言訳座頭(いいわけざとう) 七代目三笑亭可楽  昔、催促座頭といって、俗に座頭金《ざとうがね》というものを借りまして、返さないと、座頭が大勢|集《そろ》って烏がカァというと直《す》ぐその家《うち》へ参りまして、戸の締まっている内から門《かど》へ立ってワァ/\という。外聞が悪いから上がれといっても上がらず、モウ少し静かにしてくれといっても肯《き》かず、大きな声を出したという。その頃本所一ツ目に総禄《そうろく》屋敷というのがございました。これは何だというと、昔は盲人が金を首へ掛けまして、百何十里というものを京都まで上《のぼ》って参って、官位《かんい》を取ったものでございますが、目の不自由な人間が誠にふびんなものだという処から、本所一ツ目に総禄屋敷が出来まして、ここ官金《かんきん》というものを預かりまして、官位を取らせ、これを纏《まと》めて京都へ納めるので、その間沢山の金が空いております。これを貸し付けるというのは表向き、その実|検校《けんぎょう》なぞになかなか工面のいい者がございまして、これらから金の出る方が多いので、けれども表面は官金、京都へ納める大事の官金ゆえ、日限《にちげん》が限ってあるのだ。返してくれなければ困るというので、これがなかなか動きません。これを烏金《からすがね》というのでございます。これと反対に言訳座頭という一風様の変わったお話し。「大晦日箱提灯はこわくなし」という川柳がございます。弓張提灯《ゆみはりちょうちん》が怖いということで、唯今は人力車あるいは電車や自転車、大きいのになると自動車というような便利なものがあって、それへ乗って取り立てますから、途中でチョイと掛け取りの金を取ろうなど思って、寄り付くことが出来ません。ヒューッと行って仕舞いますが、以前は弓張提灯をブラ下げて一軒/\取って歩く。何十軒というほど取ると一人で持ち切れない位い重くなる。それが為よく途中で頭を撲《なぐ》り倒されたり何かして掛け金を皆|奪《と》られて仕舞ったなぞということがありました。今は決してそんな事はございません。江戸ッ子の言葉で、どうかなるということがございます。これはいい言葉で、女郎買いに行こう、金が無い、マァいいや、行きゃァどうかならァな。江戸時代には真実《まったく》どうか成ったものだそうで、ところが当今はなかなかどうか成るどころでなく、無銭遊興ですぐに警察署へ引っ張られるというようなことになります。大晦日がそれで、明ける元日からモウ大晦日のあるというのは、どんな馬鹿でも知っておりますが、今いうどうか成るの固まりが三百六十五日、ギッシリ行き詰まった大晦日、どうにもなりません。 女房「お前さんどうしたんだね」 亭主「エヽ」 女「エーじゃァないよ、あれんばかりのお銭《あし》といっちゃァ済まないけれども、男一匹じゃァないか。朝っぱらから出て算段して、あれっぱかりのお金で大晦日が越せると思っているのかい」 亭「思ってたって思っていなくたって、仕方がねえじゃァねえか。どうしたってあれだけしきゃ出来ねえんだ」 女「あれッきりしか出来ないたって、どうにか仕様がありそうなものだね。喧《やかま》しくいう掛取りが幾らも来るよ」 亭「いいじゃァねえか」 女「よかァないよ、いいで澄《すま》していちゃァ困らァね」 亭「そうだけれども」 女「何がそうだけれどもだよ。お前さんが弁舌がよくって何とか旨く瞞着《ごまか》して、今のところはこの始末でどうにもいけませんとか何とか言えればいいが、へらず口は利けるが纏《まと》まったことは何にも言った事はないのだよ。こうおしよ」 亭「エヽ」 女「長屋の|富《とみ》の市《いち》さんね」 亭「ウム/\」 女「目こそ見えない、お爺《じい》さんだけれども、あんなまた口前《くちまえ》の巧《うま》い人はないよ」 亭「そうかい」 女「そうかいッて、一昨日《おととい》だよ。