猿後家(さるごけ)
五代目笑福亭松鶴
エエ今回は猿後家というお話を一席申上げます。
甲「日和がええので仰山の人が出るなア」
乙「ソラお前この頃は猫でも屋根伝いに遊びに出る、人間で出ぬのは病人か
甲「ケドお前や私は病人でも
乙「
甲「オオ心細いなア……スルトあの人らは皆遊びに行く人ばっかりか」
乙「そんなことはないが、マア此頃弁当でも持ってる人は皆野がけに行く人じゃな」
乙「そんなら、あの子供が大勢連れ立って行くのもか」
甲「あれは学校行きの生徒じゃ」
甲「ハハアンあの
乙「あれは普請方じゃ」
甲「ケド、弁当持ってるぜ」
乙「ソリャ仕事に行きはるのじゃ」
甲「アアそうか、オイ一寸向うへ行く女を見てみい」
乙「どれ」
甲「ソレ、
乙「そういうたら解らんがなア、フンフンあの女か、あれお前は知らんか」
甲「知らん何処の人や」
乙「
甲「ハハアン、お城に住んでる人か」
乙「イイヤ、城を知らんのも同様じゃという例をいうてるのじゃ、あれは横町の川上のゴーシュウじゃ」
甲「近江の人か」
乙「イイヤ、後家さんじゃ、歳はまだ三十八九」
甲「旦那は」
乙「旦那があるもんかいな」
甲「アア旦那の無い後家か」
乙「馬鹿やなアお前は、亭主が無いよって後家というのじゃ」
甲「ハハーン、
乙「お前は顔を見たか」
甲「顔は見んけれどもあの後姿では余ッ程
乙「サア、後姿が千円の価値があるものなら、顔はマア四銭八厘ぐらいで、五銭にはむずかしいな」
甲「えらい違いやなア、一体、どんな顔じゃえ」
乙「色の赤いところから口元の出たあるところ、目えのへっこんだところは、マア山から捕り捕りの猿じゃなア」
甲「フウン、アッ呉服屋から出た、一遍
乙「コレ何をいうのじゃいな」
甲「イヤ
と大きな声で申しましたから堪りません。後家さんは赤い顔を一層赤うして泣いてお帰りなされました。お供の下女も驚いて帰りまして
下女「マア、マアどう遊ばしたのでござります」
後家「どうもこうもあるもんかいなあ……今途中で町内のお若い衆が何やらいうてであったやろ」
下女「何をでござります。あれは貴女様を
後家「何もあのお方らに賞めて貰わいでもよろしい、まだ其の他に何やら私の顔のことをいうてであったわいなア」
下女「何をでござります」
後家「何をでもないもんじゃ、聞いていながら知らぬ顔をして……私を捕り捕りの猿見たような顔じゃと、ウワーッ……」
下女「何を仰しゃります、そんなあほらしい、ちっとも猿に似てやいたしませんワ」
後家「そうか、私は猿に似てやせんかえ」
下女「何んのマアお家様が猿に似てござりますものか、猿がお家様に似ておりますので」
後家「キイーッ」
下女は顔を掻きむしられてすぐにお暇が出ました。其後は猿ということがお家の禁句になりまして、どうなさるこうなさるも、
番頭「コレ定吉、坊んちが、また筆を持って遊んでお
定吉「何んというても放しやおまへん、無理に取りますと、ガシガシと手を掻きはります。えらい爪で
番頭「コリヤ、何というのじゃ、御当家の禁句を知っていながら、そんなことが若しお家の耳へはいったら直ぐにお暇になるぞ、だんだん生意気になりくさって、
定吉「坊んち、早うお
番頭「何を」
定吉「イエ、アノ、犬回しの……」
番頭「馬鹿ッ、早う行け行け」
というております。ところへ参りましたのは歳ごろ四十一二、
「へイ、今日は、お店はいつも皆様お揃いで御勉強、実に感心でござりますなア」
番頭「オオ、太兵衛さん、又例の世辞か」
太「イエ、どういたしまして……今日はお
番頭「ハア、今お台所にお声がしていた、サアおはいり」
太「御免……へイ今日は、御機嫌宜しゅうござります、御無沙汰を致しまして、誠に相済まぬことで……エエお家様には御奇麗にお化粧が出来まして、いつもお美くしゅうござりますなア」
後家「何をいうのやら此人は、私がそんな化粧なんぞするもんかいなア」
太「エエッ、それがお素顔でござりますか、マアマアお奇麗なこと、
後家「そのようにいうておくれやと
太「イエ毎度あがります度に御馳走になりましては恐れ入ります、モウ御無用に遊ばしまして、エエ併し実は今日一ツお願いがございますので」
後家「何んじゃい」
