八問答(はちもんどう)
初代桂春団治
八問答は上方小噺の「戎小判」、「お日さんの宿」を連続せしめて、これに仏説八問遁甲を加えたもので、春団治が大正十二年頃に自作自演して現在では自家薬籠中のものとしたのある。(花月亭九里丸記)
莫迦者同志が寄りましたお話を一席申し上げます。阿呆につける薬がないといいまして、ここにあったのが齢も四十を過ぎてまだ人並足らぬ脳味噌を持った男で、作さん。これを世間では「阿呆作」、「抜け作」と言いましたが、当人もまたこれで満足しているという厄介者、一日の事、これも阿呆作より一枚上という徳さんの宅へ来て
作「ヘエ、今日は」
植「ヲー作さんやないか。こっちへまあ上がれ。おい、もう他所へ行って仕様もない事をいわんようにせよ」
作「ヘーヘ」
徳「ヘーヘやあらへん。聞きや、この間お日さんと走りごとしたというが、お前、そんな阿呆な事をしたんかい」
作「へ、ちょっとな」
徳「ほんまに、そんな事したんか、あほやな」
作「ヘーヘ、アリャモウ辛度かった」
徳「辛度かったやないぜ。これ、お日さんとマラソン競走なんて…この間、岩はんが来て笑うてたぜ。どうしてお日さんと競走なんぞしてん」
作「アリゃな。この間床屋へ遊びに行たら、床屋の由さんが、おお、ええ所へ来た。お前に一遍たずねようと思てたんやが、日が永うなったり、短うなったり、寒うなったり、照ったり、降ったりして傘の心配やら、寒うなりや余計に着物を着んならん。暑うなりゃ脱がんならんと実際うるさいがな。これを、なんとか纏めて貰いたい、お前も随分顔がひろいさかい、お日さんと心易いやろ。一つお日さんに会うて、話をつけてくれと、床屋の由さんがいうさかいな、私もいうたんや。別にお日さんと心易うはしとらんけど、朝晩に顔を見合わしてるというたんや」
作「そんな阿呆な事をいうさかい、由さんにお前嬲られるねん、それからどうしたんや」
作「ほたら、床屋の由さんがいいますねん。朝晩顔を見合わしてるのんやったら、お日さんに会うて、日が永けりゃ永い、短けりゃ短いで一つに纏めて貰うように頼んで来てくれ、とこう由さんがいうもんやさかい、そら、私も、お日さんに会わぬ事はねえけども、朝晩に顔を見合わしてるだけで、家がわからんと」
徳「ほたら、床屋の由さん、何ちうたんや」
作「床屋の由さんが言いますねん、家が分からんというたかて、毎日西へ西へ行きなはるねんさかい、どうで西やったらあんまり遠い所でもなかろう。こない由さんがいやはるさかい。そんなら私も一遍神戸へでも行て来て見まへうかというた」
徳「馬鹿やな。そいで、お前は神戸へ行たんか」
作「そんで、私もね、神戸へ行くにしても、神戸のどの辺で番地は何番地だすと由さんに尋ねたら由さんが、俺も朝晩に顔を見てるが、場所番地はまだ聴いていない。押戸へ行て訊ねて見、直きに知れる、あんだけの顔のひろい人やさかい」
徳「そないな阿呆な事をよう聞いたな。そいでお前神戸へ行たんか」
作「さ、それがだす、そない言うさかい、一遍行て会うて来うと思てな、翌朝弁当を拵えて、西に向こうて、走った/\、ちょうど、心斎橋の橋の上へ来たら正午時分で、お日さんが私の頭部の上へ来てますねん。あの人、足が速いさかい。もし私と一緒に行かぬと見失うたら家が判らんようになると思うて、下から呼んだのや」
徳「誰をいな」
作「お日さんをな」
徳「何というてや」
作「上を見て、日クン、日クンと下から呼んだんだす」
徳「莫迦やなお前は、心斎橋の上で、青天井眺めて、日クンでもないが、人が集れへなんだか」
作「いえもう、それは、一ぱいの群集」
徳「お前、どないした」
作「あなたがたは私の周囲に集って、何ぞ御用事だすか、と訊くとな。集ってる人が、別に用事はおまへんけど、上を見て何をいうてなはると尋ねますさかい、私は、上を見てお日さんを呼んでますねんと返答したら、皆が、到底今時の人やないと感心しやはった」
徳「阿呆やな。笑われてるのやがな」
作「ほたらな、周囲の人が大分ここでは距離があるさかい、物干しへでも上がんなはれていわはりましてな」
徳「物干しへ上がったのか」
