宗論(しゅうろん) 八代目春風亭柳枝  ェェ、ご機嫌よろしゅうございます。いよいよ本年《ほんねん》ももう押詰《おしつ》まりましてございますン、どうぞまァしとつゥゥよいお年《とし》を、お迎ィのほどをお願いをいたしておきますが、ェェしかしィ、ィィ陰気と陽気てえことォよく申しあげますが、一年を通じましても陰陽というものがあるんでございます。 “春浮気夏は陽気で秋|塞《ふさ》ぎ、冬は陰気で暮れがまごつき”なんてえことォいっておりますからなァ……。  この、暮れのまごつきなんてえものはまァお客さまがたにお覚えはございませんが、しかし一年を通じましてもみなこの陰気陽気がございますもので……。  あのォォちょっとしたことでございますけれども、お手《て》にもやはり陰陽はございます。手の掌《しら》、これは陽で、手の甲、これは陰でございます。ですからあの幽霊、ッというものは、あれは陰なもんですから手の甲を見せるんですな、胸のあたりがいちばんその形がよろしいン。これがこの上がりすぎると、(と両手を頭に持っていき)狐みたいで具合が悪いんすが。下がりすぎるとこのだらしがなくていけません、胸《こ》の辺がいちばんよろしいんだそうで。ァァすべてに陰陽というものがあるものでございますン。  それにまたこの、お宗旨《しゅうし》にも陰気陽気はございますン。ただいまちょいとお宗旨のお話が出たようでございますが、あたくしィああいうもんに陰陽がないもんだと思ったらそうでございませんで、あのお念仏、あれはこの陰なお宗旨でございますな。  木魚を叩いて 「(節をつけて)南無阿弥陀仏《なむあみだぶ》南無阿弥陀仏」  と頭がさがります。  そこへまいりまするてえと法華宗《ほっけしゅう》これは陽気でございますゥ。お会式《いしき》となるてえとたいへんでございますなァ、お若いおかたが向こうッ鉢巻《ぱちまき》、万灯《まんどう》なぞォこの、ふりたちましてなァ、団扇太鼓《うちわだいこ》を叩いて送り込みんなります。この頃ではこのォォ、鼓が入ったりな、笛ェ吹いたり鉦《かね》ェ叩いたりするんで、なんだかちんどん屋みてえな、思いがいたしますが、実にお賑《にぎ》やかなお宗旨がある―あの法華宗。 「(高い調子で声を張り節をつけて)南無妙法蓮華《なんみょうほうれんげ》ェ経《きょう》南無妙法蓮華ェ経ォ一貫三百ァどうでもいい」  てえんで……たいへんお賑《にぎ》やかなお宗旨があるもんです。  またこの、お題目を唱えながらいろいろこのしゃべってらっしゃるんすがあれがおもしろいですなァ。 「(声を張って節をつけ)南無妙法蓮華《なんみょうほうれんげ》ェ経《きょう》南無妙法蓮華ェ経、ご苦労さまァ」 「ご苦労さまァ」 「今日ァお天気がよくってお祖師《そっ》さまァ幸福《しあわせ》でェ」  なン手前《てめえ》のほうがよっぽど幸福《しあわせ》でございます。 「(節をつけて)南無妙法蓮華《なんみょうほうれんげ》ェ経《きょう》南無妙法蓮華ェ経、ちょいと、ちょいと、あすこォ歩いてるゥ、娘さんいい娘《こ》ですねェ。見たような娘《こ》なんだがどこの? え? 小間物屋のみいちゃん? あれがァ? もうあんな大きくなったの? へえェェ、此間《こないだ》まで鼻ァ垂《た》らしてましたがねェ―いい新造《しんぞ》ンなりましたなァ。(声を張って節をつけて)南無妙法蓮華ェ経南無妙法蓮華ェ経ッ、なんですかァあの幾歳《いくつ》ンなったんですゥ? へ? 十八ィ? ああァそうですかねェ、なる程―(節をつけて)南無妙法蓮華ェ経南無妙法蓮華ェ経、なんですかお嫁に行くんですかァお婿《むこ》さんもらうんですかァ? へ?……お婿さんもらうの―ああ一人《しとり》娘だから―ああそうですかァ、(節をつけて)南無妙法蓮華ェ経南無妙法蓮華ェ経、なんですかあの、婿ォ決まってんの? うん……誰がァ? 