借家怪談 五代目笑福亭松鶴 エエよく申しますが、まっすぐに、かたげがよんだかしやふだ。貸家札というものは、あんまり、まっすぐには、張ってないもので、みな歪めてはってます。二枚張ってあるのは、外から見ると“人”という字で内から見ると“入”るという字。人が入るというのやそうで、松鶴は借家を持った事がないので、知りまへんがそうやそうで、これはある裏屋。 「エエチョット、おたづねしますが」 「ハイどなた」 「ヘイ、おとなりの空家を借りたいので、お家主さんは、お近くだすか、また遠方だすか、チョットお尋ねいたします」 「アー、となりの貸家をお借りなさるのか、家主は安治川の三丁目や」 「えらい遠方だすなア、この辺に家守りさんはござりませんか」 「ハイ家守というてはないが万事は私が引受けています」 「それはえらい好い都合で、間取りはどういう間取りになってます」 「私の方と、同じ間取りで奥が四畳半で、台所が三畳に、押入があって這入った所が土間で右手が走り元になってます」 「いま表の格子の問から、チョット見ましたが、なかなか勝手好うしておますなア、それで、敷金はどのぐらいだす」 「それがここの家主さんは、ものが宜う判っていて、借家人から敷金を取るのは、可哀想なというので、敷金はなしや」 「ヘエー、敷金なしとは、我々貧乏人にとっては、結構な事で、それで家賃は、どのくらいで……」 「家賃は一ケ月が十八円や」 「エッ十八円……アノ十八円、数のいらぬは結構やが、家賃の十八円は、この家に少し高いように思いますが……」 「いやチョット聞くと高いようやが、それを、じいと聞くと、十八円が安いのや」 「ヘエー、どういう訳で安いのでやす」 「サア、となりの家へ入ったら、一ヶ月十八円を、家主へ持って行くと思うから高いが、毎月家主から、十八円というのを、お前さんところへ呉れるのや」 「ヘエーエ……モウ一遍聞きますが、なんだすか一ヶ月住んで、家主から十八円、私の方へ呉れますか」 「そうだす」 「それは、ぼろい話やが、何で空いてますね……」 「それが、アアやって空いているのは、アノ家へ人が住みますが、一ヶ月はおろか十日といいたいが、三日とつづきまへん」 「ヘエー、するとあの家に、何ぞ仔細がおますか」 「そりゃおますとも、よう考えてみなはれや、この辛《から》い時節に、無償《ただ》やない、十八円という金を呉れるには、仔細がおます」 「イヤ、そりゃごまっとも、その訳は、どういう仔細でおます」 「そうやな……マア、あんたが、お聞きになるのやよって、お話しいたしますが、マアおかけやす、実はなア、あの家は、日のうちは何の事もないが、日が暮れますと……ナア」 「ヘエ……」 「あの裏に塀がおます」 「ヘイ」 「その塀の向うにまた塀がおます」 「ヘイ」 「ツマリ塀が二ツある」 「ヘイ、ヘイ」 「何を言うてなはるのや、その塀の向うが、ゾクネン寺という、お寺の墓原や、それが、宵のうちは何事もないが、夜が更けてくる、かれこれ十二時もすぎ、一時もまわり、もう二時にも、なろうとすると、世間は、森《しん》とする、屋の棟三寸さがろか、水の流れも、暫しは寝入るという、時分になるとナア」 「ヘエー」 「遠寺の鐘が陰に籠って、ボオーンと鳴ると」 「ヘエー、モシわて恐わがりだッせ、モット派手に言うとくなはれ」 「すると、あの家が、どことはなしに、メキメキメキと鳴り出すのんで」 「ナルほーど」 「すると、縁側をば、濡草鞋をはいて歩くように、ジタジタジタと音がするとなアー」 