茶の湯(ちゃのゆ) 五代目蝶花楼馬楽  随分昔地方から無一物《むいちぶつ》で江戸へ出ておいでなすって、一心に稼ぎ、それから資本《もと》をこしらえ、運に叶《かな》って、巨万の財産家とお成りなすった方が沢山ございました。そういうお方は、物心覚えてから、年輩になるまで、粋《いき》なことも知らず、洒落《しゃれ》たことも知らず、贅沢は素《もと》より、何一つ楽しみはなさらず、稼ぐより外《ほか》に能がないという。こういう御方がお年を老《とっ》て、いよいよ御子息に御身代《ごしんだい》を譲って、御自分は御隠居を遊ばす。その息子さんは江戸っ子でございますから、贅沢も風流も、何でも御存じでございまして、根岸《ねぎし》に別荘がございます。これは去る大家《たいけ》の別荘を居抜きのまゝお求めになり、スッカリお手入れをなすって、折節《おりふし》それへお出《い》でになりまして、御客《おきゃく》をいたし、あるいは茶でも點《た》ってお楽しみになる。ところが親父さんはこれまでお勧め申してもなかなか店の方を心配して別荘などへお出でにならなかったが、モウ隠居をなすってみればその苦労は要《い》らない。ゴタゴタしたところにいるよりはと、御子息の勧めにようやく得心《とくしん》して気に入りの小僧さんを一人連れて御隠居は根岸の別荘へ参りました。実に結構なお住居《すまい》、その結構な造りも、上等なお庭も、お茶器の好《い》いのも、御隠居には更に分かりません。何百円する器《うつわ》も、五十銭か六十銭て買える品と、同じように思って在《いら》っしゃる。何にいたせ、退屈で致しかたがございませんので、ある時お茶室へ入ってみると、お水屋《みずや》が片付いてチャンと飾りつけも出来ております。水屋瓶《みずやかめ》には、水がいっぱい盛ってございまして、薄茶器《うすちゃき》にお茶碗、茶筅《ちゃせん》、茶杓《ちゃしゃく》なぞが並んでおりますから、 隠「ヤア種々《いろいろ》なものが、ここにあるな。倅《せがれ》がよく、茶の湯をするというが、これだな。何だかエタイの分からないものがある。なんだ、妙な小汚い茶碗、これはなんだ、竹の箆《へら》みたようなもの、ざさら見たようなもの、これで掻き廻すのか。俺はこんなものに頓《とん》と出合ったことが無いが、面白いものがあるな。小僧の定吉《きだきち》は倅《せがれ》の供をして出掛けるから、見て知っているだろう、一つ小僧に様子を聞いてみよう」  と、それから小僧の定吉をお呼びになりました。 定「旦那、御用でございますか」 隠「ウム、別に用でもないが、この茶室は、なか/\結構だな」 定「ヘエ、結構なお茶室でございます」 隠「これは何という戸棚だ」 定「ヘエ、それはお水屋というのでございます」 隠「水屋、種々《いろいろ》な道具が列《なら》んでるな」 定「ヘエ」 隠「貴様茶の湯に出会ったことがあるか」 定「ヘエ、若旦那のお供をして度々《たびたび》お茶の湯に出会《でくわ》しましたが、私はお座敷へは這入《はい》りません。何時《いつ》も覗いておりますんで……」 隠「面白いものか」 定「ヘエ、なかなか面白うございます。第一お菓子や何か召し上がりまして、時分《じぶん》どきには、お会席で御飯《ごぜん》をあがって随分|良《い》いお遊びでございます」 隠「会席を食わせる。それは面倒な遊びだな。菓子ぐらい食わして、茶の遊びをしてもいいが、確か青い粉みたいなものを入れて、湯を注《つ》いで、掻き廻すのだといったな」 定「ヘエ、なんだか変な粉を入れて掻き廻して在《いら》っしゃいます。旦那は茶の湯を些《ちっ》とも御存じないんでございますか」 隠「ウム全《まる》で知らないことはない。幼少の折に習ったが、頓《とん》と今では忘れてしまった」 定「ヘエー、妙でございますな。