富八(とみはち)
四代目柳家小さん
毎度落語のお噂に出ますが、その昔
富籤というものが行われました時分の事、
女房「どうするんだえお前さん、呆れ返っちまうね、仕事もしないでぶら/\遊んでいて、やれ
昨夜こんな夢を見たからどうだとかこうだとか、そんな事ばかり言ってて、あんまり馬鹿々々しいじゃないか」
八五郎「何を言ってやがる。
箆棒めえ、仕事をしねえたってな、富と言うものはな、一つ当りゃァ一夜のうちに
分限になれるんだ。なァ遊んでてコラヨてえような事を言って手でも叩いて奉公人を呼んで、済ましていられる身分になるんだ、ヨウ幾らか都合してくれ」
女「幾らかったって出来ないよ」
八「そんな事を言わねえで、一分二朱ばかり算段してくんねえ」
女「算段だってモウ何にもありゃァしないよ。お正月が来るというのに、
襟垢の付かない着物一つ引っ掛ける事が出来ないじゃァないか」
八「だって
汝、
小気体の利いた
半纏を着てるじゃァねえか。それを貸してくれ、、一分二朱借りて来らァ」
女「こんな物で貸すものかね」
八「貸さねえ事はねえ。番頭を
談じて二分借りて見せる」
女「いけないよ、これを持って行かれちまったら、何にも他に着る物がありゃァしない。いけないったら……」
八「マアいいから貸せよ……貸さねえか、貸さなけりゃァ殴るぞ」
腕ずくでとうとう
奴さん女房の着ている半纏を剥いで、これを持って質屋へ来ると、番頭を談じて
漸く一分二朱借りて、湯島天神の
地内に富籤がございます、そこへやって来る途中、
八「
昨夜の夢が大変に好かった、アノ夢の通りに行きゃァ旨えんだが……オヤ大道易者が出ているな、
此奴だって素人より上手だろう……オイ
卜占の爺さん」
易者「ヘヽ、身の上当用縁談の事……」
八「何を言ってやがるんだ。そんな事じゃァねえ、
昨夜夢を見たんだ……判断してくれ、
梯子の上に鶴が止まってる夢を見たんだ。ナァ、はしごだから八四五だろう、鶴は千年だから千八百四十五番という
札を買えば当たるに
極まってるじゃァねえか……」
易「何だお前さん、夢判断なら夢判断で、そんなにお前の方で言ってしまっちゃァいかない、……何だね、富の札を買いなさるのだね」
八「そうだ」
易「成程、お前が梯子の上に鶴が止まったと言うので、八百四十五、それを鶴が千年だから千八百四十五番の札を買うとこう言うんだね」
八「ウム」
易「失礼ながらそれは素人判断だ。梯子というものは昇るものか降りるものか」
八「つまらねえ事を言ってる。梯子は上がったり下りたりするに
極まってるじゃァねえか」
易「それには違いないが、まずちょっとした話が二階へ上がってる時に、梯子を引かれたらお前さんどうする」
八「飛び下りらァ」
易「飛び下りる。では二階に急の用があって上がろうとする時に、上から梯子を引かれたらどうする……飛び上がる訳にはいくまい。もとより上がり下がりのために出来ている梯子だが、上がるという方が肝腎だ。それだからこれは下から上へ読んで、千と五百四十八番を買ったらいいように思われる」
八「成程々々、うめえ事を言う。
流石は商売人、餅屋は餅屋だ、有難うよ、左様なら」
易「モシ/\お前さん、
見料を置いてかないでは困る。
私もこれ商売だ」
八「愚図々々言いなさんな、当たったら沢山見料でも何でも
遣らァ……」
乱暴な男で、勇気付いて天神の地内へ来て見ると、モウ時刻が来ているので、人が一杯、芋を揉むようでワイ/\いう騒ぎ、
口富に
中富というものを突きまして、最後が打ち止めの千両取り、口富も中富も五十両位取れるので、打ち止めになると人間がまるで沸き立つようになっております。物は違っても
今日競馬で馬券を買うのと心持ちは同じでございましょう。寺社奉行から役人が二人出まして、主に子供が
錐をもって突くのだそうでと、四角の箱の中に札が
這入っていて、箱の四方は張ってあって真ん中に穴が開いている。坊さんが出て来て
