本堂建立(ほんどうこんりゅう) 八代目桂文治  十人寄れば気は十色《といろ》、人毎《ひとごと》に心持ちが違うもので、また従って容姿《ようす》も違っております。もっともこれが同じだろうものなら、誠に困る事が出来ます。自分の内儀《おかみ》さんを間違えたり、亭主を間違えたり致します。容姿《ようす》が違っていると同じように、嗜好《すきこのみ》も違います。聞く物では落語が面白いという方もあれば、講釈の方が身が入っていいという方もあるし、浪花節は節があって面白いという方もあります。ま何より義太夫《ぎだゆう》がいいという方もあれば、江戸趣味で常磐津《ときわず》がいい。ナニ清元《きよもと》が粋《いき》でいい。イヤ新内《しんない》の方がよかろう。長唄《ながうた》が上品でいい。筑前琵琶がいい。西洋音楽のバイオリンがいい。相撲が力瘤《ちからこぶ》が入って面白い。俺は喧嘩が一番好きだなんて野蛮なのが出て来る。喧嘩の好きなのが一番困ります。実にお道楽はいろいろでございますが、好きとなると不思議なもので、聞いたり見たりするはかりでは飽き足らないで、今度は自分がやって見たくなる。お芝居の真似をしたり、相撲を取ったり、小さい声で調子外れの清元を唄ったりする。立派な髯《ひげ》を生やして金縁《きんぶち》の眼鏡を掛けた紳士が、自動車の中で小さな浪花節の本を出して、頃は元禄十四年…などと締め殺されそうな声を出して唸《うな》っているのがあります。そうかと思うと湯屋へ参りまして、湯の中で真っ赤になって額に青い筋を出して、帝釈様《たいしゃくさま》見たように目を三角にして、蒸し立ての薩摩芋のように頭からポッポと煙を出して唸っているのが有ますが、浪花節ばかりは人間の咽喉《のど》から発する声とは思われませんな。当今《とうこん》はお若い方が集まってちょっと遊ぼうなどというと、球突《たまつ》きへお出でになって、球を突いてお遊びになるが、昔は若い者が集まると、退屈だから湯屋へ行こうと言うんで、湯屋の二階へ集まったもので、もっともその湯屋と申すと、先ず湯から上がって来ると、桜湯を呑ませる。または茶を呑ませます。そこに売っているのが羊羹《ようかん》にカステラ今坂《いまさか》などというものがある。また辻占《つじうら》などがあって、若い方がそいつを取って、独りでニコ/\でいたり、ちょっと吉原などへ遊びに行くと家《うち》へ手紙を遣《よこ》しちぁァ面倒でいけねえから、湯屋の二階へ遣してくれなんて、女郎《じょろう》の手紙を湯屋の二階の友達が大勢揃っている所で、高々と読み上げて、お菓子の一ツも買わせられてゲタ/\喜んで笑っている。その時分は湯屋でも二階へ男ばかり置ましたが、後《のち》に綺麗な女の子を置くようになってから、湯屋の二階というものは、禁《と》められてしまいました。ソコでこの連中が髪結床《かみゆいどこ》へ行くようになった。町内の若い衆が髪結床へ皆な集まって来る。けれどもその連中が毎日髪を結ったり顔を剃《そ》ったりする訳ではない。スーッと奥へ入ると、隅の方で将棋を差していると思うとこっちでは碁を囲んでいる。そうかと思うと本を引っ張り出して、一生懸命読んでいる。または髪結床へ来て髯《ひげ》を抜いている人もある。またあっちの隅では仰向《あおむ》けに引っ繰り返って、涎《よだれ》を流し、屋台店のの蟹見たような顔をして、グウ/\寝ている。またこっちには一固《ひとかた》まり、泡《あわ》を飛ばして浮世話をしている。随分、髪結床の奥座敷というものは、賑やかなものでした。 ○「大分話がもてるじぁァないか。