山号寺号(さんごうじごう) 八代目春風亭柳枝  ェェご機嫌よろしゅうございます。お馴染のお笑いで御免を頂戴いたします。もう落語というものは、どこまでもお客さまにお差合《さしあい》のないのが、いちばんよろしいようでございます……根無草《ねなしぐさ》というぐらいで……お聞きあそばしまして 『あははァ』と笑って、もう何も忘れてしまう、これがもう落語の本意でございますんで……ひとつ今日《こんにち》は、落語の源《もと》てえものをひとつ、ご紹介いたしますが……。  これは、或るお方がな、ゥゥ桜《さくら》ン坊《ぼ》というものを、召し上ったんで……どうした拍子か、種子をひとつ呑み込ンじゃったんです。あくる年になりますと頭の真ン中にこのゥ、芽が出てきましてな、これが桜の芽なんです。これがどんどんどんどん成長をいたしまして、立派な木《ぼく》になりまして、いィい花が咲きますんで……えらい騒ぎで……。 「源ちゃん聞きましたかい? あの、あたま山の桜てえなァ」 「珍しいですねェ、いい花が咲いてるそうですがね」 「どうです、お花見に行きやしょう」 「結構ですね」  なァんてんで、みいんなお花見に参ります。なかにゃ一杯飲ンで、踊りをおどる、喧嘩をする……なんてんで『煩《うるさ》くて仕様がない』てんで、この木を抜いてしまった。ところが根が張ってましたから、この、頭の真ン中に穴が開《あ》いちゃった……このお方が夏のことですな、往来《おもて》を歩いてこの夕立に遭ったン……雨水がみんなこのゥ、穴ぼこにみィんな溜っちゃった、これァ不精な人ですから、これを掻《か》い出さない……為にこのゥ魚《さかな》が涌《わ》きましてな……。 「勝ッちゃん聞きましたかいな? あたまが池の……」 「ええ、きのう寅ちゃんが行ってこんな鯰《なまず》を三本あげてきました」 「ひとつ出かけやしょうか」 「行きやしょう」  なァんてんで、太公望《たいこうぼう》達がみな来て釣りをする。なかにはひどい奴はこの舟を浮べて網を打った……なんて。『もうこれではとても煩くて生きてはいられない』てんで、自分の頭ィ自分で身を投げた、と……これでお終《しま》いなんで……これがつまり落語の源《もと》なんでございます。  面白いじゃございませんか、『自分の頭へ自分で身を投げた』てえのが、これが落ちなんです……こういう具合《ふう》に根無草でございますんで……これがまあ、落語の本意でございます。これがだんだん長くなりますと、ただいまのような二十分、三十分のお噺に、だんだんに出来て参りましたもので……でこの、落語というくらいでございますから、落し噺てえんです、落ちというものがいちばんむつかしいんでございます。  よく私、小僧時代に師匠から小言を言われました。 「いくら噺が上手《うま》くできたって駄目だよ、お前の落ちが下手《まず》いよ」  とよく叱られたもんです。この落ちというものが、いちばん肝心でございますんで……落ちにもいろいろ種類がございます。考え落ち、拍子落ち、見立て落ち、間抜け落ち、地口落ち……いろいろこの落ちの数がたくさんにございますんで……なかにこの、考え落ちてえのがございますんで……これはお客さまがお聞きあそばして、ちょっとお判りにくいんでございます。お家へ帰って、ようゥく考えて、『ああ、あれが落ちか』なんてことが判ると、まあずいぶん、まどろっこしい話があったもんでございますが……ま、昔はこういう噺をしていたんだと、ひとつお土産に申しあげることにいたしますが、これは昔の噺でございます……。  飯屋《めしや》の表へ、お侍《さむらい》が一名通った。どうした拍子か印籠を落とした。主人《あるじ》が出て参りまして 「あ、少々お待ちを……旦那さま、ご印籠が……」 「おお、身共の粗相か。千万|忝《かたじけな》い」 「ついでにお仕度はいかがかな?」  ……これが落ちなんですが……『お仕度はいかがかな?』てえのが落ちなんで……これはどういう訳かと申しますてえと、印籠というものは腰に下げるものですな、これが落ちたという原因は帯が緩ンだんです。その源はてえとお腹が減ったんです。飯屋《めしや》の主人《あるじ》ですから『お仕度はいかが……』と、これがつまり落ちなんです。これが考え落ちなんです……。  もうひとつこの考え落ちを申しあげますが、これもずいぶん回りくどい落ちでございますんで……。 「えらい風だね、表《おもて》ェ眼を開いて歩けないねェ」 「うゥん、こういうときにゃ瀬戸物屋をすると儲かるよ」  ……これが落ちでございます。