お米を磨《と》いでいたらね、アノ頑固な家主《いえぬし》がやって来てなんでも店賃《たなちん》が七つも溜まっていたんだとさ。今年中に店《たな》を明け払ってくれろ、さもなけりゃァ幾らでも入れろといって家主が動かない。そうするとあの人が、なんだか知らないが、ツベコベ/\喋舌《しゃべ》っていたものだから、家主が煙《けむ》に巻かれて、そんなにいいなさんな。借金で首を持って行かれる訳はねえから乃公《おれ》が地主の方へ春まで延ばすように何とかいって置いてやるから、決してそうくよ/\しなさんな。身体《からだ》でも悪くすると詰まらねえといって、家主は煙に巻かれて帰って行ったが、どうも巧いものだと思って感心しちまったよ…算段して来たお金の中から、ここへ一円包んだからね」 亭「どうするんだい」 女「富の市さんの処へ行ってね、頭を一生懸命下げるんだよ。下から出なくっちゃァいけないよ。昔の江戸ッ子で、年は七十に近いが、なかなか娑婆《しゃば》ッ気のある人だからね」 亭「ウム/\、ウム成程」 女「お見掛け申して願い致します。義理の悪い借金がありまして、掛取が来ます。貴方《あなた》が弁口《べんこう》がいいので思い付いたのでございます。春まで延ばして貰えば、春早々お返し申すからという事にして戴きたい。つまり貴方に言い訳をしてお貰い申したいのだとこういって、只じゃァいけないが、お酒代《さかて》とか何とかいって一円持って行きゃァやってくれるよ」 亭「こいつァ巧いな。じゃァ先方《むこう》へ乃公《おれ》が行くのか」 女「当然《あたりまえ》さ。お見掛かけ申してといって膝へ縋《すが》るんだよ。あれでも江戸ッ子だよ。宜しゅうございますとやってくれるよ」 亭「ウム、じゃァ片付けときねえよ、ここへ連れて来るから、掛取が来ても一々|乃公《おれ》が出ねえであの人にやって貰うのだな」 女「そうさ、春まで延びればあのお金でどうにか春の支度が出来るからね。長屋の者がお目出度《めでと》うございますといって来ても、襟垢《えりあか》の付いた着物でお目出度うとはいえないじゃァないか、お互いに綺麗な着物の一枚も引っ張って熨斗餅《のしもち》を買って来るとか、門松位打ち付けなきゃァ春らしくないよ」 亭「じゃァ行って来るから、ここを片付けて置きな…。ヘエ今晩はお忙がしゅうございます」 富市「イヤお出でなさいまし、エー何ですかお見外《みそ》れ申したが何誰《どなた》で」 亭「私で、甚兵衛でございます」 富「アヽそう/\甚兵衛さんだ」 甚「久しくお目に掛かりません。長屋にいてツイわたしもね貧乏|閑《ひま》なしでなんですよ。さぞ暮れでお忙しゅうございましょうな」 富「イエ暇で仕様がねえ。先刻《さっき》から退屈してどうしようかと思ってた処で、マァお茶を入れますからお上がんなせえ」 甚「つきまして、今日は大晦日、貴所《あなた》を見込んでお願いがあって出ましたのでございますが助けて戴きたい。今朝から足を棒のようにして駈けて歩きましたが、どうにも仕様がないので、一ツ助けて戴きたいとこう思ってお願い申しに出たので」 富「そいつは弱ったな。私も昔は江戸ッ子だからね。こんな爺按摩《じじあんま》でも、人に頼まれりゃァ頭振ったことのねえ人間だ。次第によりゃァ火の中へでも飛び込むんですがな。外《ほか》の事と違って、自分がどうにも仕様がねえんだ。せめて品物でもありゃァ、それを持って行って、チョイと質屋の番頭を談じてこうしたらようございましょうとか、なんとか相談に乗りてえけれども、どうにもこうにも仕様がねえ、自分が遣《や》り切れねえんだ」 甚「イエ、アノ品物をお借り申したいの、お金を借り申したいのというのじゃァございません。