按ん七(あんひち)

初代桂春団治




○「オイ、ィ公」
喜「何んやせいやん」
清「向こうから、来る男、知ってるか。それ、羽織着て、前へ扇を差して白足袋しろたび雪駄せったばき、腰に矢立やたてを差して歩いてる男」
喜「何処どこにいな」
清「それ、いま酒屋の表を歩いてる男」
喜「エー何処や」
清「ソレ、いま八百屋の表、それ下駄屋の表、それ煙草屋のとこ歩いてる男、ソレ、床屋の」
喜「そう言うたらわからへんがなァ」
清「向こうは歩いてるのやさかい。そう言わな判らへん。按梅あんばい見いや、それ、いま焼芋屋の表を通ってる男」
喜「アハヽ、わかった/\」
清「あの男、お前知ってるか」
喜「何んや、見た様な男やなァ」
清「見たはずや。あら、町内にいよった按摩あんま七兵衛ひちべえひちやがなァ」
喜「アハヽ按摩の七兵衛か、何んや立派な風態なりをしていよるなァ。もう按摩をして、いよらへんのか」
清「ナァ、喜ィ公、人間と言う者は悲観せいでもええなァ。運と言うものは、何処どこに有るや判らんものや。あいつ按摩をしてる時分には、この町内で養うてたようなもんや。俺とこへ来ても飯を喰わしてやった事が何遍あるや判らへん。ところが、あいつの伯父おじが、ちょっと、金を持っていよったのや。ところが今度その伯父が死んだのやが、跡取りが無いので、その財産を貰いよって按摩を止めて、質屋をしていよるのや。ところが、人間と言う者はちょっと金が出来るとり返りたがる物や。あいつも昔、按摩をしていた時分の事を忘れやがって、あないにえらそうに歩いてけつかる。人間は米の穂と一緒で、実が出来ると頭を下げると、自然、人に可愛がられるが、安物の雪駄を日に干した様に、反り返って歩いてけつかると、むかつくがなァ。そして、この頃、道で逢っても言葉もの一つぬかしやがらへん。お前かて、また、どんな事で運が向いて来るや判らへんで、悲観せいでもええ」
喜「ホウ、七兵衛、豪い者に成りよったのやなァ」
清「あの七兵衛、豪そうにしてけつかるで、ここで赤恥を掻かしてやるさかい」
喜「どないして、恥を掻かすのや」
清「あいつ豪そうに、腰に矢立を差してよるが、字と言うたら一字も知りよらへんのや。それで字を書かして恥を掻かしてるさかい。見てや……オイ、七兵衛や、オイ七兵衛、コラ、按摩の七兵衛、按ん七、オイ、七」
七「ハイ/\あたしですかなァ」
清「おれじゃ、納まるない。先からあれだけ呼んでるのに、おのれの耳へ這入はいらんかい」
七「へイ/\、先程から、何んじゃ、阿呆声あほごえ、出して呼んでござる方があるが、と、思てましたが、あたしとは思いませなんだ。ほかの人を呼んでござるかと思うてな、ハヽヽヽ」
清「何に、ぬかすのじゃい。按ん七というたら、おのれのほかにあるかい」
七「私は、質屋渡世を致してます、鈴木七兵衛と申しますので」
清「コラ七兵衛やと、そんな事はほかの町内でぬかせ、この町内で言える事かい。以前の事を忘れやがったか。今は、豪そうな顔して歩いてけつかるが、按摩をしてけつかる時分には、町内で養なうてやってたのじゃ。七兵衛と言うてもハイ/\、按ん七と言うてもヘイ/\と返事をさらしてたや無いかい。俺とこのうちで、おかゆを食わしてやった事を忘れやがったか」
七「その代わり、その時、按摩賃を倒しなさったやないか」
喜「そんな物を倒さんと、払うときいな」
清「何にぬかしやがるのや。按摩の七兵衛やさかい、按ん七というのが何んの不思議があるかい」
七「ソラ、以前まえは按摩をしておりました。その時分は按摩の七兵衛とわれよが、按ん七と申されよが、ヘイ/\と御返事を致します。しかしこれも、時世ときよ時節でなァ、フヽン/\」
清「アハ、むかつくがきやなァ、おかしな笑い方をさらすない」
