松竹梅(しょうちくばい) 二代目柳家小せん 甲「御隠居さん、今日《こんち》は」 乙「ヘエ今日は」 隠「オヤ/\これはお揃いで、サア/\こっちへお入り。そこではなんだ、ズーッとこっちへお入んなさい」 甲「エー今日は少し御隠居さんにお願いがあって参りました。なんともお忙しいところを済みませんが」 隠「イヤ忙しいのは相変わらずだ。なんだい私に頼みというのは」 甲「外《ほか》じゃアねえんですがこれを一つ読んでいただきたいんで」 隠「アヽなにかい手紙を読んで貰おうというので、三人揃って来たかい」 甲「それがなんで、三人の宛名なんで、実はこういう訳でございます。私どものお店《たな》へお婿さんが一昨日《おととい》来たんで、一昨日は迎いに出て、種々《いろいろ》働いて御馳走になって帰って来ました。ところが今日《きょう》手紙が来たのを見ると、私と竹の野郎と、梅の野郎と三人の宛名なんで」 隠「なるほど、これは面白いな。お前が松さんで、竹さんに梅さん……、これはなんだな。かつぎやと言ってつまり迷信家のひとつだ……。世間にはよくそういう人物《ひと》がある。幸先《さいさき》がいいとか悪いとか言ってな。その年の事は元日にある。その月の事は朔日《ついたち》にある。その日の事は朝にあると言って、朝っぱらは金を出さない。そのくせ入るのならドン/\取る。これを御幣担《ごへいかつ》ぎと言う。お前さん達は松さんに竹さんに梅さんで、松竹梅が揃っているから、それで名前が気に入て出入りをさせているに違いない」 松「ヘヽ、とにかく私が出入頭《でいりがしら》で、一番古くから、店《たな》へ行っていますんで。ところが今日|私《あっし》の所へ来た手紙がこれなんで」 隠「イヤ面白い」 松「もっとも手紙の様子も、使いに来た小僧の話で大略《おおよそ》は分ってるんで、昨日《きのう》もやっぱりどこかのお客様があったそうですが、今日は私ども三人ぎりを呼ぶんだそうで。外《ほか》にも出入りの職人がありますが、それは呼ばねえんだとか言う事でございます」 隠「アヽそうか、大概手紙の文句はそんな事だろうが、マァ読んで上げよう……これはなんだ。一昨日は種々《いろいろ》働いてくれて有り難かった。御礼の印にご馳走をしたい。かたがた婿にご挨拶をさせたいから、なんにもないが是非《ぜひ》夕景《ゆうけい》までに来てくれろと言うだけの事だな」 松「なるほど、それじゃァマァ夕方から三人が出掛けて行って、ただ馳走になって、帰って来ればいいので」 隠「そうだな」 松「それじゃァ職人の事だから半纏《はんてん》股引《ももひき》でもようがしょう」 隠「半纏股引じゃァいけないな。御膳《おぜん》でも出るとなると、どうも腹掛《はらがけ》股引《ももひき》では工合が悪い。第一|痺《しび》れが切れるだろう」 松「それァモウ股引を穿《は》いてた日にゃァ、堅くって、坐《すわ》るところじゃァありません。足が曲らねえくらいで。もちろん好《い》い若《わけ》い者がダブ/\した股引は穿《は》けませんからね」 隠「それじゃァ困る。やっぱり羽織だな。袴《はかま》にも及ばないが」 松「袴なんか穿かせられちゃァ敵《かな》わない」 隠「マァ羽織だけでもいい」 松「ご馳走になる時に、なにか種々《いろいろ》な形見《かたみ》たような事があるんでしょうね」 隠「そりァあるな、あるけれども、そんな事はかえってお前達はやらない方がいい。第一やるといったところで、そう急に覚えられるものじゃァない。なんでも構わないから、丁寧にすればいい。