若旦那の仰っいましたには、何でも、子供の時分に学んでおいたことは、何歳《いくつ》になっても忘れないと……」 隠「マア、それはそうだ。がしかし俺のは、些《ちっ》と子供過ぎたから」 定「ヘエー、それでは、お何歳《いくつ》の時に」 隠「三つの時だった」 定「じゃァ、赤ん坊の時でございますな」 隠「それだから、スッカリ忘れてしまったのだ。一つ今日、お前と両人《ふたり》でやってみようと思う」 定「それは結構でございますな。ですが、お菓子がございますか」 隠「ナニ菓子か、それは此間《こなひだ》貰った羊羹《ようかん》がある。アノ羊羹を一つ切ってやろう」  小僧が早速菓子|鉢《ばち》へ羊羹を杉形《すぎなり》に切って持って参りました。お炭のつぎようも何も存じません。ただお風呂へ炭を入れ、お釜へ水を入れまして、火を入れて、パッパと煽《あお》いだから、たちまちお沸《にえ》がつきました。 隠「湯は沸《わ》いたが、茶はどうするんだな」 定「左様でございます。いづれお茶を入れるんでございます」 隠「茶を焙《ほう》じて入れるのか、どうするんだ」 定「そりゃァ私も、よくは存じません。覗いてみていたばかりですから、どういう加減にするのか分かりませんが、多分お湯の中へ打《ぶ》ツ込んで、そうして禁厭《まじない》に青い粉を入れて、ドロ/\にするんでございましょう」 隠「そうかな、やっぱりアノ番茶を釜の中へ入れて、グラ/\沸《に》たゝせたらよかろう」 定「それがようございます」 隠「その青い粉てのは何だ」 定「何だか、見れば分りますから、私が買って参りましょう」 隠「貴様知ってるなら、買って来てくれ、その間に俺が番茶を焙《ほう》じてよく煮くたらかしておくから……」 定「ヘエ、それでは、お銭《わし》を下さい……」  やがて小僧が、出掛けて行きまして、乾物屋《かんぶつや》、青黄粉《あおぎなこ》を買って参りました。 定「旦那、これでございます」 隠「ハアなるほど、青い粉、これは何だ」 定「青黄粉《あおぎなこ》でございます」 隠「ウムこれで、俺も思い出した。幼《ちい》さい時に習ったことは忘れないな。伝授《でんじゅ》に書いてあった。一《ひとつ》、青黄粉《あおぎなこ》入れべし、ということが書いてあった」 定「ヘエー」 隠「マアその粉を容器《いれもの》へ入れなさい」 定「じゃァその棗《なつめ》をお取んなすって下さい」 隠「棗《なつめ》とはどれだ」 定「その塗ってある円《まる》いもので、お水屋の棚にございます」 隠「この印籠《いんろう》の膨《ふく》れたようなものか」 定「左様でございます」  やがて茶器へ、青黄粉を入れましたが、ちょっと見ますと、実に結構なお薄茶《うすちゃ》のように見えます。水こぼしもあり、柄杓《ひしゃく》、茶筅《ちゃせん》、お茶碗、替茶碗《かえちゃわん》等も揃ってございます。刷毛目《はけめ》の薄茶茶碗《うすちゃちゃわん》を持ち出して、グラ/\沸《に》たっている湯を、それへ注《つ》ぎまして、例の青黄粉を入れて、 隠「これで掻き廻すんだな。妙なさゝらみたいなもので」 定「それは、茶筅《ちゃせん》というもんでございます」 隠「アーそうか」  と無暗《むやみ》に掻き廻したが、泡が一向《いっこう》立ちません。 定「どうも旦那、訝《おか》しゅうございますな。掻き廻して泡が立たなくっちゃァいけません。こんな変梃《へんてこ》なもんじゃァありませんよ」 隠「そうだな。これはまだ伝授があるんだ」 定「アッ、モウ一品《ひとしな》落ちました。分かりました。私が買って参りますから、お銭《わし》をモウ少し下さいまし」  また小僧が、乾物屋へ行って椋《むく》の皮を買って参りまして、 定「旦那、これをお釜の中へお入れなさいまし」 隠「ウム、なるほど椋《むく》の皮か。