祟禅寺馬場(そうぜんじばば) 桂文治郎  替わりあいまして、ご機嫌を取り結びます。相変わらず、お古い処で恐れ入ります。なににか新しい事でも申し上げるとよろしいのですが、何分《なにぶん》にも、新しい事は御客様方の方がよく御存じでございます。かえって間違うた新しい事を喋りますより、やはり、口馴れた古い方が、間違いがございません、「古きをたずねて、新しきを知る」で、古い噺《はなし》の方が、面白味が多いと、勝手ながら、決めまして、純粋の大阪落語――崇禅寺馬場《そうぜんじばば》という、馬鹿/\しい落語を一席申し上げます。  御承知の通り崇禅寺馬場という所は、その昔は、至って淋《さび》しい所で只今《ただいま》は新京阪電車が付近を通っております。名前も、柴島《くにじま》と替わりまして、その付近には、大阪市民四百万の飲料水を配給する水道の水源地もございます。しかし、今でも、まだ淋しい所でございますが、の崇禅寺馬場の名前が、なぜ響いてますかと申しますと、お芝居に致します崇禅寺馬場の返り討ち、遠城喜左衛門《えんじょうきざえもん》、安藤|喜八郎《きはちろう》の兄弟が、郡山《こおりやま》の藩中、生田伝八郎《いくたでんはちろう》のために欺《だま》し討ちにあい、返り討ちにあうという至って悲惨な最後を遂げますが、落語では「崇禅寺馬場」の返り討ちと申しましても、そんな、涙の出る様な物ではございません。涙は出ても、至って面白い、可笑《おか》しい涙が出ますので、お芝居とはえらい違いでござります。元来《どだい》落語と申すものは、大抵我/\同様という、少々脳味噌の変色した男を一枚取っ捕まえて、表からでも、這入《はい》ってまいりますのが、大概と、噺の端緒《いとぐち》で、 喜「エヽ甚兵衛《じんべえ》はん、今日《こんち》は、いなはるか」 甚「オヽ誰《た》れやとおもたら、喜《き》ィ公《こう》か、まヽ這入《はい》り、どないしてたんや。ちょっとも、来なんだなァ」 喜「エライ、御無沙汰してましたんや」 甚「御無沙汰は、お互いやが、近頃は、どう、暮らしているのや」 喜「さっぱり、近頃は、わやです。なんぞ、えゝ事はおまへんか。なんぞ寝てゝ食われるという事でも、おまへんか」 甚「なんでもない事やがなァ。弁当を持って、丹波《たんば》の山奥へ行て、弁当を食うて、その空《から》を枕にして寝てると、そこへ狼が来て、ムシャ/\と食うてくれるがなァ、寝てゝ食われるやろなァ」 喜「あほらしい。それでは、私が食われて仕舞いますがなァ。ソヤないので。あたしの言うのは私が寝てゝ食われますので」 甚「そうや、弁当枕に寝てると、食われるがなァ」 喜「イヽエ、違います。どう言うたら判るのやろ。塩梅《あんばい》、聞いとくなはれや。私《わたい》が毎日寝てますやろ。そうして銭《ぜに》が、ドンドンと儲かりまして、旨い物食うて暮らせるということが、おまへんやろかと、言うてまんね」 甚「お前、虫のえゝ事、言うてるなァ。この辛《から》い時節に、働いても/\も食えん世の中。鯛屋《たいや》貞柳《ていりゅう》の句に「世の中は、なんの糸爪《へちま》と思えども、ブラブラしては暮らされもせず」という事があるで、働いた上にも、取らかなんだら暮らせん世の中やのに、よう、そんな事を言うてるなァ」 喜「そら、そうだすなァ。そやけど、なんぞ儲かる事おまへんか」 甚「そないに言うのなら、儲け口、教えてやろか。その替わり言うてから、そんなんは、厭《いや》やなんぞ言うてもあかんで」 喜「そら、銭《ぜに》儲けやったら、どんな事でもしますがなァ。けど、川蒸汽《かわじょうき》の跡押《あとお》しと、汽車の先引《さきび》きだけは、出来まへんさかい、今から、断っておきます」 甚「あほかいなァ。そんな事が、出来るもんかいなァ。