住吉駕籠(すみよしかご)

五代目笑福亭松鶴




 このお話も昔時むかし申したことで、今日ではお断り申して置かぬと、大きにお分りにならぬということが沢山ございます。今様に変えられる話と変えられぬ話とがござります。昔時のをそのまま演らねばならぬ話になると、当今は余程世態がかわっておりまするが故に、ツイ話の能書のようなことを申し上げねばなりません。
 当今は便利の世の中で、電車が出来、また自動車或はバスがあり、住吉へ御参詣になりまするにも好いたものに召して、歩かずに行けるように交通機関が発達しておりますが、昔時は先ず歩かずに行こうと思いますると、駕籠に乗るより他に仕様がござりませなんだ。当今駕籠に乗ってどうこうというのは足の弱いお方が高野山へでも御参詣の時に山駕籠でお登山なさる、それとても現今はケイブルという便利なものが出来てます。大阪で駕籠といえば、十日戎の宝恵駕ほえかごしか見られません。以前落語家の連中が皆車で寄席を廻りました。その時代に三代目文三はん(後に盲目になった人)が赤い車に乗っておられました。俗に赤車の文三と云いました。松鶴も一つ変った事をして掛持をしてみよと、駕籠に乗って席廻りをしようと戎橋筋から道頓堀へ行きました、もっとも両方の垂を下してござります。道路で見る人はろくなことを言いません。
「八さん」
「エエ」
「駕籠に乗っていますなア」
「ほんに、何ですやろ赤痢患者だすやろか虎烈刺これらだすやろか」
「阿呆なことを言いなはんな、病院へ行くのとは駕籠がちがいます、あれは普通の駕籠だす」
「今の時節に駕籠に乗るというのはどうしたのだすやろ」
「サア病人が入院でもするのだす」
 私は駕籠の中で聞いて腹が立って、病人でないと思わす為に、エヘンと大きな咳払いをしました。そうすると
「ハハア、あの咳払いの具合では、あれは病人やない」
「そんなら臀行いざりだすか」
 いよいよむかついて臀行いざりでない証拠に垂の間からニュッと足を出しますと、
「アア気違いや」
 と言われました。どうも時世に後れたことを言うものは可かぬものでござります。このお話は時世に後れている、というて、それを現代に替えられませぬ。そのまま棄て置くというと折角こうやって出来てあるものを無くしてしまいまするようなことになります。それではこしらえた人に対して誠に気の毒なと思います。此度上方はなしの雑誌へ書かして頂きます。御老体のお方は御案内の通り今宮から大和橋まで駕籠賃が五百十文、今宮には江戸吉、八百卯と申す駕籠屋がござりました。この五百十文は駕籠屋の親方が貸賃に取って了います。そうすると、稼ぐ人間両人は無賃ただで行かねばならぬというような具合になりますが、その代り、道へ出て走らせて呉れいと言いますと、走り増賃というてその頃でマアしみったれた所で一朱、通常二朱、それからマア別走りになりますと一分、それが稼ぐ者の身附になりまするので、その間に雲助というものがあります。これは住吉街道ばかりでなく、京都へ行く伏見街道なり其他東海道、木曽街道、何処にもありまして、夏冬共にふんどし一丁で暮しておりました。東海道辺りの雲助になると、草鞋を質に置くものさえありました。そうすると質受けをせぬうちは草鞋を穿くことが出来ません、跣足はだしで歩いていたもので。そういう荒くれない稼業の中にも妙なもので規則がありましてそれを堅く守りましたということを師匠から私も聞きました。住吉街道の雲助というのは。これは東海道辺りと違うて褌一本ではお客が嫌がって乗って呉れません。たとい汚ない単物の一枚でも着ておりました。往来傍に空駕籠を下して客待を致しておりました。