これなら泡が立つ。そういえばこれも伝授に書いてあったよ。一《ひとつ》、泡の立つ伝《でん》、椋《むく》の皮を入れべしと書いてあった。このまま入れようか」 定「ヘエ、お釜へお入れなさい」  釜へ入れてグラ/\、煎じましたから、スッカリ泡が立ちました。 定「旦那、その茶杓《ちゃしゃく》というもので青黄粉をお入れなさい」  いい加減に青黄粉を入れて、沸《にえ》たっている椋《むく》の皮と番茶の煎じたのを入れて茶筅《ちゃせん》で掻き廻したから、茶碗いっぱいに泡が立ちました。 隠「ヤア恐ろしい泡だ。巧《うま》くいったな」 定「大変に大きな泡ですな。若旦那のお師匠さんのなすったんでも、こんなに大きかァございません。もっと小さい泡です」 隠「そりゃぁ馴れると巧くいくが、久しくやらんもんだからな、マアこれで我慢して貴様から呑《や》れ」 定「ヘエ有り難うございます。どうか羊羹《ようかん》を一つ頂きます」 隠「沢山食べろ」 定「これはマア、旦那あなたから召し上がりましな」 隠「イヤ先へ、いっぱい、貴様|呑《の》め」 定「マアあなたから」 隠「遠慮せずとお前呑めよ」  しかたがない、小檜欲張って、羊羹を三切《みきれ》と食《や》ってゴックリ一口呑みますと、椋《むく》の皮の煎じたのに、青黄粉、それへ番茶の匂《にお》いがして、イヤどうも呑まればこそ。けれども小僧なかなか人が悪いから我慢をして一ぱい呑んでしまい、 定「大変結構でございます。サア旦那お呑《あが》んなさいまし」  御主人もやってみたが、更に好味《うまい》とは思いません。口直しに羊羹を召し上がって、小僧を相手に、図《はか》らず楽しみをいたしたが、さて人間用のないのも退屈なもので、こんな事でもやるのが日暮《ひくら》しでございます。毎日小僧を相手に青黄粉を掻き廻して、楽しんでお在《いで》なさる内に、段々馴れて参りまして、御隠居も、小僧さんばかり相手では少し興《きょう》が薄い。それには多少自慢も出て来ましたから誰か客が来たらば、呑ましたいと思っておりますが、誰も見えません。御地面《ごじめん》内に家作《かさく》が三軒ございまして、その一軒が豆腐屋で、一軒が手習いの師匠、一軒が鳶《とび》の頭《かしら》でございます。根岸もまだ今のように開けない時分の事ゆえ、棟《むね》が別で野広く住《すま》っております。この人達を、呼んでやろうというので、三軒の家《うち》へ、案内状を出しました。ところが豆腐屋の亭主がこの手紙を見て驚いて、 豆「オイ女房《おっかあ》、大変な騒ぎが出来ちまった」 女「なんだい大変な騒ぎッて、店立《たなだ》てでも食《く》わすというのかえ」 豆「店立てじゃァねえが、マア/\店立てて同様、厄介《やっけえ》なことをいって遣《よこ》したんだ。隠居が茶の湯をするから明日《あした》来いてえんだ」 女「馬鹿々々しい、豆腐屋|風情《ふぜい》で茶の湯なんか知るものじゃァない。構わないからいい加減に瞞着《ごまか》してお出でな」 豆「馬鹿なことを言え。俺もこの土地で、親方とかなんとかいわれて、小口《こぐち》の一つも利《き》き、なにか事あった時にゃァ、上座《かみざ》へ坐《すわ》らせられる人間だ。地主の方でも俺を相当の人物と見て、こう言って遣《よこ》したに違えねえ。それを出来ねえといって断る訳にはいかねえ。といって、今から習うたって間に合はねえ。これまで耻《はじ》を掻いたことァねえ。俺がこれしきのことで耻《はじ》を掻くなァ口惜《くやし》いし、こゝの所はマア何とかいって巧《うま》く瞞着《ごまか》してしまっても、これから先|度々《たびたび》やられた日にゃァ、とてもやり切れねえ。面倒くせえからいっそどこかへ移転《ひっこ》しちまおう」 女「だってせっかく売り込んだ店を捨てゝ移転《ひっこ》すのは詰らないじゃァないか」 豆「そりゃァ厭《いや》だけれどもどうも仕方がねえ。