猫退治(ねこたいじ) 三代目三遊亭金馬  御婦人が恋の為《ため》に棄《やつ》れている姿はまた別段風情のあるものでございます。もっとも同じ御婦人でも、容貌《きりょう》の悪いお方は、あまり恋煩《こいわずら》いはないようで、というのは、御自分の容貌《きりょう》に耻《はじ》、たとえ想《おも》う男があっても、とても駄目だと諦めますから恋煩《こいわずら》いまでには及びません。  ある大家《たいか》のお嬢様ま至って美人で、一日お花見に行って帰って来ると、何となくお気が欝《ふさ》いでしまって、それからドッと床《とこ》に就きました。旦那様が大層心配をして、 主「番頭や。先刻《さっき》お医者様がお帰りの時に仰《おっしゃ》るには、家《いえ》の嬢《じょう》の病は、あれは普通《ただ》の病でない、早くいうと、何か胸に思った事があって、それが腹へ固まってしまったのだ、物に譬《たと》えてみたら、マア腹の中へ徳利が出来たようなものなんで、その徳利に栓《せん》がしてあるから、幾ら薬を服《の》んでも、その薬が徳利の中へ納まらないというようような形だ。胸に思った事が晴れれば、徳利の栓《せん》が抜ける、それから薬を服《の》めば、忽《たちま》ちその薬の効験《ききめ》があって、病が全快するという訳だ。何でもこりゃァ徳利の栓《せん》を取るようにしなければならない。それから今|婆《ば》ァさんと相談をして、嬢《じょう》にいろ/\聞いてみたが、どうもいわない、執拗《しつこく》聞くとただ下を向いて泣いてばかりいるので、実にどうも困った。どうかお前の智恵を借りて、嬢《じょう》の胸に溜まった事を一つ聞いてみたいんだ」 番「成程《なるほど》、それは貴郎方《あなたがた》がお聞き遊ばしてもお嬢様が仰《おっしゃ》りは致しますまい、また私が改まってお尋ね申したところが、なかなかお嬢様が仰りはしません。それよりお嬢様のお気に入ったものをお側《そば》へ置いて、それとなく聞くようにすれば、お嬢様もお気に入った人だから、実は斯々《こうこう》いう訳だがどうしたら宜《よ》かろうと御相談をなさるに違いありません」 主「成程《なるほど》、宜《い》いところへ気が付いた。それでは誰か嬢《じょう》の気に入った者を側《そば》へ置いて、その人から聞いて貰おう…誰が宜《よ》かろう」 番「左様でございますな、見渡したところどうも店の中《うち》にはお嬢様の気に入ってるような者もございません。ただ私の考えでは、お嬢様が何方《どちら》へ入《いら》っしゃるにも、横町の薮医者の竹庵《ちくあん》を連れて入《いら》っしゃいます。あれは誠に面白い男で、医者は下手でございますが、俗にいうお幇間《たいこ》医者で、大層お嬢様がお気に入りでございますから、あの竹庵《ちくあん》をお側《そば》へ呼んで、竹庵《ちくあん》から聞いて貰うようにしたら如何《いかが》でございます」 主「成程《なるほど》それは宜《よ》かろう。早速|竹庵《ちくあん》の所へ人を遣《や》って呼んでくんな」 番「実は竹庵《ちくあん》は先刻《さっき》からお店へ参っております」 主「それは幸いだ、此方《こっち》へ遣《よこ》しなさい…オイ竹庵《ちくあん》や、此方《こっち》へおいで…」 竹「イヤどうも御無沙汰をいたしました、ツイ私もチョット昇《あが》らなければならんのでございますが、どうも忙しいものですからツイツイ御無沙汰をしておりました」 主「ハア、お前の忙しいのは不思議だ。