太「へイ御町内の若旦那連、田中様、松井様、西村様其辺の方々ばかりで、伊勢参宮を遊ばしますが、皆初旅のことで、勝手がお解りになりません、ソコデお前は
後家「オオイヤ、久し振で来てやったらと思うたら、暇乞いか……けれども他の神様なら止めもするが、お伊勢様ばかりは止めたら止めた者に罰が当ると聞いているよって、参りたければ参りなはれ、その代り他へ回らずに一日も早う帰ってお呉れや、アノーお店の衆、太兵衛がお伊勢まいりしますよって餞別をやってお呉れ、多分なことは要りません、一人前五円ぐらいずつでよろしい」
○「オイえらい命令が出たぜ、太兵衛が伊勢参りするよって、一人前五円づつ餞別をやって呉れと」
△「一人前五円ずつ……何んの因果で、あんな奴に五円もやるのか」
○「全体ここの家は鏡というものを見たことがないかな」
△「鏡は見通し、この鏡は色を黒う見せるというては
番頭「コレコレ何ということをいうのじゃ」
○「そうかて太兵衛が伊勢参りをするのに、一人前五円ずつ餞別にやれと」
番頭「何もお家が五円ずつと仰っしやったからというて、そんだけ出さにゃアならんことはない、お家の顔立てに一同から幾程かやったら宜いのじゃ」
△「へイへイ、そんなら私は五十銭出します」
×「私も五十銭」
□「私も五十銭」
◎「私は一寸此頃手許不如意で三十銭だけ」
番頭「コレ、お前も出しておやり」
○「チョッ、盗ッ人におうたと思うて一銭五厘だけ……」
番頭「そんなことをしては他の者に済まん、せめて三十銭だけなと、サアサア皆寄せて四円あるか、それでは私が一円出して、都合五円にして、一寸包んで水引をかけて、イヤ太兵衛にするのじゃないお家の手前にするのじゃ、出来たら私が持って行く。へエお家、只今店中を集めましてございますが皆しみったればかりで、これは誠に
後家「アレマア正直なこと、今のは冗談にいいましたのやに、マアマア気の毒なこと、私からお礼申します、太兵衛、お店からの御心配、貰うておきなはれ、私からはこれだけ上げる、また随分気はつけて上げるが、お前の留守中、何んぞ不自由なことがあったら、遠慮なしにいうてくるよう、心配せずは参ってお出で」
太「何から何までお気をつけられまして有難うございます、左様なら一寸参らせて頂きます、御免遊ばしまして、エエお店御一同様、只今は結構な御餞別を頂戴いたしまして、有難うござります、へッへッへッ……」
△「ゲラゲラ笑うな、お前は面白いかしらんが、私等はちっとも面白ないわい」
番頭「そないにいうもんじゃない、太兵衛さん、早う帰ってお出で」
太「へエ畏こまりました、直ぐに帰って参ります、どなたも御免、左様なら」
と帰りましてから丁度五日目の朝、太兵衛は小さな風呂敷包みを持ってニコニコ笑いながら、
太「御一同様只今帰りまして」
番頭「オオ太兵衛さんか、思うたより早かったなア、お家はお前さんが立った翌日から、太兵衛は何日頃戻るやろう、モウ帰りそうなものじゃ、今日は何処まで戻っとるじゃろう、まだかまだかの言い続けじゃ、早う顔を見せなされ」
太「へエへエ、どうも有難うございます、出立の節は過分な御餞別に預かりまして、何と御礼を申しましょうやら、就きましては、是は壺屋の煙草入れ、つまらぬ物でござりますが、ホンのおみやげの印ばかりで、是には例の蜀山人の狂歌がござります、夕立や伊勢のいなきのたばこいれふるなるひかるつよいかみなり、とか申しまして」
番頭「それは却ってお気の毒な、大きに有難う、サア兎も角奥へお這入り」
太「それでは皆様の御礼は後回しといたしまして、御免、へエ、今日は、大きに遅うなりまして、只今帰りましてござります」
後家「オオ太兵衛が、ようマア無事で帰ってやった、サア此方へお出で」
太「ヘエヘエ、お家様は今日はお留守でござりますか」
後家「何をいうのや、私は此処にいますがなア」
太「イヤ是はお家様でござりますか、マアマア是はシタリ、お家様、あなたは人魚でも召上がりましたか」
後家「イヤ私はそんなものは喰べたことはないワ」
太「左様でござりますか、けれどもお目にかかります度に、だんだんお歳がお若うおなり遊ばしまして……何日やら京都の御親類からお千代様と申す御方がお
後家「あほらしい、あれは京の水で洗い上げた殊に歳も若いし、あんな奇麗なお子と私とが、何んの似ているもんかいな」