そんな事やないのや。言うてやるさかい表の戸を閉めといで」 喜「エライ、大層な事だすなァ」 甚「世間の人が聞くと、工合《ぐあい》が悪いさかい」 喜「ヘエ、閉めて来ました。どんな事だす」 甚「外《ほか》でもない、お前、近頃、なんぞ、噂を聞かへんか」 喜「噂と言いますと」 甚「崇禅寺馬場へ追剥《おいはぎ》が出るという事を聞かへんかと、言うのや」 喜「ヘエヽヽヽヽ、聞いてま、不景気になると、えらい物騒やなァ、と言うてますのや」 甚「あの追剥は俺が出るのや」 喜「アハー、ほな、あの追剥は貴郎《あんた》ですか。人は見かけによるもんだすなァ。そうすると、あんた、お泥棒はんだすなァ」 甚「おかしい物の言いかたするなィ。実は俺も一人では行てるのやが、なんとのう、心細いので一人、手下がほしい/\と思うている矢先や。ちょうどえゝ。今晩から一所《いっしょ》に行け」 喜「そら甚兵衛はん、止《や》めます。なんぼ、銭儲けやさかいと言うても、追剥だけは堪忍しとくなはれ」 甚「一旦、言うたからには、もうあかん、サァ、行け」 喜「仕様がおまへん。行きます。これから行きまひょか」 甚「あほやなァ。昼日中《ひるひなか》、行く奴があるかい、昼はユックリ寝て、夜になってから行くのや」 喜「アハヽ成程。晩になってから行きますのやなァ、しかしなァ、甚兵衛はん。もし、行くは…おかしい事で、捕《とら》まえられるというような事になったら、どないに成ります」 甚「阿呆《あほ》だてら、やっぱり気になると見えるなァ。捕《とら》まえられたら、百年目や。仕方がない、別荘(刑務所)へでも行こうかい」 事「ヘエ、別荘番ですか。気楽でよろしいで、庭でも掃除してなァ。どこの別荘だす」 甚「判らん奴やなァ。つまり、赤い着物を着るのや」 喜「なるほど、お祭りだすか、派手でよろしい。あたい、好きだす。踊りますのやろ」 甚「違うなァ、臭《くさ》い飯を喰うのや」 喜「やっぱり、はったいの粉《こ》を掛けて」 甚「どう言うたら、判るのやろ。腰に、くさりを付けて、土運びをするのや」 貰「ヘエー腰に、くさりを付けて、土運びをする……ソラ……懲役やおまへんか」 甚「早《は》よ言うたら、懲役や」 喜「早よ言うても、遅《お》そ言うても、同じ事や。あたい、懲役は虫が好かん」 甚「誰れでもや、マァ、俺に任しとけ」 喜「仕方がおまへん。しかし、これから私《わて》、どないにしまひょ」 甚「これから、帰《い》んで、ゆっくり寝て、日の暮れかたから、宅《うち》へおいで、しかし、言うとくで、こんな事は、人に喋《しゃべ》りなや。喋ったら、直《す》ぐにズキ(探偵)が廻るで」 喜「滅《め》ッ多《た》に、喋らしまへん。喋った処で、タッタ二軒だけだす」 甚「タッタ、二軒だけて、どこで喋るのや」 喜「大抵、床屋(理髪店)、風呂屋だけだす」 甚「それが悪い。広告してるような物やがなァ。阿呆やなァ、決して喋りなヤ」 喜「ヘエ、お邪魔《じゃま》さん、晩方《ばんかた》来ますワ」  とそのまま、喜ィ公は帰りました。甚兵衛は、ユックリ寝てます。 喜「今晩は、甚兵衛はん。今日《こんち》は、ドンドン(戸を叩く)ドンドン甚兵衛はん」 甚「判ってる。叩きなァ、今、あけてやる、そう、叩きなァ、と言うてるのに」 喜「甚兵衛はん、ドンドン、甚兵衛はん、行まひょか、崇禅寺馬場へ追剥に。あまり、人の知らん間に、行きまひょか、追剥に」 甚「阿呆。こっちへ、這入《はい》れ、今、大きい声で、なにを言うたのや」 喜「ヘエーなに言うたてだすか。崇禅寺馬場へ追剥にと」 甚「気を付けい。山家《やまが》の一軒屋や、あろまいし、隣り近所に米喰う虫が住んでいるやないかい」 喜「うっかりとしてましたんや。