しかし病人はあるまいな」 竹「イヤ、ところが病人が沢山ございまして、なかなか忙しゅうございます」 主「ヘエ、お前にかゝって病気が癒《なお》る人があるかえ」 竹「御冗談仰っっちゃァ可《い》けません。私はこれでも医者でげす。先だって病人を二人|癒《なお》しましてから大層評判が宜《よろ》しくなって、引き続いて忙しゅうございます」 主「ハアそういう病をお前が癒《なお》したのだ」 竹「ナニ貴郎《あなた》風邪を癒《なお》したので」 主「風邪を…余程《よっぽど》しくじらせでもしたのか」 竹「イヽエ水ッ洟《ぱな》で、葛根湯《かっこんとう》を以って癒《なお》しました」 主「そんならお前の手を借りないでも癒《なお》る。しかしまたお前も剛《えら》いところがある。こういっては失礼だが医者は誠に下手だけれども、幇間《たいこ》が上手だ」 竹「どうも恐れ入りました」 主「ところが家《うち》の嬢《じょう》がお前を大層|贔屓《ひいき》にして、何処《どこ》へ行くにもお前を連れて行くようにしておるが、その嬢《じょう》の事についてお前に少し頼みがある」 竹「ハア成程《なるほど》、お嬢様は先達《せんだって》からお煩《わずら》ひ遊ばして在《いら》っしゃるように伺いましたが、さぞ御心配で…ところが他の医者に掛かっても癒《なお》らんというので、実は竹庵《ちくあん》でなければならんというところから私へお頼みになるのでございましょうな。ヘエ宜《よろ》しゅうございます。私も日頃の腕前をこういう時に現す事の出来るのは誠に仕合《しあわ》せで、しかし至って貧乏でございますから、良い薬の持ち合わせがございませんが、お嬢様のお脈を拝見して、こうという病根《びょうこん》が分かれば、良い薬を取り寄せて、それを以って屹度《きっと》御全快という事にいたして御覧に入れます。そうなると先《ま》ずお嬢様の命を繋ぎ留めたというので此方《こちら》の御身代《ごしんだい》の半分を私に下さる…」 主「馬鹿な事をいうな、お前に薬を盛られたら三日とは保《も》たない。お前に頼みというのは決して薬を盛ってくれというのではない。今お願い申しているお医者があるんだ。このお方が今日お入来になって、お帰りの時に仰には、嬢《じょう》の病というのは、胸に思った事があって、それが固まって、物の比喩《たとえ》で見ると、徳利に栓《せん》を宛てたようなものだから、幾ら上から薬を服《の》んでもその徳利の中へ薬が通らない。それ故|効験《ききめ》がなっくて、病も癒《なお》らないのだから、何でもその胸に思った事をいって、徳利の栓《せん》を抜いてしまえば、薬も中へ入って効験《ききめ》がよく現れるというお話しがあったから、早速|嬢《じょう》にその思っている事を尋ねたが、どうしてもいわない。デお前に頼むのは、始終|嬢《じょう》の側《そば》にいて、どうか気長に嬢の胸に思っている事を聞いて貰いたいのだ」 竹「ハア成程《なるほど》、それでは私が今日から徳利の栓抜《せんぬ》きに雇われますので」 主「先《ま》ずそうだ」 竹「ヘエー、一ツ抜いたらどの位頂けましょう」 主「病が癒《なお》りさえすれば幾らでも上げる」 竹「幾らでも…成程《なるほど》、幾らでもというのが少々気に入りませんが、如何《いかが》でございましょう、確《しか》と定《きめ》て頂きたいもので、当今は徳利抜きの相場が大層上がっておりまして…」 主「馬鹿な事をいいなさんな、徳利の栓抜《せんぬ》きに相場があるか、それではお前の望みをいいなさい」 竹「望みといっても大した事はございません、如何《いかが》なものでございましょう、栓《せん》を一ツ抜いたら十円頂戴」 主「宜《よろ》しい。