「ヤイれマアちっとお客を呼はんかい、居睡いねむりばっかりして、乃公おれ一人に饒舌しゃべらしている、何を俯向うつむいて愚図愚図しているのじゃい」
「イヤ往きゃアがってもかまわん」
「そんなもん往かすない」
「乃公ア往かす積りじゃないが、勝手に向うから往きやがって仕様がない」
「困るなあ何うも……ヘエ旦那お駕籠は何うでござりますな、お安う参りますが、旦那様お乗りなすって下さい、お前も何とか言え」
「ヘエ駕籠ヘエかご……、ヘエかご」
「ヤイだれにヘエ駕籠と言うてるのや」
「今足音がした」
「馬鹿、犬が通ったのや、しようのない奴やなア、草鞋でもはいて杖でもついている人を呼べ」
「ヘエ、かご」
「誰に言うてるのや」
「今此処杖へついて行た人」
「あれは四国詣りの乞食やがな、荷物でも持っている人や」
「ヘエかご」
「それは糞取やがな、情ない奴やなア……オイチョイと雪隠せっちんへ行って来るよって、能う気を付てよ、居眠りばかりしていんと、宜えかえ」
「宜しゃ、承知だ……ヘエ旦那、お駕籠は何うですな、ナアモシ、平作じゃござりませんけれども、朝から銭の顔などは、一文も見ませんよって安う遣附やっつけます」
「マア宜い」
「そう仰っしゃらんとどうか一つなあ旦那」
「コレ、枚を引張ったりするない」
「ヘエ旦那、枚を引張まして済みまへんけれども、なかなか当時のお客はひどうござりますので、口で頼んでも乗って呉れませんのでマア袖や袂に取縋り、お頼み申しますので可憫かわいいものだす、何うかお乗りなすって、人間二人助かることだす、どうかお頼み申します」
「ムム宜し、人間二人助かる事なら乗ってやる、其処け」
「ヤア大きに有難う」
「サア乗ったこれで宜いか」
「ヘエ結構でござります、エエ旦那、何方へ行きますので」
「何処までなと汝の好いた所まで遣れ、乗って呉れと頼んだよって乃公ア乗ったのや、乗ったら頼まれた顔は立っているじゃアないか」
左様そんな、ジャラジャラと、行先分らんで闇雲に駕籠はかつげません、何ならお宅まで遣らせて貰いましたら結構だす」
「サア乃公も家まで遣って貰うたら助かる家まで遣れ」
「ヘエ、お宅は何処だす」
「筋向いの葦簀よしず囲いの茶店まで遣れ」
「ヘエ向うで一服なさるので」
「向うで一服するぐらいならこんな駕籠に乗るかい、あれは乃公の家じゃ」
「ヘエ…‥モシ旦那いな、なぶって遣ってお呉んなさんな」
「何が嬲っているのじゃ」
「でも貴方、此処から向うまでなら、何も駕籠に乗らいでも、歩いてお帰りなすったら宜いじゃありまへんか」
「乃公は歩いて帰る積りだが、人間二人助けると思うて乗って呉れと言うたから乗って遣った、サア乗った以上は、縦い三歩が四歩で家へ這入れる処にもせよ、駕籠に乗って行くのじゃ、サア遣れ、遣らんか、コリャ一遍前へ廻って乃公の顔をとっくり見ろい、ムムわれの面に二ツ光っているのはそれは何んや」
「ヘエこれは眼でござります」
「ナニ眼……見える眼か、見えぬ眼か、但しは面の飾りか、コレ、日に一遍でも二遍でも、煙草の火を貸して呉れ、時によりゃお茶の一杯も呑まして呉れと言うて這人らぬ日はないのに、それに乃公の顔を見忘れたのか、間抜け奴が、汝等のような駕籠屋が何時の間に湧いてうせた、また乃公処へ休むお客はナア、茶碗酒飲んでにしんかじって、天保銭り出して端下銭の釣銭でも持ってこうという人ばかりじゃ、左様そん人な捉まへて、無闇にヘエ駕籠、ヘエ駕籠と勧めやアがるよってそれでいやがって乃公処へ休む客も休まんようになるわい糞ッ垂れ奴、気を付けんとれの足と頭を持って糞結びに結ぶぞ」
