住吉駕籠(すみよしかご)
五代目笑福亭松鶴
このお話も
当今は便利の世の中で、電車が出来、また自動車或はバスがあり、住吉へ御参詣になりまするにも好いたものに召して、歩かずに行けるように交通機関が発達しておりますが、昔時は先ず歩かずに行こうと思いますると、駕籠に乗るより他に仕様がござりませなんだ。当今駕籠に乗ってどうこうというのは足の弱いお方が高野山へでも御参詣の時に山駕籠でお登山なさる、それとても現今はケイブルという便利なものが出来てます。大阪で駕籠といえば、十日戎の
「八さん」
「エエ」
「駕籠に乗っていますなア」
「ほんに、何ですやろ赤痢患者だすやろか
「阿呆なことを言いなはんな、
「今の時節に駕籠に乗るというのはどうしたのだすやろ」
「サア病人が入院でもするのだす」
私は駕籠の中で聞いて腹が立って、病人でないと思わす為に、エヘンと大きな咳払いをしました。そうすると
「ハハア、あの咳払いの具合では、あれは病人やない」
「そんなら
いよいよむかついて
「アア気違いや」
と言われました。どうも時世に後れたことを言うものは可かぬものでござります。このお話は時世に後れている、というて、それを現代に替えられませぬ。そのまま棄て置くというと折角こうやって出来てあるものを無くしてしまいまするようなことになります。それでは
「ヤイ
「イヤ往きゃアがってもかまわん」
「そんなもん往かすない」
「乃公ア往かす積りじゃないが、勝手に向うから往きやがって仕様がない」
「困るなあ何うも……ヘエ旦那お駕籠は何うでござりますな、お安う参りますが、旦那様お乗りなすって下さい、お前も何とか言え」
「ヘエ駕籠ヘエかご……、ヘエかご」
「ヤイだれにヘエ駕籠と言うてるのや」
「今足音がした」
「馬鹿、犬が通ったのや、しようのない奴やなア、草鞋でもはいて杖でもついている人を呼べ」
「ヘエ、かご」
「誰に言うてるのや」
「今此処杖へついて行た人」
「あれは四国詣りの乞食やがな、荷物でも持っている人や」
「ヘエかご」
「それは糞取やがな、情ない奴やなア……オイチョイと
「宜しゃ、承知だ……ヘエ旦那、お駕籠は何うですな、ナアモシ、平作じゃござりませんけれども、朝から銭の顔などは、一文も見ませんよって安う
「マア宜い」
「そう仰っしゃらんとどうか一つなあ旦那」
「コレ、枚を引張ったりするない」
「ヘエ旦那、枚を引張まして済みまへんけれども、なかなか当時のお客は
「ムム宜し、人間二人助かる事なら乗ってやる、其処
「ヤア大きに有難う」
「サア乗ったこれで宜いか」
「ヘエ結構でござります、エエ旦那、何方へ行きますので」
「何処までなと汝の好いた所まで遣れ、乗って呉れと頼んだよって乃公ア乗ったのや、乗ったら頼まれた顔は立っているじゃアないか」
「
「サア乃公も家まで遣って貰うたら助かる家まで遣れ」
「ヘエ、お宅は何処だす」
「筋向いの
「ヘエ向うで一服なさるので」
「向うで一服するぐらいならこんな駕籠に乗るかい、あれは乃公の家じゃ」
「ヘエ…‥モシ旦那いな、
「何が嬲っているのじゃ」
「でも貴方、此処から向うまでなら、何も駕籠に乗らいでも、歩いてお帰りなすったら宜いじゃありまへんか」
「乃公は歩いて帰る積りだが、人間二人助けると思うて乗って呉れと言うたから乗って遣った、サア乗った以上は、縦い三歩が四歩で家へ這入れる処にもせよ、駕籠に乗って行くのじゃ、サア遣れ、遣らんか、コリャ一遍前へ廻って乃公の顔を
「ヘエこれは眼でござります」
「ナニ眼……見える眼か、見えぬ眼か、但しは面の飾りか、コレ、日に一遍でも二遍でも、煙草の火を貸して呉れ、時によりゃお茶の一杯も呑まして呉れと言うて這人らぬ日はないのに、それに乃公の顔を見忘れたのか、間抜け奴が、汝等のような駕籠屋が何時の間に湧いてうせた、また乃公処へ休むお客はナア、茶碗酒飲んで
「オイ相棒、早う来て呉れ、こりゃア
「コリャ、其方へ
「汝は其処にけつかるのか」
