薙刀傷(なぎなたきず) 八代目桂文楽  泥棒をする奴などに碌《ろく》な者はありませんが、しかしこれがまるっきりの馬鹿ではいけない。なにしろ人の家へ忍び込み、蔵《しま》ってある物を盗み出すのですから、少しは腕前もなければならず、智恵も絞らなければならない。ところが疎忽《そこつ》で近眼《ちかめ》などと来たらとても良い仕事は出来ません。 泥「ウムしめ/\、昼間あたり込んだ時にゃァ、こんなに雑物《ぞうもつ》があるとは思わなかったが、家中|物品《しなもの》でいっぱいだ。有り難えなァ。前桐《まえぎり》か総桐《そうぎり》か分からねえが、箪笥《たんす》が二|棹《さお》、床の間に掛物、違い棚に置き物、用箪笥《ようだんす》に夜具棚《やぐだな》、キチンと揃っている。この様子じゃァ、ウンと着物《きもの》があるよ。遠慮なしに頂戴《ちょうだい》をして行こう。まずこの箪笥の抽斗《ひきだし》を開けて……オヤ、環《かん》へ手が掛らねえ。この頃は仕事が巧者《こうしゃ》になってるから。こりゃァ環《かん》が押し込んであるんだ……それにてもチット堅過ぎるな。ナニー構わねえ。こじって引っ張り出せ……、アッ環《かん》か破けた。なんだ紙の箪笥《たんす》だ……。アーこりゃァ皆な画《え》だ、ハヽア芝居の大道具だ。なるほどこいつァ巧《うめ》えなァ。イヤ感心している所でねえ。野郎|太《ふて》え奴だ。芝居の道具立てで人を詐欺《ペテン》に掛けやがった。畜生訴える……という訳にもいかねえ。あんまり揃い過ぎてると思ったよ。泥棒に近眼《ちかめ》はいけねえといったがまったくだなァ。しかし忌々《いめいま》しい。何か盗んでくものはねえかしら。待てよ、こうやって道具立てを列《なら》べて、雑物《ぞうもつ》を持っているつもりでいるんだから、此方《こっち》も折角《せっかく》入ったんだ。盗んだつもりで帰ろう。まず隅《すみ》の箪笥《たんす》の一番下の抽斗《ひきだし》へ手を掛けたつもり、スーッと明《あ》いたつもり、絹布物《やわらかもの》がウンと入ってるつもり、残らずここへ出したつもりと。下から二番目の抽斗《ひきだし》へ手を掛けて、これも明《あ》けたつもり。一番上も二番目も残らず抽斗《ひきだし》ごと、打《ぶ》ち撒《ま》けたつもりと、背負《しょ》い切れねえほど盗んだつもり、五布風呂敷《いつのぶろしき》を広げたつもり、大きな包みを造《こし》らえたつもり、左様《さよう》ならとも何ともいわずに背負《しょ》い出したつもりと、ウーンドッコイショと。重たいつもり……」  所へ眼《め》を覚ました主人《あるじ》がこの様子を見て、 主「オヤ/\泥棒が入ったな。何か置いてくかしら……。なんだ、盗んだつもりだッて。ウフッ、洒落《しゃれ》た泥棒があるもんだ。待て/\、対手《あいて》が盗んだつもりだてえのに此方《こっち》が黙ってるのも洒落気《しゃれっけ》がねえ。追っ駈けたつもりをしてやろう。まず夜具《やぐ》を刎《は》ね退《の》けてガバと起き上がったつもり、手早く尻《しり》を端折《はしょ》ったつもり、鉢巻《はちまき》をしたつもり、襷《たすき》を掛けたつもり、長押《なげし》に槍《やり》があるつもり、リュウ/\と二三|遍《べん》扱《しご》いたつもり、泥棒待てッ声を掛けたつもり、脇腹《わきばら》を狙ってズブリ突っ込んだつもり」 泥「アッ痛《いて》え。突かれたつもり」 主「こん畜生、抉《えぐ》ったつもり」 泥「ウーム、ダクダク/\/\……」  暢気《のんき》な奴があったもので……。