猿後家(さるごけ)

五代目笑福亭松鶴




 エエ今回は猿後家というお話を一席申上げます。さて春は長閑のどかで人の気は陽気で八方へお出ましになる。それを又路傍みちばたに立って評をして楽んでいる人がござります。
甲「日和がええので仰山の人が出るなア」
乙「ソラお前この頃は猫でも屋根伝いに遊びに出る、人間で出ぬのは病人かいざりばっかりじゃ」
甲「ケドお前や私は病人でもいざりでもないのに何処へも行かんのは、これはどういう訳や」
乙「いざりではないが懐中におあしが無いので何処へも行けんのじゃ」
甲「オオ心細いなア……スルトあの人らは皆遊びに行く人ばっかりか」
乙「そんなことはないが、マア此頃弁当でも持ってる人は皆野がけに行く人じゃな」
乙「そんなら、あの子供が大勢連れ立って行くのもか」
甲「あれは学校行きの生徒じゃ」
甲「ハハアンあの法被はっぴがけの男は」
乙「あれは普請方じゃ」
甲「ケド、弁当持ってるぜ」
乙「ソリャ仕事に行きはるのじゃ」
甲「アアそうか、オイ一寸向うへ行く女を見てみい」
乙「どれ」
甲「ソレ、下女おなごしを連れて、今菓子屋の表を歩いている、ソレ小間物屋の表、ソレ時計屋の表、ソレ呉服屋の……」
乙「そういうたら解らんがなア、フンフンあの女か、あれお前は知らんか」
甲「知らん何処の人や」
乙「この町内に住んでいて、あの人を知らなんだら、大阪に生れてお城を知らんのも同様やぜ」
甲「ハハアン、お城に住んでる人か」
乙「イイヤ、城を知らんのも同様じゃという例をいうてるのじゃ、あれは横町の川上のゴーシュウじゃ」
甲「近江の人か」
乙「イイヤ、後家さんじゃ、歳はまだ三十八九」
甲「旦那は」
乙「旦那があるもんかいな」
甲「アア旦那の無い後家か」
乙「馬鹿やなアお前は、亭主が無いよって後家というのじゃ」
甲「ハハーン、容貌きりょうやなア」
乙「お前は顔を見たか」
甲「顔は見んけれどもあの後姿では余ッ程別嬪べっぴんらしい」
乙「サア、後姿が千円の価値があるものなら、顔はマア四銭八厘ぐらいで、五銭にはむずかしいな」
甲「えらい違いやなア、一体、どんな顔じゃえ」
乙「色の赤いところから口元の出たあるところ、目えのへっこんだところは、マア山から捕り捕りの猿じゃなア」
甲「フウン、アッ呉服屋から出た、一遍此方こちら向いて顔を見せて呉れ、モウシ、川上の後家はん」
乙「コレ何をいうのじゃいな」
甲「イヤ此方こっち向かしてやるのや、モシ川上の後家はん……イヨー此方こっち向いた、成程、猿によう似てるなア」
 と大きな声で申しましたから堪りません。後家さんは赤い顔を一層赤うして泣いてお帰りなされました。お供の下女も驚いて帰りまして
下女「マア、マアどう遊ばしたのでござります」
後家「どうもこうもあるもんかいなあ……今途中で町内のお若い衆が何やらいうてであったやろ」
下女「何をでござります。あれは貴女様をこの御町内で名高いお方じゃと申してめておられましたので、別にお腹をお立て遊ばす事はないかと心得ます」
後家「何もあのお方らに賞めて貰わいでもよろしい、まだ其の他に何やら私の顔のことをいうてであったわいなア」
下女「何をでござります」
後家「何をでもないもんじゃ、聞いていながら知らぬ顔をして……私を捕り捕りの猿見たような顔じゃと、ウワーッ……」
下女「何を仰しゃります、そんなあほらしい、ちっとも猿に似てやいたしませんワ」
後家「そうか、私は猿に似てやせんかえ」
下女「何んのマアお家様が猿に似てござりますものか、猿がお家様に似ておりますので」
後家「キイーッ」
 下女は顔を掻きむしられてすぐにお暇が出ました。其後は猿ということがお家の禁句になりまして、どうなさるこうなさるも、迂潤うかつ申されません。誠に窮屈なことで、
番頭「コレ定吉、坊んちが、また筆を持って遊んでおでじゃ、早う取上げぬと畳が墨だらけじゃがなア」
