茶の湯(ちゃのゆ)

五代目蝶花楼馬楽




 随分昔地方から無一物むいちぶつで江戸へ出ておいでなすって、一心に稼ぎ、それから資本もとをこしらえ、運にかなって、巨万の財産家とお成りなすった方が沢山ございました。そういうお方は、物心覚えてから、年輩になるまで、いきなことも知らず、洒落しゃれたことも知らず、贅沢はもとより、何一つ楽しみはなさらず、稼ぐよりほかに能がないという。こういう御方がお年をとって、いよいよ御子息に御身代ごしんだいを譲って、御自分は御隠居を遊ばす。その息子さんは江戸っ子でございますから、贅沢も風流も、何でも御存じでございまして、根岸ねぎしに別荘がございます。これは去る大家たいけの別荘を居抜きのまゝお求めになり、スッカリお手入れをなすって、折節おりふしそれへおでになりまして、御客おきゃくをいたし、あるいは茶でもってお楽しみになる。ところが親父さんはこれまでお勧め申してもなかなか店の方を心配して別荘などへお出でにならなかったが、モウ隠居をなすってみればその苦労はらない。ゴタゴタしたところにいるよりはと、御子息の勧めにようやく得心とくしんして気に入りの小僧さんを一人連れて御隠居は根岸の別荘へ参りました。実に結構なお住居すまい、その結構な造りも、上等なお庭も、お茶器のいのも、御隠居には更に分かりません。何百円するうつわも、五十銭か六十銭て買える品と、同じように思っていらっしゃる。何にいたせ、退屈で致しかたがございませんので、ある時お茶室へ入ってみると、お水屋みずやが片付いてチャンと飾りつけも出来ております。水屋瓶みずやかめには、水がいっぱい盛ってございまして、薄茶器うすちゃきにお茶碗、茶筅ちゃせん茶杓ちゃしゃくなぞが並んでおりますから、
隠「ヤア種々いろいろなものが、ここにあるな。せがれがよく、茶の湯をするというが、これだな。何だかエタイの分からないものがある。なんだ、妙な小汚い茶碗、これはなんだ、竹のへらみたようなもの、ざさら見たようなもの、これで掻き廻すのか。俺はこんなものにとんと出合ったことが無いが、面白いものがあるな。小僧の定吉きだきちせがれの供をして出掛けるから、見て知っているだろう、一つ小僧に様子を聞いてみよう」
 と、それから小僧の定吉をお呼びになりました。
定「旦那、御用でございますか」
隠「ウム、別に用でもないが、この茶室は、なか/\結構だな」
定「ヘエ、結構なお茶室でございます」
隠「これは何という戸棚だ」
定「ヘエ、それはお水屋というのでございます」
隠「水屋、種々いろいろな道具がならんでるな」
定「ヘエ」
隠「貴様茶の湯に出会ったことがあるか」
定「ヘエ、若旦那のお供をして度々たびたびお茶の湯に出会でくわしましたが、私はお座敷へは這入はいりません。何時いつも覗いておりますんで……」
隠「面白いものか」
定「ヘエ、なかなか面白うございます。第一お菓子や何か召し上がりまして、時分じぶんどきには、お会席で御飯ごぜんをあがって随分いお遊びでございます」
隠「会席を食わせる。それは面倒な遊びだな。菓子ぐらい食わして、茶の遊びをしてもいいが、確か青い粉みたいなものを入れて、湯をいで、掻き廻すのだといったな」
定「ヘエ、なんだか変な粉を入れて掻き廻していらっしゃいます。旦那は茶の湯をちっとも御存じないんでございますか」
隠「ウムまるで知らないことはない。幼少の折に習ったが、とんと今では忘れてしまった」
定「ヘエー、妙でございますな。若旦那の仰っいましたには、何でも、子供の時分に学んでおいたことは、何歳いくつになっても忘れないと……」
隠「マア、それはそうだ。がしかし俺のは、ちっと子供過ぎたから」
定「ヘエー、それでは、お何歳いくつの時に」
隠「三つの時だった」
定「じゃァ、赤ん坊の時でございますな」
隠「それだから、スッカリ忘れてしまったのだ。一つ今日、お前と両人ふたりでやってみようと思う」
