めか馬(めかうま)
六代目春風亭柳橋
女
氏なくして
玉の
輿へ乗るとか申しまして、女の出世というものは、一足飛びで、
当今の世の中にも随分芸者などが華族や
大官の奥さんになっているという例もございます。とりわけ昔はお大名がお
妾を
沢山に置きましたもので、それは何かというと、先祖の
勲功によって、何万石を
領すという血統が絶えますると、その
家が断絶する。それがため子供が大切ゆえお妾をお置きになったという訳、しかしこれも長者でなければ出来ない事でございます。丸の内の
赤井御門守というお大名、あるお屋敷へお出でのお帰り道、
僅かのお供を従え、御通行の
折柄、今
裏店から出て参ったのは豆腐でも買いに行きますのか、右の手へ
味噌漉を持ち、怪しげな染め返したような着物に、細い帯をグルグルと巻き、
前垂れというほどの物でもなく、ただ前へ
襤褸が
下ってるというような
塩梅、髪も乱れ、年の頃は十七八、左の手で
袂を持って、何のためか後ろへ廻してこれをお尻の所へ当て、出掛けようとすると、丁度お大名のお通り、
路次口へ立ってこれを見ておりますと、お
駕籠の中から殿様がかの娘を御覧になりました。大名は女の
鑑定がなかなか上手な者と見えまして、化粧もせず、髪を乱しておってあれだけの美人、これを一磨き磨き上げたら大したものだろうとお目に留りました。
直ぐお駕籠脇の侍を召され、何か
内所話をして、そのまゝお駕籠はスーッと行ってしまました。かの侍が裏へ入ってみると、
大長屋、井戸があって少し離れて、
掃き
溜めの
総雪隠というのが昔の裏屋の
紋切形、
素裸体になった奴が井戸の中に首を突込んでいるのは、
如何様釣瓶を落としてそれを取ろうとしているものか、
侍「コレ/\町人、コレ」
○「ヘエ、ヘエこれはどうも相済みません。
裸体でおりまして、どうも誠に……、只今
釣瓶を落としまして、私が
月番だもんですから、
糊屋の
婆がグズ/\言いまして、片ッ方ではどうも釣り
悪くっていかねえの、ヤレどうのというんで、忙しい中で、急いで取ろうと思うと
苔が付いてるんで、
辷って落っこッちまうんで
錨がありゃァ
直きに取れるんですが、
家主が
吝嗇だもんだから錨がねえんで、仕方がねえから
種々工夫をして中へ首を突っ込んでいたんで、誠にどうも
裸体で済みません。何か御用でございますか」
侍「イヤこの長屋を守る
家守はおるか」
○「ヘエ、井戸
浚いをチョイ/\いたしますから、イモリはおりません、
守宮は壁から湧くもんで、
晩方になって
下見を見ると
大抵二三
疋は
這っております」
侍「イヤ虫の
守宮ではない。この長屋の
支配をする者をいうのだ、
貴様か」
○「イエ私じゃァございません」
侍「長屋の支配をする者はどこだ」
○「ヘエそれは
家主さんでございます」
侍「なんだ」
○「ヘエ
家主さんなら、旦那御苦労様でも、モウ一遍外へお出なすって、右ッ角に米屋がございます。その隣りが瀬戸物屋で、その隣りで無断を少しばかり売っておりますけれども、自身番へ出て、
町役人とかなんとか言われておりまして、大した役に立つ
爺でもありませんけれども、でもマア高慢な
面をしております。商いといったところが
店子の者とか、町内の者が義理に買いますが、何を買っても高い家で……」
侍「余計な事をいうな、それが支配を致す者か」
○「左様でございます。角から三軒目、
二間半間口で
草箒が外に突っ立ってゝ、たわしだの
蝋燭だの、線香だの、そんな物を売っております。二階の窓の外に三尺ばかりの
物干見たような物が出来ています。この
爺さん植木が好きで、好きッたって
碌な物はございません。縁日へ行って負かして買て来るんで、つまらねえ植木ばかりで、ケチな松の木が
擂鉢の
鉢巻をした奴に
植ってます」
侍「何だ、鉢巻とは」
○「ナニ
擂鉢が
微瑾が
入ってるんで、
箍が掛かっていますんで、植木棚が腐ってるから危のうございます。この間もそういったんで、買物に来た人の頭にでも落ちると大怪我をするといったんですが、やっぱりその
儘になってます。これを出て右へ曲ると
直ぐに知れます」
侍「ウム
判った……。コレ/\この先の米屋の裏長屋を支配するのは
