茶金(ちゃきん) 八代目桂文治  よくいう言葉に誰は大層出世をした。誰は運が悪いなどと言いますが、人の出世という事は実に分かりません。ソコで悪人は出世が早いが、善人は出世の遅いものでございます。早いのは赤ン坊の中《うち》に出世をする。財産家の家《うち》に生まれ、または名聞のある人の家《いえ》に生まれます。これは腹からの出世でございます。しかしそういう人が大きくなって貧乏をしたり、先祖や親の勲功《くんこう》で貰った位を取られてしまうなどという者もありますから、人間の生涯は分からないものでございます。また死に際《ぎわ》になって出世をする者もあれば、遅いのは死後に至って位を頂いたり、跡継《あとつ》ぎが華族になったりする。何でも良い事さえ心掛ければ終《しま》いには善《い》い事があります。出世とは世に出るという、死後でも何でもつまり、名前が世に出れば、人間の役目は果たしたものでございます。善《い》い事/\と心掛けて、アノ人は困るだろうから、こうしてやろう。どうかしてアノ人を助けてやろうなどと人のためを思っている人は、知らず/\自分にも善《い》い報《むく》いが来て、出世をします。しかし人間世渡りは骨の折れるもので、当今は鑑札というものがありまして、何商売もやたらには出来ませんが、昔は長雨でも、降った上《あ》がりには急に道具屋さんなどが殖《ふ》えたといいます。今日《きょう》で五日降られて資金《もとで》は食ってしまい、質屋へ持って行くようなものもない。馬鹿に好《い》い天気になったが、伊勢屋さんの前を借りて今夜道具屋をしようじゃアねえかと、夜になって他の家の土蔵《くら》の前を借りて茣蓙《ござ》を敷いて、古道具などを列《なら》べて商《あきな》いを始める。それでも昔は別に構わなかったものだそうでございます。大概この道具屋さんは道楽稼業だと言いますが、それに違いありません。昔は久保町《くぼちょう》の原、柳原の堤《どて》、小石川の牛天神《うしてんじん》の前あたりには随分道具屋が出たものだそうで、縁《ふち》の欠けた徳利、蓋物《ふたもの》の後家《ごけ》になったの、手の取れた急須《きゅうす》、古本を五六冊並べ、真ん中の所に足袋《たび》を繕《つくろ》いながら、端《はし》の方で大福を焼いて売ってる。そこへまたそれ相応の者が行って素見《ひやか》しています。 ○「オイ道具屋さん、この箱は幾らだ」 道「それは三百|文《もん》で……」 ○「高えや、半分に負《ま》からねえか」 道「負かりません」 ○「負からなければ新らしいのを買わア。そのお前の刺してる足袋《たび》は幾らだ」 道「十五|文《もん》でございます」 ○「高えな。半分に負からねえか」 道「負かりません」 ○「負からなければ新らしいのを買わア。オヽその大福は幾らだ」 道「大福の値《ね》は極《き》まってます。五|文《もん》……」 ○「半分に負からねえか」 道「負かりませんねえ」 ○「負からなけりゃア新しいのを買わア」 道「古い大福は売りません……」  同じ道具屋にも古《ふる》道具、中《ちゅう》道具、何《なに》道具と種々《いろいろ》ありますが、最も難かしいのは茶道具屋で、その代わりまた掘り出し物が多いようでございます。東山《ひがしやま》義政《よしまさ》公が何の時に使ったのだとか、信長が誰にやったものだとか、いうようなものになると、品の善悪《よしあし》に拘《かか》わらず、値段が上《あ》がります。京都の衣店《ころもだな》に茶屋金兵衛《ちゃやきんべえ》という茶道具屋がございました。この人は大層な鑑定家《めきき》で京都ばかりではありません。大阪はもちろん江戸までも名前が弘《ひろ》まっております。