胡椒のくやみ(こしょうのくやみ)
八代目春風亭柳枝
もう、笑うということぐらい結構なことァございませんな。このごろは世の中が、こういう
また、笑いというものは、人間よりほかにはできないんでございます。あんまりこの、猫がげらげら笑って歩いてるなァ見ませんわな、あれァ……。しかしながら笑いと一口で申しあげますが、商売別によってみんな笑い方が違いますんで……われわれ芸人がやる笑いは『お世辞笑い』という……これァ好くない笑いでございます。扇をこのへん(口元あたり)に開いてな、自分のおでこんところィあてがってな
「(上目づかいに見て)どうも旦那、
これァ好くない笑い方でこれァいけないんです。ひとつ腹から朗らかに
しかしながらこの、私ァ
「あそこから来たのは
そのときに巴御前が……『馬上ゆたかに
「美智子さん、どちらへいらっしゃるの?」
「これからお花のお稽古に……かんらからから」
こりゃ変だ……これァどうも具合が悪うございます。これァまあひとつ、朗らかにお笑いのほどを願いますが……。
なかにはこの『莫迦の虎笑い』なんてえのがありましてな……。
「また始まりやがったな、こん畜生ァ……おめえぐらいくだらねえことゥげらげら笑う男てえなァないよ、じれッてえな……何がそんなにおかしいんだよ、男てえなァ、そんなくだらねえことげら……(言いかけて思わずつられて笑い)莫迦だなァこの野郎、何がそんなにおかしいんだよゥ」
「ううゥう……(顔面笑いをたたえ、こらえようがないという仕草)」
「なにをしてやン……ものが言えねえじゃねえか、何がそんなにおかしいんだィ」
「なにがおかしいッたって
「そうか、どんな面白い話があるんだ? 俺にも聞かしてくれやい」
「それがおめえ、ばかばかしくて話にならねえんだ……(思い出して、また笑いがこみ上げる)くッくッくッ……大笑い、くッくッ……お、おめ、おめえ知ってッ、知ってッだろう? 俺ンとこのそばの、地主のお嬢さんよゥ」
「おう、知ってるどこじゃねえ、いィいお嬢さまがいらしたなァ」
「あのお嬢さん、うッぷ……あのお嬢さん、ありゃ女だろ?」
「なにを言ってやン……莫迦だねこいつァ、何もおかしいこたァねえじゃねえか……お嬢さんだから女だ」
「この間から患ってるてえんだけどね、それから俺がさっきちょいと見舞いに行ったらなァ、うッふッ……ばかばかしいじゃねえか、
「(あきれて)なにを言うてやン……俺ァあきれたね、こんな莫迦じゃないと思った、お嬢さまが亡くなって何がそんなにおかしい……そりゃお前、ほんとうか?……へえ、お気の毒だな、ひとり娘、ご器量好し、近所では小町娘、評判のお嬢さま、親御さんの気持になってみろ、どれほどお
「だっておめえ、理屈に合わねえからおかしいじゃねえか……」
「どう理屈に合わない?……」
「てッ……
「生意気で死ぬ奴ァないんだよ、あきれたね、こいつァ、
「あのねェ悔みに行かなくちゃいけねえン……くッくッくッ、駄目なんだよ、
「なに? お前が悔みに行く? おやめなさい、悪いこたァ言わねえ……悔みというものは、涙のひとつもこぼして行くべきところだ、また涙も出ようじゃねえか、そいつをお前みたいに向うへ行って、げらげらげらげら笑っててみろ、殴られちまうよ、止したほうがいい」
「止すわけにいかねえんだよ、ちょいとでいいから
「そうか、じゃこうしな、あんまり長い文句はいけないよ、悔みというものはね、おそらくはっきり言う人はない。たいてい口ン中でぐずぐず言っておしまいが悔みだ、ま文句はこう言ってきな……『
「うッふふふ……あ、お前は
「(照れて)だァ、そうすかな、ほんとどォも……『ええ……』、うッぷッ……『承りますれば……』くッくッくッ……『承りますれば……お嬢さんお亡くなりになったそうで、探しに行きましょう』……」
「なァにを言ってン……品物がなくなったんじゃないよ」
