芝浜(しばはま)
八代目桂文楽
酒は
百薬の
長とか申しまして、
御酒家の
方にいたせばこの位結構なものはない。酒なくてなんの
己の桜かな。花を見るにも、月を見るにも、酒がなければ楽しみにならない。喜びにつけ悲しみにつけ、なくてならないものだとしてございますが、しかしそれもいわゆる程度問題で程という
処が
宜いので、余計に過ごせば必ず
身体を
傷めるとか、喧嘩をするとか、商売を怠けるとか、甚だしいのになると、命を捨てるような大事を
惹き起こしますから、余り過ごしてはいけないものに違いございません。百薬の長だの、天の
美禄だの、
憂いを
掃う
玉箒などというのは皆その程に召し上がっている方のいうことで、モウ酒飲みとなると、少しで
止すということはなかなか難しい。モウ一杯モウ一杯と、ついには度を過ごして、
平常猫のように
従順しい人が酔うと虎のように気が荒くなる。酒は
狂水などというのはここでございましょう。散々暴れて酔いが
醒めるとアヽそうだったか、そんな事は
些とも知らなかった。以来きっと
謹むなどというかと思うと
直にまた始める。なかなか
断念めることは出来ません。余り
大酒をするので
阿母が心配をして泣いて意見をして、禁酒を勧め、
金比羅様へ連れて行って、
倅が
今日から生涯お酒を断ちますから、どうかお守り下さいますようにと拝んでいると、その後ろへ立って、倅がそれは嘘でございます。今日だけは断ちますが、とても生涯なんて飲まずにはいられません。
阿母の言う事は御採用下さいませんようにと、
傍から取り消しを申し込んだという話があるます。ある人が一口飲んでいる所へ酒好きの友達が来ました。
甲「アヽ丁度一人で始めた所だ。サア一杯おやり」
乙「イヤせっかくだが、俺は少し
心願があって今日から三年酒を断った」
甲「ハア、それは偉いな、しかし辛抱ができまいぜ」
乙「ナニ出来ないことはない。断ったからにはきっと飲まない。マア長い目で見ていておくれ」
と
広言を払って帰りましたが、その翌晩また二三人で飲んでいる所へやって来た。
甲「アヽ酒を断った人の前で飲むのは気の毒だ。膳を片づけよう」
乙「アヽ片づけるには及ばない。
皆なが飲んでいるようだから、一杯
交際に来たんだ」
甲「何だ、モウ禁酒破りか」
乙「イヤ破りはしないが、
全で飲まないのは不自由だ。三年の
処を六年にして夜だけ飲むつもりだ」
甲「ハヽヽヽヽヽそれは
好い
工風だ、いっそのこと九年にして朝だけ断って、
夜昼飲んだら
宜かろう……」
これじゃ何にもなりません。もっとも身分に依っては差し支えもありませんが、その日稼ぎの者なぞが
大酒をしたら始末にいけません。
何うしても
身体が
大儀になり、稼ぐ事が
厭になるから、今日は休みだといって寝てしまう。稼業を休むから従ってお宝の入るのも休みと来るから、
忽ち
懐が
空になり、その日が送れなくなる。サア連れ添う女房の心配というものは大変でございます。これではとてもやり切れないから
御酒を断って稼いで貰いたいと意見をすると、その時は俺が悪かった。これから酒を断って稼ぐと
容易く受け合いますが、
前申し上げたような
酒癖の人手、
時経つとまた飲みはじめる。飲めば休むというので、実にやり切れません。女房が涙ながらに、
女「ねえ金さん、どうしてもお前さんが
御酒をやめられないというなら仕方ない。
世帯を畳んでしまわなけりゃァならない。世帯を閉まやァこの先一緒にいられるかどうだか分からない。私のようなものでも
可哀想だと思ったら、どうか少しの間御酒を断って稼いでおくれでないか」
と泣きながら女房に意見をされてみると、亭主も気の毒になって、
金「イヤ俺が悪かった。モウこれから
金比羅様へ断って酒は飲まねえ。
明日から一生懸命稼ぐから安心してくんねえ」
女「そうしてくれゝば私は
真正に嬉しい」
とその晩は寝ましたが、女房はオチ/\眠られません。
女「サア/\金さん、目を覚ましておくれよ」
金「ウム/\……アヽ眠いな」