定吉「何んというても放しやおまへん、無理に取りますと、ガシガシと手を掻きはります。えらい爪で宛然まるで猿みたいな……」
番頭「コリヤ、何というのじゃ、御当家の禁句を知っていながら、そんなことが若しお家の耳へはいったら直ぐにお暇になるぞ、だんだん生意気になりくさって、この間も子供の癖に小楊子を使っているのを、お家が御覧なさって、この小楊子は何処のじゃと仰っしゃったら、東京の猿屋といいかけたのを、私が横から、流石さすが東京の品は格別でござりますと、打消してやったが、ちっと気をつけぬと、こんなよいお家は外にありやせんぞ、サァ、早う坊んちを表へ連れて行かんか」
定吉「坊んち、早うおでやす、それそれ表に太鼓の音がしています。いつもの猿回しの……」
番頭「何を」
定吉「イエ、アノ、犬回しの……」
番頭「馬鹿ッ、早う行け行け」
 というております。ところへ参りましたのは歳ごろ四十一二、身装みなりは双子織ずくめの、小ざっぱりした、腰の低い、誰を見てもニコニコ笑うて、我が手で我が頭を叩いて、お辞儀ばかりしている男、
「へイ、今日は、お店はいつも皆様お揃いで御勉強、実に感心でござりますなア」
番頭「オオ、太兵衛さん、又例の世辞か」
太「イエ、どういたしまして……今日はお家様いえさまはお在宅うちでござりすか」
番頭「ハア、今お台所にお声がしていた、サアおはいり」
太「御免……へイ今日は、御機嫌宜しゅうござります、御無沙汰を致しまして、誠に相済まぬことで……エエお家様には御奇麗にお化粧が出来まして、いつもお美くしゅうござりますなア」
後家「何をいうのやら此人は、私がそんな化粧なんぞするもんかいなア」
太「エエッ、それがお素顔でござりますか、マアマアお奇麗なこと、何日いつやらでござりましたな、成駒家の芝居へお供をいたしました、その時の切狂言吃又どもまたの所作事、大津絵の中の藤娘に生写し、雁治郎ソックリ、成駒家――」
後家「そのようにいうておくれやとはずかしいワ、コレ太兵衛が来てますがなア、ほんまに気のつかん、早う御酒をつけて、鰻を焼きにやっておくれ」
太「イエ毎度あがります度に御馳走になりましては恐れ入ります、モウ御無用に遊ばしまして、エエ併し実は今日一ツお願いがございますので」
後家「何んじゃい」
太「へイ御町内の若旦那連、田中様、松井様、西村様其辺の方々ばかりで、伊勢参宮を遊ばしますが、皆初旅のことで、勝手がお解りになりません、ソコデお前は度々たびたび伊勢へ参って、万事くわしいじゃろうから案内者に来て呉れとのお仰せでござりますが、何分手前の身体は御当家様のもので、手前の身体で手前の自由になりませぬ故、一度お家様に伺いました上で、お返事をいたしますと中受合なかうけあいにしてござりますが、願わくばモウ一度参詣いたしとうござりますので、お願いに参りましたようなことで、如何でござりましょう」
後家「オオイヤ、久し振で来てやったらと思うたら、暇乞いか……けれども他の神様なら止めもするが、お伊勢様ばかりは止めたら止めた者に罰が当ると聞いているよって、参りたければ参りなはれ、その代り他へ回らずに一日も早う帰ってお呉れや、アノーお店の衆、太兵衛がお伊勢まいりしますよって餞別をやってお呉れ、多分なことは要りません、一人前五円ぐらいずつでよろしい」
○「オイえらい命令が出たぜ、太兵衛が伊勢参りするよって、一人前五円づつ餞別をやって呉れと」
△「一人前五円ずつ……何んの因果で、あんな奴に五円もやるのか」
○「全体ここの家は鏡というものを見たことがないかな」
△「鏡は見通し、この鏡は色を黒う見せるというてはり、イヤこの鏡は顔を円う見せるというては破り、ひっきょう鏡がモノを云わねばこそ、お前みたような鏡やったら、毎日喧嘩のしづめじゃ、それに成駒家の藤娘に生写しなんて、あほらしい、同じ大津絵の中でも、宙づりの雷に似ているワ」