茶金の指《ゆび》さしたものは五両の物が急に十両、あるいは金一枚のものは茶金が賞《ほ》めたというと金五枚、十枚という大層の値段が出た。もっともこの人は心掛けの良《い》い人で、広く人とも交際《つきあい》も致し、茶金《ちゃきん》/\といって諸家様《しょけさま》へ出入りを致しました。この人がちょっと人の店へ立って、 金「オイそこにある軸《じく》をお見せ」 ×「アッこれは茶金さんでございますか、どうぞ御覧なすって…」 金「アヽこれは面白い。英《はなぶさ》一蝶《いっちょう》老後の月だ。自《おの》ずから十六夜月《いざよいづき》のぶん廻し、これはどの人も年を老《と》ってから月を書くのに、ぶん廻しを用いたという。モウ年を老《と》ってからの一蝶《いっちょう》さんだが、幾らでお前買ったね」 ×「ヘエ一分《いちぶ》二朱《にしゅ》で買いました」 金「アヽ大した掘り出し物だ。マア大事にしておくがいい。箱はなくっても、十両なら私が買う」  こういう事を茶金が一言《ひとこと》言ったために英《はなぶさ》一蝶《いっちょう》が大層世の中へ行なわれたというくらい。この人毎日|清水《きよみず》の観音《かんのん》へ参詣しました。信心ばかりではない。当今《ただいま》なら運動腹こなし、ブラ/\歩いて途中に乞食《こじき》でもいれば幾らか恵む誠に良《い》い事を心掛けております。清水《きよみず》という所は景色が好《い》い。ここに一文《いちもん》茶屋といって一服一文、お茶を一ぱい喫《の》んで一文の茶代、二はい喫《の》めば二文、いくら茶食《ちゃっくら》いでも百ぱいと喫《の》む人はないから、誠に僅かの茶代て休める。これへ茶金が来て 金「好《い》い天気だね」 ○「これは御出《おい》でなさいまし。サアお茶をお喫《あが》んなさいまし」  茶金さんが茶碗を取って呑《の》もうとすると、ポタリ/\と漏ります。不思議だから茶を飜《こぼ》して、紙で拭《ふ》いて、日《ひ》へかざして見ると瑕《きず》はない。また茶を注《つ》ぐとポタリ/\。また茶を明けて拭いて見ると瑕《きず》も何もない。あんまり不思議だから長い事休んでいる間、頻《しき》りに捻《ひね》くりながら、これは一つは焼きにもあるが、肉が薄いに、薬も少し薄かったか、なにしろ面白い茶碗だと、暫《しばら》く見ておりましたが、茶代を置いて、 茶「ハイ御邪魔《おじゃま》さま、また来るよ」  と言って帰ってしまいました。この傍《わき》に油屋さんが一人やっぱり茶を喫《の》んで休んでおりました。これは江戸を食い詰めて来た道楽者で、もっとも油屋でもして世を渡ろうという位だから悪人ではない。  これを見ていたが、 油「ねえお爺《じい》さん」 爺「ハイ」 油「こうしてお前さんの所へ毎日来て休むのを楽しみにしているが、なんでも馴染《なじみ》にならなくちゃアいけねえね」 爺「そうですよ、油屋さん。私の方でもお前さんが二三|日《にち》来ないと、アノ人は今日はどうしたろうと心配をしますよ」 油「ついてはお爺《じい》さん。妙な事を言うようだが、お前のところで煙草《たばこ》休みをする時もあり、昼食時《じぶんどき》には弁当を使う事もあるが、茶を喫《の》んだり湯を喫《の》んだりするのに、油臭い手で持ってヒョッと匂《にお》いが後《あと》へ付くやうな事があると、他《ほか》のお客に悪いが、どうだろう銭《ぜに》を出すが茶碗を一つ売ってくれねえか」 爺「エー、こんな茶碗ならお銭《あし》なんぞ入らないから一つお持ちなさい」 油「それじゃアこの茶碗を貰っていくぜ」 爺「アヽそれはいけない。これは大変な茶碗で……」 油「ヘエーこの茶碗は良《い》いのかえ」 爺「それはどうして、大事の茶碗で……。今ここにいなすったお方をお前さん知んなさらんか。あれは茶道具屋の金兵衛さんだ。