「オイ相棒、早う来て呉れ、こりゃアえらい人を駕籠に乗せた……」
「コリャ、其方へけ……モシどうぞ親分御了簡なすって下さい、此奴はようよう四五日前にこの街道へ遣って来たので、貴方様のお顔を存じまへんので、甚い相済まぬことで、お腹も立ちましょうがどうぞ御了簡なすって下さい」
「汝は其処にけつかるのか」
「ヘエ、チョイと雪隠へ這入っておりましたので、誠にどうも済まねことでござります」
「此頃出てうせた奴で顔を知らんとあれば堪忍しておいて遣るが、今度此様こんなことをしたら承知せんぞ」
「大きにどうも相済まぬことでござります……コレ汝も黙っていんとあやまれ、汝れがしたことじゃないか、馬鹿じゃなア汝りやア、茶店の親方に駕籠を勧めるということがあるものか」
「そうじゃけれどもあの人もそうじゃないか、乃公ア茶店の者じゃと言うて呉れたら、乃公ア勧めやアせなんだのや」
「けれども顔を知らいでも、大概風体を見ても判る、向掛付きの高下駄穿いて二巾前垂している、片手に塵取持っている、向うの松の根元へ塵をかしに行たんじゃがな、高下駄穿いて塵取持った人が駕籠に乗るかいな、大概風体を見ても分っているやろう」
「ナニ其様そないに言うて呉れるない、お前にはぼやかれ、あの人にゃア襤褸糞ぼろくそに言われ、云草いいぐさで乃公アモウ満腹した、足と頭を持って糞結びにして遣るなんて、まるで昆布か、干瓢かんぴょうみたいに言われてるね」
しっかりせい阿呆奴が……ヘエ旦那駕籠は要りまへんか、お安う参ります、どうでござりますな、エエ旦那要りまへんか」
 折柄此処へ出て参りましたのは、マア其頃おいの三文字屋、伊丹屋というような大きな処へ這入ったのではござりませぬが、分銅屋、恵比須屋というような処で一杯召上ったと見えて口の辺は遠乗りの馬ア見たように泡だらけにして、
「ヨイショコラ、ヨイヨイヨイト……高い山から低い山を見れエば、低い山の方が低うござる、ヨイショコラ、ヨイヨイヨイト……」
「妙な俗謡うた唄うて来たぞ、相手になるなよ」
「モシ旦那お駕籠要りまへんか、モシ御酒機嫌の旦那、お駕籠はどうでやす」
「ヤイ相手になるなってのに」
「イヤ此様こんな人が乗るわいな」
「イヨーこれは駕籠屋の親玉ア」
「ヤア出て来た出て来た旦那、えらい御機嫌でござりますなア」
「御機嫌で飲んだ酒か、糞自暴やけで飲んだ酒か知ってるかい」
「イエそれは分りまへん」
「分らんのに要らざることを言うたら承知せんぞ」
「ソレみい叱られてくさる」
「旦那、お駕籠はどうでやす」
「イヤお駕籠がどうって、馬がドーじゃ、駕籠がハイじゃ」
「イエそうじゃごわせん、お駕籠は要りまへんかと、お尋ね申していますので」
「イヤ此様な物貰った所が持って行くのが大儀じゃ」
「ウダウダ言うてお呉んなさるない、余程御酒が這入ってございますなア」
「酒エ飲んでも飲まいでも勤める所は吃度きっと勤めると云うのだ」
「ハハハハ、師直もろなおだすな」
「もろの言い様で角が立つと云う奴だ」
「口合言うていなはる」
「時に駕籠屋一寸分銅屋で一杯飲って来たんじゃ、どうもこう面白うて堪らぬ」
「ヘエ……」
「オイ駕籠屋お前等も面白いやろう」
「イエ、私等は別に面白いことはござりません」
たとい面白うないとした所が、乃公が面白いと言うたら其処はお前、物に愛想というものじゃないか、面白うございますと一つ言うていな、サア面白うございますと言うて」
「ヘエ左様なら面白うございます」