失礼でございますが、ここにホンの御酒代《おさかて》で、今晩のことだから失礼ですけれども現金《げんなま》で持って参りました。これほ本当の御酒手でございます」 富「なんだか夢見たやうな心持ちだな。人に物を頼みてえといわれて、金を貰うとは思わなかった。銭《ぜに》を貰ったからというんじゃァございませんが盗賊《どろぼう》をしろの、人殺しをしろのといわれたらば無理だろうが、大概の事なら私が請け合おうじゃァございませんか。なんだい」 甚「それが女房が知っておりまして、貴所は弁口がいいというので、義理の悪い金がございまして、こいつを払うのに少し足らねえ位の金をようやく算段しましたが、胡麻塩《ごましお》を振り掛けるようになっちまって、借金取りの方は済んじまっても、襤褸《ぼろ》に包《くる》まって夫婦で元日早々ムツリとしていなきゃァならねえし マァ門松の一本も立てるとか、せめて熨斗餅位買って来て祝いとうございます。ついては春まで義理が悪い借りを一ツ延ばして貰うだけの言い訳を貴郎《あなた》にお頼み申したいと思って私は口不調法《くちぶちょうほう》でございまして言い訳が仕悪《しにく》いのですから」 富「つまり米屋だ薪屋酒屋だ魚屋だ裏だというのかえ」 甚「ヘエそれが月極めになっておりまして、十二ヶ月満足にきっと遣った例《ためし》がないので、半端だけ残ったとか半分持って行ってくれろというんで、そいつが溜まり溜まって…」 富「アー成程よくあるやつだね。こう借りが殖《ふ》えちゃァ、いかにも気の毒で買えねえというので、米なら米を他《わき》で買う、こいつが商売|敵《かたき》でその米屋が黙っちゃァいねえ。無理な催促するという、そいつが貧乏馴れねえというのだ。失礼ながらお前さんの方か…エヽそうじゃァないんだ、米屋でも酒屋でもそこへ行って買っているんだって、じゃァ義理が悪いというのはどういうんだ。お前さんも随分貧乏馴れな過ぎるね。そいつは義理のいい借りなんじゃァねえか。なんでもねえ話だ。そんなものは差し支えねえ。大変不義理なことでもあるのかと思ったら、そんなことなら朝飯前だ。チョイとやって上げましょう、訳はねえ」 甚「ヘエ、左様ですか、じゃァ一ツ宅《うち》を片付けてお待ち申します。モウ来る時分ですから…」 富「お前さんの家《うち》へ行って借金取りの来るのを待っているというのかい。それが馴れねえんだよ。お前さんよく考えて御覧、なにしろ大晦日というものは商人《あきんど》は忙しい。目の廻る程忙しい中を、無駄足をさしちゃァいけないよ。先方《むこう》から来ない内にこっちから出掛けて行かなくっちゃァいけねえ。そうすりゃァ無駄足だけ免《のが》れるというものだ。同じことた。そうじゃァごわせんか。こっちから行きゃァいいが、家に待っていると戦争《いくさ》で言やァ受太刀《うけたち》になって仕舞う。こっちから行かなくっちゃァいけねえ」 甚「ヘエ成程、どうもそいつは気が付かなかったが、ヘエ宜しゅうございます。それじゃァ私が御案内いたしましょう」 富「お前さんは喋舌《しゃべ》らない方がいいよ。どこまでもお前さんは無口の人間で、何の話も委《くわ》しく出来ない。一ツ長屋にいて、私がお喋舌《しゃべ》りだものだから頼まれて来ましたとこういって出掛けりゃァいいんだ」 甚「ヘエ左様で、御案内いたしますから」 富「大概大丈夫だ。盗棒《どろぼう》が入ったって呆れ返って持って行くものはねえ。直《じ》き近所だろうね。遠いところで隣町《となりちょう》位、成程何軒あるか知らねえけれども訳なしだ。順にやって行かねえと一ツ所を行ったり来たりするといけねえから…米屋というのはどこだい。大和屋、アヽ大六《だいろく》さんかい。あれも古い米屋だね。