ここにいりゃァ耻《はじ》をかゝなけりゃァならねえ」 女「お隣の鳶頭《かしら》のとこへは、お手紙は往《ゆ》かないかね」 豆「そうよ、鳶頭《かしら》のとこへは往《い》くめえよ」 女「けれども同じ家作《かさく》にいるんだから、ともかくも鳶頭《かしら》の家《うち》へ、お手紙が行ったかどうだか、聞いてごらんな。もし鳶頭《かしら》のところも行ってれば、断るとか、行くとかいうだろうから、これはお前さん、蔦頭《かしら》に相談した上の事にしたらいいだろう」 豆「なるほど、それもそうだな。じゃァ移転《ひっこ》すなァ、少し、見合わせて、一つ鳶頭《かしら》のところへ行って来よう」  それから羽織を引っ掛けて、豆腐屋の親方が、隣りの鳶頭《かしら》の家《うち》へやって来てみると、何だか、ゴタゴタしております。 頭「ヤイ/\どう乱暴なことをしちゃァいかねえ。持ッてく先ゃァ坂本二丁目だ。家《うち》は後で捜すとして、なにしろ常《つね》の所へ持ち込んでくんねえ。ここさえ立ち退《の》いちまやァいいんだ」 豆「御免下さい」 頭「オヽこりゃァ親方お出《い》でなせえ。ちょっとお宅へも御挨拶に出るんでげすが、ツイ取り込んでるもんですから、まだ参りやせんで。マアどうかこっちへお昇《あが》んなすって……」 豆「有り難うございます。大層お取り込みで」 頭「エー急に、移転《ひっこさ》なくッちゃァならねえことが出来て、こういう始末なんです。せっかくお馴染みになりやしたが、どうもよんどころねえことでね。マア親方一ぷくお吸《あが》んなせえ」 豆「有り難うございます。シテどの辺へお越しになります」 頭「まだどこへといって、実は的《あて》もごぜえやせんが、とにあれ坂本二丁目の兄弟分の家《うち》まで一時《いちじ》立ち退《の》いてね。……ナニ遠くへ行《ゆ》きゃァしません。どうせ近間《ちかま》へ家《うち》を見付けるつもりで」 豆「ヘエー、そりゃァ鳶頭《かしら》、ひどく急でございますな」 頭「エー急なんでごぜえやす」 豆「何でそう急にお移転《ひっこし》なさるんで」 頭「よんどころねえことでね」 豆「ヘエー、つかんことを鳶頭《かしら》、お聞き申しますが、地主からあなたの所へ、手紙が来やァしませんか」 頭「エヽ来ました」 豆「それで鳶頭《かしら》、お移転《こし》なさるんじゃァございませんか」 頭「マアそんなことで」 豆「実は私どもへも、案内がありました」 頭「エヽ、あなたのとこへも行きましたか。忌めいましい隠居だ。大きな声じゃァ言えねえが、茶の湯一件で」 豆「左様」 頭「お前さん、どうしなさる」 豆「マア鳶頭《かしら》の前ですが、せっかく売り込んだ土地を、残念じゃァありますけれども、出来ねえと断って耻《はじ》をかくのも厭《いや》ですから、いっそ移転《ひっこし》ちまおうと、私も思ったんです。ところが、女房《かかあ》の言うにゃァ、そうでもない。あなたのところへも、手紙が行ってるかも知れないから、お聞き申して、もし行ってたらまたなんとかあなたの御工風《ごくふう》もあろうからというんで、実は伺いに上がったんですが、それじゃァ鳶頭《かしら》も、茶の湯は御存じございませんか」 頭「誠にお耻《はず》かしい訳ですが、長《なけ》えものを短くして着る稼業、ジヤンと一つ打《ぶ》つけりゃァ火の中へ飛び込む人間で、頭取《とうどり》とか、鳶頭《かしら》とか、世間の人にゃァ立てられ、随分結構なところへも行って、利《き》いた風なことも言いやすが、茶の湯なんてえものは未《ま》だ出会《でっくわ》したことがねえんです。それを、先方《むこう》で買い被《かぶ》って、知ってるだろうと手紙を遣《よこ》され、今さら親方の前ですが、断るのも工合《ぐあい》が悪《わる》し、マア、ここんとこだけなんとかいって免《のが》れたところで、また呼びによこすに違《ちげ》えねえ。