仮にお茶を飲むにしても、茶碗へ両方の手を掛けてお茶を飲むようにすれば間違いない」 松「なるほど、お茶を飲む時にはお茶碗を両方で持つんで」 隠「そうだ。そうすれば落とす憂いがない。万事そういう風に気をを付けるのだよ」 松「ヘエ」 隠「ご馳走になったら、どうする心得《つもり》だえ」 松「ヘエ、ご馳走になっちまったら、ただ帰って来るつもりなんで」 隠「それはあまり知恵がないじゃァないか。私の家《うち》は知っての通り下野屋《しもつけや》というんだ」 松「ヘエ」 隠「親父《おやじ》がよく話したがな。先祖から代々伝えて来た事なんだが、故郷《くに》にこういう習慣《ならわし》がある。嫁さんでも婿さんでも構わんのだ」 松「ヘエ」 隠「お前さん達三人の出入り先が御幣《ごへい》を担ぐ家《うち》だから、何でも目出度《めでた》い事をやったら喜ぶに違いないと思う。ご馳走になりぱなしで、帰って来るというのもあまり興《きょう》がないから、教えて上げるが、やってみたらとうだい。ナニ造作《ぞうさ》ない事だよ」 松「ヘエ、どんな事をやるんで」 隠「ご馳走になって、モウお開きという時にだね」 松「なんですお開きというのは」 隠「婚礼などのお目出度《おめで》い席では、帰るだの戻るだのと言わない、お開きと言うのだ」 松「なるほど」 隠「お開きになったならばお前さん達三人が旦那の前へズラリと列《なら》ぶんだ。松竹梅だから順よく列《なら》はなくっちゃァいけない。上座《かみざ》へ松さんで、下座《しもざ》が梅さん、真ん中が竹さんだ」 松「ヘエ、なるほど」 隠「いよいよお開きとなったら、松さんが少し前へ乗り出すんだ」 松「乗り出すてえとどうするんで」 隠「少し前へ進めばいい。改まって、エヽ旦那様、失礼でございますが、私は御当家のお婿さんをお目出度《めでた》くお祝い申してお開きに致しとうございます、とこういうんだ」 松「エヽ旦那様、失礼でございますが、ヘヽヽヽ、失礼でございますが、お婿さんをお目出度《めでた》くお祝い申して……」 隠「巧《うま》い/\、そういう工合《ぐあい》にやればいい。そうすれば先方《むこう》で喜んで、是非《ぜひ》やってくれろと言うに違いないから、ソコデまず松さんから口を切るんだ。なったなった、“じゃ”になった、とこう言うんだ」 松「ヘエ」 隠「節《ふし》を付けなけゃァいけないよ。謡《うたい》のような節《ふし》だ。なったなった、じゃになったァ、とこう言うんだ」 松「ウフッ、こいつは驚いたなァ。なったァ/\じゃになった、と言うんですね」 隠「落ち着いて節を付けなけりゃァいけない。なったなったァ、じゃになったァ、当家《とうけ》の婿さんじゃになったァ」 松「こいつァ大変だ。とても巧《うま》く出来ねえ」 隠「イヤかえって拙《まず》い方がいいんだ。巧いのよりもお前さん方の事だから、拙い方が座興《ざきょう》になっていいだろう」 松「それもそうですね」 隠「なったなったァじゃになった、当家の婿さんじゃになったとお前さんが言うと、今度は竹さんが、何《なに》“じゃ”になられたァと、こうやっぱり謡《うたい》のように節を付けるんだ。その次が梅さんでの、長者《ちょうじゃ》になられたという。エお目出度《めでと》うと、これは松さんが言やァいい、やってごらん」 松「なったァ/\、じゃになったァ、当家の婿さんじゃになったァ」 隠「巧い/\、サア竹さんだ」 竹「ヘエ」 隠「何《なに》じゃになられた、忘れちゃァいけない」 竹「何《なに》じゃになられたァ」 隠「サア梅さん……オヤ、この人は居眠りをしているよ」 松「チェッ、しょうのねえ奴だな。