番頭「コレコレ何ということをいうのじゃ」
○「そうかて太兵衛が伊勢参りをするのに、一人前五円ずつ餞別にやれと」
番頭「何もお家が五円ずつと仰っしやったからというて、そんだけ出さにゃアならんことはない、お家の顔立てに一同から幾程かやったら宜いのじゃ」
△「へイへイ、そんなら私は五十銭出します」
×「私も五十銭」
□「私も五十銭」
◎「私は一寸此頃手許不如意で三十銭だけ」
番頭「コレ、お前も出しておやり」
○「チョッ、盗ッ人におうたと思うて一銭五厘だけ……」
番頭「そんなことをしては他の者に済まん、せめて三十銭だけなと、サアサア皆寄せて四円あるか、それでは私が一円出して、都合五円にして、一寸包んで水引をかけて、イヤ太兵衛にするのじゃないお家の手前にするのじゃ、出来たら私が持って行く。へエお家、只今店中を集めましてございますが皆しみったればかりで、これは誠にいささかで、どうぞ御用捨を願います」
後家「アレマア正直なこと、今のは冗談にいいましたのやに、マアマア気の毒なこと、私からお礼申します、太兵衛、お店からの御心配、貰うておきなはれ、私からはこれだけ上げる、また随分気はつけて上げるが、お前の留守中、何んぞ不自由なことがあったら、遠慮なしにいうてくるよう、心配せずは参ってお出で」
太「何から何までお気をつけられまして有難うございます、左様なら一寸参らせて頂きます、御免遊ばしまして、エエお店御一同様、只今は結構な御餞別を頂戴いたしまして、有難うござります、へッへッへッ……」
△「ゲラゲラ笑うな、お前は面白いかしらんが、私等はちっとも面白ないわい」
番頭「そないにいうもんじゃない、太兵衛さん、早う帰ってお出で」
太「へエ畏こまりました、直ぐに帰って参ります、どなたも御免、左様なら」
 と帰りましてから丁度五日目の朝、太兵衛は小さな風呂敷包みを持ってニコニコ笑いながら、
太「御一同様只今帰りまして」
番頭「オオ太兵衛さんか、思うたより早かったなア、お家はお前さんが立った翌日から、太兵衛は何日頃戻るやろう、モウ帰りそうなものじゃ、今日は何処まで戻っとるじゃろう、まだかまだかの言い続けじゃ、早う顔を見せなされ」
太「へエへエ、どうも有難うございます、出立の節は過分な御餞別に預かりまして、何と御礼を申しましょうやら、就きましては、是は壺屋の煙草入れ、つまらぬ物でござりますが、ホンのおみやげの印ばかりで、是には例の蜀山人の狂歌がござります、夕立や伊勢のいなきのたばこいれふるなるひかるつよいかみなり、とか申しまして」
番頭「それは却ってお気の毒な、大きに有難う、サア兎も角奥へお這入り」
太「それでは皆様の御礼は後回しといたしまして、御免、へエ、今日は、大きに遅うなりまして、只今帰りましてござります」
後家「オオ太兵衛が、ようマア無事で帰ってやった、サア此方へお出で」
太「ヘエヘエ、お家様は今日はお留守でござりますか」
後家「何をいうのや、私は此処にいますがなア」
太「イヤ是はお家様でござりますか、マアマア是はシタリ、お家様、あなたは人魚でも召上がりましたか」
後家「イヤ私はそんなものは喰べたことはないワ」
太「左様でござりますか、けれどもお目にかかります度に、だんだんお歳がお若うおなり遊ばしまして……何日やら京都の御親類からお千代様と申す御方がおこしになっておりましたなア、私は又あのお方がお越になっているのかと、ツイお見れ申しまして、疎忽そそうなことを申しました」
後家「あほらしい、あれは京の水で洗い上げた殊に歳も若いし、あんな奇麗なお子と私とが、何んの似ているもんかいな」
太「イエ似ましたどころか、現在私が只今お見違い申したくらいで」
後家「そうか、うれしやの……コレ、太兵衛が来てますよっ、て、早う御酒を爛けて鰻を焼きにやってお呉れ」