アノ方がこれはと言って指《ゆび》さし一つすれば、グッと値《ね》が上がるというくらい。ところが今長い事お茶を注いだり、明けたり、拭いたりして見ていなすったのは大した茶碗で、それをお前さん見ていて、持ってゆこうというのは人が悪い。これは上《あ》げる訳にいかない」 油「オヤ/\お前も知ってたか。実は俺は江戸を食い詰めてこっちへ来て油屋をしているが、さて油屋じゃア幾らの稼ぎもつかねえ。何か銭《ぜに》儲けをしてえと思ってるんだが、どうか一つこの茶碗を売ってくんねえ。ここに売り溜めが一両と端《はし》たが幾らかある。これをソックリ置いてくから」 爺「それはいけねえ。幾らでもこの茶碗は売る事は出来ません」 油「ナニ売る事が出来ねえ。出来ねえならいい、売って貰わねえ。その代わりここへ叩き付けて茶碗を毀《こわ》しちまう」 爺「そんな乱暴な事をしちゃアいけません」 油「いけねえたって構わねえ。出る所へ出たからって、ツイ落として毀《こわ》したといやアそれまでだ」 爺「お前さん人が悪いなア……じゃア仕方がない、あんたに譲る。譲るけれども儲かったら黙ってないで、奢《おご》らなくちゃアいけませんぜ」 油「儲かりゃア奢《おご》るどころじゃアねえ。割《わり》をやるから待ってねえ爺《じい》さん……」  油屋は宿へ帰りまして、どこでどう工面をしたか、ちょっと寂《さび》の付いた奇《おつ》な箱へ茶碗を鬱金《うこん》の切れへ包んで入れて、二番|更紗《さらさ》の風呂敷へ包んで、唐桟《とうさん》づくめの服装《なり》をして、前掛《まえかけ》を掛けて衣店《ころもだな》へやって来てみると、門口《かどぐち》に薄茶の暖簾《のれん》が掛かっていて、何となく寂《さび》の付いた好《い》い心持ちの小庭《こにわ》になっております。 油「御免《ごめん》下さい、御免なさいまし」 番「ハイ御出《おい》でなさい」 油「エー茶金さんのお店はこちらで」 番「ハイ、茶金は手前でございます」 油「私はちょっと旦那に御目に掛かりたくって来ました」 番「左様てございますか。手前は当家の番頭で、何の御用ですか」 油「少し旦那にお目に掛からなくっちゃア分からねえんで、大金の品を持って来たんだが、どうか一つ見て頂きたい」 番「左様てございますか。マアこちらへお入り下さいまし。どういう御品《おしな》でございますか、私共の主人が拝見致しませんでも、私も、身不肖《みふしょう》ながら番頭でございますから、私が拝見しても同じ事で……」 油「それがね、番頭さんの前だが.どうもお前さんじゃアいけねえんだ。どうしても旦那でなけりゃアいけねえ」 番「左様でございますか。私が見て分からない物だったら、主人に見せましても分かりません」 油「イヤお前さんに分からねえという訳じゃアねえが、お前さん見て笑やアしねえか」 番「イーエ笑やア致しません」 油「そんなら断っておくが、私《わっし》ゃア癇癪《かんしゃく》持ちだから、お前さんが笑うと殴るからそう思っておくんなせえ」 番「ヘエよろしゅうございます。ちょっと拝見を……アヽいい風呂敷でございます。更紗《さらさ》もここへ来ると値打ちがありますな」 油「オイ/\お前さん、それがいけねえ。誰も風呂敷を見てくれというんじゃアねえ。中の品を見ておくんなせえ」 番「ヘエ拝見致します」  風呂敷を取って箱から茶碗を出した。道具を見るのは難かしいもので、粗相《そそう》のないように大事に手掛け、鬱金《うこん》の切れを払って見ると清水焼《きよみずやき》の茶碗だから驚いて番頭が 番「これはあなた、清水焼でございます」 油「ウム清水焼だ。千両の値打ちがあるんだ」 番「アハヽ、ご冗談仰ってはいけません。清水焼の茶碗が、千両なんつて……」  ポカッ。 