三人無筆(さんにんむひつ)
八代目春風亭柳枝
ェェご機嫌よろしゅうございます。お馴染のお笑いでごめんをちょうだいをいたします。
「(声を張って)どォしたんだよこの人ァぼんやりして帰って来たねェ本当に……しっかりおしなねェ。お通夜のほうはどうなったんだよォ?」
「偉ェことんなっちゃってな、それどこの騒ぎじゃァねえんだよ―おッ嬶ァやおォい、夜逃げをしようと思うんだ―」
「なんだい夜逃げをする? なんかお前さん粗相をして来たんだね?」
「それどこの騒ぎじゃァねえんだよォ、偉ェことんなっちゃったんだお前、俺がァな伊勢六さんの家ィ行ったらな、親戚の人ッてえのが出て来やァがってねェ、『おや甚兵衛さんどうぞこちらィお上がんなさいどうぞどうぞ』ッてえやがってね、俺を蒲団の上へ座らしちまいやがってお菓子やなんか出しゃァがったんだよォ。そいで『お前さんは、ゥゥなんだァ生前このご隠居さまにはたいへんにご厄介ンなって、なんだ可愛いがられていたんだから、明日のお葬式にこの、帳場をやってくれ』ッてこういうんだ帳付をよッ」
「あらお前さんがかい? まァありがたいじゃないかねお葬式でもってお前さんまごまごしてんのァ気がきかないよ。お前さん請合ってきたかい?」
「ッてやんでえお前はンな呑気なことォいってるけど、お前知ってるじゃァねえかお前、俺が字が書けねえのを」
「あァらそうだったねェお前さんは字が書けないン。だからあたしゃァふだん日頃そいってるだろ、『字を勉強しなくちゃいけない勉強しなくちゃいけない』ッて」
「いまさらそんなこといったって間に合わねえじゃねえか……明日のことォこれから字ィ稽古したってもう間に合やァしねえやな。だから俺ァ夜逃げをしよう―」
「お前さんなぜ断らないんだよォ」
「断ろうと思ったらな、言葉が咽喉ンとこィつかいちまってあとが出て来ねえんだい。そいで俺ァぺこぺこ頭ァだけさげてたン―」
「ほォらごらんなさい―じゃァお前さん向こうは、請合ったと思ってるじゃァないかね……。嫌だよォッ、葬式の帳付ェ請合って夜逃げェするのォあたしゃァ……嫌だよ」
「嫌だよッたってしょうがねえじゃねえか偉ェことんなっちゃったお前、どうしたもんだろうねェ」
「けどもねェお前さんよく考ィてごらん、ああいうご大家の、お葬式だよ、帳付は一人てえこたァなァいよッ。誰か他に頼まれてる人があったろ?」
「他に頼まれ……ああァそういやァな、どっかの人が向こうでやっぱりぺこぺこ頭をさげてたよ」
「あらちょうどさいわいじゃァないかさァ、ね? じゃァこうおし、明日お葬式は何時だァい? 十時かい? そうか。じゃァなんでも早く行くんだよ。それでねェ、体でもって字を書いちまうんだよォ」
「体で字ィ書くのかァ? じゃァ体へ墨ィぬって俺がこう字―」
「なァにいってるそうじゃないやね、働くんだよ。向こうの人の来ないうちに、すっかり、なんだよ蒲団やなんか出しといてねェ火をおこして、お茶を沸かして、もしもあちらのおかたがおみえんなったらば、いいかい、下へもおかないように『やァどうぞこちらィいらしてくださいまし、お茶もはいりましたからどうぞ召しあがっていただきます。あの帳面もこの通り綴じてございますし、墨もすっかりあたってございますから、それでもってまことに申しわけがございませんが、あたしは帳付ァお請合いしたんですが、字が一字も書けませんので他のことはなァんでもいたしますから、どうぞ帳付のところは、一人でもってお願いをいたします』ッとこういってお前さん頼めばねェ向こうだって嫌だッてえことァいやァしないよォッ、きっとやってくれるよッ、ね? それで、体で字を書くてんだよォ」
「あなるほど―すいじゃァ働くのか?」
「そうなんだよ」
「そうか、そらァ大丈夫だ。そいつァありがてえや―じゃァ、そういう具合にしようか」
奴さんおかみさんにすっかり知恵をつけられてその晩寝ンだんですが……。
「(声を張って)さァ早く起きるんだよォ寝坊だねェこの人ァまァ……鼻から提灯出して寝てえるよこの人ァ……(声を張って)ちょいと起きるんだよ(と叩く)」
「(寝呆けてはっきりせず)おゥおゥどうもそういう事ッて……こらァ偉ェことんなっちゃったなァどうも……夜逃げをする―」