私もこの町内に三十何年|住《すま》ってるけれども、随分商人も変わったがあの家は古いや。吝嗇《けち》という話は聞いているけれども、時々米は買いに行きますがね、療治に一つ行ったことはねえ。幾ら吝嗇《けち》な人でも偶《たま》には肩の張ることもあるんだろうが、一遍も行った事がねえ。お前さん口を利いちゃァいけないよ。後ろに只聞いていりゃァいいんだ。私はこの甚兵衛さんに頼まれて来ましたといって、下手《へた》な易者見たような口から出任《でまか》せにベラ/\喋舌《しゃべ》るから、そいつをお前さん子供見たように驚いちゃァいけねえよ。先方《むこう》次第で何をいうか知れねえ、喧嘩をするかも知れねえ、それでも黙っていなけりゃァいけねえよ…。モウ些《ちっ》と先だね…アヽここかい、いいから後ろへ引っ込んでお出で…ヘエ今晩は、お忙しゅうございます」 ○「いらっしゃいまし、お米を上げますか」 富「イエそうじゃァねえんでございます。旦那にチョイとお話がございまして出ましたので、チョイとお目に掛かりたい。アヽ貴所《あなた》が旦那ですか。これはどうもお見外《みそ》れ申しました。実はこの後ろにおります、この甚兵衛さんに頼まれまして私が参ったのでございます。こちらへマァ返さなくちゃァならねえといふ御借りがあるんだそうで。なにしろこの甚兵衛さんの営業《かぎょう》というものは大道《だいどう》商いで、御承知の通りどうにもこの大晦日がやり切れねえとこういうので、家財道具をバッタに売った所でづつと喰い込んでいるんで仕様がねえ。お返し申す心算《つもり》でございましたが、到底今夜百の金もお返し申すことが出来ねえとこういう訳で、この人か無口だもんだから、私がお喋舌《しゃべ》りで頼まれて来ましたが、どうかその思し召しで、ヘエ、左様なら」 ○「オイ/\、待ってくんな。甚兵衛さんや、今朝家から奉公人を上げたら、御夫婦揃っていてモウ日が暮れれば間違いなく確かに上げますからといった。それじゃァ道順で参りますから七時頃か八時頃までにはといったら、何時でも宜しゅうございます。無駄足をするといけませんからと言ったら、夫婦で口を揃えて、ねえ甚兵衛さん、留守でも分かるようにして置くとまでハッキリ…」 富「お待ちなせえまァ、お前さんはこんな大きな屋台骨を背負《しょ》っていながら、解《わか》らねえ男だな。甚兵衛さんは無口だよ、いいかい、だから私はこんな爺按摩《じじあんま》でもお喋舌《しゃべ》だし、同一《ひとつ》長屋の者だから頼まれてその言い訳に来たんだ」 ○「ウム、じゃァ到底返せねえのかい」 富「到底返せねえから返せねえというのに違えねえじゃァございませんか」 ○「返せねえといって、それは甚兵衛さん」 富「お前も分からねえ、私が代わりに来ているんだ。言うことがあるなら私に言ってくんなさい」 ○「今言った通りじゃァごわせんか」 富「人ので間に合わせないで新規に言っておくんなさいな。今いった通りとはなんだ」 ○「それですから今朝奉公人が参りまして、留守でも分かるようにして置くというまで今、話を甚兵衛さんにしました」 富「それだからお前《めえ》は分からねえというのだ。首と釣り替えの判証文《はんしょうもん》を押したのさえへ約束通りに返されねえものだ。ただ大晦日の晩に上げますからといったからって、当てにならねえ、それを当えにする鈍痴気《とんちき》があるものか、冗談じゃァねえ、貧乏人だよ。最初から金はねえんだ。それでも取ろうなんて図々《ずうずう》しいことを言いなさんな」 ○「なんだいお前さん乱暴なことをいって」 富「乱暴というけれどもお前《めえ》さんの方が乱暴じゃァねえか。無えものを取ろうというのは乱暴じゃァねえか。これだけの屋台骨を背負《しょ》っていて甚兵衛さんの借りが幾らあるんだ。