夢分限(ゆめぶげん)
八代目桂文治
世の中が進むに従って、様々な珍しい物が出来ました。飛行機や
潜航艇の如き物は言うまでもございませんが、活動写真や、蓄音機なども昔の人の思いも依らなかった所でございましょう。それから起きている者を
睡らせると言う催眠術、これなども不思議の一つでございましょう。ところがここにすこぶる不思議な商売が出来ました。何だと言うと
夢屋、どんな事でも望み通りの夢を見る事が出来ると言うので、大層繁昌を致します。構造は和洋折衷で、ちょっと見ると写真屋のような体裁、正面の扉を開けて入ると、
上草履が
列んでいて、
直ぐ脇に応接間があり、正面には手摺付きの梯子段がございます。
○「
今日は」
威勢よく入って来たのはお職人で、
何処かで
飲って来たと見えて、顔は真っ赤で目はトロンとしている。取り次に出ましたのは店員ですが、立派な洋服を着ております。
△「ヘエいらっしゃいまし、何か御用でございますか」
○「
私はね、友達に聞いて来たんだが、お前さん所で夢を売るそうだから、買いに来たんだ」
△「オヽお客様でいらっしゃいますか、それはどうも、お
見外れ申しました。サァどうぞその上草履をお
穿きになって、お
昇りを願います。サァ/\
此方へ/\」
○「アヽここで夢を売るんですかい」
△「イエ
此方は応接間で、夢を御覧に入れるのは別の
室がございます」
○「ヘエー、何にしても
綺麗だね」
△「どうも恐れ入ります」
○「オー、大変枕が
列んでるね」
△「これは夢の見本でございます」
○「夢の見本……」
△「この枕をなすってお
寝みになりますと、どんな夢で思う通りの事が御覧になられます。
称えて
邯鄲夢の枕と申します」
○「アヽこの枕をして寝ると、思う事が夢に見られるんですかい。成程、いろいろな枕がありますね。こりゃァどの枕でもいいんですかい」
△「イエその
紋によって夢は皆別々でございます」
○「アヽ成程……、ここに役者の紋が付いてるのがあるね」
△「ヘエ、それはお芝居の夢でございます」
○「芝居の夢が役者の紋か、成程な。こっちにある三味線の付いてる枕は」
△「それは
不見転芸者の夢でございます」
○「アッハヽヽヽ
洒落てやがるな、……
軍配団扇は何だい」
△「お相撲の夢でございます」
○「この
扇子の付いてるのは何の夢だ」
△「それは
落語家の夢でございます」
○「成程、
此奴ァなかなか面白いや」
△「時に
貴郎は何の夢が御注文でございます」
○「どうもソウ改って何の夢を御覧になると聞かれると、少し
体裁が悪いな」
△「何でも
貴郎の見たいと仰るものを御覧に入れます」
○「弱ったなァ
此奴は、黙ってちゃァ分からねえかなァ」
△「黙っていらしっちゃ分かりません。何にも
体裁の悪い事はございません。随分いろいろな事を仰る方があります」
○「そうかねえ。それじゃァ言うけれどもな、実ァ俺やァ金持ちになりてえんだ。ト言ったって、何だぜ、決して欲張る訳じゃァねえや、全体世の中の金持ちなんてえ物は、自分ばかり贅沢をしやがって、威張り散らしゃァがって、貪乏人の事なんか
些とも構やァがらねえ。それが
癪に
障って仕様がねえ。だから俺が一ツ金持ちになって、貧乏人に施してやって、世間の金持ちにこうするもんだと教えてやりてえと思うんだ」
△「結構な思し召しで」
○「結構な思し召たって、それが出来る位なら何もこんな
家へ来やァしねえがな。とても出来ねえ相談だ。仕方がねえからマァせめて金持ちになった夢でも見て、気を晴らしてえとこう思うんで、それからやって来たんだ。どうかマァ金持ちになる夢を見せて貰いてえ」
△「アヽ左様でございますか、それではこの枕をして
寝みになりますと、金持ちの夢を御覧になられます。つきましては、
夢見料を
頂戴致します」
○「アヽ夢見料、
木戸銭を先へ取るのかい」
△「へエ木戸銭と言うのは
可笑しゅうございますが、先へ戴いて置きませんと、
外の売り物と違いまして、品を取り返すという訳にも参りませんから、マァ
貴郎方に限って、そんな事をなさる気遣いはございますまいが、随分世間にはこんなつまらない夢は入らないなどと仰る方がございますから、それゆえ
前金に頂戴致します」
○「成程、
