雑穀八(ざこはち)

二代目林家染丸




 当今はなにしろ、東京ばやり、品物でもちょっと、粋な物と思いますと東京製と銘が打ってございます。お言葉一ツでも、「江戸ッ子」で喋りますと、粋な人に見えます。我々同業なかまでも、たまさか、東京へ一ヶ月でも交代に参りまして帰って来ますと、き、江戸ッ子を使います。その東京言葉の中に大阪弁が混合まじりますので随分とおかしい、ふきだす事がございます。
○「なに言ってやがるんだい。コン畜生。馬鹿にするない箆棒べらぼうめ。そやさかい俺が言うてるやろ、なに……箆棒め」
 こんな「江戸ッ子」を使われたら堪りません。二言目には箆棒という棒を振り廻しますので危のうて。まだこれなら宜しい方で、中には箱根も越さんのに、静岡辺りまで行て来て「江戸ッ子」を使うてる奴があります。ここに十年程、東京へ行っておりました男、久方振りで上方へ帰って参りましたが、東京言葉べんを使うて、生意気な奴と思われるのも厭と、三ヶ月程、京都の親類のうちに厄介になって、また、上方の言葉に直して大阪へ帰って参りました。しかし、やッぱり、喧嘩でもすると、さすが、永らく東京へ行ってただけで、啖呵たんかを切る時には江戸ッ子が出ます。
□「ヘエ、御免、今日は」
△「ハイ……今日は、何誰どなたで、俯向うつむいてござるで判らせん。遠慮はいらせん、ズッーと這入はいっとくれ、何誰どなたじゃなァ」
□「へエ、御見忘れはごもっともで、町内の眼鏡屋の弟の鶴で」
△「なに……眼鏡屋の鶴さん、ソラ、珍らしい人じゃ。サァ、マァ、掛けなされ。コレ、お茶を持って来なされ」
□「どうぞ、かまわぬ様に」
△「イヤ、お茶は私が飲むので」
□「アハ、左様で」
△「コレ、眼鏡を持って来なされ。イヤ、もう年を取ると、眼鏡を掛けんと判らんので、オヽ、こら、鶴さんじゃ」
□「お久しゅうございます。永らく御無沙汰を致しまして、いつもお達者で結構でございます」
△「ハイ/\、イヤ御機嫌さん、貴郎あなたもお達者で結構。永らくどこへ行てなさった」
鶴「ハイ、東京へ行っておりまして」
△「東京へ。もう、何年に成るかえ、鶴さん」
鶴「ヘエ、町内を出て東京へ参りまして、ザッと、十年に成ります」
△「早い物なァ、もう、十年にも成りますか。東京はどこにいなした」
鶴「魚河岸うおがしにおりまして」
△「魚河岸か、勇ましい所やで。私も、二十年程前に、魚河岸に二年程、いた事がある。ハヽヽヽヽ、しかし東京も随分と変りましたやろ」
鶴「随分と変わっております」
△「この町内も、変わったで、鶴さん。第一、私とてもこの通りじゃ、私の膝におりますのが、せがれの新之助の子供じゃ。新之助も、いまでは三人の子供があるのじゃ。これが、一番兄でなァ、コレ、小父おじさん、お出やすと言いなされ。ハイ、もう七ツに成ります。小父さんに、いつも唄う歌を聞かして上げ、あのソレ、なに……あの小父ちゃん、大きい、眼を開いてるさかい厭や、なにを言いくさる。鶴さん、孫が唄を貴郎あんたに聞かすちゅうてます。眼をつぶってやって下さい、孫に掛かると目も鼻もない、ハヽヽヽヽヽ。サァ、小父ちゃんが眼をつぶって下さった。早よ唄い。なんやったいなァ、鴨緑江おうりょくこうやったかいなァ、唄『朝鮮と――』か、エヽ『支那と境のアノ、鴨緑江――』かいなァ」
鶴「えらん/\。愛くるしいお声で」
△「今のは私じゃ、ハヽヽヽヽ」
鶴「こんな事でしたら、名所絵端書えはがきの一ツも買うて参りましたに、一向、存じませんものですから」
