貝野村(かいのむら)

五代目笑福亭松鶴




 エエ一席伺います。処は大阪船場、大きな商人あきんどで、奉公人をば二十人ばかり使うて、お店はおいおいと繁昌して行く。此所の家の御主人というと、親旦那と若旦那のお二人りで、この若旦那、お年は二十二、男前が実に宜しいので、世間ではこの人の事を今業平という名前を付けているくらい。これで商売の掛引が上手い、つまり万事に如才がないものですから、世間で評判の若旦那。スルと此所のお家へさして、大工の棟梁が世話をして、丹波の貝野村から女中を一人連れて参りました。これが山の中から連れて来たものだすが、却々の別婿さんで、年は十八、名前がおもよさん、丈がスラリと高うて、色がクッキリ白うて、鼻がツーンと高い、鼻筋がシュッと通っていて、眉毛に愛嬌があります、三日月眉毛、両方を合すと六日月眉毛、目が二タ皮目、ニコッと笑うと笑窪がゴボッと這入る。お女中の笑窪は深い程価値ねうちがあるのやそうで、おもよさんの笑窪は印籠笑窪、蚊死なん笑窪というのだす。これは何んでやと云えば、笑窪へ指を突込んで抜くと、ポンと音がします、それで印籠笑窪。蚊が留って、ビシャリと叩いても蚊が死ません、蚊死なん笑窪という。口元が可愛い、おちょぼ口というのは世間に沢山ありますが、おもよさんのは、御飯粒が横には這入らん、縦にして、金槌で叩き込まねはならんという、誠に可愛い口、歯列びはうつやかで頸筋が綺麗で、皆揃うておりますが、けどもまアお女中の持前で、おいどが少し大きい筈のものですが、このおもよさんのおいどはこれは又実に可愛らしい、おいどがあるかないか知れませんような、小さいおいどで、実に恰形の宜しい事で。この女中が参りますというと、世間の人が皆今小町という名前を付けまして、余り綺麗なものだすよって、このお家でも上の女中を勤めているが、始終まア若旦那の傍に付切りというので、若旦那の御用を始終承って、かしづいておりますが、前にも申しました通り、若旦那が今業平、女中の方が今小町、此所に業平に小町とが衝突しております。これが普通の人間ならば、じきに変な関係が持上りますが、そこは両人ふたり共いたって温順しいので、人の口の端に掛るような事はちょっともありません、併し両人共心の中は充分に想うているには相違ござりません。スルとこの若旦那が、商売用の、取引やら、掛取やらで、店の若い者を連れて、二ヶ月程、九州へ旅行を致しました、若旦那が御出立になりまして、二十五日目の日に、丹波の貝野村から、使が来まして、おもよさんの母親が病気で、是非おもよを呼戻して看病して欲しいという事でござります。使の者から、どうか、おもよにお暇を下さるように、併し主家はお差支えをさせませぬように代りを連れて参りましたから、どうかお暇をと、代りを連れて来て暇を取るのですから、イヤ応云う訳には不可ません、今までおりました美やかな、おもよを帰して、その代りの女中を置く事となりましたが不思議な事には、この代りに参りました女中さん、年も十八、名前も同じくおもよさん、チットも代りませんが、品物は丸ッ切違う、今度のおもよさんは脊がスラリと低い、色がクッキリと黒い、鼻がツンと後ろへ高い、その代りにデボチンが出張している、頭の毛が少のうて、縮れて、赤うて短かいと来ている、八の字眉毛で、目尻が下って鰐口で、鬼歯が生えている、頬骨が立っていて、猪頸で、鳩むねで、出じりという、イヤそれも出尻というような、やさしいのやない、出けつ、そのけつも、今月、来月、再来月、伊達の対決、天下の豪傑、雨宿りげつ、雨宿りげつというとチョットお解りになりませぬが、俄雨でも降った時、この尻の下で三人位いは雨宿りが出来るという、実に立派なもので、それに足の太い事、太股から足の先まで、ズンベラボー、電柱みたような足で、足袋が十三文甲高、足袋でも別誂え、中々足袋は履かんので、年中ひびが切れている、去年の皹が切れ残って、今年の皹が切れて、来年の皹がボチボチ手廻しに切れてある、何の事はない、お正月のお鏡餅を土用すぎに出したように、ポンポンと干割れがしてる。在所に居ると、百姓するので、裸足で畑へ仕事に参ります。その度ごとに皹の中へ、豆とか、麦とか、稗とか、或はあずきやとか、いろいろな物が皹の中へ這入るので、春先になると、ボチボチと、皹の間から芽を吹いて来る、夏になると蛍がとびだす、蛙が出る、大蛇が出る、狼が出る、山賊が出る、岩窟みたいな足元で、これで大阪へ奉公に出て来ましたが、何せ人一化九という、人間一分で、化物が九分、この化物のおもよさんが、別嬪のおもよさんの代りに参りました。それから三日経ちまして、九州へ商売用でお越になった若旦那がお帰りになりました。
