胡椒のくやみ(こしょうのくやみ)

八代目春風亭柳枝

 ェェご機嫌よろしゅうございます。ただいまはまた白山さんでございまして、大変にこのォ声のよろしいところで、いろいろなかたの声を出しますんで、じつに器用なものでございます。どうもおあとに上りましてな、お馴染のお笑いで御免を頂戴いたしますんで……。
 もう、笑うということぐらい結構なことァございませんな。このごろは世の中が、こういう風俗ふうでございますので、お目が醒めあそばすてえと、見ること聞くこと厭なお話が多いんでございますけど、ま、そういうことはどうぞお忘れあそばしまして、朗らかにお暮しのほど、お願いを致しておきます。
 また、笑いというものは、人間よりほかにはできないんでございます。あんまりこの、猫がげらげら笑って歩いてるなァ見ませんわな、あれァ……。しかしながら笑いと一口で申しあげますが、商売別によってみんな笑い方が違いますんで……われわれ芸人がやる笑いは『お世辞笑い』という……これァ好くない笑いでございます。扇をこのへん(口元あたり)に開いてな、自分のおでこんところィあてがってな
「(上目づかいに見て)どうも旦那、せんだってはどうも……えッへッへッ」
これァ好くない笑い方でこれァいけないんです。ひとつ腹から朗らかにみ出して、お笑いあそばすよう、お願いを致しておきます。
 しかしながらこの、私ァせんだって本を見たんですが……どうも落語家の読む本です、たいしたものゥ見や致しません……『木曽義仲をたすけました巴御前ともえごぜん、女ながらも立派な女丈夫じょじょうぶ唯一、馬へまたがりまして、薙刀なぎなたを小脇に掻込かいこンで、百万の敵軍の中へ跳込とぴこンだ』……偉いですねェ、女ァ一人です、驚いたのは敵方です……。
「あそこから来たのは巴御前ともえごぜん、あれを討取って功名にしよう」
 そのときに巴御前が……『馬上ゆたかにまたがって、かんらからからと打ち笑い……』ということが本に書いてございました……文章で読ンでみるとい笑いですね、豪傑らしいじゃございませんか……『かんらからからと打ち笑い』……いくらいからといって、皆さま方ご婦人さまがおやりあそばしては、これはちょと変でございます……。
「美智子さん、どちらへいらっしゃるの?」
「これからお花のお稽古に……かんらからから」
 こりゃ変だ……これァどうも具合が悪うございます。これァまあひとつ、朗らかにお笑いのほどを願いますが……。
 なかにはこの『莫迦の虎笑い』なんてえのがありましてな……。