七「只今は質屋渡世をしております。名前も鈴木七兵衛と申します。貴郎方あんたがたに言うたて判りまへんやろが、早い話が、あの太閤殿下は、元、藤吉郎とうきちろうというて草履ぞうり取りだした。その時分に藤吉とうきち、ハイ/\、猿よと言われても、へイ/\と返事をせられてましたやろが、太閤殿下に成られてから、木下よ、藤吉郎と言われて、ハイ/\と返事をなされますか。やっぱり、関白殿下とか、太閤殿下とか言わんなりまへんやろ。さすればあたしもそれと同じ事で、昔は按摩をしておりましても、按ん七やなんぞと言われて、只今、ヘイ/\と御返事が出来ますかいなァ。それとも、只今でも、鈴木七兵衛とでもおっしゃるのなら、そら、ハイ/\と御返事を致します。ハヽヽヽ」
清「むかつく奴やなァ。コラ七兵衛、おのれ、そんな事をこの町内で言われた義理かい。しかしそれもええわ。ところで、おのれの腰に差してる物、そら、何んじゃい」
七「マァ、何んと汚ない言語ものの言い方やなァ、これやで、教育の無い人と交際つきあいするのはいややと思いますで、ハヽヽヽ」
清「チョイ/\たいな笑い方をさらすない。ソノ、腰に差してる物、ソラ、何んじゃい」
七「こら、矢立やたてじゃ」
清「矢立。ようぬかしたなァ。いまに恥掻くな。おのれ、その矢立を何んのために腰に差してけつかるのじゃ」
七「コラ、おかしな事を聞きますなァ。お前さんの国では矢立を何に使うか知らんが、あたしは、字を書くために差しておりますのじゃ」
清「ぬかしたな/\。コラ、おのれ、字を、よう書きさらさんやないかい。おのれが按摩してけつかる時分に、ぜにの請け取りを書いた時に何にを書きやがった。覚えてけつかるやろ。魚釣うおつりの浮きのにわとりの画とを書いたやないかい。オイ七兵衛、このは何んやと聞いたら、おのれ、何んとぬかした。浮きとり(請け取りの意)。まるで二輪加にわかの様な請け取りを書きやがった事を忘れたか、サァ、書け」
七「ハヽヽヽあの時分は、その通りやったさかい、今でもその通りやと思うてござるか、不憫じゃ、ハヽヽヽ」
清「むかつくなァ。チョイ/\たいな、笑い方をさらすない、ナァ、喜ィ公、むかつくやろ」
喜「本当ほんまむかつくなァ」
七「それで、何にを書きますのじゃ」
清「何んでもおのれの思うたのを書け」
七「ソラ、無理じゃ。これなら、コレを書けと言うて貰わんと」
清「ヨシ、そんなら、おのれの名前の、七兵衛の“七”の字を書いて見い。モシ、書けんなんぞとぬかしたら、おのれのッ首、引き抜くぞ」
七「そんな乱暴な事を、シテ、もし書きましたら、どうなりますので」
清「書けたら、それでよいわい」
七「止めて置きましょう。そんな片手落ちな話。書けたらそれでよい。モシ、書けなんだら素ッ首引き抜くなんぞ、マァ、止めときましょう。それとも、書けたらこうしようとでも言うのなら、また、と言う事があるが」
清「ヨシ、そんなら、書けたらぜにるわい」
七「銭を遣るわいでは判りまへん。何程なんぼなら、何程とめて貰いましょう」
清「そんなら一円でも二円でも遣るわい」
七「一円でも、二円でもでは判りまへん」
清「それでは一円遣るわい」
七「まさか、二円とは、よう出そまい」
清「むかつく奴やなァ」
七「それでは、銭を出して貰いましょう」
清「書いてから、遣るわい」
七「それは、頼りない。先に、出しといて下され」
清「いま、ここに持っておらんで、書いたら、うちで取って来てやる」
七「尚更、頼りない、止めときましょう」
清「ヨシ、それでは、これからうちへ帰って取って来るで、それまで、ここを動くな。取りに帰ってるに、己れ戻りさらしたら、いよいよ首を引き抜くぞ。オイ、喜ィ公、お前も、うちへ帰って五十銭都合しい」
喜「清やん、五十銭も、とても出来へんで」
清「そんな事をわずに、都合しといで」
喜「そんな事を言うたかて、都合はつかへん。また、出来たとしてもあの七兵衛に遣るのやないか」
清「滅多めったに、よう書きよらへんのやさかい。ただ、あの七兵衛に見せるだけや。シテ、お前が五十銭都合して来たら、銭儲けさしたる」
喜「何んで、銭儲けに成るのや」
清「七兵衛、一字も書けんのは請け合いや。そこでいよいよ、セッパ、つまって、よう書きませんとぬかす。その時、謝罪あやまらさして、書けん罰金を取ってやる。ソヤさかい、んで都合しといでと言うのや」
喜「ホナ、マァ、帰って都合がつくか附かんか、戻って来るわ」