「ヘイお父っさん、只今戻りました」
「オウオウ倅か、えらい早う帰りなさったなア、昨日の朝手紙が着きました、まだ両三日は掛るやろと思うていましたえろう早かった、イヤ御苦労じゃった……久七や、お前も定めし疲れておろうな、どうぞユックリ休んで下され……お清や、倅が帰りました、ナニッ風呂が沸いたそうじゃ、倅や風呂が沸いた、疲れ息めに、一風呂這入って来なされ、それから又ゆるゆると話をするで」
「そんなら、お父っさん、お先へお風呂を戴きます」
 と立ったがこの若旦那、お風呂へ這入るのが楽しみです。何故やというたら、綺麗なおもよさんが手拭を持って来て、若旦那、お背中を流しましょう、とやって来るのが、何よりの楽しみにしてござる。デ早速風呂へ来て温もってござる、もうおもよが来るやろか……モウ来るやろか……と待ってござるが、そりゃ却々来ません、又来る等がない、国へ帰っておンのや。若旦那、あまり待ちくたぶれて、のぼせて来たので、フイと立上ると、腰から下は湯で真赤で、上半分は湯気で黄色になった、若旦那の身体が赤と黄色の染分みたような案配になりました。ハハアこれはおもよは、今日は髪を結う日で、髪結さんでも来ているのやろう、屹度そうや、それでないに暇が取れるのやろ、よし、そんなら、御飯を食べ出したら、お給仕に出て来るに違いない、モウ髪も結えた時分であるよって、と湯から上って自分の御居間へお通りになりますと、モウ温い御飯に御馳走がチャンと揃えている。ポンポン(手を打つ音)
「コレコレ御飯を食べるさかい、お給仕に来てお呉れ……、コレ、誰も居んのか、お給仕に来てんかいな」
「ハーイ……お竹どん、若旦那のお居間から、お手が鳴ってるのお給仕やシ、お前はんチョッと行てお出でやす」
「わたい、いややし、若旦那のお給仕は誰が行ってもお気に入らんのやし、直におもよをおこせと、おっしゃるよってな……」
「そないに云やはったら、おもよどんをやったらエエやないか」
「そやけども、おもよどん居てやないやないか」
「代りのおもよどんがあるわ」
「ハアハア、アノ化物をか、そうやなア、チョット遣ってみよか、まアどんなものが出来るか遣って見まよ……アノおもよどん、おもよどん」
「ハーイ、呼ばはッたかの」
「それ、いつもお前はんに話しをしているやろ、家の綺麗な若旦那、九州から今日お帰りになったのや、いま御飯を召上るので、お前はん、お給仕にいてお出で、まえのおもよどんは、若旦那のお気に入りやったんやし……、その気でお前はんも行くのやし、サア早う行ておいで……」
「ハーイわしが行きますかの……」
 多少そそのかされたところへ、年が十八ですから色気があるよって、おもよさん、自分の部屋へ飛込んで、大急ぎで化粧をしたンですが、実はまだ塗らん方が余程よかった。何しろ常に塗らンところへ、大急ぎで塗ったものですから、赤いところ、白いところ、黒いところ、まんだらになって、何の事はない、焼残りの蔵みたいな顔して、口へは紅を唇一ぱいに付けたので、青光りに光って、ブンブンの背中みたいな、喋ると涎で、紅が流れて口の周囲は真赤いけ、お盆を横抱えにしてやって来ました。
「ハイ、これは御当家の若旦那さんでござんすか、まアようお戻りなされましたのオ、お留守中に来ましたア、わしがのオ、おもよでござんすが、皆がのう、若旦那さんは、よか男じゃ、よか男じゃと云わッしゃるによって、一体どないよか男や知らんと思イよったが、ホーンにお主はうつやかな者じゃてのオ、これなら前のおもよさんが惚れたちゅうのも、無理はない、わしがサモ、オッ惚れもうしたがのオ、今飯食うちゅう事やで、お給仕に来よった、サアウーンと食わっしゃい、わしいくらでも盛りますべいから……」
「何んやア、これは……、お竹――、お竹――」
「ハーイ……お呼びでござりますか、若旦那」
「何んじゃい、これは……」
「これ、アノおもよどんで、若旦那のお給仕に参りました」
「馬鹿云え、こんなおもよがあるかい、これが山に居ったら、鉄砲で打たれてしまうで、猪と間違うて、まだ日本にもこんな人間が残っているのやろか……兎も角、毎時ものおもよをお越してンか」
「アラッ、若旦那、まだ御存知やござりませんか」
「何をやいなア」
「アノいつものおもよどんは、国へお母さんの看病にお帰りになりました」
