茶の湯(ちゃのゆ)
五代目蝶花楼馬楽
随分昔地方から
無一物で江戸へ出ておいでなすって、一心に稼ぎ、それから
資本をこしらえ、運に
叶って、巨万の財産家とお成りなすった方が沢山ございました。そういうお方は、物心覚えてから、年輩になるまで、
粋なことも知らず、
洒落たことも知らず、贅沢は
素より、何一つ楽しみはなさらず、稼ぐより
外に能がないという。こういう御方がお年を
老て、いよいよ御子息に
御身代を譲って、御自分は御隠居を遊ばす。その息子さんは江戸っ子でございますから、贅沢も風流も、何でも御存じでございまして、
根岸に別荘がございます。これは去る
大家の別荘を居抜きのまゝお求めになり、スッカリお手入れをなすって、
折節それへお
出でになりまして、
御客をいたし、あるいは茶でも
點ってお楽しみになる。ところが親父さんはこれまでお勧め申してもなかなか店の方を心配して別荘などへお出でにならなかったが、モウ隠居をなすってみればその苦労は
要らない。ゴタゴタしたところにいるよりはと、御子息の勧めにようやく
得心して気に入りの小僧さんを一人連れて御隠居は根岸の別荘へ参りました。実に結構なお
住居、その結構な造りも、上等なお庭も、お茶器の
好いのも、御隠居には更に分かりません。何百円する
器も、五十銭か六十銭て買える品と、同じように思って
在っしゃる。何にいたせ、退屈で致しかたがございませんので、ある時お茶室へ入ってみると、お
水屋が片付いてチャンと飾りつけも出来ております。
水屋瓶には、水がいっぱい盛ってございまして、
薄茶器にお茶碗、
茶筅、
茶杓なぞが並んでおりますから、
隠「ヤア
種々なものが、ここにあるな。
倅がよく、茶の湯をするというが、これだな。何だかエタイの分からないものがある。なんだ、妙な小汚い茶碗、これはなんだ、竹の
箆みたようなもの、ざさら見たようなもの、これで掻き廻すのか。俺はこんなものに
頓と出合ったことが無いが、面白いものがあるな。小僧の
定吉は
倅の供をして出掛けるから、見て知っているだろう、一つ小僧に様子を聞いてみよう」
と、それから小僧の定吉をお呼びになりました。
定「旦那、御用でございますか」
隠「ウム、別に用でもないが、この茶室は、なか/\結構だな」
定「ヘエ、結構なお茶室でございます」
隠「これは何という戸棚だ」
定「ヘエ、それはお水屋というのでございます」
隠「水屋、
種々な道具が
列んでるな」
定「ヘエ」
隠「貴様茶の湯に出会ったことがあるか」
定「ヘエ、若旦那のお供をして
度々お茶の湯に
出会しましたが、私はお座敷へは
這入りません。
何時も覗いておりますんで……」
隠「面白いものか」
定「ヘエ、なかなか面白うございます。第一お菓子や何か召し上がりまして、
時分どきには、お会席で
御飯をあがって随分
良いお遊びでございます」
隠「会席を食わせる。それは面倒な遊びだな。菓子ぐらい食わして、茶の遊びをしてもいいが、確か青い粉みたいなものを入れて、湯を
注いで、掻き廻すのだといったな」
定「ヘエ、なんだか変な粉を入れて掻き廻して
在っしゃいます。旦那は茶の湯を
些とも御存じないんでございますか」
隠「ウム
全で知らないことはない。幼少の折に習ったが、
頓と今では忘れてしまった」
定「ヘエー、妙でございますな。若旦那の仰っいましたには、何でも、子供の時分に学んでおいたことは、
何歳になっても忘れないと……」
隠「マア、それはそうだ。がしかし俺のは、
些と子供過ぎたから」
定「ヘエー、それでは、お
何歳の時に」
隠「三つの時だった」
定「じゃァ、赤ん坊の時でございますな」
隠「それだから、スッカリ忘れてしまったのだ。一つ今日、お前と