『瀬戸物屋をして儲かる』てえのが落ちなんです。これは、えらい風で表を歩いていらっしゃるお方の、眼の中へ埃《ほこり》が入ります。これをこすります、それが為にこの眼を患う方がある、それが原因《もと》でもって、なかには不幸にして眼を失う方が大変に多くなったン……俄かに眼が見えなくなりまするてえと、お楽しみてえものがございません。為にこのゥ三味線などを稽古しようなんて方が多くなってくる、三味線がどんどんどんどん売れちゃったんです……三味線の皮てえのは猫の皮ですからね、猫を殺してみんな三味線に貼っちゃったんです、猫がいなくなっちゃった、喜ぶのァ鼠《ねずみ》ですよこりゃァ……もう敵がいなくなっちゃったんで縦横無尽に暴《あば》れまわる。ですからこの棚の上に載っけといた瀬戸物を落っことして毀《こわ》してしまうから『瀬戸物屋をすると儲かる』という……ずいぶん回りっくどい噺があるもんでやんす……これが、考え落ちの代表的なものなんだそうです。  でまた、これと反対に、とんとん落ちてえのがございますんで……これは(声を大きく張って)『とォんとおォん』といって落ちが着いちまう、これを、とんとん落ちと言います。どうかするてえと、この落ちを聞き逃《のが》すことがございますんで……。 「少々うかがいますが……」 「はい、何ですゥ?」 「あのゥ……金毘羅《こんぴら》さまの縁日《えんにち》は幾日《いつか》でございましょうなァ?……」 「あ、金毘羅の縁日ですか、五日《いつか》に六日《むいか》です」 「は、どうもありがとう存じます……」 「(奥から出てきて)これこれ、いまお前、何をお教えした? うん、金毘羅の縁日を訊かれたようだが、うん何? 五日に六日と……莫迦、なぜ間違ったことをお教えをする。どなたでも知っていらっしゃることじゃないか、金毘羅さまは九日《ここのか》・十日《とおか》だ……間違ったことをお教えしちゃいけません、はやくお教えしなおしなさい」 「どこの人だか判らないから構いません」 「そんなことはありません、間違ったことをお教えするということは、非常に悪いことです、はやく行ってお教えなおしなさい、『いま間違っておりました、九日・十日でございます』と。はやく行きなさい」 「(駈け出しながら)旦那ときたら物堅ェんだからなどうも……どこの人だか判りやしねえじゃねえか、構やしねえんだよ、本当《ンと》に……(探して)どこへ行っちゃったろうなあの人は……(前方を見て)ああ、歩いてく歩いてく、あァ足が速ェや、もうあんなところまで行っちまいやがった、おっそろしく大変な……仕様がねえな、これァ……(大声で)おゥい……名前が判らねえんだ、困っちゃったなこれァどうも……ちょいとォ、歩いてく人ォ……みんな歩いてるよこれァ、仕様がねえなどうも……ちょいとォ、その何ねェ、その……五日ァ六日ァ、五日ァ六日ァ」 「(振り向いて)何《なぬ》か用か〔七日・八日〕?……」 「九日・十日」  ……これがその、とんとん落ちなんで……『五日・六日』『七日・八日』『九日・十日』で落ちが着きますんで……こういう具合にこの、落ちというもんにもいろいろこの種類がございますので……とんとん落ち、これのひとつお長いのを申しあげることに致します。  商売となりますると、何がやさしいてえご稼業てえものはございませんな。何でもむずかしいもので、その商売《みち》に入ってみまするてえと、人知れないご苦労というものがございますんで……皆さま方のご商売とはみなお頭《つむり》をお使いあそばすんですが……。  芸人という商売がどっさりございますな。いろいろな芸能人がおります、なかでもっていちばんむずかしいのが幇間《ほうかん》、たいこもちという営業でございます。ま、われわれは十分《じっぷん》なり十五分なりお客さまのお伽《とぎ》を致しまして、楽屋へ入れば自分の体です。手を伸そうと、足を投げ出そうと構わないのですが、幇間はそうでございません。二時間が三時間、芸者衆と一緒に、宴席《せき》へはべりまして、お客さんのご機嫌をとり結ぶン……ああ頭の要《い》る商売でございますんで、気が緩《ゆる》せません。 「えへん……」  お客さまが咳はらいをあそばす。 「へい、ェェ旦那さま、こちらに洟《はな》ッ紙がございますから」  なんて、すぐに出さなくちゃいけないン……顔の色が悪いなと思ったらば、すぐに医者へ飛ンで参ります。先生が参りまして、お脈をとり、ちょっと首をかしげたら、すぐに葬儀社へ……なァんてなくったっていいんだよ。