アヽ芝居の話だね、ようござんすねえ。芝居はいいや、無筆の目学問《めがくもん》、一日の中に勧善懲悪がスッカリ分かる。悪人は滅びて善人が栄えて治まりが付く、それで誰が見ても面白いというのだから、あんな結構な物はありませんね…ヘイ/\そうですよ。相撲は男の見るものだなんて言いますが、強い者が勝って弱い者が負けるんだと思えば、モウ見る気になりませんね。相撲位つまらないものはありませんよ。もっともあの相撲に馬鹿に凝っている人があるんですよ。十日の相撲を十二日見たなんていうから、どうしたのかと思ったら、小屋を掛ける日と、これを毀《こわ》す日を見るんだそうで、馬鹿々々しいじぁァありませんか。実に何で、相撲を好きだなんて奴の面《つら》を見てやりてえ位で」 ×「オイ/\、オイ」 ○「ヘエ」 ×「オイ文《ぶん》さん、お前さん大層相撲の事を悪く言いなすったね」 ○「へエ」 ×「へエじぁァねえ。芝居なんてえ物は、女子供の見る物だよ。男の見る物は相撲に限るんだ。第一相撲は天下の力士と言ってお大名のお抱えで、どんな豪《えら》い方の前へ出ても安座《あぐら》を掻いて酒が飲める。それに引き替えて役者なんぞはどうだ。河原乞食だ。真昼間《まっぴるま》編笠《あみがさ》を被《かぶ》らなけりぁァ往来が出来ねえ。男の癖に白粉《おしろい》を塗《つ》けやがって、女の真似をしたり何かしやがる。あんなものを見る奴はなんだい」 ○「アヽモシ/\、モシ薪屋《まきや》の阿父《おとっ》さん、大層あなた役者のことを悪く言うね。それもいいが、芝居の好きな奴はなんだいというのは、そりぁァお前さん、少し口が過ぎやァしませんか。それに黙って聞いてれば何ですって、相撲は天下の力士だが、役者は河原乞食ですって」 ×「河原乞食だから河原乞食と言ったのだか、それがどうしたい…」 ○「そりぁァあんまり乱暴でしょう。もっとも昔、京都の四条河原で芝居をした。それがために河原者《かわらもの》と言ったが、河原乞食などというのは少し言葉が過ぎましょう。乱暴でしょう。それから天下の力士は大名のお抱えで、どんな人の前でも出られるが、役者などは昼間も編笠を被らなければ表を歩けないと言うが、それはお言葉が違いましょう。役者だって随分えらい方の御前へも出てきますよ。あなたは江戸の芝居の起こりをご存じですか」 ×「そんな物は知りませんよ」 ○「そんな物と言うことはありますまい。寛永元年の春、猿若勘三郎《さるわかかんざぶろう》が、舞鶴の紋を付け、狂言座並びに太鼓櫓《たいこやぐら》を許され、舞鶴の紋を付けて中橋で興業をしたのが初めで、その猿若勘三郎は、寛文の九年|御座船《ござせん》安宅丸《あたかまる》が伊豆の国から入津《にゅうしん》した時、水夫《かこ》の櫓拍子《やぐらひょうし》が揃わないために、船が左右へ動くのみで、サッパリ進まない所から、御船手頭《おふなてがしら》向井|将覧《しょうげん》様の仰せを受けて多くの水夫《かこ》に木遣《きや》り音頭を教え、勘三郎が舳先《へさき》に立って音頭を取ったので、船が動いたと言う。その時に将軍家が御覧になって、天晴《あっぱ》れだというので金の麾《ざい》を賜った。その金の麾《ざい》を芝居の櫓《やぐら》へ上げた。ところがお通り掛かりになるお大名達がその金の麾《ざい》に対して、輿《こし》に乗っている人は輿から下り、馬に乗った方は馬より下ってお低頭《じぎ》をする、それからまァあまり御身分のある方に対して御無礼だというので、金の麾《ざい》を下して、梵天《ぼんてん》と取り替えたという位だ。