「……『お亡くなりになったそうで、まことにどうも、ご苦労さまで』……」
「ご苦労さまてえのァねえや、『ご愁傷』だ」
「あそうか『ご愁傷さま』と……これでいいのか?」
「それでいいんだが、そう笑ってちゃいけねえ、待ちなよ、何か涙の出る工夫を考え……(ハタと気づいて)おッ待ちな待ちな、(ぽォんと手を叩き)何が幸いになるかわからねえ、なァ、やっぱり物てえものは
「(掌を出して)そうかァありがとう……(つくづく見て)何でえ? これァ粉じゃねえか、これを
「それでいまの文句をやってみろ」
「これでかァ? ぎいィ……ぎいィ、『承りますれば』……ぎいィい(泣声になって)『お嬢さんお亡くなりになったそうで』、ぎいィいッ……(くしゃくしゃの顔になり)『誠にどうもご愁傷さまで……』(言葉にならない)」
「
「なんだか辛くて
「(笑って)変な
「そうか、ぎいィいッ……ああ驚いた、口ン中ァかあッとしちまったよ、こんなもの舐めさせやがっておめえ……(と水を飲んで)、はあ、驚いたねこらァ、辛いもの舐めさせやがって……ああ(胸がすッとして)うッぷッ」
「もう笑ってやがる」
「(笑いころげて)ありがてえ……くッくッくッくッ、
「悔みの薬てえのがあるか……なんでもないんだ、
「(溜飲が下って)うィい……うィいィ、胸がぐッと下って、いいィ気持だ」
「そうか」
「
「うん、
「俺ェくれやい、これ舐めて
「おッ(ぽんと膝を叩いて)、こりゃァ旨いところに気がついたな、これァ
「そうか、ありがとう……(行きかけて)じゃ帰りィ寄るよゥ」
「(見送って)しっかりやってきなよゥ」
「(手で案内して)さ、どうぞこちらへ、どうぞ……(横へ)お竹や、お
「(慇懃に)ごめんくださいまし……(袖を眼にあてて涙をこらえ)
「ありがとう存じます、
「(大きく頷き、涙声で)そうでございましょうとも、そうでございましょうとも……(もらい泣きして)あれほどお手をお尽しあそばしてお亡くなりになるなんて、神も仏もないことか―なあんてねェ、あァんまりくよくよお思いあそばして、もしも奥さまのお体にお障りでもあった日には、それこそ旦那さまが立つ瀬がございません、お気持だけはどうぞしっかりお持ちあそばしまして……(思い出して)五、六日前でございましょう、あのゥこちらのお竹さん、お女中さんの……お目にかかりまして、『あの、お嬢さまのご
「(じいっと見て、急に笑い出し)うぷッ……やってますやってます、上手いもんだねありゃァ……生薬屋の
「はあい、どなた?……まあ、八ッつァんじゃないかねェうちの娘が亡くなったんだよゥ、なぜ早く来ておくれでないんだよゥ、お前にも頼みたいこともあるんじゃないか……そこで泣いてられちゃ困るよゥ」
「(苦しそうに)そうはいかないんです、ここんとこは……(幸いのとくしゃみが一緒くたになり)ぎィいッ、はあッくしょい……うけた……はあくしょい、はあッくしょい……うけたま……はあくしょい、お女将さん助けて……はあくしょい、水……はくしょい、水……」
「(あきれて)大変な騒ぎだね、はやく水を持ってきて……(水をすすめて)水をおあがんなさい、風邪でも引いたんだろ?」
「ありがとやす……はあくしょい、ああ驚いたこりゃどうも……(一気に水を飲み)ぎィいッ、はあッ……鼻ン中へ
入ろうたァ思わなかったなァこらァどうも……ああ、ぎィい、はあッくしょい……ああ顔がこわれちゃうこれァ驚いたねどうも……一時はどうなることかと思いましてなどうも……(落着いて)ェェ承り……うぷッ(笑い出し)、承りま……承りますれば、うふふッ……(こらえようとするが笑いがこみあげてくる)承りますればァ……(泣き笑いの声になって)承りますればッ、お嬢さんお亡くなりになったそうで……うゥいィ、あァあ、いい気持だ……」
ひどい奴があるもんで……お笑いでございます……。