作「さあそれが物干しへ上がろとおもてると、お日さんはずん/\と行きなはるらしい。コラ早う追いかけなんだらあかんとおもて、私も西を向いて走りましたんやけど、そのうちに日が暮れると、お日さんが西の山へ這入ってしまいはったさかい、ははんもう家へ帰りはったな。今頃はオイ嬶今戻った。今日は作さんとマラソン競走したさかい偉い疲れた。さあ一盃飲もうと、嬶や子供と膳に向こうて飯を食うてる時分やなあと一生懸命西に走る。私はもう夢中で走って走って、追いかけるとな、もし、今度は私の背後からニュウ…とお日さんが首を出しますのや、そこで私は、ハヽア、こりゃ行き過ぎてるなァ…とおもて…」
徳「まあ、ようそんな阿呆な真似をしたなあ、徹夜も走って躰はどないもなかったか、大分お前足らんな」
作「へイ、えろう疲労れて三日寝ました」
徳「三日位で済んで、まだ幸福や、…それからお前この頃神信心を始めたという声、真実かいな。信あれば徳ありというて、ええ事やが、お前の事や、一体何様を信心してるねん」
作「あっ、もう知ってるのか、早いなあ、ビリケン様になあ」
徳「ちょっと変ってるな」
作「さあ、それが床屋の由さんが悪いんだす。何ぞ福神様でハイカラなもんがないかと聞いたらな、ビリケンさんにせいというもんだすさかいな」
徳「お前もお前やな、神さんにハイカラな神様というてあるかいな、お前が悪いねん」
作「まあ、そのビリケンさんを一廻りやって見ようと」
徳「おい、ええかいな。売薬見たいに。それで、どうしたんや」
作「一遍かかった、ところがだすせ、神と例えられる人が、私もう愛想が尽きた、裸で足を前へ出して行儀の悪い、こりゃ見込みがない。ばくち場でも足を出すといえば縁起でもないのに、まして神様で足を出すとはと、もう信心を止めて日本橋筋をブラ/\歩いてると、ほら。日本橋筋三丁目に毘沙門様がおまっしゃろ。コレャええ人に当たったわいと、七日の願ごめをしてな、毎日一銭ずつ上げてましたのや。ところがな、もし、拍子のええことには、七日の願上がりの日にな、毘沙門様が顕れはってな」
徳「おい作さん、真実かいな」
作「いいえ、真実だっせ。日の暮れ小前にお賽銭を一銭上げて、どうぞ福に有りつけますようにと、一心に拝んでますと、私の夢から、作兵衛、作兵衛と呼ぶ人がおますねん。誰やなァと背後を向くとな。もし、毘沙門様が立ってはるやおまへんか。私も、はっと思て、こりゃ毘抄はんだっというたんや。向こうも、おう作はんか、なつかしいッ」
徳「嘘つけ、毘沙門様が、そんな事をいうか」
作「ああ、ええ所や。毘沙はん。毎日一銭ずつ上げてますが、福は一体どうなりますねんというと毘沙門様は、ああ作さん面目ない。お前に福を授ける位なら、前へ賽銭箱はおいて置かぬ」
徳「毘沙門様に理屈をいわれてるねん。それからどうした」
作「それから、私、毘沙門様にいうてやった。福が授けられぬようなら、初日に何故それといわぬ、七日の間一銭ずつコンミッションを取っておいて」
徳「お前のいう事、えげつないね」
作「七日の間一銭ずつ取っておいて、今更返さぬとは丸切り詐欺や。出る所へ出なはれと、私いうたんや。すると毘沙門様顔色を変えて、なるほど作さん、お前の言葉は重々ごもっともや。俺もこんな日本橋の三丁目、長町裏に住みとうない。もっと、金持ちの多い船場か島の内へ行きたいが、先立つ物は金や。お前も働いて金を儲けて、せめて敷金だけでも寄付をしてくれといいますのやろ。もう阿呆らしなって来て」
絵「お前でも阿呆らしゅうなる事があるか」
作「松島へ女郎買いに行てやれとな」
徳「お前のいう事、まるでスカタンや。それからどうしたのや」
作「ブラ/\と四ツ橋の交叉点まで来るとな、米俵二俵持ってうろつく親父がありますさかい、行き過ぎて顔を見ると、私もよう顔見た事のある人やなあと思うと、これがもし、木津の大黒さんや」
徳「これ、真実かいな」
作「私も思たんや、米が上がる下がるというさかい、こりゃ、大黒さんがお米を売りに行くと見えると思うてナ、背後へ廻って…これ大ちゃんちうたら、オヽ作さん面目ない」
徳「ふうん、大分変わってるな」
作「大ちゃんの親爺さん、どこへ行きなはると聞くとな。俵二俵を売りに行くといふさかい。あんたも鼠で儲けなはったのに何米を売りなはる。いや鼠もこの頃は丸切り金にならぬ。二銭や三銭では金高が上がらぬ、ペストがはやれば十銭にも売れるが、今はあかぬといやはるさかい、ぺストになったら何故相場が上がります。いやペストはすべて倍金やと」
徳「二輪加やがナ」