番「アイタ、あいつ何で私の頭を……」 油「何でたア何だ。それだから断っておいたじゃアねえか。茶碗を見て、笑ったら殴るという約束だ」 番「約束だと言ってあなた、三|文《もん》の茶碗を千両なんて馬鹿々々しい事をお言いなさるから」 油「馬鹿々々しいとはなんだ。この野郎」 番「アイタ、あなた乱暴しちゃアいけません」 油「乱暴も糞《くそ》もあるものか。約束だい……」 金「アヽモシ、お客様ちょっと待って下さいまし。清兵衛《せいべえ》何という事だ。今聞きていると、お客様の品物を見て笑うという事があるか。お客様あなたも私共の店へお出《い》でなすって、そんな事をなすっては困ります」 油「イヤ旦那、お前さん知らねえからそうお言いなさるが、旦那に見てくれと言ったら、私が番頭だから、私が見ると言うから、そんなら見て笑っちゃアいけねえ。笑うと殴るという約束をした所が、この番頭が笑やアがったから殴ったんだ」 金「マアどうもそれはとんだ失礼を致しまして相済みません。私は金兵衛でございます。代わってお詫びを致しますから、どうかご勘弁を願います」 油「ナニ旦那、詫《あや》まらねえでもお前さんが見ておくんなさりゃア分かる。千両の茶碗だ」 金「拝見致します。……イヤこれはお客様、番頭が笑うのは無理はございません。あなたは御存じないか、知りませんが、これは清水焼の茶碗で、三文の値打ちもありません。こういう物を持って人の店へ来て千両、万両だと大きな事を仰っても、とてもお話は出来ません。見ればあなたは関東のお方のようだが、事によると詰らないものを持って来て、これを高いとか安いとか言ってる中《うち》に、粗相《そそう》でもすると、サア大事の品物へ瑕《きず》を付けた。どうしろとかこうしろとか言うつもりなんでございましょう」 油「オヽ冗談いっちゃアいかねえ。俺は強請《ゆすり》騙《かた》りじゃアねえよ。厭《いや》なら止《よ》せ、売らねえまでだ。けれども旦那、誰がこんな茶碗を捻《ひね》くって人を迷わしたんだ。いい高慢の面《つら》をして変な真似《まね》をされると飛んでもねえ怪我人が出来てしまう。買わなけりゃ買わねえでいい。人は詰らねえ災難のあるものだ。旦那お前さんに言っとくが、これからあんまり高慢の顔をして長々と茶碗なんぞ捻《ひね》くらねえがいい。茶を喫《の》んだらズン/\帰《けえ》るがいい、馬鹿々々しい」 金「これは訝《おか》しな事を言いなさる。……ハテナどうもあなたは見たような方だが、……アヽこないだ清水の一文茶屋に休んでいなすった、アノ油屋さんだね」 油「そうでございます」 金「アヽアノ時の茶碗かい」 油「アノ茶碗だ。旦那覚えがありましょう」 金「アヽある/\」 油「ソレ御覧なさい。千両の値打ちがありましょう」 金「冗談いっちゃアいけません。実は茶を喫《の》もうとすると、ポタリ/\漏る。変だと思って茶をあけて目にかざして見ると瑕《きず》はない。また茶を注《つ》ぐと漏る。不思議な茶碗だ。変な茶碗だと思って捻《ひね》くってみたので、値打ちがあって見たのじゃアない。イヤどうもそれはお気の毒の事をした」 油「こいつア飛んだ大笑いだ。お前さんがちょっと指を指《さ》せば直《す》ぐに値《ね》が出るという所が、茶碗を持って長い間考えていたから、千両くらいの値打ちはあると思って、私《わっし》ゃア、一文茶屋の爺《じじい》と喧嘩をして売り溜めを一両幾ら出して無理に買って来たんだが、それじゃア値打ちはねえんですかい」 金「イヤ剛《えら》い」 油「エー」 金「あなたは剛《えら》い」 油「何が」 金「何がと言って関東の方はどうも剛《えら》い。