「なァにをお前くだらないことォいってんだね。夜逃げはいいんだよォ、昨日話をしたろ? あの通りィやるんだよいいかい? 早く早くご飯を食べて。そいからあの、羽織がそこィ包ンであるだろ? 紋付の羽織が入ってるから向こう行ったらばそれを着るの。それで体でもって字を書くってこと忘れちゃいけないよ。じゃァしっかり頼むんだよッ……(声を張って)大丈夫かァい?」
「えィ行ってくるよォッ……ああ驚いた。家のかみさん偉ェなァ、え? 体で字を書くッてえやがんだよ、気がつかなかったねェ、家のかみさん偉ェやァ……世間でそいってるよ『甚兵衛さんにゃァあのおかみさんはすぎもんだ』てえが俺にァすぎもんだァ。大事にしないと罰があたるよ。知恵があるからねェ……井戸端会議がはじまるといつも家のおかみさん議長ンなってるからねェありゃァ……偉いんだよあれェ……ええと―ああああああここだここだィ。(声を張って)ェェ、少々伺いまァす……少々伺いまァす」
「はい、(節をつけ)南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。はい、おいでなさいお早うございます―どちらさまから?」
「伊勢六さんのお寺ァこちらで?」
「さようでございます」
「ああァそうですか。であのォ、ォォあたくしィ帳場でェうかがったんでござんす―」
「ああ、お帳場さんでございますか―そりゃァそりゃァご苦労さまでお早々と旬 ゥゥそういえばさきほどなァ、伊勢六さんのォ…ところ…お帳場さんとかなんとかいうかたがお一人、先ィおみえんなっておりまして、あの奥のほうでお待ちかねでございますので」
「へ? もう来てえるんですか先ィ? おっそろしい早ェ人がいるんだなァこらァどうも……ェェ誰が来てえるン……お早うござい―」
「おやッ! これはこれはお早ようございます(と深くお辞儀をする)これはこれはどうも。いやどなたがおみえんなるかと思って内心心配をいたしておりましたが、甚兵衛さんあなたが? ああ知らない仲じゃァございませんで、よォくまァこんなに早く―こんなお早くおいでんならなくてもよろしいのにえッへまだお葬式は十時でございますんで、たいへんにお早く―まァまァこりゃァどうも、さァ、そこへ座っちゃァいけませんさァさァさァどうぞ、あの蒲団がちゃァんと敷いてございまして―さァ、さァさァどうぞどうぞどうぞどうぞどうぞ、さァどうぞどうぞお座りんなすって。あれ、ェェこれいまいれたてのお茶でございましてなァ―はァ、ェェ、粗茶でございますがあたくし葉を買ってまいりましたんで―ここいらのお茶だうまくなかろうと思いましてへえ。それからここィお菓子が―こりゃもう本当の子供騙しィでございますへえ、ひとつおつまみなすっていただきたいのでございァす。ところでなァ、ェェ、すっかりあのォ、墨もォすってございますし、帳面もォォ、綴じてございますが―」
「ちょいとま、待ってくださいよこらァどうも……なんだ俺のやることァなくなっちゃったよ―こりゃァ偉いことんなっちゃった」
「いえいえ実はなァ、恥を話さなくちゃァ申しわけがないんでございますへえ、ェェなんとも……みっともないお話でございますいいいけ年齢をいたしましてな、実はあたくしィ、ェェ昨日帳付を、頼まれたんでございますが、字が一字も書けませんのでへえ、そいからよほどお断りを、いたそうと恩いましたが、側にも人もおりますので、ちょいとお断り…にくくなりましたのでお請合いはしたんでございァす―そいからまァしょうがございァせん覚悟ォいたしまして、家ィ帰りまして家内といろいろ相談をいたしまして、『夜逃げをしょう』……とこう相談をいたしましたところが、家内の申しますには、『なにも夜逃げをしなくても、いいじゃァないか―ああいうご大家の、お葬式だから帳…付は一人じゃァなかろう』とこう申しましたン―へえ。『なんでも向こうのほうにもう一人なんだかこう頭ァさげてるかたがいらっしゃるから』とこう申しましたら、『あッ、きっとそのかたは心得ていらっしゃるんだから、どうぞ明日はひとつ体でもってェ字を書け』とこう申しました―はァ。『体で字を書くてなァどういうふうにするのか』とうかがいましたらば、『なんでも自分で、用をしてしまってそちらにはなんにもさせないで、この事訳をお話をすればきっと、請合ってくださるから』とこォいうわけなんでございましてへい、ェェ早くからまいりまして―なんとも申しわけのござんせん、まことにみっともないお話なんでござんすが、今日はあたくしを助けると思って―いずれお礼は、いたしますが、どうぞ帳付のところォひとつお願いを―」
