野晒し(のざらし) 八代目春風亭柳枝  ェェお遊《あす》び場所の多い中でございます。お足労《はこび》を頂きまして、厚くお礼を申しあげます。どうぞ定時までごゆっくりとお遊びを願います。  今晩は円朝|祭《まつり》という大師匠のお祭りでございます。何か因《ちな》ンだお噺をということでございますが、私《あたくし》はひとつ、では今晩お馴染でございますが『野晒し』をお伺いしようとこういうわけでございます。しかし 『野晒し』という噺は皆様方にもたいていはもうお馴染でございますが、しかし本当はこの『野晒し』てえ噺は、その時分には、この凄い、この怪談噺だったんだそうですな。それを初代の円遊師匠が、かように滑稽に直して演《いた》しました。それを私《あたくし》たちが、まァ、お取次ぎをするだけでございますんで……それにこの寄席でございますと、大抵はもゥお時間がございませんから、顎《あご》へ、へえ、針を引ッ掛けて、それでおしまいでございますが……私《あたくし》せんだって或るお客様に言われましてな 「君、なにかい? あの『野晒し』てえのは、あれが落ちかい? あの先はないのかい?」  と訊かれたことがございますんで……。 「いえ、そんなことはございません、落ちはございます」  と申しあげました。今晩はひとつ『野晒し』の落ちまで演《や》らして頂きますんで……。  ェェ落ちはあまり申しあげない、というのは、ちょっとお解りにくいのでございます。まァ今晩のお客様はご通家《つうか》でいらっしゃいますので、皆様もうご承知でございますが、もしもご存じないお方がいらっしゃるといけませんので、ちょっと失礼でございますが、まァ申しあげさして頂きますが……この浅草に雷門、あれから南千住へ行きますが、あの電車通りでございます。あの停留所に花川戸、山の宿《しく》、それから吉野町という停留所がございますんで、以前あすこに、ま、ご年輩のお客様はご承知でございますが『新町《しんまち》』と書きまして新町《しんちょう》という停留所がございまして、今はもうなくなっちまいました。町名もないようでございますが、新町《しんちょう》という所がございます。それにまた、あすこに太鼓屋さんがどッさりございましたんで……太鼓屋さんは今、二三ございますようですが……太鼓の皮は馬の皮でございます。それに幇間、太鼓持ち―これを一口に『たいこ』とこう言いますんで……。太鼓持ちのことを“たいこ”、太鼓の皮は、あれは馬の皮でございます。それに新町という町名と、この三つだけをちょっとお覚えおきをお願いを致しておきますが……。  ェェお楽しみということをよく申しあげますが、どなたにもお楽しみてえものはございますな。人間と生れましてお楽しみのない方はございません。稼ぐばかりが能ではございませんで、やはりご慰安というものがなくちゃァ、稼ぐ張り合いがございません。しかしこの、道楽てえと非常に人聞きが悪いです、道楽てえとなァ……。 「あの人は道楽|者《もん》です」  これァよくない。  このごろの言葉ではこれを趣味と言う……いいお言葉でございますな、趣味……。 「あたしは競輪が趣味だねェ」 「僕は麻雀が趣味だよ」 「読書が趣味……」  いいですねェ、趣味てえのは……。 「あたしは掏摸《すり》が趣味だ」  これは趣味には入りませんが……いろいろお楽しみがございます。  なかで一番いいお楽しみが釣りでございますなァ。お客様の中にもお好きな方がいらっしゃるでございましょう。われわれ仲間にも好きな方がいますが……釣りの所為《ため》に金馬師などは、怪我をしたような騒ぎでございます。まァお気を付けて釣りにいらして頂きとうございますが……。  釣ってる間は無念無想、何の考えもございません。頭《つむり》のために大変よいお楽しみでございますが、あの釣り師てえものは面白い気風を持ってるもので、ご自分で釣り場をお探しになると、鬼の首でも取ったよう、ご自慢でございます。 「(扇子を右肩に釣り竿を担いだ様子で)あ、何処《どっ》か釣り場を探しましょう……いやァ他人《しと》の釣ってる場所《ところ》は面白くない、なァ、何処か釣り場をね、探して……あッ、こういう場所《ところ》だ、どうです? 