なにしろ悪い奴にこの地面を買われたのがこっちの災難、仕方がごぜえやせん。こんな事でビク/\しているより、どこか茶の湯に責められねえ所《とこ》へ一時|移転《ひっこ》す事に定《き》めて、急に騒ぎ出したんでごぜえやす」 豆「なるほど御道理《ごもっとも》さま。御同様に困りましたな。時に鳶頭《かしら》、お隣りの手習いの師匠さんは、どうでしょう」 頭「そうですねえ、こうして二軒へ来た位だから、先生のところへもきっと行ってましょうよ」 豆「アノ先生なら知ってましょう」 頭「なるほどこりゃァ知ってましょうね。先生とか、お師匠さんとか言われる身分だから、茶の湯だって心得てるに違《ちげ》えねえ」 豆「これはどうでございましょう。一つ師匠の所へ行って、頼んでみようじゃァありませんか。仮初《かりそめ》にも師匠と言われるくらいだから、深く知らないとしても、ちょっと飲みようぐらいは知ってましょう。そうすれば、先生の跡《あと》へ付いて行って 先生のする通りにしていたら、お互いに耻《はじ》も掻かずに済ましょう」 頭「ウム、こいつァいい工風《くふう》だ。早速行って聞いてみやしょう、移転《ひっこし》はそれから後でいい。オー羽織を出してくんねえ、……少し下火《したび》になったから、戸外《おもて》へ出した荷物を、ソク/\運び返してくれ」  まるで火事のような騒ぎでございます。両人《ふたり》揃ってこれから、今なら小学校の先生、昔の手習い師匠の所へ、遣《や》って参りますと、ここもなんだかゴタ/\しております。 師「アノナ男座《おとこざ》の衆《しゅ》、お机もソックリ、持って帰って下さい。女座《おんなざ》のは私の方から、お机はお届け申しますから、硯箱《すずりばこ》だけ、よく始末して、持って帰って下さい。いずれ、阿父《おとっ》さんや阿母《おっか》さんにお目にかゝって、委《くわ》しいお話をしますが、師匠さんは仔細《しさい》あって、よんどころなく、急に移転《ひっこさ》なくてはならないことが出来た。けれども遠方へ越す訳でないから、先が極《きま》るとお知らせすると、よく分かるように、お宅《うち》へ帰ったら、阿父《おとっ》さんや阿母《おっか》さんに、そう言うんですよ。男座《おとこざ》の衆《しゅ》も乱暴しちゃいけない、静かに始末をしなさい……早速近いところを捜して皆さんへ沙汰《さた》をするから」 頭「エー御免下せえまし」 豆「御免下さいまし」 師「ハイ、どなたでござるな」 頭「先生、今日は」 師「オヤこれは鳶頭《かしら》と豆腐屋の親方、お揃いで。マアこの通り取り散らしておって失礼だが、マアどうぞこちらへ……、皆さん、少し静かにして下さい。硯箱《すずりばこ》や何か、よく始末して持ってお帰り、お机は後からお届け申す……イヤこの通りゴタ/\いたしているところで」 豆「先生、大分お取り込みで」 師「ハイ、ちょっと上がらなくてはならんのですが、拙者もよんどころないことで、急に転宅《てんたく》するような次第で」 頭「ヘエー、そうでございますか。シテどこへお転宅《ひっこし》なさるんで」 師「それが未《ま》だ定まりませんデ。ちょっと一時親戚方へ立ち退《の》きまして、それからまたこの界隈へ、相当の家《いえ》を捜そうと存じておるので。仔細あって、ここに長くおるわけに成りませんでな、実にお馴染みのところを残念ではござるが、これも致しかたのないわけで……」 頭「ヘエ先生、つかんことをお聞き申すようですが、地主の隠居からあなたのところへ、手紙が参りゃァしませんか」 師「ハイ」 頭「先生のとこへも、親方、来たんだぜ」 師「エヽ茶の湯の一件でござるか」 頭「そうです。