「あゥあゥ……こら偉いことんなっちゃったぞこりゃァ……こりゃァ大変だ―」
「ええェもうお一人で大変なことァよォーくわかっておりますのでございます。へえ、あたくしを助けると思って、どうぞ甚兵衛さんなんにも―」
「いやいや、その大変と大変が達うんだよ―こりゃ偉ェことんなっちゃったぞこりゃァ……あなたも字も書けないんですか? 実はあたしも字も書けないン」
「えッ?」
「あたしも字が書けないんですよ」
「あらあなたも字が書……じゃ無筆でいらっしゃるン? こりゃァ大変なことんなっちゃったこりゃァ……そいじゃァあたくしもあなたも……またなァんで字の書けない者がこんな帳場を赦まれたんですかなァ―こりゃ偉いことんなりましたなァこりゃァ……」
「しかたがないから夜逃げをしましょう―」
「まァ待ちなさい―夜逃げッたって貴方もう、夜が明けてるんですからなァもう朝逃げですよこうなりゃァ……いまさら夜逃げをするてえわけにもいきませんが、なんかうまい考ィがありませんかなァ……どうでしょうあなたの、お知合いにこう、筆の立つおかたは、ございませんか、あたくしがあのお礼のところは、持ちますけれども、ひとつゥ呼ンで来ていただきたいんですがどなたかございませんかなァ?」
「ああ字の書ける人ですか? ええ一人ィ……あるんですがな―」
「おお、じゃァその、お迎ィに―」
「少ォし遠いいんですよゥ」
「お車かなんかでもって―」
「いやァ車でも間に合わないだろうと思うんですがね、なにしろ北海道ですからね」
「北海道……貴方ねェいまなんですから北海道の話したってしょうがないじゃありませんか。なんかうまい考ィはありませんかねェ?」
「そォですなァ困りましたなァどうも……じゃァこうしましょうかァ馴合い喧嘩ァしましょう」
「ほほゥ馴合い喧嘩てえますと?」
「葬式が来ましてねェ、送って来る人がぱあァッとこの帳場ンところィ来ましたらば、ひとつゥあなたがねェ、『(声を張って)なにをしゃがんだァッ!』とこういっていただくン。そうすっとあたしがねェ、『(声を張って)生意気なことォいやがんなァッ!』てんであなたの頭を、(拳固で掌を叩き)ぽかりッと殴るン」
「ははァあたしが殴られますン? へえ」
「から『(声を張って)殴りゃァがったなッ!』てんであなたが立ち上がったところを、あたしがあなたの腰ッ骨をばあァァーんと蹴飛ばすんです」
「こら手荒ンなってきましたなァこりゃァどうも……へえへえへえ」
「そいであなたがしっくる返ったところォあたくしが、あなたの上へ馬乗りんなりましてな、(うれしそうに)『こら!』ッてんで押ィつけましてね、両方の肩が下ィつけばあなたの負けだァ」
「なァんだァな……変なことォいっちゃァいけないよあなたァ……」
「そうしたらあなたがねェ、『(声を張って)ごめんなさーい』ッてんで表へ駆出すんです」」
「うん」
「と、『(声を張って)待ちゃァがれェ』『ごめんなさーい』ッてんであなたを追っかける、ね? 二人でもって『わあー』ッてんで、逃げちまいましょう」
「冗ォ談じゃないよ……なんだくだらないよォあなたァ長生きをするよこりゃァ驚いたなァどうも……弱ったねこりゃなんかうまい考ィが……うん、どうです、こりゃァまことに申しわけがないことですがなァ、仏の所為にしようじゃありませんか。“死人に口なし”ッてえことォいうね? でどうです、ェェ仏の遺言てえことにして、会葬者のかたがみえましたら、『ェェ仏さまのご遺言でございます。帳面は各人付け、自分付け、勝手付けでございます。どうぞおそれいりますがみなさんがた自分でもって帳面をお付けを願います』とこういうことにしようじゃありませんか」
「はァ……各人付け勝手付け、ああ仏の遺言ですか」
「そうですよ、遺言てえばまさかにァ嫌だッてえ人もありますまい」
「なァるほどォこりゃァうまい、考ィですなァ、じゃァ遺言てえことにいたしましょうか」