気が付かない、誰《だあれ》も釣ってないでしょ? こういう場所《ところ》はちょいと気が付かない、こういう場所《ところ》へ竿を下《おろ》すでしょ? 魚《さかな》ァ隠れてますから、入れるとぱくりッときます、入れるとぱくり、“入れぱく”……どうです? 釣《い》きますか?」  なァんてな、一生懸命、釣り糸を垂れていらっしゃる。土地のお方がな、通りがかりにな 「お楽しみですなァ」 「ありがとうごァんす」 「どうですか? 釣れますか?」 「いえ、あまり食わないんですよ」 「ああ、そうでしょう、昨日《きのう》の雨で水が溜ったんですから」  ……なんて場所《とこ》で釣ってらしたんじゃァ……実にどうも面白い方がありましたもんで……。  それにまた、釣りに凝《こ》ると、他人《しと》の顔が魚に見えるそうですなァ、これァまァ何でもそうなんだそうです、夢中になりますとな。 「ああ、いい鯛が来たねェ、あすこから来た、あすこから素晴しい鯛だね、あれァ。向うから来るのは白鱚《しらぎす》だね、あれァ……あァ、お腹の大きな女の人が来たねェ、あれは河豚《ふぐ》だな、あれァ……ああ、噺家が来た、あれは“だぼ鯊《はぜ》”だ」  なァんて情ないことになるもんでァんすが……いろいろその判るもんだそうでございます。  それを熟練をしますと、引き方によって何がかかったてえのが、これが判る、えらいもんですなァ。これは私は釣りではございませんが……網、お客様のお供をして参りますと、船頭さんが網をぴゅゥッと打ちまして、ぐうゥッと上げてまいります。 「お客さん、今日は珍しく“ふっこ”が入ってますよ」  とこう言うんです。魚《さかな》を見ないうちに何が入るもんじゃあるまいと、半信半疑で見ておりますと、上げるてえと、この、大きな“ふっこ”が入ってまして……えらいもんです。永年の熟練です、暴れ方によって何が入ってるか、判るんだそうです。釣りがそうですな、引き方によって何がかかったかてえのが判るッてんですが、ここまでいかなくッち ゃ、本当のお道楽でもないでしょう。 「(扇子を出し、糸を垂れて)いやァ判りますよ、な、教《おせ》ェてあげる、な、ほら見たまえ、竿の先をごらん、竿の先を、ね? 教ェてあげる、みんな引き方が違うんだ、おうおう、ほら、竿の先をごらんなさい、ね? 食ってッでしょ、なに? 鯊《はぜ》? 鯊じゃないよ、鯊はこういう食い方じゃない、これァ強いね、これァ……鰈《かれえ》じゃねえかな?(ぐっと引かれて)強いね、これァ……鯨かな?」  鯨なんざァ釣れやしませんが……いろいろ、その、判るもんだそうでございますな、あれは……。 「(戸をとんとん叩き)ちょいと開けつくれ、おい先生……先生、ちょいと開けてくれより、尾形の先生、ちょいと開けてくれ、先生……(と叩き続ける)」 「はいはい、はい、どなたじゃな? はいはい、いま開けますよ……いや寝てえるわけではない、いま開けます、そうどんどん戸を叩いては、戸が破れておるで、壊れるで……これこれ、そうまァ叩くではないと申すに……困ったものじゃ、はいはい、はい、いま開けますで、そう叩いてはお前さん、戸が壊れ……(戸を開けた途端に、額を打たれて)これァ痛いな、これァ……」 「どうも済みません、夢中ンなって叩いてたんで、先生が黙ってすッと開けたから、ぽかりッといっちゃったんです……戸にしちゃァいやに柔けえと思った」 「戸と儂《わし》の額《ひたい》と一緒にするやつがあるか……誰かと思ったら、ご隣家の八五郎さんか」 「へい、誰かと思わねえでも、ご隣家の八五郎さん……」 「大変なご立腹だな?……」 「馬鹿なご立腹だ、生易しいご立腹じゃァねえ。普段から高慢な顔《つら》ァしやがって、(口調を真似て)『儂《わし》は聖人じゃから、婦人は好かんよ』なんて言やがッて……ちょいと先生、おい、昨夜《ゆうべ》の娘、何処《どっ》から引ッ張ってきた? いい女だねェ、齢《とし》のころは十六八《じゅうろくはち》だね……」 「十六八では七がない」 「そう、質〔七〕は先月流れた」 「くだらねえことを言いなさんな」 「色の白いのをちょっと通り越して、ちょっと蒼味《あおみ》がかっていたが、いい女だ、先生、何処《どっ》から引《し》ッ張ってきた?」 