其方か」
家「ヘエ、米屋の裏はズッと私が支配しております。何ぞ長屋の者が粗相でも致しましたら、私が成り代わってお詫びを致します。どうも無作法の奴ばかり沢山におります裏長屋の事でどういう粗相を致しましたか、お詫びを……」
侍「イヤ
詫まるには及ばん。アノ長屋に年は十七八、
扮装も粗末なら、髪も乱しておるが、誠に
容貌美き
女子がいるが、あれは何者の娘である」
家「ヘエ、長屋に十七八、ヘエ/\、あれは少し
不具者でございまして、十七八には見えますが、まだ年は十三と少しばかりで、誠にどうも相済みませんが、子供の事ゆえ
何分御勘弁を願います。親孝行者でございまして、
親父は三年あとに
没なりまして、
兄貴がありますが、これが
破落戸で仕様がございません。親子三人貧乏暮らしを致しております」
侍「ウーム、ハテ困ったな、十三ではどうもいかんな」
家「ヘエどういう粗相でございますか、誠に親孝行者ゆえ……」
侍「イヤ粗相を致して、それを
咎めに参った訳ではない。
身共は丸の内
赤井御門守の家来
赤熊軍十郎と申す者である」
家「ヘエ」
軍「実はあの娘が
上のお目に留まって、
妾に欲しいという仰せであるが、十二三ではどう致し方がない」
家「アヽ左様でございますか、それは有り難う存じます。何か粗相を致した事と存じまして、十三と申しましたが、全くギリ/\のところは十八で……」
軍「なんだ十八歳、髪は島田に束ねておるが、
町家の者は
夫ある者でも島田
髷に致しておる。亭主など定まりおるのか」
家「どう致しまして、まだなかなか亭主などは持ちません。兄はあってもなきが如く、
阿母を
対手にあァやって
襤褸を着て、髪を乱して一生懸命内職をして働いておりますが、実に感心な娘でございます。まだ色気とても丸ッきりございません。もし御縁がございまして、そういう事にでもなれば、
阿母の喜びは一通りではありません。どうも有り難う存じます」
侍「イヤ、お前は有り難いといったところが本人が不承知ではいかず、また
破落戸にもせよ、兄いう者があってみれば、それに相談をしなければなるまい」
家「ナニあなた、
兄哥だって、アンナ野郎は長屋の厄介者で
否応いわせる気遣いございません」
軍「しかし万一不服があってはならん、早速赤井御門守屋敷へ尋ねるよう、
其方から申し付けて貰いたい。支度金は望み通り取らせる。また一つ申しておくが、至ってお堅い殿様で、これまで幾らお勧め申しても妾という者をお持ち遊ばさない。ところが、奥様に未だお子様がないによって
御家のため、お召し抱えになろうというのだが、あの娘はちょっと身体の様子を見ても誠に丈夫そうであるから、幸いにお世取りでも挙げるようになれば、大層な出世であるから、母や兄にもよく申し付けて、
篤と相談の上早速
否を申し出るよう、只今申す通り、支度金は望み通り取らせる」
家「ヘエ、早速明朝伺うように致します」
いい置いて侍は帰ってしまった。
家「
婆さんや、婆さんや、大変な事になっちまった。お前も聞いてたろう。裏へ行っておつるの
阿母を呼んで来な。アノ
婆さんも聞いたらさぞ喜ぶだろう。正直は者は神様が助けるんだな。支度金は望み通り出すというんだ……。どうした、エー風邪を
冒いたッて寝ている。そうか、アンな丈夫の婆さんでも風邪を
冒くか、鬼の
霍乱という奴だ。眠り病じゃァあるめえな。病人を呼ぶという訳にもいかねえ。俺が行って話をしてやったら、風邪くらい
癒ってしまうだろう……。オイ婆さんや閉めて寝ているのか。よっぽど悪いと見えるな、婆さんや」
婆「何をいってるんだい。また酒屋の御用だよ、
極ってるよ。人の事を婆さん/\って、用のある時にはヤレお婆さんだの、
阿母さんだのッて、何を叩くんだ。人の家を遠慮もなく……
叩っ
毀しちまうよ。
店賃も
碌々納めねえで、戸でも
毀したら
家主さんに対して済まねえ。御用め、
極ってやがる」
家「何をいってるんだ。酒屋の御用じゃァねえ、俺だよ。明かねえのか、締りはねえッて明かねえぢゃァねえか、ナニ
力を入れてウンと押せ……、アーなるほどいた、オヽ寝ているな」
婆「オヤこれは
家主さんでございますか。マアとんだ失礼を致しました。イエ