こんな泥棒ばかりなら、さのみ怖《おっ》かないとも思いませんが、世の中が進むにつれて、賊《ぞく》の方でも段々手段を周《めぐ》らし、殊《こと》に思想が変化するに従って、その振る舞いが獰悪《どうあく》となり、惨酷《ざんこく》のことをする奴が流行いたしますのは誠に嘆かわしいことで、思想の変化といえば、男女の恋愛などということも昔と今とは違って参りました。婦人の貞操観念の如《ごと》きも次第に薄らいで参り、甚だしいのは亭主が死ぬ。葬式の支度《したく》最中に次の亭主を選択するなどというのもなくはございません。しかしその中にまた寺内大尉夫人ような夫を慕って殉死を遂げられたという珍しい御婦人もありますから、あながち一様には申されませんが、とにかく昔と違って恋煩《こいわずら》いなどのなくなりましたのは智識《ちしき》が進歩したのか、浮薄《ふはく》になったのか分かりません。婦人ばかりではない男子《だんし》としても、昔の堅い御家《おうち》の息子さんなどは柔和《おとなし》く育てられているから。今の学生さんのように活発なことが出来ない。従って内気にばかりなって、思うことも口に出していう事が出来ないといったような訳で、お年頃になると、よくこの気欝《きうつ》という病《やまい》に閉じられます。 主人「オイ忠蔵《ちゅうぞう》や。倅《せがれ》がこの頃|碌《ろく》に御飯も食べず、段々|痩《や》せるばかり。たった一人の倅《せがれ》で誠に心配でならない。お医者も私達の前へは判然《はっきり》したこともいってくれないが、お前何か聞いたことはないかえ」 忠「ヘエ。じつは若旦那の御病気について、甘井養漢《あまいようかん》先生の御診断では労咳《ろうがい》のようなことも内々《ないない》伺いましたが。どうも私の考えでは恋病《こいわずら》いではないかと思います」 主「そうかい。それは無情《むじょう》の草木《そうもく》でも、春が来れば花が咲く。人間も年頃になれば、その気の出るのは当然《あたりま》えだが、しかし忠蔵《ちゅうぞう》、家《うち》の倅《せがれ》などは、親の目から見ては、カラ子供で、まだそんな気の出るような様子はないがな」 忠「イヤ旦那、それだから困ります。若旦那だって何時《いつ》までも子供じゃァお在《いで》なさいません。三年経ちゃァ三歳《みつつ》になります。桃栗三年柿八年|柚《ゆず》九年で成りかゝるてえ譬《たとえ》もあります」 主「大層、水菓子を列《なら》べるね」 忠「別に水菓子を列《なら》べる訳じゃァございませんが。無情《むじょう》の草木《そうもく》でも春が来れば花が咲くということをお心得なら、その時が来れば、実の成ることも御承知でございましょう。モウ若旦那は、子供じゃァございません。立派な御年頃で、その気の出るのは当然《あたりま》えでございます」 主「なるほど大きに道理《もっとも》だ。しかし恋病《こいわずら》いというと、何かソノ想《おも》い込んだ女もあるのかな」 忠「そりゃァなくって恋病《こいわずら》いをする気遣《きづか》いありません」 主「その対手《あいて》というのをお前知ってるかえ」 忠「知ってるというほどでもありませんが、少しばかり心当たりがございます。私が先達《せんだっ》て若旦那の御供《おとも》で不動様へ御参詣に参りました時、じきこの先で出遇いましたのが、年の頃十七八、それとも十九か二十《はたち》、二十一か二か三か……」 主「どこまで行くんだ、十七八か二十二三かといったら大変な違いじゃァないか」 忠「マアお聞きなさいまし。