「儂《わし》にさような覚えはない、お前は夢でも見たな?」 「夢だあ? 夢なら夢でいいんだよ、夢ではないてえ証拠をご覧に入れようじゃァねえか……(指で壁をさして)夢でもって壁にあんな大きな穴があくか?……」 「(見て)なるほど、大きな穴をあけたなァ、これは…… ではお前は昨夜《ゆうべ》のあれを、ご覧《ろう》じたか?」 「ごろうじた。こっちァべらぼうめえ、ご覧《ろう》じ過ぎちゃってるじゃねえか、まんじりとも寝やしねえやな……昨夜《ゆうべ》はねェ、一杯《いっぺえ》飲ンで、うたた寝よ、夜中に寒《さぶ》いんでひょいッと目を醒ますと、先生の家でひそひそ声。はて先生は独身者《ひとりもの》、相手のいよう筈はなしと、聞き耳を立ててみると、相手の声が女の子、“れこ”だよ。ますます勘弁できねえ、ふだんに言う口と違うじゃァねえか。それから俺ァ商売ものの鑿《のみ》でもって、壁へ穴ァあけて(親指と人差指で丸を作って覗く恰好)覗いたら昨夜《ゆうべ》の女の子だよ……先生、何処《どっ》から引《し》ッ張ってきたんだよ」 「ご覧になったならば、致し方はない。隠さずお話しよう。なにかの功徳《くどく》にもなろう……じつは八ッつァん、昨夜《ゆうべ》のはな……(急に声をひそめて)こういうわけだ」 「あ、そういうわけか」 「まだ何《なん》にも言やァしないよ……お前もご存じのごとく、儂《わし》は釣り好き……いやいやこれが話の順序、聞いてもらいたい。お前に頼まれたことがあったなァ、『先生、彼岸の中日の鯊《はぜ》は、中気の呪《まじな》いになる、是非たのむ』と、そのことも頭《つむり》にあったので、釣り竿をかたげ、向島へやってきたが、昨日は魔日《まび》というのであろうか、雑魚《ざこ》一匹かからん。ああ、こういう日は、殺生《せっしょう》はしてならん戒《いまし》めと思うて、儂《わし》も諦め、釣り竿を巻きにかかる、浅草|弁天山《べんてんやま》で打ちいだす暮六《くれむ》ツの鐘……(声をひそめ)陰にこもって物凄く、ぼおォォん、となァ」 「(気味悪くなり、尻ごみしながら)止せ止せ止せ、止せよ、止せ止せよォ先生、おい……あッしは見たとこァ強そうでも、芯《しん》が弱いんですからねェ、もっと陽気にしてくれェ……(低い声で)どうしました?」 「四方《よも》の山々雪解けて、水量《みずかさ》まさる大川の、上げ潮|南風《みなみ》で、どぶうゥりどぶゥり……水の音だ」 「……(何か言おうとするが、声にならない)……」 「あたりは薄暗くなって、釣り師はみな、散乱をしてしもうて儂《わし》ひとり。風もないのに傍《かたえ》の葭《よし》が……がさがさ、がさがさッと動《いご》いたのだ……中からすゥうッと……(掌で前方を逆撫でして)出たッ」 「あ、これは……(びっくりして、ああてて前に置いてある手拭いをわしつかみにして、懐へ入れる)」 「(見とがめて)これこれ、お前、何か懐《ふところ》へ入れたようだなァ」 「へ? 懐へですか? ええ……これを(手拭いを出す)」 「(あわてて引ったくり)あたしの紙入れだよ、なんだ油断も隙《すき》もならんね、お前は」 「えへ、あッしァもう、怖くなるとね、何か持って行きたがるんで……」 「悪い性分だなァ」 「先生、何が出たんで?」 「鴉《からす》が三羽出たよ」 「(ほっとして)鴉《からす》ゥ? 俺ァいやだよ、鴉なら前に断ってくれやい……それから?」 「はて、ねぐらへ帰る鴉《からす》にしては、ちと時刻も違うようじゃと、儂《わし》も物好き、その場へ行って、釣り竿でもって葭《よし》をかたげて見る、生々しい水死人、髑髏《どくろ》、屍《しかばね》。ええァ、お気の毒千万、かく屍《しかばね》を晒しているは不憫なもの、成仏《うかぶ》こともできまいと、ねんごろに回向《えこう》してやった。上手《うまく》はないが手向《たむけ》の句―『野を肥《こや》す骨を形見に薄《すすき》かな』。『生者必滅《しょうじゃひつめつ》会者定離《えしゃじょうり》、頓生菩提《とんしょうぼだい》、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏』と、瓢箪《ふくべ》に飲み余りの酒があった、これを骨《こつ》にかけてやる、気のせいであろうか、赤味をさしたような感じがした。