例もこの横丁の酒屋の御用が来ましては、私の事をヤレ
皺くちゃ婆ァだの、百なり婆ァだのと言いますんで、ちょっとお声が似ていたもんでございますから、大きに失礼を致しました。
家主さん毎度どうも有り難う存じます」
家「どうした、鬼の
霍乱という事があるが、
平常丈夫のお前が風邪を
冒くなんて……」
婆「イエナニ仮病なんでございます。明日は
晦日でございましょう。ソロ/\書き付けや何か持って来ますんで、モウ気になってなりません。マア風邪でも
冒いているといえば、同じ言訳をするにも
仕宜うございますから、時々仮病を
遣いますが、実は丈夫なんでございます」
家「それは何より幸せだ。身体の丈夫ぐらい結構な事はない。今お前の所へ来たのは、
他じゃァないが、マア上がって話そう」
婆「どうぞこちらへ……、モウ御承知の通り、ヤクザ野郎があの通りで、
度々小言もいって下さるが、
糠に釘で
家にったら
些とも寄ッ付きません。今日で五日も帰りません。何にもしないで、ノソノソしておりますので
真実に困り切ります。それでもマアおつる
坊が、孝行をしてれまして、一生懸命内職をしましたり、お使いをしてお小遣いを頂いたりして、どうやらこうやら、
母子二人は足らないながらも
凌いでおります。只今もちょっとそこまで使いに参りましてございますが、
家主様にも
種々御厄介になりまして、この間も、お隣りのおかっさんと噂をしたんでございます。ここの
家主さんくらい結構な方は無い。お察しがよくって、長屋の者を
可愛がって、
店賃の催促もなさらず、五六日前にも、おかっさんがお目に掛かったら
体裁が悪くって、ツイ
良人が仕事を休んでおりましてといい掛けると、
家主さんが
外の話をしてお帰りになった。アンナ御苦労人はないと言いますから、私があなたの事を知ってますから言って聞かしてやりました。苦労人たって、アンナ苦労をした方があるもんじゃァない。立派な
身代の
家に生まれた訳ではない、
上総の
鹿野山下の根本村という所からお
出になって、
番太の所へ奉公して
在しった事を私が知っておりますから話をしてやりました。話をしなければ苦労人という事が分からないと存じましてね、その時分には何とか言いました。
葛の良いのは……、アヽ
久助さんといって町内の使いやなにかしてお
在なすった。私どもは
表店にいて、立派というほどじゃありませんけれども、これでもどうにかこうにかして町内の祭りなどというと、どうだろう、こういう風にしようじゃァないか、貧乏町内ではあるけれども、あんまり
見ッともない事も出来まい。これはこうしたらよかろうと、死んだ親父に一々相談するような身分でございましたのが、今ではこんな汚ないといっては
家主さんに済みませんけれども、マア裏へ引っ込んで、その時分
番太郎に奉公をしていた方が、今では立派な
家主さんになって、
町役人をしてお
在なさる。人間という者の浮き沈みは分からないもので。しかしそれだけに苦労をなすったから、何もかもお察しがよくって
在っしゃると、散々おかっさんに話をして聞かしたんでございますよ」
家「マア/\そうノベツに
喋舌んなさんな。俺が一言いう
中にお前が
十言も
喋舌るから始末にいかねえ。余計な事をいって俺の
讒訴をしちゃァいかねえ」
婆「イエ
讒訴という訳ではございません。自慢話で、人間というものはどうでも貧乏から仕上げたんでなければいけません」
家「マアいいよ、
褒められるんだが悪くいわれるんだか分からねえ。実はマアあの
娘の事について、お前を喜ばせようと思って来たんだ」
婆「オヤ恐れ入りましたね、モウ私は
全然歯が役に立ちませんで、固いものは少しも食べられません。お酒は戴きませんし、アンコは結構で……」
家「何をいってるんだ、意地の
穢ねえ婆さんだ。おつる
坊の事なんだが、
八公はどこへ行ってるんだ」
婆「アノ野郎の
居所が分かった
例はありません」
家「分からねえッツてともかくも
名前人だ、八公に相談しなくっちゃァいかねえ」
婆「デハおつるがどうか致しましたか。
真実に子供という者は油断がならないと、よく申しますが、女の
餓鬼がそれがが一番
嫌なんで、マア
対手は誰でございます」