この茶碗が値打ちはなくとも、茶金の名を買って下さるそのお志《こころざし》が嬉しいから、お礼の印《しるし》に私がこの茶碗を買いましょう」 油「有り難え、千両に……」 金「巫山戯《ふざけ》ちゃアいけない。誰が千両で買うものじゃアない。お前さんが売り溜めを一両幾らか出して買ったと言いなさるから、私がそれを三両で買いましょう。しかし油屋さん、道具屋という商売は儲かる時もあるが、馬鹿な損をする事もある。餅屋は餅屋と譬《たと》えに言う通り、油屋さんは油さえ売っていれば損はない。売りさえすれば幾らかずつの儲けがある。道具屋は十両で買ったものでも、長く持っていると厭《いや》になって損をして売る事もある。その代わり一両で買ったものも十両になる事もあるが、なかなか難しい商売だ。悪い事は言わないから、お前さんなまじ道具なんぞで儲けようと思わないで、やっぱり油屋をしてお在《い》でなさい。馴《な》れた稼業さえしていれば決して損をする気遣いないから」 油「なるほど、それに違いねえ。大きに悪かった。番頭さんどうも済まなかった。詰らねえ事でお前さんの頭を殴った」 番「どうも驚きました。ポカ/\とやられて恐しく痛うございました」 油「昔から殴りゃア痛えに極《きま》ってるがね。なにしろ済まなかった」  油屋は悄然《すごすご》として帰って行った。ところがこの金兵衛さんの出入り先といったら、数限りのないくらい。道具ばかりではない、お茶の対手《あいて》に御公卿《おくげ》様方へ多く出ます。その中にも関白《かんぱく》鷹司《たかつかさ》卿《きょう》のお対手《あいて》に繁くお出入りをします。ある時御茶のお催しで御詰めの役を金兵衛が勤めて種々《いろいろ》お話がありました時に、 鷹「何か金兵衛、面白い話はないか」  という関白殿下の御言葉があったので、例の清水《きよみず》の茶店でこれこれ、油屋がその茶碗を手前共へ持って来ましたという話を申し上げた。スルと関白様が、 鷹「ぜひその茶碗を見たい」 という仰せに、金兵衛|早速《さっそく》家《うち》から取り寄せて御覧に入れました。箱の蓋《ふた》を払って御覧になり、それへお湯を注《つ》ぐとポタ/\漏る。湯を明けて拭いてかざして見たが瑕《きず》はない。また湯を注ぐとポタ/\漏る。その湯を飜《こぼ》して暫《しばら》く見て在《いら》しゃた関白様が、 鷹「不思議な茶碗じゃ」  と仰せになって、短冊へ筆をお染めになったのが、   清水《きよみず》の音羽《おとわ》の瀧《たき》の落としてや    茶碗もひゞにもりの下露《したつゆ》  関白様の御歌《おうた》が付いて、忽《たちま》ちの間に大層な茶碗になった。金兵衛大喜びで家《うち》へ帰って、今までは棚の隅に載せて置いたのを、自分の手近い所へ置いて、仲の好《い》い朋友《ともだち》でも来るとこの話をして、 金「世の中に不思議な事があるものだ。三|文《もん》の清水焼の茶碗に関白様の御短冊が付いた」  とそれを見せては自慢をしていると、ある時、関白様が参内《さんだい》を致した折にこの茶碗の事を申し上げましたところが、恐れ多くも、見たしとの仰せに、直《す》ぐ様茶屋金兵衛へ御沙汰《ごさた》になりましたから、金兵衛は夢かとばかり喜び、厳重に警固《けいご》が付いて茶碗が御所へ上がりました。もったいない事を申し上げるようでございますが、茶碗は高貴のお方の御前《ごぜん》でも遠慮はない。お湯を入れるとポタ/\漏る。明けてお拭き取りになって翳《かざ》して御覧になると瑕《きず》もない。この時に、ハテナと仰せがありまして万葉仮名で箱の上に“はてな”と御染筆《ごせんひつ》になりました。サア大変、ハテナの茶碗と言って京洛《きょうらく》中の評判になりました。