あァあ、よい功徳をしたと、そのまま帰ってきたが、独身者《ひとりもの》、自分で床をのべ、ごろり横になる……左様、時刻《とき》は何|刻《どき》であろうかほとほとと訪《おとず》る者がある。『何者か』、問うてみたら、微《かす》ゥかな声で、『向島から参りました』……さては先刻《さっき》あれほど回向してやったのが却《かえ》って害となり、狐狸妖怪《こりようかい》の類《たぐい》でも誑《たぷら》かしに参ったなと思い、一合とっても武士の端くれ、侍、齢《とし》はとってもまだまだ腕に齢はとらせん心算《っもり》、尾形清十郎、身に油断なく、がらり、戸を開ける……(謡うような調子で)『乱菊や狐にもせよこの姿』―昨晩《ゆうべ》の娘が音もなくすうッと入って来たと思いなよ、八ッつァん」 「(口調を合せて)うッぷ、俺ァいやだよ、先生(と言いながら、相手の顔を撫でる)」 「なぜ顔を撫ぜる……(手を払いのけ)『私は向島に屍《かばね》を晒しておりました者、あなたの功徳によりまして、今日《こんにち》はじめて浮かばれました。往く処へ参られます。お礼に参じました。お御足《みあし》なりとも摩《さす》りましょう』……はるばる向島から釆たる者、すげなく帰すのも何とやら、足を摩《さす》らせ、肩を叩かせていた。昨晩《ゆうべ》のはこの世の者ではないのじゃ」 「へッ? お化け? 幽太《ゆうた》かい?(と両手を七三に構え、幽霊の仕草)……いい女ですねェ、先生。幽霊でもお化けでもいいんだよ、あッしもああいういい女は、一晩こうみッちり話をしてみてえんだがねェ……まだ向島に骨《こつ》はあるかねェ?」 「さて、それはわからん」 「わからんなんて……教《おせ》ェろやい、おい、吝《しみ》ったれ」 「吝《しみ》ったれてるわけでない。あるかも知れん」 「そうですか? なきゃァお前さん立替えるか?」 「そんなものを立替えられません」 「じゃ、骨の来るお呪《まじな》いだけ教ェてくれ」 「呪いではない。手向《たむけ》の句という。これは腹から出たことでなくてはいかんのじゃが、ま、教えてくれてえなら、教えもしましょう。『野を肥す骨《ほね》を形見に薄かな―生者必滅会者定離、頓生菩提、南無阿弥陀仏』……(急にあわてて止める)あァあァ、これこれ、その竿はいかん、儂《わし》が大事にしておる竿じゃ。もし、折られると、それを作る竿師がもうおらんのじゃ。それは勘忍しておくれ。持って行くならな、こっちの竿を……」 「何言ってやんでえ……(竿を担いで)先生、これを借りてくよゥ」  いけないてえのを無理に借り込ンで、途中で二、三合の酒ェ算段をして、奴《やっこ》さん向島へ……。 「(右手で扇子を竿のつもりで担ぎ、左手で手拭いを瓢箪《ふくべ》のつもりで握って、急ぎ足)ヘヘェ、何言ってやんでえ……『齢をとっても浮気は止まぬ、止まぬはずだよ先がない』てえ都々逸《どどいつ》がありますがね。『儂《わし》や聖人じゃから婦人は好かんよ』なんてやがッて、釣りだ釣りだッてやがッて、ああいう掘出し物があるんだねェ、どうも、ええ? 骨《こつ》を釣りに行こうたァ夢にも気がつかなかったねェ。俺も早く行きゃァよかったよ、えれェことをしちゃった……(顔を低めて眺めすかして)おやおや、おやおや、出てますねェ、こりゃまた。手遅れだったな、こりゃァ。こいつらみんな骨を釣りに来てやがン。油断も隙もならねえ、こりゃァ。このごろの子供は早熟《はえ》ェや、十二、三でもう、骨《こつ》を釣りに来てやがんだから……(大声で)うわおゥ、骨《こつ》ァ釣れるかァい、骨ァ?」 「骨ゥ……?(右手に扇子を持ち釣竿を突出した態、そのまま後ろを振り向き)気味の悪いことを言っちゃいけません、いまお魚を釣ってます」 「何を言ってやんでえ(竿を担いで)、胡麻化そうと思ってやがら。『お魚を釣ってます』ッてやがら。証拠《たね》はあがってるんでえ、白状しろやい。どういう骨がいいんだ、おめえは……新造《しんぞ》か? 年増がいいのか? 乳母《おんば》さんか子守ッ娘《こ》か、何の骨《こつ》でえ?」 「何です、あれァ?