相撲の櫓《やぐら》などとは訳が違う。ダカラ芝居小屋で櫓を上げるだけの格式がなければいい芝居とは言えない。芝居の櫓、寺の経巻《きょうかん》、町家《ちょうか》のうだつ=Aこれは皆な付き物だ、馬喰町《ばくろちょう》辺へ行くと、ズーッと大きい家《うち》にはうだつ≠「う物が上がっている。お前さんなんざァそんな了簡《りょうけん》ではとても生涯うだつは上げられませんね」 ×「何を言いやァがるんだ、うだつを上げられようが、上げられめえが大きにお世話だ。お前《めえ》なんぞの世話にぁァならねえよ」 ○「汝《てめえ》なんぞの世話をするもんか」 △「オイ/\喧嘩をしちぁァいけねえな。髪結床の親方が困るじゃやァねえか。ここで大きな声をして怒鳴《どな》り合うと、店の邪魔になるから親方が困るよ。止《よ》しねえ/\第一|外見《みっとも》ねえや。お互いにいい年をして、子供見たように喧嘩なんてしっこなしだ。モシ/\紙屋の隠居さん/\」 隠「何ですえ」 △「ヘッヘヽヽ、こうやって若い者の話をしているのを聞いていると、さぞ可笑《おかし》いでしょうね」 隠「アハヽヽ、イヤ若い人のお話は誠に力が入って面白い。けれども何ですねえ、昔の事を思うと、今の芝居でも相撲でも見られたものじぁァありませんよ」 △「それァそうでしょうね」 隠「相撲などを見ましても、第一に厭《いや》なるのが相撲の小さくなった事ですね」 △「ヘエー、昔の相撲はそんなに大きかったのですか」 隠「大きいにも何にも話にならないね。私の若い時分にいた釈迦《しゃか》ヶ嶽《たけ》という相撲は、坐っていて火の見の上にいる人というから火の番だろうね、その人の火を借りたというんだ。随分大きいものでしょう」 △「成程、それァ大きいものですねえ。そんなに昔の相撲は大きかったものですかね」 隠「それに何だ。今は晴天十日というが、昔は晴天|八日《ようか》と言ったものだ。第一何だよ、雨が降ったからといって張子《はりこ》じぁァなし、糊《のり》が外《はが》れるの破けるという訳じぁァなし。雨が降ると雲が掛かるので、頭が雲の中へ入ってしまうから相撲の頭が見えない。それがために雨の降る日には相撲を取る事が出来ないので、昔は晴天八日とこう極《き》めたものだ」 △「アヽ成程、大層大きかったものですね」 隠「大きい所じぁァない。あの膝の下にお灸をすえるのを三里というが、あれの起こりを知ってるかい」 △「イイエ知りませんね、どういう訳で」 隠「あれもやっぱり相撲から起こった事だ。下の方から見るとポッツリ膝の下に黒い物が付いているから、あれは何だというと、あれは灸だといふんだ。それからあの灸の所まで、どの位あるだらう。あすこまで、三里位あるだろうというんで、膝の下の灸が三里と名をつけたんだ。それから一里上がると四里《しり》(尻)というんだ」 △「ウフッ、まるで落語《おとしばなし》のようだ。隠居さんなかなか話はお上手ですね。そんな大きい相撲が取るんじぁァ、小さい所じぁァ取れませんね」 隠「そうさ江戸四里四方が相撲場なんだ」 △「へエー、江戸四里四方…どうも驚いたねへエー、見物《けんぶつ》はどこから来ます」 隠「近郷近在から皆な出て来る」 △「成程、大変だね、じぁァ木戸も一ヶ所じぁァありませんね」 隠「木戸は二ヶ所|拵《こしら》えましたよ」 △「へエどことどこにあったんで」 隠「芝と四谷に大きい木戸を拵えたんだ、それがいまだに二ヶ所とも地名になって残っている。木戸といってね」 △「アッ成程、そういう大きい相撲が取るんだから、さぞ面白い勝負があったでしょう」 隠「それァ面白いのがありましたよ。