首売(くびうり) 八代目桂文治  大昔は一分線香即席噺と言って、線香が一本たつかたたないうちに、一席の噺を纏《まと》めた。それがまた段々に進歩を致しまして、長い物が出来て参りました。当節では多人数出席致すために、ほとんど落語《はなし》を落《おち》まで申し上げる事が出来なく、どうかすると、上《じょう》であるとか、中《ちゅう》であるとか、下《げ》であるとか三通りにも分けて饒舌《しゃべ》る事がありますが、どうも落語《おとしばなし》という位でございますから、落《おち》が眼目《がんもく》で、それゆえ落《おち》まで申し上げるに越した事はございません。そこで昔落語《むかしばなし》の番付が出来ました時、大関というのが、あたま山に、胴切りという。これが東西の大関で、あたま山と申しますと、ある人が桜実《さくらんぼ》を拾って鵜呑みに致しました。ところが頭の真ん中へ桜の木が生えて、花の盛りになると、あたま山が桜の満開だから行って見ろというので、花見の人がゾロ/\出る。中には酔漢《よっぱらい》が管《くだ》を巻くというような訳で、何分にも騒々しくって堪りませんから、この桜を根こそぎに致したところ、後へ大きな穴が明きました。そこへ水が溜まって、初めは孑孑《ぼうふら》が発生《わき》ましたが、しまいには、魚が発生《わい》て来るという事になると、釣師が出て来ます。夏になると凉み船などが出て来て、甚《ひど》い騒ぎになったから、これァどうにも堪らないというので、自分の頭の池へ身を投げて死んだという。これが東の大関で、また西の方は、胴切にされた人間が、別々に奉公に行たという。胴の方が湯屋の番台へ坐っていると足の方は蒟蒻屋《こんにゃくや》へ行って蒟蒻を踏んでいる。 ○「オイ、今日はの、足の方へついでがあるんだが、何か伝言《ことづて》があるならしてやるぜ」 胴「どうも有難う存じます。毎度御面倒を願いまして、相済みませんが、それじゃァ一ツ伝言をして頂きとうございます。どうもこの気候の変り目というやつは逆上《のぼせ》ますんで、目が霞んで困りますから、どうか三里を怠らないように灸点《すえ》てくれるように仰て頂きとうございます」 ○「よし/\それだけの伝言か…アッハゝハ、ナニ俺はね、何時《いつ》も伝言を頼まれるんだよ。見ねえって事よ。足が一生懸命蒟蒻を踏んでやがる…足、足やい、何だぜ、胴の方から伝言があったぜ」 足「どうも誠に度々相済みませんでございます」 ○「なんだ、気候の変り目で逆上《のぼせ》るせいか、目が霞《かす》んでいけないから、三里を怠らないやうに灸点《すえ》てくれろとこういふ伝言《ことづて》なんだ」 足「アゝ左様でございますか。有難う存じます。済みませんが私の伝言も一ツ願いたいもので」 ○「アゝ承知した、何てんだ」 足「あまり湯茶を飲まないようにしてくれろ 小便が近くなって困るから」  これが西の大関だというのでございますから大体は罪のないものだという事がお分かりでございましょう。ところが昔は只今と違って、先ず世の中が豊かでございましたから、お商人《あきんど》なども、商いがしよかったようでございます。というのは、江戸には各々商売の組合という物があって、一町内に御同業が沢山に出来るような事はございません。ためにお商人《あきんど》も気が強うございました。 商「イエどう致しまして、それではお話になりません。どうぞ他《わき》へお出でなすって下さいまし。手前どもではお断りを致します」  とキッパリ断っても御客様の方で、それじゃァ他の家《うち》へ買いに行こうと言って、わざわざ隣町《となりちょう》まで買いに行くのは憶劫《おっくう》だから、我慢をしてお求めになるが、今時そんな事を言ったら大変で、それじゃァ隣へ行って買うよというような塩梅《あんばい》だから、総《すべ》てお商いがし難《にく》くなりました。