鼻捻じ(はなねじ)

二代目桂圓枝

 落語家はなしかは、時候ばいかい、なにを申し上げるやら判りません。暑い時分に寒い事を申し上げたり、また、寒い時に暑い時分の事を喋ったり致しますので、その段は幾重にも、お詫びを申し上げます。今度は、春のごく、お陽気な花見時分の事で、時候違いではござりまするが、そこは、御贔屓の余慶よけいで御つき合いの程お願い致します。同じ花でも、桜と梅とは、えらい違いで、梅はなんとのう淋しく、その替わり高尚で、あまり若い人は、観に行かん様で、大抵、御隠居が多いもんで、十徳に杖でもついて、寒いために、ひげの上へ鼻水をたらして、これはあまり汚のうございますが、俳句の一つも短冊たんざくしたためて、枝にくくりつけるなんて、よろしいもので、それに引きかえ、桜と来ますと、これはまた、御陽気で、時候もよろしい加減でしょうが、瓢箪ひょうたんの一ツも、ブラ下げて、浮いた/\なんて、工合のええもんで、御婦人おじょろうでも、常には召し上がらいでも、花見やちうと、盃の一ツやニツはお飲みになります。顔を、ホン/\と赤うして、ちょうど、枚方ひらかたの火事を大阪から見ている様に、そこへびんの後れ毛を二三本、春風になぶらしながら、緋縮緬ひぢりめんの燃え立つ様な長襦袢ながじゅばんを肩ぬぎでもして踊ってるなんてのは、桜の花見に限ってます様で、この花を見に行く人に限って、あまり花を見んようで
○「オイ、辰ちゃん、花見に行たか」
辰「行て来た」
○「花はどうや、もう、満開か」
辰「サアーどうやったいなア、知らんで」
○「お前、行て来たのと違うのか」
辰「行て来たのえがなア」
○「それに、判らんちふのはおかしやないか」
辰「それが、花を見んと、人を見て、酒呑んでたのや」   …なんて、花見に行ったのやら、人を見に行ったのやら、判りまへん。しかし、大抵、こんなのが、多い様で、中には、自分のうちの庭へ、桜を植え込んで、毎年、近親、出入りの者をよんで、観桜会かんおうかいを開くなんて、くあるもので、これはある、御大家ごたいけの御宅でございますが、庭に立派な桜がございますが、ちょうど、満開で、ここの旦那はん、今日も縁先で、花を眺めてござると、チラ/\と時ならぬ時分に花が散って参りましたので、
旦「コレ/\、丁稚こどもよ、ちょっと、ここへ来て下され」
丁稚「ヘエーなんぞ用だすか」
旦「ほかの事でもないがなア。いま、私がここで、本を読んでいますと、風も無いのに桜の花か散りますのじゃ。おかしいと思うて、見ますと、隣家となりの先生が、桜の枝を手折たおってこざるのじゃ。なんぼお隣家りんかでも、一言のおこたえもなく、乱暴すぎますで、お前さん、ちょっと、お隣家となりへ行て談判かけあいして来て下され」
丁「なんと、言うて来ますので」
旦「日頃か、高慢な、屁理屈の一ツも言う人じゃで、揚げ足をとられると、いかんで、今日はなるべく、丁寧に言いなされや。手をつかえて、今日こんにちも結構な御天気さんでござりますと」
丁「そら、旦那はん、いらん事だす。内がええお天気だしたら、隣家となりもやっぱりええ御天気だすもの」
旦「黙って、聞きなされ。これが世間普通なみとおりの挨拶じゃ。今日こんにちも結構なお天気でござりますと」
丁「そうしたら…今日も結構な、御天気でござります…と」
旦「コレ/\と=cは、要らせんのじゃ」
丁「と≠ェ要らなんだら障子とかえまひょか」
旦「戸も障子も要らせん」
丁「開け放しは用心が悪うおますで、盗人ぬすっと這入はいると、いきまへんで」
旦「いらん事を、言わずに、黙って、私の言うことを、聞いてなはれ。今日きょうも結構な、お天気でござります。只今、手前とこの主人、縁先で、本を読んでおりますと、時ならぬ時分に花が散りますで見ますと、先生が私方わたしかたが桜の枝を無断で手折たおっておられます。もし御入用おいりようなれば、隣家様りんかさまの事ゆえ、根引ねびきにでもして差し上げます。日頃から書にまなこさらしてのたまわくの一ツも心得てござる先生に、似合わざる儀かと心得ます。それを無沙汰ぶさたで手折るというは、その意を得ません、言語同断、落花狼藉らっかろうぜきというものです。その御返答を承って帰りますと。いうて来なさい」