(釣り仲間に話しかけて)色気違いですねェ、女のことばかり言ってやがらァ……(ちらりと振り返って)目が血走ってますからねェ、女房《かみ》さんにでも逃げられたんでしょう、あれァ……(ついに見かねて注意)恐れ入りますがァ、いまちょっと魚が寄ったとこなんですが、お静かに願いたいんでございますが……」 「何を言ってやんでえ、魚に人間の言葉が判るけェ、こん畜生め。魚と話をしたことがあるけェ。俺もそこへ行くぞォ……(割り込ンで坐り込み)あ、どッこいしょのしょ」 「あ、来ましたよ、こりゃどうも悪い者と口きいちゃった……済みません近藤さん、どうぞご順にお膝送りを……(と体を寄せて)いえ、色気狂い、気味《きび》が悪いから……どうも済みません、済みませんねェ釣り場を変えて、済みませんです……(差して)これ、あなたの弁当箱でしょ? 餌箱、みんなどうぞ……ええ、驚きましたねェ、どうも……ええェ、いえ、昨日はね、あすこでずいぶん釣ったんです、釣《あ》げたんです、ええ。ごらんなさい、今日はまるっきりきません……形無してんです、へえ。魚龍《びく》からッぽ……あなたはいいよ、それだけ釣《あ》げりゃァ大したもんだ。(またきたのを見て)おゥおゥおゥ、また釣《や》りましたね、釣り場が変っても釣《あ》げますなァ、あッはッは、あなたにすっかり勝利を得られましたなァ。そんな莫迦《ばか》なことァないんですからねェ、さっきあなたばかり釣れて、あたしにちっとも釣れない、そんな……魚は寄ってるんですよ、なァ、へえ。餌ァ取られるくらいですからね、魚は寄ってるんですけど、どういうわけのもんですか、ちっとも……(竿をあげて糸をたぐり)ごらんなさい、また餌を取られちゃった、ちえッ、餌ばかり取られてやんの、え? 今日は型が小さいんですか? 餌は半分くらいのほうが? ああ、左様《さよ》ですか、さっきから一匹ずつ付けてんですがね、みんな食い逃げなんです、へえ。こんなではないんですからね、今日は餌も吟味してきたんですからね、あたしゃァ。じゃ、半分ぐらいにしてみたらいいんですかね? え? うん……(と餌をつけ替えて)何です? え? 今日は? 岸辺《へり》へ寄ってませんか? あ、遠くのほうへ……? ああ、そうですか。今日はねェ、長竿置いてきちゃった、これ一本しか持ってこないんで……いやはァ、釣れないときたら、こんなもんですかなァ、はあ……じゃ少ゥし、こうッ……(竿を斜めに上げて)遠くのほうへ放り込ンでやったらいいかと思うんでやすがね、そんな莫迦な話てえな……ええ、釣れだしたら釣れるんですが、いけないとなったら、梃《てこ》でも仕様がないんですからね、いえ、餌を取られるぐらいですからね……へえ、魚ァ寄ってるんですからね。あなたに釣れて私に釣れないなんて、そんな莫迦なことは、ないんですから……よッと(と竿を上げて、魚をはずし)えへへ、いや、初めて初めて、こんな小さい小さい、こんな小さいのが……えへへ、こんな小さいのが。これでも釣れてりゃァ、飽きがきませんからねェ……嬉しくなり、餌をつけながら)あなた早く教《おせ》ェつくれりゃいいんだよ。俺いやだよ、あんた、自分さえ釣れりゃァいいてえもんじゃァない。薄情でいけないねェ、あなたァどうも……なるほど餌を小さくすると釣れますな、はァ、やっぱり釣りはあなたのほうが兄《あに》ィですなァ、失礼しました、いやァ、は、どうも、あなたにゃ敵いません、頭が下ります……へえ、こうなりゃァあなたに負けやしません、冗談言っちゃいけない……(と糸を投げて、ふと隣りを見やり吹き出し)うぷッ」 「何笑ってやんでえ、こん畜生め。なんで俺の顔を見て、ぷッと吹きやがる……何もてめえたちにいい骨《こつ》を釣られて、おやそうですかと、黙ってるお兄《あに》ィさんたァ、べらぼうめェ、わけが違うんでェ(乱暴に糸をほどき、そのまま放り込ンで、竿を振り廻す)……こっちァ酒を買って入費《にゅうひ》を使ってるんでえ、こん畜生め。一人でも二《ふたあ》つも三《み》ッつも釣って行《い》こうてんだ、こっちァ。てめえたちにいい骨を釣られて、おやそうですかと、黙ってるお兄イさんとは……べらぼうめェ、わけが違うんだ、こん畜生め。こうなりゃァこっちのもんだ」 「(よけるようにして)こりゃひどいな……(着物の水を拭いて)お静かに、お静かに願いますよ、仕様がねえなァ、水がはね返って仕様がねえから……」 「何を言ってやんでえ、煩せえやァ、こん畜生ッ。