狂歌家主(きょうかいえぬし) 八代目春風亭柳枝  ェェご機嫌よろしゅうございます。どうぞ大いに笑いまして、良いお年をお迎えのほどお願いを致しておきます。 『味噌漉《みそこし》の底に溜りし大晦日、越すに越されず越されずに越す』ッてんで……。お金があってもなくっても、そんなことは構わない。年のほうはどんどん越してってくれます。ためにこれを『越すに越されず越されずに越す』と、こう言うんだそうです。 「(いきなり)どうするんだよゥこの人ァ」 「どうするッたって仕様がねえじゃねえか」 「仕様がないじゃないかって、あたしゃ気がもめて、家に坐っていられないんだよ」 「俺も坐っていられねえんだィ、仕方がねえから二人《ふたあり》で立ってるン……」 「何を言ってるんだい……餅をどうするんだよッ」 「餅ァ俺、嫌いだよ」 「(じれて)好き嫌い聞いてるんじゃないやね。三《さん》ガ日《んち》餅の気《け》なしで暮らせるかね、縁起でもない」 「心配《しんぺえ》するなよ、なァ、家で餅が搗けなくてもよゥ、表通《おもて》へ行きゃ売ってるんだ……買って来いッ」 「お金がないよッ」 「金、金ッて言うねえ、こん畜生……(懐から銭を出し)さァいいから、買って来い」 「(見て)こらいやだよ、一銭銅貨三ッつだよ」 「しッ、大きな声するんじゃねえ。一銭の銅貨だと思うから嫌《やあ》な気持がする、なァ。これを五十銭の銀貨だと思えば一円五十銭」 「こんな……お前さん、赤い銀貨はないよォ」 「銀貨も寒いから一杯《いっぺえ》飲ンで酔っぱらっちゃった」 「何を言ってんだね……あたしに三銭持って、餅を買いにやるのかい?」 「(大声で)おめえが煩せえからだよォ、行って来ォい……(見送って)ヘッ可哀相に三銭持って餅を買いに行きゃァがった。なァ、勘弁してくれ、来年はうんと働いて、面白い思いさしてやろうじゃねえか……(下手を見て)帰《けえ》ッて来やがった……どうした?」 「買って来たよ」 「おい、おッ、待ちねえ、俺が怒鳴っちまうからな……(大声で一気に)ええ、餅屋さんですか、ご苦労さまですねェ……おッ嬶《か》ァや、餅屋さんが来たよ。餅筵《もちむしろ》三枚《さんめえ》みんな敷いちまいねえ、構わねえから、あァ……ええ、尺五寸の鏡餅《かがみ》、それが家《うち》のでござんす、へえ……ええ、それから熨餅《のしもち》が百五十|枚《めえ》、三十|枚《めえ》粟餅《あわ》が混ってますか? どうもご苦労さまで。五寸|供餅《ぞなえ》が十五で、ええ、交際《つぎあい》が拡がったもんですからねェ、貰って返さねえてえわけにいかねえもんですから……どうもご苦労さま。一寸|供餅《ぞなえ》が十三でござんす、へえ。いずれまた寒餅《かんもち》お願いにあがりますから、あとで嬶ァに勘定持たしてやりますから、親方によろしく。さよならご免《めん》」 「(あきれて)馬鹿だねェ、この人ァ。気が違ったんじゃないかねェ……お前さん、聞こえるよ」 「俺ァ聞こえるように怒鳴ってるんだよ。長屋じゃァ、あすこの家は、どっさり餅を搗いたと思ってらァ」 「馬鹿だねェ、この人ア……(出して)餅はこれだけだよッ」 「(情けなさそうに)おォやおや、これ一つ三銭? これ焼いて食やァすぐなくなっちゃうよ、これァ……こうしようじゃねえか、これをこう細かく刻ンじまおう、ね? こいつをこう、三《さん》ガ日《んち》に分けとく。そいで、二人《ふたあり》でばりばり噛《かじ》ってる」 「鼠じゃあるまいし、生《なま》餅を噛れるかね……餅はなんとかするからいいよ。けどもねェ、たいてい小金は頭を下げちゃったんだがねェ、ひとつだけ残ってるんだがねェ」 「何でェ?」 「大家さんとこ、行かないといけないよ」 「家主《いえぬし》か? いけねえ……俺ァ家主の顔を見るてえとね、毒ッ気を吹っかけやんからねェ、ものが言えなくなっちまうんだよ」 「お前さんが口不調法てえのは、あたしゃ知ってるからね、ちゃんと言訳《いいわけ》の方法を考えといたよ」 「そうか、なんてえン?」 「あの……“好きなものには心を奪われる”てえの。あの人ァ大変に狂歌に凝《こ》ってる。狂歌家主なんてえ評判だァね。だから嘘も方便、『狂歌に凝りました』てえば、待ってくれないこたァないよ」 「そうか、なんて言って来るン?」 