両人でやってみようと思う」
定「それは結構でございますな。ですが、お菓子がございますか」
隠「ナニ菓子か、それは
此間貰った
羊羹がある。アノ羊羹を一つ切ってやろう」
小僧が早速菓子
鉢へ羊羹を
杉形に切って持って参りました。お炭のつぎようも何も存じません。ただお風呂へ炭を入れ、お釜へ水を入れまして、火を入れて、パッパと
煽いだから、たちまちお
沸がつきました。
隠「湯は
沸いたが、茶はどうするんだな」
定「左様でございます。いづれお茶を入れるんでございます」
隠「茶を
焙じて入れるのか、どうするんだ」
定「そりゃァ私も、よくは存じません。覗いてみていたばかりですから、どういう加減にするのか分かりませんが、多分お湯の中へ
打ツ込んで、そうして
禁厭に青い粉を入れて、ドロ/\にするんでございましょう」
隠「そうかな、やっぱりアノ番茶を釜の中へ入れて、グラ/\
沸たゝせたらよかろう」
定「それがようございます」
隠「その青い粉てのは何だ」
定「何だか、見れば分りますから、私が買って参りましょう」
隠「貴様知ってるなら、買って来てくれ、その間に俺が番茶を
焙じてよく煮くたらかしておくから……」
定「ヘエ、それでは、お
銭を下さい……」
やがて小僧が、出掛けて行きまして、
乾物屋、
青黄粉を買って参りました。
定「旦那、これでございます」
隠「ハアなるほど、青い粉、これは何だ」
定「
青黄粉でございます」
隠「ウムこれで、俺も思い出した。
幼さい時に習ったことは忘れないな。
伝授に書いてあった。
一、
青黄粉入れべし、ということが書いてあった」
定「ヘエー」
隠「マアその粉を
容器へ入れなさい」
定「じゃァその
棗をお取んなすって下さい」
隠「
棗とはどれだ」
定「その塗ってある
円いもので、お水屋の棚にございます」
隠「この
印籠の
膨れたようなものか」
定「左様でございます」
やがて茶器へ、青黄粉を入れましたが、ちょっと見ますと、実に結構なお
薄茶のように見えます。水こぼしもあり、
柄杓、
茶筅、お茶碗、
替茶碗等も揃ってございます。
刷毛目の
薄茶茶碗を持ち出して、グラ/\
沸たっている湯を、それへ
注ぎまして、例の青黄粉を入れて、
隠「これで掻き廻すんだな。妙なさゝらみたいなもので」
定「それは、
茶筅というもんでございます」
隠「アーそうか」
と
無暗に掻き廻したが、泡が
一向立ちません。
定「どうも旦那、
訝しゅうございますな。掻き廻して泡が立たなくっちゃァいけません。こんな
変梃なもんじゃァありませんよ」
隠「そうだな。これはまだ伝授があるんだ」
定「アッ、モウ
一品落ちました。分かりました。私が買って参りますから、お
銭をモウ少し下さいまし」
また小僧が、乾物屋へ行って
椋の皮を買って参りまして、
定「旦那、これをお釜の中へお入れなさいまし」
隠「ウム、なるほど
椋の皮か。これなら泡が立つ。そういえばこれも伝授に書いてあったよ。
一、泡の立つ
伝、
椋の皮を入れべしと書いてあった。このまま入れようか」
定「ヘエ、お釜へお入れなさい」
釜へ入れてグラ/\、煎じましたから、スッカリ泡が立ちました。
定「旦那、その
茶杓というもので青黄粉をお入れなさい」
いい加減に青黄粉を入れて、
沸たっている
椋の皮と番茶の煎じたのを入れて
茶筅で掻き廻したから、茶碗いっぱいに泡が立ちました。
隠「ヤア恐ろしい泡だ。
巧くいったな」
定「大変に大きな泡ですな。若旦那のお師匠さんのなすったんでも、こんなに大きかァございません。もっと小さい泡です」
隠「そりゃぁ馴れると巧くいくが、久しくやらんもんだからな、マアこれで我慢して貴様から
呑れ」
定「ヘエ有り難うございます。どうか
羊羹を一つ頂きます」