「また始まりやがったな、こん畜生ァ……おめえぐらいくだらねえことゥげらげら笑う男てえなァないよ、じれッてえな……何がそんなにおかしいんだよ、男てえなァ、そんなくだらねえことげら……(言いかけて思わずつられて笑い)莫迦だなァこの野郎、何がそんなにおかしいんだよゥ」
「ううゥう……(顔面笑いをたたえ、こらえようがないという仕草)」
「なにをしてやン……ものが言えねえじゃねえか、何がそんなにおかしいんだィ」
「なにがおかしいッたってあにィの前だけど、世の中にこんなおかしいことァない……うふッ、俺ァ一人でもって腹ァ抱えちゃったァ、あにィだってきっと聞いたら、引っくり返っちまう」
「そうか、どんな面白い話があるんだ? 俺にも聞かしてくれやい」
「それがおめえ、ばかばかしくて話にならねえんだ……(思い出して、また笑いがこみ上げる)くッくッくッ……大笑い、くッくッ……お、おめ、おめえ知ってッ、知ってッだろう? 俺ンとこのそばの、地主のお嬢さんよゥ」
「おう、知ってるどこじゃねえ、いィいお嬢さまがいらしたなァ」
「あのお嬢さん、うッぷ……あのお嬢さん、ありゃ女だろ?」
「なにを言ってやン……莫迦だねこいつァ、何もおかしいこたァねえじゃねえか……お嬢さんだから女だ」
「この間から患ってるてえんだけどね、それから俺がさっきちょいと見舞いに行ったらなァ、うッふッ……ばかばかしいじゃねえか、昨晩ゆうべぽっくり死ンじまいやがッ……うぷッ(腹を押さえて笑い込む)」
「(あきれて)なにを言うてやン……俺ァあきれたね、こんな莫迦じゃないと思った、お嬢さまが亡くなって何がそんなにおかしい……そりゃお前、ほんとうか?……へえ、お気の毒だな、ひとり娘、ご器量好し、近所では小町娘、評判のお嬢さま、親御さんの気持になってみろ、どれほどお気力ちからおとしたか判ったわけのものでないぞ、それをげらげら笑ってやン……何がそんなにおかしい?」
「だっておめえ、理屈に合わねえからおかしいじゃねえか……」
「どう理屈に合わない?……」
「てッ……としを聞いたらあのお嬢さん、十八だとよ、なァ? くッ……俺ンとこの隣りの海苔のり屋のお婆ァさん、うふッ……九十六くじゅうろくだッて、くッくッ……まだ生きてんだよ、あのお婆ァさん。それなのに何も十七や十八でおめえ、生意気に死ななくていいだろうに……うふふふ」
「生意気で死ぬ奴ァないんだよ、あきれたね、こいつァ、寿命尽じゅみょうづくじゃねえか、なァ? 運にかなって、いっそくぐらいまで長命をするお方がある、生れてすぐお亡くなりになるお人がある、これは天命といって致し方のないものだ、それをげらげら笑ってやン……だいいち俺ンとこへ何か用があって来たのか?」
「あのねェ悔みに行かなくちゃいけねえン……くッくッくッ、駄目なんだよ、他人ひとが泣いてると余計おかしくなっちまって……うッぷ、俺ァ悔みなんぞやったこたァねえ、けど今度ばかりはどうゥしても行かなくちゃ義理が合わねえ、済まねえがくやみの文句をおせェて貰おうと思ってよ」
「なに? お前が悔みに行く? おやめなさい、悪いこたァ言わねえ……悔みというものは、涙のひとつもこぼして行くべきところだ、また涙も出ようじゃねえか、そいつをお前みたいに向うへ行って、げらげらげらげら笑っててみろ、殴られちまうよ、止したほうがいい」
「止すわけにいかねえんだよ、ちょいとでいいからおせェてくれやい」
「そうか、じゃこうしな、あんまり長い文句はいけないよ、悔みというものはね、おそらくはっきり言う人はない。たいてい口ン中でぐずぐず言っておしまいが悔みだ、ま文句はこう言ってきな……『うけたまわりますれば、お嬢さまお亡くなりになったそうで、ご愁傷さま』と……これなら二口か三口、言えるだろう?……」
「うッふふふ……あ、お前は上手うまいね、悔み慣れてるから…」「悔み慣れてえ奴があるかい……やってみなよ」
「(照れて)だァ、そうすかな、ほんとどォも……『ええ……』、うッぷッ……『承りますれば……』くッくッくッ……『承りますれば……お嬢さんお亡くなりになったそうで、探しに行きましょう』……」
「なァにを言ってン……品物がなくなったんじゃないよ」
「……『お亡くなりになったそうで、まことにどうも、ご苦労さまで』……」
「ご苦労さまてえのァねえや、『ご愁傷』だ」
「あそうか『ご愁傷さま』と……これでいいのか?」
「それでいいんだが、そう笑ってちゃいけねえ、待ちなよ、何か涙の出る工夫を考え……(ハタと気づいて)おッ待ちな待ちな、(ぽォんと手を叩き)何が幸いになるかわからねえ、なァ、やっぱり物てえものは取置とっとくもんだ、わざわいも三年たちゃァ何とやら、さ、手ェ出しねい、これならたいてい涙ァ出るぜ、これひとつってみねえ」
「(掌を出して)そうかァありがとう……(つくづく見て)何でえ? これァ粉じゃねえか、これをめればいいのかァ?……どういうわけのもんですかな、他人ひとが泣いてると余計おかしくなるというのは……おかしなもので……(びんを逆さに振って粉を出し、掌で舐める)ぎいィいッ……(口を鳴らして)ぎいィいッ……これァ辛えや、こりゃァ、ぎいィいッ……こりゃ大変だよ、これァどうも……(顔をゆがめて、辛くてしょうがない仕草)」
「それでいまの文句をやってみろ」
「これでかァ? ぎいィ……ぎいィ、『承りますれば』……ぎいィい(泣声になって)『お嬢さんお亡くなりになったそうで』、ぎいィいッ……(くしゃくしゃの顔になり)『誠にどうもご愁傷さまで……』(言葉にならない)」
上手うま上手うまい、上等だ……それでいいんだ、それでいいんだ、その呼吸でいいんだ、上手うめェもんだぜ」
「なんだか辛くて仕様しゃァねえやこりゃどうも……ぎいッ―なんとかしてくれェ」
「(笑って)変なつらァするんじゃねえ、待ってろ待ってろ、……(上手奥へ)おいおい水持ってきてやんな……(茶碗を受取り)あそう、よしよし、さ、これでもって口ィゆすいじまいな、すぐに治っちまう」
「そうか、ぎいィいッ……ああ驚いた、口ン中ァかあッとしちまったよ、こんなもの舐めさせやがっておめえ……(と水を飲んで)、はあ、驚いたねこらァ、辛いもの舐めさせやがって……ああ(胸がすッとして)うッぷッ」
「もう笑ってやがる」
「(笑いころげて)ありがてえ……くッくッくッくッ、あにィ不思議だねこりゃァ、悔みのくすりか……」
「悔みの薬てえのがあるか……なんでもないんだ、胡椒こしょう
だ、どうだ? あとの気持は……」
「(溜飲が下って)うィい……うィいィ、胸がぐッと下って、いいィ気持だ」
「そうか」
哥貴あにきこれ要らねえのか?」
「うん、おらァ要らねえ、夏になると水中みずあたりしないようにな、ちょいちょいとこう舐めてえる、まじないだてえが、もう要らねえから俺ァ捨てちまおうと思ってよ」
「俺ェくれやい、これ舐めてってくらァ」
「おッ(ぽんと膝を叩いて)、こりゃァ旨いところに気がついたな、これァい考えだ、よしよし、だいぶ入ってるよ、あんまり舐めちゃいけないよ、ちょいと舐めるんだよ、いいかァ? 悔みを言う間だけ笑っちゃまずい、で済ンじゃったらな、台所イ行って口ィゆすいじまいな、あとは笑ってもいい、若いお方が亡くなったあとだ、お前みたいな莫迦が行って、みんなをわあッと笑わしてこい、かいって忘れていいかも知れねえ、けれども悔みを言う間は笑っちゃまずい、さ、だいぶ入ってるよ……(念を押す)あとは捨てちまうんだよ、ちょいと舐めるんだよ、あんまり……幸いからたくさん舐めんじゃないよ、さ、持ってきねえ」
「そうか、ありがとう……(行きかけて)じゃ帰りィ寄るよゥ」
「(見送って)しっかりやってきなよゥ」

