狸の釜 四代目柳家小さん  狐は奸智《かんち》に長《た》けたもの、狸は愚かのものだといってあります。愚かでも何でも総《すべ》て生《しょう》あるものは、喜怒哀楽《きどあいらく》の情《じょう》あるもので、犬なども物を遣《や》れば尻尾を振って来る。嬉しい悲しいが分からぬというものは決してないと申します。 八五郎「誰だ其所《そこ》を叩くのは、ドン/\叩くなよ、極《き》まってやがる。また夜遊びをして締め出しを食ったんで、泊めてくれすだろう。誰だ、返事をしねえな」 狸「私でございます」 八「判然《はっきり》口を利《き》きな。変だなァ、夜中だってえのに脅かすない。臆病の人間だ…今開けてやるよ、誰だ」 狸「早く開けて下さい」 八「煩《うる》せえなァ、今|心張《しんばり》を取るから待て…さァ開いた…オヤ誰もいねえじゃねえか、何処か其辺《そこら》へ隠れやがったな。串戯《じょうだん》するない。夜夜中《よるよなか》人をわざわざ起こしておいて、巫山戯《ふざけ》ていやがる。誰か嘲弄《からかい》に来やがったんだな。バカにしていやがる…アッ肝《きも》を潰《つぶ》した。なんだ薄暗い所に…」 狸「こんばんは」 八「アレッ、なんだ竃《へっつい》の影に…アッ狸だな、こン畜生」 狸「ヘエ、先だってはどうも…」 八「串戯《じょうだん》じゃァねえ。先だってがどうしたんだ。俺はそんなものに交際《つきあい》はねえ、狸に親類はねえよ」 狸「ヘエお忘れになりましたか。昨年の暮れでございました、貴郎《あなた》に命を助けていただきました狸でございます。今晩お礼ながらちょっと伺いました」 八「アヽ寺詣りの帰りに畑道《はたけみち》を通ったら、子供が大勢いるから、喧嘩《けんか》でもしているのかと思って傍《そこ》へ寄ってみたら、小《ちっ》ぽけな狸を捉《つか》めえて、捕縛《ふんじば》って苛《ひど》い目に遇《あ》わしているから、寺詣りの帰りでもあるし、助けてやったら仏の功徳《くどく》にもなるだろうだとと、子供に銭《ぜに》をやって助けてやったら、振り返り/\嬉しそうに逃げて行ったっけ、あの小狸が汝《てめえ》か」 狸「ヘエ、あの時の事が有り難いと思って忘れる暇がございません。お礼に出よう/\とおもいながら、ツイ無精《ぶしょう》をしておりますと、今日《きょう》親父《おやじ》が少し疝気《せんき》でもって寝ております…」 八「狸だけに疝気《せんき》だと云いやァがる」 狸「ちょっと来いと云いますから、傍《そば》へ行きますと、貴様は勘当《かんどう》してしまうとこう云うんで」 八「フーム、汝《てめえ》の方にも勘当だの廃嫡《はいちゃく》だのという事があるのか」 狸「ヘエ」 八「何か道楽でもしたのか」 狸「イエ親孝行をしております」 八「箆棒《べらぼう》めえ。いくら狸だって親孝行をして勘当《かんどう》される奴があるものか。第一|突然《だしぬけ》の勘当《かんどう》は酷《ひど》過ぎるらァ」 狸「私もそう思って、どういう訳で勘当《かんどう》するのだと、聞きましたら、貴様は命を助けていただいた大恩人を忘れちゃァ済むめえとこう云いますから、朝に晩に有り難いと思って、チャンと覚えておりますと云うと、馬鹿野郎となお叱《しか》られました。恩を忘れねえからといって、それで済む訳のものでない。なぜお礼に行ってご恩返しをしねえと、親父の理屈を聞いてみればなるほど此方《こっち》が悪いので…」 八「ご恩返し、俺は何も恩返しをされようと思って助けたんじゃァねえ。可哀想《かわいそう》だと思って助けたんだ。そんな義理立てはいらねえ」 狸「イエ私もご恩返しをしたいと思いながら、ツイご無沙汰をしておりましたと云うと、それだから貴様などはいかねえ。命を助けていただいてご恩返しをする事を知らねえ、貴様のような奴は人間にも劣ると云われました」 八「大変な事を云いやァがるな。