今でも昔でも際物師《きわものし》というのがあります。その時を見て金儲けをする。これは頓智頓才がなければいけません。江戸繁昌の時分、御承知の通り出開帳という物が大層|流行《はやり》ました。お開帳も一つ当たりますと大層なもので、先ずお開帳のなかでも大きいのが、成田の不動様でございますな。それから信州の善光寺、嵯峨《さが》のお釈迦様、太田の呑龍様《どんりゅうさま》、などというのが盛んで、中にも太田の呑龍様は子育てのだというので御婦人の御詣りが多い。両国の回向院《えこういん》に太田の呑龍様の出開帳がありました時に、雪隠《せっちん》を拵《こしら》えて、大層金儲けをしたという。これは只今も申し上げました通り、女の参詣が多いがら、定めて便所に困るだろうという所へ気が着いて、金儲けが出来たので、旨いところへ気が付いたものでございます。そうかと思うと、大昔、御盆の魂棚《たまだな》の御精霊様《おしょうれいさま》のお迎いで、お宝を付けて貰いました。この真菰《まこも》を、愛宕《あたご》へ持って参りまして、月待ちの晩に敷き物に売って、金儲けをしたという。これらは実に廃物物利用で、旨いところへ考え付いたものでございます。東京がまだ江戸と申しました御維新前には、随分|彼方此方《あっちこっち》で戦争《いくさ》がございました。伏見鳥羽の戦い、会津の戦争、上野彰義隊というように諸方《ほうぼう》で戦争が始まりました。そうなって来ると町人もなかなか枕も高くは寝ていられません。妻子《つまこ》や大切な物は皆な安心だと思う所へ預けてしまって、イザとなったら身体《からだ》だけ逃げようなどというので支度をしている者もありました。その時分の事で、彼方《あっち》でも切られたとか、此方《こっち》でも殺されたとかいうような、厭《いや》な話ばかりでございました。昔番町辺は旗本屋敷の多かった所で、千石以上になると物見《ものみ》というものを許されておりました。 殿「ノウ三太夫《さんだゆう》、近頃大分市中が淋しいそうであるな」 三「御承知の通り、今にも戦争《いくさ》が始まろうというので、町人はいづれも逃げ支度などを致し、誠に市中は火の消えたようでございます」 殿「左様か。とにかく、今日《こんにち》は物見へ昇《あが》って市中の様子を見るとしよう」 三「左様でございますか」  御家来をお連れになりまして、お物見へ昇って、物珍らしそうに見てお在《いで》になりますと、今と違ってその時分は、巻き煙草のような物もございませんし、マッチなどという重宝《ちょうほう》の物のもございませんでしたから、煙草を召し上がるには燧打《ひうち》道具を用いていたものでございまいす。向こうから一人咥《くわ》え煙管《きせる》をしながら煙草を燻《くゆ》らして参りますと、 甲「モシ誠に相済みませんけれども、一ツ火をお貸しなすって下さいませんか」 乙「サァ/\お付けなさいまし」  雁首《がんくび》と雁首とを合わせて、煙草を喫《すっ》ているのを、お物見から見下していた殿様が 殿「三太夫、珍らしい物を見たな。世の中はよほどどうも不自由になったと見える。見ろよ、町人という物は実に憐れな者ではないか。一服の煙草を二人で喫《すっ》ている」 三「ハゝア、異《い》な物がお目に留りましたな」  スルト向こうから風呂敷包みを背負《しょ》った男が何か呶鳴《どな》りながら来ました。 殿「三太夫、あれへ参る者が、首や首と申しておる。不思議な稼業があるものじゃな」 三「イヤそれは何か上《かみ》のお聞き違いでございましょろ。首や首ではございますまい。栗や栗とでも申しているのでございましょう」 殿「イヤそうではない。確かに首や首と申しておる。どういう訳か一応取り糺《ただ》して参れ」 三「委細承知|仕《つかまつ》りました」 殿「なるべく急いで参るよう」 三「畏こまりました」  お物見を下りながら三太夫が 三「冗談言っちゃァいけない。