清「そんな頼りない事を言うない……オイ、コラ、七兵衛や、二人が銭を取りにんで来るで、それ迄、ここを一寸も、動いたら承知せんぞ」
七「ハイ/\、えらい勢いじゃなァ。しかしお前さんら、家へ帰ってもぜにの都合は附くかなァ。多分附きやしよまい、ハヽヽヽ僅少わずか、一円の金で、だいの男が二人も帰るのかなァ。サテ/\貧乏人と言うものは情ないものじゃ。ソレ見なされ、私等あたしら、いつもこの通り銭は紙幣さつでも銀貨でも持ってますで、男と言う者は、表へ出たら七人の敵があるとかいますでなァ。フハ……。マァ、一円の銭で、二人がキリ/\舞いをしなされ、とても出来やせんわい、ハヽヽヽ」
清「笑いさらすない。むかつく奴やなァ」
喜「清やん、七兵衛は、八卦はっけよるか」
清「阿呆、感心してるのやないわい。七兵衛、直き戻って来るで、待っとれ」
 と二人はそのまま、ぜにの工面に帰りました。跡で七兵衛、二人の後姿を見て……
七「オホ……えらい奴に出会うたなァ。また、今日きょうは何に思うて、こんな矢立を差して来たのやろ。えらそうには言うたけど、彼等あれらの言う通り、字というたら、一字も知らんのや。“いろは”の“い”の字も、何処どこから書いてええのか判らんのや。豪い所を通ったなァ。知らんと言うたら首を引き抜くテ。マルデ、五月人形みたいに思うてよる。彼奴あいつらやったら、抜き兼ねよらへんで。オホ……。何んぞええ事がないかいなァ。有る/\。この横町の田中さん、あの人に訳を話して教えて貰おう。あの人は、なかなかの学者じゃ、ちょうど、少々のお金も貸してあるで、ええとこへ、気がついた。……ハイ、こんにちは、田中さん、おたくですかなァ」
女「ハイ、何誰どなた、オヽ/\、これは/\、鈴木の旦那さん、サァ、どうぞ、マァ上がりとくれやす」
七「田中さんは、お宅ですかなァ」
女「ハイ、今日こんにち、ちょっと、用事で神戸まで参りましたので、実は、先達せんだってから、お宅へ持って行かんならんと、良人うちのも口癖のようには言うてますのやが、何分にも、不景気で思う様にお金が廻りまへんので、ツイ/\遅うなったような事で、決して捨て置く様な事はしまへんで、どうぞ、もう二三日お待ち下さりますよう」
七「イーエ、今日きょうは別に、貸しの催促に来たのではないので、実は只今、道で乱暴者に出会いましたので、モシ、田中さんがおられたら教えて頂こうと思いまして、お留守で……あの……神戸へ……なか/\お帰りやござりまへんやろなァ。えらい困った事が出来たなァ……彼奴あいつらは、モウ、直き来よるかも知れん。モシ、俺が、今の所におなんだら、首……を……オホ……」
女「マァ、鈴木の旦那はん、豪い御心配の御様子だすが、うちがおりましたら、なんとか、お間には合いませんやろうが、御相談にも成りますのに、あいにくと留守で、妾等あたしら、女で、とても、お間に合いませんやろうが、どんなことで御ございますか。都合で、ツイ、近所に私の兄がおりますで、それでよろしかったら呼んで参りましょうか。シテ、御心配の事と言うたら、どんなことでおますので」
七「へイ、実は恥をわんと判りませんのだすが、私は、“いろは”の“い”の字も存じまへんのや。それに今日は何と思うたか、矢立を腰に差してうちを出ましたのや。この……矢立……が、今日の災難……オホ……その字を知らん私に字を書けと申しますのや。モシ、書けんと言うたら、私の首を引き抜くといますのや。オホ……。彼奴あいつら、引き抜き兼ねまへんので、それで困ってますので、田中さんがおられたら、その字を教えてお貰いしようと思うて」
女「マァ、そうでござりますか。シテ、その字は、どんな字で」
七「実は、私の名前の七兵衛の七の字で」
女「マァ、旦那はん、御戯談ごじょうだんを仰って」
七「阿呆らしい。決して冗談やないので」
女「なんなら、七の字ぐらいやったら、あたしがお教え致しまひょか」
七「あの、貴女あんたが、教えて下はりますか。どうぞ、教えとくなはれ。その代わり、お礼は何程なんぼでも致します。なかなかむずかしゅうて、覚えられまへんやろ」