ヤイ梅ッ、梅ッ」 梅「アーッおはよう」 松「何を寝惚《ねぼ》けてやがるんだ。結構な事を教へていたゞいて、今稽古最中に、居眠りなんかしてやがっゃァしょうがねえじゃァねえか、サア次をやるんだ」 梅「何をやるんだ」 松「アレッ、じゃァ全然《まるで》知らねえんだなこいつ」 隠「居眠りをしていちゃァいけない。初めっから話すのも面倒臭い、自分の言うだけの事を覚えていればいい。今度は居眠りをしちゃァいけないよ、稽古をするんだから」 梅「大丈夫《だいじょうぶ》だ、アー快《い》い心持だ」 松「何を言ってやがる」 隠「じゃァまた初めっからやってごらん」 松「ヘエ、なったァなったァじゃになったァ。当家の婿さん、じゃになったァ、竹ッ」 竹「エー、何じゃになられたァ」 松「梅ッ」 梅「エヽ」 松「エヽじゃァねえ、長者になられたァと言うんだ」 梅「長者になられた」 松「ヘエお目出度《めでと》う」 隠「忘れちゃァいけないよ。お前さんが一番巧くやらないといけないよ」 松「どうも有り難う存じます」 隠「なんだか、まだ危険《けんのん》だ。モウ一度やってごらん」 松「ヘエ、なったァ、なったァ、じゃになったァ、当家の婿さんじゃになったァ、サァ竹」 竹「ウム、何《なに》じゃになられたァ」 松「梅ッ」 梅「ウム、ウームなられたァ」 松「オイ/\忘れちゃァいけねえなァ、長者になられただ」 梅「長者になられたァ」 松「ヘエお目出度《めでと》う」 隠「お前さんは器用だからいいが、後の二人が少し危険《けんのん》だが」 松「ナニ途中稽古をしながら参ります。有り難う存じます」 隠「今お茶をいれるよ、マアつまらない事だけれども……」 松「どう致しまして結構で、面白うがす。私《わっし》も初めて聞きました。きっと先方《むこう》でも珍しいから喜びましょう」 隠「くれ/″\もよく稽古をして行かないと、先方《むこう》へ行ってから、まごつくような事があってはいけないから」 松「ヘエ、大丈夫で、どうも有り難う存じます。さようなら」 竹「さようなら」 隠「オイ竹さん、お前|確《しっ》かりやらなくっつちゃァいけないよ」 竹「ヘエ大丈夫で」 隠「梅さんもそうだよ。忘れてしまっちゃァいけないよ」 梅「大丈夫で……」 松「サア稽古をしながら行くんだ。いいか、なったァなったァ、じゃになったァ、当家の婿さんじゃになったァ、サア竹や」 竹「何《なに》じゃになられたァ」 松「梅ッ」 梅「エー、エーと」 松「エーとじゃァねえや、長者なられたゞ」 梅「亡者《もうじゃ》になられたァ」 松「馬鹿ッ、亡者じゃァねえ、長者だ。確《しっ》かりかしろ、汝《てめえ》一人のために打《ぶ》ち毀《こわ》されてしまう。よく覚えてろ、長者になられただ、いいか。なったァなったァ、じゃになったァ、当家の婿さんじゃになったァ」 竹「何《なに》じゃになられた」 松「巧《うめ》/\、梅ッ」 梅「ウーム、亡者……」 松「まだあんな事を言ってやがる、サア家《うち》へ寄ってちょっと羽織を引っ掛けて行こう」  これから皆な自分の家《うち》へ寄って、羽織を着てまた出掛けた。 松「どうも梅なんだな、汝《てめえ》のやうな物覚えの悪い奴はねえな。なんでも人の事は構わねえから、俺が梅ッと言ったら、長者になられたと言うんだ。よく覚えとけよ、たった一言だ。長者になられたと言うんだ……。サアモウ来てしまった、確《しっ》かりやれよ」 梅「大丈夫だ」             ′ 松「エー御免くださいまし」 主「オヤお出でなさい。今日はそんな所から入って来ないで、こっちから入って来ればいいのに。