大般若の読経が終わり、箱の両方へ二人の坊主が手をかけて、ガラ/\/\と振る、中へ手は
這入りませんが、振って
札を掻き廻すようなもので、
錐を持った小坊主が出て来て、突きますという声が掛かると、沸き立ってるような騒ぎの人間が、
忽ち水を打ったように
寂然としてしまいます。真ん中の穴へうまく
錐を打ち込む。錐の
尖へ札がついてるまま手を付けないで衆人に見せて、その札に書いてある番号を読み上げる。子供の声はよく透るもので、千五四百四十八番……千五百四十八番……声が掛かりましたが、なかなか急には聞こえません。かの八五郎の耳へそれが
幽かに通りますと、前の方へズカ/\と出て来たが、三度目にまた千五百四十八番……と呼び上げる途端にウーン……
○「ヤァ大変だ、引っ繰り返った人がある」
△「
癲癇だ癲癇だ」
八「モウ大丈夫……癲癇じゃァございません」
○「大層
慄えてる、お前さん何だ」
八「富が当たった」
○「エヽ、当たった、ヤァこの人が当たった」
と言うと、ワァワッという騒ぎ、大勢の人に
扶けられて、帳場のようなものが出来ている。それへ八五郎来たが、ただ真っ青になって、ガタガタ
慄えているばかり、その頃千両の富に当たって気が違った人があると言いますが、その訳で
帳場「さァどうぞ
此方へ、何しろ
確りなさい。マア、お
目出度う……そこで今直ぐに
金子をお受け取りになると二割引になる、来年の二月
晦日お渡し申すのだと、千両
全取りになりますが……」
八「来年二月、何だってそんないかさまの事をするんだ」
暖「いかさまという訳ではないが、それはちゃんと
極まってるんで、
全取りならば二月、今なれば二割引」
八「二割というと
幾何になる」
帳「二百両、それだけ、お前さん損をするんだ。つまり千両のうち二百両引けるから今なら八百両しか取れないが、それでもいいかと聞いてるんで……」
八「八百両……八百両と千両と
何方が多い」
帳「勘定が解らなくちゃァ困る。千両のうち、二百両減るから八百両だ」
八「有難うがす。おくんなさい。
直ぐにおくんなさい」
帳「何だ、そう騒がないでも上げる。なかなか
嵩張るよ八百両と言っちゃァ」
八「ナァニ大丈夫だ、
諸所へ入れて行くから」
帳「じゃァよく勘定をして受け取っておくんなさい」
手拭いに包み、
褌へくるみ、
袂へ入れ、身体中金だらけになって帰って参りました。
八「オー今帰った」
女「大概におしよ、馬鹿々々しい。この
暮に押し詰まってどこをノソ/\遊んでるんだい。何ぼ何でもあまりじゃァないか。モウ私は
愛想が尽きたから暇をおくれ。離縁をしておくれ」
八「何を言ってやがるんだ、
畜生奴。愚図々々言わねえでそこを締めちまえ」
女「何だえ」
八「泥棒が見るといけねえから締めちまえ」
女「泥棒なんぞ見たって何にも持ってく物はありゃァしない」
八「馬鹿にするない……
箆棒めえ……こうなりゃァ大名だ」
女「何だねえお前、気が違ったんじゃないか。
確りおしよ、陽気が悪いから」
八「何を言ってやがるんだ、
後を締めろということよ」
女「大丈夫だよ、誰が見るものかね」
八「さァ驚くな」
ザク/\と
懐中から金を掴み出した。女房は一時気を失うばかり、
女「マア驚いたねえ。当たったのかい」
八「当たったのよ。けれども泥棒に
狙けられるといかねえから無闇に人に
喋舌るな。手前はお
喋舌だから」
女「言やァしないよ。だからねえ、チョイチョイ富は買うもんだってね」
八「
巫山戯やがるな。
手前離縁をしてくれろと言やがったじゃァねえか」
女「それはマア、困るから言うんだけれども、当たったと思やァ言やァしない。
妾だってこんな
襤褸を着ているのは
厭だ、春着一枚ぐらい欲しいやね」
八「何を言ってやがる、こんなに金があるんだ。どんな
扮装でも出来らァ。春は一番立派な
扮装をしてそうして
表店へでも出て、商売を始めようと思うんだ。何もモウ心配する事はねえ。ナニ