太「イエ似ましたどころか、現在私が只今お見違い申したくらいで」
後家「そうか、うれしやの……コレ、太兵衛が来てますよっ、て、早う御酒
太「どうぞモウお捨置き遊ばして、毎度御馳走になりましては、誠に痛み入ります」
後家「シテ何かえお伊勢参りは面白いということやが、何んぞ面白いことがあったかえ」
太「ござりました、御町内の若旦那方は皆御粋家で、そこへ旅の恥は掻き捨てというので、古市の洒落などは実に大滑稽、弥次喜多そこのけでござりました」
後家「そうか、私も一度参りたいと思うているのやが」
太「お参り遊ばせ、私がお供をいたしまして、
後家「イエまだ奈良も知らんの」
太「アアそうで、まだお越になりませんか、これは是非お越遊ばせ、一日の御保養には至極適当なところでござります、何んしょ南都と申して、昔は都でござりまして、名所旧蹟も中々沢山ござります、先ずザッとお話いたしますと、停車場を出ました筋が三条通りと申しまして、宿屋とか、角細工、あられ酒、奈良漬などの土産物を売っております家が並んでござりまして、賑やかな通りでござります、その筋を東へ参りますと、南側に古い大きな宿屋が二軒ございます、それが、いんばん星に、それから、エ、何んとか申しました、ナイフ屋でもなし、
後家「それなら
太「左様左様、小刀屋、何んでも切れ物と心得ておりましたが、お家様の方が宜う御存知でござりますな、へッへッへッ、……その筋向うの高みにござりますのが、西国三十三所第九番の札所南円堂で
後家「それは真実かえ」
太「へイ、現に這入って落ちた人がござります」
後家「大方大仏様の罰が当ったのやろう」
太「イエかさが鼻へ回ったら、大抵落ちるもので」
後家「それは
太「へッへッへッ……これは冗談でございますが、それから裏へ抜けまして大釣鐘、すこし東へ参りますと四月堂に三月堂、若狭の呼び水の井戸、
後家「コレ太兵衛一寸お待ち、今いった池の名は何んというのや」
太「へエへエ、それは魚半分水半分、竜宮まで届いて……」
後家「そんなことは聞きとうない、池の名だけいうてみなはれ」
太「へイ、池の名は、さ……、ヒャー、これはどうも……」
後家「エエ腹の立つこの恩知らずめ、ようもようも、私の前でそんなことがいえたもんじゃ、いつも金をやったり、着物をやったりしているのに、その恩も忘れくさって、アタ
この有様に太兵衛は驚ろいて店へ逃げ出して参りまして、
太「ゴ、ゴ、御番頭ッ、えらいことをしました」
番頭「太兵衛さんビックリしたがなア、どうしたのじゃ、今一寸聞いていたら四月のお釈迦さんのようにいわれていたな」
太「シ、失敗失敗大失敗」
番頭「どうして」
太「池の名で、しくじりました」
番頭「何処の池で」
太「奈良名所の猿沢の池で」
番頭「大変なことをいうたなア……」
太「その癖充分注意して、あの仰山におる鹿でさえいわぬよう獣は成る可く気をつけましたのに、ツイ口が
番頭「全体お前さんは喋り過ぎる、今も店であないにべらべら喋って
太「へイ、どうもえらいことをしました」
番頭「何んぼいうても返らぬことじゃから早う帰りなされ」
太「ケド此儘お出入り止められますと夫婦の者が生計に困りますので」
番頭「というたところが失策ったものは仕方がない、商売に精を出したら宜いのじゃないか」
太「商売というて只今のところ、別にそのウ……」
番頭「そうそういつか聞いてみょうと思うていたが、一体お前さんは何が商売じゃな」
太「此処のお家様を
番頭「そんならモット勉強したらよいのに……同じ失策っても又兵衛の方は些細なことで真に可哀想じゃった」
太「又兵衛と申しますと」
番頭「お前さんと同様、お家のお気に入りじゃ」
太「へへエー、私より
番頭「そうじゃ、手伝職で誰の気にも入る男じゃった、御普請の時、
太「成程、それっきり参りませんか」
番頭「イヤ、その当時は来なんだが、三ヶ月程してから御機嫌を取直しに来た」
太「ド、ド、どうして来ました」
番頭「大砲の筒さらえのような頭をして、髭を
太「四季の着物を一時に着てとは」
番頭「肩のところが単え物になって腰の辺が袷で、裾が綿入……」
太「なかなか説明の要る着物ですなア」