十円でも二十円でも栓《せん》さえ抜けばお前の望みだけやりましょうから、気長に聞いておくれ。急に聞こうといっても容易にいうまいから」 竹「宜しゅうございます。それでは一つが十円でございますよ。そう事が定《きま》ればお嬢さんに願って十ばかり抜かして頂きます。そうすれば先《ま》ず此処《ここ》で百円になる。私も百円の金に有り付けば一寸楽ができます」 主「欲張んなさんな。マア貰う事ばかりいわないで、嬢《じょう》の所へ行って聞いてくれ」 竹「畏まりました。では早速お嬢さんの所へ参ります」 主「あんまり側《そば》へ寄って大きな声を出しては可《い》けないよ」 竹「宜しゅうございます。万事私へお任せを願います」  これから竹庵《ちくあん》がお嬢さんの寝ている居間へ参りまして、 竹「ヘエ今日は、大きに御無沙汰いたしました。オヽ、大層お窶《やつ》れになりましたな。貴嬢《あなた》はお気が小さいから可《い》けませんよ。何でもお気を大きくお持ち遊ばせ。そうして貴嬢《あなた》がお一人で考えて在《いら》っしゃると徳利の栓《せん》が殖《ふえ》るばかり、貴嬢《あなた》の御病気というは、他の病ではない。徳利病といってお腹の中へ徳利が出来てしまって、それに栓《せん》がしてあるので、この栓《せん》がどんな医者が来ても抜けません。お前に限るというので相談が纏《まと》まってその栓抜《せんぬき》に雇われて一ツ抜くと十円という事に定《きま》って抜きに参りました。貴嬢《あなた》だって私を御贔屓《ごひいき》にしてくださるんでございましょう。竹庵《ちくあん》やお前が商売になる事なら、勝手にお抜きと私の所へ徳利を出して下されゝば抜きますよ。十抜けば百円頂戴が出来ます」 嬢「何だね竹庵《ちくあん》、お腹の中へ徳利が出来る奴があるものかね」 竹「それが貴嬢《あなた》のようにそう考えていると徳利が出来ますよ。何か貴嬢《あなた》はお胸に思った事がございましょう。その胸に思った事が段々固まってしまって、それが徳利になったので、それに栓《せん》が付いている。どうすれば栓《せん》が抜けるというと、貴嬢《あなた》が胸に思った事を二ツ仰れば一ツ抜けます、三ツ仰れば二ツ抜けます。貴嬢《あなた》が阿父《おとう》さんや阿母《おかあ》さんに言い難い事でございましょうから、私だけに仰れば、竹庵《ちくあん》がどんなことでも叶えて差し上げます。何か貴嬢《あなた》思った事がございましょう」 嬢「マア大きな声だね。静かにおしよ。それは胸に思った事があるけれども、この事ばかりは私はどうしてもいえない。誰にも云えない。死んでもいわれません…」 竹「ヘエ―、貴嬢《あなた》死んでも仰いませんか、死ぬと命が亡くなってしまいますよ」 嬢「五月蠅《うるさ》いね。彼方《あっち》へ行っておくれ」 竹「五月蠅《うるさ》いとは厳しゅうございますね。私は貴嬢《あなた》のお為《ため》なればどんな事でもいたします。竹庵《ちくあん》、其処《そこ》で鯱鉾《しゃちほこ》立ちして御覧と仰れば、直《す》ぐに行《や》ります。壁立《かべだち》でも何でもいたします。竹庵《ちくあん》お前命をくれないかと仰れば、私は命を差し上げます」 嬢「竹庵《ちくあん》、お前大層親切だね」 竹「エヽ貴嬢《あなた》の為ならどんな親切でも尽くします」 嬢「じゃァ何かへ竹庵《ちくあん》、お前は私に命をくれるというのかへ…ほんとに屹度《きっと》私に命をくれるかへ」 竹「エヽ、それはお話しの次第によって差し上げます」 嬢「それだから私は話が出来ないんだよ。