隠「沢山食べろ」
定「これはマア、旦那あなたから召し上がりましな」
隠「イヤ先へ、いっぱい、貴様
呑め」
定「マアあなたから」
隠「遠慮せずとお前呑めよ」
しかたがない、小檜欲張って、羊羹を
三切と
食ってゴックリ一口呑みますと、
椋の皮の煎じたのに、青黄粉、それへ番茶の
匂いがして、イヤどうも呑まればこそ。けれども小僧なかなか人が悪いから我慢をして一ぱい呑んでしまい、
定「大変結構でございます。サア旦那お
呑んなさいまし」
御主人もやってみたが、更に
好味とは思いません。口直しに羊羹を召し上がって、小僧を相手に、
図らず楽しみをいたしたが、さて人間用のないのも退屈なもので、こんな事でもやるのが
日暮しでございます。毎日小僧を相手に青黄粉を掻き廻して、楽しんでお
在なさる内に、段々馴れて参りまして、御隠居も、小僧さんばかり相手では少し
興が薄い。それには多少自慢も出て来ましたから誰か客が来たらば、呑ましたいと思っておりますが、誰も見えません。
御地面内に
家作が三軒ございまして、その一軒が豆腐屋で、一軒が手習いの師匠、一軒が
鳶の
頭でございます。根岸もまだ今のように開けない時分の事ゆえ、
棟が別で野広く
住っております。この人達を、呼んでやろうというので、三軒の
家へ、案内状を出しました。ところが豆腐屋の亭主がこの手紙を見て驚いて、
豆「オイ
女房、大変な騒ぎが出来ちまった」
女「なんだい大変な騒ぎッて、
店立てでも
食わすというのかえ」
豆「店立てじゃァねえが、マア/\店立てて同様、
厄介なことをいって
遣したんだ。隠居が茶の湯をするから
明日来いてえんだ」
女「馬鹿々々しい、豆腐屋
風情で茶の湯なんか知るものじゃァない。構わないからいい加減に
瞞着してお出でな」
豆「馬鹿なことを言え。俺もこの土地で、親方とかなんとかいわれて、
小口の一つも
利き、なにか事あった時にゃァ、
上座へ
坐らせられる人間だ。地主の方でも俺を相当の人物と見て、こう言って
遣したに違えねえ。それを出来ねえといって断る訳にはいかねえ。といって、今から習うたって間に合はねえ。これまで
耻を掻いたことァねえ。俺がこれしきのことで
耻を掻くなァ
口惜いし、こゝの所はマア何とかいって
巧く
瞞着してしまっても、これから先
度々やられた日にゃァ、とてもやり切れねえ。面倒くせえからいっそどこかへ
移転しちまおう」
女「だってせっかく売り込んだ店を捨てゝ
移転すのは詰らないじゃァないか」
豆「そりゃァ
厭だけれどもどうも仕方がねえ。ここにいりゃァ
耻をかゝなけりゃァならねえ」
女「お隣の
鳶頭のとこへは、お手紙は
往かないかね」
豆「そうよ、
鳶頭のとこへは
往くめえよ」
女「けれども同じ
家作にいるんだから、ともかくも
鳶頭の
家へ、お手紙が行ったかどうだか、聞いてごらんな。もし
鳶頭のところも行ってれば、断るとか、行くとかいうだろうから、これはお前さん、
蔦頭に相談した上の事にしたらいいだろう」
豆「なるほど、それもそうだな。じゃァ
移転すなァ、少し、見合わせて、一つ
鳶頭のところへ行って来よう」
それから羽織を引っ掛けて、豆腐屋の親方が、隣りの
鳶頭の
家へやって来てみると、何だか、ゴタゴタしております。
頭「ヤイ/\どう乱暴なことをしちゃァいかねえ。持ッてく先ゃァ坂本二丁目だ。
家は後で捜すとして、なにしろ
常の所へ持ち込んでくんねえ。ここさえ立ち
退いちまやァいいんだ」
豆「御免下さい」
頭「オヽこりゃァ親方お
出でなせえ。ちょっとお宅へも御挨拶に出るんでげすが、ツイ取り込んでるもんですから、まだ参りやせんで。マアどうかこっちへお
昇んなすって……」
豆「有り難うございます。大層お取り込みで」