家「何をいってるんだ。
対手も何もありゃァしない」
婆「なんだか
私には
些とも訳が分かりません」
家「俺だって訳が分からなくなった」
婆「おつるが
情夫でも
作らえたんじゃァないんですか」
家「そんな訳じゃァねえ、マア落ち着いて聞なよ」
婆「
私は落ち着いています」
家「落ち着いちゃァいないよ。
先刻この前をお大名がお通りになったんだ」
婆「アヽあいつがお
転婆でございますから、お
供先でも切って、それで
自身番へ……」
家「そうじゃァねえ、お前のようにそう先がけにいっちゃァ話が出来ねえ。その時におつる
坊がお目に留ったんだ」
婆「お目に留ったというのは、どういう事で……」
家「どういうッて、大変にお気に入って、奥様はあっても子供
衆が出来ず、お
妾を勧めても今まで一人もお妾をお置きなさらなかったところが、おつる
坊を
是非お妾にしたいというのだ。幸せの事じゃァねえか、支度金は望み次第下さるが、それともお前不承知か」
婆「不承知どころじゃァございません。この通り三度の
食にも差し支えるくらいの所、マア私は起きてるでしょうか」
家「起きて口を
利いてるじゃァねえか」
婆「
真実に夢のような心持ちが致します。有り難う存じます。これと申すも三年
跡に亡なりました親父の引き合わせでございましょう。俗名は
治兵衛、戒名は
安蒙養空信士、また二つには日頃信ずる
高祖日蓮大菩薩様、中山の
鬼子母神様、熊本の
清正公様……」
家「オイ/\
串戯じゃァねえ。本当に
呆れ返った婆さんだ。
確かりしなくちゃァいかねえ」
婆「有り難う存じます、
確かりしております……」
家「泣いちゃァいかねえ。困ったなァ、それについて八公に
是非会わなくちゃァならねえ」
婆「イエあんな野郎に、こんな話をすれば何をするか知れません」
家「馬鹿な事を言いなさんな。ともかくも
名前人だ。早速居所を
捜して俺の所へ八公を
遣しな。町内の内にいるだろう」
婆「左様でございますね、アノ野郎町内中あらかた借りがありますから……」
家「借りなんか心配する事はねえ。この話さえ
纏まれば
皆な返せるんだ」
婆「ハイ、そうなりませば、心当たりもありますから、呼びに参りまして、グズ/\していれば首ッ玉へ縄を付けて引っ張って参ります」
家「そんなにしねえでもいいが、何しろ
明日の朝までにお屋敷の方へ御返事をしなけりゃならない。こっちさえよければ先様では
御意に
適ってるんだから、いいかい、いたら
直ぐに八公を
家へ
遣しておくれ」
婆「
畏まりました。どうか少々お待ち下さいまし」
と婆さん飛び出したが、なかなか
破漢戸の八公、どこを歩いてるか分らない。
婆「銀さん/\」
銀「オヽ
阿母、何だい」
婆「八の野郎どこにいるか知らないかね」
銀「アヽ
新道の
建具屋の二階に
素裸で、
閉じ
籠っていたっけ」
婆「また始めやがって、何でも飲むと打つと、買うんだから
仕様がない」
銀「隠れてるから、お前が行ってもいねえというだろう。お前用があるなら呼び出してやってもいいが、ともかくもお前
門口へ行って聞いて見ねえ。いけなかったら、俺が呼んでやるから」
婆「どうか、お
頼う申しますよ。
真実に
仕様のねえ野郎だ。……
内儀さん毎度どうも野郎が御厄介になって済みません。アノ野郎こちらにおりましょうか」
女「そうですねえ。
家は出入りが多いからよく分かりませんが……八さんは来ているかい」
○「いませんよ」
女「来ていないそうですよ」
婆「オヤそうで……ちょっと銀さん/\」
銀「エー、いねえって、
仕様がねえな。
極ってやがる。オヽ八や、俺だい」
八「アヽ、
銀衆か、マア
昇んねえ」
銀「
昇んねえぢゃァねえや。
阿母が心配して
捜してるんだ」
婆「アラこン畜生、
真実にいるのにいねえなんつて、
呆れ返った野郎だ」
八「アヽ
阿母さんか、
阿母さん
仕様がねえ」
婆「馬鹿にするな。何が
阿母さんだ」
八「来ちゃァいかねえよ。何しに来たんだ」
婆「何しにじゃァねえ、少し話があるんだ」
八「
極ってらァ。マアいいよ。
判ってるよ」
婆「
判ってる奴があるかい。
仕様のねえ奴だ。ここまでちょっと降りて来ねえ」
八「なんだかそこで