「アッ、そうかい、お母さんの看病で帰ったのか、これは可哀想に、何日帰ったのや」
「三日前にお帰りになりました」
「三日前……そうか、そして何日戻るのじゃ」
「何日戻るのじゃて、モウ代りの女中をこうやって置いて帰ったンだすさかいにう戻ってやござりません」
「何ンや、暇を取って帰ったのじゃて……エッ、これ私しの寝間を取ってお呉れ、私しは今この女中の顔を見たので、急に気分が悪うなった、モウ御飯はいらん、お膳を引いて、早う寝床を取ってお呉れ、暫く寝るよって……」
 というので、随分気の弱い若旦那もあったもので、床を取らして、お寝みになりまする。明くる朝御飯を持って参りますると、食べてやない。昼も、晩も、明くる日になって、朝飯も、また昼も晩も、その明けの日も同じよう、四五日というもの御飯を召上らんので、サアお父つさんは御心配、でお医者サンに診せますると、別に変りはない、こりゃ気病いじゃ、というてお帰り遊ばした。その中に十日たった、二十日経った、彼是一ヶ月も経ったのですが、御飯粒というものは、一粒も召上らぬ、ドンドン衰弱をして、仕舞にはお薬が咽喉を通りません、水が通らん、湯が通らん、汽車が通らん、飛行機が通らん、そんな物は通りませんが、甚らい事になった。スルと或る日の朝早う、お医者さんが診察に来て、病人の枕許へ座り込んで、病人を捉えて種々と世間話しをばしてござったその中に、若旦那の口からしてどうしたはずみか、うっかりと「おもよ」という事を口走ったものですから、お医者さん直に合点して、お父さんにおもよさんに気を取られているという事を話しをして、其儘お帰りになりました。サアおもよという事を聞出しましたので、お父っさんの喜びは一ト通りじゃござりません。
「アノこれこれ、棟梁の甚平になア、用事が出来ました、誰でもよいから、大急ぎで呼びにやって下され、直に来るように……」
 と使いを走らせました、これを聞きました甚平さん、羽織を引掛けまして、お得意の旦那さまからお呼びですから、直とやって参りました。
「ヘイ旦那様、今日は……どうも長らく御無沙汰をいたしました、勝手な時にばかり顔出しをして、平生は伺いませんで、誠に相済みませんでござります」
「イヤイヤ、そんな挨拶は要りませんのじゃ、よう来て下さった、実はなア、甚平さん今お前さんを呼びにやったのは、他のことじゃないが、お前も知ってるじゃろが、長らく床に就いて居りますアノ倅じゃがな……」
「ヘイ――成程、そうでやすか、そりゃ何うもお気の毒な、遂には良うござりませなんで……」
「何を云いなさる、まだ死んだのじゃない」
「アア左様か――」
「左様かじゃないがな、ところでな、喜んで下され、今日まで解らなんだ倅の病気の、因が知れましたんじゃ、笑うて下さるなじゃが、アリゃ恋煩いじゃ、それもな、お前が世話して呉れたおもよな――、アノ女中に惚れているのじゃ、可愛い者じゃないか、今の時節に恋煩いをするような、気の小さい者じゃから、私は可愛ゆうてなりませんのじゃ、ところでなア、お医者さまの仰っしゃるには、この御病人は薬を浴せる程、飲ましたとて駄目じゃ、先ずまアおもよさんを煎じて飲ませるより、外に妙薬がないとこう仰っしゃるのじゃ」
「ヘエー、すると何ですか旦那さん、おもよどんを煎じるという事になると、随分大きな薬土瓶が要りますがな……」
「何を云いなさる、そうじゃない、おもよを呼戻して、倅の傍に付けるのじゃ、つまり看病をさせるのじゃ、そうすると、この病気も直るという事で、それもな余程衰弱がひどいから、明日の晩までに、おもよさんが来れば間に合うが、明後日になったら、請合う事が出来んとこう仰っしゃるのじゃデ、お前大儀ながら、今から丹波まで行て、この訳を話しをしておもよを明日の晩までに連れて来て下さらんか、何うじゃな、甚平さん、承知をして下され」
「それは旦那さん居無理でやす、丹波は貝野村まで明日の晩まで行て来られるものじゃない、少なくとも三日や四日は掛ります」
「そんな事は私しかて知っています、けどもそうせんと倅が死んで仕舞いますのやで、是非行て来て貰いたい、その代り、明日の晩までに間に合わせて下されたら、お前さんに三千円の御礼をしますから、行て来てお呉れ」
「エー何ですて――、お礼が三千円つまり千円が三ツですなア、三千円というと……お礼が三千円か、えらいものやなア、ウーウーン……」
「何をお前は呻っているのや」
「エー旦那さま、宜しい、この甚平の身体に三千円という金儲けは、どうせ生涯出来そうはないから、一ツ足が折れるか、心の臓が破裂するか、兎に角も明日の晩までに間に合うように、今から行きます」