頭「エー急に、
移転なくッちゃァならねえことが出来て、こういう始末なんです。せっかくお馴染みになりやしたが、どうもよんどころねえことでね。マア親方一ぷくお
吸んなせえ」
豆「有り難うございます。シテどの辺へお越しになります」
頭「まだどこへといって、実は
的もごぜえやせんが、とにあれ坂本二丁目の兄弟分の
家まで
一時立ち
退いてね。……ナニ遠くへ
行きゃァしません。どうせ
近間へ
家を見付けるつもりで」
豆「ヘエー、そりゃァ
鳶頭、ひどく急でございますな」
頭「エー急なんでごぜえやす」
豆「何でそう急にお
移転なさるんで」
頭「よんどころねえことでね」
豆「ヘエー、つかんことを
鳶頭、お聞き申しますが、地主からあなたの所へ、手紙が来やァしませんか」
頭「エヽ来ました」
豆「それで
鳶頭、お
移転なさるんじゃァございませんか」
頭「マアそんなことで」
豆「実は私どもへも、案内がありました」
頭「エヽ、あなたのとこへも行きましたか。忌めいましい隠居だ。大きな声じゃァ言えねえが、茶の湯一件で」
豆「左様」
頭「お前さん、どうしなさる」
豆「マア
鳶頭の前ですが、せっかく売り込んだ土地を、残念じゃァありますけれども、出来ねえと断って
耻をかくのも
厭ですから、いっそ
移転ちまおうと、私も思ったんです。ところが、
女房の言うにゃァ、そうでもない。あなたのところへも、手紙が行ってるかも知れないから、お聞き申して、もし行ってたらまたなんとかあなたの
御工風もあろうからというんで、実は伺いに上がったんですが、それじゃァ
鳶頭も、茶の湯は御存じございませんか」
頭「誠にお
耻かしい訳ですが、
長えものを短くして着る稼業、ジヤンと一つ
打つけりゃァ火の中へ飛び込む人間で、
頭取とか、
鳶頭とか、世間の人にゃァ立てられ、随分結構なところへも行って、
利いた風なことも言いやすが、茶の湯なんてえものは
未だ
出会したことがねえんです。それを、
先方で買い
被って、知ってるだろうと手紙を
遣され、今さら親方の前ですが、断るのも
工合が
悪し、マア、ここんとこだけなんとかいって
免れたところで、また呼びによこすに
違えねえ。なにしろ悪い奴にこの地面を買われたのがこっちの災難、仕方がごぜえやせん。こんな事でビク/\しているより、どこか茶の湯に責められねえ
所へ一時
移転す事に
定めて、急に騒ぎ出したんでごぜえやす」
豆「なるほど
御道理さま。御同様に困りましたな。時に
鳶頭、お隣りの手習いの師匠さんは、どうでしょう」
頭「そうですねえ、こうして二軒へ来た位だから、先生のところへもきっと行ってましょうよ」
豆「アノ先生なら知ってましょう」
頭「なるほどこりゃァ知ってましょうね。先生とか、お師匠さんとか言われる身分だから、茶の湯だって心得てるに
違えねえ」
豆「これはどうでございましょう。一つ師匠の所へ行って、頼んでみようじゃァありませんか。
仮初にも師匠と言われるくらいだから、深く知らないとしても、ちょっと飲みようぐらいは知ってましょう。そうすれば、先生の
跡へ付いて行って 先生のする通りにしていたら、お互いに
耻も掻かずに済ましょう」
頭「ウム、こいつァいい
工風だ。早速行って聞いてみやしょう、
移転はそれから後でいい。オー羽織を出してくんねえ、……少し
下火になったから、
戸外へ出した荷物を、ソク/\運び返してくれ」
まるで火事のような騒ぎでございます。
両人揃ってこれから、今なら小学校の先生、昔の手習い師匠の所へ、
遣って参りますと、ここもなんだかゴタ/\しております。
師「アノナ
男座の
衆、お机もソックリ、持って帰って下さい。
女座のは私の方から、お机はお届け申しますから、