女「何だい眠いなんて、今日は大事の日じゃァないか。お前さん御酒を断ってこれから一生懸命稼ぐという大事の日だから、
他人さまより先に買出しに出して上げようと思って私ゃァ
昨夜オチオチ寝やァしない。早く起きておくんなさいよ」
金「ウーム今起きるよ、目がこう
付着いていて明かねえや、アヽ眠い。何だまだ暗えじゃァねえか」
女「暗い
中に出て行かなけりゃァ
他人さまより先に買出しは出来ないじゃァないか。途中まで行けばスッカリ夜が明けるように私は
刻限を計って起こしたんだから、早く顔を洗って目をお覚ましよ」
金「どうも仕方がねえ。じゃァ顔を洗って来よう」
亭主が起きて顔を洗っている
中に馴れておりますから、
盤台や
天秤を揃えてそれへ出した女房が、
女「じゃァ行ってお出でなさい」
金さんは天秤を肩に載せて、芝浜へ買出しに参りましたが、途中で夜が明けるどころじゃァない。真っ暗で、問屋だって一軒だって起きた
家はない。
金「何だいこりゃァ、驚いたな、マア
何うしたんだろう。女房め、刻限を間違えやがったに違いねえ、馬鹿々々しい。一軒だって起きてやァしねえ。仕様がねえ、帰ろうかしら。けれども帰る
中にゃァ夜が明ける、夜が明けりゃァまたここへ出て来なけりゃァならねえ。
往ったり来たりするのも
疲労れ儲けでつまらねえ。仕方がねえ、夜の明けるまで待ってよう。浜へ行って
漁船の来るのでも見ていようと、ブラブラ浜へ出て来たが真っ暗で船も何も来ない。
金「アヽまた何だか眠くなって来た。一つ
潮水で顔を洗ってやろう。そうしたら目が覚めるだろう」
と、ザブ/\波打ち際へ入って来て、ザブ/\と水を
掬って顔を洗い、ブク/\をして、
金「オーッ
塩ッぺえ、ピリ/\しやァがる。アヽやっと目が覚めて来た」
といいながら、ヒョイと見ると浪打ち際の
処で足に引っ掛かるものがある。
只の縄ではない。細い
紐のようだから、何だろうと
草鞋の先へ
引っ
絡げたまゝ、グイと引くとズシリと重い。足に力を入れると、ズル/\と砂の中から出たのが皮の財布、オヤと思って見ると中に金が入っている様子、金さん辺りへ目を配ったが人ッ子一人いない。その財布を濡れたまゝ
懐へ
捻じ込んで、
盤台を担ぐと、そのままトットと飛ぶが如く帰って来ました。
金「オヽ
一寸開けてくんねえ」
女「オヤお前さん帰って来たのかえ。今開けるよ」
ガラ/\ッと戸を開ける途端、
盤台を担いだまゝ土間へ飛び込み
金「オイ早く閉めねえ」
女「閉めるけれど、マア
天秤を下ろしたら
宜いだろう。大層息を切ってるが、お前さん喧嘩でもしたのかえ」
金「喧嘩じゃァねえが、お前今
其処閉めた時に、後から人が来やしなかったか」
女「イヽエ誰も来やァしないよ」
金「そうか、そんなら
宜いが、アヽ驚いた」
女「
何うしたの、マア
草鞋を
脱ってお上がりな」
金「ウム、上がるけれども、お前も
酷えじゃァねえか。途中で夜が明けるといったが、まだ夜は明け切らねえぜ」
女「済まなかったねえ。私はお前さんを早く出して上げたいと思って、
昨夜ウト/\していて、ツイ
刻限を間違えて、起こしたのが早すぎたんで、途中でどうかしやァしないかと心配していたんだよ。お前さんゼイ/\いってどうかしたのかえ」
金「マア聞いてくんねえ、早えとは思ったけれども、お前にせがまれて出て行った所が向こうへ行っても真っ暗で一軒だって起きている
家はねえ。何だかまるで狐に
魅まれたような塩梅だから
必定お前が刻限を間違えたんだと思ったが、
家へ帰って来りゃァ、
直ぐにまた出直さなけりゃァならねえし、何しろ眠くって仕様がねえから、浜へ行って目の覚めるように潮水で顔を洗って浪打ち際を上がろうとすると
草鞋の先へ引っ掛かるものがあるんだ。それをたぐって引っ張ってみると、皮の財布だ。
大分金が
入ってるようだから、そのまま
懐へ入れて慌てゝ帰って来たが、何だか
後から人に追っ駆けられるような気がして、俺は
伸倒るように駈けて来たが、よくいう
踵が脅かすという奴で、自分の踵に脅かされて駈けて来たんだな」