△「イヤ/\、そんな心配はいらせん」
鶴「時に、あのお町内の糸屋さんは、只今、通って参りましたら、おうちが、ゴロッと変わっておりますが」
△「糸屋さんか。あのお宅は豪い御出世じゃ。今は横町へ地所を買うて立派な洋館建て、御家族ごかない上下かみしもかけて二十七八人はござるそうじゃ。なんでも生糸相場で、シコタマ、儲けなしたのじゃ」
鶴「へエヽ、あの播磨屋さんは」
△「播磨屋さんか。向こうさんも豪い御発展で、今は心斎橋通りへ店を出してなかなか繁昌してござると聞いてます。それに引き替え、相変わらず、つまらんのはあたしとこじゃ」
鶴「阿呆らしい。これだけの店を張ってこざるのに」
△「ハヽヽヽヽヽ私は、いま隠居して、新之助にいえを譲りましたが、うちの新之助は相変わらず沈香じんこうかず屁もこかずじゃ。ただ、店を守ってるというだけじゃ、ハヽヽヽヽ」
鶴「それに、あのかど雑穀八ざこはちという米屋さんがございましたが、あのおうちは」
△「雑穀八さんのお宅か。気の毒につぶれました。もっとも両親ふたおやは死なれて、お前さんも知ってござるやろ、あの今小町と評判とった一人娘のおてるさん、いまは、見る影もない様になって、この横町の磯や裏の奥の端においでじゃ。九尺二間の佗び住居ずまいと言いたいが、まだ、それよりも悲惨な宅じゃ。畳と言うならええけど、これも名前だけ、“しん”が出て、着物は単物ひとえに、あわせ綿入わたいれに帷子かたびら、四季の着物というと体裁がええが、それが一枚の着物や。肩が袷で背中が単物、腰の処が破れて帷子のつぎが当てたる、すそが綿入れという有様。欠けた行平ゆきひらでおかゆすするのが、どうなりこうなりという様な具合や」
鶴「ヘエ、変われば変わるものですな。シテ、また、何誰どなたが、そんなになるまで潰したのです」
△「そうやな、何誰だれが潰したと、聞かれると、マァ、お前さんが潰した、と、でも言おうかなァ」
鶴「なんです」
△「潰したのは、お前さんじゃ」
鶴「なにを。オヽ、もう一遍、いって見ろ。この唐変木とうへんぼくめ、なにをぬかしやがるんだい。フン/\と聴いてりゃ、い気になって、オヽ、よく考えて見ろ……コチとら、東京へ行って、約十年になるんだ。オヽことわざにも、十年経てば一昔というんだ。その十年も、けえらねいが、どうして、雑穀八のうちを潰せるんだい。変な事を吐すと、胴手腹どてっぱらへ、風穴かざあなをあけて電車をぶち込むぞ、この茶瓶め」
△「ハヽヽヽヽ」
鶴「なにが可笑いんだい」
△「皆、逃げいでも宜しい。鶴さん、もう、言う事はそれで仕舞いか。コレ、ほかの者なら今のお前さんの権幕けんまく吃驚びっくりして逃げるか知らんが、この松家新兵衛だけは、驚かんのじゃ。お前さんが潰したというその因縁を説き聞かして上げようか。お前さんは昔からこの町内での褒め者やった。若い者に似合わん、放蕩もせず好く働く、感心な者やと、誰一人、悪う言う者が無かった」
鶴「おだてるない、この親爺おやじめ」