硯箱だけ、よく始末して、持って帰って下さい。いずれ、
阿父さんや
阿母さんにお目にかゝって、
委しいお話をしますが、師匠さんは
仔細あって、よんどころなく、急に
移転なくてはならないことが出来た。けれども遠方へ越す訳でないから、先が
極るとお知らせすると、よく分かるように、お
宅へ帰ったら、
阿父さんや
阿母さんに、そう言うんですよ。
男座の
衆も乱暴しちゃいけない、静かに始末をしなさい……早速近いところを捜して皆さんへ
沙汰をするから」
頭「エー御免下せえまし」
豆「御免下さいまし」
師「ハイ、どなたでござるな」
頭「先生、今日は」
師「オヤこれは
鳶頭と豆腐屋の親方、お揃いで。マアこの通り取り散らしておって失礼だが、マアどうぞこちらへ……、皆さん、少し静かにして下さい。
硯箱や何か、よく始末して持ってお帰り、お机は後からお届け申す……イヤこの通りゴタ/\いたしているところで」
豆「先生、大分お取り込みで」
師「ハイ、ちょっと上がらなくてはならんのですが、拙者もよんどころないことで、急に
転宅するような次第で」
頭「ヘエー、そうでございますか。シテどこへお
転宅なさるんで」
師「それが
未だ定まりませんデ。ちょっと一時親戚方へ立ち
退きまして、それからまたこの界隈へ、相当の
家を捜そうと存じておるので。仔細あって、ここに長くおるわけに成りませんでな、実にお馴染みのところを残念ではござるが、これも致しかたのないわけで……」
頭「ヘエ先生、つかんことをお聞き申すようですが、地主の隠居からあなたのところへ、手紙が参りゃァしませんか」
師「ハイ」
頭「先生のとこへも、親方、来たんだぜ」
師「エヽ茶の湯の一件でござるか」
頭「そうです。じゃァ先生も知らねえんですかい」
師「ナニ知らんという訳ではござらん。少々は学びましたが、そのころ学問にばかり、心を入れて、トント風流の道は、怠ってをおましたために、
何分深く
嗜みがござらんでな、マア/\呑みようぐらい存ぜんことはないが、それもトント失念致してしもうてな」
頭「そうでございますか、それでお
転宅なさるんで」
師「実に
耻入ったお話しでござるが、あなた方と違い、私はたとい子供とは言え、物の指南をいたす、師匠とも言わるゝ身が、
今日茶の湯の案内を受けて、その席へ出られんというは誠に
耻入りまするに依って
転宅いたす次第、あなた方へ対しても面目もないわけで」
豆「ヘエー。だって先生、
呑みようを知ってれば、いいじゃァありませんか」
師「それがさ。茶の湯というものは、なか/\難しいもので、
挿花一ト通り、会席
一ト通り、道具
一ト通り知らんければ、挨拶が出来ん。また、流儀などを問われた
節に、何流と答えんければならんが、
拙者殆んど失念いたしてしもうた」
頭「もし聞いたら、流儀はお
家流とか、
神蔭流とか、やッつけたらようごぜえやしょう」
師「それは
手蹟や剣術の流儀で、茶の方へ用いるわけには参らん」
頭「デモいいやね。こうなったら先生構うことァねえ、出掛けましょう。
先方だって、それほど名人でもごぜえますめえ。行って、あなたの呑みようを見て、何でもあなたのする通り真似をしてもし面倒ッくせえ事を言ったら、構わねえから隠居を踏み倒しちまおうじゃァありやせんか。――親方」
豆「そうですとも。流儀なんぞ聞きやァがったら、
打擲るとしましょう」
乱暴な茶の湯があればあるもの、
両人に勧められて先生も、それではまず転宅を見合わせ、どんなものであるか、出掛けてみようと、薄気味が悪いが、その
翌日両人を連れて、黒の羽織を引ッ掛け、地主のところへ参りました。取り次ますものは、例の小僧、待ち合いようの所へ案内致し、お掃除も届いておりまして、結構な敷物が敷いてございますが、
