」
○「まただすか、その橋は渡りなはらしまへんのやろ」
木「ところが、今度は渡りますのや、せいだい、逆らえ、意地の悪い」
○「貴所が意地が悪いので」
喜「その浪花橋を渡って、北へ行くと源蔵町へ盲目でも行ける。そこに笊屋重兵衛という宅がある。そこへ行くには、どう行ったら宜しい」
○「あんたの、いう通りに行ったら宜しいのや、面白い人や、あんたわ」
喜「ソラ、大きに、左様なら、…違うやなんて、吐したら、甚兵衛はん処へ、連れていてやろとおもてたのに、しかし、待てよ、物は、念には念を入れという事があるで、もう一遍、尋ねてやろ。ヘエーモシ、ちょっとお尋ね致します」
○「ヘエーなんだす」
喜「貴郎、よう、見た様な人だすなァ」
○「いま、向こうで、尋ねた人やないかい」
喜「アハーナル程、左様なら、同じ奴に、聞いてるのや」
――阿呆めが尋ね/\参りましたのが、笊屋重兵衛さんのお宅、もう只今はござりませんが、まだ、数年前までは有ったそうでございます。表には、笊屋重兵衛とした、大きい看板が、出ております。間口の広い、中には笊が、山の様に積んであろうという、なかなか大した問屋でございます。
喜「ヘエーちょっとお尋ね致します」
△「ハイ――なにか御用で」
喜「笊屋重兵衛さんというのは、お宅で」
△「左様で、手前とこで」
喜「ハァーン、行き過ごしたなァ、何軒程、手前で」
△「イヤ、そうやない、私とこで」
喜「アハーナル程、己れとこか」
△「えらい口の悪い人やなァ。貴郎は、どちらから」
喜「丼池の甚兵衛はん処から」
△「オオー/\丼池の播磨屋甚兵衛さん処から、サァア、マァ、お掛け」
喜「尻に腫物が出来てますので、掛けられまへんのや」
△「それでは、一服、お吸い」
喜「煙草は嫌いで」
△「お茶など一パイ」
喜「近頃、薬を飲んでますので、茶は止めてますのや」
△「それでは、えらい愛想が、おまへんなァ」
喜「まむし(鰻丼)なと、よばれまひょか」
△「厚ヶ間敷い人やなァ。して、どんな御用で」
喜「笊屋の重兵衛はんは」
重「私が、重兵衛で、御用は」
喜「ヘエー、御用てか、甚兵衛はんが、いうてました。お前はベラ/\と無駄ん事を喋るで、向こうへ行ったら、なにも喋るなと、男という物は、あまり喋るもんやない。言葉多きは、品少なし、口明いて五臓の見える欠伸かな、というて、なににもいいまへん。その昔、ものを、いわなんだ、ばっかりに、名前を揚げた人がおますで、忠臣蔵の天野屋儀兵衛。大石内蔵之助に、仇討ちするまでは、どんな事があっても、いうてくれるなと頼まれたので、自分の子供が、苛められよが、背を割られて、鉛の熱湯を掛けられよが、『天野屋儀兵衛は男でござる』というたきり、なんにもいわなんだので、名を揚げたのだす。依って私も、なんにも、喋りまへん。友達も、いうてくれますのや、男という物は、肝要な時には、ウーンと喋れといいますが」
重「コレ――ちょっと待ちなされ。喋らん/\というて、先程から、喋り続けじゃがなァ。そんな無駄事を喋らずに、用事の事を」
喜「それは、委細は手紙に」
重「その手紙は、一向にその辺に見えんが」
喜「出すのか忘れてるのや、粗忽もんや」
重「お前さんが、粗忽もんじゃ、(手紙を読む格構をする)フー――ナル程、フン――、いや解りました。笊を売りに行きたいという人があるて、この間、甚兵衛はんに売り子の世話を頼んで置いたのやか、その人は、来ていられるのだすが」
喜「ヘエー、もう、チャン/\と来てます」
重「表に待ってござるのじゃなァ、内へ這入て貰うて下され」
喜「もう、内へ這入てます」
重「一向、そこらに、見えんが」
喜「貴所の前に、ニヤ/\と笑うてる可愛らしい男だすが」
重「エーヘーあんたかい」
喜「ヘエあんただす」
重「お前さんが、あんたと、いうことがあるかいなァ。して、いつから売りに行きなさる」
喜「今日から、行こうと思いますのや」
重「左様か、それでは、ちょうど、一くゝり荷が出来たァる。それを、担いで行きなされ。そこで、沢山と種類もあるが、今日は四通りだけ、持って行きなされ、大豆、中豆、小豆、米揚げ笊とこれだけ、それでこの笊をなぜ、早く売るかというと、この竹を切るのは、二八(二月と八月)この月しか切らんのじゃが、その以外の月に竹を切ったので、竹に虫が這入ったのじゃ、それで笊を調製たので、白い粉が、パラ/\と落ちる。それがため、素人の方は厭がりなはる。そこでこゝを、按梅、聞きなされや。商売の呼吸じゃで、この笊を手でボン/\と打いて、決して潰れる様な笊やおまへんという。なぜ叩くかというと、叩いてる間に、白い粉を落としてしまう。お客は、強い笊やなァとおもてる。これが商売の秘訣じゃで、それで、値段は笊に、一々書いてあるで、その通り売って来なされ、判ったか」
喜「ヘエ、解りました。行て来ます」
重「旁々、笊を叩いても潰れる様な代物やないといいなされや。そうして、白い粉を落としてしまいなされや」