恩返しというのは何をするんだ」 狸「別に仕様もございません。お疲れになった時に、肩でも叩いたり足でも擦《さす》ったり」 八「いけねえ/\。俺は人間にせえ肩や足を触られるのが嫌えだから、そんな真似をされちゃァ恩返しにならねえや。マア宜《い》いから帰ってくんな。自体俺は臆病だから、狸と一緒に居るのはいやだ」 狸「帰ると親父に叱られます。ナゼご恩返しをして来ないと勘当《かんどう》されてしまいます」 八「困ったなァ、じゃァマア居ても宜《い》いがな。俺の所は貧乏だから何も食い物がねえぞ」 狸「食い物なぞはどうにでも致します」 八「ウムそうか。マア二三日も居たら馴れてきて気味の悪い事もねえかも知れないが、昼間幾らも家《うち》へ朋友《ともだち》や何か人が来る。皆な口の悪い奴が揃《そろ》ってるから、あの野郎の所へ行くと何日《いつ》でも狸が膨《ふく》れッ面《つら》をして居るって、俺は八五郎という名だが、狸の八五郎なんて綽名《あだな》をされると困るからな」 狸「イエそれはご心配に及びません。なるたけ人の目の立たないようにしております」 八「親父に叱られるなら仕方がねえ、可哀想《かわいそう》だから居ても宜《い》いが、今云った通り食い物がねえよ」 狸「ヘエ食い物ぐらい自分でどうにか致します」 八「なにしろもう遅いから寝ねえ。其処《そこ》にヌッとして居られると、俺も寝難《ねにく》いから寝ちまいねえ」 狸「じゃァお先へ御免なさいまし」 八「オッ、縁の下へ入らねえでも宜《い》い。夜中に人の来る気遣いねえ、大丈夫だ」 狸「左様《そう》でございましょうが、畳が敷いてありますから…」 八「畳が敷いてあったって遠慮するな」 狸「遠慮は致しませんが、畳の上は冷えていけません」 八「ウフッ、畳の上は冷えていけねえって、云う事が皆《みん》な変わってやがる。やはり縁の下の方が宜《い》いのか。じゃァ勝手にしねえ…アヽ気味が悪いな…」  自体臆病な男だからあまり好《い》い心持ちは致しません。けれども昼の疲れがあるから横になるとグッスリ寝込んでしまいました。狸はまだ薄暗い中《うち》から起きて、掃除|万端《ばんたん》残らず行き届いて、 狸「親方々々…これでもう五度目だ。いくら起こしても起きねえ、人間は寝坊だなァ。死んでるようなものだ。親方…仕様がねえな、俺の方じゃァまた寝ていても起きてる、狸寝入りというくらいだから…親方々々」 八「ウム、ウム、アヽアーどうもスッカリ寝込んじまった」 狸「モウ起きなさい」 八「アッお向こうのお爺さんが。お前さんはまた早起きだからね。エーと…アヽそうか、昨夜《ゆうべ》変なことがあって、締《しま》りをしずに寝てしまった。そうだ/\…オヤ向こうのお爺さんかと思ったら見た事のねえ人だが、お前さんは何だえ」 狸「ヘエ昨晩の狸で」 八「アレッ、化けやがったな。こン畜生、恩を仇《あだ》で返すでえのは汝《てめえ》の事だ。恩返しをするなんて云いやがって、人を騙しやァがる」 狸「お静かに願います。騙した訳じゃァございませんが、昼間成るたけ目立たないようにと斯《こ》う思いまして、是《これ》でもなかなか心配して、先刻から種々《いろいろ》やってみました。丁度|貴郎《あなた》の年頃に似合った女に化けてみました、御長屋のお交際《つきあい》もあるし、突然《だしぬけ》に内儀《おかみ》さんが出来たら訝《おか》しいと思って、お婆さんに化けましたが、どうも巧《うま》くゆきませんから、いっそお爺さんの方が目に付かないで宜《い》いと思いまして…」 八「そうか、しかし爺さんにしちゃァ、肥《ふと》り過ぎてらァ」 狸「じゃァ少し痩せます」 八「そう自由にいくかえ」 狸「ヘエ、一寸《ちょっと》御覧なすって…」 八「アヽ痩せた/\、些《ちっ》と痩せ過ぎた…オットットその位で宜《よ》かろう。先刻《さっき》顔が向こうの爺さんによく似ていたが、少し変わって来たぜ」 狸「ヘエ時々変わります」 八「いけねえや。