店賃の借りがある、そんなものは高が知れてる、持ってッて払っちまえ、ついでに三年分ばかり前に取っといてくれとそう言いねえ」
女「何もそんなに使わないったって、お金というものはずん/\減るものだから、
普通に使ってればいいが、頭の物だけ少し欲しいねえ」
八「何でも買いねえって事よ」
女「
珊瑚珠をおみつさんが懸けてるのを見て羨ましいと思ってるんで、
三分珠だろうねえ」
八「
吝な事を言うない、一尺珠ぐれえのを
造れえろ」
女「そんな仰山のものも要らないけれども、それにお前だって春着を一つ造えなくっちゃァいけない」
八「
当然よ、当然だけれども、
何時も
印半纏を着て、旦那の
供ばかりしているから、来年は一つ俺が年始を廻ろう。ついちゃァ旦那のような
扮装をして行きてえな」
女「旦那の着るようなものって
裃かえ」
八「何だか知らねえが、突っ張った変なものを着て、
袴を
穿いてな」
女「両方だから裃だよ、裃を着けると言えばモウ袴はいらない」
八「そうか。何でも構わねえ、そいつを
誂えてくれ」
女「誂えるったって、モウ間に合わないから、市ヶ谷の甘酒屋という古着屋へ行けばどんな物でも出来たのがあるから、そこへ行って買っておいでよ」
八「そいつァ有難え」
女「それから裃を着けるにはお
太刀を一本ねえ」
八「構わねえかな」
女「一本差す分には構わない。どうしても、無いと形が悪いよ。甘酒屋へ行けばすっかり支度は出来る。アノ近所に刀屋があるだろうから、ついでに買ってお出で」
八「よし、じゃァそういう事にしよう。何しろ俺がいなくなったら、
男切がねえから泥棒でも
這入られると仕様がねえ、家を閉めて
心張をかってな……」
女「そんな事をしないでも、昼間だから大丈夫だよ」
奴さん勘定もしないでザク/\金を掴んで腹掛けへ入れて、甘酒屋へやって参りました。
八「オー番頭さん」
番「いらっしゃいまし、印半纏長半纏またはお羽織
褞袍のような物、いろいろございます」
八「何を言やがるんだ、馬鹿にするな、こんな長半纏の汚ねえのを着ているが、
懐中にゃァ
金があり過ぎて
身体が冷えて困んだ、どうだ
裃てえ奴を知ってるか」
番「ヘエ」
八「来年は、一つ景気好く裃を着けて年始をやろうってんだ」
番「ヘエ、
貴方が裃がお
入用でございますか」
八「そうなんだ。着物から帯からっから残らず一つ揃えてくれ、刀もな」
番「刀は手前どもにはございません。刀屋はこの先に二軒ばかりございます」
八「そうか、じゃァ着物をお前の
所で残らずな」
番「へえそれは残らず揃えます、
御紋は何で」
八「えヽ」
番「御紋は何でございます」
八「御紋たって、そうさ、俺の紋は何とかいう奴だ、アノウ
円い
所へ何よ」
番「大概
円とか
菱とか、または
角もございますが
円に何でございますか」
八「エヽソレ
円の中で、何だか尻が三つ固まったようなものだ」
番「アハ、
酸漿でございますか、酸漿は
剣がございましょうか」
八「何だか分からねえ。いい加減な奴を一つ見つくろってくれ」
番「ヘエ、これは
如何で、お裃はいろいろございますが、これは
龍紋で……」
八「何でもいいから
柄に合いそうな奴をそっくり揃えてくんねえ、後生だから」
番「ヘエ/\……エヽこれとこれで」
八「よし/\それで、
幾何だ。ナニ十両、そいつァあんまり
廉過ぎるな、遠慮なく取んなよ」
番「エヽ手前どもはおまけも致しません代わりに、決してお懸け値も致しません」
八「そうだてえ話を聞いて来たんだ。しかしそんなに
廉くっちゃァ気の毒だなァ、じゃァこのうちで十両だけ取ってくれ、なるたけ性の良い金を
撰り出してな、悪いのは構わねえ打っ
捨っちまいねえ」
番「へヽ御冗談ばかり」
八「そこでこれを持ってったところがとても、自分では着られねえから、着せてくんねえ、済まねえけれども小僧さん、何かチャラ/\言う、ウム
雪駄よ。あいつと
足袋を一足買って来てくれ……」
スッカリ支度をして払いを致し、小僧に祝儀などをやって、後の金は
