水屋の富(みずやのとみ) 七代目三笑亭可楽  昔|富籤《とみくじ》というものは、主に年の暮《くれ》にございましたもので、ソコで水屋《みずや》という商売は当今はございませんが、水道というものがまだ一般に敷かれません時分、東京市内、就中《なかんずく》本所深川へ参りますとも飲用水というものはホンの僅かの掘り井戸があって、アノ水が良いなどゝいっても、差し水がいたし、今日《こんにち》のように衛生を重んじましたら、とても呑める訳のものでない。ところが水屋というものがあって、多摩川上流とか神田上流とかいうような所で、船へ水を汲み込みまして、この船か河岸《かし》へ着てそれを桶で担ぐいで廻って、たとえ一荷《いっか》元値《もとね》が三厘のものなら八厘に売るとか一銭に売るとかいう、こんな商売がありました。水を扱うのでございますから、夏は宜《よろ》しゅうございますが、寒さに向かうと、この位骨の折れる稼業はありません。手足は始終濡れ、ひび赤切れが切れ、実に難儀でございます。本所に住まってる水屋さんで、年の暮になって、つく/″\考えた。外《ほか》の商売は休みがあるが、この稼業ばかりは年中休みなしの代わりには朝から晩まで、天秤を肩にかついで、手足を濡らして駈け歩いてる。随分|辛《つら》い稼業だ。一日休むには代わりを頼む。その代わりが親切ならいゝが、不実な者だと、自分の華客《とくい》にしてしまう。仲間に華客《とくい》を取られるのが嫌《いや》だから、少し位|身体《からだ》が悪くっても、我慢をして出なければならない。モウコレ年も老《と》るし、どうか早く廃《や》めたいと思う所から、ちょっと欲が出て、富《とみ》の札《ふだ》を一枚買いました。その富の当日には是非とも休まなければなりませんから、どこからどこの町内は誰、どこからどこは誰だと、仲間の者に前々よりよく頼んで、華客《とくい》の間《ま》を欠かないようにいたし、買ったからには、無論《むろん》自分が当たる了簡《りょうけん》で、一生懸命に祈っております。その頃|諸方《しょほう》に富がございましたが、湯島天神の千両富というのが、一番大きかったものだそうで、今と違って文政年間、千両といっては大金、モウ当日は皆|血眼《ちまなこ》になって集まって参り、乃公《おれ》が取る、我《われ》が取ると狂人《きちがい》のような有様で、騒いでおります。 ○「オウ何《いず》れ誰か取るんだが、マァどの人に当たるだろうな」 水「エー私《わたくし》が取ります」 ○「エー」 水「私が取ります」 ○「お前さん富の札を買ったかい」 水「左様でございます」 ○「左様でございますたって、お前さん、取るというのが分かってるか」 水「ヘエ皆さんには分かりますまいが、私にはチャンと分かってるんで」 ○「生意気な事を言いなさんな。乃公《おれ》が取るに極《き》まってるんだ」 △「ナニ、乃公《おれ》が取るんだよ」 水「私は、私が取ると思ってるんで」 ○「箆棒《べうぼう》めえ。お前達《めえたち》に取られて堪《たま》るものか」 ×「オイ/\喧嘩をしちゃァいかない。ねえ為《ため》さん」 為「エ!」 ×「こゝにいる者は、みんな俺が取る/\といってるがおかしなものだね」 為「全くだね。しかし吉《きっ》さん、お前にしろ取るつもりで買ったんだろうが、もしお前に当たったら、その金を何に使うね」 吉「左様さ。私《わし》に当たりゃァ、あの角《かど》の空《あ》き店《だな》を買って商売を始めるね。為さんお前が当たったらどうする」 為「俺が当たりゃァ、商売なんかしたってどうせ儲かりッこねえから、米を買い占めて、貧乏人にドン/\施《ほどこ》してやるねえ」 ○「そりゃァいゝ考えだが、為さんマァあたったら気が変わるだろう」 為「金《きん》さんそんな事をいうが、お前さんならどうする」 金「おれならマァその金を持って日本中見物して来る」 為「粂《くめ》さんお前は」 粂「私ァ当たったら江戸中の食い物屋を一軒ずつ食って歩くね」 為「意地のきたねえ事を言いなさんな。