かつぎ屋(かつぎや)
八代目春風亭柳枝
ェェご機嫌よろしゅうございます。
初春でございますので、ェェ何か
相応しいお噺を……と、お古いお笑いではございますが、ひとつ、お正月でなくては
演ないという『かつぎ屋』というお笑いを一席、ご機嫌をうかがい致しますが……。
しかしながら、この、“もの”というものは、あァんまり気になすっちゃいけませんようでございますな。しかし、十人よれば気は
十色ですから、気にするお方もいらっしゃるでしょう。また、無頓着な方もおいでになります。あんまり無頓着てえなァいけませんが、あんまり気にしちゃァいけません。気にするてえと、いまにこれが病名がつきましてな、神経衰弱なァんてえことになるんでございます。
「どうも何だなァ、
鴉鳴きが悪いが、何かあるんじゃねえかなァ」
「犬が大変に駈け出すけど、凶事があるんじゃねえか」
なんて、くだらないこと心配してらっしゃる。そりゃ生きてるんですからな、犬だって駈け出します、
鴉だって鳴きますわ。これが電信柱が駈け出したり、ポストが鳴いたりした日にゃ、こいつァ穏かじゃございません。
「あすこの
饅頭屋じゃ大変に
饅頭蒸かしちゃったなァありゃァ、残ったら誰が食べるんだろう?……」
くだらねえことを気にしてらっしゃるお方がございます。
なかには大変に、この、“し”という字を嫌う方がございますな。『“し”という字は、縁起が良くない―
死ぬ、
失敗る、
身代限りをする、始終仕合せが悪い、これは言ってはならん』なんてんで……。
「旦那さま、あのゥ、
四月というのはどういたしましょう」
「そういうのは、
四月とやんなさい」
なるほど、物も言いようです。
呉服渡世を致しておりましたかつぎ
屋の五兵衛さん。かつぎ屋というくらいでございますから、物を気にすることは大変でございます。
平生がこの通りでございますから、
明る元日、はあ、えらい騒ぎでございますン……。
「さあさあさァ、お目出たいなァ、こんな結構な元日はありません、やァ、お目出とうございます。雲一点もない、日本晴れだ、いやァいい気持だな、大変に陽気も
暖かだ。みんな笑ってくださいよ。一年の
計は元日にあり。元日に怒ったり泣いたりすると、一年中怒ったり泣いたりしてなくちゃいけない、な、笑ってくださいよ。『あらためて笑いの声もころころと、転がって来る
新玉の春』。いやァ、お目出とうございます……はいはい、定吉か? はい、お目出とう、いやァ子供なんてものは、正月は喜ぶものだな。なんだ?
帚を持ってまごついてるね。いけませんよ、元日は塵ッ葉ひとつ
他所へあげてはいけない……なに? 元日に限ります? なぜだい……運を
擢ってる? (喜んで)うふッ、
上手いこと言うね、そうか元日から運を
擢うはありがたい。何の運だ? え? 犬の
糞?……汚ねえなァ。くだらねえこと言うんじゃないよ。片付けておくんなさいよ……あッ番頭さんかい? お目出とうございます。お前さんは
昨晩まで忙しかった。今日からゆっくりしてくださいよ……あ、奥を見廻って来ますがな、どうぞお店のところは、
何分ともお願いを致します……はい、おきよさんかい? はい、お目出とうございます。今朝、お前さんは忙しいな、うん、