小便をする奴があるんだね。夢を見て小便かするんじゃァ
真正のこれが寝小便だね」
△「恐れ入ります」
○「幾らだえ」
△「三円頂戴致します」
○「三円てえなァ高えな。ちょっと夢を見るだけで三円かえ、高えなァ」
△「イエ、実は五円ですけれども、御近所の方で御顔を存じておりますから、特別に割引を致して置きます」
○「ヘエ、割引をして三円ですかい、こりゃァどうも驚いた。マァいいや、仕方がねえ、
入ったものを今更出る訳にもいかねえ。……サァ三円」
△「有難うございます。お受け取りはお帰りの節差し上げます。それでは
此方へいらっしゃいまし」
案内されたのは立派な寝室、
寝台があります。
△「サァこの上へお
寝みなさいまし」
○「アッ、ここへ寝るんですかい。成程この寝台の上で、こんな立派な枕をして寝りゃァ、モウ夢を見ねえ内から金持ちになったようなものだ。成程この枕には
小槌が附いてるね」
△「サァどうぞ御ゆっくり」
○「じゃァお前さんは行っちまうんですかい」
△「ハイ、二時間ばかり経ちますとお迎いに参ります」
○「そうですかい、じゃァ
何分……アヽ行っちまったな。どうだいマァ綺麗な部屋じゃァねえか、真ん中に
寝台があってよ、まるで華族様になったようだな。この枕をしてこの寝台の上に寝りゃァ死に心がいいや……、アヽ
快い心持ちだ。
家で煎餅布団に
包まって寝るのと、大変に違う、何だか
身体が宙に浮いてるような
工合だな」
愚図々々言っている内に、お酒が充分廻っでいるから、グーッと一寝入り……寝たかと思うと
内儀さんが、
女房「モシお前さん/\」
○「何だ/\、何だ」
女「何だじゃァないよ、起きておくれよ」
○「何だ」
女「何でもいいから起きておくれッたら、大変なんだよ」
○「ナニ大変だ」
女「アヽ大変だから早く起きておくれよ」
○「火事でも始まったか」
女「何を言ってるんだね。
確りおしよ」
○「どうしたんだ」
女「
外じゃァないが、裏の松の根っこをね、お
隣家の
斑犬が、クン/\言いながら掘りっ返していたと思ったら、ワン/\
吠え出したじゃァないか」
○「それがどうしたんだ」
女「それから私が行って見ると大変なんだよ」
○「何が大変なんだ」
女「マァ何でもいいから、ちょっと来て御覧よ」
○「行くよー、そう引っ張るない。どうしたってんだ」
女「あれを御覧」
○「ウン成程、犬が根っこを掘ってるな」
女「何が見えたえ」
○「何が見えたって、それだけ見えたんじゃァねえか」
女「よく目を
明いて御覧よ」
○「何だかまだ
判然目が覚めきらねえんだ……ヤァこりゃァ大変だな。松の木の下から
紙幣や金貨や銀貨がポン/\飛び出しゃァがる。俺があんまり金持ちになりたがったものだから、天が
憐れんで授けてくれたんだな。
此奴は有難えや。サァ/\何だ、何を持って来い、何を」
女「何ッてえのは何さ」
○「何でもいいから、あれを持て来てくれ」
女「何をさ」
○「何だったらよ、
自烈てえな」
女「私の方が
自烈たいよ」
○「ソレ、アノ、ク、
鍬だ/\」
女「鍬なら鍬と早く言えばいいじゃァないか……サァ持って来たよ」
奴さん手拭いで鉢巻をして
鍬を取ると一生懸命掘り始めた。
○「コウどうでえ、こないだから
諸方に
古金が出たなんて話があったが、まさかにこんなに沢山出やァしねえだろう。どうだいマァ掘れば掘るほど出るぜ。ただこう掘り出してたって仕様がねえ、早く入れ物を持って来ねえ、何でもいいや、
芥取を持っ来い。サッサと持って来なくっちゃいけねえ、
手桶でもバケツでも何でも構わねえ……ソレよ/\ドッコイショ、サァそれを持ってって座敷へあけて来るんだ。構わねえよ、ゴッチャだって、
後でチャンと分けるからいいやな。これっぱかりじゃァねえ、
米櫃を持って来い。それから何だ金貨は米櫃に入れろ。ナニ米を入れるのに困る、いいやな、米櫃なんか金せえありゃァ幾らでも買えるんだ。ア結構々々、しかしこれァ際限がねえや、
身体がヘト/\になっちまった。仕方がねえから、土を掛けて置いて、また
失なったら掘り出すとしよう……。これァどうも驚いたな。
坐る所もねえや、ヤイ/\何だって
紙幣を踏んで歩くんだ。
勿体ねえじゃァねえか、そこへそう積み上げろ。これから一ツ