「左様なら面白うございます、すると頼まれてよんどころなく面白いのじゃな、心底から面白いと言うて」
「甚い難儀じゃなア」
「そやよって最初から相手になるなと言っているのに」
「イヤ面白うて堪りません、心底から面白うございます」
「ナニ心底から面白い、何がそう心底から面白い、ムム、ヤア定めて乃公が酔うているさかい、それで心底から面白いと言うんだろう、随分どうで面白かろう」
「イエ、貴方面白いと言えと仰しゃったよって」
「アアそうか……イヤこりゃア悪かった、分銅屋はどうも安うするな」
「私等ア、高いやら、安いやら自腹切って飲みに這入ったことはありませんから分りません」
「ヤッ、分らぬのはもっともだ、安うするか、彼方の仲居にお袖というのがあるが知ってやろう」
「知りません私しゃア」
「馬鹿言え、この街道に働いていて分銅屋のお袖を知らんことがあるか」
「あるかというて私しゃア知りません」
「アー途方もない奴やなア、色の白い鼻の処にパラパラッと痘斑そばかすがある、あの痘斑が愛嬌になるぞ、なア分っているやろう」
「イエ分りません」
「分らぬ、どうして分らんのやろう、ソレ河内の佐山の産で」
「知りませんがな私しゃ」
「父は治右衛門というてこれも善い人やったがな、これだけ言うたら想い出すやろう」
「皆目知りません」
「甚い難儀じゃなア」
「イエ貴方より私の方が難儀でやす」
「アノお袖なア、分銅屋にいることを知らんがな、不図ふと乃公の顔を見るなり、オヤ旦那様御機嫌宜しゅう、どうぞ此方へ、お前誰れやったいなアと云うたら、わたしゃア佐山の治右衛門の娘の袖でござります、アア、こりゃアお袖坊か、ヤア豪い奴じゃ……」
「オイ甚い難儀なことになって来たぞ、急にらちアあかんぜ」
「十二三の時分に見たままじゃ、今年二十一になっているという娘ッ子が、ガラリと子供から大人に変ったのや見違えるなア、お前、小父さんというたのが当時仲居をしているので旦那様と言いよる、可愛いものじゃないかいな、あのお袖知ってるじゃろうがな」
「イエ知りませんて言うていますがな」
「エッ一遍尋ねたいかいな、纏頭しゅうぎ遣りまして総計一両一分、値打もある、なかなか安い安い、ハハア嘘じゃと思っているな」
「イエ左様なこと思っておりません」
「阿呆言え、いませんてお前、口で言うているが、心では思っているやろう、一両一分の証拠物見せて遣る……サッこの通りチャンと竹の皮に包んである、コレ料理屋へ物を食いに行って、食い残して戻るのじゃないぜ、残ったら残らず包ませて持って帰るが宜い、残して置くと、ハハア、気にらなかったかいなと気を遣いおる、アアー甚い旨い家へ土産に持って行て遣る、包んでというと先方も心持ちよう嬉しい、此方も見栄を張って残して置くにゃ及ばぬ、なア、ソレこれが玉子の巻焼、車蝦くるまえびの鬼焼、烏賊いかの鹿の子焼やきやきやきっていう奴じゃなア、家へ土産と思って包ませたが、そこの何方どれなと一つ宛遣るからコレ食え」
「イエもう結構でございます」
「結構でございますって何が結構じゃい」
「阿呆、遣ると仰っしゃる一つ貰え」
「だって彼様あん泥酔漢よいたんぼ薄汚ない」
「ナニッ……」
「イエ何も申しておりません」
「イヤ言うた、乃公エ酒に酔うていても聾者つんぼと違う能う聞こえる、薄汚ないと言うたな汝りゃア、薄汚ない者が大枚一両一分も使うかい、そういう汝りゃア冥加なことを知らん人間じゃよって、何時までも往来傍でヘエ駕籠と、まるで屁で死んだ亡者のように吐かしているのじゃ、コレ、あんじょ包め」
「ソレ見い、色々なことをせられるわい」
「コリァぼやかんとせえ」