女「阿呆らしい。むずかしい事も何にもあらしまへん。御覧ろうじ遊ばせや。火鉢の灰の中へ書きますで。コウ、一の字を書いて、上から――引ッ張って来てお尻をちょっと、まげたら、七の字になります。判りまして」
七「ちょっと待っくなはれや。貴女あんたは判ってますで、なんでもおまへんやろけど、なかなか、あたしにはむずかしゅうて覚えられまへんで」
女「それでは、旦那はん、早判はやわかりに、火箸を持って覚えなはれ。ここに一本の火箸がおますやろ、この火箸を、左から右へ、置きます。これが、一の字、書いても同じ事だす。左から右へ、コウ――、書きます。これが一の字。二本目の火箸を上から、コウ、あてがいますと、十の字になります。それで、この火箸のお尻をまげますと、これで七の字。も一ぺん言いまっせ。ソレ前の一の字の上から、こう――棒を引っ張って来てお尻をまげて書きますやろ。これで七の字。お判りになりましたか」
七「ちょっと待っとくなされや。その火箸をちょっと貸しとくなはれ。先ず、一本の火箸を、左から右へこうだすか」
女「そう/\、それでよろしゅうございますの」
七「二本目の火箸をこうだすか」
女「それではていの字になります。頭を一の字の上へ出しますのや。……イーエ、貴郎あなたのおつむやあらしまへん。ハヽヽヽ。火箸の頭を、そう/\、そうしてその火箸のお尻をまげますの……」
七「この尻をまげますので、ウーン……」
女「マァ、本当ほんまに、おまげ遊ばしたワ」
七「火箸は買うて返します」
女「お判りになりまして」
七「ヘエ、お蔭様で、どうやら、判りました。いづれお礼は後から持って参ります。大きに、左様さよなら」
喜「清やん。七兵衛、いよらへんて」
清「ハァ、さては、えらそうにいうてけつかったが、矢ッ張り、よう書けんもんやさかい、逃げてにさらしたなァ」
喜「来よった/\。なんや、赤い顔して、何んや掴んどるで」
清「ヤイ、七兵衛や。何処どこへ行ってけつかったのじゃ、サァ、言うた通り一円持って来た。サァ書け、書きさらせ」
七「ホウ……ようよう一円出来ましたか。書け/\というても、紙も無ければ、筆もないのに書けますかいなァ」
清「ヨシ、いよいよ書くつもりか。紙も筆も手廻してやる。オイ、喜ィ公、向かいの古道具屋で、一枚ふすまの古いのを借ってこい。俺やというたら貸してくれる。……ヨシ、はばかりさん。もう一遍、行って来てくれ。二三軒先の提燈屋へ行って、筆と墨汁すみじると借ってこい……」
喜「サァ、借って来たァ」
清「サァ、七兵衛。そのふすまへ、書くなら、大きい恥を書け」
七「いら/\といなさんな。書きますぞ。書いてから、七兵衛はん、一円は堪忍してくれなんて言いなはんな」
清「誰が言うものかい。それより、今の内に謝罪あやまっとけ」
七「それでは書きますぞ」
活「遠慮なしに書けよ」
喜「清やん。七兵衛が、なんや筆を頂いとるで」
清「っといてやり。もう夢中や。ヤイ七兵衛や。よう、頂いとけ。それが末期まつごの筆やで」
七「オホ……先ず、一本の火箸を、こう……」
喜「書きよった/\」
清「放っといてやり、もう夢中や」
喜「まるで蚯蚓みみずみたいな字を書きよったて」
七「先ず、これで五十銭儲かった」
喜「何んや、清やん。勘定してよるで」
七「二本目の火箸を……」
喜「あの清やん。火箸々々といいよるのが、気になるなァ」
清「放っといてやり。七兵衛や。よう筆握っとけ、それがこの世の別れの筆じゃ」
七「オホ……先ず、二本目の火箸……」
喜「あの火箸が、どだい、気になってかなわん」
七「二本目の火箸を……こう……と」
喜「アハヽヽちょっと、清やん。書きよるで。こら、一円、七兵衛に取られるで」
清「本当ほんまに、こら書きよるで。オイ、七兵衛、判った/\お前が書く事は判った。そこまで、書いたら判った。もうええ、どうや、五十銭に負けといてくれ」
七「なんかすのや、一文も負かるもんかい」
 と……上から引っ張って来た棒の尻を左へまげよった。





底本:名作落語全集・第一巻/開運長者篇
   騒人社書局・1929年発行

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