一人役者だ。あの、お雑煮やなんかの仕度はできましたかな? あ、そうかい。それからな、お
屠蘇をお祝いをしたらは、あとは飲めるお方は、お酒をなにしますから、お燗のつくように、その仕度もして……それからお婆ァさんや、娘もみな、ここへ来て、一緒にお雑煮をお祝いをするから……定吉や、お店へ行って『番頭さん、皆さん、お仕度ができましたから、お
出を願います』と呼ンどくれ、行きなさい……はいはい、番頭さんか? さ、こっちへ入っておくれ、さ、お前さんが席へ着かないてえと、ほかの者が坐ることができない、さ、どうぞ」
「へい、旦那さま、明けましてお目出とう存じます」
「ええ、旦那さま、お目出とう存じます」
「ェェ旦那さま、お目出とう存じます」
「(黄色い声で)旦那、お目出とう存じます」
「旦那さま、お目出とう存じます」
「(席をすすめて)さァさァさァさァ、どうぞ膳へ着いてくださいよ、な? また本年も相変らずだ、よろしくお願いを致します。それからな、知ってる人もあるだろうが、また知らない方もいるだろう……私の家のこの、家令になっている。済まないが、三ガ日のこの雑煮だがね、これは食べ
揚げて貰いたい。元日に珍しいというんで、うゥんと食べて、
翌日の二日には、幾切れ減ったてえなァ嫌だ。これは梯子段だ、三カ日だけは、とんとんとんと食べ
揚げて貰う……どうぞ、お願いを致しますよ、ええ。ェェ、それからな、なんだい? お
屠蘇はみんな一応、お祝いをしましたかな? そう……定吉や、お前さんは、お酒を飲まない。先へお雑煮をお祝いしてもよろしい」
「左様でございますか、ではお先へ頂戴いたします……番頭さんはじめ皆さん、お先へ頂戴いたします、へい……お酒いただきませんから、ええ……え? そうなんですよ、ええ、お酒をいただけませんから、お先へ頂戴をする、こういうわけで……えへへへ、へい、ええ、済みません、あのゥ、お雑煮……お雑煮、おきよさん、お雑煮だよ(と催促して、お碗を受け取り)……あらりゃ、大変にまた
装っちゃったな、こりゃァ……え? あたしゃ餅が嫌いなのを知ってるじゃねえか、意地悪だなァ、こんなに
装っちゃ……また餅が汚ならしいねェ、こりゃァ、真ッ黒に
焦しちゃって……(つくづく見て)なんだ、こりゃァ、
瘡蓋みたいじゃないか……もっと綺麗に焼いたらいいだろう、こんがりと
狐色に……ああァあァ、おいおい落っこっちゃったよ、お芋が落っこっちまいやがった……(扇子で床から拾い上げようと突く仕草)箸がまァるいから、なかなか刺さらねえんだ、お芋が……
長刀だよこりゃどうも、うえェ(突き刺してひょいっと扇子を突き出して)……やァ旦那ァ、
磔になった」
「な、なんでそんなことを言う」
「(とりなして)どうぞ、ご勘弁を願います」
「いやいや、子供のことじゃ、仕方がない……清吉や、お前はまた何を考えとる?」
「はい、ただいまお雑煮をお祝い致そうと思いましたら、中から大きな折れ
釘が出ました」
「危かったなァ、餅屋が
粗相を搗き込ンだ。怪我はないか?」
「いえ、怪我どころではございません。ご当家にとりまして、こんなお目出たいことはございません」
「何が目出たい?」
「餅の中から
金属が出まして、ご当家ますます金持はいかがでございましょう……?」
「(膝を叩いて)えらい、どうだ頭がいい、え?