「ヘエエ、モシ、チョット“おいえ”へあげてもらいます」 「暫らくすると、縁側の障子をば、誰が明けるとなしに、スースースゥと明くと、あんたが寝ている、胸の処を、グウと押えるので、苦るしいので、目を明くと、色蒼ざめた、髪を、おどろに乱して、血みどろになった女が、あんたの顔を、恨めしそうに眺めて、ゲラゲラゲラと笑う……」 「ウワーッ」 「オイオイ、モシあんた、オイコレ、途方もない怖がりやなあ、あわてて、かどの手洗鉢を、ひっくり返して走った行た」 「源さん」 「ヤア喜イやんか、まあ這入り」 「ごめん、併し、俺、いま聞いていたんやが、何かえ、となりの空家から、あんなものが出るのかえ」 「お前、あの話を聞いてたのか」 「そうや」 「そんなら言うが、心配しいな、何んにも出エへんのや」 「フーン何にも出エへんのに、なんであんな事を、言うたのや」 「出やへんけども、あの男に出るというのは、それには訳がある」 「どういう訳や」 「それは、この長屋は五軒あるのに、だいたいこの長屋に納家がない、それでアアやって、一軒空いていると、お互いに、邪魔になるものは、皆入れて置く、これから洗濯物でも俄雨の時は、竿に通したなりで、入れて乾かせる、あの空家を物入れに使うつもりや、どうや、俺の考えは、えらいもんやろ」 「やア成程流石は源さん、賢いなア、する事が……そうすると、これから借りに来た奴があったら、誰でもあんな事を言うのやなア」 「そうやよって、これからもしも、あの空家を借りに来たら、皆な俺んとこへ寄越し、そうすると、俺んとこで、うまい事怪談話をして、帰してやるさかい」 「よし、それでは万事頼むで、オイ源さん、こんな処に、えらい宜い煙草入があるで」 「アア、今の奴が、あわてて忘れて去《い》んだのや」 「ヘエー、えらい好い煙管やで、銀やで、私銀の煙管が一つ欲しいと思うていたところや、これ何うや、源さん、私《わた》いにおくれんか……何に、取りに来るもんか、源さん、また空家借りに来たら、お前とこへお越すよって、なるだけ怖い話をして、忘れ物があったら私が貰うよってに」 「そんな、うまい事があるものか」  それからというものは、チョイチョイ借りに来る人があると、源さんが、怖い話で脅かして仕舞いまするから、誰一人この家を借手がない。借りに来ると怪談話して怖がって帰りしなには、チョコチョコ物を忘れて行く。それをば長屋で、分けていると、ある日の事。 「オイ、隣りに貸家札が張ってあるが、あの家の家主は何処や」 「ハイ、家主は遠方やが」 「何んや、遠いのか、この辺に、“もりや”はないのか」 「コレ、わからん事を言いなきったなア、“もりや”てなんや」 「わからんのか、家守を、さかさまに言うたら、“もりや”じゃないか」 「コレそんなものを、さかさまにしなさんな、ヤヤコシイ、家守というてはないが、万事私が引請けて居る、お前さん借るのかえ」 「オイ、借ろと思うて来たんや、お前が万事引請けているなら、恰度幸いや、あの家は敷はなんぼや」 「ハイ、マアお這入り、あの家は敷金はいらんのや」 「ナニ、敷金がいらん、そら貧乏人には、もってこいや、それで、“チンヤ”なんぼや」 「マタ解らんことを言うた、“チンヤ”て、何んのことや」 「家賃を、さかさまに言うと、“チンヤ”やないか」 「そうチョイチョイ逆まにしたら、ヤヤコシイ、家賃は十八円じゃ……」 「ナ二、家賃十八円、コラ、あんな薄汚ない、小さい家で、家賃の十八円も取る、コラ……家主にそう言え、そんな事を吐かしたら眉毛がぬけるぞ、向うずねを、たたき折ると、生意気な奴や」 