時々変わっちゃァ、毎日同じ爺《じじい》でなけりゃァ。八公の所にいろ/\な爺《じじい》がいるなんて云われると困るから」 狸「そうでございますか。それは少し面倒で…」 八「精々面倒を見てくれ、何時《いつ》の間にか馬鹿に家《うち》が綺麗になったな」 狸「貴郎《あなた》は随分無精だと見えて汚のうございました。今朝薄暗い時分から起きてお湯を沸かして悉皆《すっかり》掃除をしてしまったんで、好《い》い心持ちになりました。それからまァ面《かお》を洗って手を浄《きよ》めて御飯を焚《た》いてお汁《つけ》を造《こし》らえて、煮豆に納豆を買って、ついでに梅漬けの生姜に沢庵と名漬けの御漬物を買って来ました」 八「アレ串戯《じょうだん》をするない。俺の所は米も碌《ろく》になし…」 狸「エー一粒もありません」 八「薪《まき》も何もねえ、第一|銭《ぜに》がねえや」 狸「エー訳ェございません」 八「訳ぇねえって何《ど》うした」 狸「火鉢《ひばち》の抽斗《ひきだし》を開けたら手帳がありましたからそれを破って使いました」 八「手帳を破ってどう使った」 狸「その紙が一寸《ちょっと》札《さつ》や何かに見えます」 八「フーン、それで皆《みん》な買ったのかえ」 狸「ヘエ、剰余銭《おつり》が此所《ここ》に沢山取ってあります」 八「手帳の紙で剰余銭《つりせん》を取ったのか…大変にあるなァ」 狸「ヘエ、これは米屋の剰余銭《おつりせん》で、これが薪屋《まきや》の剰余銭《おつりせん》、これは鰹節屋《かつぶしや》の剰余銭《おつりせん》」 八「鰹節《かつぶし》まで買って来たのか。こいつァ剛儀《ごうぎ》だ。何しろ実に能《よ》く働いてくれて第一綺麗《きれい》になって有り難え、アヽ成程《なるほど》薪《まき》が大層あるな」 狸「ヘエ其処《そこ》に積んで置きました。退屈で仕様がないから、諸方《ほうぼう》の薪屋へ幾度も行って、その度《たび》に剰余銭《つりせん》を取って二束ずつ買って来たんで…札《さつ》はその時だけで直《じ》きに元の紙になっちまいますから、幾度も行くと露顕《ろけん》します」 八「成程《なるほど》、此辺《ここら》の薪屋にこれだけ積んである家《うち》はありゃしねえ、大層なものだ」 狸「御長屋へ一束ずつ遣《や》りましょうか」 八「そんな事をしねえでも宜《い》…こりゃァ貧乏人は女房を持つより狸を飼っといた方がよっぽど徳用だ。当分俺の家《うち》へいてくれ。生涯いたって宜《い》い。重宝なものだ」  八五郎顔を洗ってお汁《つゆ》で御飯を食べてしまって、 八「時に狸公や、人間というものは貧乏で意気地のねえものだと思うか知らねえが、俺は独身者《ひとりもの》でツイ怠け癖が付いてるもんだから、借金も幾らか出来た。中に越後から来る縮屋《ちぢみや》に四円|若干《なにがし》、五円近い借りがありんだ。貴方《あなた》のだけ戴《いただ》けないために宿屋で無駄飯を食べていると云って、蒼蝿《うるさ》く催促に来やァがるんだが、今日も来るに違えねえから、お前一つ新聞|紙《がみ》か何かで札《さつ》を造《こしら》えといてくんねえな」 狸「エーそれが長い間札に見える訳にゆかないんで、直《じ》きに元の紙になっちまいますから、持って帰って新聞|紙《がみ》か何かになってると、これは怪《あや》しいというので貴所《あなた》が警察へでも連れて行かれるような事になると、私の御恩返しが無駄になりますから」 八「ウム、人間より考えが深《ふけ》えな。なるほど…それじゃどうだい。何か化かす工夫で、俺のところへ一軒置いた隣に馬鹿に貧乏人があるが、間違えて向こうへ催促に行くというような事にしたら…」 狸「いけません。第一そんな化かし方は面倒でございます」 八「面倒だろうがやっておくれ。