文句ばかり言ってやがら、てめえ一人の川じゃァねえ」 「あたしの川とは言やァしません。いえ、釣るのはいいんですよ、こうやっちゃァ(竿を振って)いけないんだよ、あなた。水がはねかかるから……(言いながら、ふと見て)あの、あなた、失礼ですが餌がついておらんようですが、餌がついてなくちゃァ、お魚は釣れッこァござんせん、へえ……失礼ですが、ここに餌箱がありますから、なんでしたらおつけなさい(と餌箱を差出す)」 「(乱暴に竿を振り廻して)余計《よけえ》なことを言うねえ、余計なこと、世話ばかり焼いてやがらァ……何をゥ?『餌がついてなくっちゃァ、お魚は釣れッこござんせん?』、何より言ってやんでえ、連れッ子も継《まま》ッ子もあるか。ただこうやってりゃァ……鐘がぼォおんと鳴るだろうな、なァ?葭《よし》ががさがさがさがさァッとくらァ。中から鴉《からす》がすうッと出つくりゃァこっちのもんでえ、べらぼうめえ、こっちァそれを待ってるんだァ……へ鐘がぼんと鳴ァァりゃさ、上げェ潮ォ南風《みなみ》さ、鴉が飛ォォびィだァしゃ、こりゃさのさァ、骨《こつ》があァァるとさァいさい……と来やがら。♪すちゃらかちゃん、とくらァ、すちゃらかちゃん……(調子に合せて、竿を水面で叩く)」 「(あきれて)仕様がねえなァ、これァどうも……あなた、駄目だよ、そう浮かれてちゃァ、あなた、こうやっちゃァいけないよ、あなた、水がはねるから……そう掻き廻しちゃ駄目だよッ」 「(睨みつけて)誰が掻き廻してるんでえ、ただこうやってるだけじゃァねえか(と水面を叩き)……おめえの郷里《くに》じゃァ、これを掻き廻すてえのか? 掻き廻すてえのァ、こォォやるン……(右手で竿を水中に突っ込んで、大きくぐるぐるっと掻き廻す)」 「(びっくりして)こりゃ掻き廻しちゃったよ、これァ、驚いたな、こりゃどうも……ええ? とても駄目だ、これァ釣れませんよ。見てるほうが面白うござんすよ。竿を上げましょう」 「(構わず)なァにょッてやんでえ……(独り言)けど、昨晩《ゆうべ》先生ン家《とこ》へ来た骨《こつ》ァ齢《とし》が若すぎたねェ、あれじゃァ話相手にならないよ。やっぱり二十七、八、三十|前後《でこぼこ》、粋《おつ》な年増の骨《こつ》でなくちゃァいけないねェ……やって来ますよ、きっと。(下駄の音)からころからころからころからころ……(姿態《しな》をつくって、高い声で)『こんばんわ』なんて……『骨《こつ》じゃねえか、遅かったね』 『なに言ってんだよゥ、あなたの来ようが遅いんだよゥ』『なァに、おめえがあそこにいるのを知らなかったよ、先生に聞いて初めてわかった……はやくこっちィ上れやい』『むやみに上るてえと、角《つの》の出る人がそばに坐ってんじゃないの?』『止せやい、独り者《もん》だよゥ、心配しねえで上ってくれやい』『じゃ、お前さんのそばへ坐ってもいいのかい』『いいから坐ッつくんねえな』『そォお?』……ッて言《や》がってね、骨《こつ》がすうッと上ってきやがる(と女の姿態)……であたしのそばへべったり坐る(尻をべったりおろす)」 「(見て吹き出し)あ、ぷッ……水溜りィ坐っちまいましたよ、あの人……よほどこれが(頭を指して)いけないようでやんすなァ、あれァどうも……」 「(構わず夢中になって)『けども、いまァ齢《とし》が若いから、お前さんがいろんなことを言うの。けど、お婆ちゃんになるてえと、あたしを捨てて、若いのかなんか引ッぱり込ンで、苦労をかけるんじゃないの?』『止せやい、お前という可愛い女房ができた。お前を一生懸命に可愛がります。俺はもう、一生懸命に働きますよ』『本当に様子のいいこと言うよ、この人は……その口であたしを欺すんだろ? その口で……畜生|本当《ほんと》に、その口が憎らしいよ、その口が本当に、その口が……』(思い切りきゅッとつねる)」 「(右手で自分の頬っぺたをつねり)痛い痛いッ……痛ェ、こん畜生ゥ」 「なに? 