……これは行き過ぎでございますが、幇間、たいこもち、大変にむつかしい商売でございます。そのかわりに、頭が働けば、こんなお宝になる営業はないんでございますが……。 「一八《いっぱち》じゃないか?」 「おや、若旦那、珍しいところでお目にかかりやしたねェ、悪《わり》ィことァできないもんですね、その節はまたいろいろご厄介になりまして……ついついここんとこ御無沙汰をして、まことに申し訳がございません(と。ぺこぺこして)、そうだ、若大将、このあいだのあの婦人ね、あの女の子、『若旦那をぜひもういっぺん』という……」 「(あたりをはばかり口を押えて)しいッ……しいッ」 「(気づかず)いや、あの女の子は……」 「しいッ」 「あの婦人……」 「しいッ、しいッ」 「(怪訝そうに)子供が手水《ちょうず》をするン?……」 「子供が手水をする? だからお前はいけない、べらべらべらべらお喋りをして……え? 周囲《あたり》に気をつけなさい」 「え?」 「周囲に気をつける」 「あたりに火を?」 「火をつけるんじゃ……気をつける」 「(見まわして)誰もいません」 「もっと眼を下のほうへやってごらん」 「眼を下に……(と次第に眼線を下げて)こりゃこりゃこりゃこりゃこりゃこりゃ、可愛らしい小僧さんで、今日は監視つきですな、たはッどうも、一八《いっぱち》一生の失策、どうも畏れ入りましたなどうも……ええ、あんまり小さいんで眼ェ入っちゃったよ、可愛い小僧さんですね、お幾つですゥ? え? とって十歳《とお》? ええ鶏だねこりゃ、とってとォときたね……今日、若旦那どちらへ?」 「あまり天気がいいので、久し振りに観音《かんのん》さまでも参詣をしようと思って……」 「えらくなりやして、あなたもご信心家ィなりやしたな、じゃァ浅草寺《せんそうじ》へいらっしゃる……」 「いやそういうとこィ行かないソ、あたしは観音《かんのん》さまへ行くン」 「だから浅草寺《せんそうじ》へ」 「(大声で)いや観音《かんのん》さま」 「(負けじと)だから浅草寺《せんそうじ》」 「お前は強情だね、あたしァ観音《かんのん》さまへ行こうてえのに、なにも浅草寺《せんそうじ》へ行っちまうこたァないだろう」 「なァんですねェ若旦那のお言葉とも似合いません、これはね、金竜山《きんりゅうざん》浅草寺《せんそうじ》に安置|奉《たてまつ》る聖観世音菩薩《しょうかんぜおんぼさつ》、人呼ンで一口に観音さまてえます。これは山号寺号《さんごうじごう》てえんです。これァどこにでもありますよ、金竜山浅草寺、万松山《ばんしょうざん》泉岳寺《せんがくじ》、東叡山《とうえいざん》寛永寺《かんえいじ》、成田山《なりたさん》新勝寺《しんしょうじ》、三縁山《さんえんざん》増上寺《ぞうじょうじ》と言ってね、これは山号寺号てえン、どこにでもあります」 「これァ畏れ入ったね、さすがァ芸人だ、一本参った、なるほど、頭を下げましょう、へえェ(と感心して)、山号寺号、どこにでもあるか?」 「ええ、どこにでもある」 「そう、ここは下谷の黒門《くろもん》町、ここに山号寺号があるか?」 「え?……(戸惑って)ここには……」 「お前、いま何と言った? どこにでもあると言ったろ、さァお前も芸人、たいこもち、いったん言い出したんだ、探しなさい。あたしは無理を言う、無料《ただ》じゃァないよ、お前の頭の働きだ、山号寺号をひとつ探したら、円、金《きん》を遣《や》ろう、けれどもなければ気の毒だが、馘首《くび》だ」 「待ってくださいよ、大変な芸人だな、こりゃどうも……何ですか? 山号寺号がひとつでもって百円、なければ馘首《ちょん》?……」 「左様《さい》」 「あなたに馘首《ちょん》なった日《し》にゃ飯《めし》の食上《くいあ》げ、探しますよ……探しますよ、それが憎いんだよ、あなた好《い》い人なんだけども……どこにでもあるてえのは、こりゃ言葉の“あや”てえんだよあなた人を苦しめるんだよ、いやいや愚痴をこぼしてるわけじゃないんですよ、探しゃいいんでしょ探せば……山号寺号、よござんすよ、黒門町にあらァしねえや山号てえなァ、驚いたねこれァどうも……(言いながら周囲を見廻して、歌うように)山号寺号がァどッかにィ……(急に嬉しそうに)大将、ありました」 「なに、あった?」 「山号寺号ィなりゃいいんでしょ?」 「なればいいが、どこに……」 「(前方を指《さ》して)向うの家をごらんなさい、お内儀《かみ》さんが一生懸命はたらいてます、だいぶ綺麗好きだ、あれがもうすでに山号寺号で……」 「どうして?」 