建具屋《たてぐや》の半ちゃん? あの半公―あいつがァ? うまくやりゃァがったな―(声を張って節をつけ)畜生法蓮華ェ経」  酷いやつがあるもんです……お祖師《そっ》さまもいい面《つら》の皮《かわ》です。これじゃァご利益もなんにもありますまい。 “宗論”はどちら負けても釈迦の恥” “どの道を行《ゆ》くもひとつの花野《はなの》かな”  お宗旨の論はやるべきでないとわたくし承《うけたまわ》っておりますがまァお宗旨のことでございますので、お障害《さしあい》があってはなりませんで落語のことでどうぞまァ、ご勘弁を願いますが……」  しかしィ、昔は、坊さんがたが自分達の宗旨を広《しろ》めんがために、宗論というものをいたしました。昔は八宗九宗《はっしゅうくしゅう》と分かれておりましたので、たいへんでございましたでしょう。がしかし、どのお宗旨でもって往生《おわ》りましょうとも行《ゆ》く道てえものァみなひとつなんだそうでございますが。  東西を通じまして、いちばんご信仰の多いのはッてえと浄土真宗《じょうどしんしゅう》というお宗旨でございます。浄土真宗、あれはこの、五つに分かれておりますなァ。高田派《たかたは》てえのがあってお西《にし》お東《しがし》―東西に分《わ》かれております。綿織寺《きんしょくじ》に仏光寺《ぶっこうじ》と、これが代表的な、派だそうでございます。  “ありがたや”で通っておりますのがあれがァァ、浄土真宗というお宗旨でございますんで。 「あのォ、番頭さんがいたらちょいと呼ンでください。(声を張って)番頭《ばあんとう》さんやァ―」 「へい。旦那、お呼びでございますか?」 「用があるから呼ンだんだ」 「左様《さい》でござんす……聞《きこ》いましたから、まいりましたんで……」 「あたしゃァねェ、お前《まい》さんにこんなことォいいたかァない―」 「へえ、あたくしも聞きたくァございません―」 「なン掛合《かけあ》いだよォそれじゃァ……話ができない。実は家《うち》の息子のことだがねェ―」 「あッ、若旦那さまでございますか―」 「うーん実に情けねえやつです、なァ、え? 今朝《けさ》でも早くからどっかィ出かけて行きました。やァ行先《いきさき》はたいてえあたしゃァ想像はついてます。この頃では公開堂だとか教会堂だとかへ出かけますが、実に番頭さんの前《まい》だがあたしゃァ、(涙ぐんで)情けないと思ってます」 「そのことでございましたらば、わたくしから、旦那さまにちょっとお話がございますんで。若旦那さまも、別段に、女狂《おんなぐる》いをしてるってえわけじゃァございません、競馬競輪パチンコに凝ってるというわけじゃァございませんので、ご信仰の道でございますんで、これだけはどうぞ、お咎《とが》め遊ばさんようにあたくしからお願いをいたします」 「いや、番頭さんの前《まい》ですがねェ、いや別に咎めるわけじゃァないよ、(力を入れて)信心は結構信仰も結構です。けれどもねェ家には浄土真宗というありがたァいお宗旨がある。なぜ阿弥陀さまを拝ンでくださらない、それをいうんです、なァ。やァ実にどうも情けねえやつだよ、え? そうじゃァないか、(とひとつ鼻をすすり)あんなまァまァ本当《ふんと》に一人《しとり》息子だがああいうふうんなっちまいやがって実に情けねえと思ってる……いや、お婆さんが亡くなってからてえものは、いやな耳《みみ》ィばかりお前《まい》に聞かしてあたしゃァ申しわけがないと思う。これも尻の持って行きどころがないからだ、なァ、年寄の愚痴だ。どうぞ番頭さん、悪く思わないでくださいよ」 「いやァとんでもございません」 「あいつうっちゃっとおくとなァどこまで逆上《のぼ》せるかわからないから、(強く)今日てえ今日は、いま帰《かい》って来たらあたしゃァみっちり小言をいいますから、決っしてなんだよ仲裁をしちゃァいけないよ。店の者《もん》にもそういっといとくれ、仲裁をするでないと。うゥんと小言をいいますから―なァ。いやァ実に情けねえもんです。