「それよりしょうがございません。そうすりゃァ恥をかかなくってすみますし、夜逃げをしなくっても、すむだろうとこう思いますんですがな。じゃ、もうそろそろ時間ですから来るといけませんから、早速、仕度にとりかかりましょう。あなたなんか、羽織ィ持って来ました?―紋付の羽織ィ、あそう、それをお着なさい。あたしもこの通り着てますから。すいであんたァこっちのほうィ。そのねその、なんですよ、机をこう前のほうィこうやって―なるべく前のほうへ出して、そいで帳面を向こうへこうむけて……そうそう筆やなんかァその硯箱、みんな向こうへむけとくン、そうすぐ書けるようにしといて、そうそうそう。そういう具合にして。そいであたしが呶鳴りますからねェ、甚兵衛さんあなたも一緒ンなって呶鳴ってください―よござんすか? あああ来ました来ました、こりゃァたいへんだなァこら、おッそろしいどうも大勢来ましたなァどうも、どうです……(声を張って)ェェ、仏の遺言でございます。ェェどうぞ帳面は各人付け自分付け、勝手付けでございます。ェェみなさまがたご苦労さまでございます。ェェ仏さまのご遺言でございまして、帳面は自分付け勝手付け、各人付けでございます―さ、おいおい甚兵衛さんお前さんも呶鳴るんだよォ」
「ええ……(声を張って)ェェ帳面は各人付けでございます。勝手付けでござんす……やたらづけでございァす……福神漬でございます、お茶漬でござい―」
「そんなくだらねえことォいうんじゃないよ……(声を張って)ェェどうぞ、ご自分でお付けを願いますン」
「あ、ご苦労さまでございます。お帳場さん、ご苦労さまでございますン、ああお早々から、大変でございますな。ェェおそれいりますが、田中伊助とひとつお願いをいたします」
「へえ、ェェ仏のご遺言でございます、帳面は自分付け、勝手付けでございますン、どうぞご自分で、お付けを願いたいン」
「はッ?……そんじゃ会葬者がこの帳面を付けますン? 自分で? へえェ不思議ですなこりゃァどうも……なんですか、ほうォ仏さまのご遺言で? あなるほどねェあのォご隠居てえものァ生前変ってましたからね、そういう遺言をしないともかぎりませんわそりゃァ……そォですか―ああおもしろいご遺言ですなァ。ははァ……なるほど、ひとつ送って来てくだすったかたの筆跡を後日ィ残す、記念にする、そういうこともないでもございませんな―なるほどうまい考ィでございますなァ―ああァそうでございますか、では、ご遺言とあればいたしかたがございません。では、(声を張って)みなさんちょっとお待ちを願います。仏さまのご遺言だそうでございます。自分でもって帳面を付けることんなっとります。あたくしがお先ィ、失礼をいたします―へい、では、相すいませんがちょっと帳面を……へい、どうも、相すいません。へいでは、お先へ、失礼をいたします……(と記帳をする)へい、どうも。どうぞみなさん、ご順にお願いをいたします」
「ェェ、先生、すいませんけどォォしとつそこんとこォ島田ァ勝己とォ願いたいんでがすがなァ」
「せっかくでございますがなァあたくしァよろしいのですが仏さまのご遺言でございますんで、帳面は、各人付け勝手付けといういまお帳場さんからのお話でございますン。そうでございますなァお帳場さァん?」
「ええ。それはなんでございますゥ、あなたがたのほうで勝手に代筆をなさるのァ構ァないんでございますがね、帳場の者さいこの帳面を付けなければ、よろしいン」
「ははァ……我々の代筆は構わないんで?」
「ええェそらァ構ァないン……そうですなァ甚兵衛さん?」
「そうなんですよォ、他の者が付けんのァ構ァないんですが帳場だけが付けちゃァいけないッてんです。ええご隠居さまァ、くれぐれもそいってったン。『もしも帳場が書けば、三日たたないうちに化けて出る』―」
「そんなくだらないことォいっちゃァ……相すいませんがそのほうなら差支ィございません」
「ああそうでございますか? こら驚きましたなこらァ……ほほォではまァ、手ついででございますから―は? 島田勝己さん、ああ左様でございますか、ェェ、(記帳して)島田、勝己さん」
「中村ウメと願いたいんですの」
「ははァ中村……いやああご婦人でございァす―ああそう。いやまァ、手ついででございァす―(記帳して)中村ウメ」
「ェェ近藤勇と願いたいんですがなァ」
「ははァ近藤勇」
「ェェ、相すいませんでございます、清水益義」
「(記帳しながら)へ……清水益義」
「ェェ大村久三郎」
「ェェ、渡辺欣也」
「相すいませんでがす、ェェ、斉藤建蔵と―」