「ヘエ、チョイと雪隠へ這入っておりましたので、誠にどうも済まねことでござります」
「此頃出てうせた奴で顔を知らんとあれば堪忍しておいて遣るが、今度
「大きにどうも相済まぬことでござります……コレ汝も黙っていんと
「そうじゃけれどもあの人もそうじゃないか、乃公ア茶店の者じゃと言うて呉れたら、乃公ア勧めやアせなんだのや」
「けれども顔を知らいでも、大概風体を見ても判る、向掛付きの高下駄穿いて二巾前垂している、片手に塵取持っている、向うの松の根元へ塵を
「ナニ
「
折柄此処へ出て参りましたのは、マア其頃おいの三文字屋、伊丹屋というような大きな処へ這入ったのではござりませぬが、分銅屋、恵比須屋というような処で一杯召上ったと見えて口の辺は遠乗りの馬ア見たように泡だらけにして、
「ヨイショコラ、ヨイヨイヨイト……高い山から低い山を見れエば、低い山の方が低うござる、ヨイショコラ、ヨイヨイヨイト……」
「妙な
「モシ旦那お駕籠要りまへんか、モシ御酒機嫌の旦那、お駕籠はどうでやす」
「ヤイ相手になるなってのに」
「イヤ
「イヨーこれは駕籠屋の親玉ア」
「ヤア出て来た出て来た旦那、
「御機嫌で飲んだ酒か、
「イエそれは分りまへん」
「分らんのに要らざることを言うたら承知せんぞ」
「ソレみい叱られてくさる」
「旦那、お駕籠はどうでやす」
「イヤお駕籠がどうって、馬がドーじゃ、駕籠がハイじゃ」
「イエそうじゃごわせん、お駕籠は要りまへんかと、お尋ね申していますので」
「イヤ此様な物貰った所が持って行くのが大儀じゃ」
「ウダウダ言うてお呉んなさるない、余程御酒が這入ってございますなア」
「酒エ飲んでも飲まいでも勤める所は
「ハハハハ、
「もろの言い様で角が立つと云う奴だ」
「口合言うていなはる」
「時に駕籠屋一寸分銅屋で一杯飲って来たんじゃ、どうもこう面白うて堪らぬ」
「ヘエ……」
「オイ駕籠屋お前等も面白いやろう」
「イエ、私等は別に面白いことはござりません」
「
「ヘエ左様なら面白うございます」
「左様なら面白うございます、すると頼まれて
「甚い難儀じゃなア」
「そやよって最初から相手になるなと言っているのに」
「イヤ面白うて堪りません、心底から面白うございます」
「ナニ心底から面白い、何がそう心底から面白い、ムム、ヤア定めて乃公が酔うているさかい、それで心底から面白いと言うんだろう、随分どうで面白かろう」
「イエ、貴方面白いと言えと仰しゃったよって」
「アアそうか……イヤこりゃア悪かった、分銅屋はどうも安うするな」
「私等ア、高いやら、安いやら自腹切って飲みに這入ったことはありませんから分りません」
「ヤッ、分らぬのは
「知りません私しゃア」
「馬鹿言え、この街道に働いていて分銅屋のお袖を知らんことがあるか」
「あるかというて私しゃア知りません」
「アー途方もない奴やなア、色の白い鼻の処にパラパラッと
「イエ分りません」
「分らぬ、どうして分らんのやろう、ソレ河内の佐山の産で」
「知りませんがな私しゃ」
「父は治右衛門というてこれも善い人やったがな、これだけ言うたら想い出すやろう」
「皆目知りません」
「甚い難儀じゃなア」
「イエ貴方より私の方が難儀でやす」
「アノお袖なア、分銅屋にいることを知らんがな、
「オイ甚い難儀なことになって来たぞ、急に
「十二三の時分に見た
「イエ知りませんて言うていますがな」
「エッ一遍尋ねたいかいな、
「イエ左様なこと思っておりません」
「阿呆言え、いませんてお前、口で言うているが、心では思っているやろう、一両一分の証拠物見せて遣る……サッこの通りチャンと竹の皮に包んである、コレ料理屋へ物を食いに行って、食い残して戻るのじゃないぜ、残ったら残らず包ませて持って帰るが宜い、残して置くと、ハハア、気に
「イエもう結構でございます」
「結構でございますって何が結構じゃい」
「阿呆、遣ると仰っしゃる一つ貰え」
「だって
「ナニッ……」
「イエ何も申しておりません」
「イヤ言うた、乃公エ酒に酔うていても