(ひとつ鼻をすすり)番頭さんや、お店のところはなにぶんとも、あなたにお願いをいたしますよ」 「はあ」 「どうもすいませんでしたねェどうも、お呼び立《た》てをして―はあ、どうもご苦労さまでしたァ……誰だそこィ来たのァ? 定吉か? 何か用か? なに? 倅《せがれ》が帰《かい》ってきた―、ああそうか、こっちィ呼びなさい。お前もうお店へ行って働いてなさい、奥ィ入って来ちゃいけませんよ……(強く)藤三郎《とうざぶろう》ッ……こっちィ入ンなさいッ!」 「(胸を張り、説教調で)お父さま、ただいま、戻りました(と、手をさし出す)」 「なんだその手つきは?」 「握手の礼であります」 「握手も杓子《しゃくし》もないよ……お辞儀をしなさいお辞儀を、え? 日本にはお辞儀という礼があるんだから……なんだ変な手つきをしやァがって。これ藤三郎、いまは家の店は暮れで忙しいんだよ、なァ、朝から目のまわるような騒ぎだァ、(声を張って)お前《まい》さんどこ行きなすったんだ朝早くから?」 「無断でェ、外出を、いたしましたことォお詫びをいたします。(声を張って説教調になり)今日《こんにち》はァ、関西よりィ、ピースーという、牧師が教会に、見えられたであります」 「なんだいピースーてえなァ? そのお前《まい》さん煙草みたいなのをお前《まい》さん拝ンでなさんのかァ? え? 情けねえやつだなァ。これ藤三郎、お前《まい》は小さい時分には、死ンだお婆さんに連れられ、あっちのお講こっちのお座聴聞《ざちょうもん》、方々へ引《し》っぱり廻《まあ》され、ありがたいお法《みのり》が入っている筈だァ。それが大学を卒業してからてえものは、キリスト教だァ耶蘇教《やそきょう》に凝っちまいやがって、あたしゃァ実に情けねえと思《も》ってン。信心をしてはいけないてえんじゃァないよ、そういうような、お宗旨はまたそういうおかたにおまかせをして、お前《まい》さんは家には浄土真宗というありがたいお宗旨がある。なぜ阿弥陀さまを拝ンでくださらない、それをあたしがいうんだァ」 「(軽く笑《えみ》を浮かべ)お父さんのお言葉ではございますが、わたくしも、(力を入れて声を張り、説教調になって)いままでは、まことの、神のあることを知らず、お父さまの如く、偶像仏を、信じておったであります―」 「(声を張って)なんだい偶像仏とは……偶像仏とはなんてことをいうんだ(床を叩いて)お前《まい》さん罰当たりが! お前《まい》さんこの頃じゃァなんですよ仏さまィ素通りィするてえじゃァないか、え? なぜそういうことをいいなさる。阿弥陀さまといえるおかたは、法蔵菩薩《ほうぞうぼさつ》の昔、世自在王仏《せじざいおうぶつ》といえる(力入れて)尊いおかたの身もとにましまして、大乗八巻《だいじょうはちかん》のもとにわれ超世《ちょうせえ》の願をたてられ、『この願|成就《じょうじゅ》せずんば身は正覚《しょうがく》をとらじ』とお誓い遊ばさせられ、五劫《ごこう》のあいだといえるものは、火《し》の中や水の中において、難行苦行を遊ばさせられ、のちには阿弥陀仏といえる(力入れて)尊き、み仏とおなり遊ばさせられたのじゃ、え? ご勿体ないじゃァないか。(節をつけて)我々も今日にも息が切れたなら、お待ちもうけのお浄土へ、まいらせていただくことのありがたやかたじけなや、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……これほどありがたい。お前《まい》さんの天の神きまってどこがありがたいんだ!」 「(力強く声を張って、説教調で)我等の信ずるところの、すなわち天の神は、我々の、造《つく》り主《ぬし》であります」 「馬鹿なことォいいなさい」 「肉体を、お造りになられたのは、ご両親であります。