その娘さんが、実に天人が天降《あまくだ》ったかと思うような美人なんで、スルと若旦那がポーッとして往来へ立ち留まって、その娘の後ろ姿に見惚《みと》れておいでなさいましたが、それからの御病気で……」 主「ハア!そんなことがあったのかえ。しかしどこの娘だか分かるまい」 忠「ところが私が知っております」 主「それは幸いだ。何所《どこ》の娘さんだえ」 忠「じきお宅から一丁半ばかり先の右側で、薪屋《まきや》と豆腐屋の裏で、突き当りの棟割長屋《むねわりながや》、岩田角左衛門という御浪人の娘で……」 主「それは困ったな」 忠「何が困りました」 主「何が困ったといって、先方《むこう》が商人《あきんど》なら此方《こっち》も商人《あきんど》。同業なればどうにか話を着けて、娘を嫁に貰うが、対手《あいて》が武士《さむらい》では一寸《ちょっと》話か追い付くまい」 忠「イエ、それは私が話を着けて参ります」 主「お前が」 忠「ヘエ、私はそういう掛け合い事は名人で……」 主「自分でいうのはあまり的《あて》にならない」 忠「イエ私が万事|噛《か》み込《こ》みました」 主「噛《か》み込《こ》むというのは可笑《おかし》いな。呑《の》み込《こ》むだろう」 忠「それでも呑《の》み込《こ》むには充分に噛《か》み込《こ》まなければいけません」 主「丁寧だね」 忠「早速私が先方へ話して参ります。娘の阿父《おとっ》さんは夜表通りへ出て、売卜者《うらないしゃ》をしておりますが、よほどのようですから、お土産は品物より御金を十両ばかり持参いたしましょう」 主「なるほどその方が宜《よか》ろう」 忠「私が金と弁舌で、うまく先方を煽《おだ》てて、娘を貰うように致します」 主「じゃァ何分《なにぶん》頼むよ」 忠「宜《よろ》しゅうございます……。アヽ此所《ここ》だ、岩田角左衛門、標札《ひょうさつ》は立派だなァ……。ヘエ御免下さいまし」 角「ドーレ」 忠「オッ、ドーレという家《うち》じゃァない。……エーお初に御目に掛かります。私は横山町二丁目丹波屋善兵衛という小間物屋の手代|忠蔵《ちゅうぞう》と申ます。少々先生に御願いがあって出ました」 角「アヽ左様か。拙者は岩田角左横門という未熟者、失礼でこざるが、構わず此方《こっち》へお通り下さい」 忠「ヘエ御免下さいまし」 角「シテ御用の趣きは如何《いか》なる儀《ぎ》で……」 忠「エー早速でございますが、手前若主人徳三郎、事長《ことなが》の病気で……」 角「なるほど、若御主人、長病《ちょうびょう》について、いずれの方角の医者に掛かって宜《よ》いか、見て貰いたいという御頼みかな」 忠「イエ、そういう訳ではございません。失礼ながら当家《こちら》のお嬢さまはお幾歳《いくつ》で……」 角「されば、当年十八歳に相成るが。それが如何《いかが》いたした」 忠「ヘヘエ、誠に申し難《にく》いことでございますが、実は若主人が、当家のお嬢さんに恋焦《こいこ》がれての病気。手前の方は吹けば飛ぶような商人《あきんど》。貴所様《あなたさま》は貴い御武家様のことゆえ、とても尋常ではお願い申すことは出来ないが、お前から先生のお袖に縋《すが》って、お嬢さんをお嫁に戴けるようお願い申して来いと主人より言い遣って参りましたやよな訳で、ついては何かお土産をと存じましたが、どういう物が先生のお口に合いまするか分かりませんゆえ、これへ金子《きんす》十両持参致しました。どうか御納めを」 角「ハヽア、それでは何でござるか。貴殿の若主人が、拙者の娘に恋着《れんちゃく》して病気となった。