生兵法(なまびょうほう) 八代目春風亭柳枝  ェェお笑いでございます。どうぞまァ、ァァ本年も大いに笑って、ェェひとつお過しのほどを、お願い致します。  しかしこの、お楽しみというものが、どなたさまにもございますが、人間てえものは、稼ぐばかりが能じゃございません。やはり、ご慰安がなくっちゃいけない。これァお楽しみでございます。お道楽、とこう言うんですが、なんだか道楽てえと、非常に外聞《ひとぎき》が悪くていけませんねェ。 「あの人ァ道楽者」  これ、よくないんです。  このごろの言葉では、これを趣味と言うですねェ。いいお言葉ですなー趣味。 「あたしは、競輪が趣味だねェ」 「ぼくはまた、麻雀が趣味だよ」 「読書が趣味」  いいですねェ―趣味。 「私は掏摸《すり》が趣味……」  ……ンなのァ趣味になりません。これァいけませんが、いろいろお楽しみがございますが、なかにこの、釣りにお凝《こ》りあすばす……結構なお楽しみでございますなァ。このお客さま方も、お好きでいらっしゃる方も、どっさりいらっしゃるでしょう。  あのくらい、結構なお楽しみはございません。釣りを垂れてる間、無念無想で、何の考えもございませんが……釣ってる方はよろしいんですが、あれを見ている方があるんですが、あれァどういう料簡《りょうけん》ですかねェ。釣れたって自分の物になるんじゃないんですがね。  大きな荷物を背負《しょ》いましてな、一生懸命にぐゥゥ……ッ、見ていらっしゃる。 「(両手を襟元で握り、荷物を背負っている態。上体をのめらせて)押しちゃァいけませんよ、押しちゃァ……電車ィ乗っかってるんじゃありませんよ。押せば中へ入るッてわけのもんじゃないよ。前は川なんだよ、前は。どぶんと落ッこっちまうじゃないか。あたしゃ大きな荷物を背負ってますよ。沈ンだッきりになっちまうじゃありませんか。順に見せるから、お待ちッてんだよ。なんだ、あの野郎……(睨みつけておいて、急に笑顔をつくり、前方へ話しかける)へッへッへェ、旦那ァ、あなたお好きですねェ、あッしもたまらねえんだ、釣りときた日にァねェ。やっぱり、海釣りよりも岡《おか》ッ鉤《ぱり》のほうがよござんすね、釣りの趣味が違うからねェ。浮子《うき》がちょんちょんと動《いご》いて、すゥゥと引いたところを、ぐッと張ってぶるぶるという気持ァ、あッつ……(ぐッと水面を睨んで、小声で)大将々々、喰ってますよ、ね、浮子《うき》が動いてるよ。あわせなきゃ餌を取られちゃう、大将ゥ……あ、あなた、あわせなきゃ駄目ですよ」 「(落着いて)だ、駄目なんですよ。いえ、これ喰ってるんじゃないから、駄目なんですよ」 「(いらいらして)駄目なことァないよ、ちょいと揚げて見てくださいよ、お願いですからよ。(必死になって)揚げてくださいてえんだよ。あたしァ急ぎの用があるン」  ……なら早く行きゃァいいン。一生懸命、見ていらっしゃる……お楽しみでございましょうが、あまり、それにお凝《こ》りあそばしてはいけないようでございます。 『凝っては思案に能《あた》わず、凝らずんばその味わいがわからない』―なるほど、ものてえものは、本当に研究をしなくちゃ、その味てえものがわからないでしょうが、その道に堕《お》ちてしまっては、いけないようでな……。 「(上手を見やって、下手へ)おゥ、むこうから来たのァ見たような顔なんだがねェ、どうも俺ァ思い出せねえんだがなァ」 「どォれ……(と見て)あ、あれはおめえ、伊勢六の若旦那だ」 「あれがかい? へえェ……伊勢六の若旦那ッてのァ、色の白い、粋《おつ》な男だったなァ」 「うん、以前《せん》はそうだ。