馬鹿/\しい。誰が世の中に二ツない首を商う奴があるものか」  とブツ/\言いながら御通用門の所へ来て待っていると、 ○「エー首や首、エー首や首」 三「成程、私にも首や首と聞こえるぞ。…コレ/\それへ参る商人《あきんど》…町人」 ○「へイ/\お呼びでございますか」 三「汝《てまえ》は何を商っておる。何を申して歩いているのだ」 ○「ヘエ私でございますか、首や首と申しております」 三「首や首…首を売るのか」 ○「ヘエ/\左様でございます。どうか値《ね》をよくお求めを願いとうございます」 三「ハゝア。面白い商人《あきんど》があるものだな。実はお上《かみ》のお目に留って、どうゆう訳だか取り糺《ただ》して参れよという仰せであったから、次第に依ったらはお求めになるかも知れん。とにかく私《わし》と一緒に御門の中へ入れ」 ○「どうか一ツお求めを願いとうございます」 三「サァこっちへ来い…。暫《しばら》くこれに待っていろよ。只今申し上げるから」 ○「エ、なるたけお早く願いとうございます」 三「エゝ恐れながら申し上げます」 殿「どうじゃ三太夫」 三「仰せの如く首を商いまする町人にございます」 殿「そうであろうな。確かに予は首や首と聞いた。どういう訳で首を商うか、糺《ただ》して見たか」 三「それはまだ聞き糺しませんでございます」 殿「左様か。しからば斯様致そう。庭前《ていぜん》へ通せ、予が自身に取り調べて見よう」 三「委細承知いたしましてございます」  三太夫が再び出て参りまして、 三「イヤ町人、大きに待遠《まちどお》であったな」 ○「ヘエ…エゝどういう事になりましてございますな」 三「只今|御上《おかみ》申し上げたところが、どういう訳で汝《なんじ》が首を商うのか、一応取り糺《ただ》して見たいと仰る。私《わし》と一緒に御庭前へ廻れ」 ○「ヘエ左様でございますか。ヘエ/\お連れを願いとう存じます」 三「コレ/\その風呂敷包みをそれへ置いて参ったらよかろう」 ○「イエこれは放せません品物でございます」 三「オゝ左様か。しからば持参しても宜しい。サァ/\此方《こっち》へ参れ」 ○「これはお広うございますな。只今入って参りましたのは」 三「あれは御通用門じゃ」 ○「ハァ、あの御門は何でございますか。人が入ると直ぐに後《あと》が締まるんでございますか」 三「御刻限までは開いておるのだ」 ○「アゝ左様でございますか。ヘエ/\成程、お庭でございますな。どうも結構なお庭で…」 三「それに筵《むしろ》が敷いてあるから、その上へ座って待っておれ」 ○「畏まりました」 三「只今御上が御出座になるから、失礼のないようにしろよ」 ○「畏こまりました」 三「ソレ/\御出でになったぞ。頭を下げておれ」 ○「ヘエ」 殿「コレ/\三太夫この町人か、首を商うのは」 三「御意の通りにございます」 殿「コレ、即答を許すぞ。其方《そのほう》なにか。どういう訳で首を商うのだ」 ○「ヘエこれは殿様でございますか。お初にお目にかかります。どういう訳もこういう訳もございません。首を売りますんでございます」 殿「ハゝア首を売ろうという覚悟をするまでには、何か考えがあるのであろう。どういう所から首を売ろうという気になったのだ」 ○「左様でございます。殿様の前でございますが、私の首は帯に短し、襷《たすき》に長しという、中途半端の首なんでございます」 殿「変な事を申す奴じゃな。帯に短し襷に長しというのはどういう訳だ」 ○「ヘエ男振りなんでございます、モウ些《ちっ》と好《よ》けりゃァ役者になりますし、悪けりゃァ落語家《はなしか》になってもようございますけれども、そこが中途半端だもんだから儲け口が何にもねえんでございます。