丁「誰が、それをいいますので」
旦「お前さんがじゃ」
丁「なんやら言うのでしたなア」
旦「いま、聞いてやせなんだのか」
丁「いま旦那はんが、なんや、言うてなはったが、口が上下うえしたに、動きますさかい、えらい面白いなアと思うて、口の動くのを見ていたのだす」
旦「仕様のない奴じゃなア」
丁「そんな、ムツかしい事、とても、よう言うてやおまへんで」
旦「人ごとじゃがなア。なんとかして覚えられんか」
丁「ホナ、ナア、紙に、いまの口上書いとくなはれ」
旦「書いて、どないにするのや」
丁「向こうへ行たら、その書いた紙を、つき出して、あたい、お辞儀してます」
旦「新米の乞食じゃがなア。仕方がない。わしが、口写くちうつしにおせたげるで、よう、覚えなされや」
丁「へエー」
旦「今日こんにちも結構な、御天気様でござります。只今、手前とこの主人、縁先で、本を読んでおりますと、時ならぬ時分に花が散りますので、見ますと、先生が私方わたしかたの桜の枝を無断で手折たおっておられます。もし御入用ごにゅうようなれば、隣家様りんかさんのことゆえ」
丁「その、金柑きんかんさんの事ゆえ、て、なんのことだす」
旦「金柑さんやない、隣家さんのことゆえ」
丁「隣家りんかさん、て、なんだす」
旦「隣家とは、お隣りということじゃ」
丁「それなら、そんなムツかしい事いわんと、隣りというたら、どうだすのや」
旦「そこが対手あいては、学者じゃ。ちょっと、ひねって(皮肉る)やりますのじゃ」
丁「隣りの先生、捻られよるのだすなア、面白いなア、ヘエヽヽ」
旦「隣家りんかさんの事ゆえ、根引ねびきにしても差し上げます。日頃からしょまなこをさらして」
丁「障子に、海鼠なまこをさらしますのか。妙な事をしますのやなア、呪咀まじないだすか」
旦「障子に海鼠をさらすのやない。書にまなこさらして、とは、常に沢山の書籍ほんを読んでいる事じゃ」
丁「へエー、なんで、また、そないなムツかしい事いいますのやなア」
旦「そこが対手あいては学者、捻ってやりますのじゃ」
丁「また、捻られますのやなア、ヘエヽヽ」
旦「書にまなこを曝して、のたまわくを心得てござる先生に似合わしからざる儀かと心得ます」
丁「えらい、危い事をしますのやなア、火の玉をころばして、火事がいかしまへんか」
旦「火の玉やない。のたまわくというたら、支那の漢字ばっかりの、ムツかしい本の事じゃ」
丁「また、これで、捻りますのやなア」
旦「そうじゃ、それを無沙汰で折るとは、その意を得ません。言語同断、落花狼藉らっかろうぜきというものです、その御返答を承って困りますとな」
丁「その、パッパ唐人とうじんといいますのは」
旦「あんばいよう覚えなされ。パッパ唐人やない、落花狼藉とは花盗人はなぬすびとということじゃ」
丁「そんな事を、いうてよろしおますやろか」
旦「そこが学者じゃ、ちょっと、捻ってやりますのじゃ」
丁「度々、捻られよるのだすなア」
旦「早よ行って返事を聞いて来なされ」
丁「へエー、内の旦那はんも、偉いなア。学者を捻るのやさかいなア。これから隣家となりの先生、捻るぞ、面白い/\」
 …と丁稚でっちは、早速隣りへ参りました。
丁「お頼み申します」
先「ドーウレ」
丁「人を乞食みたいに言やがる、通れやなんて」
先「これは/\隣りの、素丁稚すでっちか、何か用か」
丁「何にも知らずに、これから、ちょっと、ひねるぞ、覚悟しなはれいや」
先「なんじゃ、捻るとは」
丁「イーエーこら、こっちゃの事だす。ヘイ、今日は結構な、お天気でござります。と、戸も障子も、なにも入りまへんのや」
先「なんじゃ、それは」
丁「捻られてるさかい。わからへんのや、ハヽヽヽヽヽ只今手前とこの主人、縁先で、本を読んでおりますと、時ならぬ時分に花が散りますので、見ますと、先生が私方の桜の枝を無断で手折っておられます。もし御入用なら、ちょっと、捻るぞ…金柑さんの事ならば、根引きにしても差し上げます、解らへんやろ、捻られてるさかい」
先「何をいうのじゃ。それもいうのなら、金柑さんやない、隣家りんかさんじゃろう」
丁「あんた、立ち聞きしてたなア」
先「誰が、立ち聞きするものか」