「行て下さるか、そりゃ有難い……オイお竹や、清や、番頭どん、サア皆来てお呉れ、甚平さんが出立や……甚平さん、それでは大儀じゃが、早うな。就てはお前さん、家へ帰えらんでも、私の旅装束を貸して上げるじゃで、直に出立をして下され、お前さんの家へは使で知らせておくよってにナ……番頭どん、私の旅装束を此所へ持って来なされ、チャンと皆揃えて……オイオイお清弁当を拵えてやって下され、腹が減ると走れませんよってに……待ちなされ、今から拵らえておっては間に合わん、そのおひつを縄で括って、吊下げて、おかづは、こうこを丸なりで二本ほどウンウン、それで沢山じゃ……コレ番頭どん、お前さん、気が利かんじゃないか、何で手を空けてボンヤリ立っている、何で脚絆を付けてやんなさらん、私が草鞋を付けてやるで、お前も早う脚絆を……」
「チョット旦那さま、草鞋を頭へ括っておいででやすがな」
「頭でも何処でも構わん、こけたら頭で走って行け、サア甚平さん、早う行て下され」
 と親旦那は半気狂いです。甚平さんは頭へ草鞋を付けて、首から胸へおひつを掛けて、ハスカイに香々を吊下げてこのお家を飛んで出ましたが、走った、走った、丹波の山へ目けて走りました。行く途中で、お腹が空くと、前に吊下がっております、おひつの御飯を掴んでは食べる、それで顔中が飯粒だらけになった。やがての事で日が暮れて、暫くすると丹波の貝野村へ這入って参りましたが、このおもよさんは三ヶ町を束ねする庄家さんの御娘御でなかなか大したもの、それがどうして大阪へ奉公に出たかというと、行儀見習いのために、甚平さんを頼んで大阪へ出ました。甚平さんも元は丹波の出であるところから、この庄家さんの勝手などはくわしいので、直ぐに門を這入って、玄関まで走り込んで敷居を跨いで、ヤレ嬉しや、と気がゆるんだものか、庭の其ン中へドッシリと尻餅を抱いたままで「ウン、ウン――」というばかり。
「ア、これこれチョット誰か来て下さらんか、庭の真中へ妙な者が飛込んで来て、ウンウン唸っているが、息を切らしているような……オヤオヤ頭に草鞋が括ってあるじゃないか、ハテこれはてんかん病みか……兎も角、誰ぞ後へ廻って、脊中をさすってあげなされ、何処の人じゃな……オウ――コレ、お前さんは大阪の甚平さんじゃないかの」
「エッ、アア……これは旦那さまでござりまするか、御機嫌宜しゅう……」
「オウ、甚平さんか、まア何んという姿をしてやって来たんじゃ、サアサア此方へ上って下されい……コレコレ甚平さんが御座ったのじゃ、サアお蒲団を持っておいでなされよ……サア、サアずっと上って下され、ようまア来て下さった、モウお前さんに逢えばな……コレ甚平さん、お前の顔、それ何うしたんじゃ、飯粒だらけで、そんな顔を見ては可笑しいて、話しが出来ん、手拭を絞って持って来て上げなされ……サアそれで拭きなされ、アノ甚平さんや、娘をば好いところへ奉公させて下さったので帰って来て、御主人の事を云うて喜んでな、それに今度はまた婆アどんが病気になったので、勝手な事を云うて、暇を取って済みません、お蔭でなア、娘が戻って婆どんの介抱をすると、婆どんはズンズン善うなりました、ところが一ツ逃れてまた一ツ起ったというのは、明くる日から、娘が病気になりおって、モウ彼是一ヶ月になりますが、飯粒というものは、一粒も食べおらん、山越えの医者を呼んでおりますが、テンでお医者さんに病気の原因が分らんのじゃ、今朝もお医者さんが仰っしゃるのに、明日の晩まで位しか生命はなかろうと仰っしゃるので……」
「エエ、チョット待って下され、こりゃマルで掛合いじゃがな、実は大阪の若旦那というのが斯々こういう訳で、明日の晩までに、此方のお嬢さんを借って帰らんと、若旦那のお命がないのでおます、どうぞ旦那さん、御主人の生命を助けるのでおますさかいに、お嬢さんをお貸しを願いとうござります」
「オウそうかい、アノ不束な娘を、それ程に思うて下さるのかイヤ有難い、三日でも奉公をすれば、大切ない御主人じゃ、その御主人の生命に関る事なればお貸し申したい、けれどもな今云う通り、いつにも知れんという病人やでな、山越に大阪へは、却々行く事が出来ませんから……」
「けども、旦那さま、ヒョット御病人が、大阪やったら行くと仰っしゃったら……」
「ウムそうじゃ、病人が大阪へ行くという心持があるなら、そりゃ途中で死んでも、一向構わん、私しゃ本望じゃ、大阪へやります」