それでなければ、モウ少し諸方《ほうぼう》から剰余銭《つりせん》を集めて来て貰いてえな」 狸「ナニそんな事をしないでも、その人が来たら私が札に化けて先方《むこう》へ行きましょう」 八「お前《めえ》が札になれるかえ」 狸「エヽ札や銀貨にはチョイ/\なっております。幼《ちい》さい時によくやって親父に叱られました」 八「何で叱られた」 狸「夜の十一時過ぎになって往来の点燈《あかり》の下なぞに札や銀貨になって転がってるんで、欲張ってる奴が拾おうとして手を出すと、引っ掻いて逃げ出すんで、なかなか面白うございます」 八「悪い戯《いたず》らをするな」 狸「幼《ちい》さい時には随分そんな事をしました」 八「じゃァ一ツやってくれ、一円札で五枚…」 狸「それはいけません、一人だから一枚でなくっちゃァ、別々にはなれません。どうしても五枚でなくっていけなければ朋友《ともだち》を連れて来ますけれども」 八「朋友《ともだち》なんか連れて来ちゃァいかねえ。それじゃァ五円札で宜《い》い。剰余銭《つりせん》は要らねえといって皆なやっちまうから」 狸「いっそ百円札になって、剰余銭《つりせん》を貰いましょうか」 八「突然《だしぬけ》に百円札なんか出すと、それこそ怪しまれる。モウ来るよ、毎日々々明日《あした》々々と延べてあるんだから…不意に家《うち》を開けられて、アワを食って化け損なうといかねえ。モウソロ/\化けてくんな」 狸「それじゃァ私が引倒《ひっくり》返りますから、貴郎《あなた》手拍子を拍《う》っておくんなさい」 八「ヨシ、いいか、一《ひ》の二《ふ》の三《み》ッと…オヤ何処《どこ》かへ行っちまやァがった、ナニ札《さつ》なぞになれるものか、瞞着《だまか》して逃げちまやがったのだろう」 狸「親方々々」 八「アレ、何処《どこ》かで呼んでやがる。何処だ狸公《たぬこう》」 狸「ヘエ」 八「アヽ、こりゃァ汝《てめえ》か。そうか、無暗《むやみ》に口を利くな」 狸「大丈夫」 八「不思議なものだなァ…アヽいけねえや。裏に毛が生えてるぜ」 狸「表だけ、ちょっと見本にご覧に入れたので」 八「見本か。裏も一つ…うめえ/\何だか少し横が長えやうだな。オット/\それじゃァ詰まり過ぎた。よし其処《そこ》だ。おめえ/\しかし札《さつ》になると量目《めかた》まで軽くなるのは剛気《ごうき》だなァ」 狸「アヽ畳んじゃァいけません。苦しゅうございます」 八「苦しかろうが我慢をしろ」 狸「渡すまで広げておいておくんなさい」 八「よし/\。うめえものだ、モウ来るだろう」 縮屋「御免下さいまし」 八「アヽ来た/\、今朝は来るだろうと思ってチャンと都合をして待っていた。五円だ。剰余銭《つりせん》は要《い》らねえ」 縮「ヘヽどうも済みません。皆《みんな》戴きませんでもせめて宿賃の足しにと存じておりましたので、余分に頂きましては…」 八「江戸ッ子だ。無《ね》え時にゃァ遣《や》れねえけれども、有りせえすりゃァ半端に遣《や》るんじゃァねえや。ソーッと納《しま》いな。余り酷い事をすると食い付かれるよ」 縮「エーッ」 八「肝を潰さねえでも宜《い》い。そうやたらに引っ繰り返しなさんな。可哀想だから…何も怪しい所はありゃしめえ」 縮「ヘエ確かに頂戴致しました」 八「じゃァ面倒でも受取を置いてってくんな。どんなに懇意《こころやす》い者でも銭金は他人という事がある。後で取らねえなぞと云うといかねえから…」 縮「ヘエ有り難う存じます。こう皆《みん》な戴けるとは思いませんでした。どうも有り難う存じます」 八「気を付けて行きなよ、宜《い》いかえ、…アヽ行っちまやァがった。キョロ/\しやァがって、幾度も引っ繰り返して見やァがるから、どんなに心配したか知れねえ。とうとう真正《ほんもの》の札《さつ》と思って縮屋めえ狸を懐中《ふところ》へ入れて喜んで帰《けえ》った。どうだろう露顕《ろけん》をして殺されると罪を作る基《もと》だが、…アヽ肝を潰した。