定「それは結構でございますな。ですが、お菓子がございますか」
隠「ナニ菓子か、それは此間こなひだ貰った羊羹ようかんがある。アノ羊羹を一つ切ってやろう」
 小僧が早速菓子ばちへ羊羹を杉形すぎなりに切って持って参りました。お炭のつぎようも何も存じません。ただお風呂へ炭を入れ、お釜へ水を入れまして、火を入れて、パッパとあおいだから、たちまちおにえがつきました。
隠「湯はいたが、茶はどうするんだな」
定「左様でございます。いづれお茶を入れるんでございます」
隠「茶をほうじて入れるのか、どうするんだ」
定「そりゃァ私も、よくは存じません。覗いてみていたばかりですから、どういう加減にするのか分かりませんが、多分お湯の中へツ込んで、そうして禁厭まじないに青い粉を入れて、ドロ/\にするんでございましょう」
隠「そうかな、やっぱりアノ番茶を釜の中へ入れて、グラ/\たゝせたらよかろう」
定「それがようございます」
隠「その青い粉てのは何だ」
定「何だか、見れば分りますから、私が買って参りましょう」
隠「貴様知ってるなら、買って来てくれ、その間に俺が番茶をほうじてよく煮くたらかしておくから……」
定「ヘエ、それでは、おわしを下さい……」
 やがて小僧が、出掛けて行きまして、乾物屋かんぶつや青黄粉あおぎなこを買って参りました。
定「旦那、これでございます」
隠「ハアなるほど、青い粉、これは何だ」
定「青黄粉あおぎなこでございます」
隠「ウムこれで、俺も思い出した。ちいさい時に習ったことは忘れないな。伝授でんじゅに書いてあった。ひとつ青黄粉あおぎなこ入れべし、ということが書いてあった」
定「ヘエー」
隠「マアその粉を容器いれものへ入れなさい」
定「じゃァそのなつめをお取んなすって下さい」
隠「なつめとはどれだ」
定「その塗ってあるまるいもので、お水屋の棚にございます」
隠「この印籠いんろうふくれたようなものか」
定「左様でございます」
 やがて茶器へ、青黄粉を入れましたが、ちょっと見ますと、実に結構なお薄茶うすちゃのように見えます。水こぼしもあり、柄杓ひしゃく茶筅ちゃせん、お茶碗、替茶碗かえちゃわん等も揃ってございます。刷毛目はけめ薄茶茶碗うすちゃちゃわんを持ち出して、グラ/\たっている湯を、それへぎまして、例の青黄粉を入れて、
隠「これで掻き廻すんだな。妙なさゝらみたいなもので」
定「それは、茶筅ちゃせんというもんでございます」
隠「アーそうか」
 と無暗むやみに掻き廻したが、泡が一向いっこう立ちません。
定「どうも旦那、おかしゅうございますな。掻き廻して泡が立たなくっちゃァいけません。こんな変梃へんてこなもんじゃァありませんよ」
隠「そうだな。これはまだ伝授があるんだ」
定「アッ、モウ一品ひとしな落ちました。分かりました。私が買って参りますから、おわしをモウ少し下さいまし」
 また小僧が、乾物屋へ行ってむくの皮を買って参りまして、
定「旦那、これをお釜の中へお入れなさいまし」
隠「ウム、なるほどむくの皮か。これなら泡が立つ。そういえばこれも伝授に書いてあったよ。ひとつ、泡の立つでんむくの皮を入れべしと書いてあった。このまま入れようか」
定「ヘエ、お釜へお入れなさい」
 釜へ入れてグラ/\、煎じましたから、スッカリ泡が立ちました。
定「旦那、その茶杓ちゃしゃくというもので青黄粉をお入れなさい」
 いい加減に青黄粉を入れて、にえたっているむくの皮と番茶の煎じたのを入れて茶筅ちゃせんで掻き廻したから、茶碗いっぱいに泡が立ちました。
隠「ヤア恐ろしい泡だ。うまくいったな」
定「大変に大きな泡ですな。若旦那のお師匠さんのなすったんでも、こんなに大きかァございません。もっと小さい泡です」
隠「そりゃぁ馴れると巧くいくが、久しくやらんもんだからな、マアこれで我慢して貴様かられ」
定「ヘエ有り難うございます。どうか羊羹ようかんを一つ頂きます」
隠「沢山食べろ」
定「これはマア、旦那あなたから召し上がりましな」