呶鳴んねえな」
婆「大きな声じゃァ話せねえ事だよ」
八「どこから催促が来たんだ」
婆「催促じゃァない。モッとこっちへ耳を持ってきねえ」
八「
仕様がねえなァ……。ナニウム、おつるがフヽヽ。ウンなるほど、支度金は望み次第、
占めたな。そうか……」
婆「それについて
家主さんが心配しているんだ。なにしろお前が
名前人だから、お前の承知のない事は出来ないと、アヽいう堅い人だからそういうんだ。お前、
直ぐに
家主さん
所へ行かなくっちゃァいけないよ」
八「借りがあるからなァ」
婆「借りがあっても話さえ
極れば返せるんだ。
家主さんの方がお前より喜んでるから、なにしろ行かなくっちゃァいけねえ」
八「行くったって
裸体だ。
家主さんにこういってくんねえ。誠に済みませんけれども、
朋友に頼まれて、義理で
建具屋の二階に
裸体でおりますから、どうか
宜しきようにお
頼う申しますって……」
婆「
朋友の義理で
裸体ている奴があるか。
仕様がねえ奴だなァ」
婆さん仕方がないから、
家主さんへ行って話をして、
単物を一枚借りて来て、これを引っ掛けさせて連れて来ました。
八「
今日は、どうも
家主さん済みません」
家「マア
今日は小言は言わねえ。こっちへ
昇んな/\」
八「ヘエ、どうも誠に済みません。
阿母から
概略話は聞きましたが、なんだか知らねえけれども、おつるの
阿魔が、大名の鼻の先へブラ下がったって……」
家「鼻の先へブラ下がる奴があるか。お目に
留ったんだ」
八「アヽお目に留ったのか、なんでもその見当だと思った。デ、マア支度金とかなんとかを、くんなさるって、どうも有り難う存じます」
家「何をいってるんだ。それについてお前に不承知があるかねえか、それを聞きてえから、
阿母に探しにやったんだ」
八「どう致して、不承知なんかありゃァしません。アンナ者でも売れ
口がありゃァ結構だ」
家「
仕様のねえ奴だな。支度金の
所は望み次第取らせるというから、ともかくも着物を
造らえたり何かして、この位
要るだろうという所を言い出しなさい。幾らでもいい」
八「そうですねえ。そういう事は
大概相場がありましょうから、どうか
宜しく……」
家「それはいけねえや。俺はこんな人間で中へ入って一銭一文でも儲けようという考えはねえ」
八「なるほど、
桂庵賃は
先方から出るんで」
家「変な事をいうな。お前のためを思うから心配しているようなものゝ、俺の事じゃァねえ。お前は
主人じゃァねえか」
八「
主人は
裸体だ」
家「
裸体でも何でも生きてるから、望みがあるだろう。この位支度に
費って、婆さんの手当も少しは取って、借金を返すぐらいの勘定を立てゝよ」
八「
旨くいってやがる、
店賃を取ろうと思って……」
家「何をいやがる。店賃を取ろうという訳じゃァねえ。
明日の朝までに返事をするんだからどうだ」
八「どうも弱ったなァ、こんな事に初めて
出っ
遭したんだから……。あいつを
女郎に
年一ぱい
打ち込んだところで大した事はねえ」
家「女郎に売るのたァ違うよ。女郎と一緒にする奴があるか」
八「そりゃァそうだけれども弱ったなァ。……どういうもんでごぜえましょう。エー片手ぐらいの
所じゃァ」
家「そうさなァ。片手というと、
些っと
大仰じゃァねえかと思うが……」
八「じゃァ三両ぐらい」
家「エー」
八「三両ぐらい」
家「馬鹿野郎、
対手はお大名様だ。なんだ三両ばかり、五百両だと思うから少し多いといったんだ。少なくも三百両ぐらいの所は大丈夫だ」
八「三百両、
宜うがす。手を打ちましょう」
家「手を打つ奴があるか、古着屋じゃァあるめえし」
八「どうも有り難え。三百両と来た日にゃァ、スッカリ
扮装も出来て、近所の借金を返すけれども、
家主さん、
店賃は払わねえよ」
家「馬鹿ァいえ、貰う物は貰う」
八「そうかねえ」
なにしろ三百両と聞いたから、二つ返事、どうぞお
頼う申しますというので、
家主からお屋敷の方へお挨拶をすると、三百両のお支度金が差し支えなく下がり、支度
万端整っておつるはお
妾に上がました。元々
見初めたくらいの者ゆえ殿様の
御寵愛深く、たちまち御妊娠。オギャアと産み落としたのが玉のようなる男の子、お