紙幣や金貨や銀貨を別々に
撰り分けなけりゃァいけねえ。アァガッカリした。なにしろこう金が入っちゃァこんな汚ねえ
家にも住んでいられねえな、一ツ
何所かへ引越さなくっちゃァいけねえ。着物も何だ。
明日にも三越へ行って、スッカリ買って来よう。それから何だな、これからはモウ何にもしなくったっていいんだ。毎日
美味え物を食って、芝居だの寄席を遊んで歩こう。一ツ伊勢参宮から京大阪を見物して来よう。ついでに朝鮮から支那の方へ行って見よう。とにかく何だ。出来たての金貨だから、神棚へ一掴み上げてくれ……。ソレまたを
紙幣を踏みつけやがる。……ナニ、金貨や銀貨ならいいけれども紙幣は邪魔だって、何を言ってやがるんだ。ねえ時の、事を
考えろ。煮豆を一銭買いに行った事を忘れちゃァいけねえ。邪魔だなんて
勿体ねえ。貧乏人にくれてやりゃァ、
喜ばァ。けれども
真正に
快い心持ちだな。酒なんか何だぜ、一々買いに行くなァ面倒だから、
二樽でも
三樽でも積んで置く方がいいぜ……。ナニ邪魔だから一樽ずつ取ればいいって、そうか。それから煙草は何だ、百円
紙幣を持ってって、
金口の煙草を、それだけ買っといてくれ……、ナニそれも百円じゃァ多過ぎる、そうか。けれども金がこんなにあって仕様がねえんだからドン/\使わなくっちゃァやり切れねえからな。煙草の事だから、パッパと人にくれてやってもいいぜ。それでマァ大きい
家へ引き移るとしても、いろいろ荷物がなくっちゃァ
外見ねえな。それからまた道具だな。新しい物ばかりじゃァ
豪い人や何か客に来た時に成金だと言って馬鹿にされるからな。美術倶楽部辺りへ行ったらまた何侯爵だとか何子爵なんて肩書き付きの道具屋が出ているだろうから、何でも古そうな物を沢山買い込んで来るんだ。それでマァ
掛軸や道具はよしとして、どうも床の間に花が
活かってねえといけねえな、と言って
彼奴ばかりは習わなくっちゃァいけねえ。俺はあんな物を習うなァ
厭だ。お
前習いねえ。そうよなァ、アヽ何だ、今村さんの奥さんの所へ行って教えて貰え。
汝見たような覚えの悪い人間は仕方がねえから、絵を描いて貰って来い……。待て/\表で御免々々と言ってるぜ。誰か来たようだ。マァ待ちねえってことよ。今までたァ違うんだ。
今日からは金持ちの
内儀さんじゃァねえか。そうピョコ/\飛び出しちゃァいけねえ。こうなると是非女中が二三人入り用だな。女ばかりじゃァまた出来ねえ仕事があるから、男も二三人置こう。と言った所で今急の間には合はねえ。お
前が出ちゃァいけねえし、俺が出てもいけねえよ。お前が出られず俺が出られず、そうかって出ねえ訳にもいかねえ。それじゃァ仕方がねえ、俺がちょっと出て様子を見るから、お前は引っ込んでねえ。いいか、出て来ちゃァいけねえぞ。……アヽお出で、
何誰ですか、
何方からお出でになりましたか」
甲「ハイ、
今日は、御主人は御在宅でございますか」
○「ハァ、お前さんは
何方からお出でですか」
甲「私は孤児院から出ましたが、御当家の御主人は大層慈善家と言う事を承りまして、是非
若干かの御寄付を願いたいと存じまして上がりました」
○「孤児院、アヽそうか。
女房孤児院が来たよ。世の中は恐ろしいものだなァ、これだから
盗賊がドン/\
殖るんだ。今、金が出来たばかりだ。金が出来て物の二時間経たねえ内に、モウ寄付をしてくれと言って来やがる。せっかく金が出来ると、慈善だの何だのと言って責めやがる。これじゃァお
堪り
小法師があるものか。金のねえ時分はともかくもだ。こう金が出来て見りゃァ、一文だって只人にくれるのは
厭になった。慈善なんてえ事は大嫌えだ。せっかくだけれども寄付なんてえ事はお断りだ。駄目だよ……。何と言っても駄目なんだから、
帰んねえ/\……。オヤまた誰か来たぜ。こりゃァいらっしゃいまし、
何方から」
乙「僕は
水災救済会ですが、大層御当家の御主人は財産家でかつ慈善家だという事を承りましたのて伺いましたが、我が日本は御承知の通り、四面海を以って囲まれており、従って海上の災害が最も多くございます。それにつきまして我が水災救済会は……」
○「オイ/\モウ沢山だよ、話は分かってらァ、寄付をしてくれってんだろう」