隠「イヤ先へ、いっぱい、貴様め」
定「マアあなたから」
隠「遠慮せずとお前呑めよ」
 しかたがない、小檜欲張って、羊羹を三切みきれってゴックリ一口呑みますと、むくの皮の煎じたのに、青黄粉、それへ番茶のにおいがして、イヤどうも呑まればこそ。けれども小僧なかなか人が悪いから我慢をして一ぱい呑んでしまい、
定「大変結構でございます。サア旦那おあがんなさいまし」
 御主人もやってみたが、更に好味うまいとは思いません。口直しに羊羹を召し上がって、小僧を相手に、はからず楽しみをいたしたが、さて人間用のないのも退屈なもので、こんな事でもやるのが日暮ひくらしでございます。毎日小僧を相手に青黄粉を掻き廻して、楽しんでおいでなさる内に、段々馴れて参りまして、御隠居も、小僧さんばかり相手では少しきょうが薄い。それには多少自慢も出て来ましたから誰か客が来たらば、呑ましたいと思っておりますが、誰も見えません。御地面ごじめん内に家作かさくが三軒ございまして、その一軒が豆腐屋で、一軒が手習いの師匠、一軒がとびかしらでございます。根岸もまだ今のように開けない時分の事ゆえ、むねが別で野広くすまっております。この人達を、呼んでやろうというので、三軒のうちへ、案内状を出しました。ところが豆腐屋の亭主がこの手紙を見て驚いて、
豆「オイ女房おっかあ、大変な騒ぎが出来ちまった」
女「なんだい大変な騒ぎッて、店立たなだてでもわすというのかえ」
豆「店立てじゃァねえが、マア/\店立てて同様、厄介やっけえなことをいってよこしたんだ。隠居が茶の湯をするから明日あした来いてえんだ」
女「馬鹿々々しい、豆腐屋風情ふぜいで茶の湯なんか知るものじゃァない。構わないからいい加減に瞞着ごまかしてお出でな」
豆「馬鹿なことを言え。俺もこの土地で、親方とかなんとかいわれて、小口こぐちの一つもき、なにか事あった時にゃァ、上座かみざすわらせられる人間だ。地主の方でも俺を相当の人物と見て、こう言ってよこしたに違えねえ。それを出来ねえといって断る訳にはいかねえ。といって、今から習うたって間に合はねえ。これまではじを掻いたことァねえ。俺がこれしきのことではじを掻くなァ口惜くやしいし、こゝの所はマア何とかいってうま瞞着ごまかしてしまっても、これから先度々たびたびやられた日にゃァ、とてもやり切れねえ。面倒くせえからいっそどこかへ移転ひっこしちまおう」
女「だってせっかく売り込んだ店を捨てゝ移転ひっこすのは詰らないじゃァないか」
豆「そりゃァいやだけれどもどうも仕方がねえ。ここにいりゃァはじをかゝなけりゃァならねえ」
女「お隣の鳶頭かしらのとこへは、お手紙はかないかね」
豆「そうよ、鳶頭かしらのとこへはくめえよ」
女「けれども同じ家作かさくにいるんだから、ともかくも鳶頭かしらうちへ、お手紙が行ったかどうだか、聞いてごらんな。もし鳶頭かしらのところも行ってれば、断るとか、行くとかいうだろうから、これはお前さん、蔦頭かしらに相談した上の事にしたらいいだろう」
豆「なるほど、それもそうだな。じゃァ移転ひっこすなァ、少し、見合わせて、一つ鳶頭かしらのところへ行って来よう」
 それから羽織を引っ掛けて、豆腐屋の親方が、隣りの鳶頭かしらうちへやって来てみると、何だか、ゴタゴタしております。
頭「ヤイ/\どう乱暴なことをしちゃァいかねえ。持ッてく先ゃァ坂本二丁目だ。うちは後で捜すとして、なにしろつねの所へ持ち込んでくんねえ。ここさえ立ち退いちまやァいいんだ」
豆「御免下さい」
頭「オヽこりゃァ親方おでなせえ。ちょっとお宅へも御挨拶に出るんでげすが、ツイ取り込んでるもんですから、まだ参りやせんで。マアどうかこっちへおあがんなすって……」
豆「有り難うございます。大層お取り込みで」
頭「エー急に、移転ひっこさなくッちゃァならねえことが出来て、こういう始末なんです。せっかくお馴染みになりやしたが、どうもよんどころねえことでね。マア親方一ぷくおあがんなせえ」