懐中へ入れ、突き袖をしてノソ/\出掛けました。
八「こんにちは」
刀屋「入っしゃいまし、小僧お茶を持って来な、どうぞ旦那
此方へ」
八「旦那という程の者でもねえが、少し儲かったから、こういう
扮装をして、年始を
打っくらわせようと思うんだ。ところで、お太刀を一本
極めてえんだが、
銭金に糸目は
附けねえから何でも良い奴を見せてくんねえ、幾ら高くっても構わねえ」
刀「ハヽ左様で、エー何か作にお好みでもございますか、またお
拵えその
他……」
八「愚図々々言わねえで、マア相当の物を見せてくれ、なるたけ高い立派な奴でなくっちゃァいかねえ」
刀「へえ、これは
如何で」
八「それはいかねえよ、白いじゃァねえか」
刀「イエ
白鞘でございますが、お拵えはどうでもなります。中身だけ御覧下さいまし」
八「
幾何ぐらいかかる」
刀「これはお拵えを別にして二百両で願います」
八「ウムそんなに高えのか、それじゃァ
些と良過ぎる。モウ少し
廉いのを見せてくれ」
刀「左様、少し重うございますが、何か
新刀になりますと
格廉でございます。この方がこれで七十五両」
八「ウーウ、
些と高えな、何も人を殺す訳じゃァねえ、
上ッ皮だけちょっと立派に見えればいいんだ」
刀「ヘエ、左様なら
此方になさいまし。拵え附き五両」
八「ウム、こいつァ
豪的だ。済まねえが差し込むのを教えてくれ。オヽ、小僧さんいろいろ働かした。お小遣いをやるよ」
刀「イエ、そんな事を御心配下すっては……」
八「ナニ構わねえんだ。金があり過ぎて仕様がねえ」
立派になって帰って来た。
女「アレ着て来たのかえ、仕様がないじゃァないか」
八「仕様がねえたって、自分にゃァ着られねえから、着せて貰って来たんだ」
女「
家主さんが来たからお前の話をしたら、帰って来た時分にまた来るって……アッお出でなすった……」
八「それは有難え、
家主さんお出でなせえ」
家「オヤ/\大変に八さん立派になったな。どうも大層なものだ。しかし年始の支度にはまだ早過ぎる。元日に行くんだ」
八「けれどもマアちょっと景気に着けて見ようと思って、買った所から着て来たんで……」
家「なにしろお
目出度かったな、大層の事だ。幾ら借金があるッたって、御同様に我々貧乏人はどれ程借金が出来るものじゃァない。マアなにしろ家賃が七つ溜まってる」
八「ようございます。七つでも八つでも受け取っておくんなせえ」
家「恐ろしく金を出すな。そんなには要らない、七つだけだ」
八「七つなんてケチな事を言わねえで、二年分取ってお置きなさい」
家「そんな事をしないでも、モウこれからは溜まる気遣いない。俺もともども
真に嬉しい」
八「有難うごぜえます。そこで
家主さん、年始に行く文句が解らねえんだが、
先方へ行って何と言ったらいいんで」
家「何というって
極まってる、明けましてお目出度うございます。
旧冬中は何かとお世話様になりまして、有難う存じます。今年も相変わらず、
御贔屓をとか何とか言うんだ。
商人でも職人でもそれだけの事を言やァ充分だ」
八「それがどうも困ったなァ」
家「何が」
八「どうも
人中へ出て、口が利けねえんだから……どうでしょう、モッと威勢よく、お目出度うぐれえの所じゃァ済みをせんか」
家「それはいかないね、大概
扮装相当の言葉というものがある。裃を着けて行くからにゃァ、その位の事は言わなくちゃァなるまい。いつもの印半纏を着ている時なら、ただお目出度うでもよかろうが、どうも裃や袴羽織ではそうはいかない。しかしお待ちよ、モウ
些と短い言葉というと、ウムある/\こうしたらよかろう。
先方と顔を合わせれば、いづれ
先方でもお目出度うございます位の事は言うに
極まってるから、
此方でもお目出度うございますと、丁寧に言うんだ」
八「けれどもどうも
家主さんの前だが、
先方の真似をするのは気が利かねえ」
家「そう贅沢を言っては困る……じゃァこういうのが一番早くっていい、“
御慶”と……」