それゆえ金《きん》十両にて、娘おつるを嫁にくれえとの仰せでござるか」 忠「ヘエ、マアく早く申せば左様でございます」 角「黙らっしゃい」 忠「ヘエ」 角「岩田角左衛門は今日《こんにち》浪人すればとて武士であるぞ。たとえ餓死するとも、金銭を以て娘は売らん。つる、刀を出せ、サァ忠蔵《ちゅうぞう》とやら、それへ直れ、真っ二ツにしてくれる」 忠「エッ、ドヽどうぞ御勘弁。南無妙法蓮華経《なみみょうほうれんげきょう》……」  忠蔵驚くまいことか。夢中で跣足《はだし》のまゝ逃げ出しました。 忠「アヽ驚いた。何だいアノ爺《おやじ》、頑固にも程があらァ。買いたての下駄を置いて来てしまった。……ヘエ只今」 主「オイ/\、どうしたんだ。跣足《はだし》で飛び込んで来て、そのまま昇《あが》っっちゃァ仕様がない」 忠「どう致してお構ひ下さるな。此方《このほう》が勝手で……」 主「何をいってるんだ、串戯《じょうだん》じゃァない。どうしたんだ」 忠「ヘエ旦那、私の首は付着《くっつ》いておりますか」 主「首は何ともない」 忠「なるほど、撫でて見て、あるから大丈夫ですな。どうも先方《さき》の親父の頑固にゃァ驚きました。金子《きんす》十両で娘を売れというか。イエそういう訳じゃァございませんと、いうかいわない中《うち》に、それへ直れ、真っ二ツにすると恐ろしい権幕《けんまく》に、下駄を穿《は》く間《ま》もなく、逃げ帰って来ました」 主「お前|先刻《さっき》スッカリ噛《か》み込《こ》んで行ったじゃァないか」 忠「ヘエ。噛《か》み込《こ》み過ぎて尻《しり》から抜けてしまったんで……」 主「イヤ俺《わし》もそうだろうと思った。全体|倅《せがれ》が良くない。そんな我儘《わがまま》な病気を発《おこ》すから、お前達にまで心配を掛ける。婆《ばあ》さん奥へ行って、倅《せがれ》にそういいなさい。縁談は纏《まと》まらないから、諦めて舌でも噛み切って死んでしまえと……イヤ忠蔵《ちゅうぞう》、種々《いろいろ》お世話。しかしお前ではないが、随分世間の奉公人には有り勝《が》ちのことだ。主人の前を宜《い》い酔いようなことをいい、先方へ行っても宜《い》いようなことをいい 間へ入って十両でも何でも瞞着《ごまか》すなんてえ奴が、世間の奉公人にはあり勝《が》ちでな……」 忠「アヽモシ旦那。お言葉ではございますが、私は人を瞞着《ごまか》して金儲けなんぞする量見《りょうけん》はありません。宜《よろ》しゅうございます。モウ一度参って、何でも話を着けて参ります。少々お待ちなすって。驚いたな。先方《むこう》へ行きゃァ抜き身で脅かされ、家《うち》へ帰れば旦那に皮肉なことをいわれるし、大変なことを受け合っちまったな。あんまり手軽に噛《か》み込《こ》んだのが悪かった。……ヘイ御免下さい……」 角「また参ったな」 忠「ヘエまた参りました。……ツイ私の申し上げようが悪うございました」 角「諄《くど》いッ。何をゴテ/\いう」 忠「ヘエ」 角「あくまで武士を嘲弄《ちょうろう》いたすか。サァそれへ直れ」 忠「ヘエ、……モウ往《い》けません。抜けました。腰が抜けました。動けと仰っても動けません」 角「グズ/\いわんでそれへ直れ」 忠「直っております。モウ外《ほか》に直りようはございません。二ツにでも四ツにでもなすッて下さいまし。ただ一言、臨終《いまわ》の際《きわ》に私の申し上げますことをお聞き入れを願います」 角「ウム、何なりとも聞き届けて遣《つか》わす。