丁「これから段々ムツかしくなって、捻られますで、日頃から障子に海鼠なまこを曝して、ヘエヽヽどうや、また、捻ってやった」
先「聞いて来るのなら、もっと按配あんばい聞いてこい。それも言うなら、書にまなこを曝してじゃ」
丁「あんた、いよ/\立ち聞きしてたなア」
先「誰が立ち聞きするものかい」
丁「火の玉の、一ツも、ころばしてござる先生に、似合わしからざる儀かと心得ます」
先「なんじゃ、その火の玉を転ばすとは」
丁「解りまへんやろ、捻ってますのやもん」
先「ナル程、のたまわくの一つも心得てござる、じゃろう」
丁「ソヤ/\、いよ/\あんた立ち聞きしてなはったア。まだ、捻ってやるぞ、それを無沙汰で手折るとは、言語道断、パッパ唐人というもんだす。御返事を承って帰りまひょか」
先「聞いて来るなら、按梅、聞いて来い。それもいうなら、落花狼藉じゃ、やッぱり、阿呆に使われてる丁稚だけあって、貴様も、馬鹿じゃなア。それでは、聞くが、あの庭先にある桜の木は全体どこのじゃ」
丁「アリャなア、内の木だすがなア」
先「貴様の処の木なら、なぜに貴様の庭だけで、花を咲かさんのじゃ。それにわしの方の庭先へ、無断で、枝を無遠慮にも乗り出して、わしが勉強するのに、暗うて邪魔になる。そこで俺が手折ったのじゃ。コラ、素丁稚、よく聞けよ、おのれの庭と私の庭との間に高塀たかべいがあるじゃろう」
丁「ヘエ/\(塀々)…」
先「洒落しゃれるなア、その高塀が境界になっている。ツマリ、己れの内の桜が、私の内の領分へ乱入しているのじゃ、いわゆる、さいめん破りをしているのじゃ、内へ帰って貴様とこの、ハイスにそう言え」
丁「ちょっと、待っとくなはれ。ハイス、て、なんだす」
先「ハイス、とは、よう覚えておけ、貴様とこの、主人は頭が禿はげているわい、そこへ蝿がとまっても、蝿がすべるじゃろう。そこでいわゆるハイスじゃ、判ったか」
丁「ナル程、こら旨い事、つけなはった」
先「感心すな。落花狼藉が罪が重いか、サイメン破りの罪が重いか、んで、逆螢ぎょくほたるに言え」
丁「逆螢とは何なんだすネ」
先「逆螢とは、螢は尻が光っているわイ。貴様とこの親父は頭で光ってる。そこで逆螢じゃ」
丁「ナル程、あんた、名前つけるの旨いなア、なんや知らんが返事を聞いて帰ります」
先「馬鹿だなア、貴様は、わしが最前から、いうてる事が判らんか、ヨシ/\阿呆にもわかる様にしてやる」
 ――と短冊たんざくに。いとも達筆みごとにスラ/\と書き流して
先「サア、これを持って帰って、貴様とこの阿呆親父に見せたら好いのじゃ」
丁「ヘエヽヽ、旦那はん/\、―― ホンニ、隣りの先生がいうた通り、内の旦那はんは、ハイスやなア。頭へ蝿が止まっても、すべりよる。コラ、蝿す、逆螢」
旦「誰や、丁稚こどもか。なにをいうてるのじゃ。どうじゃ隣りの先生、あやまったか」
丁「「なんや知らんけど、請取うけとりくれましたで」
旦「これへ出してみい。請取なんか出すものかい。定めし、口でいうのも外聞が悪いので、謝罪状でも、よこしたのじゃろう。流石さすがは学者だけあって、半紙や罫紙けいしに書かずに、風流気を出して短冊に書いて、よこしたなア、文字はなかなか達者に書いてあるわい、なに/\、
 塀越しに、隣りの庭へ出た花は
  じよが手折たおろが、こちら任せじゃ
 なんじゃ、これでは逆捻さかねじじゃ、糞垂れめ、どうしてこの返報しかへしをしてやろうか知らん、胸がえ返る様じゃ」
 旦那は頭から湯気を立てて怒っておられます。所へ番頭さん、商用から帰られて
番「ヘイ、旦那さん、只今戻りましてござります、非常に遅うなりまして、済みません」
旦「糞垂れ奴め、あんまりじゃ」
番「ヘエー、つい、御得意で話がながくなりましたので遅くなりましたような次第で」
旦「それでは逆捻さかねじじゃ」
番「ヘエ、イーエ、別に逆捻さかねじ――決してそんな事を」
旦「今にも、番頭どんが戻って来たら、相談して、この返報しかえしを」
番「旦那だんさん、番頭先程から帰っております」
旦「オヲ、番頭どんか、毎日御苦労さんじゃ」
番「旦那だんさん、そう遊ばしたのでえらいお顔の色が悪うござりますが」