作「それでも年々お賽銭が上がりますやろというと、先月も百姓が参詣に来て、一心不乱に拝んでるさかい。一体どんな事をいうて拝んでるのかと、扉の口から俺もソット顔を出して聞くと、米が一升が五両になりますようにとの願いに、あんまり慾どしいと七日間はほっておいてやると、まだ一生懸命に拝んでるさかい、俺は扉を開けて飛んで出て、相場の下がらぬ間に俺の米も売ってくれ」
徳「これ、もうチョイ/\二輪加をすない、お前、神信心するなら八幡の八幡様を信仰しい」
作「テキよろしいか」
徳「罰当たるぞ。テキ≠ネんて。八という字は結構やな、有難い、そうして出世する数やぜ」
作「そない八という字は、あらたかだすか」
作「あらたかか?と訊ねるより、マァ考えて見た方が早いやないか…世間の人が、よう言う通り、天の高さが、八万由旬、地の深さが八万だら、嘘八百に、神様が八百萬神に、八十萬神八万地獄に、女でも、あばづれ女を八兵衛というし、ややこしい遊びに八々があれば、同じややこしい巣に蜂の巣、大阪が八百八橋、京都はお公卿さんが多ので八百八公卿、江戸は八百八町で旗本八万騎、近江の湖水が八百八流、長命寺の石段が八百八段、狸の睾玉八畳敷」
作「もし狸の睾玉八畳敷て真実だすか」
徳「嘘つくものか。この間、雨の降る晩、心易い狸が坊主になって衣を着て、徳利を提げて酒を買いに行くのに出遇うてな」
作「そう/\、狸は衣を着てますな」
徳「おい狸ちゃん、一遍睾玉を見せて。皆が八畳敷あるというのやが真実か、というと、狸が恥しそうに前をまくるとナ、八畳敷どころかたった一畳位しかないので、おい小さいな、あとの七畳はと聞くと、狸が気まり悪そうに、ハイ七畳は袈裟にかけています」
作「あんたかて二輪加が這入りますね」
徳「お前との話は二輪加を入れぬと頼りない。役者でも屋号というて成駒屋、松島屋、河内屋、芸者でも富田屋の八千代、女でも外国までも名が通っておる。盗人でも蜂須賀小六は大名になって今は何位という位を頂いてる。エライもんやろがダ…八の上は身分に過ぎて、九と十とは及びもつかぬ。王はは十善、神は九善、物は総て八分目に限る。王の十善、神の八善は及びもつかぬ人間五倫五体の上が頸、頸から一段下がって巻くから鉢巻」
作「あんたのいう事は皆、理屈攻めや、待ちなはれや。頸の下が鉢巻、鉢巻の下に巻いて首巻」
徳「ありゃ首巻やない、襟巻が真実じゃ。空が空中、その下が家の棟、家の棟の下が質屋」
作「そう下げて行きゃ質屋の家でカブしたら六方で、そこの家に後家はんで、世取りがない、隣りが産後で悩んでる。向こうの二階借りして名前が市兵衛」
徳「どこまで下げるねん。昔から名高い人には皆八の字が付いてる。弓矢の名人、鎮西八郎為朝に」
作「ちょっと待った、牛若丸には八の字が付いておまへんなァ」
徳「牛若丸には八の字が付いてのうても八の字に因縁がある。牛若丸の習うた剣道が鞍馬八流、一人前の義経になって八艘飛び…どうや八が二つもあるがな」
作「弁慶には、八の字がおまへんな」
徳「弁慶には、八の字がない代わりに、背中に七つ道具を負うて、よう言う弁慶の一番勝負、どうや合わすと八になるやないか」
作「ハヽン寄せ算もおますな。しかし、泥棒の大将石川五右衛門には五ほかおまへんが、あれはどうなりますのや、もし、あの五右衛門は」
徳「五右衛門は京の南禅寺の山門に住んでたよって五に三たして八やないか」
作「お宅算盤おまへんか、…成程そういうと皆八の字が付きますな。しかし曽我兄弟、兄が十郎で弟が五郎、どっちにも八がおまへんな。二人合わして十五だすがなァ、こりゃ一体どういう都合で」
徳「弟が五郎で、兄が十郎や、兄弟合わすと十五郎、親の仇が工藤祐経、十五と九とで二十四…どうや三八、二十四、八が三つもあるやないか」
作「こりゃ段々ややこしなって来た、算盤を早う出しとくなはれ」
徳「算盤やあらへん、当然やないか、あれが夜中に行くさかい世間では夜討ちというやろう」
作「もし阿呆な事はいいなはんなや。無茶苦茶や、ありゃ夜討ちやおまへん、ようち≠セすがナ」
徳「さあそのようち≠ノ二人か行くよってやうち≠竄ネいか」
無学者、論に敗けず、ヘイお後と交代致します。
底本:名作落語全集・第二巻/頓智頓才篇
騒人社書局・1929年発行
落語はろー("http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/")