私が一番納めに見た相撲だが、これが大層なものだった」 △「へエー何てえ相撲で」 隠「木曽山《きそざん》に富士川というんだ」 △「へエ面白い名前ですね。それがどうしました」 隠「暫らく見合っているうちに、息が合ったか、サッと引く行司の軍扇《ぐんばい》もろとも、双方立ち上がって小手先でチョイと突き合ったと思うと、ムンズとばかり四ツに組んだ」 △「へエー、相撲は四ツに限りますな。隠居さんの前ですけれども、私はそれほど相撲を好きというのではない。といって嫌いではないが、見ていて四ツという相撲は一番心持ちのいいものですね、打附《ぶつか》りあって尻餅を搗《つ》くなんてのは愛嬌があるようなものの、相撲としては力が入らなくって面白くない。四ツになって全身から汗を流して揉み合う相撲が一番面白い。さぞそれは大相撲でしたろうね」 隠「マァお聞きなさい、四ツになって暫く揉み合ううちに、どうした工合《ぐあい》か左右へ別れた」 △「へエー」 隠「スルト富士川が飛び込んで行で、突然木曽山の前袋へ手を掛けた」 △「成程」 隠「ところが昔の富士川は力があったんだね。木曽山の前袋へ手が掛かったかと思うと、木曽山をふって/\ふって/\ふり抜いて、七日七晩ふり続けた」 △「ヘエー、七日七晩、随分長くふったものですね」 隠「それァ大変だ、向こうの人はこっちへ来られず、こっちの人は向こうへ行けない。御客は毎日/\表へ出ちぁァ空を眺めて、どうしたんだろう。空が抜けてしまったんじぁァないかというので大騒ぎ、ただモウ喜ぶのは宿屋ばかりさ」 △「モシ/\ちょっと待って下さい。少し話が変わって来たようですが、隠居さん。やっぱりそれは相撲の話ですか」 隠「イエこれは私が若い時に東海道を見物に行って、富士川の川留《かわどめ》に遇った話だ」 ○「何のこったい。年寄りは人を食っていていけねえ、モウお前さんとは話をしませんよ、だらしがねえや」 ○「何だ表へ汚ねえ坊主が来たじぁァねえか」 △「アヽあれは毎日来るんだ。本堂|建立《こんりゅう》の勧進《かんじん》だという」 ○「大方鼻の下|空殿堂《くうでんどう》の建立だろう」 △「そうだよ」 ○「そうだろう。どうもそうらしいや、時にこうやって皆な毎日ここへ集まるが、何も話す事もなければ、聞く事もなくなった。私はこれまで坊主の惚言《のろけ》を聞く事がないんだが、どうだいあの坊主を引っ張り込んで、今日の分だけ銭《ぜに》を遣って、惚言《のろけ》を聞かして貰おうじぁァねえか」 △「成程そいつは面白い、結構だね」 ○「そっちはどうだい」 ×「結構ですよ」 ○「じぁァ入れてもようがすか」 ×「ようがすとも」 ○「じぁァ呼び込みますよ…。オイ/\御出家/\ちょっとお入んなすって下さいませんか」 僧「ハイ/\許《ゆる》さっしゃいまし。あなた方はお年の若いのに感心な人や。本堂建立の御寄進に付いて下さるか、これは/\御奇特の事でごわりまする。南無阿弥陀仏/\/\」 ○「大分坊さん、上等の声を出している…ねえ御出家さん、そりぁァ皆なで少しばかり御寄進にも付きますが、その代わり一ツお気の毒様だが、お前さんの若え時分の話をして聞かせて貰いてえものだと、こう思うんで、お前さんだって初めっからの坊さんじぁァねえようだから、若え時分に女を泣かせたなんて話も全然《まるで》ねえ事もなかろうと思うねえ。それがために罪滅ぼしに坊さんになったというような訳があるんでげしょう。ねえ、そいつを一ツ話して貰いてえもんで」 僧「イヤこれは/\アッハヽヽヽ、何事のお尋ねじゃと思うたらこれはえらい事のお尋ねでごわすな。