しかしこの、お楽しみというものが、どなたさまにもございますが、人間てえものは、稼ぐばかりが能じゃございません。やはり、ご慰安がなくっちゃいけない。これァお楽しみでございます。お道楽、とこう言うんですが、なんだか道楽てえと、非常に
「あの人ァ道楽者」
これ、よくないんです。
このごろの言葉では、これを趣味と言うですねェ。いいお言葉ですなー趣味。
「あたしは、競輪が趣味だねェ」
「ぼくはまた、麻雀が趣味だよ」
「読書が趣味」
いいですねェ―趣味。
「私は
……ンなのァ趣味になりません。これァいけませんが、いろいろお楽しみがございますが、なかにこの、釣りにお
あのくらい、結構なお楽しみはございません。釣りを垂れてる間、無念無想で、何の考えもございませんが……釣ってる方はよろしいんですが、あれを見ている方があるんですが、あれァどういう
大きな荷物を
「(両手を襟元で握り、荷物を背負っている態。上体をのめらせて)押しちゃァいけませんよ、押しちゃァ……電車ィ乗っかってるんじゃありませんよ。押せば中へ入るッてわけのもんじゃないよ。前は川なんだよ、前は。どぶんと落ッこっちまうじゃないか。あたしゃ大きな荷物を背負ってますよ。沈ンだッきりになっちまうじゃありませんか。順に見せるから、お待ちッてんだよ。なんだ、あの野郎……(睨みつけておいて、急に笑顔をつくり、前方へ話しかける)へッへッへェ、旦那ァ、あなたお好きですねェ、あッしもたまらねえんだ、釣りときた日にァねェ。やっぱり、海釣りよりも
「(落着いて)だ、駄目なんですよ。いえ、これ喰ってるんじゃないから、駄目なんですよ」
「(いらいらして)駄目なことァないよ、ちょいと揚げて見てくださいよ、お願いですからよ。(必死になって)揚げてくださいてえんだよ。あたしァ急ぎの用があるン」
……なら早く行きゃァいいン。一生懸命、見ていらっしゃる……お楽しみでございましょうが、あまり、それにお
『凝っては思案に
「(上手を見やって、下手へ)おゥ、むこうから来たのァ見たような顔なんだがねェ、どうも俺ァ思い出せねえんだがなァ」
「どォれ……(と見て)あ、あれはおめえ、伊勢六の若旦那だ」
「あれがかい? へえェ……伊勢六の若旦那ッてのァ、色の白い、
「うん、
「大変な凝りかたまりだねェ」
「えらい凝りかたまり。だいいち、この顔の色だって
「へえェ、
「つんつるてんの着物きて、袴はいて、
「(すっと姿勢を正し)いよォ、これはこれは、ご両所にはいずれへ?……」
「(くすッと笑って小声で)ご両所ときました……先生はこのごろ、すっかり剣道のほうを、ご勉強だそうですなァ」
「うむ、いまァ世の中が物騒である。いかなる
「ヘッ、ぜひやりてえと思ってやすが、先生なんざもうすッかりご上達でしょう?……」
「
「免許皆伝……たいしたもんですねェ。このあいだ行ったら、もう免許ンなっちゃった。へえェ、
「(即座に)ある。二、三十日以前であるかな、若者両人を取って投げた」
「へえェ、武勇伝だねェ。ゥゥどこです? お話うかがおうじゃありませんか……」
「この先の四ツ角だな。
「へえェえ、見事なお腕前ですなァ(すっかり感心して)……へえへえ、へえ、ど、どうしました?」
「これを見るなり、いま一名、おなじく若者が撃って参った。こんどは、ひょいと体をかわしておいて、肩へ
「へえェ、柔道もやるんですねェ。凄いねェ、剣道、柔道、できるんすなァ。えらいねェ、胸が
「(あっさりと)一人が三つで、一人が五つだ」
「(あきれて)俺、いやだよ先生。子供じゃねえか」
「いや、若者だよ」
「若者過ぎるじゃねえか。俺、いやだよ。こっちァ
「いや、これは冗談……いや、しかし、ご両所に会ったのが、ちょうど幸いだ。ここでひとつ、免許皆伝の
「へえェ、奥義てのァどうするんです?」
「『
「へえェ、これァお
「(扇子をぐいと握り)ここへ鉄扇があるだろう。な? (気合い)ィえェいィッ……気合もろとも鉄扇の陰へ拙者の体が隠れちまう」