「今日は威張《えば》って表から入ってくんだよ、構わないから……『こんちわ、今日《こんち》持ってあがるんですが、つまらないものに凝りまして、あっちの会、こっちの寄合と首を突ッ込ンでいたものですから、家賃が溜って申し訳がございません。一夜が明けまして、松がとれましたならば、目鼻のあくようなことに致します』と、こう言ってくんだよ」 「よし、心得た……で、その、何か? 狂歌てえのはどんなものだっけねェ」 「ほらァお前さんが酒屋の番頭さんに断られて口惜しがってたろ?」 「あッ(ぽんと手を打って)、あれなら友達に、好きな奴があるんだ。二ッつ三ッつ小耳にはさんでらァ。上手《うま》く胡麻化してくるからな……向うへ行って。その、狂歌てえのを忘れちまうといけねえからねェ、もしも忘れたら、思い出す工夫はねえか?」 「そうだね、お前さんそそっかしいんだからねェ……もしも忘れたらねェ、金毘羅《こんぴら》様の縁日思い出すんだよゥ」 「なんでェ縁日てえのァ?」 「ありゃお前さん十日だろ? 十日に狂歌。思い出すじゃないか」 「あッなるほど……じゃ行ってくるよ」 「しっかりやっといでよッ」 「あいよッ……へん(と歩き出して)、驚いたね、えェ? しかし、うちの女房《かみ》さん偉ェなあ、家賃の言訳|空《そら》で心得てやン……どう考ィても、女房《かみ》さんてえものは貧乏人の娘ェ貰うべきだね。ああいうのは家でもって仕込ンでやんだよ……『お前なんざいいところへ嫁に行かれねえんだから、きっと嫁《い》った先でもって家賃の言訳にぶつかるに相違ねえ』ッてやン。知らねえてえと親の恥だてんで、親が仕込ンでやんだね、ああいうのは。偉いもんですねェ、ヘッ……(家主の家に着いて)大家ンところじゃァすっかり掃除が行き届いてやン、どうです。ええ障子を張り替えて、いつでも正月が来いッてえな面《つら》つきをしてやン。どういう面《つら》をしてえるか、見ないてえと毒ッ気を吹っかけっからね、覗いちゃおう……(右手の指で輪を作り、片目をつぶって覗く)うわァッ坐ってる坐ってる、妙な面ァして坐ってやがら」 「お婆ァさんや(と上手奥へ)、障子ィ穴ァあけて覗いてる奴がある。ええ? 子供じゃない、大人だよ。悪い悪戯《いたずら》しやァがる、張りたての障子だ……(大声で)そこを覗いてるのは誰だッ?」 「(ふざけた口調で)大きな声だな。ェェわかりますか?」 「なんだ、わかりますかてやン……声柄じゃ“がら”だな」 「あれ? いつもはがらッ八《ぱち》てえン、八がなくなって“がら”んなっちまいやン。鶏《とり》の骨だね」 「何を言ってやン……(大声で)入れッ」 「入りますよッ、ええいときやがら……(勢いよく障子をあげて)ばあァ」 「何をしてやン、人を馬鹿にしやがって……(声をやわらげて)しかし、いつも裏口から、今頃になるとこそこそ入って来るが、今日はにこにこ顔だ。今年はだいぶ景気がいいな」 「(空元気に)馬鹿な景気です、ええ」 「あァ、お前が景気が好《い》いと、あたしも嬉しい。いつもの月とは違うてんで、ずらりと並べて俺にあッと言わせようてんだろう」 「ほらおいでなすった……そうは旨くいかねえんです」 「そうか。では半分だけ持ってきて、あとの半分は来春《らいはる》にしろと、こう言おうてえン」 「ヘヘ、それがまるっきり持って来ないから面白いよ」 「面白かねえ、こん畜生……(大声で)何しに来やがったッ」 「(手で防いで)お、大きな……ここんとこだ、難しいとこは……(急に改まり)ェェこんちわァ」 「やに改まっちまいやン……(不機嫌に)ええ、こんちわッ」 「ェェ……『今日《こんち》……今日《こんち》持って上がるんですが』ッてえのがはじまりです」 「(睨んで)それがどうしたッ」 「ついつまらぬもんに凝りました。で、この、あっちの会へ首を突ッ込ンじゃったんです……ぷッ、それがつまり、この、抜けなくなっちゃったン」 「なァにを言ってやン……猫だね、貝〔会〕へ首を突ッ込ンだってやン」 「で、ま、早い話が……」 「あァ、早い話がいいな」 「早い話が、一夜が明けるんですな……(心もとなさそうに)一夜が明けると、目鼻が取れちまうんで……目鼻が取れると、のっぺらぼうになっちまうン。松か目鼻が取れるようにできてるんですがねェ。