だが、このごろは世の中が物騒だてえんでな、すっかり頭を切りかえてよゥ、横丁の剣道の先生のとこィ行って、朝から晩まで、やッとうやッとうのご稽古。ご飯のおかずだって納豆《なっとう》でなくちゃ食わねえ」 「大変な凝りかたまりだねェ」 「えらい凝りかたまり。だいいち、この顔の色だって生《なま》ッ白《ちろ》くちゃ弱々しい。馬鹿にされるてえんでな、塩を塗って天日《てんぴ》に乾かしてるン」 「へえェ、敷紙《しきがみ》だね、まるで」 「つんつるてんの着物きて、袴はいて、鉄扇《てっせん》持って歩いてるんだ。先生と呼《い》わなくちゃ返事をしねえんだ。大変な凝りかたまりだ。……俺が呼《や》ってみるからな、笑っちゃいけませんよ、さ、こ、こっち、うしろへ、そう(と下手へ押しやって)、笑っちゃいけないよ、いいかい?……(態度を改めて、上手へ)先生ッ、どちらィ?」 「(すっと姿勢を正し)いよォ、これはこれは、ご両所にはいずれへ?……」 「(くすッと笑って小声で)ご両所ときました……先生はこのごろ、すっかり剣道のほうを、ご勉強だそうですなァ」 「うむ、いまァ世の中が物騒である。いかなる無頼漢《ぶらいかん》がとび出ンともかぎらん。腕に覚えがないてえと、身に災難を受ける。剣道を学ンでおォる。君らも少ゥし修《や》ってはどうだ」 「ヘッ、ぜひやりてえと思ってやすが、先生なんざもうすッかりご上達でしょう?……」 「免許皆伝《めんきょかいでん》の腕前だ」 「免許皆伝……たいしたもんですねェ。このあいだ行ったら、もう免許ンなっちゃった。へえェ、素質《たち》がいいんですねェ。大《おお》先生もお楽しみだねェ……腕前なんぞこの、試《あら》わしたことがありますか?」 「(即座に)ある。二、三十日以前であるかな、若者両人を取って投げた」 「へえェ、武勇伝だねェ。ゥゥどこです? お話うかがおうじゃありませんか……」 「この先の四ツ角だな。出逢《であ》い頭《がしら》といいながら、拙者へどんとぶっつかった者がある。一言の失礼《れい》もなく行き去りんとした。二言、三言、言い争ううちに、拙者に撃って参った。ひらり、体をかわしておいて、ぴしいィッと撃ち据えた……」 「へえェえ、見事なお腕前ですなァ(すっかり感心して)……へえへえ、へえ、ど、どうしました?」 「これを見るなり、いま一名、おなじく若者が撃って参った。こんどは、ひょいと体をかわしておいて、肩へ担《かつ》いで、ずんでんどうと取って投げた」 「へえェ、柔道もやるんですねェ。凄いねェ、剣道、柔道、できるんすなァ。えらいねェ、胸が透《す》くねェ、お話を聞いててもねェ。講釈ゥ聞いてるようだ……で、若者てえのは、いくつぐらいです?」 「(あっさりと)一人が三つで、一人が五つだ」 「(あきれて)俺、いやだよ先生。子供じゃねえか」 「いや、若者だよ」 「若者過ぎるじゃねえか。俺、いやだよ。こっちァ真面目《まとも》に話を聞いてるんだよ、いやですよ」 「いや、これは冗談……いや、しかし、ご両所に会ったのが、ちょうど幸いだ。ここでひとつ、免許皆伝の奥義《おくぎ》をご覧に入れよう」 「へえェ、奥義てのァどうするんです?」 「『衆寡《しゅうか》敵せず』という言葉がある。多勢に無勢、これは敵《かな》うべきのものでない。