かえって五月蠅《うるさ》いから彼方《あっち》へ行っておくれ」 竹「それじゃァ何でございますか。貴嬢《あなた》は私の命をくれるとなれば取らなければ話が出来ないので…」 嬢「お前が私に命を話すかも知れない」 竹「ヘエーそれでは命懸けだ。当年一ぱいい位は日延べへ出来ますまいか」 嬢「それが今日取るか明日取るか分からない」 竹「心細い命でございますな。少々お待ちなすって…宜しゅうございます。差し上げましょう」 嬢「お前本当にくれるかへ」 竹「本当に差し上げます」 嬢「屹度《きっと》くれるね」  念を押されて竹庵《ちくあん》ブル/\震え出して、 竹「ヘヽ差し上げます」 嬢「お前が私に命をくれるなら全く話しをするから、モウ少し此方《こっち》へお寄り」 竹「ヘエ」 嬢「其処《そこ》をピッタリ閉めて此方《こっち》へお出で」 竹「ヘエ…この位で…」 嬢「モット私の側《そば》へおいで」 竹「ヘエこの位で…」 嬢「モットお寄り」 竹「ヘエモウこれで一ぱいでございます」 嬢「何だへ遠慮をおしでない。モッとズッと私の側《そば》へ…」 竹「ヘヽヽヽ、お嬢さん御冗談仰っては可《い》けません。貴嬢《あなた》は飛んだ心得違いで、よく考えて御覧遊ばせ。貴嬢《あなた》は何も私のような者の為に恋煩いを遊ばさないでも宜しゅうございましょう。私はとても御当家の養子にはなれません。とてもこれは納まりません。お諦め遊ばせ…」 嬢「何をいっているんだねえ」 竹「ヘエー誰で」 嬢「お前が私に命をくれるというか話しをするが。モット此方《こっち》へ寄っておくれ」 竹「誰だか当てて見ましょうか。日外《いつか》貴嬢《あなた 》が私と乳母《ばあや》ァと歌舞伎座へ行きました。あの時、前に二人いた左の方の男は好《い》い男でござましたね。あれを貴嬢《あなた》が一目御覧遊ばすと、お顔がポーッと赤くなりました。それからお宅へお帰り遊ばすとお病気、どうかアヽいう人と夫婦になりたいが、何処《どこ》の人か知れないというので、此処《ここ》へ固まってしまったんでしょう」 嬢「イヽエそうではない」 竹「ヘエー違いましたか。それじゃァ貴嬢《あなた》と私と向島へお花見に行きました。あの時桜餅を食べに寄りましたね、スルと年の頃二十一二でございましたか、幼《ちい》さな子供を連れて花を見ておりましたのが、少し病身のようではございましたが、あの位の男は滅多にございません。あれを貴嬢《あなた》チョット横目で睨んでポーッと顔を赤くなすった。それからお宅へお帰り遊ばすとお床《とこ》に就いたのでございましょう。ありゃァ貴嬢《あなた》私が知っていますよ。小川町の唐物屋《とうぶつや》の息子さんで毎度私が御贔屓《ごひいき》になります。それなれば貴嬢《あなた》早く仰れば阿父《おとう》さんに知れないようにお取り持ちをいたしたものを、あれでございますか…」 嬢「イヽエそうじゃないよ」 竹「オヤまた違いましたか」 嬢「実はお前が私に命をくれるというからお前だけに話しをするが、私とお前と乳母《ばあや》と、ソレお花見に行ったね」 竹「ヘエ/\」 嬢「あの帰りに三囲《みめぐり》の処《ところ》で猫を一匹拾って来たろう」 竹「ヘエ拾って来ました。