女「ヘエー、そうかい。シテお前さんその財布は
何うしたい」
金「
懐に
入ってる」
女「マア濡れたまま財布を懐へなんぞ入れて毒だよ」
金「そういやァ腹が冷たくなって来た。ソレ財布はこれだ」
女「中を見たかえ」
金「まだ見やァしねえが、確かに
銭に違いねえ、待ちねえよ。今開けるから……」
財布の
紐を解いて逆さにして振ると、中から出たのは、
鳥目ではない、
二分金がザラザラ/\。
金「オッこりゃァ金だぜ」
女「マア大層あるね」
金「驚いたな、こりゃァ
真正の金に違いねえ。大したもんだ」
女「どの位あるだろうね」
金「そうよ、
何程あるかな」
女「
一寸勘定して御覧な」
金「マア待ちねえ、隅の方から勘定するから……
宜いか、ヒトよ/\フタよ/\」
女「何をしているんだね、そんなことで勘定が出来るかね。サア私が勘定してみよう」
夫婦共々勘定をしてみると、その頃の金で五十両というのだから、大金でございます。
魚金は大喜び、
金「有り難えな。こんなに金を持ってる奴は世の中に沢山はなかろう」
女「マアどうしたんだろう、この
御金は」
金「そうだなあァ。俺の考えじゃァ金を持って
難船か何かした奴があって、死骸は鮫や鯨に食われてしまい、金だけ
何うかして
彼処へ打ち上げられたんだな」
女「そうかねえ」
金「何しろこいつァ俺に授かったものだ。
本統にこんな嬉しい事はねえ」
女「だが金さん、この御金をお前
何うする
心算だえ」
金「そうよなァ。
何うすると聞かれた日にゃァ俺にも
一寸挨拶が出来ねえが、何しろ嬉しくって、魂が飛び上がってるんだから急に返答が出来ねえが、マアこうしねえ、お前にも今まで貧乏さして気の毒だったから、これから先は何だ。ウンと贅沢をしねえ。長屋の者がよく言ってるじゃァねえか。
襟肩の明いた着物を着たことがねえとか何とかいうが、構わねえから、襟肩の明いたものを五十枚でも六十枚でも着てくんねえ。
平常着だって
吝なものを着なさんな。
縮緬か
羽二重、
蜀紅の錦か何か着ねえ。おれも稼業に出るときに
縮緬の
鯉口を着て行くから」
女「マア大変な騒ぎだね」
金「それから友達を
聘んでお
目出度えお祝いを
皆な一ぺい飲ましてやろうと思うが
何うだろう」
女「しかしこれは拾ったお金だろう」
金「そうよ」
女「それじゃァそんな事をしないで、一応
御上へお届けをしなければなるまいよ」
金「何をいやァがる。下らねえ事をいうな、せっかく俺が拾って来たんだ、何をいやァがる、何ぞてえと
汝は高慢の事をいやァがるんで、
癪に障らァ。そんな事をいわれると、
胸糞が悪いから、今夜この金を持って飛び出すぜ」
女「じゃァ
宜いよ。
朋友を呼ぶとも何をするとも勝手におしよ。だがこの金は私が預かっておくよ」
金「ウム、大事に
蔵って置いてくんねえ。俺は友達を迎いに行くから」
女「まだ早いから少しの間横におなりよ」
金「寝られねえよ」
女「でも
余り早過ぎるから、
些と横におなりよ」
と無理に寝かしてしまう。金さんは疲れておりますから横になると、トロリとして、目が覚めてみるとモウ、スッカリ夜が明け放れている。ビックリして表へ飛び出したから、
何処へ行ったかと思ってると、やがて帰って来ました。
女「お前さん
何処へ行ったの」
金「
何処へ行く奴があるものか。友達の所へ触れて来たのよ。
序に酒や
肴を
誂えて来たから、持って来たら
支度をしておいてくんねえ。
皆な喜んだぜ。割り前なしで今日は御馳走だといったら、有り難え/\ッて、コロ/\していた。今にやって来るからの」
女「だがね金さん、今日は久しぶりで商いに出るという大切の日じゃァないか。
家で飲み潰れちまったら仕様がない。御苦労でもモウ一遍買出しに行ってお出でよ」
金「買出しに……何をいやがるんだ。買出しなんぞに行けるかい、今日は休みだ。お
目出度え日なんだから、天下晴れて休んで御祝いをしなけりゃァいけねえ、何もグズ/\いう所はねえやな。モウソロ/\
皆ながやって来るだろう、ヤア来た/\。サア