このとき、自分の身を守る術がある。これを敵隠《てきがく》れ、雲隠《くもがく》れとも言うな」 「へえェ、これァお聞物《ききもの》ですね、どうするんですか?」 「(扇子をぐいと握り)ここへ鉄扇があるだろう。な? (気合い)ィえェいィッ……気合もろとも鉄扇の陰へ拙者の体が隠れちまう」 「(驚いて)その陰へ?……(相棒へ)おゥ、拝見しようじゃねえか、面白いじゃないか、なァ」 「まるで手品使《てじなつけ》ェだ、へえ? お願いしやしょう」 「よゥし……ご両所、そこへ並ンで(と扇子で線を引いて)……いいか、よく見ておれよ(と鉄扇を目の前に構えて睨み)、ィえェいィッ……どうだァ? 見えまいッ」 「(相棒へ)見えねえか?」 「(目をこらして)まだ見えるなァ」 「先生、まだ見えます」 「そうか、そんなことァないんだがなァ……(また同じ仕草で)ィえェいィッ……どうだァッ、見えまいッ」 「さっきよりよく見えるんで……」 「ものは皮肉でいかん、それァ……いやァ、ご両所、そのゥ眼をつぶってッ……」 「(不思議そうに)眼をつぶるんですか?」 「(命令口調)眼をあいてたらいかん、しっかりつぶって……(同じ構えで)えェいィッ、どうだァ、見えまいッ」 「(あきれて)当りまいだよ、眼をつぶってて見えるわけがねえじゃねえか……いやだよ、先生」 「いや、それほどまでの腕前には、まだならん。いずれなるつもりではおる」 「なんだ、だらしがねえんだ」 「源ちゃん、君は力があるそうだな」 「へい、自慢じゃァないが、素人相撲じゃ大関です」 「あァ、頼《たのも》しいなァ。男子は力量がなくてはいかん。拙者の胸倉を取って参れ。いや、かまわんかまわん、敵だと思って……こういうもんに遠慮はいらん。これをわずか二本の指、ほかの指は使わん。人差指と親指だ。えい、ぱッとこれをほどく。これが免許皆伝だ」 「なるほど(と手を打って)、こいつァよくある型《かた》ですね。柔道、剣道、心得てる方は急所を知ってますからね。持たれただけでも手がびりりッと痺れる。えらいもんですなァ、へえェ、ェェ術ですね……じゃ先生、いきやすよ、(と腕まくりして)このへんでよろしいんですか? (と右手で胸倉をつかんだ態)」 「(その手を自分の胸倉へ持ってきて)ほほう、見るときくと大きな相違《ちが》いだな。あまり君、力がないな」 「だってあたしゃ、握ってるだけだよ……(相手の顔をうかがって)力ァ入れてよろしいんですねェ?……(ぐッと力を入れて)どうです先生、このへんではァッ」 「(胸倉をぎゅッと締め上げて、苦しそうに咳こんで)くッくッくッ……死ンじまうよ、おいこらッ(と左手で引き離して)、おい、死ンじまう、こら、離さねえか、これ……このあいだ遣《や》った洋服を返せ……」 「ひどいね取り上げはァ……(力をゆるめて)このへんでいいんですかァ?」 「(吐き捨てるように)馬鹿野郎、馬鹿力《ばかぢから》を出す奴があるか。ものには度というものがある。死ンじまうじゃねえか……(落着きを取り戻して)そのへんでよい。わずか二本の指だぞ、ほかの指は使わん……(と人差指と親指で左手を取り)えいィッ……やァッ……えいッ(と振りほどこうとするが思うようにならず、次第に泣き声で)いえィ、……うわわわ、わァ……たァいうわァわァ……(声にならない)」 「(あきれて)だらしがねえなァ……先生、取れません」 「(立ちなおり)よゥし、では今度は奥の術《て》を用いよう……野猿流《やえんりゅう》だ、えいィ(と思い切り引っ掻く)」 「(手を押さえて)い、痛い痛い痛い……引ッ掻いちゃいけないよ先生。