「ヘエ……へエ……包みました」
「コリャ何という包み様じゃ、巻焼が溢れかかっている、他人の物じゃさかいッて左様な不親切なことがあるか、そういう人間じゃとどうせ頭が上らぬ、巻焼をあんじょうしぼって置けと言うたのに、矢張り汁があるわい、ハハハハ妙なもので銭使うても何じゃなア、割合に安いと思うと心持が宜いなア、纏頭しゅうぎを遣ったりしたのは、そりゃア此方が承知で遣ったのじゃ、何うも安うしおる、繁昌はやる筈じゃなア分銅屋は、一両一分、真個ほんまじゃぜ、而もそれで十分食べた跡が此様こんなじゃ」
「アッまた拡げ出した」
「サッもう一遍包め」
「何遍包ませなさる、あんじょ懐中ふところへ入れてお呉んなされ」
「懐中へ入れて玉子焼の汁が垂れたら困る、着物汚れるわい……アア心持ちが好い、コレ駕籠屋宜いことを聞かして遣ろうか」
「何でやす」
「去年二月二十五日じゃ」
「ヘエ」
「讃岐屋と私しとなア二人連れで河内の道明寺へ詣ったその途中の話じゃア……」
「マア宜ろしい」
「今日中に片付きやせんで、聞いていんともう行かんかいな」
「マア宜しいというような水臭いことを言わんと、私しの方から駕籠屋というて、汝を乃公が呼びかけたのじゃない、乃公が機嫌能うに歩いているのに、モシ御機嫌の旦那とお前の方から呼んだじゃアないか」
「ソレ見い、理屈は先方にある」
「ナニ、そうやろうがな」
「ヘエ」
「そやよって聞かんかいな、振があるよって前へ廻って宜いか、乃公は舞は下手やが、讃岐屋はちょっと舞うなア、稽古をしているさかいに舞はチョイと舞うのじゃ、コラあんじょう見んかい」
「ヘエ見ております」
「ムム、汝は宜い、其方のが俯向うつむいている」
「コレ左様こんなことをしないな」
「扇子をサッとな……蝶が菜種かイヤパッて奴じゃ扇子を払う所が好きじや、蝶が菜種かヨウ……ナア駕籠屋、菜種は蝶の味知らず、菜種の味知らず、こう唄うのんかいな」
「知りまへん」
「何じゃ此様なことを言う……味知らず、アッ、チントンシャン、ア―酔うた酔うた何だい箆棒奴べらぼうめ、ヨウ……」
「モシ駕籠の中へ頭ア突込みなすった」
箆棒奴べらぼうめ、呼んで来い誰れなと、何だい、何うなとせい、ヘエッ……馬鹿ア……」
「オヤオヤ、グウグウいびきをかいて到頭とうとう寝て了うた、困るなア起せ起せ」
「モシ旦那」
「ナナ何じゃ、何うするんじゃ」
「イエ何うするもこうするもござりません、駕籠の中へ頭ア突込んで寝て貰うたら困ります、何うぞ彼方へてお呉れなはれ」
「去かいで、何時まで此様な処にいるものか、人がウツウツとしかけた所をヤッと突然に脊中せなかを突きやがって吃驚びっくりしたわい……こうっと、土産物はこれで宜し、手拭はこれで宜し、何か其辺に忘れ物はないか知らん」
「在りまへん」
「そうか、また縁があったら、あおうわい、さよなら」
「ほんまに馬鹿にしよる」
「そやよって彼様あんな者に相手になるなと、最初に言うているのに、向う先を見ずに馬鹿奴が・…‥オヤッ南から来てまた南へ行きよるぞ、オヤオヤ、方角を取違えてるのじゃな、酔うてるさかい酒癖が悪いのじゃなア、敵の孫末じゃアな、しあんじょうに言うて遣れエ」
「モシモシ南から来てまた南へ行っていなさるがな、方角を取り違えていなさるのやろう」
「ナニ南から来て南へ行けんかえ」
「大分に憎たらしい酒じゃなア、大阪へ行くなら此方へ行かんと行かれやしまへん」
「誰れが大阪へ行く、乃公は堺の神明の町じゃ」
「それでは南から此様な処へ何しに来なはったのじゃ」
「アノ、チョッと酔醒よいざましに其処まで」