平生から
儂ゃそう言っとる、なかなかどうして頓智が
上手いじゃないか。金持……(と気に止めて)誰か笑ってやがる。大きな声で笑ってやんな、こりゃ。(と見て)飯炊きの久蔵だよ……何を笑ってるんだ?」
「(大声で)はッはッはッはァ、おォかすィから笑ったでェ」
「おかしいから笑うのは判ってる。何がそんなにおかしい?」
「言うことが
違ってるから笑ったで……」
「うゥん、言うことが違ってるから……どこ違ってる?」
「
違ってるではにゃァか。
金ン中から餅が出たら金持てえこともあんびゃァけんど、餅ン中から
金が出て金持てえことァねえ。
俺がの思うには、ご当家これから持ちかねるか」
「あんなことを……こういう野郎だ、
平生から気に入らねえんだ。え? せっかく
良い気持にしてくれりゃ逆らいやがって……お前みたいな者は家に置いとくわけにはいきません。
暇をやるから出てけ」
「あんたって?」
「出て行きなさい」
「なんだって、
俺ァ
暇出るッてかね。それ良くねえこんだ、元日早々、人が減るてえのは、
駄目だ。負けとけ」
「負けとけッてやがる……負からない」
「負からねえか? では
仕方がねえ。
仕事嫌ェだからのゥ……なれども今日は出て行かねえ。来月四日まで待ってくんろ」
「いやに日を切りやがったな、こいつは。来月の四日まで待てばどうする?」
「(指を折って)今日から数えると、ちょうど
三十五日じゃねえか」
「またあんなことを言ってやがる。気に入らない奴だね、どうも……向う行ってなさい……(立上って)あの私はお店へ行ってきますよ。あァなんだか気持が悪くなってきたから……きえッ、私に逆らってばかしいやがって、まァ情ない奴らばっかりいやがる……(急に丁重になり)はいはい、これァこれは、お目出とうございます。昨年中はどうもいろいろご厄介に。本年も相変りませず、はあ、お
早々と畏れ入ります。どうぞお家へよろしく……(傍へ)どちらだ? あの若旦那。え? 伊勢惣さんの……へえァ、大きくなんなすったなァ、お父さまのご
名代でご年始か。男の子さん、羨ましいのゥ。どうだ、だいぶ何だな、ご年始のお方がお見えになったようだな……定吉や、お前、お雑煮、お祝いをしたか? さァ、こっち来い、こっち来い、ゥゥ何だよ、お小遣いもあげますからな、変なことを言うんじゃありませんよ。また、お前を連れて、先方へお年始に行かなくちゃならない。あとで、あすこへ行かない、ここへ行かないてえなァいけない。(帳面を出して)私は一応ここへ
記けますから、お前ここで読みあげておくれ、いいかい? お願いしますよ、な? なにしろ、お前はなかなかどうして利口者だから、私もな、喜ンでるんだよ、うん、逆らっちゃいけませんよ、なァ? はい、いちばん初めは、どなたさまだ?」
「三河屋久兵衛さんでございます」
「ほう、三河屋の久兵衛さん、相変らずお早いな、うん(と記入して)三河屋の久兵衛……それから定吉や、お前にそう言っとくがね、三河屋の久兵衛ならば、
頭字だけとって
三久とやんなさい、な、それで私に判る、三久といえば字が二つで済ンじまう、三河屋の久兵衛てば字がどっさりある、な? 筆の痛みが違う、墨の
入用も違う」
「ずいぶん
吝ン坊です」
「
吝ン坊ッてことはない……
商人という者は、目に見えないところにこうやって頭を使わなくちゃいけない。塵も積もれば山となる、なそういうことよォく心得てなくちゃいけませんよ、な?……はい、おあとはどなたさまだ?」
「変なのがあるんです」
「変だって構わない。誰だ?」
「“てんかん”てえんです」
「“てんかん”? そりゃ変だね、“てんかん”てえ……なんだ? “てんかん”てえなァ……?」
「天満屋の勘兵衛さんて人で短く言うと“てんかん”になっちゃった」
「そういうのは、“あまかん”と言え、“あまかん”と……てんかんだッて、おかしなこと言ってやがる。頭を使いなさい……はい、おあとはどなただ?」
「あと、“あぶく”です」
「“てんかん”に“あぶく”じゃ