早う申せ」 忠「ヘエ、先刻《さっき》も申しました通り、若主人が当家《こちら》のお嬢さんに恋焦がれての病気。私が死んだ跡《あと》御不足でも若い主人とお嬢様との縁談をお聞き済みを願います。私の命は捨てますが、若主人の命は助けとうございますから、どうかこの儀《ぎ》を御承知下さいまし」 角「ウーム天晴《あっぱれ》だな」 忠「ヘエ、かっぽれを踊りますか」 角「何を申す。感服したな」 忠「按腹《あんぷく》をなさいますか」 角「そうではない。我が命を捨てゝも、若主人の命を助けたいという、汝《なんじ》の忠義感心いたした。その忠義の志《こころざし》に愛《め》でて明日《あす》ともいわず今日《こんにち》只今、其方《そのほう》主人の所へ娘を嫁に遣《つか》わすぞ」 忠「ヘエ下さる、有り難いッ……。アー腰が立ちました」 角「重宝な腰だ。ついては誠に赤面の至りではあるが、雨続きのため渡世《とせい》を休み、当方|手許《てもと》不如意《ふにょい》であるからこの金子《きんす》は受納《じゅのう》いたしておく」 忠「ヘエどうぞお納めを……」 角「それから貴公《きこう》の前で申すも如何《いかが》だが。モソット確《しっ》かりと致した人物を両名ほど中へ入って貰った方が他日《たじつ》のため宜《よろ》しかろうと思うが」 忠「御道理《ごもっとも》様で、一番番頭と抱えの頭《かしら》を改めて差し出します。左様ならば何分《なにぶん》宜しく……。ヘエ只今」 主「アヽ、忠蔵《ちゅうぞう》帰って来たか。どうだまた脅かされて来たろう」 忠「ヘエ、嚇《おど》かされもしましたが、その代り話を纏《まと》めて来ました。すでに手打ちになる所、私は命を捨てても構いませんが、若主人の命が助けとうございます。私の死んだ後《のち》に、当家《こちら》のお嬢さんをお不足でも若主人の御嫁にお上げなすって下さいましというと、私の顔をジッと見てカッポレを踊れッ」 主「何だい」 忠「按腹《あんぷく》をいたした」 主「何をいってるんだ」 忠「私の忠義が気に入って、明日《あす》とも云わず、今日《こんにち》只今、主人の所へ娘つるを嫁に遣わすと仰いました。どうぞ御安心なすって……」 主「ソリヤ忠蔵《ちゅうぞう》真正《ほんと》か」 忠「なんで嘘を吐《つ》きましょう」 主「それは忝《かたじけな》い。早速奥へ行って倅《せがれ》にそういってくれ」 忠「ヘエ宜《よろ》しゅうございます……。エヽ、若旦那」 徳「アヽ忠蔵《ちゅうぞう》か。話が纏《まと》まらないというから、今夜にも舌を噛み切って……」 忠「オットット、若旦那、死んじゃァいけませんよ。私が二度目に行って段々話をしましたら、先方の親御もスッカリ得心して、嬢《じょう》さんが今夜にも此方《こちら》へお嫁に来ることになりましたから、貴所《あなた》確《しっ》かりして下さらなくっちゃァいけません」 徳「忠蔵《ちゅうぞう》、それは真正《ほんとう》か」 忠「なんで嘘を吐《つ》くもんですか」 徳「そうかい、それで私も安心した。モウ死ぬどころじゃァない。ネー忠蔵《ちゅうぞう》」 忠「ヘエ」 徳「急にお腹《なか》が空《す》いたから鰻丼《うなどん》を五ツばかり」 忠「何ンですえ……」  こゝで若主人徳三郎は、薄紙を剥《は》がすやうに日に/\元気回復を致して忽《たちま》ち病気全快し日を選んで婚礼。夫婦仲も睦《むつ》まじく、両親も安心をして若夫婦に世帯《しょたい》を譲り、じき傍《そば》へ隠居所を設けて誠に気楽に余生を送っております。