良《い》い猫でげしたな」 嬢「あれを私が大切にしていたんだよ」 竹「成程《なるほど》」 嬢「するとね、あの猫がこの間死んでしまたんだよ」 竹「ヤレ/\それはご愁傷様で」 嬢「あの猫が死ぬとお前も知っているだろうけれども私の側《そば》にいた乳母《ばあや》ァが…」 竹「ヘエ/\」 嬢「夜になるとお前その死んだ猫の通りの顔になるんだよ」 竹「ヘエー成程《なるほど》」 嬢「そうして私の処《ところ》へ来て、お嬢様この事を阿父《おとう》さんや阿母《おかあ》さんに仰ると、貴嬢《あなた》を生かしてはおきません。きっと食い殺すというんだよ」 竹「ヘエー」 嬢「そうしてお前、長い舌を出して、私の手から足から、身体中《からだじゅう》、ペロ/\、ペロ/\舐《な》めるんだよ…」  これを聞くと竹庵《ちくあん》アッというと廊下へ飛び出す途端に目を廻した。この物音に家中《うちじゅう》の者が驚いた。 主「オイ番頭や、なんだ竹庵《ちくあん》が大きな声をして今音がした、目でも廻したんじゃないか」 番「ハイ…やァ定吉水を持って来い。竹庵《ちくあん》さんが目を廻してしまった」 主「其処《そこ》じゃァねえ、此方《こっち》へ連れて来い」  というので大勢で竹庵《ちくあん》を抱え、主人夫婦の居間の方へ連れて参り、水を呑《の》ませる、薬を含ませる、大騒ぎをして介抱をいたし、漸《ようよ》うのことで息を吹き返した。 主「竹庵《ちくあん》確《しっ》かりしろ」 番「どうしたんだ確《しっ》かりしねえよ」 竹「ヘエモウとても可《い》けません。竹庵《ちくあん》は死にました…」 主「馬鹿をいえ、死んだ奴が口を利くか。どうした、嬢の話を聞いたか」 竹「ヘエ」 主「聞いたら話をして聞かせろ」 竹「お話を申すと貴郎《あなた》も直ぐにこういう風になります」 主「何でも宜《い》いから話をしろ」 竹「それでは申し上げますがお嬢さんと私と乳母《ばあや》ァと花見に行きました」 主「アヽ行った」 竹「あの帰りに猫を一疋《いっぴき》、拾って参りました」 主「ウム/\」 竹「家《うち》へ連れて来るとその猫が死にました」 主「アヽそうだ、嬢が可愛がっていたが惜しい事に死んでしまった」 竹「あの猫が死ぬとお嬢様の側《そば》に付いている乳母《ばあや》ァが…」 主「ウム」 竹「夜になるとその死んだ猫の通りの顔になるんで…」 主「エッ」 竹「そうしてお嬢様の処《ところ》へ来て、お嬢様、この事を阿父《おとう》さんや阿母《おかあ》さんに仰ると、貴嬢《あなた》を食い殺しますよといって、長い舌を出して、お嬢様の手から足から身体中《からだじゅう》、ペロ/\、ペロ/\舐《な》めるんでございます…」 主「変な面《かお》をするな。全くか」 竹「全くでございます。打《う》っ捨《ちゃ》っておくと今夜の中《うち》にお嬢様は猫のために食い殺されます。殊《こと》によると私も序《ついで》に食い殺されるかも知れません」 主「それは大変だな…番頭聞いたか」 番「どうも困った事が出来ましたな」 主「今時《いまどき》どうもそんな事があろうとは思わないが、こうしよう、幾らか金が費《かか》ってもたった一人の娘を猫のために食い殺されでもした日には可哀想《かわいそう》だ。猫退治をしよう。今夜鳶頭《かしら》の処《ところ》へ行って若い者を五十人ばかり集めて貰って、各自《てんで》に鳶口《とびぐち》を一本づゝ用意をして、宵《よい》の中《うち》は散々酒を呑《の》まして騒がせて、夜が更けていよいよ猫が出るという時分になったら身支度をして貰って、シーンとさせておいて猫が嬢の側《そば》へ来た処《ところ》を五十人ばかりで突然《だしぬけ》に跳《おど》り込んで鳶口《とびぐち》を打ち込んだら、どんな猫でも参るだろう」 番「ヘエ成程《なるほど》、旨《うま》い御趣向でございますな。