通じ物だよ、これァ……私ァ
癲癇見ましたよ、
泡ァ噴いててあまり
良い
恰好じゃねえ、何を言ってやン……誰だ? あぶくてえのは?……」
「油屋の九さん、詰めたら“あぶく”になっちゃった」
「そういうのは、てんかんと離してやったらいいだろう―くらい気のつかない。“てんかん”に“あぶく”じゃおかしいじゃねえか……あとは? 縁起の
良いのを頼むよ、どなたさまだ?」
「“しぶと”です」
「おやおや……何だ? しぶとてえのは?……」
「渋谷の藤兵衛ッたら、しぶとになっちゃった」
「いやな奴が来やがった、渋谷の藤兵衛……そんなものァ読まなくっていいんだ、しぶとてえのはおかしいじゃねえか……あとは、どなた、どなたさまだ?」
「あと、“ゆかん”です」
「かんを言う奴があるか……誰だ? ゆかんてえのは」
「湯屋の勘吉さんッて……ゆかんになっちゃったんで」
「いやな奴が来やがった、ゆかん……あとは誰だ?」
「あとは
石塔です」
「張ッ倒すぞ、この野郎……
石塔とやれ、
石塔と……
石塔だッてやがる……止しましょう、気持が悪くなってきた……(傍へ)番頭さんや、お前、笑ってないで替って読ンどくれ」
「承知いたしました。お元日でございます、どうぞ、お小言は抜きに願います……(定吉に)向うへ行ってなさい、旦那に逆らって、仕様のない奴だ……では旦那さま、ェェ末広一
対と願います」
「なるほど、さすがは番頭さんだな、
扇子とは言わない、末広一
対」
「名前は
千歳と願います」
「
千歳……
煎餅屋の
歳助さん、お
屠蘇でもあげりやよかったな、そうかい、
千歳」
「おあと、鶴亀と願います」
「いや、
拵えごとは困る」
「いえ、拵えごとではございません、鶴屋の亀さんがお
出になりました」
「鶴屋の亀さんが? おやおや嬉しかったな、そりゃ、鶴屋の亀さんで鶴亀、いや、このへんでもって筆を置いときましょう……ああ、ありがとう、ありがとう、いい気持になりました、おかげでな……(ふと表通りを見て)や、番頭さんや、お前がせっかく良い気持にしてくれたら、向うからごらん、嫌な奴が来ましたね。私とは小さい時分から友達だがね、商売が
早桶屋、名前が
四郎兵衛、みィんな気に入らねえや……して、私の顔を見ると、嫌がらせを言うのが、あいつの癖なんだ。このあいだも表で会いましたから、こっちから景気をつけて『おうい、福の神、どこへ行くんだ』ッたら、『お前の家から出て来たんだ』とこう言やがる、気持が悪いじゃねえか、福の神に出て行かれちゃ……ね? あんまり癪に障って仕様がないから、こんど先回りをしてな、『貧乏神ッ、どこィ行くんだ』ッたら、『お前の家へ行くんだ』てこう言やがる……よく
二言目に、ああいうことが出ますよ、あいつは。不思議な奴なんだからね……こうなんだか、だいぶ酔ってるようだから、また何か言われると、元日早々、嫌だから、私ゃ奥にいます。何とか言って、追ッ払っちゃっとくれ」
「へい、承知いたしました」
「(酔って入って来て)おゥ、どうしたィ、
番頭ゥ」
「はじまったな、大きな声で。らん頭ときたよ……(出迎えて)あ、どうも、私は番頭でございます」
「番頭かァおい、いやに不景気な
面してるじゃねえか……(と見すえて)え? ぼんやりしてやァる。
檀家ァどうしたィ?」
「
檀家?……檀家、ご商売柄ですな。旦那さま、ただいまちょいとな……」
「いないてえのはおかしいね ェ、俺ァいま向うから来たら、姿が
朦朧と現われてたよ。影は薄かったがね……そばへ来たらなくなっちゃったよ、あッははははァ……さてはお隠れになったァ」
「(とび出して)おい、番頭、出るよ私ゃ……知ってるんだよ、目が早ェなァまあ、どうも……くだらねえこと言って……まあまあ、明けましてお目出とう」
「いよゥ、
甦ェったな」
「いやなことを……まあまあ、そんなこと言いっこなし。明けましてお目出とう」
「何が目出てえんだィ……?」
「一夜が明けて、門松飾って目出たいだろう」
「私ゃ情ない……また寿命が一つ、