豆「有り難うございます。シテどの辺へお越しになります」
頭「まだどこへといって、実はあてもごぜえやせんが、とにあれ坂本二丁目の兄弟分のうちまで一時いちじ立ち退いてね。……ナニ遠くへきゃァしません。どうせ近間ちかまうちを見付けるつもりで」
豆「ヘエー、そりゃァ鳶頭かしら、ひどく急でございますな」
頭「エー急なんでごぜえやす」
豆「何でそう急にお移転ひっこしなさるんで」
頭「よんどころねえことでね」
豆「ヘエー、つかんことを鳶頭かしら、お聞き申しますが、地主からあなたの所へ、手紙が来やァしませんか」
頭「エヽ来ました」
豆「それで鳶頭かしら、お移転こしなさるんじゃァございませんか」
頭「マアそんなことで」
豆「実は私どもへも、案内がありました」
頭「エヽ、あなたのとこへも行きましたか。忌めいましい隠居だ。大きな声じゃァ言えねえが、茶の湯一件で」
豆「左様」
頭「お前さん、どうしなさる」
豆「マア鳶頭かしらの前ですが、せっかく売り込んだ土地を、残念じゃァありますけれども、出来ねえと断ってはじをかくのもいやですから、いっそ移転ひっこしちまおうと、私も思ったんです。ところが、女房かかあの言うにゃァ、そうでもない。あなたのところへも、手紙が行ってるかも知れないから、お聞き申して、もし行ってたらまたなんとかあなたの御工風ごくふうもあろうからというんで、実は伺いに上がったんですが、それじゃァ鳶頭かしらも、茶の湯は御存じございませんか」
頭「誠におはずかしい訳ですが、なけえものを短くして着る稼業、ジヤンと一つつけりゃァ火の中へ飛び込む人間で、頭取とうどりとか、鳶頭かしらとか、世間の人にゃァ立てられ、随分結構なところへも行って、いた風なことも言いやすが、茶の湯なんてえものは出会でっくわしたことがねえんです。それを、先方むこうで買いかぶって、知ってるだろうと手紙をよこされ、今さら親方の前ですが、断るのも工合ぐあいわるし、マア、ここんとこだけなんとかいってのがれたところで、また呼びによこすにちげえねえ。なにしろ悪い奴にこの地面を買われたのがこっちの災難、仕方がごぜえやせん。こんな事でビク/\しているより、どこか茶の湯に責められねえとこへ一時移転ひっこす事にめて、急に騒ぎ出したんでごぜえやす」
豆「なるほど御道理ごもっともさま。御同様に困りましたな。時に鳶頭かしら、お隣りの手習いの師匠さんは、どうでしょう」
頭「そうですねえ、こうして二軒へ来た位だから、先生のところへもきっと行ってましょうよ」
豆「アノ先生なら知ってましょう」
頭「なるほどこりゃァ知ってましょうね。先生とか、お師匠さんとか言われる身分だから、茶の湯だって心得てるにちげえねえ」
豆「これはどうでございましょう。一つ師匠の所へ行って、頼んでみようじゃァありませんか。仮初かりそめにも師匠と言われるくらいだから、深く知らないとしても、ちょっと飲みようぐらいは知ってましょう。そうすれば、先生のあとへ付いて行って 先生のする通りにしていたら、お互いにはじも掻かずに済ましょう」
頭「ウム、こいつァいい工風くふうだ。早速行って聞いてみやしょう、移転ひっこしはそれから後でいい。オー羽織を出してくんねえ、……少し下火したびになったから、戸外おもてへ出した荷物を、ソク/\運び返してくれ」
 まるで火事のような騒ぎでございます。両人ふたり揃ってこれから、今なら小学校の先生、昔の手習い師匠の所へ、って参りますと、ここもなんだかゴタ/\しております。
師「アノナ男座おとこざしゅ、お机もソックリ、持って帰って下さい。女座おんなざのは私の方から、お机はお届け申しますから、硯箱すずりばこだけ、よく始末して、持って帰って下さい。いずれ、阿父おとっさんや阿母おっかさんにお目にかゝって、くわしいお話をしますが、師匠さんは仔細しさいあって、よんどころなく、急に移転ひっこさなくてはならないことが出来た。けれども遠方へ越す訳でないから、先がきまるとお知らせすると、よく分かるように、おうちへ帰ったら、阿父おとっさんや阿母おっかさんに、そう言うんですよ。男座おとこざしゅも乱暴しちゃいけない、静かに始末をしなさい……早速近いところを捜して皆さんへ沙汰さたをするから」