瑞た銭じゃァねえか。こいつを取らなけりゃァお前《めえ》さんの家が喰えねえということはねえんだ。サァ何でも取ろうというのか。居催促《いざいそく》だ。来年まで待つといわねえ内は動かねえから」 ○「困るな…ヘエいらっしゃいまし、オイ/\お華客《とくい》様が来たんだから」 富「いいじゃァねえか、こっちもお華客《とくい》じゃァねえか。何をいってやがるんだ」 ○「へエ只今戴きに出ます。道順で少し…」 男「どうも困るよ。お前さんの所で勘定を取りに来ないので家で起きていなきゃァならないんだ。来なけりゃァ寝ちまうから」 ○「へエ有り難う存じます。只今上がります…あの通り御覧なさい。勘定を払うために、来なきゃァ寝ちまうというのだ。アヽいうお華客《とくい》もあるんだから」 富「だからさ、そんなに勘定をくれたがる客もあるんならいづれ大口だ。その方から取りゃァ何も貧乏人から取らなくってもいいじゃァねえか」 ○「冗談いっちゃァ…。ヘエいらっしゃいまし、困るな、ようがす。仕方がないから春まで待ちますよ」 富「そうしておくれ。そうすりゃァ私も嫌なことをいいたかァねえ。それじゃァどうか春まで待っておくれ…サァ行こう」 甚「富の市さん、市さん」 富「なんだい」 甚「随分どうも乱暴じゃァございませんか」 富「ナニ、乱暴じゃァねえ、 アノ位の勢いでやらなくっちゃァ、なかなか先方《むこう》が承知しないよ…今度はどこだえ。心配しなくってもいいよ。和泉屋《いずみや》、薪や炭を売ってるあすこだね…あすこは私も始終療治に行って心安い。心安い者は困るな。あすこの主人《あるじ》は頑固だから些《ちっ》と難しいが、マァようがす。途中で考えながら行くから、先方《むこう》へ行って出鱈目《でたらめ》をいうから驚いちゃァいけねえよ…。モウ少し先だね。ここかえ。よし/\。後ろの方へ退《さが》ってお出で…モシ薪屋の旦那、いねえのかい」 △「アヽ富さんかい、なにか買い物か」 富「ヘエエ買い物じゃァごわせんがね。お前さん所《とこ》じゃァ随分薄情でいけねえよ、あんな不人情な真似をしちゃァ」 △「大きな声を出して何を不人情だの、薄情だのといって、なにか悪いことがあるんですかい」 富「あるじゃァございませんか。こないだ炭を一俵買ったんだ。刎《は》ねて仕様がねえじゃァねえか」 △「可笑いな。私は炭焼きじゃァなし、刎ねていけなけりゃァいけないと言って下さりゃァ今でも直《す》ぐに取り替えて上げますよ」 富「それはモウとっくに使っしまったがね」 △「ナニ、使ってしまった炭で、お前さん苦情をいうのか」 富「苦情をいう訳じゃァねえが、手へ刎ねるとか顔へ刎ねりゃァ、生きてる、熱いから払っちまえばそれまでだ。目が見えねえ、独身者《ひとりもの》だ。湯を沸そうと思って火を熾《おこ》して…こんな貧乏按摩でも畳だけは新らしい畳が敷いてありゃァ。畳替えがしてあったが、表が悪いからケバ立っていやがって火が刎ねたものと見えてなんだか臭え。煙くなって来た。変だから手で擦《こす》って見ると、畳が燃えてやがる。驚いた、一尺四方もある、根太板《ねだいた》まで抜ける大穴が出来てしまった。消そうと思って騒いでいる内に土瓶《どびん》が破《こわ》れて茶がチューッと浸み込んだ。一人でバタ/\騒いでいたら隣家《となり》のおせっかい婆さんがこれを見て、水を打《ぶ》っ掛けてくれたから、畳はどうにかこうにか消して仕舞ったが、穴を明けッ放しにして置けねえから、横町の畳屋の友さんの処へ行って、親方済まねえが是々だと話をしたところが、ちょうど古畳《ふるたたみ》があるから、よし、やってやろう、表を中古《ちゅうぶる》にして隅の方へやって置けばどうにか遣り繰りが付くからといってスッカリ直してくれ、どうしたんだというから、炭が刎《は》ねて是々だと話をしたら、私は大変|賞《ほ》められた。