サア/\お昇《あが》り、ナニね、先日《こないだ》種々《いろいろ》お前さん方にお骨折りを願ったから、ホンの心ばかりの御礼をしたいと思ってね、わざわざお迎い申したほどの事も出来ないが、皆な残物《さんぶつ》同様のもので、その代わりどうか緩《ゆっ》くり飲んで貰いたい」 松「ヘエ有り難う存じます」 主「サア/\どうぞこちらへ」 松「ヘエ」 主「今日《きょう》はね、家《うち》の奉公人や何かへ、馳走をしようという考えで、改まった御客と言っては別にない。皆な内輪の者ばかりだから、そう畏《かし》こまっていてはかえって困るよ」 松「ヘエ」 主「ヘエじゃァない。畏まっていちゃァ困るよ」 松「ヘエ」 主「なんだいお前達、紋付の羽織などを着て来たのかい。私の方じゃァやっぱり腹掛半纏で来てくれるんだと思っていたよ」 竹「ヘエ、それがソノ覚悟をして」 松「馬鹿ッ、覚悟てえ奴があるか……。エッヘッヘ、どうもなんでございます。有り難う存じます」  畏まって酒を飲むくらい旨くない事はない。もっとも皆な沢山《たんと》飲《い》けない方で、猪口《ちょこ》に三ツ四ツ位づつ飲んで、直《す》ぐ御飯になる。そこで松さんが上《かみ》で三人ズラリと列《なら》んで 松「どうもお目出度《めでた》うございます」 主「サア/\こっちへ来て緩《ゆっ》くりして下さいよ」 松「エー、それでは旦那、御当家のお婿さんをお祝い申して、それでお開きに致したいとこう存じまして、お目出度《めでた》くお祝い申します」 主「それは/\、何かやんなさるんだね。それは有り難い、オイ/\惣兵衛《そうべえ》や、家《うち》の者を皆《みん》な呼んでおくれ。この三人がどうも恐れ入ったね。何か祝ってくれるのだそうだ。皆なこっちへ来てごらん、どうも嬉しいね。三人が祝ってくれようとは思わなかった。第一松竹梅の三人が揃って、祝ってくれるというのは、誠に有り難い。そこではなんだね、じゃァこうしよう、お膳を片付けてしまって、床の間の前へ三人にズーッと列《なら》んで貰おう」 松「イエそれではなんでございます。床の間の前などへ坐《すわ》った日《ひ》にゃァ、身体《からだ》が縮こまってしまいます」 主「イヤそうでないよ。こっちで皆《ふん》なが拝見をしているから、何か声を出す事ならお湯でも上げようか」 松「ヘエ、ナニただ珍しいというだけの事で」 主「珍しいの結構だ。この三人がズラリと列《なら》んでくれるというのは嬉しかったな。サア皆な揃ったから、何だかやっておくれ」 松「ヘエではわざッと御当家のお婿さんをお祝申します。なったァなったァ、じゃになったァ、当家の婿さんじゃになったァ」 主「巧《うま》いなどうも」 松「(小声)竹ッ」 竹「何《なに》じゃになられたァ」 松「(小声)梅ッ」 梅「ウッ、ウッ、エート、なられたァ」 松「(小声)チェッ、しょうのねえ奴たな。じゃァモウ一度やり直しだ……。なったァなったァ、じゃになったァ、当家の婿さん、じゃになったァ、竹ッ」 竹「何《なに》じゃになられたァ」 松「(小声)梅ッ」 梅「ウッ、ウッ、ウーン、大蛇《だいじゃ》になられたァ」  二人は面目《めんぼく》ないので飛び出してしまったが、梅という男は、出るも引くも出来ず、マゴ/\している。 松「オイ/\、モウここまで逃げて来りゃァ大丈夫だが、何てえ間抜けの野郎だろう。長者と大蛇と間違えやがった。どうせモウこうなったら仕方がねえ。あのお店《たな》は失策《しくじ》りもんだ。だけれども梅の野郎どうしたろう一緒に早く逃げちまやァいいんだのに」 竹「ナニ心配しなさんな。梅のこったから、床の間にいるんだ。今にお開きになるだろう」