太「どうぞモウお捨置き遊ばして、毎度御馳走になりましては、誠に痛み入ります」
後家「シテ何かえお伊勢参りは面白いということやが、何んぞ面白いことがあったかえ」
太「ござりました、御町内の若旦那方は皆御粋家で、そこへ旅の恥は掻き捨てというので、古市の洒落などは実に大滑稽、弥次喜多そこのけでござりました」
後家「そうか、私も一度参りたいと思うているのやが」
太「お参り遊ばせ、私がお供をいたしまして、くわしゅう御案内いたします只今は電車が出来まして、誠にラクでございます、湊町から汽車に乗りまして奈良へ下車いたしましたが、お家様は定めし奈良はお精しゅうござりましょう」
後家「イエまだ奈良も知らんの」
太「アアそうで、まだお越になりませんか、これは是非お越遊ばせ、一日の御保養には至極適当なところでござります、何んしょ南都と申して、昔は都でござりまして、名所旧蹟も中々沢山ござります、先ずザッとお話いたしますと、停車場を出ました筋が三条通りと申しまして、宿屋とか、角細工、あられ酒、奈良漬などの土産物を売っております家が並んでござりまして、賑やかな通りでござります、その筋を東へ参りますと、南側に古い大きな宿屋が二軒ございます、それが、いんばん星に、それから、エ、何んとか申しました、ナイフ屋でもなし、小柄屋こづかやでもなし……」
後家「それなら小刀屋こがたなやと違うかえ」
太「左様左様、小刀屋、何んでも切れ物と心得ておりましたが、お家様の方が宜う御存知でござりますな、へッへッへッ、……その筋向うの高みにござりますのが、西国三十三所第九番の札所南円堂で三面八臂さんめんはちび不空羂索ふくうけんさく観音が祀ってござります、是は藤原冬嗣ふゆつぐという人が建立いたしましたお堂で『補陀落ふだらくの南の岸に堂たてて今ぞ栄えん北の藤波』とか申すその時の歌があるそうでござります、是等は皆興福寺と申すお寺の境内で、昔はまだ沢山立派なお堂がございましたそうで、それから師範学校に博物館、あの百人一首の『いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな』の八重桜は只今この師範学校の中にございます、ズッと北へ参りますと、東大寺と申して奈良第一番のお寺で、南大門と申す仁王門がございます、東の方の仁王様が堪慶、西の方の仁王様が運慶の作でござりまして、これも中々名高いものでござりますそうな、その正面が大仏様、これは又如何にも大きなもので、御身の丈が五丈六尺五寸ござりまして、鼻から傘をきてはいれると申します」
後家「それは真実かえ」
太「へイ、現に這入って落ちた人がござります」
後家「大方大仏様の罰が当ったのやろう」
太「イエかさが鼻へ回ったら、大抵落ちるもので」
後家「それはかさやないか、そんな冗談をいわずに真実のことをいうてお呉れ」
太「へッへッへッ……これは冗談でございますが、それから裏へ抜けまして大釣鐘、すこし東へ参りますと四月堂に三月堂、若狭の呼び水の井戸、やしろ良弁杉ろうべんすぎ、二月堂、この二月堂の御本尊は十一面観世音で、御身体にぬくみがあるとか申して肉身の像とか申します、その隣りが手向山たむけやまの八幡様、菅公かんこうの『このたびはぬさも取敢ず手向山紅葉のにしき神のまにまに』とお詠みなされましたのはここでござりまして、これは紅葉時分にお越なりますると宜しゅうござります、其処を出ますと三笠山、この山は三重になっておりまして、一面の芝で、遠くから見ますと、毛氈もうせんを敷きつめたようで美くしゆうござります、其側に『奈良七重七堂伽羅八重桜』と彫りました芭蕉の句碑がござります、それから三条小鍛冶宗近、武蔵野と申す旅館、南へ参りまして春日神社、なかなか結構なおやしろで灯籠が何んぼと解らん程ござります、その燈籠の数をんだ者は長者になると申し伝えておりますが、算んだ人が無いというくらいでござります、若宮様から走り元の大黒、白藤滝しろふじのたき、この辺は広々とした公園で閑静な好い所でござります、西へ参りますと石子詰いしこづめの跡がござります、俗に十三鐘と申す古いお寺、それから坂を下りますと、大きな池がござります、乃の字の形になっておりまして、魚半分水半分、竜宮まで届いてあると申します、猿沢の池、その池の東手に衣掛柳きぬかけやなぎ、西北に采女うねめみや