しかしながら、知力を、能力を、魂を、お造りになられたのは、天の神さまであります」 「じゃァなにかい、五輪五体《ごりんごたい》をこしらえたのはあたしとお婆さんで、魂をこしらえたのは天の神さまだてえのか? じゃァあたしとお婆さんと、天の神さまと、三角関係でもあるといいなさんのかこの人《しと》ァ……」 「いやァお父さま、気を鎮《しず》めていただきます、興奮してはいけません。そもそも、イエス・キリストは、ユダヤの国、夫なき、清き少女の腹に宿らせられ、馬小屋において、産声《うぶごえ》を発せられました。時の人民は、これぞまことの神であると信じたであります。ところがある年《とし》、ユダヤの国に、大飢饉があったであります。あわれむべき人民は、食を断《た》たれェ、飢餓に苦しみ、ことごとくゥ、地上に倒れたであります! そのときに、イエース・キリストは、この、人民を救わんがため、天にむかって、お祈りを捧げました。『ああ天にまします神よ、このあわれむべき人民を救い、給い!』といったであります。すると、天からは、パンがくだり、野菜がくだり、肉がくだり―(と大げさな身ぶりをする)」 「なァにをくだらないことォいってやァんで……黙って聞いてえりゃァいいてえことォいいやァがン……第一《だいち》藤三郎、あたしは唖《おし》じゃァないんだよ、なに手真似をしなくったって話ァわかるんだ。第一《だいち》ィまともにしゃべんなさいまともに。お前の調子は変な調子だねェ」 「(大声で力入れ)ことごとくゥ、救われたであります。それからというものは、ますます神を信じたであります。ところが、時の帝王《みかど》の怒《いか》りにふれ、イエース・キリストは、十字架の刑に処せられました、アーメン(と十字をきる)……神は、これをあえて恨《うらみ》とも思わず、また小児《しょうに》の戯《たわむ》れとも思召《おぼしめ》されず、天にむかって、『(力入れて)我をォ十字架にィ、かけし者の罪《つみ》を、許し給え』といったであります! お父さま、なにものも捨てて、信じてください。信じる者はみな救われるのであります。お父さま、目覚《めざ》めてください!」 「目覚めてますよあたしゃァ……え? 興奮をしてる―これ以上目覚めようがないんだあたしゃァ―なァにをいってなさる」 「『我をォ、十字架にィ、かけし者の罪を許し給え』といったであります。(唄い出して)♪十字架にかァかァり、血ィのォしたたァるゥるゥ、(扇子を開いて、掌で叩きながら)主イエスの心、めェぐみ給え」 「なに(ぱんぱんぱんと打つ)」 「(飛込んで手を押え)待ってくだはァい、待ってくだはァい。いいからいいから若旦那|去《しゃあ》ってくだせえ―いいから去《しゃあ》ってくだせえ。大旦那さま手ェさげてくだせえ、いやァご主人《すずん》さまァ同士でもってひゃァ喧嘩ァぶっとるでェ、仲裁《つうせえ》すなくっちゃァなんねえと思《も》ったけんどォ、番頭さんのいわっしゃるにァ仲裁《つうせえ》してはなんねえッちゅうで、どうしてくれべっちょとはァ心配《すんぺえ》したでがす。たまりかねて仲裁《つうせえ》ぶつでがす。“宗論《すうろん》はどつら負けても釈迦《さか》の恥”、お釈迦《さか》さまの恥《はず》は阿弥陀さまの恥《はず》、阿弥陀さまの恥《はず》はお釈迦《さか》さまの恥《はず》でごぜえます。今日のところはこの権助《ごんすけ》に免じて、どうぞはァ勘忍してくらっせえ」 「南無阿弥陀仏《なむあみだぶ》南無阿弥陀仏ああァ権助さんいいこといってくんなすった。“宗論はどちら負けても釈迦の恥”、その教えをわしは知らんではないが、こいつがあァんまり変な声《こい》出しゃァがったから、口惜《くや》しいからぽかりとやっちゃったんだ。やいくら親だからといって子供の顔へ手をあげていいてえものじゃァない、やァ年齢《とし》がいもない面目ない勘忍しとおくれ。けれども、権助さん、お前《まい》さんのいまの言葉からみると、お前もやっぱり、浄土真宗だな?」 「あんでがすゥ?」 「真宗だろう?」 「なァに俺《お》りゃァ仙台《せんでえ》だから、奥州でがす」