そうしたら殺せましょう、じゃァ一ツ鳶頭《かしら》の処《ところ》へ行って相談をして参りましょう」 主「アヽどうか頼むよ」 番「畏まりました」  と、番頭が早速|鳶頭《かしら》の処《ところ》へ行って頼むと、金の勢いは恐ろしいもので、忽《たちま》ち五十人ばかりの若い者を集めて参り、宵《よい》の中《うち》は酒を呑《の》んで騒いでおりましたが、夜中になるとシーンと鎮《しず》まり返ってしまった。スルと鳶頭《かしら》が、 頭「オイ/\皆起きているか。そろ/\支度をしねえ」 ○「モウ鳶頭《かしら》支度は出来てるんだ。支度は出来てるが、まだ猫の大きさを聞かなかった。全体猫の大きさはどの位あるんだ」 頭「そうよな、乃公《おれ》も見ねえんだが、頭の大きさは四斗樽位あるという事だ」 ○「そいつァ恐ろしいな…この中《うち》に誰か食い殺される奴があるだろうな」 頭「そうよ、五六人は食い殺される奴があると覚悟をしなくっちゃァならねえ」 ○「ヘエー…まだ鳶頭《かしら》猫は出ませんかね」 頭「モウ出ているんだ、静かにしねえ」 ○「モウ出てるったって何処《どこ》に…」 頭「お前の座ってる唐紙《からかみ》一ツ隔った座敷だ」 ○「アッこりゃァいけねえ。道理で何だか忌《いや》な風が吹いて来たと思った…頭《かしら》、私は何だか腹が痛くって仕様がねえ。疝気《せんき》持ちで腰が痛くなって来た。家《うち》へ行って薬を服《の》んで来るから…」 頭「弱い事をいうな。手前《てめえ》だって覚悟をして来たんだろう。大切のお店《たな》のお嬢様を助けるんだ、威勢|好《よ》くやってくれ。そりゃァそうとモウ猫が出ているだろうから覗《のぞ》いてみねえ」  唐紙《からかみ》の透き間からソッと覗《のぞ》いてみると驚いた。その覗《のぞ》いた奴は真っ青になって口も利かずに其処《そこ》へ尻餅を搗《つ》いた。 頭「どうしたんだ」 ○「フワ/\/\」 頭「どうしたんだ、確乎《しっかり》しろ」 ○「乃公《おれ》は生まれて始めてこんなものを見た。大きな眼玉《めだま》がピカ/\光ってる、誰か代わって見ろ」  また一人の奴が覗《のぞ》いてみるとドターリそれへ引っ繰り返ってしまった。 △「各自《てんで》に弱い奴らだ、乃公《おれ》なんざァ箆棒《べらぼう》め、怖いなぞと思った事がねえ。どうか一つ怖いものに出会《でっくわ》したいと思ってるんだ。高《たか》が猫だ。出て来りゃァ乃公《おれ》が一人で退治してやる。腕に筋金が入《へい》ってるんだ」  散々威張って覗《のぞ》いてみると驚いた。 △「ワーッ」  というと真《ま》っ蒼《さお》になって口が利けない。 頭「どうした確乎《しっかり》しろ」 △「ウーン、モウ駄目だ」 頭「馬鹿野郎、手前《てめえ》今何といった、腕に筋金が入《へえ》ってるといったじゃねえか」 △「こんな怖《こえ》えものじゃァないと思った。生まれてこの位驚いた事はねえ」 頭「各自《てんで》に同じような事をいってやがる。そう皆《みんな》怖がっていた日には退治する事が出来ねえ。いよいよいると定《きま》ったらこうしよう。身支度をして、唐紙《からかみ》を威勢よく開けて、一時《いちどき》に鬨《とき》の声を揚げて飛び込もう」 △「だって先方《むこう》がジッとしちゃァいめえ。開けた処《ところ》を突然《いきなり》向こうから飛び付かれでもした日には堪らねえ」 頭「意気地のねえことをいうな。