「コレ……お前さん怒りなさるな、話をあんじょう聞きなされ、毎月家主へ十八円家賃を払うと思うよってに腹が立つ、そうやない、あの家に住むと、毎月家主から十八円ずつ呉れるのや」 「ソンナラ何か、あの家に住むと、家主から毎月十八円呉れるのか」 「そうや」 「イヤ、結構、俺は隣りの家、気にいった、借るよってに頼むで」 「コレ、チョット待ちなされ、そりゃ借るのは宜いが、あの家、十日と言いたいが、三日とは住んでいられん」 「オイ、家主から毎月十八円も呉れるのに、なんで三日と住んでいられんのや」 「サア、そこや、住んでいられんというのには、仔細がある」 「ソラ承知や、家主から十八円も呉れるというには、訳があるに違いない、その訳聞こう」 「マア、掛けなされ、外の事やないが、隣りの家ナア」 「フム」 「日のうちは、なんの事もないが、日が暮れるとなア世間が、シーンとする」 「当りまえやがな、日が暮れて世間が賑やかなと、寝られんがな」 「イエ、あの家の裏手が寺の墓原や」 「墓原、俺好きや閑静で宜い」 「アア、さようか、宵の内はなんの事もないが、十二時が廻るとなー、どこともなしに、ミチミチと家鳴りがするのや」 「ソラ、大工が建てしなに逆木をつかいよったんや」 「フム何を言うてもこたえん人やなー、すると、何処で撞出す鐘か、陰に籠ってボオーンと鳴る」 「当り前やがな、鐘やよってボオーンと鳴るのや、太鼓ならドンと鳴る、別に不思議はないがな」 「アアさよか……スルト縁側をば、濡草鞋を履いて歩くように、ジタ、ジタ、と音がする」 「ソラ、ど狸や、ショムナイ、“ほててんご”をしやがる、フム捕えて、狸汁にして喰て仕舞え」 「狸汁……スルト縁側の雨戸が勝手にスウスウッと開きます」 「そりゃ便利が宜い」 「ヘエー」 「ヘエーッて、そうやがな、よう考えてみい、俺のような無性者が、夜中に小便に行くのに、戸を開ける世話がいらん、勝手に戸を開けて呉れるこんな好い事はない」 「スルトなア、血腥《ちなまぐ》さい風がフウッと吹込んで来るのや」 「ハハア何処ぞ近所に魚屋でもあるのやろ、兎角魚屋の近所はイヤな臭いがするものやが、そんな事ぐらい別に差支えはないがな」 「ソウスルと、陰火がボウット見えるのや、スルトこのくらいの火の玉がコロコロコロと転《ごろ》こんで来るのんや」 「フム、幾つほど」 「幾つほど……、そりゃ一つやがな」 「一ツやて、そりゃ淋しい、せめて三つぐらい欲しいな」 「ヘヘッ、三ツあったら何うしなはる」 「一ツはランプのかわりに天井へ吊って置く、一ツは火鉢へ入れて鉄瓶をのせて置くと、何時も湯が沸いてるやろ、一ツは炬燵《こたつ》へ入れる」 「マルデ炭団やがな、そんな事を言うてなはるが、その火の玉が、ボンと割れるとなア」 「フムー」 「その中から、片ッ方の目が脹塞《はれふさ》がって、片ッ方の目が吊り上って、目や口からドロドロと血を流した、瘠衰《やせおと》ろえた奴がニュット」 「妙な顔をするなえ、それはなんや」 「何んやて、これを見て分りまへんか、幽霊が出るのだす」 「何じゃて、幽霊が出る、俺幽霊好きや、その幽霊は、男か女か」 「サア、それが男なら凄《すご》うはないのやが、女子《おなこ》の幽霊やよって、なお凄いのや」 「ハハア、女子の幽霊か、そりゃ結構やな、実は俺、“やもめ”や、女の幽霊なら、丁度好い、幽霊前が好かったら、妹にする」 