どうかよろしきように……さよならッ」 「待て待て(と止めて)、こん畜生め、胡麻化して帰るつもりでいやがる……お前は言訳に来たな、『一夜が明けて、松が取れたらば目鼻があくようなことに致しましょう』と、こう言おうてえんだろう」 「あ、そう言おうてんですよ(と手を打って)……それから何てえんです?」 「お前がやってるんじゃねえか……(さっきの言葉を思い出して)『くだらんものに凝りまして』。お前、また、悪い勝負事を始めたな?」 「そうじゃねえんです。あなたの好きなものに凝ったン」 「あたしの好きなもの?……なんだ」 「金毘羅様」 「金毘羅様ァ? あたしゃ金毘羅様好きじゃないよ」 「いや好きだィ、金毘羅大家(変だなと気づき)金毘羅大家? 金毘羅さんの縁日はいつですゥ?」 「あれは十日だ」 「あ、十日、十日。十日の近所ですがね、八日は薬師様でしたなァ、七日は二七《にしち》の不動で、六日が六毘沙《ろくびしゃ》六地蔵で、五日が五十稲荷《ごとおいなり》……」 「縁日屋だな、まるで……十日の近所……?」 「あッとゥ(ぽんと手を打って)、思い出したよ、狂歌ですよ」 「あ、なんだ、思い出すんで騒いでるン……(気に入って)なにか、お前が狂歌をおやりか?」 「おやり〔槍〕の鉄砲のてえ騒ぎじゃねえんだよ、なにしろ三度の飯より好きなんです」 「お前が? (機嫌がよくなって)へえェ、それは耳よりな話だ。あたしの長屋、数があるが誰ひとりとして話相手になる奴はない。お前はがさつな人間、ああいう風流の道を学ぶ、自然出る言葉が違ういいお方ともおつきあいができる。行儀作法も覚える。しかし、それがために家賃が溜めたとこう言ったな? そりゃいけねえ稼業は稼業、道楽は道楽。別にしなくちゃいかん。稼業があっての道楽。しかし、そういうことならあたしゃ何にも言わない。家賃ぐらい待ってやろう」 「ありがとァんす……負けてくれますか?」 「負けるわけにゃいかねえ。出来たとき持って来なさるがいい……今日はゆっくり遊ンでいきな」 「へえ泊りがけで」 「そんなに遊ンでかなくったっていいや……(上手奥へ)お婆ァさんよ、お茶でもいれなさい。狂歌に凝ったんだとよ、嬉しいじゃないか」 「大家さんなんざ上手《うめ》ェんでしょうね」 「いや、狂歌家主と言われるほど上手くはない」 「あ、そうでしょう」 「ご挨拶だね」 「どういうわけで、そういう異名とったんです?」 「異名てえのはおかしいが(と誇らしげに)、この前あの、伊勢六さんの若旦那のご婚礼、お呼ばれにあずかって行きました。ところが立派な島台《しまだい》、どうしたことか脚《あし》が一つ取れた。がたりと引っくり返った。座がすっかり白《しら》けてしまった。お可哀相にお仲人さんは、お頭《つむり》が上がらない。親御さんは目に涙を浮かべる始末。わたしゃひょこッと思ったことがあったのでな、残っている脚《あし》を全部《みな》取ってしまった……そのとき詠《や》ったのが“悪《あ》し〔脚〕ということは残らず取り捨てて、良きことばかり残る島台”。あ、それを聞くてえと、みんな大喜び、座が無事に持ち直って、お開きになった。それから儂《わし》のことを、狂歌家主と言うようになりました」 「はァ、うめえことゥやったな、泥棒」 「泥棒てえのはない」 「言えるようになりますか?」 「ああ、なれるとも。勉強しておきなさい、役立つときがある……お前の吐いたのを聞こう」 「え?」 「吐いたか?」 「あっしですか? 吐かねえ、あたしゃァ。胃が丈夫ですから」 「そうじゃねえ、狂歌《うた》を聞こうてえんだ」 「歌なら知ってますよ……“草津よいとこ一度はおいで……”」 「草津節じゃァねえ……お前にゃァまだ本当のことはわからんな。うゥゥん、わかりやすいのを聞かせるから……私の友達の倅が道楽を始めた。こないだ家《うち》へ来て愚痴をこぼした。それから、私が渋柿《しぶがき》に譬《たと》えて詠《や》ったのがある……“悪いとて ただ一筋に思うなよ 渋柿を見よ 甘干しとなる”」 「なるほど、上手《うめ》ェねどうも……あっしもいきやしょう」 「なんてんだ?」 「寒いとて……」 「面白いな……寒いとて……?」 「ただ一筋に思うなよ、行火《あんか》を入れりゃ暖《あった》かくなる」 「あたりまえだよ……ンな理屈を言ってちゃいけないが、ま、そんなことを言っているうちに、“てにをは”というものがわかる。