そんなら、隣へ行て、聞いて来まひょうか」 甚「なんちうて」 喜「今、崇禅寺馬場へ追剥に行くと言うたん、聞こえましたかというて」 甚「殴るで、寝てる児《こ》を起こしに行くようなものやがなァ。オイ喜ィ公」 喜「ヘエーなんだす」 甚「昼間来た時には、髪も延びたるし、顔も汚ないし、ズズ黒いし、追剥に持ってこいと思うてたのに えらい綺麗になって来たやないかい」 喜「ヘエー今日《きょう》は、なにぶん盗人《ぬすと》の目見得《めみえ》と思うて、あれから、床屋へ行て、帰りがけに、風呂へ這入《はい》ったんだす」 甚「汚ない方が、えゝのやがなァ。仕様がない。スコ(頭)を出せ」 喜「ヘエ。スコてなんだす」 甚「スコと言うたら、頭じゃ。頭を出せ」 喜「ポンポン言いなはんなァ。判らんさかい、聴いてまんネ。頭なら頭というてくれたら、判りますのや。スコというさかい、判りまへんのや。ヘエ出しました」 甚「……」 喜「なににしてなはるのや甚兵衛はん」 甚「やかましい、今、お前の頭へ糊《のり》をつけて、ほくち≠つけてるのや」 喜「ほくち、そんな物つけたら、あきまへんで。上で煙草を吸いよって、吸殻も落とされたら、頭が焼けますがなァ。そしたら、これが本当の「ヤケスコ」(自暴自垂《やけすこ》)だすかァ」 甚「ベラベラと喋りなや。行く用意が出来たら、表へ出い」 喜「ヘエ、叱られ通しヤ甚兵衛はん」 甚「なんヤ」 喜「なにしてなはるのや」 甚「やかましい言いなヤ。いま、表を閉めて、錠《じょう》を掛けてるのや」 喜「なんで、錠を掛けなはるのヤ」 甚「錠を掛けとかんと、二人が出て仕舞うと、跡《あと》に誰も留守や、用心が悪いで」 喜「心配しなはんなァ。いま、盗人《ぬすと》が二人でかけてる」 甚「喋るなァ」  と二人は宅《うち》を出まして、松屋|町《まち》を北へ/\と参りまして、天神橋を渡りまして、長柄《ながら》の堤《つつみ》へかゝりますと、もう、夜《よ》も次第に、更けて参りました。二人の者、暗闇《くらがり》をブラブラと(この時|下座場《げざば》より凄《すご》き合方《あいかた》這入《はい》る)歩いてます。 喜「なァ、甚兵衛はん、エライ、暗うおますなァ。こんな事やったら、提燈持って来たら、よろしおましたなァ」 甚「阿呆。追剥に行くのに、提燈持って行く馬鹿があるかい」 喜「それでも、盗人《ぬすと》の提燈持ちしたと、言うや、おまへんかい」 甚「どこで、そんな事聞いてくるのや。そんな事、言わずに歩きいなァ」 喜「ヘエ、なァ、甚兵衛はん、えらい淋《さび》しおますなァ」 甚「そら、昼でも淋しい処や、まして、今頃は、尚更、淋しいわィ」 喜「こんな処《とこ》、背中へぼたもち(牡丹餅《ぼたもち》)が出やしまへんやろか」 甚「背中に牡丹餅《ぼたもち》とはなんや」 喜「ヘエー追剥(負萩《おいはぎ》)だす」 甚「出たらどうやィ」 喜「出たら、裸にしよりますがなァ」 甚「これから お前と俺が、なにしに行くのか、考えて見ィ」 喜「ヘエ、あゝそうだすか。うっかり忘れてましたんや。出たら、仲間の者やと、言いまひょか」 甚「どうなとせい」 喜「時に、何時《なんどき》だす」 甚「そうやなァ、先ず、この星明かりでは、丑満頃《うしみつごろ》やなァ」 喜「ヘエ、あたい、阪東《ばんどう》三津五郎《みつごろう》という役者は知ってますが、丑満頃《うしみつごろ》と言う役者は知りまへん」 甚「そんな、役者があるかい。丑浦頃《うしみつごろ》とは、丑《うし》と寅《とら》の間じゃ」 喜「なる程、すると、狭いとこだすな」 甚「露地《ろじ》見たいに言うない。