「エエ、妹にするて、幽霊を……」 「ソウや、幽霊の附け物、気に入った、今日から借るよって、家主にソウ言うといて、家賃を滞こうらんように、何んやったら、先家賃にしてもらうように、もし一遍でも滞うったら、俺は気が短かいよって、直ぐに石油をかけて火を点けるで、何分頼むで、さよなら」 「コレ、オイ、チョット待ちんか、サアえらい奴が来やがった、あの口振りでは、今日から宿替えして来るで」 「源さん」 「よう喜イやんか、マア這入り」 「何うや、また何んぞ忘れて行たか」 「欲張ってるなア、却々お前、忘れて行くどころか、えらい事やがなア」 「どうした」 「どうの、こうのというて、何しろえらい奴が来よったで、何を言うても、こたえんのじゃ、それで到当仕舞には幽霊をば、嬶にするというやないか、どうも私《わい》も困ったで」 「ヘエーッ、そしてそれが何うなったんや」 「何うなったんやて直ぐに宿替えして来ると言うて帰ったよって、今日にも宿替えして来よる」 「そんなら何うなるのや」 「何うなるて、去《い》にしなに、えらい事を吐かしてたで、家賃を先家賃にしてもろて呉れ、一つでも、若し家賃が滞うッたら、家へ石油をかけて火を点けると言うたが、アリャ、やりかねん、あの男は」 「ヘエー、そうすると源さん、何《ど》ないにするのや」 「何ないて、俺やとて悪気で、した事やなし、長屋のためを、思うてしたのやよって、仕方がない、長家中で集めて、彼奴の家賃を遣ろうじゃないか」 「源さん、お前の考え、あんまり宜うないで、彼奴の家賃は長屋中から出すとしても、家が塞さがったら家主へも家賃を持って行かんならん、これは何うするのや」 「仕方がない、皆から出してもらう」 「源さん、私《わい》、いややで、我が家の家賃さえ心配をしているのに、他処《よそ》の分《ぶん》まで、おまけに二ツも、よう出さん、勘忍してんか」 「まあ、仕方がない、こうしよう、彼奴やもめと言うてよったさかいに、宿替えをして来たら、長屋から、替り替りに、おかずをば、辛う煮《た》いて遣るのや、やもめが、お菜をもろうたら、嬉しいので、無暗に食いよると、のどが乾く、そうすると湯水を飲む日暮れから、子供のある家は、子供をギャアギャアと、泣かすのや、手の空いた家は、鐘を、チンチンチンとならす、念仏をあげをなんや陰気な晩やなアと思う、ひる湯水を飲んでいる、こんな時は、かならず、便所《ちょうず》へ行きとなる、気持が悪いと思いながら、便所へ行く、長家の便所が三ツある、両方の便所の戸を、釘で打って、開かんようにして置くのや、戸を開けよとするが開かん、誰ぞ這入っているのかと思い、片方へ来る、これも開かんで、まん中へ這入ると、徳さんの毛だらけの手で彼奴の尻を、なぜて見イ、たいがい吃驚《びっくり》して、逃げ出すで」 「オイ、ウダウダ言いないなア」  長屋は、ゴテゴテ言うております。スルト右の男、俥に荷物を積込んで、宿替えをして来ましたが、猫の子一疋出ません。 「化物も俺の勢いに、おそれて、よう出んわい、ええそんな化物の出る筈がない」  ものの五六日も経ちました。或日の事で日が暮れて、仕事から帰って来たが、まだチト早い。ランプの火をつけて、七輪《かんてき》へ火を起こして、鉄瓶を掛けて、上り口へ出して置いて、手拭を提げて風呂へ行きました。表の戸が五六寸開いております。