締ったね。
一休禅師てえ人は、
上手ェこと言ったよ……『門松は、冥土の旅の一里塚、目出たくもあり目出たくもなし』。南無阿弥陀仏……」
「ありゃりゃりゃ、鶴亀々々、いやだよ、私や……元日早々、店で念仏を唱えられちゃ……(笑顔をつくって)ああ、いいご機嫌だな、
恵方参りだな」
「お寺詣りだ」
「どういうわけで、そう突ッ張らかって……誰の寺詣りに行ったんだよ」
「おめえ知ってるだろう、建具屋の半公、な? あいつと俺とおめえ、三人は竹馬の友達だよ、一本の芋を
食い合った仲じゃねえか。おめえは立派な呉服屋の旦那だ。俺は食うにゃ困らねえが、親代々からの早桶屋。可哀相なのは
建半、食うに困っておめえ、首くくって死ンじめえやがった……類縁、引き取り手がねえ、それから俺とおめえ、二人でな、寺へ葬ってやって、線香一本あげる奴ァねえ。俺ァ可哀相だと思って、なァ、いまお参りをして俺ァ寺の門を出て、つくづく考えた……広い世の中にだよ、なァ? 仲の
良い友達がだ、な? あん畜生ァ死ンじゃって、俺とおめえの二人ッきりじゃァねえか、なァ? そうそうそう……ひッく……俺ァおめえのこと頭に浮ンだよ、お前は肥ってるねェ、三人前ぐらい肥ってる。もしもお前がぽっくり
亡ったら、普通の早桶じゃァ間に合わねえ。仏さまそこへ置いて、この早桶でも駄目だ、この
柩でもいけねえてなァ惨めなもんだよ、な? それから俺ァねェ、おめえにいろいろ
厄介になってッからな、うん、仕事の手始めによ、おめえが
何日何時死ンでも、ぽォいィと入っちまう、早桶をひとつ拵えとこうと思って、俺ァそう思ったら矢も
楯もたまらないッ……俺はおめえんとこ一本槍で来た。むこう向きねえ俺が寸法を計るから」
「何言ってんだ……いい加減にしなさい、え? 元日早々、早桶の注文とられちゃたまらないや」
「えははははァ……怒るなよ、おめえが
本気になるから、俺も何か冗談が言いてえ、勘弁しつくれ……あははは、これァ冗談……(と懐から取り出して)これは、ほんのお
寸志だよ」
「何だ? こりゃァ……福袋か?」
「ううん、
頭陀袋だ」
「こんな物ン……(と拾って叩きつける)」
「なにも無理に
遣ろうッてんじゃねえ、叩ッつけなくていい、な?
要らなきゃ
遣らないよ……けど、おめえの気持を悪くして帰るのも、本意でない。どうだ、おゥ、おめえの気持を治しとこうじゃねえか……『この家を』てえんだよ、『七福神が取り巻いて』てえなァどうでェ?……」
「ありがとうッ、さすがは友達だ、よく気持を治してくれてってありがとう、お礼を言いますよ……『この家を、七福神が取り巻いて』か。うん……」
「……『貧乏神も出どころはない』……」
「あァあァ、あんなこと
言やがって……」
えらい騒ぎですわ……。
ま、元日はどうやらこうやら、まァ収まりがつきましたが、
翌日、二日でございます。
あの、只今はちょっとご存じない方もいらっしゃるか知れません……まだ、私の子供の時分には、二日になりまするてえと、まだまだ売りに来たものですな、お宝というものを……お宝と申しあげましても、べつに、お金やなんかじゃないんでございますが……あの、木版刷りで七福神の宝船が、ェェ紙にちゃんと
貼ってございます。これを枕の下へ入れて、お
寝みになる。これは初夢でございます……で、これを一口にお宝と言いまして、これをずいぶん、この、売りに来たときでございますン……。
私まだ子供の時分に、花柳界などでは、よく売りに来たもんですが、只今では殆ど、見ませんようでございますが……。
「(大声で)おたから、おたから、おたから、おたから、おたからィ……(声を落し気味に)おたから、おたから、おたから、おたから……」
「(聞きとがめて)おッ番頭さん、今日は初夢です。
良い夢を見ますかな、船を買っていただきましょう」
「承知いたしました……(呼び止めて)
宝船屋さァん、
宝船屋さァん」
「へい、(力なく)こんばんわ」
「また陰気な
宝船屋さんだな……
宝船は一枚お幾らだ?」
「