手前《てめえ》開けろ」 △「乃公《おれ》ァ開けるのは忌《いや》だ」 ○「乃公《おれ》も忌《いや》だ」 頭「じゃァ権助《ごんすけ》が宜《い》い。彼奴《あいつ》に開けさせろ…イヤ権助《ごんすけ》、お前は大層忠義者だ。お嬢様を助けるんだから一ツ働いてくれ。こうして乃公達《おれたち》も命懸けでやるんだが」 権「ヘエ」 頭「乃公達《おれたち》が鳶口《とびぐち》を持って飛び込むから、お前一ツ唐紙《からかみ》を威勢|好《よ》く開けてくれ、お前がガラリと開ける途端に乃公達《おれたち》が飛び込んで猫を打《ぶ》ち殺すんだ」 権「止《よ》すべえ」 頭「何故《なぜ》」 権「何故たって、中に猫が入《へい》ってる。その猫が人間に化ける位のものだから、身体《からだ》が自由に利くに違いねえ。唐紙《からかみ》を開ける処《ところ》を咽喉笛《のどぶえ》へでも食らい付かれたらそれッきりだ。大勢いた日には乃公《おら》逃げる事がなんねえ…」 頭「じゃァこうしよう。乃公達《おれたち》は両方に立っていて真ん中へ逃げるだけの道を拵《こしら》えてやろう、唐紙《からかみ》を開けたら直ぐに真ん中を脱《ぬ》けて逃げてしまいねえ」 権「成程《なるほど》、乃公《おれ》一人逃げてお前達《めえたち》は中へ入《へえ》るんだな…それじゃァやるべえ。けれどもお前方《めえがた》が同時に逃げたら駄目だよ」 頭「大丈夫だ」 権「そんならやるべえ…もッと此方《こっち》を広く開けてくれ。邪魔なものを其方《そっち》へ片付けて貰いてえ…その障子や何か、皆《みんな》打《ぶ》っ外《はず》してくれ」 頭「よし/\…どうだ」 権「その柱も邪魔になる、それも取って貰うべえ」 頭「これを取れば家《うち》が壊れてしまう」 権「それじゃァ仕方がねえ…ソレ宜《い》いか開けるぞ。乃公《おら》開けると貴郎方《あんたがた》中へ入《へえ》るんだ宜《え》えか。貴郎方《あんたがた》同時に逃げると駄目だよ。貴郎方《あんたがた》が先へ逃げると駄目だよ。貴郎方《あんたがた》が先へ逃げると、乃公《おら》ァ跡《あと》から逃げる。猫が追っ駆けて来れば乃公《おら》から先へ食われてしまう」 頭「大丈夫だ、宜《い》いからシッカリお頼み申すぜ…」 権「サァ開けるぞ」  権助《ごんすけ》が唐紙《からかみ》へ手を掛けて、自分も怖いから、後ろを振り向きながら、 権「ソレ宜《え》えか、開けると乃公《おら》ァ逃げ出すから…」 頭「大丈夫だ」 権「お前等《めえら》逃げちゃァ駄目でがすよ…ソーレ開けた…」  開けられたから堪らない。五十人ばかりの若者が、逃げる訳にも可《い》かないから、ワーッと声を揚げて中へ飛び込むと、猫も不意を食らって、座敷をグル/\廻って天井裏へ飛び付いたが逃げる処《ところ》がない。壁へ大きな穴を開けて突き破って逃げてしまった。 頭「だから見やァがれ、手前《てめえ》そんなものを持っていて何故猫の身体《からだ》を叩かねえんだ」 ○「叩こと思ったんだが、何しろ此所《こっち》へ向かって先方《むこう》から跳び付かれちゃァ敵《かな》わないと思って避《よ》けたんだ」 頭「本当に意気地のねえ野郎だ。あの猫を逃してしまったら、この先どんなことをするか知れねえ。しかしマァ此家《ここ》のお嬢さんはよくこれまで食い殺されずにいたな…オヤ少し待ちねえ、猫の逃げたこの壁に何か書いてある。何、何、何だと…歯があれば食い殺したく思えども、ホンの『はなし』で舐《な》めたばッかり…」