この留守中にやって来ましたのが、右の男の友達二人連れ、片手に一升徳利を提げて、 「オイ早うおいで、弥太州、うまい事をやりよったなア、化物も何も出やへんねがな、長屋の賢こがりがあって、化物が出るとか、なんとか言うたのや」 「そうやてなあ、弥太州内に居るかしらん、この長屋と思うが……」 「そうや、ここらしい……、オイ弥太州……、オヤどうしやがったんやらウ、留守らしいぞ」 「構やへん這入れ……、ハテナ、風呂へでも行きよったらしい、オオオオ上り口へ火を起して、鉄《いこ》瓶を掛けたままで出て行きやがった、これやから、ヤモメに家を貸すのは家主がイヤがる、ガンガン火を起して……これが一ツパチッと飛んだら、たちまち火事やがな、オイお前その火を、半分ほど取って火鉢へ入れてんか、鉄瓶の湯がヨウ沸いているで、いずれ後から飲む酒や、こうして祝いに持って来た酒、弥太州が帰るまで退屈やで、二人で飲んで待ってやろう」 「ウン、好かろう、そうしよウ」 「早う燗をしてくれ……」  とそこは心安い友達同志の事やで、勝手に燗徳利を出して、銚子をつけて、持って来た酒を、チョビチョビ飲んでいたんですが、御承知の通り酒飲みというものは気の汚ないもので、一升の酒をば二人で飲んで仕舞うたが、酒が少し廻って来たので、 「ナア、八ちゃん」 「なんや」 「どうや、アノ弥太公、えらそうに化物が出んと、威張《いば》ってよるが、至ってコワガリや、モウ帰って来るやろうと思うが、一ツ化物を造《こし》らえて、吃驚さしてやろうか」 「ナニ、化物を造らえる、そら面白い、どんな事をするのや」 「オイ八チャン、そこらの棚に道具箱が有るやろ、中から金槌と釘と針金を出し、あったか、針金で、鉄瓶とカンテキを括りつけるのや、弥太公帰って来て鉄瓶をさげるとカンテキが、いっしょに上るので、ドキッとしよるに極まっている、それからランプを消して置くから、あかりを点《つ》ようと、マッチを探すに極まってる、その棚の隅にあるマッチを……そこのお櫃《ひつ》から飯粒を出して、その棚へヒッツけて仕舞うね彼奴がマッチを取ろうと思うて、其所へ手をやる、燐寸が密着《ひっつ》いているわ、またビックリする、それから飯粒を、畳の上へ撒いて置く、くらがりで、畳の上を歩くと、足の裏を畳へ吸付けられるような気持がして、震い上って仕舞いよる」 「なるほど」 「そこでや、その紐《ひも》をこっちへ持って来い、このお膳の足へ括りて置いて、上へ茶碗や皿をのせて置く、紐の端しを押入の中へ引っ張り込むのや、そして俺とお前が、押入へ這入るのや、その時仏壇の鉦をばお前が持って、俺が好い時分に、エヘンと知らすと、お前がその時、その鉦をばチンチンチンと鳴らす、唸りが足らんと口でモンモンモンと云うのや、そうすると、彼奴、ビックリする、そこで、この紐をばグウッーと引張ると、お膳が、ひっくり返る、ガチッガチッガチッ、彼奴が表へとび出して行くに極《きま》っている」 「成程、こりゃ面白いなア」 「待て待て、モウ一ツ化物があるのや、庭の真ん中へ、天窓の紐が下っている、今空になった一升徳利を此方《こっち》へ藉《か》し、この紐へくくり付けて置く」 「なににするのや」 「これをばこうやって置くと、彼奴が逃げる時に、この徳利でコツンと頭を打つ、それをば、闇《くら》がりやから、化物が堅い冷たい手で頭を殴ったと思う」 「そりゃ、あかん。