旦「マア、聞いとくれ、番頭どん。実は隣りの先生が、内の桜の枝を無断で手折ってござるで、丁稚こども談判かけあいにやったのじゃ。ところがあやまるどころか、逆捻さかねじじゃ。短冊にこんなことを書いてくるのじゃ、見て下され」
番「ヘエー/\流石は学者だけあって、見事な筆ですなア。なに/\、塀越しに隣りの庭へ出た花は捻じよが手折ろが、こちら任せじゃ、これは、よく出来てますなア」
旦「お前さんまで、誉めなさるなア、そこで、お前さんに、智恵をって、なんぞ、返報しかえしをする工合くふうがなかろうか」
番「ヘエー、ナル程、旦那だんさん、仕返しは出来ますが、少々金が高くつきますが、大事ござりましょうか」
旦「少々位、余計にっても、かまやせん、有りますかなア」
番「毎年、御親類や出入りの者集めて、お花見致しますが、今年は、ちょっと派手ですけど、芸妓げいこ幇間たいこなんかを呼びまして、散財を致します。すると、隣りの先生も、木竹きたけやなし、おなごの声や、また、三味しゃみ太鼓の音が致しますで、塀の穴からのぞきます、その穴を私が一々ふさいでやります、こうなりますと、人間というものは妙な物で、見せんというと、なお、見たくなります。あちら、こちらと穴を覗くのを、一々私が塞ぎます。そのあとは、私の胸三寸にございますで、私にお任せ下さいませ。あなたの胸のすく様に致しますで、そこで、花見を明日みょうにちとなさったらいかがで、芸妓も、南地・北の新地、新町の一流どこを呼びます。幇間も、料理は魚藤うおとうへ、御親類や、出入りの者へは、これから手別けして、案内状を出します」
旦「万事、お前さんに任しますが、困った事には、わしは若い時分から、遊びに行った事がないのでお茶屋さんにも、芸妓さんにも知った人がないで」
番「そんな事は、御心配なく、私が一本、手紙を書いて、持たしてやりましたら芸者の二十人や三十人幇間も直ぐ来ます」
旦「コレ/\番頭どん、お前さん遊廓で、えらいええ顔じゃなア、常に大分、つかうと見えますなア」
番「イーエ――アババ――イエ、アノ、これは、ちょっと、ホンノ――、ヘエヽヽあれはドガチャガで、実は、たまにはお得意先のお供をしてへヽヽヽヽ」
旦「イヤ/\そんな事は、とがめやせん。万事、お前さんに任して置きます」
 旦那もスッカリその気になりました。当日になりますと、設備万端出来上がりました。その内に御親類も見える。出入りの者も来る。いうてます間に芸者も幇間も来ました。いよいよ酒盛り、盃が、順に廻り逆に廻りますと、一座は大陽気おおようき、サア、そうなりますと芸者も、お客も総踊り。
番「サア、踊った/\」
 (この時下座場より龍田川の囃子にて緩急、高低、賑やかに囃し立てる)
 隣りの先生、本を読んでおられましたが、あんまり隣りが騒々しいので、庭へ降りて塀の穴から覗きますと、大騒ぎ。こちらは、番頭さん。もう隣りの先生、覗きそうなものと、見ておりますと、案にたがわず、覗いてますで。
番「おっつと、覗かれて堪るか」
 ――と手で塞ぎますで、
先「なにをしやがる――穴を塞いだなア。別にそこで覗かいても、こちらに穴があるわい」
 ――とまた別の穴から覗きます。で又候またぞろ、番頭、穴を塞ぎます。
先「イマ/\しい奴じゃなア、子供の悪戯いたずら見たいな事をしやがる。よし、別に覗かいでも、ええ事があるわい」
 と先生も依怙地いこじになって梯子はしごを持って来て、塀に立て掛けて、上へがって、
先「よう、阿呆どもが、沢山踊っておるわい。この方がよう見えるわい」
番「隣りの先生、どこへ行たかなア、今まで、覗いてたのに、アハーいる/\高塀へ登ってやがる」
 ――番頭さん、なに思うたか、梯子を持って来て、同じく高塀へ掛けて、先生に、気遣きづかれん様に登って来て、大きな、釘抜きを袖の下へ隠して、油断を見すまし、先生の鼻を釘抜きで、グーッと捻じ上げました。
 先「痛い/\これ何をするのじゃ」
番「何も糞もあるかい、昨日の返歌だす。
 塀越しに隣の庭へ出た鼻は
  じよが手折たおろが、こちら任せじゃ





底本:名作落語全集・第二巻/頓智頓才篇
   騒人社書局・1929年発行

落語はろー("http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/")