総ての事、
主客共に知らないのだから、この位
可笑なことはありません。待ち合いで三人
煙草をパク/\吸っている
中にズッとお通り下さいという。お席の入口がどこにあるか、ニジリ
口へ
行くの、
茶立て
口から
這入っていいのか、マゴ/\しております。案内する小僧も知らず、御亭主も知らず、お客三人なおさらのこと、
暫く茶席の
周囲を、マゴ/\して
漸々のことでお席へ
這入る。番茶と
椋の皮が
沸っております。例のお菓子
器に、
羊羹を
杉形に積んでございまして、杉の
面取りの箸が一膳付いております。これだけは
真もの。やがてお茶碗へ青黄粉を沢山入れ、番茶を充分
注ぎまして、
茶筅で掻き廻したから、いい
塩梅にドロ/\になって泡も立ちました。これをお
上客の前へ出すとさすがは先生、学ばいでもかねて聞きかじっているには、茶の湯は、飲み廻しにするものだという事。けれども、
薄茶か、
濃茶か、そんな事は存じません。先生、少し変った呑みようをしなければ、知らないといわれようかと、茶碗の
両端へ手を掛けグイと差し上げ、
一ト廻し廻してグッと呑んだその
恰好はよほど変な
塩梅。隠居は、この先生知っているに違いないと思うから、一生懸命に見ております。
鳶頭も豆腐屋の親方もジッと見ておりますと、先生が豆腐屋の親方に渡しましたから、豆腐屋がその通り
一口ゴックリ呑むと大変な味だものだから驚いて
苦い顔をして、これを
鳶頭に渡しました。
鳶頭もゴックリ呑んだが
堪らない。
頭「オヽ、大変だ。一つその口直しを……」
お茶の湯はお菓子を先へ
戴くべきだが、そんなことは構わない。
羊羹で口直しをして、それでもどうやら世間話をして三人は
麻痺を切らしてその日はソコ/\に帰りました。サア隠居は面白くって
堪りません。人の迷惑も構わず、
無暗に客がしたい。
聘ばれる者こそ災難、けれども
皆知らない人ばかり
聘ばれるので、茶は入りませんが、口直しの
羊羹がなかなか
要りますから
晦日になると菓子屋の勘定が、かなりに
上ります。金満家の隠居さんだが根が経済家でございますから、こう菓子が
要っては
堪らない。どうか
家で菓子を
製らえようと、
薩摩芋をお求めになりまして、スッカリ皮を
剥き、
蒸籠で蒸して、
擂鉢で
擂ります。これへ
三盆の砂糖を入れゝば
宜しゅうございますが、今いう通り経済家ですから、小僧に
白下というのを買いにやりまして、
蜜だの、
白下だの、至って下等の品を用いて
甘味を付け、これを
捏ちますがもとより製法が違うから、ホク/\してうまくかたまりません。ソコで、
頃合の茶碗へギュッと詰めて、ポンと抜こうとしたが、抜けません。さすがに年を
老っているから、油を付けけたら
巧く抜けるに違いないと、気が着いたが、あいにく
胡麻の油がないから、使いかけの
燈し油を少し紙へ
浸し、充分に茶碗へ塗って、例の芋を詰め、
裏底を叩きますと、ポックリ抜ける。実に形がようございます。黄ばんだところへ、
蜜や、
白下の色が交ってその上
燈し油のテリが出ておりますから、外見はいかにも
美味そうでございます。これを
染付の
鉢へコンモリ盛ってみると、なかなか
價値ちがあります。食べてみないうちは、
藤邑か
越後屋からお取り寄せになった菓子と思われる位、食べてみると恐ろしく
不味いものだが御当人
一向不味とは思いません。御自分でこれを
琉球饅頭と
称け、一度に沢山
造らえておきまして、お客の来る
度これを出します。初めは、
羊羹が出たから、口直しは羊羹で
凌げたが、今度はお口直しも悪うございますから、例の
家作の三人をはじめ出入りの者も隠居の茶の湯と聞くとウンザリする。ある時、訪ねて参りました人は、名を吉兵衛といっていわゆる