喜「ナアヽ、これで働く口が出来た。有難い/\――笊、コラ、いかん、なんというて売り声を出そか知らん。なんでも出来立てというと、人が喜ぶ。出来立ての笊、これも行かんなァ。そう/\、さっき、重兵衛はん、大豆、中豆、小豆、米あげ笊と四通り入れとくと、いうてたで、その通り、名前を呼んで、売り声にしてやろ、大豆、中豆、小豆、米揚げ笊は、いりまへんかなァ、こらえゝこの売り声に限る」
と阿呆が大きな声を出して出て来ましたのが、大江橋、北詰を西へ一丁程、参りますと、堂島。御承知の通り、堂島は米相場の立ちますとこで、向こう側が、北浜、こゝは、株相場の立ちますとこ。私は相場の事は、皆目存じまへんが、何にしろ、堂島の朝の一声は、天から降るとか申しまして、強気の方も、弱気のかたも、朝の一声で、占をするという位でございますが、右の阿呆、仲買店の前へ立って、大きな声で、大豆、中豆、小豆、米揚げ笊と、吐鳴りよったが、このお店の、御主人、強気も/\カン/\の強気で、その前で 米揚げ笊というた奴が、こゝの旦那の耳へは「米あがる笊」と聞えました。この人間は神経な物で、自分が、思うてる通り、何事も聞えます様で、わたくしが、ある時、師匠を、縮屁って、どこか他国へでも、行こうかとおもって大阪の城東練兵場を横切ってますと、私の背後で突然「世帯しまえ」というた人があるので、こら、いよいよ、世帯をしまおうと、腹に決めて、振り返りますと、兵隊さんの練兵で、上官の方が号令を掛けられた。「小隊進め」――この号令が私には、――世帯しまえ――と聞こえた。それですさかい強気の方が、米あがる笊と聞こえたのも無理ない事で、殊に、まだ、場の立たん、朝のことですさかい。
旦那「番頭、番頭…」
番頭「ヘエー」
旦「いま、私が聞いてますと、表で米あがる笊と売りに来てる様しやが、えらい縁起のえゝことじゃ。一ぺん呼んどくれ」
番「宜しゅうございます、オイ/\笊や/\」
喜「ヘエ――お呼びですか」
番「旦那が、呼んでござる。強気やで 気を付けや」
旦「いかきや這入っといで、暖簾があるで気を付けや」
喜「ヘエ、暖簾は頭で、ハネ上げます」
旦「ハヽヽヽヽハネ上げますとは、威勢のえゝ男やなァ。コラ/\荷物を、そう中へ持ち込んでは」
喜「荷物は、こうして上へ投り上げますは」
旦「上へ投り上げろとは嬉しい男じゃ、番頭、五円札、一枚、持っといで、サァ――これを遣る」
喜「これを、頂きますのか、大きに。これ、頂いたら、浮び上がりますは」
旦「浮びあがるとは、縁起のえゝ、オイ、五円札二枚、サァ――遣る」
喜「また、頂きますのか。飛び上がる程、嬉しいおますわ」
旦「飛び上がる程、嬉しい、オイ百円札、持っといで。サァ――取っとけ/\。してお前の宅はどこや」
喜「ヘエ――上町の上汐町だす」
旦「なに上町の上汐町、気にいった。贔屓にしてやるぞ、箪笥も遣れ、それでお前、兄弟はないのか」
喜「有ります、うえばっかりで、兄と姉がおますので、姉は、かみ≠竄フ上女中にいております」
旦「面白い奴やなァ、田地二反程、登記してやれ、『うえ』ばっかりや、なんて、それに姉まで、かみやの上女中なんて、兄さんはどこにいるのや」
喜「兄は、粋のみなかみ=A京都だす」
旦「粋のみなかみ、とは好かった。京都か、して便りはあるか」
喜「こちらから、上るばっかりで」
旦「上るばっかりとは、それで、京都はどこや」
喜「ヘエ――、京都は高瀬のズーッと上で、威高い背高い鼻の高い、名前は高田屋高助といいますのや」
旦「嬉しい奴や。家を二軒程建てゝやれ」
喜「ところが先達て、兄の処から手紙が来て、今の宅は、ちょっと便利が悪い、外にえゝ宅があるので」
旦「ヨシ、そんな事なら、銭を出しやる。えゝとこがあったら、『値が高かったら』買え、何程でも出してやる」
喜「ヘエ――どうも大きに。いまのところも老舗が売れますので、それを売って、二三丁タラタラと下がろうと思いますと」
旦「なに、二三丁タラ/\と下がる、オイ、お前の持ってる、いま遣った金、こっちへ返せ」
喜「ヘエ――なんぞ、お気に障りましたか、お気に障りましたら堪忍しておくなはァれ、この通り頭をさげます」
旦「頭をさげな。家も田地もやるかい。箪笥も奥へなおしてしまえ。馬鹿にしやがって」
喜「どうぞ、この通り、拝み倒しますで」
旦「拝み倒す。そんな事をするなァ、もう帰れ、馬鹿/\しい」
番「そら旦那、あなたの様に上がるあがるばかりでは、いけません。相場とても、笊屋のいう通り二三丁、下がった所で、建玉を離して、すくいます。すると、あの時が相場の頂上やったかいなァと、思います。そう上がる/\では、ナァ、笊屋はん、それでは、高潰れ、潰れるわなァ」
喜「阿呆らしい、(笊を叩く格構して)潰れる様な代物と――代物が違います」
底本:名作落語全集・第二巻/頓智頓才篇
騒人社書局・1929年発行
落語はろー("http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/")