這入りしなに徳利で頭を打って仕舞うやろ」 「イヤところが、這入りしなは打たんというのは、闇がりへ這入る時は、誰でも、俯《うつ》むいて這入るのや、逃げしなは夢中やよってに、真っ直ぐに走って出る、ゴツンと行くに極っている」 「シカシ、デボチンを打てばよいが、もし鼻の上を打ったら死んで仕舞うで」 「それも左様やなア、お前と弥太州と、着物の丈けは一緒やなア、チョット、其処に立っていてや、エイカ、それ、(ゴツン)」 「アアイタ……何をするね米やん」 「これなら大丈夫や」 「無茶しいないな、人の頭で寸法計ってからに、ソレこないに、ふくれた」 「アア、勘忍して、もう帰ってくる時分や」 「押入へ這入ろうか」 「よかろう、そしたら俺が紐の端しを持って這入るさかい。お前その仏檀の鉦を持って這入り……火を消すぞ宜いか」 というので、両人がチャンと趣向をいたしまして、押入へ這入って待っている。所へ来ましたのは、やっぱり弥太はんの友達で、到って怖がり。 「ヨイショコショ……ここの裏ハ嫌いや、化物が出るというよってに、弥太はん居なアるか、弥太はん留守かいな、弥太はん、戸が開いたあるのに、えらい暗いなア、弥太はん弥太はん、かんてきに火が起っているのに、湯が沸いている、アア重たい、かんてきと一緒に揚ってくる、アア恐い、弥太はん……、火を点すのにマッチが棚にある、コオット、この棚の隅に毎時もあげてある、有った有った、オヤオヤオヤ、ひっついて取れへん、おかしい具合やなア、お仏壇にマッチが有るやろう、アア、畳に足が吸い着く、アアこわ、弥太はん、弥太はん……」  恐がっている、押入の中で、ふたりハ可笑しゅうてたまらん、エヘンと合図をすると、こちらの八チャンが、待ってましたと、チーン、モンモン、ここじゃと紐を引っ張りましたから、お膳が、がらがらがちゃーン。ヒャア、吃驚して、あわてて表へとび出すと、徳利で頭を、ゴツン、アレイと後へ寄ると、撥みで、徳利が、ゴツンー、二ッ頭をいかれた。外へ飛んで出ると、露路の真ん中へ、腰を抜かして、平太張ってしもうた。処へ、帰って来たのが、弥太はんの親方脳天の熊五郎と弥太はんと二人連れで、ろうじの中程まで来ると、人が、倒《へた》っている。 「誰れや」 「アア、弥太はんか」 「万やん何をしているね」 「弥太はん、出た出た出た」 「何が出たのや」 「化物が出た」 「そんな馬鹿な事があるもんか」 「そうかて出た、内らが真っ暗らがりで、カンテキと鉄瓶が密着いている、マッチが取れん、足が畳に吸い付くと、チンモンモンモン、がらがっちゃー、冷めたい堅い手で頭を二ツゴツンゴツン、出た出た出た……」 「そんなことがあるかえ、行け」 「マア、弥太はんからお這入り」 「這|奴《こいつ》恐わがりやなア、アレ、出るときに、ランプに火を点して出たのに消えたアる」 「消えたあるやろがな……」 「湯が沸いている、アレ、カンテキが付いてあがる」 「マッチが棚に密着いているで」 「ホンに、取れんなア」 「何を云うている。俺が火を点けてやる、オイ弥太公、コレを見てみィ、鉄瓶とカンテキと針金で括ってあるのや」 「アア、化物がしよったんだすか」 「何を云うてるのや、棚のマッチが飯粒で密着けてあるのや」 「畳へ足が吸付きます」 「飯粒が撒いてある、膳やら茶碗や鉢が引っ繰り返してある」 「化物という者ハショムない洒落をしよるもんやなア」 「マダあんな事をいうてよる」 「ケドモ、出しなに冷たい堅い手で頭を二ツ殴りましたで」 「馬鹿やなア、これ見てみい、徳利が吊ってあるがな、危ない事をしたものやなア、チョット待て、えらい鼾が聞こえるで、ハテ、誰ぞ居るな、よし俺が探してやる、待てよ」  熊五郎が上って行きますと、押入の中の奴、先刻飲んだ一升の酒の酔が廻って来た処から、好い具合に、寝て仕舞うたのだす。