出家の身として斯様《かよう》な事を発言致すはあられもない話でごわすが、しかしお尋ねに甘えまして、ではちょっと若い時分の事をお話いたします。私はな、若い内からあまりこの女に惚れた事がごわせんでな」 ○「それじぁァあんまり女は出来なかったというんですかい」 僧「それがの、私《わし》の方では一人も惚れませんだったが、世界の女子《おなご》は皆んな私《わし》に惚れていました」 ○「ウフッ、オウ聞いたか、エヽ、大変な勢いだぜ。世界の女子《おなご》は皆な惚れていたとよ。マゴ/\するとこっちが煽《あお》りを食ってしまうぜ、それからどうしましたね」 僧「男が女子《おなご》に慕われるのは、コリヤ当然の話でごわすが、私は男で男の坊《ぼん》さんに惚れられた事がごわすで」 ○「ヘエー」 僧「私《わし》が湯島の茶屋におりました時分、男の坊《ぼん》さんに惚れられました」 ○「ヤッ、それじぁァ何ですかい。湯島の茶屋というのは、優男《かげま》茶屋だという事を聞きましたが、お前さんは元|優男《かげま》で」 僧「アヽそうでごわす」 ○「失礼な事を申し上げるようだが、マァ優男《かげま》というものは、ちょっと十七八の色の白い綺麗な若衆《わかしゅう》のようだが、失礼ながらお前さんはあまり綺麗じぁァありませんね」 僧「イヤ/\それは年を老《と》りまして、皺《しわ》も出来、殊《こと》にこうやって毎日/\建立のために歩きまして、雨に打たれ、風に当たり、日に照らされ、自然垢染みましたのでごわす。それに丈《せい》じゃというてスラリとしておりましたが、毎日々々諸方を歩きましたのでちょっと踵《かかと》が摺《す》り切れました」 △「冗談言っちぁァいけない。踵《かかと》が摺り切れた日には終《しま》いには人間首ばかりになってしまう。それでその坊さんはどうしました」 僧「その坊さんに身受けをされて、駒込の吉祥寺へ預けられた。ところが本郷四丁目の八百屋の娘お七という者が、私が茶の湯座敷の次の間で書見《しょけん》をしておりますと、お七さんが後へ来まして、膝で突付《つつ》いて目で知らせる。据膳《すえぜん》食わぬは男の恥、私《わし》がちょっとお七さんと好《い》い仲になりました。しかしそれも長い事はなかった。親御が普請が出来たから戻れと言うて迎いに来て、厭《いや》がるお七さんの手を取って、無理に連れて行んだ。ところが娘心の一筋に、またも我が家を焼いたなら、吉三《きちざ》さんに遇われるかと、狭い考えから我が家へ火を放《つ》けて、釜屋の武助《ぶすけ》に訴人《そにん》をされ、江戸八百八町を引き廻された上、鈴ヶ森で火焙《ひあぶ》りの刑になりました。アヽ可哀想な事をした。私が手を持って殺した訳ではないが、私ゆえにそういう事になったのでごわす。ソコで私が大阪の方へ行きやしたが、若い者の一人旅、道中で難儀をして困っていると、親切な旦那はんに遇いまして、アヽ好《え》え若衆《わかしゅ》や使い頃の丁稚じゃさかい、私《わし》が引き取って世話をしてやる程に、家《うち》へ来いと言うて、連れて行かれた先は質屋さんで油屋さん、そこにおそめはんという娘はんがあって、大層もない私《わし》に惚れて、フトした事でお染はんと私が好い仲になりましたところ、主人の娘を唆《そその》かしたいうて、読売で読まれ、唄祭文《うたさいもん》に唄われ、大阪|三郷《さんごう》の大評判になりましたさかい。どうもならんで、また江戸へ戻ろうと思いやしたが、丸腰《まるごし》で歩いたら、道中の駕籠舁《かごや》や馬方が、馬鹿にしくさる。