大変な爪《つめ》ですねまた、あなたの爪てえものァ……あ、野猿流のために型《は》やしとくんですか、それを……よくわかりました。もう免許皆伝、よくわかりました。これで失礼します」 「これで別れるのは残念だな……梅ちゃん、君、笑っててはいかん。何か持っとるようだな」 「え? へへ、いいえ、これァ(と懐を押さえ)、馬鹿馬鹿しい、いま南京鼠《なんきんねずみ》ええ、二匹買ってきたんです。え、子供の「玩具《おもちゃ》に……」 「おおゥ、さいわいだなァ。一匹ィ貸したまえ。うむ、殺しちまおう」 「なにも、入ってるものをさいわい、生きてる物を殺すことはないでしょう?」 「いや、殺しッぱなしではない。ばッと生かす、これが免許皆伝の腕前だ」 「あんまりあてにならんですがね、免許皆伝は……(と懐から手拭い=鼠を出して)じゃねェ、これ、お手柔かに願いますよ、ええ……おッとッと、これ、生きてんですからねェ……(と渡して)さ、お願いしやしょう」 「よしッ(と受け取って手にぐッと握り)、どうだ、ご両所、見たまえ。豪傑が掴めば、たった一つだ」 「(馬鹿馬鹿しくなり)誰がつかんだって、そんな小さいもの、一《ひ》と掴《つか》みだよ」 「(高々とかかげ)これは気合もろとも睡《ねむ》るがごとく死ンどる……(とぐっと握りしめて)ィえェいィッ……これでよろしい。(と掌を開いて)どうだ、見なさい、な?……(鼠が逃げ出したのであわててつかみ)おい……これはなかなか活発だな、こいつは。逃亡を企てんとしておる。ご両所、見たまえ、顔を出した、顔を……(つくづく見て)やァ髭《ひげ》を生やしておる。鼠のくせに髭は無駄であァる。こういう物は要らん(とぴゅッと抜く)」 「(あわてて)だ、駄目だ、抜いちゃっちゃ駄目ですよ」 「(構わず)ちゅうちゅうも何もない、綺麗に刈り込じまう……(反対側を見て)あァ尻《し》ッ尾《ぽ》が出ている。こんなものァ……(と思い切り毟《むし》る)要らねえッ」 「酷《ひど》いねこれァ……尻ッ尾むしっちゃったね、あなたァ」 「もう大丈夫だ、こんどは逃げようッたって逃がさんぞ……(と高く握って構え)えェいィッ……やァッ……いえいッ……やあァッ……ええい、畜生ォ(と固く握りしめてそれから開き)、どうだ、みなさん」 「(のぞき込んで)おォやおや、くしゃくしゃになっちゃいました……哀れな姿になっちゃったよ……。これ生きッ返りますか?」 「(自信たっぷり)あァ、生き返るとも。人間でもこういう物《もん》でも、急所に変りはない。肋骨《あばら》三枚目を胸肋《きょうろく》という。そこへ鯖《さば》を入れる―いや、鯖ではない。鰹《かつお》だ」 「魚で覚えた……活《かつ》を入れますか?」 「活を入れる。すぐに生き返るぞ……(と右手を鼠に当て)ィえェいィッ……やァッ……えいッ、起きろッ」 「起きないよそりゃァ。それ死ンじゃってるんだ、寝てるんじゃないから駄目ですよ」 「(つくづく見て)ははァ、こりゃァ筋《きん》が弱いな、こいつは……(思い切り右手で押して)ええいッ、たァ、わッ」 「あァあ、潰《つぶ》しちゃったよ。酷いねこりゃ」 「目がとび出しちゃったなァ」 「(情けない声で)目がとび出しちゃった……」 「心配するな、来年になりゃ新芽《しんめ》が出らァ」 「植木じゃねえや」  ……『生兵法』でございます。