「エーやりますか、本当ほんまにやるなア、いよいよやるなア、そのやるというた事を忘れるな――」
「何んじゃい、気味の悪い。えらい駄目を押すじゃないか、併し私がやると云うたらやりますで、娘は離座敷に寝ておりますから、静かに彼処へ行て逢うてやって下され、そして娘の心持を聞いてやって下され」
「宜しゅうござります……サア三千円に取付いたぞ、この上行かんやなんて吐しやがったら、胸倉締上げて……」
「コレコレ、そんな乱暴な事をしてはいかんで」
「イエ、これは別の事でござりまする、御心配のう……エー御免遊ばせませ」
と離座敷へ参りますると、絹布の夜具へくるまって、スヤスヤお寝みになっている。
「エーお嬢さん」
「オウ、あんた甚平さんだすか」
「ヘイ、あんたさん、御病気でおますなア、何う遊ばしたんだす」
「アノ甚平さん、よう来て呉れてやった、早速聞きたいのは大阪の若旦那……」
「どっこい皆まで仰っしゃるな、その訳があればこそ、私が頭へ草鞋を載せてやって来たんだす、実はお嬢さん、斯うこうこういう訳で、明日の晩までに、あんたさんが行て看病せんと、若旦那は死んで仕舞いますせイ」
「エー、そうすると、何かい、甚平さん、若旦那が、明日の晩までに妾が行かんと、死んで仕舞いなさる、ウウウ」
「コレお嬢さん、あんた泣いてるどころの騒ぎじゃおまへんで、今から急いで行けば、明日の晩までには間に合うんでおますがな、あんたさん大阪へ看病に行きまへんか」
「甚平さん、妾大阪へ行きたいわ」
「イヤ御尤も……」
「行きたいけども、お父っさんがやって呉れてやろかな……」
「お嬢さん、それを御心配なら申しまするが、今もな――、お父っさんは、病人が行く気があるなら、やってやると仰っしゃった、あんたさん行くと仰っしゃって下され、今から行けば明日の晩までには間に合うて若旦那は助かるのでおます、何うだす、大阪へ行きたいと仰っしゃれ」
「すると何か、妾さえ行くというたら、大阪へ行けるのやなア」
「行けるどころやない、大行けでやす」
「まア嬉しいこと、甚平さん妾、大阪へ行きますわ」
「エー行きますか――」
「行くとも早う行きたい、何をグズグズしていなはる、早う行きまよ、甚平さん」
「ヘイ……あんたはん、御病気は……」
「モウ病気は全然すっかり癒って仕舞うたわ」
「それは結構……」
「アノお父っさん……」
「コレコレ、何うした事じゃ、病人のくせに、んなところへ走って来て……甚平どん、お前さん、娘を気狂いにしたじゃないかな……おもよ、何うした事じゃ」
「何うした事じゃて、明日の晩までに行かんと、若旦那は死んで仕舞いなさるよってに、妾大阪へ行きます、お父っさん」
「そうか、よしよし、お前が行くならやって上げるから……チョット待ちなされ、永らく煩ろうて寝ていたのやで、見苦しいなりをして行たら不可んよって、髪も結い、風呂へも這入って……」
「そんな事をしていたら、明日の晩遅うなったら若旦那は死んで仕舞いなさる、早う行きましょう――、さあ甚平さん、あんた何をしていなさるのや、あんた顔も長いが気も長い、早うして」
「コレハたまらん、そう急いでも、お嬢さん、あんたは病人あがり、私が負うてでも行きます」
「甚平さん、妾が負うて上げるわ」
「えらい勢いやなあ」
「イヤイヤ、チョット待ちなされ、山越えで行くのやよってに駕籠を雇いましょう」
 と駕籠を二艇に人足が大ぜい付いて、先の駕籠にはおもよさんが乗りまして、後の駕籠は甚平さんで、駕籠屋さんは皆向う鉢巻、えらい勢いで「ハッ、ホウ、ハッ、ホウ、ハッ、ホ」ヨヨ、ヨイノ、ヨイとチャント大阪へ来ました、何が早いというてこれ程早いものはない、見台をポンと叩いたら、それでよいのでやすよって。恰度明くる日の夕暮前には大阪船場のお宅へ着きましたか大阪のお父っさんは大喜び。
「オウ甚平さんかよう間に合せて下さった……オウおもよか、よう戻って下さったなア、ウムウムお前も病気じゃったか、そうかな……アノこれ甚平さん、挨拶なんぞはマアマア後の事じゃ、チットモ早う連れて上って倅に逢わして、やって下され」
「承知致しました」