此方へ上がってくんねえ。今日はお
目出度えんだから、ウンと飲んでくれ、オヽ
女房ァ酒が
燗いたら出しねえ、
肴も来たろう。何しろ
目出度えんだから遠慮しねえで、ウンとやってくんねえ」
と、これから酒を飲み始めたが、金さんは一人で
目出度え/\といって喜んでいる。友達は何が何だか分かりませんが、御馳走になるのだから、これも
矢鱈にお
目出度え/\といって飲んでおります
中に、金さんはスッカリ
好い心持ちになって、とうとう酔い倒れてしまいました。
金「オヤア、
何時の間にか日が暮れてやァがる。アヽ
皆なを相手に
好い心持ちに飲んでる
中に
一寸横になったなァ知ってるが、そのまま寝ちまったんだな。オイ水を一ぺいくれねえか」
女「お前さん目が覚めたかえ。よく
眠たねえ」
金「ウム夢中で
眠ちまった。友達は
皆な
何うした、エー
先刻帰っちまった。そうか」
女「ねえ金さん、
御酒も
好い
加減にしないと
身体に障るよ。時にね、目が覚めたら聞こうと思ってたんだがね、御友達を大勢呼んでお
目出度い/\といって、御酒を飲んだのは
宜いが、この勘定は
何うするんだい。
明日の朝取りにくるが……」
金「どうもこうもねえや。お
前の方で払っときねえな」
女「そんなことを言ったって、私ゃァ御金なんぞありゃァしない」
金「
無えことがあるものか。ソレ一件の五十両よ」
女「何だえ五十両てぇのは」
金「
恍惚るない。
汝に預けといたじゃァねえか」
女「お
巫山戯でないよ。私ァ五十両なんて御金をお前から預かった覚えはないよ」
金「覚えがねえ奴があるかえ。ソレ芝浜で拾って来た皮財布の金が五十両あるじゃァねえか」
女「アレ、金さん
一寸待っておくれ、どうも
先刻から変なことをいうと思ったが、それじゃァお前何かい、芝の浜で五十両拾って来たと思って、御友達を呼んで御酒をのんだのかえ」
女「何をいってやがるんだ。拾って来たに違いねえじゃァねえか」
女「マア呆れたねえ。どうも私も変だ/\と思ったが、人てぇものはそういうものかしら。貧乏すると寝ても起きても御金が欲しい/\と思っているんで、そんな変な夢を見るんだよ。道理こそいきなり飛び起きて、御友達を呼んで
目出度え/\って、御酒を飲んでいるから、何が
目出度いのかと思ったら、
串戯じゃァないよ御金を拾ったのが夢で、御酒を飲んだのは本当なんだよ。
寝惚けるにも程があらァね。サアお前さんこの勘定はどうするんだよ」
金「何だって、夢を見た。何をいやァがる。夢じゃァねえ。確かに俺が拾って来て
汝に預けたじゃねえか」
女「イヽエ私ゃァ預からないよ。
真正に情けない人だね。呆れて物がいわれやァしない。ようく考えて御覧よ」
金「だって今朝拾って来て、確かにお
前に預けて、それから寝て起きて、飲んでまた寝て起きて……」
女「何をグズ/\いってるんだよ」
金「何だか分からなくなっちまった」
女「お前さん夢を見たのに違いないよ」
金「そうかなァ。夢かしら、こりゃァ驚いたな。マア待ってくんねえ。泣いた所で仕様がねえやな。イヤ俺が悪かった。夢とは気が着かねえ。拾って来たようにも思うんだが、アヽ酒を飲んじゃァいけねえな。何も
彼も分からなくなっちまった。分からねえとすると夢に違いねえ。
金比羅様へ酒を断っておきながら飲んだもんだから、こういう
罰が当ったんだ。アアどうも飛んでもねえことになっちまった。金を拾ったのが夢で、酒を飲んだのが
真正か。馬鹿な話があるもんだ。
重々俺が悪かった。済まねえ、堪忍してくんねえ、全く俺が
失策ったのだから、この通り
謝まる。今度ばかりは改心した。今日から改めて生涯酒を断つ……」
女「断つのは
宜いけれども、長く断って、またそのうちに何かの
動機で飲むようなことがあっては神様の
罰が当るといけないから、こうおしよ、向こう三年お酒を断って、そうしてミッチリ稼いだら、今までの取り返しは付くだろうと思う」
金「
成程、そんならそういう事にして、きっと三年の間酒の
匂いも
嗅がねえで、一生懸命稼ぐから安心してくれ」