頭「エー御免下せえまし」
豆「御免下さいまし」
師「ハイ、どなたでござるな」
頭「先生、今日は」
師「オヤこれは鳶頭かしらと豆腐屋の親方、お揃いで。マアこの通り取り散らしておって失礼だが、マアどうぞこちらへ……、皆さん、少し静かにして下さい。硯箱すずりばこや何か、よく始末して持ってお帰り、お机は後からお届け申す……イヤこの通りゴタ/\いたしているところで」
豆「先生、大分お取り込みで」
師「ハイ、ちょっと上がらなくてはならんのですが、拙者もよんどころないことで、急に転宅てんたくするような次第で」
頭「ヘエー、そうでございますか。シテどこへお転宅ひっこしなさるんで」
師「それがだ定まりませんデ。ちょっと一時親戚方へ立ち退きまして、それからまたこの界隈へ、相当のいえを捜そうと存じておるので。仔細あって、ここに長くおるわけに成りませんでな、実にお馴染みのところを残念ではござるが、これも致しかたのないわけで……」
頭「ヘエ先生、つかんことをお聞き申すようですが、地主の隠居からあなたのところへ、手紙が参りゃァしませんか」
師「ハイ」
頭「先生のとこへも、親方、来たんだぜ」
師「エヽ茶の湯の一件でござるか」
頭「そうです。じゃァ先生も知らねえんですかい」
師「ナニ知らんという訳ではござらん。少々は学びましたが、そのころ学問にばかり、心を入れて、トント風流の道は、怠ってをおましたために、何分なにぶん深くたしなみがござらんでな、マア/\呑みようぐらい存ぜんことはないが、それもトント失念致してしもうてな」
頭「そうでございますか、それでお転宅ひっこしなさるんで」
師「実に耻入はじいったお話しでござるが、あなた方と違い、私はたとい子供とは言え、物の指南をいたす、師匠とも言わるゝ身が、今日こんにち茶の湯の案内を受けて、その席へ出られんというは誠に耻入はじいりまするに依って転宅てんたくいたす次第、あなた方へ対しても面目もないわけで」
豆「ヘエー。だって先生、みようを知ってれば、いいじゃァありませんか」
師「それがさ。茶の湯というものは、なか/\難しいもので、挿花さしばなト通り、会席ト通り、道具ト通り知らんければ、挨拶が出来ん。また、流儀などを問われたせつに、何流と答えんければならんが、拙者せっしゃほとんど失念いたしてしもうた」
頭「もし聞いたら、流儀はお家流いえりゅうとか、神蔭流しんかげりゅうとか、やッつけたらようごぜえやしょう」
師「それは手蹟しゅせきや剣術の流儀で、茶の方へ用いるわけには参らん」
頭「デモいいやね。こうなったら先生構うことァねえ、出掛けましょう。先方むこうだって、それほど名人でもごぜえますめえ。行って、あなたの呑みようを見て、何でもあなたのする通り真似をしてもし面倒ッくせえ事を言ったら、構わねえから隠居を踏み倒しちまおうじゃァありやせんか。――親方」
豆「そうですとも。流儀なんぞ聞きやァがったら、打擲ぶんなぐるとしましょう」
 乱暴な茶の湯があればあるもの、両人ふたりに勧められて先生も、それではまず転宅を見合わせ、どんなものであるか、出掛けてみようと、薄気味が悪いが、その翌日あくるひ両人ふたりを連れて、黒の羽織を引ッ掛け、地主のところへ参りました。取り次ますものは、例の小僧、待ち合いようの所へ案内致し、お掃除も届いておりまして、結構な敷物が敷いてございますが、すべての事、主客しゅきゃく共に知らないのだから、この位可笑おかしなことはありません。待ち合いで三人煙草たばこをパク/\吸っているうちにズッとお通り下さいという。お席の入口がどこにあるか、ニジリくちくの、茶立ちゃたくちから這入はいっていいのか、マゴ/\しております。