じゃァ先生も知らねえんですかい」 師「ナニ知らんという訳ではござらん。少々は学びましたが、そのころ学問にばかり、心を入れて、トント風流の道は、怠ってをおましたために、何分《なにぶん》深く嗜《たしな》みがござらんでな、マア/\呑みようぐらい存ぜんことはないが、それもトント失念致してしもうてな」 頭「そうでございますか、それでお転宅《ひっこし》なさるんで」 師「実に耻入《はじい》ったお話しでござるが、あなた方と違い、私はたとい子供とは言え、物の指南をいたす、師匠とも言わるゝ身が、今日《こんにち》茶の湯の案内を受けて、その席へ出られんというは誠に耻入《はじい》りまするに依って転宅《てんたく》いたす次第、あなた方へ対しても面目もないわけで」 豆「ヘエー。だって先生、呑《の》みようを知ってれば、いいじゃァありませんか」 師「それがさ。茶の湯というものは、なか/\難しいもので、挿花《さしばな》一《ひ》ト通り、会席|一《ひ》ト通り、道具|一《ひ》ト通り知らんければ、挨拶が出来ん。また、流儀などを問われた節《せつ》に、何流と答えんければならんが、拙者《せっしゃ》殆《ほと》んど失念いたしてしもうた」 頭「もし聞いたら、流儀はお家流《いえりゅう》とか、神蔭流《しんかげりゅう》とか、やッつけたらようごぜえやしょう」 師「それは手蹟《しゅせき》や剣術の流儀で、茶の方へ用いるわけには参らん」 頭「デモいいやね。こうなったら先生構うことァねえ、出掛けましょう。先方《むこう》だって、それほど名人でもごぜえますめえ。行って、あなたの呑みようを見て、何でもあなたのする通り真似をしてもし面倒ッくせえ事を言ったら、構わねえから隠居を踏み倒しちまおうじゃァありやせんか。――親方」 豆「そうですとも。流儀なんぞ聞きやァがったら、打擲《ぶんなぐ》るとしましょう」  乱暴な茶の湯があればあるもの、両人《ふたり》に勧められて先生も、それではまず転宅を見合わせ、どんなものであるか、出掛けてみようと、薄気味が悪いが、その翌日《あくるひ》両人《ふたり》を連れて、黒の羽織を引ッ掛け、地主のところへ参りました。取り次ますものは、例の小僧、待ち合いようの所へ案内致し、お掃除も届いておりまして、結構な敷物が敷いてございますが、総《すべ》ての事、主客《しゅきゃく》共に知らないのだから、この位|可笑《おかし》なことはありません。待ち合いで三人|煙草《たばこ》をパク/\吸っている中《うち》にズッとお通り下さいという。お席の入口がどこにあるか、ニジリ口《くち》へ行《ゆ》くの、茶立《ちゃた》て口《くち》から這入《はい》っていいのか、マゴ/\しております。案内する小僧も知らず、御亭主も知らず、お客三人なおさらのこと、暫《しばら》く茶席の周囲《まわり》を、マゴ/\して漸々《ようよう》のことでお席へ這入《はい》る。番茶と椋《むく》の皮が沸《たぎ》っております。例のお菓子|器《き》に、羊羹《ようかん》を杉形《すぎなり》に積んでございまして、杉の面取《めんと》りの箸が一膳付いております。これだけは真《ほん》もの。やがてお茶碗へ青黄粉を沢山入れ、番茶を充分|注《つ》ぎまして、茶筅《ちゃせん》で掻き廻したから、いい塩梅《あんばい》にドロ/\になって泡も立ちました。これをお上客《じょうきゃく》の前へ出すとさすがは先生、学ばいでもかねて聞きかじっているには、茶の湯は、飲み廻しにするものだという事。けれども、薄茶《うすちゃ》か、濃茶《こいちゃ》か、そんな事は存じません。先生、少し変った呑みようをしなければ、知らないといわれようかと、茶碗の両端《りょうはし》へ手を掛けグイと差し上げ、一《ひ》ト廻し廻してグッと呑んだその恰好《かっこう》はよほど変な塩梅《あんばい》。