「オヤオヤなぶりに来やアがったのじゃ、酷い目に遭うたなア」
「コリャコリャ駕籠屋」
「ヘエ」
「アーお駕籠が二ちょうだ」
「大きに有難うさまで」
「先なるはお嬢様、後なるは乳母様」
「ヘエ大きに有難うござります……オイ、駕籠が二梃やで、一梃は吉と留とに言うて遣れ、早う行け尻からげて……エエ旦那、直ぐに調ととのえますでございます」
「それから雨掛が一荷」
「有難うさまで、オーイ荷持が一人じゃ、早う行け行け……エエ直ぐに調ととのえます」
「左様な御仁が此処をお通りに相成ったか」
「オイオイ違う違うオイ待て待て、尋ねに来やアはったんや……エエ一向存じまへんで」
「ハハア是非この処をお通りに相成る筈じゃ、身共は安立町で用を達しておったので後れたと存じ只今駈け付けて参ったのであるが、それではまだ住吉へ御参詣なされ後れてござるのじゃ、いずれこの処をお通りであるからこの茶店に一服いたしておる、お通りになったら知せエ」
「其様なことを知ってるかい……オイ相棒尋ねに来たのじゃとくと聞てから行け……慌てもん奴が」
「能う其様なことが言える、お前が早う行け早う行けと言うさかいに此様こんなことになったんや」
「駕籠屋さん」
「ヘエ……」
「此処や此処やこの手の鳴ってる方じゃ」
「ヘエ旦那何時の間にお這入りなすって」
「お前等ア其方向いてあれこれ言うてるうちに這入ったんじゃ」
「そりゃアどうも済みまへんことで旦那、駕籠を遣りますのですかえ」
「サア遣って貰おうと思うて乗っているのじゃが、気にいらぬのなら出ようかえ」
「イエ、お乗りなすって下され、まだ朝からあぶれ通しで、泥酔漢よいたんぼにゃアくだまかれ、ホッとしておりますので、何方まで遣りますので」
「一寸マア住吉鳥居前まで遣って貰おう」
「承知いたしましてござります……オイ下駄は宜いか」
「宜しや」
「時に駕籠屋さん」
「ヘエ」
「駕籠に乗るのに茶屋へ寄って一服むのも異なことじゃによって駕籠に乗ったんじゃ、お前火打道具持っているか」
「ヘエ持っております」
「一寸貸してお呉れ」
「ヘエ承知いたしました……ヘエ御免なすって」
「何するのじゃ」
「ヘエ」
「お前さん顱巻はちまきを脱ったのか」
「ヘエ」
「何で其様なことをする」
「イエ余り貴方の前で失礼でござりますので」
「失礼、失礼ッて行儀正しく言うのなら何で羽織袴で駕籠をかつがぬのじゃ、街道の駕籠屋なんかというものは襦袢じゅばん一枚でかついだりするものじゃ、其様な駕籠屋なら駕籠屋らしゅうするが宜いじゃないか、らしいと言うことを知らんか、サア金持は金持らしゅうして金持がらず、芸人は芸人らしゅうして芸人がらずということがあるわい、駕籠屋も駕籠屋らしゅうして駕籠屋がらず、駕籠屋が駕籠屋がった所で何にもなりやせんけれども、顱巻はちまきしたままでヘエと寄越したらそれで宜いのじゃ」
「阿呆、気を付けい顱巻はちまき脱って叱られているがな」
「コレ脱った顱巻はちまきなら態々わざわざせいでも宜い」
「ヘエ左様だすか」
「マアしたら仕て置け」
「そう仰っしゃるとウロウロします」
「サッ、フッと吹け」
「フッ」
「宜しや駕籠屋、汝ア悪い煙草んでいるな」
「ヘエ、私等良い煙草は喫めまへんので……おお其処そこら辺へ′吹殻が飛び出しまへんか、お召物焼いてはどうもなりまへんが」
「佳い佳い心配せいでも佳い」
「お前が力を入れてフッと吹いた途端に、私しが吸取ったんじゃ、今日は煙草を切らしてなア」
「ヘエ向うの方に売っていますが買うて参りまひょうか」
「イヤイヤ煙草は盛粉などは買やアせん、ありゃア甚い損じゃぜ」