案内する小僧も知らず、御亭主も知らず、お客三人なおさらのこと、しばらく茶席の周囲まわりを、マゴ/\して漸々ようようのことでお席へ這入はいる。番茶とむくの皮がたぎっております。例のお菓子に、羊羹ようかん杉形すぎなりに積んでございまして、杉の面取めんとりの箸が一膳付いております。これだけはほんもの。やがてお茶碗へ青黄粉を沢山入れ、番茶を充分ぎまして、茶筅ちゃせんで掻き廻したから、いい塩梅あんばいにドロ/\になって泡も立ちました。これをお上客じょうきゃくの前へ出すとさすがは先生、学ばいでもかねて聞きかじっているには、茶の湯は、飲み廻しにするものだという事。けれども、薄茶うすちゃか、濃茶こいちゃか、そんな事は存じません。先生、少し変った呑みようをしなければ、知らないといわれようかと、茶碗の両端りょうはしへ手を掛けグイと差し上げ、ト廻し廻してグッと呑んだその恰好かっこうはよほど変な塩梅あんばい。隠居は、この先生知っているに違いないと思うから、一生懸命に見ております。鳶頭かしらも豆腐屋の親方もジッと見ておりますと、先生が豆腐屋の親方に渡しましたから、豆腐屋がその通り一口ひとくちゴックリ呑むと大変な味だものだから驚いてにがい顔をして、これを鳶頭かしらに渡しました。鳶頭かしらもゴックリ呑んだがたまらない。
頭「オヽ、大変だ。一つその口直しを……」
 お茶の湯はお菓子を先へいただくべきだが、そんなことは構わない。羊羹ようかんで口直しをして、それでもどうやら世間話をして三人は麻痺しびれを切らしてその日はソコ/\に帰りました。サア隠居は面白くってたまりません。人の迷惑も構わず、無暗むやみに客がしたい。ばれる者こそ災難、けれどもみな知らない人ばかりばれるので、茶は入りませんが、口直しの羊羹ようかんがなかなかりますから晦日みそかになると菓子屋の勘定が、かなりにのぼります。金満家の隠居さんだが根が経済家でございますから、こう菓子がってはたまらない。どうかうちで菓子をこしらえようと、薩摩芋さつまいもをお求めになりまして、スッカリ皮をき、蒸籠せいろうで蒸して、擂鉢すりばちります。これへ三盆さんぼんの砂糖を入れゝばよろしゅうございますが、今いう通り経済家ですから、小僧に白下しらげというのを買いにやりまして、みつだの、白下しらげだの、至って下等の品を用いて甘味あまみを付け、これをでっちますがもとより製法が違うから、ホク/\してうまくかたまりません。ソコで、頃合ころあいの茶碗へギュッと詰めて、ポンと抜こうとしたが、抜けません。さすがに年をっているから、油を付けけたらうまく抜けるに違いないと、気が着いたが、あいにく胡麻ごまの油がないから、使いかけのともし油を少し紙へひたし、充分に茶碗へ塗って、例の芋を詰め、裏底いとじりを叩きますと、ポックリ抜ける。実に形がようございます。黄ばんだところへ、みつや、白下しらげの色が交ってその上ともし油のテリが出ておりますから、外見はいかにも美味おいしそうでございます。これを染付そめつけはちへコンモリ盛ってみると、なかなか價値ねうちちがあります。食べてみないうちは、藤邑ふじむら越後屋えちごやからお取り寄せになった菓子と思われる位、食べてみると恐ろしく不味まずいものだが御当人一向いっこう不味まずいとは思いません。御自分でこれを琉球りゅうきゅう饅頭まんじゅうなづけ、一度に沢山こしらえておきまして、お客の来るたびこれを出します。初めは、羊羹ようかんが出たから、口直しは羊羹でしのげたが、今度はお口直しも悪うございますから、例の家作かさくの三人をはじめ出入りの者も隠居の茶の湯と聞くとウンザリする。ある時、訪ねて参りました人は、名を吉兵衛といっていわゆる半可通はんかつう、何でも知ったかぶりをする人物で、
吉「ヘエ今日は」
隠「オヤ吉兵衛さんか、お珍しい」