新「イヤ、おだてやせん。本当ほんまの話をしてますのじゃ。町内に極道息子があると、お前さんを手本として意見をする位じゃ。その内にお前さん、浄瑠璃の稽古屋入り、アハ、悪いとこへ、這入はいったなァ。あれが機会どうきで悪い友達でも出来て、極道をせな好いがなァと思うと、なかなか、身を崩さず相変わらず商売は一生懸命にやりなさる。浮いた話も聞いた事がない。ところが今でもお前さんはええ男や。まして十年前はなかなかの美男子、町内の娘が、お前さんにヤイ/\という。雑穀八の娘も、一目お前さんを見るなり惚れ込んだのじゃ。ところがある日、町内の宴会があった。他の人は宴会帰りに二次会というてどこかへ行て仕舞う。私と雑穀八とは、どちらも酒が呑めん方やで、二人連れ立って戻る道、雑穀八が私に、時に、松屋さん、うちの娘のお照に、誰ぞええ養子が有りましたら、お世話を願えませんかとの話。私も宜しい好い人が有ったらお世話しましょうと別れたが、翌日あくるひ、フト――私の胸に浮かんだのが、お前さんじゃ。そこで、お前さんの兄さんに話をした。お前さんも両親ふたおやに早よ死に別れて、兄親あにおややて、兄さんも本人さえ宜しかったらとの話ゆえ、まず、雑穀八に話をすると、あの眼鏡屋の鶴さんなら町内での褒め者、本人も堅い人やで結構。しかし、娘かなんと言うか、一度、娘に話をして見ると、自分が惚れた男、なんの不服があるものかいなァ、二ツ返事で承知する。そこで、私がお前さんを呼んで話をした。お前さん、覚えてなさるか。障子の陰で、赤い顔して、どうぞ宜しゅう、と、言いなさった事を。そこで話かまとまって結納まで取り交して、私が媒酌人で吉日を選んで婚礼となった。当日、お前さんの姿が見えんが、風呂でも行たのかいなァ、と、思うてたが九時十時になっても帰って来やせん。十二時、一時となっても姿を見せん。とうとう夜が明けるまで、雑穀八とお前さんのうちの間を何遍、行たり来たりしたか判らせん。あの時ばかりは、足が棒になったの。雑穀八は怒る、宅の養子は松屋さん、どうなったのだすとめつけられる。娘は娘で、初めての殿に嫌われたのやで、尼になると泣く。私はあの時ほど困った事はない。武士さむらいやったら、腹でも切るとこじゃ。マァマァ私か行き届かなかったんやさかい、謝罪あやよる。シテ、なんとか、話をつけると一時は納めた。その話は、町内や隣り町まで、ひろがったが、なんせい対手あいては今小町と言われる娘だけあって、養子になりたいと言う人は何程なんぼでもある。しかしどれも、これも、娘が、厭と断る。ところが、お前さんがうちを飛び出して五日程経った時分に、雑穀八のうちへ小便を汲みに来た男がある。その男が、お前さんに瓜二ツという程よう似た男、雑穀八の娘は、その男を養子に貰うてくれと言うので、段々、調べて見ると、猪飼野いかいのの百姓で相当な宅の次男じゃ。人をもって話をすると、先方も、評判の娘やて、早速に承知して養子に来た。初めの間は温順おとなしかったが、その内に悪い友達が出来て、初めは難波新地、娼妓買い、それがこうじて今日は北新地、明日は堀江、新町、松島と、金を湯水の様に使うのじゃ。それがため、雑穀八はそれを苦にしてコロリと死ぬ。続いて内儀かみさんも跡を追うと言う始末。その養子は、両親が死んだで、後は恐い者なし、日夜の放蕩三昧。とうとう家からなにまで、人手に渡って仕舞う。その内に悪い病気のある女を買うた。それが伝染うつって、とうとう梅毒が出て、腫物できものは体一面に出来る。うみがでるという有様。仕方がないで、町内へ奉加帳ほうがちょうを廻して金を集めて、お四国へ巡礼にやった。途中で死んでくれたらええものを、また、ノコ/\と帰って来た。嫁はんに手を出す。その養子の病が雑穀八の娘に伝染うつる。娘は、その病気のために頭は毛が脱けて、矮鶏ちゃぼの様な有様、実に見る影もない有様。その内に養子は死ぬ。そこで、いま、磯や裏に、おてるさんが、いるのじゃ。お前さんゆえ、初めに雑穀八のうちへ養子に行てくれたら、財産しんだいを大きうしておれ、潰す様な事はない。お前さんがあの婚礼の晩に逃げて仕舞うた故、こんな始末になったのじゃ。いわば、お前さんが潰したも同然じゃ。これでも潰したと言うのが無理か、グッとでも言うて見なされ」