世襲をお産み申したから、
直ぐに、お
鶴の
方という
方号を頂いて、お
上通りの取扱い。ソコで妹から兄に遭いたいと願ったものか、八五郎を呼べという仰せ。早速、
家主付き添い、お屋敷へ出るようにというお
沙汰が来ましたから、
家主は喜んで八五郎を呼びにやる。
八「
今日は、どうも有り難う存じます。今聞きましたらなんだか妹が
餓鬼を
産り出したそうで……」
家「馬鹿ッ、
餓鬼を
産り出すってえがあるか。それについてお屋敷からお
沙汰があったから、お喜びにお前出なくっちゃァいかねえ」
八「ヘエー、
私が行くんですかい。弱ったなァどうも。金は
大概遣い
失くしてしまったし、
些たァ
良い衣類も着て行かなけりゃァならず、
交際に追い倒されてやり切れねえ。これは断っておくんなさいな。大名
交際と来た日にゃァ骨が折れるからね」
家「馬鹿野郎、
交際う気になってやがる」
八「だって
只も行かれねえ。どんなに
吝嗇にしたって、
飴でも買ってって、チビ/\お
舐ぶんなさいぐらいの事言わなくっちゃならねえ」
家「馬鹿野郎、
高貴方へ対して、何か持ってくなどという事は大変な失礼だ。ただ行きさえすりゃァいい。お前こそ行きゃァ
只という事はねえや」
八「ヘエー、何かくれますか」
家「お
目録頂戴ぐらいある」
八「ヘエー、おもく/\」
家「おもく/\という奴があるか。お目録といって
金を下さる」
八「ヘエー、大名てえ者はなかなかくれたがるもんだねえ。シテみると
交際って損はねえ」
家「どうもお前はガサツ者だからいけねえ。口の
利きよう、
起ち
居振る舞い丁寧にしねえと、妹が恥を
掻くぜ」
八「ヘエようございます」
家「
袴羽織はどうしても
着けて
往かなけりゃァならねえが、その用意があるか」
八「エーあります」
家「年中
尻切半纏一枚でいる奴が、よく持ってるな」
八「その古い方の
箪笥の上から二番目の
抽斗に
入ってる」
家「こりゃァ俺の
所の
箪笥だ」
八「その
抽斗に
入ってる」
家「気味の悪い奴だな
此奴、なるほど上から二番目に
袴羽織が入ってるが、どうして知ってる」
八「
此間来た時に、台所の方に誰もいねえから上がり込んだのを、店番をしていた
少女が知らねえから、ちょっと開けてみたんで」
家「物騒の奴だな」
八「
平常高慢なことを言ってるけれども、
箪笥の
抽斗に、どんな物が
入ってるかと思って開けてみたんで……」
家「
酷い奴があったもんだ」
家主も
呆れましたが、しかし
破漢戸でも根が正直な男だから、腹も立てずに
袴羽織から衣類スッカリ貸してやって、
先方でこう言ったらこう言え、
成丈口数を
利かねえで、殿様の前へ出たら、
総て丁寧にしろよと、スッカリ教えて
家主同道でお屋敷へ出ましたが、
家主さんは御殿へ出られない。
控所に控えております。身分の
高下は争われない。貴い方の前へ出ますと、御威光に恐れて奴さんガタ/\震え出して、段々
後の方へ下がって来る。
殿「妹つる、
世襲を挙げ、満足である。これにおるも窮屈らしい。
次で
酒を取らせろ」
というお声が掛かる。
侍「サアどうぞこちらへ……」
という案内に
次へ来て見ると
酒肴が
列んでおります。
八「ヘエ、どうも皆さん
種々御厄介様でございます。有り難う存じます。婆さんも心配してどうだろうどうだろうと、
家で苦労ばかりしています。悪い物でも
食って
身体を悪くしやァしねえか、
軽挙の真似をして転びでもすると大変だって、そんな事ばかりいって毎日心配しているんで、大丈夫だよ。余計な心配しねえがいいと言っても
老人だもんだから、苦労ばかりしているんで……」
侍「モシ/\余り
大声を
発しないように……」
八「
大声って……アヽ大きな声をしちゃァいけねえッてんですかい。どうも済みません。ツイ
大え声をしつけてるもんだから……ネーモシ旦那、酒てえ奴は一人で飲んでちゃァ旨くねえ。一つどうです。エーそうですか……、なんだか少し
痺れが切れて来て
仕様がねえが、ここらでトグロを巻いちゃァどうでしょう」
侍「ハア、トグロを巻くといいますと、どういう事で……」
八「
胡坐を
掻くんだ」
侍「ハア