モウ行って来たのか」 狸「ヘエ途中から逃げて来ました」 八「あんまり早えじゃねえか、どうした」 狸「どうも驚いちまいました、彼所《あすこ》の路次《ろじ》の入口の処《ところ》へ立ち留まったからどうするかと思うと、札《さつ》を出して見ていました」 八「札《さつ》というと汝《てめえ》だな」 狸「ヘエ広げて透かしてみたり、引っ張ってみたり種々《いろん》な事をしやがるんで苦しくって仕様がありません。それでも我慢をしていると、丁寧に四つに畳んで紙入《かみいれ》の中へギュッと押し込んでしまったんで…」 八「そいつァ困ったろう、どうして逃げ出した」 狸「紙入《かみいれ》を食い破って来ました」 八「そんな事がよく出来たな」 狸「ヘエ、どうせ逃げ出すついでだから紙入《かみいれ》の中に幾らかあるなら、持って来ようと思いましたら、宿屋へ置いたとみえて、一円札がたった二枚しかありません。お小遣いに持ってきました 」 八「ヘエー、札《さつ》が札《さつ》を持って来たのか、有り難え/\、どうもうめえもんだな」 狸「ヘエ年は若いがなかなか性《たち》が宜《い》いと、仲間にも褒《ほ》められております」 八「自慢をしていやァがる。恩返しとは云いながら、汝《てめえ》に大変に骨を折らした。俺も土産の一つも持たして親父の所へ帰《けえ》してえが、何を云うにも先立つものは金だ。ついちゃァ俺の行く寺の和尚がこの頃茶の湯に凝ってお前は世間が広いから、諸方《ほうぼう》歩いてるうちに、格安の釜が見当たったら世話をしてくれと云われているんだ。なんでも先方《むこう》で好んでるのはヅンドという型の釜の沸きが早くって宜《い》いと云ってる。一つその釜になってくれめえか」 狸「ヘエ宜しゅうございます」 八「飯を炊く釜じゃァねえよ、茶の湯の釜だよ」 狸「エー茶釜なら文福《ぶんぶく》というのが私の先祖で」 八「また自慢をして居やがる、釜に一つなってくれ」 狸「どうか手拍子を願います」 八「宜《よ》し、一《ひ》の二《ふ》の三《み》つ…そう膨らんではいけねえ、俺が手で撫《な》でるからその形になってくんねえ…そうだ/\、うめえ/\、飴細工《あめざいく》みたように自由になる、旨《うめ》えけれども何だか淋しいな、アッ環《かん》を付ける所がねえ…そうだ、可《よ》し/\環がねえな…、ナニ、別にするには朋友《ともだち》を連れて来るって、そりゃ困るよ、じゃァいゝや、環は忘れて来たから後で届けるとでも云っておこう、もう少し小ぶりになると申し分がねえな。アヽ重いな、鋳物《かなもの》だから矢張《やっぱ》り重くなければいかねえってそれはそうだ。札《さつ》の時には軽くなるし、なかなか器用のものだ…エー御免下さいまし、和尚様はお在《いで》でござますか…」 和尚「オー之は/\、さアどうぞ、此方《こっち》へ…」 八「エー此間《こないだ》お話がございました釜の手頃のが他《わき》に払い者でございましたから一寸《ちょっと》借りて参りましたが、如何《いかが》で…」 和「アヽそうかえ、それは早速拝見しよう…成程《なるほど》これは家《うち》にあるのより、少し小振りだな」 八「ヘエ、まだ大きくもなります」 和「エー大きくなるというと、まだ外《ほか》にもあるとお云いか」 八「ヘエ左様でございます」 和「イヤ小ぶりの方を好むので、これならば思い通り。お急ぎでなくばマァ緩《ゆっ》くりなさい。御茶を一つ御馳走しよう。イヤどうも誠に手頃で気に入った。一寸《ちょっと》試してみるから…アヽ弁長《べんちょう》や、これへ水を入れてな。イヤ湯だけ沸けば宜《い》いのだから、その火鉢へもっと炭をついで…」 八「エー和尚さん何《ど》うなさるんで…」 和「イヤ一寸《ちょっと》火に掛けて試してみる」 八「それはいけません」 和「いけないと云うは瑕《きず》でもあるのかえ」 八「何《ど》う致しまして瑕《きず》などはございません」 和「それなら試してみるに差し支えあるまい」 八「ヘエ、じゃァまた私は上がります」 和「また上がると云って、用がないなら少しお待ちなさい」 八「イエ一寸《ちょっと》行って参ります、直《じき》にまた伺いますが、如何《いかが》でございましょう。