オイそっちの人、お前はどうする」 ◎「私《わし》がもし当たったら、毎日一|貫《かん》ずつチビチビ使って、命が先へなくなるか、金が先へなくなるか、ためして見る」 ×「オイ/\ケチな事を言いなさんな。乃公《おれ》なんざァ、金を受け取ると直《す》ぐにその足で吉原へ繰り込んで、大門《おおもん》を閉め切って、小判を撒《ま》いて、紀伊国屋文左衛門《きのくにやぶんざえもん》、糞《くそ》を喰らえというような真似をして見せてやる 皆な一緒に来て遠慮なく拾いねえ」 金「この野郎、大きな事をいうな」  各自に勝手な事を言っておりますうちに、打ちどめーという声、口富《くちとみ》、中富《なかどみ》、打ち富とあって、例えば千両の富というと、口富が五十両に、中富が二百両、跡《あと》が打ち富という事になっております。今、打ち富というと、ワア/\いっていた連中が忽《たちま》ち水を打ったようにしんとしてしまいました。富《とみ》の札《ふだ》というのは小さい札で円《まる》いのを使う所もあれば、四角いのを使う所もある。ガチャ/\と音がして札が動き出すという位、人の気が寄りますもので、三尺七寸五分という長い錐《きり》で箱の真ん中に三寸|四方《しほう》位の穴があります。その穴から錐《きり》で突き上るので、稚児《ちご》または小坊主《こぼうず》が出て、箱が重いから二人掛かりで、ごう/\振って突き上げる一枚を、何番々々と呼び上げる。鶴だの亀だの松竹梅という印があって、鶴の何番、亀の何番という。実に大した番号で、何番々々と呼び上げると、うまくこれに当たったのが、例の水屋さん、かねて当たるつもりで、買ったとは言いながら、この多くの人の中で、自分一人|中《あた》ったと思うと、実に夢のようで、勿論《もちろん》直ぐ金を取ると、何割と引かれると言いますが、とにかく、千両足らずの金を受け取って嬉し喜んだ水屋は、これを担いで帰って来ました。もとより裏店《うらや》住まい、家《うち》へ入ってドッカリ千両の金をおろして、サァこの金でなにか株を買うといった所で、直ぐに明《あ》き株《かぶ》がどこにあるという的《あて》もない。たゞ千両の金をうれしそうに見てニコ/\しているだけの事、そのうちに何か良い株があるだろう。そうしたらそれを買って年を老《と》って気楽に暮らせるようにしても、今のうち遊んでいるもつまらない。やっぱり水屋をやってよう。けれども金を背負《しょ》って水を担いでも歩けない。サァ困った、心配の事が出来た。戸締まりは碌々《ろくろく》なし、家《うち》へ金を置いて行く訳にもいかない。これは弱ったな、どうしよう。アヽ神棚へ載《の》せて行けば大丈夫、神様が番をしておくんなさるから神棚へ載せて置こうと、金を包んだ風呂敷を神棚へ戴せて見たが、ハテナ、締まりが疎雑《やわ》だからな…といって急に締まりをすると、水屋の家《うち》が今まで締まりがなかったのが、錠《じょう》が下りてるぜというんで、ちっと太《ふて》え了簡《りょうけん》がある奴は気が着く。俺が富に当たったという事を知ってるものもあるから、かえって家《うち》に金のあるのを見透かされるようなものだ。突き当たりが神棚、ガラリこゝを開けて、水屋さん水を入れてくれないじゃァ困ると催促に来る。ヒョイと見ると金に気が着く。弱ったなァ。戸棚の中へ入れて置いて、泥棒が入って、なにもねえ家《うち》だが、一枚二枚の着物位あるだろうと、戸棚を開けて引っ掻き廻しているうちに、ドッシリ重い物がある。なんだろうと風呂敷を開けて見ると金が出る。そのまゝ背負《しょ》って行かれては大変だ。女房子《にょうぼうこ》は無駄のもんだと思って独身《ひとり》でいたが、こうなって見ると女房がないと不自由だな。いっそ水屋を止《よ》してどこへも出ずにこの金をポッ/\使っていようか、イヤ/\止《よ》しちまってから泥棒が入って金を取られてしまい、華客《とくい》はなくし、商売なしになってしまったら、あぶ蜂取らずだァ、金持ちというものは心配のものだ。