「ちょちょ待ッ、待ってくださいよこらァどうも……そう貴方ねわァわァ騒いじゃ困りますな―これあたし一人なんですから……ちょっと待ってください、こりゃ偉いことんなりましたなァこりゃァ……そう押しちゃァいけません押しちゃァ、まァ順に、付けますから。お帳場さん、おそれいりますがあなたちょっとそこどいていただきたいんでございァすがなァ、あたくしがそこィ座りますから」
てんで……。
学校の先生がな、帳場ィ座ってすっかり代筆でございます。帳面の上書までつけてくれたんでことなきを得ましたので。
「(ほっとして溜息をつき)ああァ甚兵衛さん、ありがたかったねェ学校の先生が全部つけてくれた」
「ええあたしも一時はどうなるだろうと思いました」
「いやァこれもそれもみんな、仏さまがお守りくだすったんですよ。甚兵衛さんあなた日頃からたいへんに可愛いがられていましたからなァ。ああありがたいありがたい」
「じゃァこれぼちぼち片づけます」
「いやいや、まァまァそう急くにァあたりません。いままであんまり心配したんでがっかりいたしましたァ。ここでもってまァ一服、やってゆっくり片づけることにいたしましょう」
「(声を張って)おゥ、こんちはッ。おゥいたよ帳場ァ、おゥいたいた。ああ驚いた驚いたァ。なァにしろね、ゥゥ仕事にィ二、三日行ってたんだよォ。今朝ァ家ィ帰って来たら嬶ァのいうにゃァ、なんだァ『伊勢六さんのご隠居が亡くなった』ッてんだァ、な? で『今日ァ葬式だ』ッてんだよォ俺ァおッどろいたねェ―いろいろ厄介ンなってるからよォ、顔出しをしなくっちゃァ面目ねえじゃァねえかァ、な? そいから俺飛ンで来たんだァ。時間がおそくなっちゃったんだ。帳場がいなかった日にゃァどうしようかと思ってなァ―どうもどうも、いたんで助かったァ。おい、ちょいっとすまねえ、その大工の熊五郎ちょいと書いてくれェ」
「……(困ったように咳払いをして、改まった調子で)仏の遺言でございます、帳面は各人付け勝手付けでございます。ご自分でお付けを願います」
「え? なんだ仏の遺言だって? 帳面俺達が付けるんだって? 冗ォ談いうな―ンな馬鹿な遺言があるもんけえ―本当だって? おい甚兵衛さん本当かい?」
「そうです。こっちで付けちゃァいけないン―三日たたないうちに化けて出ますから」
「なァにをいってやァんでい。おい、すいませんねェ、あなたァちょいと書いて―いえ面倒臭かったら“大熊”だけで結構なんだ。ねえ、か、書いてください」
「いや仏の遺言でございます。お生憎さまでございますどうぞご自分でお付けを願います」
「なにィいってやんで俺ァ字がァ書けねえんじゃねえか、手前知ってんじゃねえかァ本当にィ……ッてやァんでい、お前達なんだってそんな紋付の羽織ィ着て座ってやァんでい?」
「みなさんが付けるか付けないか見分の役目で―」
「ンなわかんないやつがあるかこん畜生めェ……書かねえかこね野郎ッ、書かねえと手前殴る―(と拳固を固める)」
「(制して)まァまァまァまァ、しょうがねえなァ……熊さん熊さん、大きな声しちゃァいけない。他人に聞かれるとまずいんだよ。実ァねェ、二人とも字が書けねえんだよ、ね? 請合っちゃったんだよ―しょうがねえから夜逃げをするまでんなったんだがね、いろいろ考ェてよォ、仏の遺言だてえことにしてな、で帳面は各人付け勝手付けてえことにしてさァ、いま学校の先生が全部代筆をしてくれたんだよ。そいでいまもう一段落すんだとこなんだ―もう少ォし早きゃァよかったんだがねェ、しょうがねえじゃねえか」
「なんだ二人とも字が書けねえのか? ちえッ、無筆のくせに帳場なんぞ請合いやがって間抜けな野郎だねェ……俺も字が書けねえんじゃねえか……三人いて三人とも駄目なんじゃねえか……三人無筆か? しょうがねえなァどうも俺嫌だなァどうも。なんとかならねえかねェ義理が悪くてしょうがねえんだがねェおい、お前さんもこれだけのこと考ェたんだ、なんかうまい工夫がねえか?」
「そうですなァなにかうまい考ィが……(膝を打って)おッ、熊さァん、いいことがありますよ」
「どうするんでェ?」
「熊さんお前さんがここへ、来ないことにしましょう」
底本:八代目春風亭柳枝全集
弘文出版・1977年発行
落語はろー("http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/")