八「ヘエー、それは何でげす」
家「お目出度いと言う事だ」
八「ヘエー
符牒かね」
家「符牒という訳じゃァない。御慶とそれだけ言うんだけれども、春の事だから、口を濡らして帰すという所から、マアちょっと一口お
屠蘇をという所がある」
八「それはいけねえ。そんな事をしていたら廻り切れねえ」
家「けれども
先方もお世辞だから是非言うよ、マアお上がり下さいと言うに
極まってる。そうしたら“
永日”にと言うんだ」
八「へエー、御慶だけでうまく通ればそれでよし、お上がなさいと言ったら、永日ッてんでスーッと帰って来ればいいんで……」
家「先ずそうだな」
八「ヘエ有難うごぜえます。それだけ教わって置けば大概大丈夫だ」
サァ八さんの家では大した景気だ、餅屋は餅を搗いて来る、酒屋は酒を持って来る。俄かに
分限になって、大晦日は寝るどころではございません。
鴉がカァと啼かないうちに年始に飛び出そうという騒ぎ。
女「なんぼ何でも近所で寝ずにいる者はないからお
寝みよ」
八「何をいやがるんだ。大晦日に寝る奴は馬鹿だ、どこでも皆起きてる……サァ裃を着けてくれ、愚図々々するない、モウ元日じゃァねえか」
夜の
引明に飛び出したが、大晦日から起き通している人もあります。
八「なにしろ先へ長屋を廻ってしまおう。だが
家主さんの所へ、一番掛けに行かなくちゃァならねえ、
家主さんこんにちは……」
家「ヤァお目出度う」
八「エーエート……」
家「考えてちゃァいけねえ」
八「エー御慶」
家「ヤァ」
八「
永日」
家「早いな、マアお上がり」
八「有難うごぜえます、まだなにしろ
皮切だから、うまくいかねえ。これから長屋をズッと歩くんで」
家「結構だな、オー八さん、お太刀がないな」
八「アッ、そうだったねえ。
嬶が
疎忽しいもんだから忘れて来た……ヤァいけねえ/\お太刀を忘れちまった、
家主さんに催促をされたじゃァねえか」
女「道理で形が悪いと思った」
八「
箆棒め、形が悪いって、
手前が気が利かねえからだ……サァ、これでいい……糊屋の婆さん」
婆「オヤ/\八さん、大変に立派になったね、マアお目出度う」
八「何をいやがるんだ、婆ァ御慶……」
婆「何です」
八「素人だなァ。マアお上がりとでも言わねえか」
婆「お上がりと言いたいけれども、いろいろな物が取り散らしてあるから……」
八「永日だい畜生……オー
喜之、まだ寝てるのか、御慶」
喜「エヽ」
八「御慶」
喜「誰だ」
八「俺だい」
喜「何だ」
八「御慶」
喜「解らねえ、お前の言うことは」
八「永日だい」
この工合で長屋中をすっかり歩きましてそれから、友達の所を一々歩いて、ドン/\/\、
八「こんちは……いねえな」
ドン/\/\、
八「
此所に友達が三人いるんだが、留守のようだ。お隣りの
小母さん」
婆「オヤ/\お目出度うございます。何です」
八「金太や竹の野郎はいませんかね」
婆「何だか
昨夜のうちに話し合ったと見えて、今朝恐ろしく早く
何処かへ行きましたよ」
八「へエー、留守じゃァ仕様がねえ……御慶を一つくらわせようと思って来たんだ」
婆「何だか解りませんがマア何しろお上がんなさいな」
八「永日だ……えヽ畜生忌々しいな。このまま帰っちゃァつまらねえ。
何処へ、行きやァがったろうな……ヤッ来やがった/\三人揃って来やがッた……オヽ竹、金太、今、
手前の所へ年始に行ったんだ。
面を見たらお
目出度えぐれえの事を言え」
金「イヤ遅れて済まねえ。どうもお目出度う」
八「御慶……」
金「何だ」
八「御慶」
金「何だか変な事を言うな」
八「間抜けだなァ。マアお上がりと言わねえかい」
金「上がるも上がらねえもねえじゃァねえか、表で……」
八「何をいやがる、相手が悪いなァ、こん畜生……御慶」
金「アレッ、お
前のいう事は
一体解らねえ、何をいってるんだ、
鶏の鳴き声みたようなことを……」
八「解らねえ奴だなァ……ぎょけい(どこへ)ッてんだよ」
金「ウム、
恵方詣りによ……」