「ソレ見い、色々なことを
「コリァ
「ヘエ……へエ……包みました」
「コリャ何という包み様じゃ、巻焼が溢れかかっている、他人の物じゃさかいッて左様な不親切なことがあるか、そういう人間じゃとどうせ頭が上らぬ、巻焼をあんじょうしぼって置けと言うたのに、矢張り汁があるわい、ハハハハ妙なもので銭使うても何じゃなア、割合に安いと思うと心持が宜いなア、
「アッまた拡げ出した」
「サッもう一遍包め」
「何遍包ませなさる、あんじょ
「懐中へ入れて玉子焼の汁が垂れたら困る、着物汚れるわい……アア心持ちが好い、コレ駕籠屋宜いことを聞かして遣ろうか」
「何でやす」
「去年二月二十五日じゃ」
「ヘエ」
「讃岐屋と私しとなア二人連れで河内の道明寺へ詣ったその途中の話じゃア……」
「マア宜ろしい」
「今日中に片付きやせんで、聞いていんともう行かんかいな」
「マア宜しいというような水臭いことを言わんと、私しの方から駕籠屋というて、汝を乃公が呼びかけたのじゃない、乃公が機嫌能うに歩いているのに、モシ御機嫌の旦那とお前の方から呼んだじゃアないか」
「ソレ見い、理屈は先方にある」
「ナニ、そうやろうがな」
「ヘエ」
「そやよって聞かんかいな、振があるよって前へ廻って宜いか、乃公は舞は下手やが、讃岐屋はちょっと舞うなア、稽古をしているさかいに舞はチョイと舞うのじゃ、コラあんじょう見んかい」
「ヘエ見ております」
「ムム、汝は宜い、其方のが
「コレ
「扇子をサッとな……蝶が菜種かイヤパッて奴じゃ扇子を払う所が好きじや、蝶が菜種かヨウ……ナア駕籠屋、菜種は蝶の味知らず、菜種の味知らず、こう唄うのんかいな」
「知りまへん」
「何じゃ此様なことを言う……味知らず、アッ、チントンシャン、ア―酔うた酔うた何だい
「モシ駕籠の中へ頭ア突込みなすった」
「
「オヤオヤ、グウグウ
「モシ旦那」
「ナナ何じゃ、何うするんじゃ」
「イエ何うするもこうするもござりません、駕籠の中へ頭ア突込んで寝て貰うたら困ります、何うぞ彼方へ
「去かいで、何時まで此様な処にいるものか、人がウツウツとしかけた所をヤッと突然に
「在りまへん」
「そうか、また縁があったら、あおうわい、さよなら」
「ほんまに馬鹿にしよる」
「そやよって
「モシモシ南から来てまた南へ行っていなさるがな、方角を取り違えていなさるのやろう」
「ナニ南から来て南へ行けんかえ」
「大分に憎たらしい酒じゃなア、大阪へ行くなら此方へ行かんと行かれやしまへん」
「誰れが大阪へ行く、乃公は堺の神明の町じゃ」
「それでは南から此様な処へ何しに来なはったのじゃ」
「アノ、チョッと
「オヤオヤ
「コリャコリャ駕籠屋」
「ヘエ」
「アーお駕籠が二
「大きに有難うさまで」
「先なるはお嬢様、後なるは乳母様」
「ヘエ大きに有難うござります……オイ、駕籠が二梃やで、一梃は吉と留とに言うて遣れ、早う行け尻
「それから雨掛が一荷」
「有難うさまで、オーイ荷持が一人じゃ、早う行け行け……エエ直ぐに
「左様な御仁が此処をお通りに相成ったか」
「オイオイ違う違うオイ待て待て、尋ねに来やアはったんや……エエ一向存じまへんで」
「ハハア是非この処をお通りに相成る筈じゃ、身共は安立町で用を達しておったので後れたと存じ只今駈け付けて参ったのであるが、それではまだ住吉へ御参詣なされ後れてござるのじゃ、いずれこの処をお通りであるからこの茶店に一服いたしておる、お通りになったら知せエ」
「其様なことを知ってるかい……オイ相棒尋ねに来たのじゃ
「能う其様なことが言える、お前が早う行け早う行けと言うさかいに
「駕籠屋さん」
「ヘエ……」
「此処や此処やこの手の鳴ってる方じゃ」
「ヘエ旦那何時の間にお這入りなすって」
「お前等ア其方向いてあれこれ言うてるうちに這入ったんじゃ」
「そりゃアどうも済みまへんことで旦那、駕籠を遣りますのですかえ」
「サア遣って貰おうと思うて乗っているのじゃが、気にいらぬのなら出ようかえ」