ソコで両刀を手挟み、東海道筋を下って、ちょうど荒井の里鈴ヶ森へ掛かって来ると、多くの悪者が取り巻いて、アレ丸に井の字じゃ、丸に井の字の紋じゃと騒ぎくさる。丸に井の字が何とした。我が名を知られし上からは、生かして置いては露見の基《もと》、無益の殺生とは思ったが、片ッ端から切り倒し、刀の血を拭って鞘《さや》に納め、行き過ぎようと思うと後から小田原提灯を差し出して、お若いのお待ちなせえという人がある。待てとお留めありしは身共の事でござるかな。何ぞ用ばしござってかと、振り向いて見まするとこれが名代の幡随院長兵衛《ばんずいいんちょうべえ》はん。それから長兵衛はんに連れられて、花川戸の家へ行き、暫らく厄介になっております内に、若い者に連れられて、二三度吉原へ行き、三浦屋の小紫《こむらさき》に惚れられて、繁々通うているうちに、遊里《さと》の金には詰まるが慣い、土手八丁の辻切りも、昨晩《ゆうべ》は三人今夜は五人、ついにはそれが江戸に知れ渡り、コリヤこうしてはいられぬわい。それではまた大阪へ行こう。しかし夫婦約束までした小紫、一遍遇うてから行こうと、姿を変えて深編笠《ふかあみがさ》に紙子《かみこ》を着て、吉田屋の前へ立つと夕霧が飛んで出て、伊左衛門はんやおまへんか、こっちへ上がんなはれと手を取って、二階へ上げると若い者がこれを見付けて、打つやら蹴るやら叩くやら、とうとう表へ投げ出しくさって、可哀想に浦里《うらさと》を、庭の松の木へ括《くく》り付け、時次郎と縁を切れよと責め折檻、折しも振り出す大雪に、今一度は助けんと、用意の一振口にくわえて身を固め、忍び返しを押し取って、梯《はしご》となして忍び入り、浦里の手を取って、新口《にのくち》まで参りました時には、四十両の金使い果たしてたった二分しか残りまへん。女子《おなご》の事で足手纏《あしでまと》い、可哀想とは思ったが、梅川を投《ほっ》たらかして、江戸へ取って返し、使い馴れたる剃刀《かみそり》一丁、名前も才三と改めて、廻り髪結で歩くうち、華客《とくい》の白木屋の娘お駒はんに惚れられて、またお駒はんと好い仲になったところ、ある日の事の佃屋喜蔵と番頭丈八がヒソ/\話、聞くともなしに立ち聞けば、なくてほならぬ大事の一巻、チェー有り難い。これさえあれば五十四郡の御主《おんあるじ》、それにて様子が分かったりと、家名を継いで吉原の三浦屋の高尾の許《もと》へ通ったが、幾ら男が好くっても、金があっては高尾に嫌われ、振って/\振り抜かれ、イヤむかついてどうもならん。ソコで高尾を身受けして、高尾丸という舟を拵《こしら》えて、それへ乗せ、禁酒を破って差す盃《さかずき》も、強情張って受けやはらん。とうとう疳《かん》に障ったので高尾を釣るし斬り、しかし女子《おなご》の執念は恐ろしいものでごわすな、高尾の一念が私の身体《からだ》に付き纏《まと》うて、夜もろくろく寝られまへん。ソコで頭をこのように円《まる》めまして、高尾の菩提を弔うために、毎日々々、ナームアミダブツ、ナームアミダブツ」 ○「ウフッ、アッハヽヽ、なかなか浮気の坊さんだ、大僧な苦労人だね 此方等《こちとら》よりよッぽどこの坊さんの方が金が掛かってる。なにしろどうも御苦労様、ねえ坊さん、お前さんが今言った事は一ツも真正《ほんとう》の事はありませんね」 僧「アッハヽヽ、面目《めんぼく》ない/\、嘘じゃ/\。今まで言うた事は皆《みんな》嘘じゃけれど、この旗を持って外《おもて》へ出れば、決して嘘は吐きまへん。ほんとう′囓ァに歩きますのじゃわい」