「お内儀《かみ》さん拭《ふ》き掃除《そうじ》」 「(きょとんとして考え、咳く)お内儀さん拭き掃除か……やったなこりゃア」 「(手を出して)どうです、下さい」 「なるほど、さすがは芸人だ、上手《うま》く遁げたな。頓智がいいな、お内儀さん拭き掃除、なるほどなってる……(財布から金子《きんす》を出して)さ、これを遣《や》ろう」 「(頂戴して)ありがとう存じます、これで首は繋《つな》がりましたね……あればあと呉れますか?」 「ああ、あたしも男だ、言い出したんだ、遣《あ》げましょう、けれどもうないだろう」 「冗談言っちゃいけねえ、ここであッしァお小遣いぐっと稼ぎますからね……(見廻して)ええと、どッかに山号ゥ寺号ゥ……(歌いかけて急に止めて)大将、またありました」 「どこに?」 「向うをごらんなさい、乳母車へ赤ン坊を乗っけて押してきたお年寄がいるでしょう、あれですよ、乳母《おんば》さん児《こ》を大事《だいじ》てえんで……」 「ははァ、あるもんだねこりゃアどうも……乳母《おんば》さん児《こ》を大事《だいじ》か……ううゥえらいこと言っちゃったな、こりゃどうも……(金を出し)や、遣るよゥ」 「ありがとう存じやす……ええと、もっとどッかに……あ、ちょっと若旦那、またありました」 「またあったか……どこに?」 「向うをごらんなさい、え? 看護婦さん赤十字てえン……」 「(情なさそうな声で)看護婦さん赤十字か、これァえらいこと言ったね、こりゃどうも……あるもんですね、やっぱりこりゃどうも……(金を出し)じゃ遣るよ」 「ありがとう存じやす……ええと、もっとどッかに、山号ゥ寺号が……とッ、大将、またありました」 「どこに?」 「向うごらんなさい、自動車屋さんガレージてえン……」 「なるほどね……自動車屋さんガレージか、うゥありますね、こりゃどうも、遣るよ」 「ありがとう存じます……ええと、もっとどッかに……よッと、むこうをごらんなさい、ねえ? (節をつけて)時計屋さんいま何時《じ》? てえン……」 「ひどいのがありましたねェ、時計屋さんいま何時はひどいね、こりゃどうも」 「(手を出し)下さい」 「遣らないとは言わないよ、なるほど、あるもんですね、こりゃどうも、時計屋さんいま何時か……とるよ」 「へい、ありがとう存じます、ええと……そのお隣りをごらんなさい、洋服屋さん紺サアジてえン……」 「なるほどね……仕様がねえや(と金を出し)、えらいこと言っちゃったよ、こりゃどうも……じゃ遣るよ」 「ありがとう存じます……ちょっと向うの前《まい》をごらんなさい、洋食屋さんソウセイジ……」 「仕様がねえや、こりゃどうも……じゃ遣るよ」 「ありがとう存じます……そのお隣りをごらんなさい、どうです、果物《くだもの》屋さんオレンジ」 「なァんだィ、こりゃどうも……遣るよ」 「へいありがとう存じます……ちょっと向うをごらんなさい、お医者さん疣痔《いぼじ》」 「汚ねえなァ……疣痔《いぼじ》はひどいよ」 「でも下さい」 「遣らないとは言わないよ、でも驚いたねこりゃどうも……遣るよ」 「へいありがとう存じます……ええ、こんどはぐッと綺麗にいきやしょう、俳優でいこうじゃありませんか、どうです、高島屋さん左団次てえン」 「上手《うま》い(手を拍って)、これァ秀逸だ、高島屋さん左団次か、これァ褒めてやるよ」 「へ、ありがとう存じますゥ……ゥおなじく小団次」 「おなじくなんてのは駄目だよ」 「みんな貰おうとは言わねえ、せめて半分だけ……」 「そんなのがあるか……お前の懐《ふところ》ィだいぶ入ったな」 「へい、懐がいっぱいで……(着物の上から撫でて)こごむとき困りますな」 「おや、紙入れが軽くなっちゃった……こんど、あたしがやろう、遣った札《さつ》を手の上に載せなさい」 「若旦那が? よッ見物《みもの》ッ、よいしょ(と懐から金を出して)だいぶありますよ、まだ勘定はしてありませんよ、え? 載せました」 「うん、だいぶあるな……(わし掴みにして)これをぐッと懐へ入れまして……」 「(ふくれて)面白くないな……(声を張って)そこィなんばか……」 「いや、そんなこと言わないよ、ぐッとお尻を端折ります」 「だいぶ手数がかかりますなァ」 「こうしておいて(急に駈け出し)、一目散《いちもくさん》随徳寺《ずいとくじ》」 「(がっかりして)ああ、南無三仕損じ」  ……失礼を致しました……。