乙「左様で、どうぞ御同情を以ちまして」
○「いけねえや、冗談言っちゃァいけねえ。俺だってお
前随分これて貧乏をして暮したんだ。それだってお前誰一人金をただくれたものなんざァありゃァしねえぜ。それが今度金が出来たからって、そう責められちゃァやり切れるもんじゃァねえ。寄付だの慈善だのてえ事は
一切お断りなんだ」
乙「そうでもありましょうが、とにかく国家のためでありますから」
○「何のためだか知らねえが、家じゃァ寄付なんかしねえ事に
極めてあるんだから、サッサと
帰ってくんねえ……。アッハヽヽ、怒って行っちまやがった」
丙「御免下さいまし」
○「オヤまた何か来たぞ、
蒼蝿もんだな、金持ちと言うものは……。ハイお出でなさい」
丙「
外ではありませんが、私は区役所から参りましたが、このたび日本婦人会で会員を
殖すにつきまして、どうぞ御当家でも御賛成を願いたいと存じまして」
○「婦人会、やっぱり
入りゃァ、銭が要るんだろう」
丙「左様で、会員には特別に普通とありまして」
○「オットット、そんな事を話さなくったっていいや。どうせそんなものには入らねえんだから。
第一家の
内儀さんは人の大勢いる所へなんぞ出せるような女じゃァねえ。そんな事はお断りしますよ」
丙「そう仰らずにどうか御入会を願いたいもので。私は区役所から参ったのでありますが」
○「
何所から来ても駄目だよ、お断りだ/\……」
丁「御免下さい」
○「オヤッ、また来やがった。どうもこうやって来られちゃァやり切れねえな。
何誰で」
丁「僕は慈善病院から参りましたが、
若干かの御寄付を願いたいと存じまして」
○「女房また寄付だとよ。
蒼蝿って仕様がねえじゃァねえか」
女「そうお前さん見たようにポン/\言って、恐いよ」
○「何を言やがるんだ、
些とも恐え事ァねえじゃァねえか」
女「ダッテ皆な洋服を着て髭を
生やしているじゃァないか」
○「髭の生えてるのが怖くっちゃァ、猫の
面も見られねえや。
先方は寄付をしてくれってピョコピョコお
低頭をして来るんじゃァねえか。
此方は寄付をしようがしめえが大威張りだ。つまり洋服を着た乞食見たようなもんだ」
女「あんな立派な乞食があるものじゃない」
○「高等乞食だよ」
女「高等乞食なんてえのがあるもんかね」
○「マァ何にしろお断りしましょう」
丁「ハァ」
○「せっかくだけれどもお断りにしましょうよ」
丁「ハイ」
○「そう言う事には
鐚っ欠け一文も出せませんよ。モウ
家では慈善なんかには一文も出さねえ事に
極めてるんだから」
丁「アヽそうでしたか。
出来ないなら出来んでもえいでしが、御主人少し言葉が
違やァすませんか。我輩の事を髭を生やすて洋服を着ている乞食じゃ、高等乞食じゃちう言いなしったが、
些す言葉が過ぎやァせんでしか。
第一貴所方はこういう豊かな生活をすていられる上は、もはや別に何も
心配もない、誠に幸福な人でありましによって、その小遣いの内の一部分を
割いて、その日の生活に困っておる者が、病気などに取り付かれ、薬を
服みたいが買えない、医者に掛かりたいが
銭がないと言う者を救っておる、我が慈善病院の
企図を賛成をすて、どうぞ……」
○「何を言ってやがるんだ、
蒼蝿や。どんなに髭を生やしていたって、洋服を着ていたって、銭を貰いに来りゃァ乞食に違えねえや。
扮装だけ綺麗だから高等乞食と言ったんだ。それがどうした」
丁「モースー
貴郎、
卑すくも慈善事業のために働いておる我輩をでしな、高等乞食とは何でしか、アーモース」
○「何でえ、頭の
頂天から声を出しやァがって
巫山戯た事を言うな」
△「モシ/\モシッ」
○「
蒼蝿え」
△「イエ
蒼蝿じゃァございません、お目覚めになりましたか」
○「アッ、アッ、アーッ」
△「
貴郎お目が覚めましたか」
○「アヽ
好い心持ちだ……。オヤッ、お前さん
何処の人だえ、何処の慈善病院だい」
△「へエッ」
○「
何処の慈善病院から来たい」
△「イヤ、まだお目が覚めませんですか。私は夢屋の店員です」
○「エッ、夢屋の。アヽ成程、そうか、夢か、違えねえ、夢かねこりゃァ」
△「よろしい所を御覧になりましたか」
○「よろしい所……アヽ
失策た。夢なら少しは慈善をして置きゃァよかった」