四文でございます」
「四文? 十枚では?」
「
四十文でございます」
「
宝船屋さん、まことに申し訳がないが、ちょっと私、思ったことがあるので、あの、その
宝船はちょっと買えないので、また、こんどの次買いましょう」
「旦那ァ、お気に障ったらお詫びを申しあげます。一枚でも結構でございます、お求めを願いたいんで……こんどの次てえますが、こういう物はね、明日売ったって誰も買い手がないんです。来年の今日まで待たなくっちゃならないじゃございませんか、ねえ、一枚でも結構でございます。縁起物でございますから、どうぞお求めなすって……」
「いや、縁起物だから、私ゃ買えないんで。ちょっと思ったことがあるから……まことに申し訳がないが、またこんだの次に買いますから、帰っておくれ」
「そんなことを
仰言らないで……」
「(大声で)買えませんよ、くどいね、お前さんも。押売りは
天下の
法度だ。帰ンなさい」
「(
尻をまくって)売らねえやい、こん畜生め。何言ってやんでェ、あッしだってこんな
商売したかねえんだ。この二、三年このかた、悪いこと続き。お袋に死なれ、
嬶ァに死なれ、子供に死なれ……」
「おやおや、ご愁傷だねェ」
「あたしゃ、
躰の
動かねえ病気になっちゃったが、友達てえものはありがてえ。いろいろ面倒をみてくれてよ、どうやらこうやら
手前の
躰になりやしたが、あァんまり縁起が悪いから、
宝船でも売って、悪魔ッ払いをしたらいいだろうと思ってね、あたしゃ今、仕入れてきて、この家が
最初なんだ……
最初にそんな
怪事をつけられた日にゃ、もう売る勇気はねえ、売らねえや、こん畜生め。そのかわりィ覚えてろ。今晩この軒下で、あッしァぶら下っちまうから……」
「何だィ、ぶら下るてえのは……え? 首くくり? いやいや。私ゃ首くくりは嫌いだ」
誰だって好きな奴はありゃァしません……番頭さんが、なかなか頭の働くお方でございますから、
先方のお宝を買わずに、こちらからお
金を幾らか持たして、帰してしまいましたが……こりゃァいけないと、表へ出て待っておりまする。
宝船屋さんはたくさんに参りましてな……。
「(大声で)おたから、おたから、おたから、おたからァ……おたから、おたから、おたからァ」
「(呼び止めて)あ、
宝船屋さん」
「(立止り)ありがとう存じます」
「いや、私が買うわけでないのだ、実はな、この先のかつぎ屋という呉服屋……あ、お前さん、ご存じかな。あそうか、それは都合が
好い。あすこの私ァ番頭だがな、宝船は一枚……あァそう、みな値段はおなじだ。ところがその四という字でもって、或る宝船屋さんに大変にお気の毒な思いをさしてしまった。それは四と言わずに『よ』という具合に……そうそう、それからな、縁起の
良いこと、とんとんとォんと並べてくれるとな、お前さんの悪いようにゃしないから、旦那さまのひとつ、機嫌を治しておくれ」
「へい、承知いたしましてございます……(歩きながら呼ばわって)おたから、おたから、おたから、おたから、おたからァ……
道中双六大宝でござァい」
「(聞きとがめて)おい、番頭さんや、え? 道中双六大宝てえんだ。威勢のいい宝船屋さんだ、
家の店の前を行ったり来たり行ったり来たりしてますよ……さっき、ああいうのが行っちゃって、『(弱々しく)こォんばァんわ』なんて変な奴が入ってきちゃた、なァ、なんだか知らないけど
因縁がましいことを
言やがって……はやく行って呼ンどくれ」
「承知を致しました(表へ)ええ、宝船屋さん」
「(さっそく入ってきて)へい、お目出とう存じます。お目出たく宝船が着きました」
「言うことが違うよ(喜んで)宝船が着きましたッてやァる……
宝船は一枚お幾らだ?」
「ええ、
四文でございます」
「うむ、
上手いな……十枚では?」
「
四十でございます」
「(膝を叩いて)して何かい、何枚ほどあります?」
「旦那さまのお
齢の数ほどもございましょうか……」
「儂の齢の数てえと?」
「千枚ほども」