スルとこのお嫁さんが来て丁度三年目の秋の事、ある夜宵《よよい》から雨が降って、世間も静かゆえ、店を早仕舞にして、家内残らず寝《やす》みました。ところが若夫婦の寝所《しんじょ》と店との間が中庭になって、一寸《ちょっと》隔たっております。かれこれ八ツというから当今《ただいま》の午前二時頃、表の潜戸《くぐりど》をこじ開けて黒扮装《くろいでたち》で各々抜き身を引っ提げたる賊《ぞく》が三人押し入りまして、番頭、若い衆、小僧に至るまでグル/\巻き、その騒ぎを奥では些《ちっ》とも知りません。やがて賊は奥へふん込んで参りまして、よく眠《ね》ている若主人の横面を刀の平《ひら》でピタリ/\と打ちました。徳三郎目を覚まして見ると右の次、ビックリして妻のおつるを揺《ゆ》すり起こすと、大概の婦人ならキヤアとかスーとか声を立てるのでございますが、流石《さすが》は武家のお嬢さん、ビクとも致しません。夜具《やぐ》を刎《は》ね除《の》け、スクッと起《た》ち上がり、寝巻《ねまき》の紐《ひも》を締め直した。 甲「ヤイ野郎、この横山町で一二を争う金満家ということを聞いて来たんだ。有り金残らず出しちまえ。ヤイ阿魔《あま》、金《かね》のある所へ案内しろ」 つる「ハイ只今御案内を致しますから、少し御待ち下さいまし」  と悠々と落ち着きはらったおつるは、雪洞《ぼんぼり》へ明火《あかり》を点じ つる「どうぞ此方《こちら》へお出でを願います」  と土蔵の前へ三人の賊を連れて参り、 つる「これにて少々お待ち下さい。只今土蔵の中から金子《きんす》を持って参りますから……」  三人の賊を土蔵前へ待たしておいて、中へ入ったおつるさん、暫《しばら》く経つと出て参りました。その扮装《いでたち》を見ると、後ろ鉢巻、襷十字《たすきじゅうじ》に綾《あや》どり、小褄《こづま》を絡《から》げ、薙刀《なぎなた》を抱《か》い込み つる「如何《いか》に賊ども静かにいたせ。望みに任せて金は遣わすが、しかし只《ただ》は遣わさん。このつると勝負に及び、妾《わらわ》が負ければ何ほどでも遣わすが、妾《わらわ》が勝てば一文たりとも渡すことは相成らん。イザ尋常に勝負いたせ」 甲「ヤア生意気の阿魔《あま》めが。ソレやっちまえ」 乙丙「合点だだ」  と前後から三人の賊が切って掛かるを、十五の時から阿父《おとう》さんに仕込まれた天晴《あっぱれ》の腕前をもっているおつるさんビクとも致しません。牛若丸が女になったよう。彼方《あっち》へヒラリ、此方《こっち》へヒラリ掻《か》い潜《くぐ》り、自由自在に薙刀《なぎなた》を使って、三人の賊に悉《ことごと》く傷を負わせました。その間《ま》に若主人が店へ行って見ると皆な縛《しば》られておりますから、早速縄を解《と》いて奥の始末を話したから、ソレというので今度は店の者が残らず奥へ来《まい》って、総掛かりで三人の賊を縛《しば》り上げ。数珠《じゅず》繋ぎにして店へ引《ひ》き摺《ず》って参り、潜《くぐり》り戸《ど》を開けて、一昨日《おととい》来いと突き出して、戸をピッシャリ……。 甲「オイ、何だいアノ女は」 乙「あれゃァ化け物だ。俺は三寸ばかり股《もも》をくりぬかれた。野州《やしゅう》お前どこを斬《き》られた」 甲「俺は肩を八寸ばかりそがれた」 乙「オイ盲目文次《めくらぶんじ》、お前どこか切られたか」 丙「俺《おら》ァ手の指一本切られて落ち掛かっている」 乙「驚いたなァ。どうだい、こういうのは、もゝくり三寸……」 甲「肩八寸……」 丙「指は九本になりかゝる」