嫉《や》くねえッ」 「嫉《や》きゃァしねえやな……俺ァいやだよ、てめえ一人でやってろィ、俺の頬っぺたァつねる奴があるかい、こん畜生め」 「……『本当にお前さん、浮気をしちゃァいやだよ』『大丈夫だ、安心おしッてんだよゥ』『もしも浮気をしたら、じゃくすぐるよゥ』『いやだよ、くすぐっちゃァ』『でも、ちょいとくすぐらしてちょうだいな』ッてやがってね、骨がやさしい手を出して、あたしの腋《わき》の下を、ちょこちょこッと……(無我夢中でくすぐったい態)『俺、やだよ』『ちょこちょこッ』『うふッ、くすぐったいよ、駄目なんだよ……駄目だ、駄目だ』(身をよじり、くすぐられる仕草。もがく途端に、竿の針が顎に引っかかり、ぴたと静止)」 「うぷゥッ(と吹き出し)、ごらんなさい、あの人。魚を釣らないで、てめえの顎《あご》を釣っちまいました……(からかうように、のぞき込んで)どうしました?」 「……(右手に竿を上げたまま、針をはずそうとする。次第に顎を右上へ持ち上げて、痛そうな表情)旦那ァ、取ッつ下《ア》はい、旦那ァ……済みません、取ッつ下《ア》はい、旦那ァ……(と悲鳴。誰も取ってくれないので怒り)頼まねえ、笑ってやがら畜生、何もてめえたちに取ってもらわなくたって……つッ……(つねり上げるようにして、針をはずして、しきりに顎をなぜて)おり痛え、おゥ驚いた、こりゃどうも……(ふと左手の指先を見て)あァあァ、血が出てきやがった。ああ、こういうものがくっついてるからいけねえんだ、こォんなものァいらねえや、畜生(針を引きちぎって、放り捨て)、あ、どッこいしょのしょッ……(針のついてない竿を垂れる)」 「あ、あの人、針を取っちまいましたよ」 「何を言ってやんでえ……(ふと川を見て)おや? 便器《おかわ》が流ァれェてさ……きやがら、どうも……(と竿で便器を引き寄せて)♪便器《おまる》ゥ引《し》きィよォォせさ……」 「(あきれて)あ、汚ねえな、あれァ……便器《おまる》を引き寄せてますよ」 「♪なかのォ水《みイず》ゥゥを、こりゃさのさッと……(引き寄せておいて、両手で隣りへかぶせる)あん畜生、便器《おかわ》をかぶって逃げ出しゃァがったよ、なァ『情事《いろ》にはなまじ、伴侶《つれ》は邪魔』てえことが言ってあらァ、畜生、いやァしねえや……おやおや、泡ァ食って弁当箱を忘れていきやがった。一体《いツてえ》なにを食《くら》ってるか、ひとつ見てやろうじゃねえか……(と中を見て)ははァ、焼豆腐の煮たのだな。こっちが、ははァ、油揚《あぷらげ》だな。このおかずの様子《ぐあい》からみると、あいつ近所の奴じゃァねえ、とうふ〔遠く〕の奴だねェ、あぶらげ〔危なげ〕のねえうちに帰《け》ェりやがったんだよ。ひとつこの焼豆腐をご馳走になろうじゃねえか、ねえ……(とおかずをつまんで)こういう役得があるからなァ(口へ放り込み)、うん……こりゃ美味《うま》い美味いねェ、どうも。美味い……(と言いながら、向うを見て)よッ、出ました……出たけど、なんだよ、鴉《からす》じゃねえ、椋鳥《むくどり》が出やがったよ……ははァ、鴉《からす》が忙しいんだな、きっと。さもなきゃ風邪かなんか引きやがったんだなァ……『済まないけど、ちょいとあたしァ頭が痛いんだから、椋ちゃん、代りに行っとくれよ』『よしッ、心得た』てんで、椋鳥が出やがったんだ。何だって構やしねえや、出さえすりゃァこっちのもんだァ、なァ、こっちのもんですよ……(竿を右手に、瓢箪を右手に)♪葭《よし》を掻《か》ァきィわァけさァ、と、♪お骨《こおつ》ゥはァァ、どこォにさッ……ときやがら。おやおや、大変に骨《こつ》があるねェ、また大きな骨《こつ》がどっさりありやがら、驚いたねェ……いいかい? 先生のは飲み余りだよ。こっちァそんな吝ったれじゃァねえや、江戸ッ子だァ、なァ……(と瓢箪の酒を注ぎながら)みんなこう、かけちまわァ構わねえから……俺ァ飲ンでねえんだよ、みんなかけちまえ(とすっかり注いで)、いいかい? 酔っぱらって来られないなんぞいけませんよ、いいかい? ほろ酔い機嫌で来てくれ、頼むからなァ……ええッと、待っつくれよ、来るお呪《まじな》いがあったけなァ、何てッたっけなァ……そうそう『野をおやす、骨《ほね》を叩いてお伊勢さん、神楽《かぐら》がお好きでとッぴきぴのぴッ』ときやがったね。来とくれよ、頼むぜ。