後家「コレ太兵衛一寸お待ち、今いった池の名は何んというのや」
太「へエへエ、それは魚半分水半分、竜宮まで届いて……」
後家「そんなことは聞きとうない、池の名だけいうてみなはれ」
太「へイ、池の名は、さ……、ヒャー、これはどうも……」
後家「エエ腹の立つこの恩知らずめ、ようもようも、私の前でそんなことがいえたもんじゃ、いつも金をやったり、着物をやったりしているのに、その恩も忘れくさって、アタにくてらしい……。お店の衆、此処へ来て太兵衛の頭から煮茶にえちゃでもあびせてやって……アア腹の立つ……ウワッ」
 この有様に太兵衛は驚ろいて店へ逃げ出して参りまして、
太「ゴ、ゴ、御番頭ッ、えらいことをしました」
番頭「太兵衛さんビックリしたがなア、どうしたのじゃ、今一寸聞いていたら四月のお釈迦さんのようにいわれていたな」
太「シ、失敗失敗大失敗」
番頭「どうして」
太「池の名で、しくじりました」
番頭「何処の池で」
太「奈良名所の猿沢の池で」
番頭「大変なことをいうたなア……」
太「その癖充分注意して、あの仰山におる鹿でさえいわぬよう獣は成る可く気をつけましたのに、ツイ口がすべって一遍に失策しくじりました」
番頭「全体お前さんは喋り過ぎる、今も店であないにべらべら喋って失策しくじらないがというているところじゃ、併しモウどうも仕方がない、今日はマア早う帰る方がよい、お家の目についたら今度は私等がお目玉頂戴じゃ」
太「へイ、どうもえらいことをしました」
番頭「何んぼいうても返らぬことじゃから早う帰りなされ」
太「ケド此儘お出入り止められますと夫婦の者が生計に困りますので」
番頭「というたところが失策ったものは仕方がない、商売に精を出したら宜いのじゃないか」
太「商売というて只今のところ、別にそのウ……」
番頭「そうそういつか聞いてみょうと思うていたが、一体お前さんは何が商売じゃな」
太「此処のお家様をめるのが商売で」
番頭「そんならモット勉強したらよいのに……同じ失策っても又兵衛の方は些細なことで真に可哀想じゃった」
太「又兵衛と申しますと」
番頭「お前さんと同様、お家のお気に入りじゃ」
太「へへエー、私より先手せんてがござりましたか」
番頭「そうじゃ、手伝職で誰の気にも入る男じゃった、御普請の時、漆喰しっくいを打っていたらお家が、又兵衛、御近所に普請好きのお家もあるが、私の家ほどの漆喰を打たすお家はあるまいなアと仰っしゃった、その時、又兵衛も、へイへイというていれば宜いに、この御近所にござりませんが、船場のサルお家にござりますというただけで落第じゃ」
太「成程、それっきり参りませんか」
番頭「イヤ、その当時は来なんだが、三ヶ月程してから御機嫌を取直しに来た」
太「ド、ド、どうして来ました」
番頭「大砲の筒さらえのような頭をして、髭を蓬々ぼうぼう生やして四季の着物を一時に着てなア」
太「四季の着物を一時に着てとは」
番頭「肩のところが単え物になって腰の辺が袷で、裾が綿入……」
太「なかなか説明の要る着物ですなア」