「(驚いて)その陰へ?……(相棒へ)おゥ、拝見しようじゃねえか、面白いじゃないか、なァ」
「まるで
「よゥし……ご両所、そこへ並ンで(と扇子で線を引いて)……いいか、よく見ておれよ(と鉄扇を目の前に構えて睨み)、ィえェいィッ……どうだァ? 見えまいッ」
「(相棒へ)見えねえか?」
「(目をこらして)まだ見えるなァ」
「先生、まだ見えます」
「そうか、そんなことァないんだがなァ……(また同じ仕草で)ィえェいィッ……どうだァッ、見えまいッ」
「さっきよりよく見えるんで……」
「ものは皮肉でいかん、それァ……いやァ、ご両所、そのゥ眼をつぶってッ……」
「(不思議そうに)眼をつぶるんですか?」
「(命令口調)眼をあいてたらいかん、しっかりつぶって……(同じ構えで)えェいィッ、どうだァ、見えまいッ」
「(あきれて)当りまいだよ、眼をつぶってて見えるわけがねえじゃねえか……いやだよ、先生」
「いや、それほどまでの腕前には、まだならん。いずれなるつもりではおる」
「なんだ、だらしがねえんだ」
「源ちゃん、君は力があるそうだな」
「へい、自慢じゃァないが、素人相撲じゃ大関です」
「あァ、
「なるほど(と手を打って)、こいつァよくある
「(その手を自分の胸倉へ持ってきて)ほほう、見るときくと大きな
「だってあたしゃ、握ってるだけだよ……(相手の顔をうかがって)力ァ入れてよろしいんですねェ?……(ぐッと力を入れて)どうです先生、このへんではァッ」
「(胸倉をぎゅッと締め上げて、苦しそうに咳こんで)くッくッくッ……死ンじまうよ、おいこらッ(と左手で引き離して)、おい、死ンじまう、こら、離さねえか、これ……このあいだ
「ひどいね取り上げはァ……(力をゆるめて)このへんでいいんですかァ?」
「(吐き捨てるように)馬鹿野郎、
「(あきれて)だらしがねえなァ……先生、取れません」
「(立ちなおり)よゥし、では今度は奥の
「(手を押さえて)い、痛い痛い痛い……引ッ掻いちゃいけないよ先生。大変な
「これで別れるのは残念だな……梅ちゃん、君、笑っててはいかん。何か持っとるようだな」
「え? へへ、いいえ、これァ(と懐を押さえ)、馬鹿馬鹿しい、いま
「おおゥ、さいわいだなァ。一匹ィ貸したまえ。うむ、殺しちまおう」
「なにも、入ってるものをさいわい、生きてる物を殺すことはないでしょう?」
「いや、殺しッぱなしではない。ばッと生かす、これが免許皆伝の腕前だ」
「あんまりあてにならんですがね、免許皆伝は……(と懐から手拭い=鼠を出して)じゃねェ、これ、お手柔かに願いますよ、ええ……おッとッと、これ、生きてんですからねェ……(と渡して)さ、お願いしやしょう」
「よしッ(と受け取って手にぐッと握り)、どうだ、ご両所、見たまえ。豪傑が掴めば、たった一つだ」
「(馬鹿馬鹿しくなり)誰がつかんだって、そんな小さいもの、
「(高々とかかげ)これは気合もろとも
「(あわてて)だ、駄目だ、抜いちゃっちゃ駄目ですよ」
「(構わず)ちゅうちゅうも何もない、綺麗に刈り込じまう……(反対側を見て)あァ
「
「もう大丈夫だ、こんどは逃げようッたって逃がさんぞ……(と高く握って構え)えェいィッ……やァッ……いえいッ……やあァッ……ええい、畜生ォ(と固く握りしめてそれから開き)、どうだ、みなさん」
「(のぞき込んで)おォやおや、くしゃくしゃになっちゃいました……哀れな姿になっちゃったよ……。これ生きッ返りますか?」
「(自信たっぷり)あァ、生き返るとも。人間でもこういう
「魚で覚えた……
「活を入れる。すぐに生き返るぞ……(と右手を鼠に当て)ィえェいィッ……やァッ……えいッ、起きろッ」
「起きないよそりゃァ。それ死ンじゃってるんだ、寝てるんじゃないから駄目ですよ」
「(つくづく見て)ははァ、こりゃァ
「あァあ、
「目がとび出しちゃったなァ」
「(情けない声で)目がとび出しちゃった……」
「心配するな、来年になりゃ
「植木じゃねえや」
……『生兵法』でございます。