吉「どうも御隠居、久しくお目にかゝりません。こちらへお移りのよしを伺いまして、ちょっとお尋ね申さなければならんのでございましたが、ツイ/\御無沙汰ごぶさたいたして相済みません。どうもいお住居すまいでげすな」
隠「イヤいか何だか、せがれがこんなうちを買ってくれました」
吉「どうも御玄関から御座敷の塩梅あんばいすべて茶がかって、申し分のないお住居すまいで、……時に御隠居、承われば、近ごろお金がかゝるそうですな」
隠「釜がかゝるとは」
吉「お茶を遊ばすそうで」
隠「アヽそうです。このごろ、茶の湯をやりますよ」
吉「それは恐れ入りました。あなたが、お茶をなさるとは一向いっこう心着こころづかんでおりました。そうと存じたら、うにあがるのでございました。今日こんちも、お釜が掛っておりましょうか」
隠「ハイ、何時いつでも、グラ/\たっております」
吉「ハヽア御定釜ごじょうがま釜日かまびをお定めがなくって、常にグラ/\沸立にたっておるとは、恐れ入りました。是非ぜひ一服頂戴を……」
隠「アヽげましょう」
吉「どうかお茶席を拝見致しとう存じます」
隠「サア/\御覧下さい」
吉「まず御免をこうむり、一つお路次ろじを拝見……」
 これは少しばかり聞きかじったり、立見ぐらいした者でございますから、寸法すんぽうは、幾らか知っております。庭下駄にわげた穿き、御路次おろじから中潜なかくぐりを這入はいって蹲踞しゃがんで含水うがいをいたし、ニジリくちを開け、中へ這入はいって、あとをピタリと閉めておとこに向かって、若主人が掛けッぱなしにしておいたおじくを見て、
吉「アー、結構なお軸だ。どうもいい」
 などと分かりもしないのにしきりにめ立って、それからお風呂、お釜へ向かって、これを拝見いたし、お席についております所へ、小僧の定吉が例の琉球饅頭、テラ/\したのを沢山はちへ積んで持って出ました。アー大層なお菓子と、思っていると、やがて隠居が、茶碗と茶器と茶杓ちゃしゃく茶筅ちゃせんを一緒くたに、鷲掴わしづかみに致して、茶立て口から入って参りました。
吉「どうもご隠居恐れ入りましたな実はわたくし立前たてまえを拝見いたしたく存じて出ましたので……」
 何を言っても隠居は、一向平気で例のごとく、青黄粉を茶碗へ入れ、番茶をいで掻き廻したから、いい塩梅あんばいに泡が立ちました。こちらは、薄茶を呑ませることゝ思いましたから、懐中ふところから紙を出して彼の琉球饅頭を、一つ紙へ取ればいいのに、ソコが半可通、美味おいしそうな菓子と思って二つ三つ、紙へ取って前へ置き、一つやってみると、イヤそれは食えるものでない。甘いようなにがいような、油っこいような……。
吉「これは大変」
 と半分食べて、あとは紙へ包んでたもとへ入れ、茶碗へ手をかけ、口直しの了見りょうけんでお茶を、ゴックリ口へ入れると、青黄粉にむくの皮、イヤ呑めればこそ、口の中はまるで南京屋敷の掃き溜めみたような有様。いい加減にして茶碗を返し、この親爺おやじにも知らないのだと、初めて気がつき、あまり欲張って、紙に取った菓子をそったもとへ入れたが、油にみつ白下しらげせいしたものゆえ、段々けて来て着物にみ出します様子。これはたまらない、どこかへ捨てようと思いまして、
吉「かわやを拝借」
 と、ズイと立ってお庭を見ると、掃除はよく届いております。さすがに奇麗きれいな所へは捨てられず、かわやへ捨てようとも思ったが、まさかに食物たべものを投げ込むわけにも参りません。縁側えんがわへ立ってみると裏は建仁寺けんにんじがき、その向こうは一面の畑で、お百姓が農業をしております。例の饅頭をたもとから出して畑道はたけみちへスポーリ投げた奴があいにくお百姓の横面よこっつらへピタリ、お百姓ビックリして落ちた菓子をジーッと見て、
百「エヽ、また茶の湯か」





底本:名作落語全集・第一巻/開運長者篇
   騒人社書局・1929年発行

落語はろー("http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/")