先手《むこう》では手放す位でござますから、甚《ひど》く金を急いでおりますが…」 和「アヽお金を急ぐそうかえ。沸《にえ》を試してみてから値《ね》を聞こうと思っていたが、如何程《いかほど》だね」 八「左様でございます。先方《むこう》で申しますには…円位と云うので」 和「どうも分からんな。判然《はっきり》云って貰いたい」 八「ヘエ、何《ど》うでございましょう…円位」 和「ハア十円かえ」 八「ヘエ、十円/\」 和「手間は取らせない。沸《にえ》を試した上で…」 八「でございましょうが、些《ちっ》と急ぎますから…」 和「じゃァこうしよう。気に入ったら十円即金で上げる。兎《と》に角《かく》半分だけ持ってお出《い》で」 八「どうも有り難う存じます。左様なら後刻《ごこく》」 和「何だか気忙《きぜわ》しい人だの。わざわざ持って来た位で少しの間が待てないで行ってしまった…弁長《べんちょう》釜へ水を入れたかえ、何を見ている」 弁「エヽ何だか先刻《さっき》から見ると少し大きくなりましたようで」 和「ナニ大きくなる訳がない。水を入れたら火へ掛けなさい、どうも火の熾《おこ》りが悪いな。どうも困るな。炭を湿《しめ》らしてしまって、仕方がない。下へ煽《あお》ぎなさい。火が鈍《とろ》いと沸《にえ》が遅い。アヽそうパタ/\煽《あお》ぐな、灰が立っていかん」 狸「納所《なっしょ》」 弁「オヤ」 和「何だ」 弁「誰か納所《なっしょ》/\と云います」 和「貴様は弁長《べんちょう》という名がある。誰も納所《なっしょ》などゝ云うものはない」 弁「エー花屋のお爺さんが御小僧さん/\と云いますが納所《なっしょ》なんてものは一人《ひとり》もありません」 狸「納所《なっしょ》」 弁「アレまた云います」 和「何所《どこ》で」 弁「此所《ここ》でございます」 和「此所《ここ》でいう訳がない」 弁「アヽ表の煙草屋の小僧が、よく私の事を納所《なっしょ》/\と云います。小僧が何所《どこ》かに隠れていて揶揄《からから》んでございましょう」 和「そうか、悪い奴だ」 狸「納所《なっしょ》、熱い」 弁「オヤ納所《なっしょ》熱いと云いました」 和「成程《なるほど》何か云ったな」 弁「この釜のようで」 和「馬鹿を云え。釜は湯が沸《たぎ》れば鳴るけれど、納所《なっしょ》熱いなどゝいうものか」 弁「でも不思議でございます」 和「不思議という事はない。心の迷いだ。仏門に入っているものはそんな事を云ってはいかん。乃公《わし》が煽《あお》いでみよう。それで何か云えば訝《おか》しい」 狸「住寺《じゅうじ》」 和「オヤ、何でそんな声を出す」 弁「私は何も云やァしません」 和「嘘をつけ、住寺《じゅうじ》と云った」 弁「そんな事を云やァしません」 和「ウム解《わか》った。あまり水を一ぱい入れたので、湯気が蓋《ふた》へ溜まって下へ廻る。それでジュウと云うのが住寺《じゅうじ》と聞こえたのだ。イヤ確かにそうだよヤァこれはいかん。成程《なるほど》この釜は変だ。何を彼奴《あいつ》持って来たか。怪しい釜だ。煽《あお》げ/\、ドンドン煽げ煽げ」  パッパ煽《あお》ったから耐《たま》りません。灰神楽をあげて飛び出した。ソレ釜が化けたと坊主頭へ鉢巻《はちまき》をして納所坊主《なっしょぼうず》が、棒を持って追い掛ける。 和「コレ/\、とても捉《つか》まらんから止《よ》せ。しかし何だな彼《あり》ゃァ」 弁「本堂の脇へ追い詰めた時に見ましたら狸でございます」 和「狸だ。ウムそれでは半金《はんきん》騙《かた》られたか」 弁「包んだ風呂敷が、八丈《はちじょう》でございました」