それを聞付て熊五郎がソッと押入の襖を開けると、右の始末。 「オイオイ、弥太公、心配するな、化物の性体が分った、化物は汝《おまい》の友達やで」 「ウダウダいいなはんな、私化物に友達なんぞおますかいな」 「マアマア上って来い、コレを見てみい、汝の友達やろがな」 「わての友達に化物がおますかいなア、アア八公と米公や、恁《こ》んな事をさらして、俺をビックリさしやがって、糞ッ垂レ奴が……、其所退いとくなはれ、殴ってやるのや」 「コレ待ち、そりゃ不可ん、殴ってどうするのや、此奴等二人は洒落にしたのに、怒る奴があるか、向うが洒落なら、此方も洒落で仕返しをしてやれ、その方が好え」 「そんなら、洒落で仕返しというと何うしますのんや」 「それは、此奴等二人が寝ているよってに、其間に馬の糞を拾うて来て、そうして此奴等を呼び起すと、酔うた後で寝呆けて起きよる、そこで馬の糞を突出し、オイあんな無茶しいなや、サアぼた餅や、これ喰い、あいつのロへ、馬の糞を捻じ込んでやるのんや」 「成る程、コレハ面白いなア、そんなら馬の糞を拾いに行きまひょ、あんたも一緒に釆とくなはれ」 「ヨシ俺も一緒に行てやる、サア来い」  熊五郎と弥太はんと万さんと、三人連れで馬の糞を拾いに出掛けました。スルと押入の中にいた、米やんの方が、目を覚して居たので 「オイ、八やん、起きんか」 「アアアアアア……チンモンモンモン」 「阿呆やなア、寝呆けてチンモンモンやってる、オイ、確かりせい」 「エイ何んや」 「何んやヤない、お前がグウグウ鼾をかいているよってに、とうどう悟られたがな」 「エーどうしたのや」 「どうしたというて、脳天の熊五郎と、弥太公と一緒に帰って来よったのや、今三人連れで、馬の糞を拾いに行たで」 「馬の糞を拾うて来てどうするのやろウ」 「お前と俺に喰わすのやと」 「私し馬の糞はキライや」 「誰れかて虫がすかん」 「そんなら今のうちに逃げて帰ろうか」 「チョッと待ち、こいつ逃げて帰っては面白うないよってに、熊五郎も一緒に、もう一遍吃驚さしてやろうやないか」 「何んな事をするのや」 「サア、今考えているのや、まあ一服シイ、何んぞ無いか知らん」  と両人は押入の中から出て来て、火鉢の前へ座って考えていると、表へさして 「按摩ー、按腹ー、鍼の療治」ピーピーと笛を吹いてやって来た 「オイ、八ちゃん化物に、佳え物が来た、按摩の頑鉄あ奴を一ツ化物のネタに使うてやろ、オーイ頑鉄、オイ頑鉄」 「ヘイ、お呼びになりましたか……アア弥太はんトコだすか、お声が違いますなア」 「弥太州は今留守やが、マアこっちへ這入り」 「ヘエ、大きに、アア、八ッさんに、米はんだすな、ハイ今晩は、按摩をしますのか」 「イヤ按摩やないた、実はなア、お前の身体を三十分間ほど借りたいねが、お前仕事をしたら何んぼ程になる」 「マア三十銭だすなア、しかし私の身体を雇うて何しはりますのんや」 「ウムー実は化物をこしらへて弥太公をビックリさしてやるのや、恰度お前の頭が坊主で、目玉が飛んで出ている、お前を頭にして縁側の敷居を枕に寝て貰うのや、その次へ八チゃんが寝る、足の方へ私が寝る、三人がズウッと寝るのや、それで継ぎ目に蒲団を着せて置くのや、そうすると、弥太公が帰ると、闇《やみ》がりになっているから、手探りで上へ上がろうとすると、上り口の所に俺の足がある、そこから順々に探って行く、取合には蒲団がのせてあって、解らんやろオ、仕舞に縁側まで行くと、お前の頭や、撫ぜて見ると坊主頭や、高入道やと思うて、ビックリする、そこでお前えが目をむいて、弥太はんカモウカというと、腰を抜かしよるやろう」 