鶴「…………」
薪「私の言うのが無理か。えらそうに江戸ッ子を使うて、啖呵たんかを切って。江戸ッ子を使わずに、ちょっと、小遣いでも使いなされ。どうや、グッとでも言うて見い」
鶴「グウ――」
薪「そら誰でも言えるワ」
鶴「どうですやろ。物は相談ですが、その雑穀八の娘さんがいる磯や裏へ養子にお世話を願えますまいか」
薪「お前さんも物好きな人やなァ。以前と違うて、美しい事は無いぜ。先も言うた通り、病気やぜ。毛もけとるし随分と見にくいぜ」
鶴「イヤ、そら承知です、病気はなおします。毛の脱けとるとこは、青菜と米を食わして、日当たりのええとこへ囲います」
薪「まるで、鶏じゃがなァ」
鶴「貴郎あんたに、先程から言われて見ますと、私に責任ある様に思いますで、私が養子となって、以前の雑穀八の様には行かいでも、せめて半分位にでも、して見たいと思いますで」
薪「よい心掛けじゃ。鶴さん、それでは、先方へ話をする」
 と、話をすると、なにしろ、惚れてた男ですから、厭も応も無い。
お照「こんな汚ないとこでも宜しかったら」
 と、話が出来ました。
鶴「松屋さん、ここに三百円ございますで、私が店の一ツでも出せるまで、お預かり願います」
薪「ハイ宜しい。確かにお預かりしました。貴郎あんたは感心な人じゃ。私は、まだ、東京へ行た事は無いが、私は東京というとこは年中、暑いとこかと思のじゃ。それが、証拠に、この町内から沢山、若い者が行くが、行きしなは立派に着飾ったり荷物を持って行くが、帰りは大抵、皆、裸で帰って来るで、年中、暑いとこかと思う。ハヽヽヽヽ。その生馬の眼でも抜く東京で三百円も残して来るとは、偉い人じゃ。それでは鶴さん、雑穀八の家を起こしてやっとくれ、頼みますワ」
 これから鶴さん、養子になって働くの働かんので、夜の目も寝ずに働きます。朝は五時に起きて市中を歩いて紙屑や縄拾い。紙屑は屑問屋へ売る。縄は、こまかく切って左官へ壁のスサに売る。正午ひるに帰るなり、漬け物と昆布巷こぶまきを売りに行く。夕方には「刺身」と、一廻りして来る。帰ると「夕刊々々」と新聞を売る。九時頃から「うどんや、そばウーイ」と夜泣きうどんに出る。その間には「焼き栗々々丹波の栗で、クリ/\/\」と季節的の物を売る。夜の十二時頃には帰って来て寝るかと思いますと、なかなか、飯を掻き込むなり夜警に行く。演者あたし見た様な胃下垂病いかすいびょうの者やったら、とても出来ません。御飯を頂くのに、時間も掛かりますので、頂いたらぐ働いたら毒やと言うので一時間程は一服します。これでは、とても財産しんだいは出来ません。なにしろ、鶴さん一生懸命に働いて三年程の内に大分とぜにを残しました。そこで松屋に預けたる三百両を合わして、小さな米屋の店を開きました。商売はなかなか旨いもので、勉強を致します。その内、堂島へ(相場)手を出しました。買う、上がる、売る下がるという調子で、なんの事はない、百貨店でぱーとのエレベーターの様で、ウンと財産しんだいが出来まして、前の雑穀八よりは大きう成りました。そうなると、前の養子が売った場所を、話して、また、買い戻し、借家が建って住んでる人にも訳を言うて、立ち退き料を出して、その跡へ立派ないえを建て、店へは米搗臼こめつきうすの三十台も据え、電気モーターで、米を搗いております。若い衆も三十人程も置いて、自分と言いますと、なかなか、大店おおみせあるじという様な顔もせず、若い者と同じ様に働いてます。なにしろ注文で朝から電話のベルが鳴りづめ、