番頭「縄の帯をしめて私の顔を見て一寸会釈をして這入ったから、これは何んでも仕事に来たのじゃろうと思うて、皆見て見ぬ振をして通してやった、スルと中庭の方へ行って、猫に睨まれた鼠のようになってかがんでいるのをお家が御覧なすって、お店の人、あんなきたない人が這入っていますがなア、早く追出してお呉れといわれると、又兵衛は顔を上げてシオシオと泣き声を出してなア、へイ、何んと申されましてもいたし方のない私、オメオメと参られた義理ではござりませぬが、御当家からお暇を出されましてからは他のお得意先も、あんな好いおうち失敗しくじるような奴は寄せつけないというので、追々お出入りが叶わぬようになりまして、到頭親子三人の者が食うや食わずにこのような態になりましたのは、元はお家様の御機嫌をそこねましたからのこと、此世でお詫が叶わねば、せめて後の世でなりとお詫が叶いますように、神仏にお願い申すより外はないと、四国西国の巡礼を思い立ちまして、有りもせぬ世帯道具を売りたいと日本橋筋へ道具屋を呼びに参りますと、子供が絵草紙屋の店を見まして、お父つあん、あの錦絵を買うて呉れいと申します故、コレ何をいうのじゃ、そんな気楽な手許じゃない、親の心子知らずがと叱ってはみましたが、安い物なら買うてやりたいと子に引かさるる親心で、ふと、その錦絵を見ますと、お家様に似たとは愚か瓜二つ、余りのおなつかしさに、下駄の儘、店へ飛び上がりました程でござります、三枚続きの物を無理に頼んで一枚だけ分けて貰い、帰るなり壁に貼りつけまして、コレ女房よ、今まで親子の者が安楽に暮していたのは、皆この錦絵のお方のお蔭じゃと、夫婦が手を合して拝んでおりますと、何も知らん子供までが、同じように手を合せまして、これは仏様かいなアといわれました時のその悲しさ御推量下さりませ、我々親子が四国西国を巡りまする御本尊にいたしとうござります、どうぞこの画像にお性根しょうねをお入れ下さりませ、お家様一生のお願いでござりますと、出したその錦絵の、マ美しいこと実に水の垂るような美人じゃ、お家は其時まで恐ろしい顔をして、怒っておでなさったが、その錦絵を一目見るなり、顔の紐が解けてしもうて、ニヤリとお笑いなさって、その絵を手に取って、ジーッと穴の開くほど見つめて、コレ又兵衛四国や西国へ行かいでも宜しい、この絵は私が買うて上げる、これだけで売りなはれッと、大きな紙幣の束を貰いよった」
太「フウーン、うまいことやりましたなア」
番頭「お家も現金なお方じゃ、早う又兵衛御に酒をけて、鰻を焼きにやッてお呉れて、お家はお気に入ったら鰻と酒の外は知らんとみえる、それからお前はそんなきたない身装みなりをして出入りをしやると、御近所の手前も見っともない、これは先の旦那の袷、お前に上げる、サア帯も、この羽織もと、マア、マア沢山おやりになって、宛然まるで子供のように片手で錦絵を持って、片手に又兵衛の手を取って、又兵衛又兵衛、又兵衛は、お家様お家様と奥から店まで行ったり戻ったり、行ったり戻ったり、終りに床柱にもたれかかって、又兵衛、これは女のような顔で、男のお姿じゃが、何んの絵じゃえ、へイ、それは東京の吉原の花魁が、三十六歌仙の練り物に出ました時の、在原業平の姿でござります、そうかえ、マアマアうれしいこと、へイ私もお家様の御機嫌が直りましてこんなうれしいことはござりません、帰りまして、家内に話しましたら定めて夢のように思うでござりましょう、誠に御当家を失策りましたら、親子の者は木から落ちた猿でござりますと、また失策りよった」
太「ヒエーッ、人の事とは思えませんなア……ナアモーシ御番頭、私を助けると思うて昔から此上ないという別嬪べっぴんを教えて頂けませんか」
番頭「何にするのじゃ」
太「御機嫌を取直しに参りますので」
番頭「そんなら暫く気を抜いてからの方がよかろうぜ」
太「イヤ、今やないと都合が悪いので、どうぞ別嬪を二、三人だけ……」
番頭「昔からの美人で誰でもよう知っているのは、先ず我がちょうでは小野の小町に照手姫てるてひめ衣通姫そとおりひめ
太「へイへイ、成程、このちょうでは」
番頭「イヤ違う違う、我が朝というて、この町内のことじゃない、我が朝とは日本ということじゃ」
太「へーエー、スルと我が朝の日本では」