半可通、何でも知ったか
態をする人物で、
吉「ヘエ今日は」
隠「オヤ吉兵衛さんか、お珍しい」
吉「どうも御隠居、久しくお目にかゝりません。こちらへお移りの
由を伺いまして、ちょっとお尋ね申さなければならんのでございましたが、ツイ/\
御無沙汰いたして相済みません。どうも
好いお
住居でげすな」
隠「イヤ
好いか何だか、
倅がこんな
家を買ってくれました」
吉「どうも御玄関から御座敷の
塩梅、
総て茶がかって、申し分のないお
住居で、……時に御隠居、承われば、近ごろお金がかゝるそうですな」
隠「釜がかゝるとは」
吉「お茶を遊ばすそうで」
隠「アヽそうです。このごろ、茶の湯をやりますよ」
吉「それは恐れ入りました。あなたが、お茶をなさるとは
一向心着かんでおりました。そうと存じたら、
疾うに
昇るのでございました。
今日も、お釜が掛っておりましょうか」
隠「ハイ、
何時でも、グラ/\
沸たっております」
吉「ハヽア
御定釜、
釜日をお定めがなくって、常にグラ/\
沸立っておるとは、恐れ入りました。
是非一服頂戴を……」
隠「アヽ
進げましょう」
吉「どうかお茶席を拝見致しとう存じます」
隠「サア/\御覧下さい」
吉「まず御免を
蒙むり、一つお
路次を拝見……」
これは少しばかり聞き
齧ったり、立見ぐらいした者でございますから、
寸法は、幾らか知っております。
庭下駄を
穿き、
御路次から
中潜りを
這入って
蹲踞んで
含水をいたし、ニジリ
口を開け、中へ
這入って、
後をピタリと閉めてお
床に向かって、若主人が掛けッ
放しにしておいたお
軸を見て、
吉「アー、結構なお軸だ。どうもいい」
などと分かりもしないのに
頻りに
賞め立って、それからお風呂、お釜へ向かって、これを拝見いたし、お席に
就ております所へ、小僧の定吉が例の琉球饅頭、テラ/\したのを沢山
鉢へ積んで持って出ました。アー大層なお菓子と、思っていると、やがて隠居が、茶碗と茶器と
茶杓と
茶筅を一緒くたに、
鷲掴みに致して、茶立て口から入って参りました。
吉「どうもご隠居恐れ入りましたな実は
私お
立前を拝見いたしたく存じて出ましたので……」
何を言っても隠居は、一向平気で例のごとく、青黄粉を茶碗へ入れ、番茶を
注いで掻き廻したから、いい
塩梅に泡が立ちました。こちらは、薄茶を呑ませることゝ思いましたから、
懐中から紙を出して彼の琉球饅頭を、一つ紙へ取ればいいのに、ソコが半可通、
美味そうな菓子と思って二つ三つ、紙へ取って前へ置き、一つやってみると、イヤそれは食えるものでない。甘いような
苦いような、油っこいような……。
吉「これは大変」
と半分食べて、
後は紙へ包んで
袂へ入れ、茶碗へ手をかけ、口直しの
了見でお茶を、ゴックリ口へ入れると、青黄粉に
椋の皮、イヤ呑めればこそ、口の中はまるで南京屋敷の掃き溜めみたような有様。いい加減にして茶碗を返し、この
親爺にも知らないのだと、初めて気がつき、あまり欲張って、紙に取った菓子を
密と
袂へ入れたが、油に
蜜と
白下で
製したものゆえ、段々
解けて来て着物に
染み出します様子。これは
堪らない、どこかへ捨てようと思いまして、
吉「
厠を拝借」
と、ズイと立ってお庭を見ると、掃除はよく届いております。さすがに
奇麗な所へは捨てられず、
厠へ捨てようとも思ったが、まさかに
食物を投げ込むわけにも参りません。
縁側へ立ってみると裏は
建仁寺垣、その向こうは一面の畑で、お百姓が農業をしております。例の饅頭を
袂から出して
畑道へスポーリ投げた奴があいにくお百姓の
横面へピタリ、お百姓ビックリして落ちた菓子をジーッと見て、
百「エヽ、また茶の湯か」