「千枚ッ(大喜び)じゃァ私の齢の数が千年だ、鶴とおんなし。ありがたい、ありがたい……そうかそうか、
全部うちで買っちまうよ、あァあ、全部買っちまう。
他所へ売られたら私の寿命が縮まりますから……千枚でもお金をあげます、もういいだろう、宝船なんぞ売らなくったってさ、どうだィ、一杯
飲るか」
「いえ、たんとは頂戴を致しませんが、亀の子のように戴きます」
「言うことが
上手いね、この、亀の子のように飲むてえんだ……じゃこっちィ入っておくれ、そこじゃ話が遠い」
「へい、ではそちらのほうへ、つるつるつゥッと寄りましょう」
「いちいち嬉しいねェ。
入っとくれ、どんどん構わねえから……(奥へ)お
屠蘇を持ってきなさい、それにあとすぐお燗のつくように……(すすめて)ェェ、口が上手い、これご祝儀だ、
飲っとくれ」
「はァ、では頂戴を致します……(膳を見て)おおッ、見事な、お道具でございます。畏れ入ります。(盃を出して)へえへえ、あ、お手づからお酌で……(膳を見て)ええ、はァ、結構なお
重箱でございますな。これはどちらへ参りましても、お正月はおなじで、お
節でございます……数の子に、ええ、こちらのほうが
牛蒡にごまめ、結び
干瓢……洒落が言いとうございますな」
「言っておくれ」
「数の子で数々お目出たい」
「なるほど」
「牛蒡にごまめで、ご
坊ちゃんご
達者でご成人」
「上手いな」
「干瓢で……かんぴょう……かんぴょう……かんぴょうさんは三十二」
「何だい?」
「(照れて)……お目出とう……」
「危かったなァ……やり損うといけないから、止めましょう。洒落はそのへんでよろしい……なに? あそう、熱いのが
燗いたそうだ、どっさりお
飯りよ」
と、
宝船屋さん空ッ腹、
熱燗でもって頂戴をしたんすから、たちまちのうちに好い気持に……。
「(酔って)ひッく……もう十二分でございます。いいご酒でございますなァ え? (と銘柄を見て)『
亀の
年』……へえェ、私たちはこんな結構なご酒は、戴いたことはございません。まるでこゥ躰がふうゥッとしてるところは、まるでもって何ですな、宝船に乗ったようですな」
「じゃ、うちの店が宝船かァい? あァあ、ありがとう、ありがとう
良いことを言ってくれたな、どうも……」
「付かぬことを伺いますが旦那ァ、
暖簾のあいだからちょっと顔を出してらした……あれ、お宅のお嬢さん?」
「うゥむ、うちの娘ですよ。いや、
不束者で仕様がございいません、から“ねんねえ”で……」
「いいご器量ですなァ、
私はまた弁天さまかと思いましたよ」
「なに、うちの娘が弁天さまかい?……(奥へ)幾らか包ンで、番頭……(受取って差出し)これはまことに
軽少だが、うちの娘の弁天賃、ご祝儀だ、取っといてくれよ」
「
左様ですか、どうも大変頂戴して相済みませんで……(と頂戴して)
宝船賃もどっさり戴きましたのに……(旦那を見て)旦那さまは小肥りに肥って、どっしりと坐って、始終にこにこにこにこ笑っていらっしゃるところは、大黒さまですなァ」
「なに、私が大黒さまだァ?……黙っちゃいられませんよ、番頭いまの倍にしてくれ倍に……反物があったなァ……(とまた差出して)まことに失礼だが、宝船屋さん、これは私の大黒賃、取っといてくれ、ご祝儀。(反物を出して)これはな、うちの商売物で、まことに失礼だが、お前さんの身へ
着けてもらいたい、いやァ寝巻でも何でもいい、どうぞこれを着ておくれ」
「はあ、どうも大変に頂戴いたしました、ありがとうございます……(まわりを見て)ご当家は七福神そろっております、お目出とうございます、ごめんください(と礼を言って出て行きかかる)」
「お、お、おい(とあわてて引止めて)、冗談言っちゃいけない、
宝船屋さん。ここまでとんとんとんと旨く行ったんじゃねえか、ここで胡麻化す……胡麻化して帰ろうてえのは、
酷いよ、え? 七福神そろってる? 冗談言っちゃいけない。娘が弁天、私が大黒、二福じゃないか」
「へえ、こちらのご商売が呉服〔五福〕でございます」