店員「モシ/\、ヘエ/\、毎度、有難う存じます。ヘエ/\承知いたしました。直ぐ持って参ります。左様なら。オイ、高田屋さんが一石、直ぐに持って来てくれと」
甲「御免、大和家だすが五斗」
店員「ヘエ、承知致しました。直ぐ配達致します。毎度どうも有難う」
下女「お米やはん、横町の伊勢屋から来ました。二石直きに、昼、焚くお米がおまへんさかい」
番頭「宜しゅうございます、只今、直ぐに」
○「御免」
店員「ヘエー」
○「お米を五石、直ぐに持って来とくなはれ」
店員「ヘエ、宜しゅうございます、何誰どなたさんで」
○「落語家はなしかの染丸だす」
店員「ヘエ、オイ、落語家はなしかの染丸て判ってるか」
店員甲「染丸のうちは判っとる、粉浜こはまや。何程なんぼ、持って行くのや。ヘエ、五石、そら、あかんで」
主人「染丸か。あいつ、俺は好きや。贔屓にしてやってる。何程なんぼや、五石か、十石持たしてやれ」
 コラ、私の付け日でやすけど、鶴さん、二代目雑穀八となって、働いてます。そうなりますと、また、出入り商人が沢山参ります。
商人「ヘエ、今日は、毎度どうも」
主人「何誰どなた
商人「ヘエ大丸で」
主人「アハ大丸か。うちの奴が待ってたで、奥にいる」
 奥では、お照さん、いまでは、病気もなおり、まげ丸髷まるまげの一番に結うて台所廻りを指図しておられます。
お照「どなた、大丸さん、過日せんど、頼んでおいた、旦那はんの羽織があったの」
大丸「先達せんだってのは如何いかがで、随分と渋い柄ですが、一梱ひとこおりの中でようよう、一反あったのを持って来たのだすかい」
お照「そうか、それならあれを仕立て貰おか。寸法を間違さん様に。うちの旦那はん、東京に永らくおられた人やで、仕立て、随分と矢ヶ間敷やかましいで、その心算つもりで」
大丸「ヘエ、承知いたしました」
乙「ヘエ、御寮人さん、今日は。毎度有難う存じます。尚美堂しょうびどうで」
お照「尚美堂はんか。この間、注文して置いたダイヤ、まだ無いか」
乙「ヘエ、この間の、三千五百円ではお気に召しませんか」
お照「あんな小さいのは厭、せめて二万五千円位の」
乙「ヘエ、来ましたら、直ぐに持って参ります」
お照「お愛想にするのやさかい、かんざしの、あまり好いのはいらへんで、持って来て」
乙「宜しゅうございます」
 えらい勢いで、後へ参りましたのが、魚喜うおきという魚屋、この男も永らく東京の魚河岸におりましたので、この鶴さんに可愛がられて出入りしております。
魚喜「ヘエ、毎度、どうも」
主人「魚喜か、なんぞ、有るか」
魚喜「ヘエ、大きない鯛が有りますので、お宅を当てにして持って来ましたので」
主人「よし、奥へ持って這入はいって三枚におろして中身にちょっと肉を余計につけて。若い者に、汁にして喰わしてやろうと思うで」
魚喜「ヘエ…………おいえ、毎度」
お照「魚喜さんか、大きな鯛やなァ。それ、どないにするのや」
魚喜「ヘエ、いま旦那はんが三枚におろして、汁にして若い者に一杯飲ましてやると言われたので、これからちょっと、料理しますので」
お照「アハ、今日はせんの仏の精進日しょうじんびやの、旦那はんは御存じや無いさかい。持って帰り」
魚喜「ヘエ」
主人「なんや魚喜、料理をしやへんのか」