面白味も乗るものだ。うゥん、こないだ、こういう面白いのがある……うちのお婆ァさんの郷里《さと》から玄米というものを送ってきた。薬になるてえが、ぼそぼそして口に合わん。米屋へ搗《つ》かせにやった。なかなか搗いてこない。それからあたしが狂歌《うた》で催促した……“二|斗《と》〔度〕三|斗《と》〔度〕四斗《しと》〔人〕を遣《や》るのになぜ来ぬか〔小糠《こぬか》〕嘘をつき〔搗き〕やで腹が立ちうす〔臼〕”と……」 「なァるほど、上手ェね……あっしの女房《かみ》さんの郷里から玄米送ってきたン」 「おなじような話だな」 「搗かせにやったら搗いてこねえんすよ」 「うん」 「そィからあっしァ狂歌《うた》で催促したン」 「なんてやったな?」 「二度三度、人を遣るのになぜ来ぬか、嘘をつきやで腹が立ちうす……てン」 「それァいま、あたしが詠《や》ったんじゃねえか」 「あ、そうそう、誰の心も変らねえもんだ」 「他人《ひと》のァいけない……自分に覚えのあること、腹にあることでなくてはいかんのだ」 「この先に三河屋ッて酒屋がありまんねェ」 「あるある」 「あすこに少しばかり借りがあるんです」 「早く返さなくちゃいかんぞ……うん」 「取りに行ったら番頭の畜生、狂歌で断わりやがった」 「あ、あすこの番頭さん、だいぶいけるてえことは聞いたが、まだ手合せはしたことがない。何と言われたな?」 「貸します〔桝〕と、返しませんに困ります〔桝〕、現金ならば安く売ります〔桝〕……てン」 「(膝を打って)面白い、酒屋の番頭だけに桝か。私なら返歌でいくとこだ。黙って帰って来たな?」 「あっしァ狂歌《うた》を返したン」 「お前がァ? これは聞きもんだ。なんと返歌をした」 「借ります〔桝〕と……てン」 「負けない気になって桝か……借りますと?」 「貰ったように思います〔桝〕……てン。現金ならば他所《よそ》で買います〔桝〕……」 「ンな薄情なことを言っちゃいけない、そんなことを言っちゃいけないよ……しかし、お前としてもなかなか上手いもんだ、上出来上出来。そうか、どうだな? ええ、勉強にもなるから、ここで付《つ》け合《あ》いをやろう」 「へ?」 「付け合おう」 「へえ、あなたとつきあうと銭《ぜに》がかかる」 「つきあうのではない、付《つ》け合《あい》という。あたしが上句《かみ》を詠《や》ったら、お前さんが下句《しも》を付ける」 「はァ、紐を付けて引《し》ッ張る?……」 「そうじゃァない、下の狂歌《うた》を付ける……題を出しなさい」 「へ?」 「題を出しなさいよ」 「台ですか? 踏み台を……」 「いや、踏み台ではない。ここにある品物をそう言ってごらん、何でもいいから」 「へえ、ここにある品物をねェ、待ッつァさい、そこに……(と周囲を見まわして)あゥ、そこに暦《こよみ》がありますね」 「あァあァ、これか、これはな、今年の暦でもう要《い》らないから、手拭《てふ》きにしようと思った。いや、いい題だ、面白いな。古暦《ふるごよみ》という題だな。どうだ……“右の手に巻き収めたる古暦”……」 「なるほど」 「そのあとをやってごらん」 「もう一回やッつァさい」 「“右の手に巻き収めたる古暦”……」 「“おやおやそうかい南瓜《かぼちゃ》の胡麻汁《ごまじる》”」 「ンなめちゃくちゃなことを言っちゃいけない……“右の手に巻き収めたる古暦”、そうさなァ……“年の関所の手形にぞせん”ぐらいは言ってもらいたい」 「なるほど、上手《うめ》いね……ひとつ題を変えつください」 「よし、春がいいなァ」 「春がようがす、暮れは苦しいから」 「何を言ァがる……“春の日や髪〔神〕の飾りに袴着て”……」 「“むべ山風を嵐というらん”てえン……」 「ンな、むべ山なんて、昔からある和歌《うた》じゃないか。自分に覚えのあること、腹から出たことでなくてはいかんのだ……“春の日や髪の飾りに袴着て”……」 「“餅の使いは嬶《かか》ァがするなり”てえン……」 「なに? “春の日や 髪の飾りに 袴着て、餅の使いは嬶ァがするなり”……それじゃお前、上句《かみ》にも下句《しも》にも付かないじゃァないか」 「ええ、付〔搗〕かないから、三銭買ったんです」