浅草|門跡《もんぜき》様のうしろ、八百屋の横丁を入って角から三軒日、腰障子に丸に八の字と書いてある、すぐわかるよ、じゃ頼むよ」  のんきな奴があるもんで、そのままぷゥいと帰ってきちまやァがった。  かたわらの葭が繁っております、その中に屋根船が一艘、客待ちをしていたのか、幇間、たいこもちが、ちょっとこれを耳にいたしました。これァ聞き逃すわけがございません。 「いよォッ、仰言ッたね、言《ぬ》かしたよ、申しあげましたねェ。あたしがここでもって、とろりとしてるのを気がつかず、ご婦人と再会の約束はにくいねェ。あの場へ行って『よォッ、お愉しみ、お結構です』かなんか言やァ、幾らかになるが、それじゃァ芸人の風流を失なうからなァ、邪魔はしたくないねェ。待てよ、浅草門跡様のうしろ、八百屋の横丁を入って角から三軒目、腰障子に丸に八の字、丸八てえばすぐわかるッて、おッ、先方《せんぽう》ァわかってるんだ、夜分《やぶん》になったらこっちから出かけやしょう」  なんてんで、悪い奴に聞かれたもんです。 「何をしてやんだなァ……(いらいらしながら、扇子をぱたぱたあおいで)もう来る時分なんだがなァ。さっきから、ぼォォんと鐘が鳴ってるんだ。(隣りへ)先生ェ、骨《こつ》ァそっちィ行きませんか? そっちィ行ったら、こっちィ廻してくださいよ。嫌《や》だよ、こっちィいろいろ入費を使ってるんだから、嫌《や》だよ……何をしてやんだろうなァ、来る時分なんだがなァ、もう。湯もちんちん煮《たぎ》って、ここでもって一杯《いっぺえ》、差し向いでもって、飲《や》ろうてんで、お酒の支度もできてるんで、何をしてやんだ……(表の足音に聞き耳をたてて)よ? 足音が? ぴたりと止まったよ、来たのかな?」 「(腰を低めて)ェェこんばんわ」 「おや……何だ?」 「ェェ向島から参りました」 「向島から? よッ(ぽぉんと手を叩って)待ってました、いらっしゃい、おやッ?……(気がついて)と、だが待てよ、妙《や》に声が太いねェこりゃ……『向島から参りました』、下ッ腹へ力が入るねェ……ははァ、わかった、骨《こつ》が財産かなんか背負《しょ》って釆やがったんだな、持参金つきだねェ。重たいてんで下ッ腹に力が入って、『ェェこんばんわ、向島から参りました』ッてなことを……(表へ)おい、待ってたんだ、こっちィ入《へえ》っつくれ」 「ェェよろしうございますか? では、ちょと失礼を……ェェごめんくださいまし……(障子を開けて入って来て)ェェ失礼を……(部屋の様子をうかがって)おやおや、おやおや、結構なお住居《すまい》でげすなァ、どうも、これはこれは、恐れ入りやしたな、どうも……畳ァぼろぼろですなァ。障子が、ないんですねェ、桟《さん》ばかりときましたねェ。ははァ、流し落ッこちの様子《やす》で、うじゃうじゃときましたな、結構なお住居いでげすねェ。突きあたりは、これァ仏壇でげすか? へえ、仏壇?……蜜柑《みかん》箱ァ洒落てやすなァ、栄螺《さざえ》の壺のお線香立てに、鮑《あわび》ッ貝のお灯明皿ときましたねェ。お宅の仏壇は江の島だねェまるでねェ……(見上げて)よゥよゥよゥよゥッ、お天井、お天井ッ、ほほゥ、『大雨に、たらい家中|遭《は》いまわり』なんてんで? そんな生やさしいんじゃないの? 雨が降ると、ははァ、座敷に坐って、傘さしてる? 往来《おもて》だね、まるで、こりゃどうも……けども、居ながらにして月見ができますねェ、ご風流ですねェ……『貧乏をしてもこの家《や》に風情《ふぜい》あり、質の流れに借金の山』、 (手を打って、拍子をつけて)あ、よいよい……♪他人《ひと》ォをォ、助ゥくゥる、身を持ちィながァァらァ、あの坊主《ぼん》さんは、なぜこかァァ、夜明ァけェにィ、鐘ェをォォ、撞《つ》ゥくゥゥ、おや、鳥が鳴く……あれェまァたァ、木《もく》ゥ魚《ぎょ》ォのォ……ぼくぼくぼくぼく、音ォがァするゥ、ちりとッちんしゃん」 「(驚いて)な、な、なんだよ、おい。粋《おつ》な年増の骨《こつ》がやって来ると思ったら、おッそろしい口の悪い骨《こつ》がやって来やがった……お前は一体、何者《なにもん》だ?」 「あっしでげすか? あっしは新朝という幇間《たいこ》でげす」 「なに、新町の太鼓? あッ、しまった、昼間のは馬の骨《こつ》だった」