「(手で案内して)さ、どうぞこちらへ、どうぞ……(横へ)お竹や、お座布団しとねを持ってきなさい、生薬屋きぐすりやのお内儀かみさんだ……(座布団をすすめて)、さ、あなたおあてを……」
「(慇懃に)ごめんくださいまし……(袖を眼にあてて涙をこらえ)うけたまわりますれば、びっくり致しました、お嬢さまお亡くなりになったそうで……なんとも申しあげようもございません」
「ありがとう存じます、あれもまあ存命中は、なにやかやとご厄介になりまして、わたくしから厚くお礼を申しあげますのに、あまり急だもんでございますから……手のうちたまられたというのは、このことを申すのでございますかしら……(次第に涙があふれて)昨日などほ、大変具合ぐあいがよろしゅうございまして、寝床とこの上へ起きかえって、『お母さま、あたしゃくなるのかしら?……』てえから、『何を言ってるんだね、やまいは気から……そんな気の弱いことをお言いでない』と申しましたら、『くなったら、いちばん先に、生薬屋のおばさまのところへ、お礼に伺う』と、あなたのことはかり申しております。『くなれば行かるから、それを楽しみに早ァくくなって、お父さまやお母さまに、安心をさせてくれなくちゃ困るじゃないか』と申しましたら、いつになくわたくしの顔をじィいッと見ておりまして、『お母さま、あたしゃ嬉しい』と言ってあなた、にっこり笑いました顔……(急に言葉がつまり鳴咽して)うッうッうッ……いまだに眼について忘れることができません……」
「(大きく頷き、涙声で)そうでございましょうとも、そうでございましょうとも……(もらい泣きして)あれほどお手をお尽しあそばしてお亡くなりになるなんて、神も仏もないことか―なあんてねェ、あァんまりくよくよお思いあそばして、もしも奥さまのお体にお障りでもあった日には、それこそ旦那さまが立つ瀬がございません、お気持だけはどうぞしっかりお持ちあそばしまして……(思い出して)五、六日前でございましょう、あのゥこちらのお竹さん、お女中さんの……お目にかかりまして、『あの、お嬢さまのご容態ようだいは?』とうかがいを致しましたら、『大変におよろしくて、お布団とこの上で、お三味線などを弾いてらっしゃる』と、わたくし耳にいたしまして、『まあ結構、そんなご元気ならば、近々ちかぢかにご全快、お床上とこあげのこと』と主人たくともあなた喜ンでおりましたの。ところが、ただいまうかがいましたら、急に昨晩おそく……(急に言葉がつまり激しく嗚咽して、声を張りあげて)お亡くなりになったそうでご愁傷さまで……うゥうゥうゥ(と泣き伏す)」