 とおもよさんの手を取って、甚平がイク間とへだたった奥の間へ連れて行く、御親類は皆寄り合うて、種々の相談をしております。甚平は「御免やすや、ヘエ御免御免」若旦那が寝てござる病室の襖をソロリと開けて、はずかしがっているおもよさんを若旦那のそばへ座らして、若旦那おもよどんが来はりました、と大きな声で云うたら、逢いたい逢いたいと思うているから、目をまわしたらいかんというので、長い竹の節を抜いて、耳にあてがい、小さい声で「若旦那おもよどんが来はりました……」といいますと、若旦那は、逢いたい逢いたいと思い詰めているおもよという声で、眼を明きました。見るとおもよが側に座っているので「オウ、おもよか」「若旦那……」「逢いたかった」チョンチョンチョンと、芝居なら拍子木が鳴ると、これが廻り道具になるところでやすが、この辺の処は余り詳しゅう云わん方が宜しい、余り詳しゅうお話をしておりますと、松鶴の方が病気になって仕舞いますから、此処はチョット飛ばして置くようにいたします。
「コレコレ誰か来いよ、オーイ」
「ヘイヘイ、お呼び遊ばしましたか」
「アー久七か、御苦労……」
「オヤ、若旦那さま、あなた様、御病気は如何でござりまする」
「アー病気はモウ全然すっかり癒って仕舞うた、この通り達者になったのや、併しながら永い間、御飯を食べんよって、おもよも食べなんだそうな、ふたり共、余程おなかが減ってな、どうもならんよって、何ぞウント勢いの付くように、何か美味い物を食べさしてお呉れ……そうやなア、先ず鰻を二十人前、生卵をば五十個ばかり持って来て、すっぽんの吸い物に、肝臓円の練薬をドシドシ持って来てお呉れ」
「ヘイ、承知いたしました」
 というので、此処へさして、温かい御飯を焚いて、御馳走を揃えて持って参りました。若旦那さんは、待ち焦れたおもよさんに、お給仕をして貰うて、御飯を食べるのですから、お美味いの、お美味くないのて、若旦那はウンと食べた。
「若旦那さん、何ぼでも上るのは宜しいが、病気揚句に余り、食べ過ぎると身体の為に悪いわ、モウ三十八杯召上りました」
「そうか、お前はどうや」
と云われた時に、おもよさんは女の事ですから、して好きな男の前、極りが悪い、加減して少し小さいお茶碗で食べたので、それでも八十六杯……それからおふたりが美味い物を食べて仲善う、ブラブラと一ヶ月程を暮しまする中には元々通り以上達者におなり遊ばした。すると大阪の方のお父っさんは、この儘打棄って置く訳には不可ンで、おもよを嫁に貰うように、丹波の方へさして、話合いに行て来て呉れと、甚平を頼んで掛合いにやったのです。スルト丹波の方は独り娘じゃによって、嫁に上げる事は出来ん、さればというて養子に貰う事も出来まいから、たとえ三日でも奉公した大切ない御主人なれば、そりゃ御主人の仰っしゃる通り嫁に上げましょう――、ではあるが、私の方もこれだけの構えをして、親類一統の手前もあるから、恰度今おもよが大阪へ行ているのを幸に、若旦那を連れ立って、一遍この貝野村へ乗込んで、私の家で一晩だけ、婿人の式をして貰いたい、それで親類へは申訳が立つ、一晩泊って下されば、明る日は嫁入として、改めて大阪へ上げましょうと、斯ういう話に纏まったものですから、大阪の方では大きに喜んで愈々甚平さんが始めからの関係で仲人役、黄道吉日を撰んで駕籠を五挺挑える。最初が甚平それから若旦那、おもよさん女中、若い者と五つの駕籠をは持って丹波の只野村へ繰込んで参りました。貝野村の方では、御親類一統が、お婿人というのでお待兼ね、その晩は立派に婿人の式を行いまして、お開き、お両人は金屏風を囲うてお寝みになった。明る朝は若旦那の方が早くお目覚め。
「おもよ、縁側へ出なされ、好い心持じゃないか、ズット斯う山を見晴らして、とても大阪ではこんな景の好いところは見られません、何という好い景やろう、此処で顔を洗いましょ……オイオイ、誰か来いよオーイ」
「ハーイ、ハイお呼びでござりますか」
「オウこれは女中さんか、今日が覚めました」
「さようか、それはお早うござりまする」
「イヤお早よう……あの済まんが、“ちょうず”を廻わしてお呉れ」
「ハイ何んでござりまする」
「“ちょうず”を廻わしてお呉れ」
「ハイ畏まりました、アノ旦那さま」
「ウン、鍋か、何んじゃの」
「大阪の旦那さんが、ちょうずを廻わせと云います、どうしたものだすやろ」
「そんな事を私に応えに来る事はない、料理場へいい付けなされ」
「アー、料理場へ云いまするか、承知しました……喜助どん」
「何んじゃ、おなべどん」
「大阪のお客様の御注文じゃでの、ちょうずを廻すのじゃ、二人前拵えてお呉れ」
「エッ、ちょうずを廻せッて……おなべどん、間違うては居らんか……確かにちょうずを廻せかい、こりゃ困ったなア、俺ア長らく婚礼の庖丁は持つが、どうもちょうずを廻すというのはやり付けん、こりゃ旦那様に聞いて来るわ……エー旦那様」