今頃の時刻は、家《や》の棟《むね》も三寸《さんずん》下がろうか、流《ながれ》の水も止まろうかという時分じゃ」 喜「ヘエ、家《や》の棟も三寸下がろうかてなんだすネ」 甚「つまり、家《や》の棟が、下がるのや」 喜「今晩だけ」 甚「毎晩や」 喜「ヘエー毎晩、すると小さい家《いえ》やったら、煮え込ん(めり込む)でしまいますなァ」 甚「おかしい理屈をいうない」 喜「流れの水も、止まろうかて、なんだす」 甚「つまり、流れてる水かて、寝る時刻や」 喜「流れてる水かて、寝ますのか。イヤ、それで判りました。先刻《さっき》、長柄川《ながらがわ》が、ゴウゴウと音がしていましたのは、アラ、鼾《いびき》掻いてましたんだすなァ。そんなら、池の水やったら、寝像《ねぞう》がえゝのだすなァ、滝の水やったら、立って居眠りしてまんにやなァ。津浪《つなみ》やったら、寝像《ねぞう》が悪うて、蚊帳《かや》を蹴りだした、てなもんだすなァ」 甚「いらん事を、喋らずに歩きいなァ」 喜「なァ、甚兵衛はん」 甚「コラ、そう、甚兵衛はん/\といはずに、今日《きょう》から俺を頭棟《かしら》と言え」 喜「ヘエ、すると、貴郎《あんた》を柱と言いますのか」 甚「柱と違う、頭《かしら》じゃ」 喜「あんたが、頭《かしら》かったら、私《わて》は小芋《こいも》だすか」 甚「お前は、新米じゃわい」 喜「なんで新米すのや」 甚「新しいさかい、新米じゃ」 喜「ナル程、新しいさかい、新米か。すると。貴郎《あんた》は古いさかい、古米《こうまい》や。石川五右衛門は、寿司米《すしまい》だすか」 甚「ちょっと位、黙ってられんか」 喜「ヘエ、しかし、こゝは甚兵衛はん、どこだす」 甚「こゝは、音に名高い、崇禅寺馬場やないかい」 喜「こゝが、崇禅寺馬場だすか。しかし、まだ歩かんならんのだすか」 甚「もう、歩かいでもよい。そこの薮の中へ暫時《しばらく》、這入《はい》っておれ」 喜「ヘエ、朝まで」 甚「朝まで、いられるかい。旅人が通ったら、呼び止めるのじゃ」 喜「あゝ、そうだすか。モシモシ、マァお這入《はい》り、中に色々と変わった柄《がら》がおます」 甚「呉服屋じゃがなァ、そんな事をいうのやない、旅人が通ったら、オイ旅人、ここをどこやと思うてる、明けの元旦から暮《くれ》の大晦日まで俺の頭棟《かしら》の張り場所、知って通ったか、知らずに通ったか、知って通れば命がなし、知らずに通れば命だけは救けてやる、衣類|金子《きんす》、全部《みぐるみ》置いて行けばよし、厭《いや》じゃなんぞと、吐《ぬか》すが最後之助《さいごのすけ》、二尺八寸《にしゃくはっすん》、伊達《だて》には差さん、うぬが胴腹《どうばら》へお見舞い申す。キリキリ返答はなんと/\というのじゃ」 喜「誰がそれを、言ひますのや」 甚「お前が」 喜「幾日《いくか》にだす」 甚「今、一ぺんに」 喜「あの、一ペんに、そら、とても、言えまへんわ。彼岸《ひがん》のお茶の子の口上でも、覚えるのに、一週間かゝったんだす。ようやく、覚えたら彼岸が過ぎてしもたんだす。それに、これを言わんならんとおもたら、舌が釣り上がりまんネ」 甚「難儀な奴やなァ」 喜「あんたより、私《わて》が、難儀だす」 甚「仕方がない、口移しに教えてやらう」  甚兵衛、阿呆に教えてますと、北の方から来ましたのが、こら、大阪のお商人《あきんど》と見えまして、一人は大きい風呂敷包みを背に負うて、一人は小さい小《こ》風呂敷、片手に持って、 甲「サァ、歩きましようか」 乙「ヘエ、大きに。今晩は、どうなる事かとおもてましたら、貴郎《あんた》が連れになってやると、言うて、頂いたので、安心しました。実は、私、至って臆病《こわがり》で、一人やったら、仕方がない、泊ろうとおもてましたんや。泊ると、明日《あす》になって、大分、損する事がおますのやけど、仕方がないと諦めてたのですけど、連れになって頂いて、有難う存じます」 甲「いや、礼をいはれると、辛いが、マァ、安心しなはれ、私《わて》は至って夜道が好きで」 乙「ヘエ、怖い事はおまへんか」 甲「私《わて》は怖いという事は知りまへん。