「(じいっと見て、急に笑い出し)うぷッ……やってますやってます、上手いもんだねありゃァ……生薬屋の内儀かみさんだな、だいぶめてきやがった、うふっ……これァあのあとでは、少ゥしぐらい舐めても駄目だなこりゃ……かまわねえこれ、全部みんなやっちまえ……(胡胡椒のびんを取り出し逆さに振っては舐め、振っては舐めして)ぎィいッ……(粉が鼻に入り)はあッくしょい……はあッくしょい、これァいけない鼻ン中へ入っちゃった……はあッくしょい……はあッく……薬が効き過ぎたよこりゃァ……(格子戸を開けて)ごめんください」
「はあい、どなた?……まあ、八ッつァんじゃないかねェうちの娘が亡くなったんだよゥ、なぜ早く来ておくれでないんだよゥ、お前にも頼みたいこともあるんじゃないか……そこで泣いてられちゃ困るよゥ」
「(苦しそうに)そうはいかないんです、ここんとこは……(幸いのとくしゃみが一緒くたになり)ぎィいッ、はあッくしょい……うけた……はあくしょい、はあッくしょい……うけたま……はあくしょい、お女将さん助けて……はあくしょい、水……はくしょい、水……」
「(あきれて)大変な騒ぎだね、はやく水を持ってきて……(水をすすめて)水をおあがんなさい、風邪でも引いたんだろ?」
「ありがとやす……はあくしょい、ああ驚いたこりゃどうも……(一気に水を飲み)ぎィいッ、はあッ……鼻ン中へ
入ろうたァ思わなかったなァこらァどうも……ああ、ぎィい、はあッくしょい……ああ顔がこわれちゃうこれァ驚いたねどうも……一時はどうなることかと思いましてなどうも……(落着いて)ェェ承り……うぷッ(笑い出し)、承りま……承りますれば、うふふッ……(こらえようとするが笑いがこみあげてくる)承りますればァ……(泣き笑いの声になって)承りますればッ、お嬢さんお亡くなりになったそうで……うゥいィ、あァあ、いい気持だ……」

 ひどい奴があるもんで……お笑いでございます……。





底本:八代目春風亭柳枝全集
   弘文出版・1977年発行

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