番頭「縄の帯をしめて私の顔を見て一寸会釈をして這入ったから、これは何んでも仕事に来たのじゃろうと思うて、皆見て見ぬ振をして通してやった、スルと中庭の方へ行って、猫に睨まれた鼠のようになってかがんでいるのをお家が御覧なすって、お店の人、あんな
太「フウーン、うまいことやりましたなア」
番頭「お家も現金なお方じゃ、早う又兵衛御に酒を
太「ヒエーッ、人の事とは思えませんなア……ナアモーシ御番頭、私を助けると思うて昔から此上ないという
番頭「何にするのじゃ」
太「御機嫌を取直しに参りますので」
番頭「そんなら暫く気を抜いてからの方がよかろうぜ」
太「イヤ、今やないと都合が悪いので、どうぞ別嬪を二、三人だけ……」
番頭「昔からの美人で誰でもよう知っているのは、先ず我が
太「へイへイ、成程、この
番頭「イヤ違う違う、我が朝というて、この町内のことじゃない、我が朝とは日本ということじゃ」
太「へーエー、スルと我が朝の日本では」
番頭「イイヤ日本というたら我が朝とは言わいでもよい、どちらか一方でよいのじゃ」
太「エエ我が朝では初めが小野の小町に、次ぎが、テ、照手の姫、それから、ソ、ソ、衣通姫……是はどうしても指が外に折れません」
番頭「指が外へ折れるもんかい」
太「そうすると指は内へ折っても衣通姫」
番頭「そんなややこしいことを言わいでもよいがなア」
太「もうソッとござりませんか」
番頭「そうじゃなア
太「どこの物干に」
番頭「物干じゃない、唐土とは
太「送ったあとは何んにも無いのでカラですか」
番頭「いらんことを言うない、それで解っているのか」
太「へイ、何んとかでござりましたなア」
番頭「玄宗皇帝の思い者、楊貴妃じゃ」
太「唐人だけで中々覚え難い名前ですなア、大きに有難う、解りました」
と怖々台所へ参りますと、お家は見るなり、
後家「オオイヤ、この恩知らずが、まだうろついているのか、お店は誰もいてやないのか」
太「へエ、へエ、エエお家様には何がお気に障りましてござりますか、太兵衛とんと合点が参りませぬので、お腹の立つ事がござりましたら、幾重にもお詫をいたしますが、どのようなことがお気に障りましたのでござりますか」
後家「白々しい、まだそんなことをいうて、人を馬鹿にしようと思うて……池の名は何というのか、もう一遍いうてみなはれ」
太「へイ、魚半分水半分」
後家「それは聞かいでも解っている、竜宮まで届いてあって、そして池の名は」
太「左様でござります、そこでこの池は竜宮まで届いてあるのか、深い池じゃなア、こんな池へはまったら、とても助かることは出来まい、ヤレ恐ろしいと思いますと、身の毛が
後家「ナニさむそうの池……」
太「へイさむそうの池でござります」
後家「ソウカ、そんなら私の聞きようが悪かったのかいな……、お前に限って、よもや、そんなことはいうてやなかろうと思うていたのやが、矢ッ張り私の聞き違えやった、マアマア吃驚さして、勘忍してお呉れや」
太「イエ、どう仕りまして、お解りになりましたら、私も何より結構でございます」
後家「コレ、鰻はまだ焼けて釆んのか、一遍、急きにやってお呉れ、太兵衛、これは僅かやけど取ってお置き」
太「これは毎度有難うござります、ところで薮から棒のようなことを申しますが、お家様の御器量を昔の人に喩えて申しますと」
後家「アアコレ、そんな
太「イエ、何の弁茶羅を申しますものか、実際の事でござります、先ず我が朝では小野の小町か照手の姫か、ソ、衣通姫か」
後家「ナニ、私を小野の小町か照手の姫に似ているというのかえ」
太「マ、マ、まだござります、
以上は昔のままで口演したのであります。今の私は(「この猿後家」に、奈良行きの道中だけ)改作し口演しております。(五代目 笑福亭松鶴記)
「猿後家」について
この「猿後家」を、最も数多く(又、得意に)語った(亦、語りつつある)人々の名を挙げると、過去において、桂文左衛門、笑福亭梅香、桂文之助―現代では五代目笑福亭松鶴であります。文左衛門、梅香、五代目松鶴、以上の三人は発端から述べ、文之助だけは発端を省略し大兵衛がお伊勢まいりに行くので後家さんの家へ暇乞いにはいってくるところより口演したとか、筆者は聞き及んでおります。(一記者)