女「じゃァどうかお願いだからそうしておくんなさい。私は決してお前さんに
御酒を飲ませるのが
嫌じゃァないが、飲むと稼業をしないで困るから、ツイ、ガミ/\いったんだよ。心持ちを悪くしないで、どうか今度は辛抱しておくれ。この勘定は
伯母さんの所へでも行って話をして
何うにでもするから……」
と至って
気質の
好い女房でございますから、
何ういう事にしたか、
酒肴の勘定は済ませてしまいました。
流石呑んべえの金さんも今度という今度はスッカリ改心して、どうも酒というものは心の狂うものだ。人間酒を飲んじゃァ生涯頭が上がらねえと、気が着くと以前とはまるで生まれ変わったようになり、朝も女房に起こされない
中に起きて買出しに行き、怠らず
華客廻りをするようになりましたから、お
華客でもマアあの怠け者が
何うしてあんなに精を出すようになったんだろうという位。
固より魚を見ることは確かでございますので、
鮮しい上に買出しが上手だから
値が安い。こうなると一旦
失策った
華客も帰ってくれば新規の
華客が
殖えるばかり、サア金さん酒のサの字も振り向いて見ない。商いが面白くなって参りまして、
益々一心不乱に稼ぐから
内儀さんもジッとしていない。夫婦共稼ぎで必死に働きます。
譬えにも稼ぐに追い着く貧乏なしで、モウ三年経たない
中にスッカリ
世帯の様子が変わって、借金などは一
文もなくなりまして、この分なら来年は表へ出て立派な店が持てるという勢い、丁度その年の
大晦日、
平常と違って
御華客廻りをして帰って来た時分には、モウ日が暮れております。その足で
直ぐ湯に行って戻って来ると
内儀さんがスッカリ掃除をして、神棚に上がっている
御燈明も、気の
故か一層明るいような心持ち、何だかプン/\
匂いがするから、見ると
何時の間にか畳の新しいのが敷き込んである。
金「アヽ何だか
家が明るいと思ったら畳が新しくなったが
何うしたんだ」
女「お前さんに
無断でして
叱言をいわれるか知れないが、商いに行った留守に
向横丁の畳屋さんに聞いたら、丁度モウ
他の仕事がスッカリ上がったというから、急に頼んで取り替えて貰ったんだよ」
金「そうか、有り難え。小言をいうどころじゃァねえ、礼をいうよ。
良い
匂いがするな。こんな新しい畳に乗っかったことがねえ、
好い心持ちのもんだな。
譬えにもいう通り、畳の新しいのと、女房の……、新しいのはいけねえや。畳は新しいのが
宜いけれども、女房は古いのに限る」
女「
旨いことをいってるよ。サアお茶を一杯お
喫がり」
金「これはどうも御馳走様……、オヤ何だか変な味がするぜ、このお茶は」
女「それは
福茶だよ」
金「アヽ福茶か、有り難えなァ。大晦日の晩に
宵の
内から
家を片付けて、こうして新しい畳の上で福茶を
喫むなんてぇのは、何だか急に
御大尽の隠居さんにでもなったような心持ちがするなァ。三年あとの大晦日には驚いたッけ。借金取りが降るように来やァがって、その
中にもアノ
喧しいやの
家主が来たから、俺が戸棚へ潜り込んだのは
宜ったが、
生憎唐紙がねえんで風呂敷を
被って隅の所にいると
家主めえ、
此方へ目を着けて、不思議な事があるものだ。アノ風呂敷が動いてるといやァがった。そんな事も今は笑って話すようになったのも稼いだお
蔭だ。アノ時分怠けている時にゃァ、
汝が買い出しに行けというと
癪に触って酒を飲んで寝る気になったが、この頃は
何うだえ、一日骨休めをしたら
宜ろうといわれても
御華客が待ってるだろうと思うと、休むことが出来ねえ。妙なものだな。この節は商いに出るのが面白くって仕様がねえ。何でも人間は怠けちゃァいけねえ、辛抱が
肝腎だなァ」
女「
本統だねえ、お前さんが稼いでくれたんで、今年の大晦日ばかりはスッカリ安心したよ。時にね金さん」
金「何だ」
女「私が内職をして、少しばかり貯めた
御金があるがね、お前今夜勘定をして受け取っておくれな」
金「
串戯いうな、お前の内職して貯めた金を俺が何で受け取れるものか。それで好きな物でも買いねえな」