胡坐の事で、どうぞ御遠慮なくトグロをお巻き下さるよう」
八「それにゃァどうも
窮屈袋を
穿いてちゃァ、
旨く
往かねえ、サアこうなりゃァ何でも、持って来い。
手酌でグン/\やるから、ズン/\酒を
燗ておくんなせえ」
下らない事を言いガブ/\飲み、
殊に妹が出世をしたので、嬉しくって
堪りませんから、
十二分に酔っ払って、
八「ねえ旦那、なにしろ大名なんてえ者は、旦那の前だが、随分骨が折れるね」
侍「どうもそう
大声を発しては……」
八「
大声たってそうじゃァねえか。驚いたねえ。どうぞこちらへというんで、幾ら歩いても畳の上ばかり、ここで追っ放されたら私ゃァ出口が分からねえ。迷子になるくれえだ。
家が立派で、道具は
良し、
食物は
旨えし、酒は
良いし、安くねえね、
一合幾らだか知らねえが……」
侍「
左様な事は言わんで、サアズン/\飲みなさい」
八「ズン/\たってそうのべつに飲める訳のものじゃァねえ。婆さんが喜んでたせ。
乃公がこれで屋敷へ行く事になったといったら、それはなにしろ結構だ。けれども婆さんが
只た一言……」
侍「そんな大きな声を……」
八「大きな声たってそうじゃァねえか、身分の違うというものは情ない、おつるの
阿魔が……」
侍「
阿魔とは
怪しからん」
八「ヘエおつる様というんでごぜえますか」
侍「おつる様といわんまでも、
阿魔はいかん」
八「マアおつるが生みゃァ
初孫だ。こっちが貧乏人で
先方が大名の
殿的だ」
侍「
殿的……」
八「アヽ
御免なさい。マアお大名だから、孫の
貌を見たいって見る事は出来ねえ。抱きてえって抱く事も出来ねえ。何も楽しみがねえから、お
前が行ったらその
餓鬼……じゃァねえ、その子供を、
二人前だけ見て来てくれと婆さんが言やァがるんだ。
撲られたって泣いた事のねえ俺だが、その時にゃァ涙が
溢れたねえ。もし抱けるようなら
二人前抱いて来てくれと言ゃァがって、ホロ/\婆さんが泣きゃァがるんだ。
二人前見るの、
三人前見るのッて
訝しいけれども、身分が違うために
傍に寄る事が出来ねえと思うと、婆さんだって
可哀想じゃァねえか、ネーオイ大将……」
侍「コレそんな大きな声をしては困る」
手に取るようにこれが殿様のお耳へ入りまして、思わず
御落涙。アヽ
可哀想に、身分が違うために
初孫が見たいというは
道理じゃ。
斯様な物を知らん奴でも男は男、
楠は泣き男を抱えたという例もある。またなんぞの役に立つであろうから、
小身たりとも侍に取り立って
遣わしたら、母も共に屋敷へ引き取り、孫の
貌も見られるであろうと、ソコで改めてお
沙汰になって八五郎、五十
石の
小身ではあるが侍にお取り立ての上、お
小屋を下さる事になり、親子
共大喜びで、それに引き移りましたが、名前がなくってはいけない。妹と違ってこれは
酷い
醜男、お
側役人も面白半分、まるで
蟹に似ているから
可笑な名を付けてやろうと、
石垣杢蔵源の
蟹成という名を付けました。サア御家来方の
玩弄物、
○「石垣
氏」
八「エー何だ」
その
頓珍漢というものは実に
可笑い。ある日の事
八「
阿母、俺が
此間ちょっと話に聞いたけれども、マアこうやってこっちへ引き取られるようになってから、
朋友の
奴等が
種々な事をいってるそうだ。妹の縁でこの頃は
大した事になったという話をする人もあるそうだが、中にはやり切れなくなって
到頭夜逃げをしてしまったといってる奴もあるそうだ。ツイ急いだもんだから、
碌に
暇乞いもして来なかった。それについて俺は
此間からそう思ってるが、
今日は一つ
後ろの
綻びたような羽織を着て、
朋友の所をズーッと廻って来ようと思う」
婆「けれどもお前が二本差して出たところが、まだ
髷が小さいからね」
八「そんな事を待っちゃァいられねえ。姿を見たら
皆なも安心するだろうし、
家主さんの所へも行って来てえ」
婆「じゃァ行って来るがいい」
大小を差し、ぶつ
割羽織を着て、一人
供を連れて、屋敷を出て町内へ来ると、職人が多いから、余り昼間はおりません。あっちへマゴ/\こっちへマゴ/\していると向こうから来た職人、
○「オヽ向こうへ来た
侍は、八の野郎にどうも似ているぜ」
△「似ているけれども