「オウ喜助か、何んじゃ」
「唯今大阪のお客様の御注文でござりますが、ちょうずを廻せという奴を、俺ア今まで、田舎の板場でやった事がないんで、どんな物を拵えて出しますか」
「それやから困るのじゃ、田舎はなア……大阪の人には面目のうて、そんな事を尋ねる訳に行きませんし……斯うしよう、アノお寺の越南和尚は能う何んでも知っている、越南和尚に聞いたら解ろう、お前チョット行て、ちょうず廻すて、何の事じゃと云うて聞いて来て下され」
「畏まりました」
 早速お寺へ参りました喜助は
「ヘイ、今日は……」
「オウ誰方じゃいな……オウオウこれは喜助さんじゃないか、何んの御用事じゃ」
「ヘイ、チョット物を尋ねに来たんだすが、ちょうずを廻わせというのは、何んな事でしょうか」
「何んじゃ、ちょうずを廻わせやて……待ちなされ、愚僧もな随分書物を調べたが、ちょうずを廻わせという事はないがハテな、何んであろうな、どうも分らんが、エーと……アアそうや喜助さん、これは文字合せじゃないか、文字合せとすると、“ちょう”は長い、“ず”は頭と読むよって、ウンこりゃ、長い頭を廻わせというのじゃろうな」
「長い頭を廻すんですと、えらい事になりましたな、イヤ何うも有難う存じまする、左様なら……エエ、旦那、行て来ました」
「そりゃ大儀やったどうじゃ、解ったかな喜助」
「ヘイ解りました、ちょうは長い、ずは頭という事やそうで、何でも長い頭を廻わすと、こう云いました」
「チョット待て、喜助、長い頭を廻わせて云うが、長い頭ちゅうのがあるかいナ」
「ござりますがナ、村外れの市平、アリャ五尺の手拭で、頬被りが出来ません」
「エー、えらい頭の長い奴があるんじゃなア、ウムそうか、そうするとことによったら、その頭が大阪まで評判になっているところから、婿どんが面白がって見るんじゃろう、その“げほう”の市平さんを呼びにやって下され」
「承知いたしました」
というので、げほうの市平さんこそ好い面の皮です、早速とお庄屋さんのお呼びですから、怪しい羽織を引掛けましてへ
「ヘイ、お庄屋の旦那さま、お早うござりまする」
「ハイハイ……ウフフフ、こりゃ成程、随分長い頭やなア、これ市平さんとやら、お前さんの頭が評判になってるのんや、大阪の婿どのがござって、ちょうずを廻せちゅう、ちょうずは長い頭の事じゃ、それを廻わして朝の目覚しにするんじゃろ、縁側へ立って待ってござる、お前裏口の所から廻って婿どのの前で、その頭を廻わしてくれんか」
「何んでござりますか、わし、この頭をお婿さんの前で廻わしまするか」
「そうや早う行て、廻わして下され」
「畏まりました……こりゃ、えらい事をいい付かったぞ、妙な事をするんじゃなア、頭を廻わしたりして……ハイ、お早うござります」
「ハイお早うウフフッ……おもよチョット来て御覧、面白い長い頭の人がやって来た……お前はん、何じゃ」
「ヘイ、旦那どんに頼まれて参りました、私がちょうずを廻わします」
「アッ、お前が洗水を廻わして呉れるのか、そうか実は先程から待っているのじゃ、早う廻わしてお呉れ」
「では廻わしまするぞ(頭をクルクルと廻わし)サア、この通り廻わしまするで、よう御覧下さりませ」
「それ、何をしてるのんじゃ、そんな事ではないがな、洗水を廻わして呉れいというのやがな……」
「それやで、この通りそらッこの通り廻りまするぞ」(しきりに頭を廻わす)
「コレ早う廻わさんか」
「早うですか、それでは、この位に廻わしたら、何うです」
 と長い頭をクルクルクルクルと廻わしておりましたが、その中に到当目を廻わして仕舞いました。これを見ておりましたおもよさん、お可笑いやら、阿呆臭いやら。
「お父っさん、誰が長い頭を廻わせと云いました、ちょうずが分らんなら、分らんと妾まで聞きなされば好いのやないか、なんぼ田舎の者は物を知らんかというて、余り分らんすぎる、こんな田舎に居るのは妾嫌やわ、若旦那早う大阪へ帰りましょう」
 というのでドサクサ紛れに、駕籠を五挺揃えて大阪へ引上げて仕舞いました。後に残ったお父っさん、
「コラッ喜助、チョット来い」
「ヘイ」
「これから、大阪に親類が出来れば、度々往来もせねばならんし、取引もせんならん、その時にちょうずを廻わせと云われたら、これを知らんでおっては貝野村の耻辱ちじょくになりますが、なあ、こりゃ何うしたもんじゃろう、喜助」