女「だってね、
家のためにと思って一生懸命に貯めたお金で、
無益に使うのは
勿体ないから、ともかくもお前さん取っていておくれ」
金「そうか、それじゃァ勘定しよう。何でも大晦日の晩は
大蝋を
点けるものだというが、何も
大蝋を買うには及ばねえ、有り合せの
蝋燭を点けて、
此処へその
銭を出しねえ」
女「サア、この竹筒の中に入ってるから、開けてみておくれ。沢山もあるまいけれども……」
金「アハヽ内職の銭は竹筒と
極まってるなァ。ドレ見せねえ」
と金さんが竹筒を引き寄せてガラリ逆さまにして
打ちまけると、穴の開いた銭ばかりと思いの
外、中から出たのは
二分金ばかり。
金「オイこりゃァ何だ」
女「内職の
御金さ。沢山もあるまいが、確か五十両ばかりあると思う」
金「エーッ五十両、
巫山戯ちゃァいけねえ。幾らお
前が働き者だって、女の細腕で、それも亭主の稼業に出た留守の
間にする内職で、五十両なんてぇ
纏まった金が貯まる道理が
無えじゃァねえか」
女「サア、お前さんがそういうなら
真正の事を話をするが、金さん忘れたかえ、丁度今年で足掛け三年前、お前さんが芝の浜で拾って来た御金だよ」
金「ナニ拾って来たァ……。だってお
前、あれは夢じゃァねえか」
女「夢だといったのは実は嘘だよ」
金「ナニ嘘……
畜生々々」
女「マア怒らないで私の話を聞いておくれよ。アノ時貧乏の中で五十両というお金を見たのだから、わたしゃァ飛び立つほどに嬉しかったけれども、お前の心が疑われるから、このお金を
何うするえと聞いたら、お前さん
良い
衣服を着るとか、友達を呼んでお酒を飲むとかいったろう。そういう
了簡の人に御金を渡しておいてら、僅かの間に失くしてしまうに違いない。それに拾ったものを黙って使うことは出来ない。
其処でお前さんを寝かしておいて、
家主さんへ行って話をして、アノ御金はお
上へ届けておいたんだよ。スルと一年経って
御喚び
出しになって元々海の中で拾った御金で、落とし主も出ないというので、私が貰って来て、その時
直ぐにお前さんに渡そうと思ったが、イヤ/\そうでない。このお金が入ったらまたお前さん気が緩んで、元のように御酒をのんで怠け癖が付きゃァしないかと思って、今日が日までわたしゃァ黙っていたんだよ、スルト今お前さんが、人間は辛抱が肝腎だ、怠けちゃァならないと言った一言、アヽどうしてこんなに変わってくれたかと、わたしゃァつくづく感心をして、思わず涙が
溢れてそれから
此処へ出したような訳で、モウ
公然御上から
戴いた御金だから、お前さんが何に使おうと勝手次第、どうか
其方へ
蔵って下さい。長い間お前さんを
欺して、この御金を私がかくしておいたのは誠に済みませんでした。それは改めてお前さんに
詫るから勘弁しておくんなさい」
金「マア待ちねえ。お前にそう手を突いて
詫られちゃァ俺が困るよ。どうか手を上げてくんねえ。アヽどうも恐れ入った。お
前と
比べッこをすると、どうしても俺の方が馬鹿だな。全くお
前のいう通り、アノ時ならきっと使っちまう。使うなァ
宜いとしてもそれが
御上へ知れた日にゃァ、俺は
牢へ入れられる。そうなったら大変、今時分どうなってたか分からねえ。お
前が隠しておいてくれたんで、牢も入らずに済んだのだし、あれから一生懸命稼いでこう運が向いて来たんだ。シテみると俺がお前に礼をいわなけりゃァならねえ。
真正に俺はお
前を
只の女房とは思わねえ、女房
大明神様々、この通り拝むよ」
女「何だねえ、金さん、手なんぞ合わせてさ。それはそうと久しく好きな御酒も飲まないで、
身体に障りゃァしないかと思っていたんだが、今夜は大晦日で、お
目出度く年を送るんだから、お祝いに一口飲んで貰おうと思って、御酒もお
肴も取っておいたから、サアこれから
緩くりと飲んでおくれ」
金「
成程、今夜は大晦日で
目出度く年を送るんだから、久しぶりで一杯……イヤ
止そう。酒は飲むめえ」
女「ナゼ」
金「飲んでまたこれが、夢になるといけねえ」