といいますのは、人間は、極道《ごくどう》せなあきまへんなァ。私《わて》は十四から極道して、十七の時に宅《うち》を飛び出し、東京へ行て、おかしい縁で、剣道の先生の所へ飯炊きに這入《はい》りまして、そこで、剣術を三年習うて、それより、柔術《じゅうじゅつ》を五年、覚えてますで、なにが出ようと、大船《おおぶね》に乗った心算《つもり》で、安心して一所《いっしょ》に来なはれ」 乙「あんたは、えらい強いお方だすなァ。そんなお方に、道連れになって頂いて、心丈夫《こころじょうぶ》に思うてます。大きに、有難うございます」 甲「もし、追剥でも出よったら、長い奴やったら、二ツに折って結んでやります。短い奴やったら、頭から踏み躙《にじ》って、汁《しる》を出してやります。安心しなはれ」 甚「サァ、喜ィ公、おかしい工合《ぐあい》やぞ」 喜「ボツボツと逃げまひょか」 甚「逃げて、どないにするのや。呼び止めんかい」 喜「いや、止《や》めときまひょう。今、きいてたら、剣道柔術を覚えて強そうな奴だすで、長い奴やったら、二ツに折って結ぶやなんて、まるで、干瓢《かんぴょう》たいに思うとる。短い者やったら、頭から踏み躙《にじ》って、汁出すて、蜜柑《みかん》の皮みたいに思うとる。私《わて》は恐い」 甚「薬も能書き程、効かず、あまり強い事言うてる者に、強い者はない。俺が付いてる。出い」 喜「やッぱり、止《や》めときますわ。怖いさかい」 甚「出いと言うたら、出んかい」  と長い刀を持たされて、甚兵衛に尻を突き出されて、阿呆《あほ》は震えながら、 喜「アハヽ怖《こ》わ。オイヽヽ旅のお方、オホ……アハヽ怖《こ》わ。ここをどこやと思うて通ってなはる」 甲「ヘエ、なんだす。どこから、声がするのやろ。なんや呼んだように思うのやけど、ヘエ、ここをどこやて、尋ねてなはるのか、ここは崇禅寺馬場だぜ」 喜「好《よ》う御存じで、あたしも、そないに思うてますのや」 甚「なにを、吐《ぬか》してるのや。しっかり言わんかい」 喜「明けの大晦日から暮《くれ》の元旦まで」 甚「それは、あべこべやがなァ」 喜「そのあべこべの張り場所」 甚「しっかりせい」 喜「アハヽ、怖《こ》わ。知って通ったか、アハ恐ろしい、知らんと通ったか。アハ怖《こ》わ。知らんと通れば命はアハ怖《こ》わやの。二尺七寸、伊達《だて》には差さん」 甚「二尺七寸やない、二尺八寸や」 喜「もう一寸《いっすん》位は出ますやろ」 甚「肩上げみたいに、いうない」  二人の商人《あきんど》は、おかしい奴が、出たが、対手《あいて》になっては、うるさいと、そのまま行こうと致しましたが、甚兵衛、悪い奴で、とうとう二人の者を裸にしてしまいよった。  又候《またぞろ》、旨《うま》い事があるじゃろと、薮《やぶ》の中に隠れてますと、今度は南の方から来た、一人の旅人。これは、紀州の池田を通う三度飛脚、二人の奴、またも飛んで出ましたが、今度は飛脚の方が馬鹿に強いので、反対《あべこべ》に、裸にされ、先に盗《と》った商人《あきんど》の着類《きるい》から金子《きんす》、自分の物まで、商人《あきんど》の物は本人に返してやると、飛脚が持って行きまして、盗人《ぬすと》の甚兵衛、喜ィ公のは、その場で引き裂かれてしまいました。二人の者、裸で震えながら、 喜「甚兵衛はん、ひどい目にあいましたなァ。そやよってあまり欲張ると、あかんと言うてますのに、欲張りなはるさかい、こんな目にあいますのや。一番裸になった。ついでに、相撲取りまひょうか」 甚「エライ目にあわしやがった」 喜「しかし、甚兵衛はん、こゝは、どこだす」 甚「何遍《なんべん》、聞くのや。ここは名高い、崇禅寺馬場じゃ」 喜「道理で、返り討ちに出会うた」