たゞ無茶苦茶に使ってしまう訳にも往《ゆ》かず、どうか工夫がありそうなものだと、出たり入ったり、マゴ/\しておりましたが、やっと一生の智慧をしぼって考えついた。これならば大丈夫と、六畳ばかり敷いてある畳の真ン中を一畳上げて、根太板《ねだいた》を剥《は》がして見ると、横に一本丸太が通っている。それへ丈夫《じょうぶ》の釘を打ちまして、二重に風呂敷に包んだ。金をこの釘へひっ掛けて、上へ根太板を打ち、畳も元の通り敷いて外へ出て、一旦、戸を締めて、自分で「エー御免下さい、お留守でございますか…」アヽ見えないな、これなら大丈夫だ。こうして置けば安心して稼業に行かれる。そのうちにいゝ明《あ》き株《かぶ》があったら、五百両でも六百両でも出して買って、そうしたら女房を貰い、奉公人だって二人や三人置くようになる。マァそれまで相変わらず水屋をしていようと、翌日になって起きると直《す》ぐに縁の下をのぞいて見たが真っ暗で分かりません。長い竿《さお》を持って来て、掻き廻して見ると、コツンと当たった。アヽある/\、これなら大丈夫と、竿を片付け、御飯を食べて草鞋《わらじ》をはき、例《いつも》の通り戸だけ引き寄せて、水桶をかついで 水「エーお隣の内儀《おかみ》さん、行って参りますから、どうかお頼み申します」  と表へ出たが、さて金が気になってならない。アヽ向こうから来た男は目付きが悪いな、…オヤ摺《す》れ違って行った様子がどうもおかしい。ひょっと家《うち》の中へ入りゃァしないか。けんのんだ/\、家《うち》へ行って見よう…。引きかえして跡《あと》をつけて来たが、アヽ入ったな/\、これだから油断がならない。乃公《おれ》が富に当たって金を受け取ったのを確かに知っている奴に違いない。オヤ筋向こうの家《うち》へ入った。ハテナ彼処《あすこ》の家《うち》で心安い人かな。アヽ出た/\、これから乃公《おれ》の家《いえ》へ入るかしら。まさか縁の下には気が付くまい…。アヽ出て来た、出て来た。出て来りゃァ安心だ。だが金持ちは心配なものだ。これを考えると、貧乏人は気安いなァ…。この若い男は一癖ありそうだ。家《うち》へ泥棒に入りゃァしないかと、苦労でたまらないから、大急ぎで華客《とくい》先へ水を入れて帰って来ると、棹竹《さおだけ》を持って来て、いい塩梅《あんばい》にあってくれゝばいゝがと、縁の下を掻きまわすと重い物が竹の先へ当たるから、アヽあった。これで安心と棹竹を片付けて、飯を食って寝てしまい朝起きると、また棹竹を縁の下へ突っ込んで、昨夜《ゆうべ》泥棒が入りゃァしなかったかと、突いて見て、アァあったあったと喜んで稼業に出る。毎日/\やっていると、その向こうに、これも独身者《ひとりもの》で、何商売という事もない。遊び人でございますが、向こうの水屋が毎晩縁の下へ棒を入れて掻き廻しちゃァ、ニコ/\しているが、何かあるんだろう。どうもこの頃あいつの様子が違っている。何か縁の下に入ってるに違いないと、水屋が桶をかついで行った後《あと》で、長屋の様子を見ると、大概|出商売《であきない》の者《もの》ばかりで、誰も見ていないのを幸い、ガラリ戸を開けて中へ入って裏口を開けて棹竹を持って来て、縁の下へ棒を突っ込んで、掻き廻しているうちに、コツン/\、竹の先へ当たるものがある。ハテナ、なんだろうと、棹の先の当たった辺《あた》りの所へ見当を付けて上へ昇《あが》り、畳を一枚上げて根太を剥がして、のぞいて見ると、風呂敷包みがブラ下がっている。取り上げて見るとズシリ重い。こいつ占《し》めたと、ソックリ盗んで逐電《ちくでん》をしてしまいました。 水「お隣の内儀《おかみ》さん、有難う存じました。お留守でございますか、…アヽ有難い/\。まず今日《きょう》も何事もなかった」  棹竹を持って来て、ガチャ/\と掻き廻して、 水「オヤないぞ…」  上へ昇《あが》って見ると、畳を上げ、根太板がはがしてあって、金の包みは影も形もございません。 水「オヤッ、誰か金を盗んだな…。アヽこれで苦労がなくなった…」