「イエ、お乗りなすって下され、まだ朝からあぶれ通しで、
「一寸マア住吉鳥居前まで遣って貰おう」
「承知いたしましてござります……オイ下駄は宜いか」
「宜しや」
「時に駕籠屋さん」
「ヘエ」
「駕籠に乗るのに茶屋へ寄って一服
「ヘエ持っております」
「一寸貸してお呉れ」
「ヘエ承知いたしました……ヘエ御免なすって」
「何するのじゃ」
「ヘエ」
「お前さん
「ヘエ」
「何で其様なことをする」
「イエ余り貴方の前で失礼でござりますので」
「失礼、失礼ッて行儀正しく言うのなら何で羽織袴で駕籠を
「阿呆、気を付けい
「コレ脱った
「ヘエ左様だすか」
「マアしたら仕て置け」
「そう仰っしゃるとウロウロします」
「サッ、フッと吹け」
「フッ」
「宜しや駕籠屋、汝ア悪い煙草
「ヘエ、私等良い煙草は喫めまへんので……おお
「佳い佳い心配せいでも佳い」
「お前が力を入れてフッと吹いた途端に、私しが吸取ったんじゃ、今日は煙草を切らしてなア」
「ヘエ向うの方に売っていますが買うて参りまひょうか」
「イヤイヤ煙草は盛粉などは買やアせん、ありゃア甚い損じゃぜ」
「ヘエ玉でお買いになりますか」
「ムム玉で買うても格別得じゃないなア」
「それじゃア箱へ這入った
「イヤ、そう余計に買うても粉が出たり何かして却って損じゃ」
「それじゃアどうするが一番宜しゅうござります」
「マアこうやって他人のを吸い取るのが一番勘定じゃア」
「左様な
「アア遣って下され」
「アイアイアイ……旦那、一つ走らして貰いますでござります」
「サアサア走って貰おう」
「アイアイアイ……」
「ナア、こりゃア出駕籠にしてはエライ上手に
「エエ私等ア住吉街道で育ったものじゃござりません、東海道木曽街道を股に掛けて来ましたので、その時分には貴方年も若うございましたから、どうも彼奴等両人にゃア追い付かねえ宙飛ぶように遣るから、これがほんとうの雀駕籠だろうと、仲間の者に言われたんです」
「何じゃ、急に江戸ッ子になりよった、マア宙飛ぶように遣るさかいに雀駕籠は面白いなア、けれども駕籠は些とも鳴かんなア」
「ヘエ」
「イヤ、雀というものはチュウチュウと
「イエ雀駕籠というのですが、別に雀の啼き声する訳じゃアございません」
「そうか、そう言わんと一つ雀の啼き声で走ってお呉れ、チュウチュウと」
「どうも極りが悪うございます」
「極りが悪いことがあるものかい、遣ってお呉れ早う」
「オイ、旦那の御所望だ、雀の啼き声で遣れと仰っしゃる」
「其様なことを遣れるものかい」
「マア遣ってみい、またそれだけのお心持はあるわい」
「早う雀を遣らんか」
「ヘエ……催促していなさる、チュ、チュ……」
「チュ、チュ、チュ、どうも具合が悪いなア……チュ、チュ、チュチュチュッチュッ……」
「チュ、チュ、チュ、チュッチュ……」
「こりゃア面白い」
「貴方は面白いか知らんが、私等ア阿呆らしゅうございます……チュチュ、チュチュッチュッチュッチュチュチュ」
「チュ、チュ、チュチュッチュッ」
「ハハハハそれを一つ
「オヤオヤ注文が変って来た……カ、カ、カカカッカッカ、カカカカッカッカ……」
「アア面白い、鳶で遣れ鳶で」
「ヒューヒョロヒョロヒョロヒョロヒューヒョロヒョロヒョロヒョロ……」!
「コレ
「ヘエ、そりゃア、雀の方が遣り能うござります……チュ、チュ、チュ、チュ、チュッ、チュッ、チュチュ、チュ、チュッ、チュッチュ、チュッ……チュ」
「オイオイ雀を止めて
「旦那様鶯は遣れませんもう少し籠馴れませんよって」
住吉籠について
この噺の「落」は雀駕籠というのを採りました。別に蜘蛛駕籠という「落」がありますが、これは後日に出来たものでもあり、かつ専門語でいう芋つぎという形式であまり面白くありませんので排しました。
この噺の口演者
故二代目林家竹枝(俗に碁盤屋の竹枝という)
故桂梅丸(ヅボラ詭の梅丸という)
故笑福亭福松
故桂文左衛門
故笑福亭梅香(呑んだの梅香という)
故七代目桂文治
故三代目桂文団治
現林家染丸
現桂三木助