魚喜「ヘエ、いま、料理をしようと思いましたら、御寮人さんが、今日は先の仏の精進日やさかい持って帰れと言われたので」
主人「なに、先の仏が精進日、うちの奴がなんと言おうとも、かまやへん。俺が喰のやさかい持って這入はいれ」
魚喜「ヘエ」
お照「オヽ、イヤ、また、魚喜さん、持って這入って来たわ。今日は精進日やと言うてるが、判らんか。持って帰りなはれ。汚な。料理をするなら、して見なはれ。その代わり、毎月のうち一統いっとうの焼き物はほかへ注文するさかい」
魚喜「ヘエ、持って帰ります、焼き物をほかへ注文されて堪るものか……」
主人「魚喜、また、持って出たな、売らへんのか」
魚喜「売りますのやけど、お寮人が、料理するならして見い。その代わり毎月の焼き物、外へ言うと言われますので」
主人「かまはん。料理せい。せなんだら出入りをとめて今月の払いも払わへんぞ」
魚喜「します……出入りとめられたら、堪りますかいなァ。しかし、こうなったら難儀やなァ。旦那の方は料理せいと言うし、中へ這入って……」
お照「オヤ、また、持って這入っ来た。おきよ、魚喜に頭から水を浴びせなはれ」
魚喜「フワ――」
主人「なんや。また、持って出て来た」
魚喜「お寮人が持って這入ったら、水を頭から浴びせると」
主人「ヨシ、俺と一緒にお出で」
魚喜「ヘエ、もう、手鍵てかぎを掛けるとこがないワ。出たり這入ったりしたもんだすさかい、鯛の頭、穴だらけや」
主人「オイ、お照」
お照「ハイ……」
主人「俺はここの何や。奉公人か」
お照「薮から棒に、なにを仰りますので。貴郎あんたは御主人だすがなァ」
主人「スルと、主人が鯛を料理せいと魚屋に言えんのか」
お照「そんな事はあらしまへんけど、貴郎あんたは御存じやござりませんけど、今日は先の仏の命日で精進日に当たりますさかい」
主人「ハァン、先の仏。先の仏の命日やと、俺が精進をせねばならんのか。オイ、先の仏に雑穀八はどれだけ恩があるのかい。雑穀八のいえを潰した仏やないかい。オイ、お照、三年前の事を忘れやがったかい。あの磯や裏の汚い露路ろうじに住んで、矮鶏ちゃぼの様な頭をさらして、欠けた行平ゆきひらでおかゆすすってた事を。そんな有様になったのも先の仏のお蔭じゃ。ソレに精進日や、なにが精進日じゃ。魚喜、料理せい」
お照「貴郎あんた、別に前の事までおっしゃらいでも宜しいやござりませんか、ウワヽヽヽヽ。(泣く)差し向かいならまだしも、大勢、奉公人や出入りの者がおります前で、ウワヽヽヽヽ、そら、貴郎がおあがりになりますのですさかい、喰べるとさえ言うて頂いたら、料理さしますもの。ソラ、あたしも悪うございましたけど、別に昔の恥までおっしゃらいでも、ウワヽヽヽヽヽ。別に貴郎を是非とも、うちへ養子に来て下さいと頼んだものでもなし、貴郎が、酔狂でお越しになったので」
主人「なに、酔狂で養子に来た。おのれ」
魚喜「待った/\マァ/\、もし、喧嘩して貰うのは……マァ/\待った。御寮人さん、逃げなはれ。痛い/\、そら私の頭や 旦那、お腹も立ちますやろが、マァ/\魚喜に、免じて。御寮人さん、貴女あんたが悪うおます、あんまり、せんの仏/\と言いなはるさかい、ソレ『今の仏』の気にさわったのだす」





底本:名作落語全集・第一巻/開運長者篇
   騒人社書局・1929年発行

落語はろー("http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/")