十年前の富市さんなら焼ッ焦《こが》しの畳を担いで薪屋へ呶鳴《どな》り込む人間だったけれども年は老《と》りたいものだ。人間は温和《おとな》しくしなくちゃァいけねえと、散々いわれたので、どうせ町内の厄介按摩なんだ。古い馴染《なじみ》だから死んだ時にどうか四斗樽へ投《ほう》り込んでも寺へ持ってってくれるだろう。憎まれちゃァいけねえというので、私は温和《おとな》しくしておりますと、こういって大変|賞《ほ》められたのですが、それについて旦那、ここにおります甚兵衛さんでございます。今夜お返し申さなければならねえんだけれども、どうも都合がつかねえ。ソコで私がお喋舌《しゃべり》なんでこの人は無口で口が利けねえからというので、おせっけえのようですが、年寄が出て来たんだから、どうか春まで待ってお貰い申したい」 △「イヤいけません」 富「エヽ」 △「いけません、それならそれで最初からなぜ頭を下げて来ない。火が刎《は》ねて畳が焦げて、散財したのなんだのと因縁を付けるようなことをしなさんな。何のこの人の勘定は幾らでもねえ。来年まで待ってやらねえということもないが、そんなことをいわれると私な頑固な人間で待てねえ。お前さんに貸した訳じゃァねえ。甚兵衛さんに貸したので、なんでも貸したものを貰うに不思議はねえから取りますよ」 富「へエ、じゃァどうしても取ろうというのですか」 △「当然《あたりめえ》さ、貸したものを取るに不思議はない。お前さんに貸したのじゃァない」 富「じゃァ私の顔を潰《つぶ》しても」 △「潰すも何もない。けれどもお前さんの言葉が気に入らねえ。お前さん手を引いて下さい。商人《あきんど》が貸したものを取るに不思議はないから、その代わりお前《めえ》さんの処の畳も悉皆《すっかり》新しくして上げる。その畳が百円掛かって、取るものが一円でもそんなことは構わねえ。お前さんに紛紜《いさくさ》のないようにして上げる。誠ににお気の毒だった。土瓶も新しく買って上げる」 富「そんなことはどうでもようございますがね。私の顔を全潰《まるつぶ》しにして」 △「何もそんな狂人《きちがい》じみた大きな声を」 富「モウ七十に手が届いて晩《おそ》かれ早かれ死ぬんだ、潰すなら潰すでようございます。私が引き受けて春まで延ばして上げましょうと口巾《くちはば》ったく言ったんだ。その言い訳がねえ。死んで私は言い訳をする意気地《いくじ》がねえから一人じゃァ死なねえ。私の顔を潰すなら殺してくれ。殺せ、サァ殺せッ」 △「静かにしなせえ…アヽ立っちゃァいけませんよ。立っちゃァ…殺せなんて、狂人《きちがい》じみた大きな声をするから人が立っていかねえ」 富「サァ殺せ。この薪屋は人殺しだ」 △「オヽオイ/\冗談言っちゃァいけねえ…オイ/\立っちゃァ困るよ。そうしておくんなさい。そうなりゃァ私も無理にに命を捨てたかァねえ。ヘエ、どうも有り難う存じます。甚兵衛さんよくお礼をいって、それじゃァ春まで、左様なら…アヽ驚いたな。今のは少し遣り損なった。偶《たま》には遣り損ないもある。いよいよいけねえと思ったから奥の手でサァ殺せとこういったら、大晦日だ、ドカ/\と人が立つから、この薪屋は人殺しだといったら肝を潰して、待つ/\というのだ。随分頭を痛めてどうしようかとか途中で考えながら行ったのだ。あんな頑固だから頭ごなしに脅かし付けたら驚くだろうと思ったら驚かねえ。仕方がねえから人殺しだといってやった…。今度はどこだえ、エヽ今度はどこだえ。驚いちゃァいけねえよ。モッと甚《ひど》い事があるかも知れねえ。今度は魚屋の金さんの所か、あすこは、心安いのだがね。喧嘩ッ早い男だからな。