番頭「イイヤ日本というたら我が朝とは言わいでもよい、どちらか一方でよいのじゃ」
太「エエ我が朝では初めが小野の小町に、次ぎが、テ、照手の姫、それから、ソ、ソ、衣通姫……是はどうしても指が外に折れません」
番頭「指が外へ折れるもんかい」
太「そうすると指は内へ折っても衣通姫」
番頭「そんなややこしいことを言わいでもよいがなア」
太「もうソッとござりませんか」
番頭「そうじゃなア唐土もろこしでは玄宗皇帝の思い者の楊貴妃ようきひ
太「どこの物干に」
番頭「物干じゃない、唐土とはからの事で今の支那じゃ、もろもろの物を送ってくるので、もろこしじゃ」
太「送ったあとは何んにも無いのでカラですか」
番頭「いらんことを言うない、それで解っているのか」
太「へイ、何んとかでござりましたなア」
番頭「玄宗皇帝の思い者、楊貴妃じゃ」
太「唐人だけで中々覚え難い名前ですなア、大きに有難う、解りました」
 と怖々台所へ参りますと、お家は見るなり、
後家「オオイヤ、この恩知らずが、まだうろついているのか、お店は誰もいてやないのか」
太「へエ、へエ、エエお家様には何がお気に障りましてござりますか、太兵衛とんと合点が参りませぬので、お腹の立つ事がござりましたら、幾重にもお詫をいたしますが、どのようなことがお気に障りましたのでござりますか」
後家「白々しい、まだそんなことをいうて、人を馬鹿にしようと思うて……池の名は何というのか、もう一遍いうてみなはれ」
太「へイ、魚半分水半分」
後家「それは聞かいでも解っている、竜宮まで届いてあって、そして池の名は」
太「左様でござります、そこでこの池は竜宮まで届いてあるのか、深い池じゃなア、こんな池へはまったら、とても助かることは出来まい、ヤレ恐ろしいと思いますと、身の毛が慄立よだちまして、ゾッと寒気がいたしますので、誰いうとなく、さむそうの池と申します」
後家「ナニさむそうの池……」
太「へイさむそうの池でござります」
後家「ソウカ、そんなら私の聞きようが悪かったのかいな……、お前に限って、よもや、そんなことはいうてやなかろうと思うていたのやが、矢ッ張り私の聞き違えやった、マアマア吃驚さして、勘忍してお呉れや」
太「イエ、どう仕りまして、お解りになりましたら、私も何より結構でございます」
後家「コレ、鰻はまだ焼けて釆んのか、一遍、急きにやってお呉れ、太兵衛、これは僅かやけど取ってお置き」
太「これは毎度有難うござります、ところで薮から棒のようなことを申しますが、お家様の御器量を昔の人に喩えて申しますと」
後家「アアコレ、そんな弁茶羅べんちゃらは止めてお呉れ」
太「イエ、何の弁茶羅を申しますものか、実際の事でござります、先ず我が朝では小野の小町か照手の姫か、ソ、衣通姫か」
後家「ナニ、私を小野の小町か照手の姫に似ているというのかえ」
太「マ、マ、まだござります、唐土もろこしでは、玄、玄、玄宗皇帝の思い者、よう狒々ひひに似てござります」

 以上は昔のままで口演したのであります。今の私は(「この猿後家」に、奈良行きの道中だけ)改作し口演しております。(五代目 笑福亭松鶴記)

「猿後家」について
 この「猿後家」を、最も数多く(又、得意に)語った(亦、語りつつある)人々の名を挙げると、過去において、桂文左衛門、笑福亭梅香、桂文之助―現代では五代目笑福亭松鶴であります。文左衛門、梅香、五代目松鶴、以上の三人は発端から述べ、文之助だけは発端を省略し大兵衛がお伊勢まいりに行くので後家さんの家へ暇乞いにはいってくるところより口演したとか、筆者は聞き及んでおります。(一記者)





底本:上方はなし 第一集
   楽語荘・1936年発行

(復刻版:上方はなし・上 三一書房)

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