隠居は、この先生知っているに違いないと思うから、一生懸命に見ております。鳶頭《かしら》も豆腐屋の親方もジッと見ておりますと、先生が豆腐屋の親方に渡しましたから、豆腐屋がその通り一口《ひとくち》ゴックリ呑むと大変な味だものだから驚いて苦《にが》い顔をして、これを鳶頭《かしら》に渡しました。鳶頭《かしら》もゴックリ呑んだが堪《たま》らない。 頭「オヽ、大変だ。一つその口直しを……」  お茶の湯はお菓子を先へ戴《いただ》くべきだが、そんなことは構わない。羊羹《ようかん》で口直しをして、それでもどうやら世間話をして三人は麻痺《しびれ》を切らしてその日はソコ/\に帰りました。サア隠居は面白くって堪《たま》りません。人の迷惑も構わず、無暗《むやみ》に客がしたい。聘《よ》ばれる者こそ災難、けれども皆《みな》知らない人ばかり聘《よ》ばれるので、茶は入りませんが、口直しの羊羹《ようかん》がなかなか要《い》りますから晦日《みそか》になると菓子屋の勘定が、かなりに上《のぼ》ります。金満家の隠居さんだが根が経済家でございますから、こう菓子が要《い》っては堪《たま》らない。どうか家《うち》で菓子を製《こし》らえようと、薩摩芋《さつまいも》をお求めになりまして、スッカリ皮を剥《む》き、蒸籠《せいろう》で蒸して、擂鉢《すりばち》で擂《す》ります。これへ三盆《さんぼん》の砂糖を入れゝば宜《よろ》しゅうございますが、今いう通り経済家ですから、小僧に白下《しらげ》というのを買いにやりまして、蜜《みつ》だの、白下《しらげ》だの、至って下等の品を用いて甘味《あまみ》を付け、これを捏《でっ》ちますがもとより製法が違うから、ホク/\してうまくかたまりません。ソコで、頃合《ころあい》の茶碗へギュッと詰めて、ポンと抜こうとしたが、抜けません。さすがに年を老《と》っているから、油を付けけたら巧《うま》く抜けるに違いないと、気が着いたが、あいにく胡麻《ごま》の油がないから、使いかけの燈《とも》し油を少し紙へ浸《ひた》し、充分に茶碗へ塗って、例の芋を詰め、裏底《いとじり》を叩きますと、ポックリ抜ける。実に形がようございます。黄ばんだところへ、蜜《みつ》や、白下《しらげ》の色が交ってその上|燈《とも》し油のテリが出ておりますから、外見はいかにも美味《おいし》そうでございます。これを染付《そめつけ》の鉢《はち》へコンモリ盛ってみると、なかなか價値《ねうち》ちがあります。食べてみないうちは、藤邑《ふじむら》か越後屋《えちごや》からお取り寄せになった菓子と思われる位、食べてみると恐ろしく不味《まず》いものだが御当人|一向《いっこう》不味《まずい》とは思いません。御自分でこれを琉球《りゅうきゅう》饅頭《まんじゅう》と称《なづ》け、一度に沢山|造《こし》らえておきまして、お客の来る度《たび》これを出します。初めは、羊羹《ようかん》が出たから、口直しは羊羹で凌《しの》げたが、今度はお口直しも悪うございますから、例の家作《かさく》の三人をはじめ出入りの者も隠居の茶の湯と聞くとウンザリする。ある時、訪ねて参りました人は、名を吉兵衛といっていわゆる半可通《はんかつう》、何でも知ったか態《ぶり》をする人物で、 吉「ヘエ今日は」 隠「オヤ吉兵衛さんか、お珍しい」 吉「どうも御隠居、久しくお目にかゝりません。こちらへお移りの由《よし》を伺いまして、ちょっとお尋ね申さなければならんのでございましたが、ツイ/\御無沙汰《ごぶさた》いたして相済みません。どうも好《い》いお住居《すまい》でげすな」 隠「イヤ好《い》いか何だか、倅《せがれ》がこんな家《うち》を買ってくれました」 吉「どうも御玄関から御座敷の塩梅《あんばい》、総《すべ》て茶がかって、申し分のないお住居《すまい》で、……時に御隠居、承われば、近ごろお金がかゝるそうですな」 隠「釜がかゝるとは」 吉「お茶を遊ばすそうで」 隠「アヽそうです。