「そうだすな、旦那さま、こりゃこういう具合にしたら何うだす、これから両人で大阪へ行きまして、何処かの宿屋へ泊って、朝早う起きて、縁側で女中を呼んでなちょうずを廻わせといい付けるのだす、そうしたら何か、そのちょうずを持って来るやろかと思います、それを見て覚えて来たら、如何だす」
「ウム、こりゃ好い考えじゃ、それでは早速大阪へ行きましょう」
 というので駕籠を二挺誂えて、喜助を連れて大阪へお越しになって、道頓堀の立派な宿屋へお泊りになった。その晩は宵から休み、明くる朝は早うお目覚めになる。
「オイ喜助、それじゃ私一ツ縁側へ出て、ちょうずを廻わせ云うて来るから、汝は付いて来て、どういうものを持って来るか、能く見て覚えて置けよ」
「ハイ承知しました」
 これから縁側へ出ました
「コレコレ女中さん」
「ハイ、お呼び遊ばせ」
「今日がさめました」
「アッ左様で、お早うござりまする」
「イヤ、お早う……済みませんがちょうずを廻わしとくれんか」
「アノ此処へでござりまするか」
「そうや」
「畏まりました」
「オイ喜助、流石大阪やな、女中が畏まって行きよった、何を持って
来るやろか」
 と楽しんで待っておりますと、真鍮しんちゅうの金盥へ熱いお湯を一杯入れて、片方のお盆の上には、お皿に塩と歯磨粉、それに房楊子が一本付いている。
「あの、これへ置いて行きまする」
「ハイ御苦労さん……オイ喜助、女中が行たから出て来い、これやぞ、喜助ッ、長い頭とはえらい違いやないか、けどもこれを何うするのじゃろうか」
「へエ――、旦那さま、流石は何んですなア、大阪だけあります、贅沢なものだす、毎朝こいつを飲んで置くと身体に宜いとか、何んとかいうのだすナ、フカフカと煙が上っている、それへこちらの塩を入れて味を付けるんだすなア」
「そうか、成程、汝は矢っ張り板場を勤めているだけあって、能う解るな、私し一人じゃ、そうは解らん、これは皆入れても宜かろう、此方の皿に入れてある赤い粉、これはどうするのやろ、何んじゃ知らんが、好い香いがする」
「そりゃ、兎も角、薬味だすから、皆入れても宜しゅうござりましょう」
「そうか、そうしてこの棒は何んや」
「それで今入れたやつを、かき廻わすんでござりましょう」
「成程、そうか、イヤこりゃ却々好さそうになった……ウン喜助、好い色になったの……じゃ私し先へこれをやって、幾らか残して置いてやるから、後は汝が食べると好い」
「どうも御馳走さんで、後で御相伴いたしまする、先ず沢山召上りませ」
「それじゃ何ういうものか……イヤこれも長生をした徳やで……」
 金盥の両辺を持ってガブガブと飲み始めたが
「なア、喜助、塩加減は極く好いな、けども、美味いのか、不味いのか、田舎者の口にはチョット解らんぞ、半分よりチョット余計残ったが、汝に皆やるから、皆飲んで仕舞え」
「どうも御馳走さんで……それでは頂戴いたしまする、旦那さまのお供をして、大阪へ行て、ちょうずを飲んで来たというて、村の若い奴等に自慢をしてやりまする」
 と喜助が残りの半分をガブガブ飲んでスッカリ空けて仕舞うた、腹の中はお湯で一杯詰って、モウ二人共うつむく事が出来ません、上向いた限りで、ハッハッ云うていると、それへやって来ました女中が
「お客さまお早うございまする」
「ヘッ、ハッアアッ、あの、じょツ、女中さんナ、なんじゃな」
「其方のお客様、手水を持って参りました」
「女中さん、ちょッ……ちょうずは、モッ、モウ一人前で沢山じゃ」
「左様左様後の一人前はお昼から頂戴いたしましょう」



(松鶴附記)この噺は大正七年頃京都の芦辺館に出演中、恰度同じ席に出演中であった、現今の桂三木助師に教わったものであります。この機会に更めて御礼を申します。

話中に出る方言の注解
ブンブン(黄金虫)
おひつ(飯櫃)
こうこ(香々、漬物)
ハスカイ(斜め)
掛合い(同じ様な事を云い合う事)
廻り道具(廻り舞台)
甚平を頼んで掛合いにやった(交渉という事、同じ言葉であるが、意味は全然違う)
文字合せ(宛て字)

この噺の主なる口演者
 故三代目 桂  文枝 (橋本亀吉)
  故   笑福亭松光 (梶本市松)
  故   桂  枝太郎(岩本宗太郎〕
  故   桂  歌之助(春井和三郎)
 現存   桂  米団治(早田福松)
 現存   桂  三木助(松尾利男)





底本:上方はなし 第十七巻
   楽語荘・1937年発行

(復刻版:上方はなし・上 三一書房)

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