スルトその頃の鴻池《こうのいけ》善右衛門《ぜんえもん》が大阪でこれを聞いて、家《いえ》の宝にしたいから、ぜひ売ってくれと、自分で茶屋金兵衛の所へ来て話したところが、金兵衛も稼業は道具屋でも、 金「御筆《ぎょひつ》の染まったものを売り物にする訳になりませんから、お断りを致します」 善「それでは茶金さん、こうしよう。お前に金を千両預けるから、茶碗を私に預けておくれ。預けッこをするんならいいだろう」 金「それならようございます」  と金と品物の預かりっこをしたが、つまり茶碗が千両で売れたのだから、金兵衛は大喜び、どうかアノ油屋に幾らか金を遣《や》りたい、と店の者に言い付けて油屋が来たら呼べといって毎日来るのを待ているが、かの油屋はやっぱり京都の中《うち》で商売はしているけれども、茶金さんの所へは体裁《きまり》が悪いから、それっきり見えません。その中《うち》にどうしたか、ヒョックリ衣店《ころもだな》を通り掛かると ○「旦那様、先だっての油屋が参りました」 金「そうか呼んでくれ。いい所へ来た」 ○「オイ油屋さん/\」 油「サア大変だ、見られちゃった……ヘエ、私は油屋ではございません。甘酒屋で……」 ○「甘酒屋とは荷が違う。旦那が用があるといってこの間からお前さんの来るのを待っていたのだ。ちょっと来ておくれ」 油「オヤ/\三両返せと言うんじゃアねえか。……ヘエ旦那|無沙汰《ごぶさた》をしました」 金「イヤ油屋さん、こっちへお入り。お前の来るのを待っていた。此間《こないだ》の茶碗が売れた」 油「エー茶碗が売れましたかえ」 金「アヽ千両に売れた」 油「エッ千両、ソレ御覧なせえ」 金「マア話を聞きなさい。関白様が短冊を添えて下すった所が、恐れ多い事だが、今帝《きんてい》様が御覧遊ばして、ハテナとお名を下すった。ところでアノ茶碗が千両になったから、油屋さんお前にお金を上げようと思って来るのを待っていたのだ。そういう訳だから、お前に千両|皆《みん》な上げてもいい訳だが、私もこの京都に長くいるから、どうかこの土地の貧乏の人に施しをしたいと、かねて心掛けているが、こういう稼業をしていても、金といっては沢山ない。ところへこういう事で、千両入ったから、その内百両お前さんに上げる。ついては悪い事は言わない、江戸は良い所だから関東へ帰んなさい。残った九百両で私は一つ振る舞いをする。いいかね解《わか》ったかえ」 油「アヽ有り難え。百両ありゃアこんな所にゃアいねえ、威張って江戸へ帰る」 金「こんな所だけ余計だ。それじゃア百両上げる」 油「どうも有り難うございます。番頭さん、此間《こないだ》はアヽいう事をして済まなかった。仲直りに一口上げてえが、この姿《なり》じゃアどこへも行かれねえ。この二両で一杯|飲《や》っておくんなさい。小僧さんこれは小遣いだ。菓子でも買っておくれ」 金「アヽ油屋さん、お前さんがそんなに皆にやらないでも、店の者には私がやるから無駄に金を使いなさらんがいい」 油「ヘエ有り難うございます」  と思い掛けなく百両の金を貰って油屋は喜んで帰ったぎり参りません。茶金もいい事をしたと大喜び、大方アノ油屋は言う事を聞いて江戸へ帰ったろうと思ってると、ある一日《いちじつ》夕まぐれ、町内|破《わ》れるような騒ぎ「えらいこッちゃ/\」  という声に、茶金が、 金「なんだ表が賑やかだが……」  と表を見ると例の油屋が、唐更紗《とうざらさ》の風呂敷を首へ巻いて、尻《しり》ッ端折《ぱしょ》りで、パッチを穿《は》いて先へ立ち、後《あと》から大きな箱を担がして茶金の家《うち》へ踊り込んで、 油「オヽ番頭さん、手を貸してくれ、十万八千両の金儲けだ」 番「ナニ十万八千両の金儲け……」  箱の蓋《ふた》を払って見ると今度は水瓶《みずがめ》の漏るのを持って来ました。