このごろ、茶の湯をやりますよ」 吉「それは恐れ入りました。あなたが、お茶をなさるとは一向《いっこう》心着《こころづ》かんでおりました。そうと存じたら、疾《と》うに昇《あが》るのでございました。今日《こんち》も、お釜が掛っておりましょうか」 隠「ハイ、何時《いつ》でも、グラ/\沸《に》たっております」 吉「ハヽア御定釜《ごじょうがま》、釜日《かまび》をお定めがなくって、常にグラ/\沸立《にた》っておるとは、恐れ入りました。是非《ぜひ》一服頂戴を……」 隠「アヽ進《あ》げましょう」 吉「どうかお茶席を拝見致しとう存じます」 隠「サア/\御覧下さい」 吉「まず御免を蒙《こう》むり、一つお路次《ろじ》を拝見……」  これは少しばかり聞き齧《かじ》ったり、立見ぐらいした者でございますから、寸法《すんぽう》は、幾らか知っております。庭下駄《にわげた》を穿《は》き、御路次《おろじ》から中潜《なかくぐ》りを這入《はい》って蹲踞《しゃが》んで含水《うがい》をいたし、ニジリ口《くち》を開け、中へ這入《はい》って、後《あと》をピタリと閉めてお床《とこ》に向かって、若主人が掛けッ放《ぱな》しにしておいたお軸《じく》を見て、 吉「アー、結構なお軸だ。どうもいい」  などと分かりもしないのに頻《しき》りに賞《ほ》め立って、それからお風呂、お釜へ向かって、これを拝見いたし、お席に就《つい》ております所へ、小僧の定吉が例の琉球饅頭、テラ/\したのを沢山|鉢《はち》へ積んで持って出ました。アー大層なお菓子と、思っていると、やがて隠居が、茶碗と茶器と茶杓《ちゃしゃく》と茶筅《ちゃせん》を一緒くたに、鷲掴《わしづか》みに致して、茶立て口から入って参りました。 吉「どうもご隠居恐れ入りましたな実は私《わたくし》お立前《たてまえ》を拝見いたしたく存じて出ましたので……」  何を言っても隠居は、一向平気で例のごとく、青黄粉を茶碗へ入れ、番茶を注《つ》いで掻き廻したから、いい塩梅《あんばい》に泡が立ちました。こちらは、薄茶を呑ませることゝ思いましたから、懐中《ふところ》から紙を出して彼の琉球饅頭を、一つ紙へ取ればいいのに、ソコが半可通、美味《おいし》そうな菓子と思って二つ三つ、紙へ取って前へ置き、一つやってみると、イヤそれは食えるものでない。甘いような苦《にが》いような、油っこいような……。 吉「これは大変」  と半分食べて、後《あと》は紙へ包んで袂《たもと》へ入れ、茶碗へ手をかけ、口直しの了見《りょうけん》でお茶を、ゴックリ口へ入れると、青黄粉に椋《むく》の皮、イヤ呑めればこそ、口の中はまるで南京屋敷の掃き溜めみたような有様。いい加減にして茶碗を返し、この親爺《おやじ》にも知らないのだと、初めて気がつき、あまり欲張って、紙に取った菓子を密《そっ》と袂《たもと》へ入れたが、油に蜜《みつ》と白下《しらげ》で製《せい》したものゆえ、段々|解《と》けて来て着物に染《し》み出します様子。これは堪《たま》らない、どこかへ捨てようと思いまして、 吉「厠《かわや》を拝借」  と、ズイと立ってお庭を見ると、掃除はよく届いております。さすがに奇麗《きれい》な所へは捨てられず、厠《かわや》へ捨てようとも思ったが、まさかに食物《たべもの》を投げ込むわけにも参りません。縁側《えんがわ》へ立ってみると裏は建仁寺《けんにんじ》垣《がき》、その向こうは一面の畑で、お百姓が農業をしております。例の饅頭を袂《たもと》から出して畑道《はたけみち》へスポーリ投げた奴があいにくお百姓の横面《よこっつら》へピタリ、お百姓ビックリして落ちた菓子をジーッと見て、 百「エヽ、また茶の湯か」