「イヤこれは面白い私しも、こんな事をするのは大好きでやす、一ツ遣りまヒョウ」 「頑鉄お前やって呉れるか、オイ、八やんお前三十銭無いか」 「私し無い」 「そんなら其所の火鉢の引出しを明けてみ、銭が這入ってないか」 「アア、五十銭あった」 「そんならそれを此方《こっち》へ藉《か》し、おい頑鉄三十銭渡すで、残りの二十銭は二人で別けとこ」  とこの按摩も呑気な男で、これから頑鉄を縁側の敷居を枕に寝さして、その次に八やん、それから米やんが、継ぎ目に蒲団着せて、ランプの火を消して待っている。そんなことは知らずに、熊五郎と弥太はんと万やん三人が、馬の糞を拾うて帰って来ました。 「弥太はん、こん度は私が先に這入る、モウ大丈夫や、私の頭をばドツキやがって、こんな大きな瘤が出来た、口へ馬の糞を捻じ込んでやるのや、アアまた火が消えてある、上り口に誰や、寝ているで」 「酒に酔うてランプでも引っくり返しょったのやないか、構へんよってに、口の中へ馬の糞を捻じ込んでやれ」 「ヨシ頭はどこや……、オヤオヤ、途方もない脊の高い奴やなア、頭が縁側まである、頭が坊主で、コリャ、高入道や……」 「コラ、そんな馬鹿な事があるもんか、ハハンまた何んぞ造らえよったのやな」 「コレ弥太公火を点して見い」  マッチを出して火を点し始めたから、上り口に寝て居た二人は、化物のネタが知れるから、そッと逃げ出しましたが、頑鉄は敷居を枕にして、グウグウ寝て仕舞うた。 「サア火が点《とも》ったよってに、充分《あんじょう》見てみい」 「アア親方、化物は二人やと思うていたら、按摩の頑鉄も、交っているのやな……グウグウ寝てよる、コラ頑鉄、ヤイ頑鉄」 「アアかもうか……」 「そら何をしやがるのや」 「コレハ、親方と弥太はんだすか」 「弥太はんやない、何うさらしたのや、これは」 「ヘイ、今なア、表まで私が流して来ましたら、お友達の八ッさんと米はんが居はりまして、化物を造らえるのやよりてに、お前三十分程、ここで寝ててくれ、三十銭遣ると云いはりましたので、私し三十銭で雇われましたのだす」 「アア、三十銭出して、こんな奴を雇うてよるね、併し、彼奴等ふたり、よう三十銭持ってよったなア」 「何や知りまへんが、火鉢の引出しに五十銭あったので、私に三十銭呉れはりました、残りは二人で分けてはりましたで」 「アー無茶しよるナ、頑鉄われも馬鹿やなア、よう物を考えてみい、火を点けたよってに好いけども、闇《くら》がりで高入道と間違うて割木で、われの頭でも殴られてみい、死んで仕舞わんならん、生命がけの仕事をば、僅か三十銭ぐらいで雇われるとは、きさまは余っ程腰のない奴やなア」 「チョット待っとくなはれ、アア、腰は先刻《さっき》に抜けたようでござります」 話中に出る方言の注解 家守(差配人)家主の代理で貸家の差配をする 走り元(流し元) おいえ(畳の上) ヤヤコシイ(疑《まぎ》らわしい) あんじょう(具合よく) 建しな(建てる際) ショムナイ(つまらない)「仕様も無い」の転化 庭(土間、叩き)普通の庭を関西では“せんざい”という デボチン(額い) 腰が無い(性根がない) この噺の主なる口演者   故   桂  枝雀(入江清書)   故   桂  万光(伊豆徳松)   四代目 笑福亭松鶴(森村米吉)   故   笑福亭松光(梶木市松)   故   林家 正楽(織田治太郎)