同じ人間に生まれて来ても、殿様みたような結構な御身分の方もお在《いで》なさるし、此方等《こちとら》見たように朝から晩まで働いていても、年中ピイ/\している人間もございます。人間|僅《わず》か五十年と申しますが、その内二十五年は寝て暮しております。残る二十五年の内で、十年昼寝をして、五年居眠りをします。病み患いが五年で、五年の間飯を食っております。これだけ引くと人間|零《ただ》になってしまいます。アゝつまらねえとこう思いまして、首を売る気になりましてございます」 殿「ウム、シテ見れば其方はなんだな。世の中を悲観して首を売る気になったのだな」 ○「イゝエ四貫《しかん》じゃ売れませんでございます」 殿「イヤ鳥目《ちょうもく》の事を申すのではない。一体幾らでその首を商うのじゃ」 ○「七両二分でございます」 殿「フム首代《くびだい》七両二分という事を申すからな。それで七両二分で商うのか。金子《きんす》へ下げ遣わせばいいのじゃ」 ○「お金でございますか、ヘエそりゃァ今私が前金に頂戴いたします」 殿「其方に金を遣ってどうするのだ」 ○「イエどうもこうもございません。手前が頂きして、胴巻へ入れてチャンと腹へ結わい付けとうございます。マァ殿様の前でございますけれども、先ず死ねば極楽へ行くとか地獄へ行くとかどっちかに極《き》まっております。私なんぞはとても極楽へ行けそうもございません。マァ差し詰め私の行くのは地獄でございます。地獄へ行きました所で、地獄の沙汰も金と申しまして、金があれば幾らか鬼も優しくしてれるだろうと思います。またまかり間違って極楽へ行った所で、阿弥陀も金で光る世の中と言いますから、どっちにしても人間金を持ってなくっちゃァ駄目でございます」 殿「なかなか面白い事を申す奴じゃな。三太夫しからば直ぐに金子を遣わせ」 三「畏まりました…。サァ七両ニ分、御下金《おさげきん》になるぞ、有難く頂戴をしろ」 ○「へイ/\どうも有難う存じます。前金に頂きまして申し訳がございません。殿様こういう工合に金をスッカリ胴巻へ蔵《しま》いまして、ピッタリと腹へ押し付けて置きます。ヘッヘ…、エーこれで宜しゅうございます」 殿「それでよいか。其方の死骸はいづれへ下げ渡してよいのじゃ」 ○「死骸でございますか、それは自分で引き取って参ります」 殿「ハゝア、こいつ気が狂《ちが》うておるのじゃな三太夫、さもなければ首を商うなどと言う事があるものではない。何か遺言《ゆいごん》はないか」 ○「ヘエモウ遺言も何もございません。親もなけりゃァ女房子もございません」 殿「ハァ、気楽なものじゃ。過日求めた新刀を持参いたせ。試して見たいと思っていた所である。念仏か題目でも唱えたらよかろう」 ○「イエモウこうなったからにゃァ、念仏にも題目にも及びません。どうぞなるたけお早く願い申しとうございます」  殿様はお羽織をお脱ぎ捨てになりまして、鞣革《なめしがわ》のお襷《たすき》、袴《はかま》の股立《ももたち》を高く取り上げて白鞘物《しらさやもの》を片手に提《さ》げ、お庭下駄をお穿きになって、ヅーッとお庭へお下りになり、番手桶へ水を充分に汲ませ、一刀《いっとう》ギラリお抜きになりまして、鞘は御家来へ渡し、鍔際《つばきわ》から鋩子《ぼうし》先まで、水をサーッと掛けさせ、ピュッと一ツ水振いをして、かの首売の後ろへ廻りました。 ○「エゝ少々お待ちなすって下さいましよ。只今|後《おく》れ毛もスッカリ掻き上げまして、切り損じのないようにして差し上げますから…。サァおやんなすって下さいまし」 殿「よいか、ヤッ」  と声を掛けて切り下ろすのを、ヒラリ体《たい》を転《かわ》したかと思うと、傍《そば》にあった風呂敷包みから、張子《はりこ》の首を一ツ投《ほう》り出して、パッと逃げ出した。 殿「コレ/\首屋/\、これは張り子の首ではないか。汝《なんじ》の首を置いて行かんか」 ○「ヘエ。これは看板でございます」