侍だ。あいつ夜逃げをしたってえじゃァねえか」
○「ウム、やり切れなくって逃げちまった」
△「夜逃げをした奴が
侍になる訳がねえ」
○「だけれども何だか、妹を
女郎に売ったとか、
妾にしたとかいうぜ」
△「妹が妾になって、
彼奴が
侍になる訳がねえ」
○「しかしあんまりよく似ているなァ。ニコ/\笑って来やがる。声を掛けて見ようじゃァねえか」
△「八公なんて、もし違って、
突然引っこ抜いて無礼打ちなんてやられると大変じゃァねえか」
○「だけれども似ているぜ、段々こっちへ来る。なァオイ、一つ何とか言ってみよう」
△「じゃァ、俺は
尻を
端折って逃げる支度をしているから、お
前声を掛けてみねえ。八公ッつたら俺はパッと逃げ出さァ」
○「なるほど、そいつァ面白い。ナニ追い掛けたって
先方はあれだけの物を差してるんだ。こっちゃァ
空身だから、
駈っこなら大丈夫だ。いいか、呼ぶぜ、オヽどうした八公、恐しく立派になったじゃァねえか」
八「イヤ、これは/\
一別以来……」
○「オーイ逃げねえでもいい、
真物だ。一別以来と来やがった。恐しく立派な刀を差してるじゃァねえか」
八「これは殿より
拝領して、貰って、頂いたんだ」
○「馬鹿に丁寧だな。何にしても
旨くやりやァがった」
八「マア喜んでくれ、今じゃァこういう身分になった」
と
朋友の所を触れて歩く。その中に御親戚へそれが知れて、
赤井御門守に
於ては、面白い御家来をお抱えになった。どうぞ非番の折などは、
徒然を慰めるため、お
遣し下さいと毎日のように八公
玩弄物にお屋敷へ呼ばれ、あるいはイケゾンザイな口を
利いたり、変な事をするのが
可笑く、
明日はお客があるから来てくれというような具合。ある日の事御親戚のお大名から、どうぞ
是非というお頼みがあった。当人も
諸所へ行っちゃァ恥を
掻くので、
流石に
体裁が悪く、モウ
御免を
蒙るというので、
態とお
使者の役を言い付けた。
委細の事はこの
文箱の中の書状に
認めてあるから、これを持って参れという申し付けで、
文箱を持って出ようとすると馬の用意がしてある。
八「オイこの馬をどうするんだ」
槍持「ヘエ、あなたがお召しになるので」
八「いけねえ、まだ三日しきゃァ馬の稽古をしねえから、
尻がフハ/\して
鞍に付かねえ」
槍「それでも
馬乗のお使いだから、お召しなさらなくっちゃァいけません」
八「いけねえったって俺にゃァ乗れねえから、お
前乗ってくれ、俺が
槍を担いで行く」
槍「それはいけません。御主人槍を担いで槍持が馬に乗るという事はありません」
八「弱ったなァ、稽古を三日しきゃァしねえんだからな。……じゃァ乗るよ」
どうかこうか
手綱を持つぐらいの事は覚えたから仕方がなしに乗り出したが、馬は乗り手を知るといって、
悧巧なもので、馬の方で馬鹿にしてノソ/\と歩き出して、どうも
緩い事。
丁度夕方今の
小川町といったような賑やかな所へ来ると、ピタリ立ち
停ってどうしても動きません。
八「オイいけねえや、馬をどうかしてくれ。オイどうかしてくれ。馬も
疲労れたと見えて、動かなくなっちまった。弱ったなァ、どうも
仕様がねえ……」
その中に人が
集って見る。槍持は槍を持って往来に突っ立ってもいられない。こっちの
番太郎の
家へ槍を立て掛けて、縁台がありますから、それへ腰を掛けて、日あたりが
好いんで居眠りをしている。
甲「オイ/\、アノ
侍はどうしたんだ」
乙「寝ているんだろう、
邪魔の野郎だ。
引っ
敲け」
片っ方が職人で、気が短かい。ボンと一つ
鞭を入れた途端に、馬はヒーンと
棹立ちに立ったから、奴さん肝を潰して首っ玉へかじり付いて、
八「助けてくれえー、助けてくれー」
呶鳴ったが馬はその
儘走り出して品川の方を
指して飛んで行く。この時
丁度品川の方からお出でになったのが
同家中で、岩田
馬之丞という馬の先生、飛んで来る馬の前へ立って、ドウといって口を取ると、馬は先生という事を知っているから、たちまちピタリッと
四足を
留めた。
馬「石垣
氏、
血相変えていづれへお越しになる。何かお
家に
椿事出来、お
国表への早打ちか、いづれへお
出でになる」
八「馬が知っておりましょう……」