この町内で喧嘩があれば、対者《あいて》は富の市じゃァねえか。魚金《うおきん》じゃァねえかと人が言った位喧嘩をした男だ。この頃はあまり喧嘩もしねえけれども、あすこは難しい。金さんだと、サァ殺せといやァ直ぐに殺されてしまう。よし殺してやろうと言われた時に、逃げたって盲目《めくら》で追っ付かねえからな。難しいな、マァようがす、繁昌しているね。客があると見えて、ゴタ/\していらァ。店の端の方へ連れてっておくれモット左の方へ…ヘエ今晩は、親方いつも御繁昌で…今晩は」 金「アヽ富の市さんかえ、鮭でも持って行くのかい」 富「イエ買い物じゃァないので、お忙しゅうございましょうが、ちょっとお話があって出ましたので、親方のお顔をお借り申したいので」 金「顔を借りてえ。話があるなら一つ春永《はるなが》にして貰いてえ。いろいろ用があるんだがなんだい」 富「工ヽ話というのは、今夜でなくっちゃァいけねえので、ナニ掻い摘んで申し上げます。御承知の通り三十何年という町内の私は厄介者で」 金「アヽ遠国《おんごく》へでも行くのかい、その年になって」 富「イヤそうじゃァございません。暇《いとま》乞いに上がった訳じゃァないので、私どもの家主《いえぬし》というのが頑固でございまして、三十何年|住《すま》っているのは私一人なので、それに御承知でございましょう。甚兵衛さん。ようやく連れて来ましたが、これはマァ十年ばかり住んでおります。一昨日《おととい》の朝です、療治に行こうと思って路次《ろじ》の処へ出ると長家の婆さんが、甚兵衛さんが身体《からだ》が悪い。お内儀《かみ》さんが何でも流産をしたとかで、それから後《あと》引き続いて臥《ね》ている処へ肝腎の甚兵衛さんが患ったというんで、それを聞いて捨ても置かれませんや。一ツ長屋にともかくも十年ばかり住んでいるんだから見舞いに行こうと、私は直ぐに行った処、家の中はシーンとしている。ようやく入って行ってどうしたんだと聞いたところが身体の工合《ぐあい》が悪うございます。それはいけねえ、医者に掛けったかと聞いたら掛けらねえという。食い物は食えるのかと言ったら食えねえというので、お粥《かゆ》位どうだと言ったら、お粥も食えねえ。米湯《おもゆ》は米湯も吸えねえ。昔かく≠フ病いというのがあったが、そんな病気じゃァねえか。どういう訳で食い物が食えねえのだ。粥も啜《すす》れねえのかといったら、啜れねえのじゃァねえ。啜りたくもお銭《わし》がないので啜れない。それなら早くそういやァいいのにどうしてお前さん銭《ぜに》がないんだ。上州から十一年前に出て参りまして、大道商いにようやく取り付いた処が御存じでございましょうが、家内が病身のところへ流産をしました。それから臥《ね》ておりま処へ、私が今日で半月商売に出ません。一つ売りニつ売り、売り喰いでどうにかやっておりまして、十日前まではどうやらお粥位啜り、買い薬位しておりましたが、今日で五日というもの、夫婦ながら水ばかり呑んでおりまして、飯粒というものは一粒も咽喉《のど》へ通しませんとこういうので、私も誠に気の毒になりましてね。そいつはいけねえ、なにしろ力が付かねえからって私の家から米を持って行ってお粥見たような米湯《おもゆ》見たようなものを拵えてやると、そいつを嬉しがって、首を上げてツウ/\啜りながら、大変に力付きました。お蔭様で有り難うございます。それについてこの甚兵衛は晩《おそ》かれ早かれこの病気で死ぬかも知れないが、一ツ冥土の障《さわ》りがございます。なんだと聞いて見ると、魚屋の親方に借りがございまして、そいつを返さなきゃァどうにもこうにも死に切れませんと、正直な人だから涙を溢《こぼ》していうんで、どうかその事を言い訳をしてお貰い申してえ。