「ヘエ玉でお買いになりますか」
「ムム玉で買うても格別得じゃないなア」
「それじゃア箱へ這入ったままでお買いなさるか」
「イヤ、そう余計に買うても粉が出たり何かして却って損じゃ」
「それじゃアどうするが一番宜しゅうござります」
「マアこうやって他人のを吸い取るのが一番勘定じゃア」
「左様な冗談あほなことを言うてお呉んなはんな……エエ遣りますでござります」
「アア遣って下され」
「アイアイアイ……旦那、一つ走らして貰いますでござります」
「サアサア走って貰おう」
「アイアイアイ……」
「ナア、こりゃア出駕籠にしてはエライ上手にかつぐわい、なかなか旨いものじゃ」
「エエ私等ア住吉街道で育ったものじゃござりません、東海道木曽街道を股に掛けて来ましたので、その時分には貴方年も若うございましたから、どうも彼奴等両人にゃア追い付かねえ宙飛ぶように遣るから、これがほんとうの雀駕籠だろうと、仲間の者に言われたんです」
「何じゃ、急に江戸ッ子になりよった、マア宙飛ぶように遣るさかいに雀駕籠は面白いなア、けれども駕籠は些とも鳴かんなア」
「ヘエ」
「イヤ、雀というものはチュウチュウとくものじゃが、啼かんなア」
「イエ雀駕籠というのですが、別に雀の啼き声する訳じゃアございません」
「そうか、そう言わんと一つ雀の啼き声で走ってお呉れ、チュウチュウと」
「どうも極りが悪うございます」
「極りが悪いことがあるものかい、遣ってお呉れ早う」
「オイ、旦那の御所望だ、雀の啼き声で遣れと仰っしゃる」
「其様なことを遣れるものかい」
「マア遣ってみい、またそれだけのお心持はあるわい」
「早う雀を遣らんか」
「ヘエ……催促していなさる、チュ、チュ……」
「チュ、チュ、チュ、どうも具合が悪いなア……チュ、チュ、チュチュチュッチュッ……」
「チュ、チュ、チュ、チュッチュ……」
「こりゃア面白い」
「貴方は面白いか知らんが、私等ア阿呆らしゅうございます……チュチュ、チュチュッチュッチュッチュチュチュ」
「チュ、チュ、チュチュッチュッ」
「ハハハハそれを一つからすで遣って貰おう烏で」
「オヤオヤ注文が変って来た……カ、カ、カカカッカッカ、カカカカッカッカ……」
「アア面白い、鳶で遣れ鳶で」
「ヒューヒョロヒョロヒョロヒョロヒューヒョロヒョロヒョロヒョロ……」!
「コレ蹌踉ひょろつくな、これは何も可かんそれなら矢ッ張り雀にしておけ」
「ヘエ、そりゃア、雀の方が遣り能うござります……チュ、チュ、チュ、チュ、チュッ、チュッ、チュチュ、チュ、チュッ、チュッチュ、チュッ……チュ」
「オイオイ雀を止めてうぐいすで一つ遣ってお呉れ……コレ立止ってどうや鶯を遣らんかいな」
「旦那様鶯は遣れませんもう少し籠馴れませんよって」


住吉籠について
 この噺の「落」は雀駕籠というのを採りました。別に蜘蛛駕籠という「落」がありますが、これは後日に出来たものでもあり、かつ専門語でいう芋つぎという形式であまり面白くありませんので排しました。

この噺の口演者
 故二代目林家竹枝(俗に碁盤屋の竹枝という)
 故桂梅丸(ヅボラ詭の梅丸という)
 故笑福亭福松
 故桂文左衛門
 故笑福亭梅香(呑んだの梅香という)
 故七代目桂文治
 故三代目桂文団治
 現林家染丸
 現桂三木助





底本:上方はなし 第十二集
   楽語荘・1937年発行

(復刻版:上方はなし・上 三一書房)

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