そんなこんなを気にしているから、病気が重くなればといって癒《なお》る訳がございませんとこういうからそれはいけねえ。借りたものなんぞ心配するようなこっちゃァ病気は癒《なお》らねえ。安心しておいでなせえ。私は心安くしているから、親方に会ってお願い申しゃァ、昔の江戸ッ子だ。六十|幾歳《いくつ》という年だけれども、まだ若え者は敵わねえというような威勢だ、達引《たてひき》が強いったって、あの親方と来たら、その訳を言って、食う物を食わねえ上このニ三日薬も服《の》まねえ、可哀想じゃァございませんかと、話をすりゃァ、それは気の毒千万だ。よく当人にそういってくんねえ。乃公《おれ》の貸したものは取ろうとは思わねえと、そういってくれろ、というに違えねえ。医者に掛やかれねえと聞いたら、それは気の毒だといって、一円札の一枚位はくれようといふ達引強い親方だ。よく行ってお頼み申そうと…」 金「オイ/\富さん、そりゃァお前困るよ。乃公《おれ》はお前《めえ》が知ってるだらうが、借金だらけ、問屋の方は現金で取られて、華客《とくい》先で払ってくれなかったら耐らねえ。そりゃマァ幾らの物でもねえけれども、お前が年を老《と》っていて一つ長屋の交誼《よしみ》で、わざわざ杖を突っ張って来たんだ。お前の顔に免じて待ちましょうが、春はどうかしてくれなくっちゃァねえ。私も楽な身上じゃァねえんだ。借金取りも来るわ。取る物は取れねえじゃァ仕様がねえ。真実《まったく》の話が…」 富「ヘエ有り難うございます。春まで待っておくんなさるか、へッへヽ、有り難うございます。イエモウ幾らかくれということじゃァございません。僅かでも宜しゅうございますから」 金「手を出しちゃァいけねえ。冗談じゃァねえよ。それだけは勘弁してくれ。この上銭を持って行かれちゃァ仕様がねえ。春までの所はお前さんの顔に免じて待ちますから…しかし余計なことだが甚兵衛さん。一昨日《おととい》の晩方だったね。横町の夜店へ燈火《あかり》を持って大きな包みを背負《しょ》って出て行ったのを乃公《おれ》がチョイと見掛けたが」 富「ヘエ、アヽあれは私が叱言《こごと》を言ったので、臥《ね》ていたんですが、一昨日は少し心持ちが快《い》い処へ私が粥を食わせたので、幾らか力付いたとこういうので、それもマァ銭が欲しいから商いをしようと晩方荷を背負って出掛けたもんだから、スッカリ悪くしてしまって、昨日《きのう》はまるで臥《ね》ていたんで、今日は行ってよくその事を親方に話をした方がいいというんで、大儀そうな病人を私が引っ張って来ましたので、実は昨日一日|臥《ね》ておりましたので」 金「そうか仕方がない。春まで待ちますから決して心配しなさんな」 富「ヘエ有り難うございます。じゃァ甚兵衛さんよくお礼をいって…」 甚「誠に済みません」 富「誠に相済みません、ヘエ左様なら…どうだい甚兵衛さん、巧いだろう」 甚「ヘエ、私は病人には弱りました。今朝|理髪床《かみいどこ》へ行って髭を剃ったんですから、病人が髭を剃っていちゃァ工合が悪いので」 富「そういう時には何でも構わねえ、大儀そうな顔をしておりゃァいいんだよ。これから先もそうやらなくっちゃァいけねえ。どうだいスッカリ手管《てくだ》に嵌《はま》ったが、畜生一円札の一枚も出すかと思ったら」 甚「貰えやァしません。病人じゃァないんですから」 富「ナニ癒《なお》ったと言えばそりゃァ構わねえ。取り徳だから打奪《ふんだ》くってやろうと思ったんだ…。オヤオヤ百八の鐘を撞《つ》き始めたぜ。オイモウそんな時間かい。いけねえや、乃公《おれ》はそんな時間とは思わなかった。急いで帰ろう」 甚「モウ二軒ございますが」 富「いけねえよ。モウ時間だから。これから乃公《おれ》は家《うち》へ帰って、自分の言い訳をしなくっちゃァならねえ」