大丸騒動 五代目笑福亭松鶴  一席伺いますは、これは伏見大丸屋騒動という噺でございます。芝居で致します吉原百人斬佐野治郎左エ門妖刀の崇りという、町人が持つと大勢の人をば殺害する様な事に相成ります。茲《ここ》に、伏見の京町に大丸屋という大家がございまして、両人《ふたり》の子息さんがございます。兄さんが惣兵衛、弟さんが惣三郎さんと申します。この惣三郎が村正の刀を二百両の質物《かた》に取ってございまして、これが流れ込みました。惣三郎平常に何所へ行くにも、この刀を肌身放さず持っていました。この惣三郎京都祇園新地へ繁々通うていましたが、其頃富永町の三舛屋の抱妓でお時という芸妓がございました、このお時と惣三郎は深い交情《なか》になって、終にはこのお時を落籍《ひか》せまして、富永町に囲者にして置ましたが、惣三郎の心算でゆくゆくは、宅へ入れて女房にしようというのですが、大丸屋では由緒正しき家柄ゆえなんぼなんでも泥水稼業をしていた女《おなご》を宅《うち》へ入れるという訳にはいかんというので、種々すかしてみましたが本人はなかなか聞入れませんので、止むなく女の身許を調べて見ますと、素より卑《いや》しき者でなく、世の変遷の為に芸妓に成って稼いでおりますので、このお時は至って親孝行で行儀作法も正しく極|温柔《おとなしい》女だという事ですから、大丸屋の方でも、そんな女なら機会《おり》を見て宅へ入れようという事になりました。それとは知らぬ惣三郎は我が思いの叶わぬという処から、自暴を起して狂気同様の挙動《ふるまい》を致します。それが為に、先ず当分《しばらく》は三条の木屋町をば上《あが》りました処の川添いの小じんまりとした座敷借を致しまして、番頭の忠八を附添えて出養生を致しております。時候は七月の事でございました。惣三郎は椽側の葦簀を開けひろげ、東山をば眺めておりました。処へ番頭の忠八が山海の珍味をば広蓋《わきどり》にのせて、 「若旦那定めし今日は御退屈でございましょう、サア一ツ召飲りなされませ」 「オオ、忠八か気がつかれたな、一ツ注いでお呉れ」 「ヘエ、お酌致しましょ」 「アアチョッ(呑ム)サア一ツいこう」 「ヤア、これは何うも恐れ入ります、オットットト、ちりますちります」 「時に番頭|私《わたし》お前に何時《いつ》ぞは聞《きこ》うと思うていたが、彼の方向《むこう》に見える寺は何という寺や」 (此時隣で三味を弾く京の四季春は花……) 「ヘエ、あの寺でござりますか、あれは檀野の法蓮寺と申しまして、面に掛ってあります額は有名な額でござります、あれは有栖川親王様御真筆でござります、此方《こちら》にありまするのは、竜燈の松と申してこれは往昔安永の頃、鴨川大洪水の砌加茂の明神様がこれへ流れて参りまして、京都洛中洛外までも大いに立騒ぎました、其際竜神この松に現われ出て燈火を点じ、京都洛中の人をば、この燈火の為に扶けたという事で、現今に於ても晦日の夜には、あの松樹に燈火を点じます、これが所謂竜燈|怪訝《けぶ》の松、此方の松はあれが星野勘左エ門逸れ矢の松と申します、昔あの処をお縄手というて皆土手でございました、只今では人家になっていますが、ここで和田雷八と星野勘左エ門の両人弓術の競いをいたし、勘左衛門の逸矢があの松の樹に刺さって、近頃まであったと申します」 「フム、向うの方に白い壁が見えるのは何んや」 「あれは大日山であの下に、弓屋に弦屋という二軒の茶屋がござります、松茸狩りには皆この処へ出かけまする」 「この通りに見えるのは」 「あれは永観堂黒谷真如堂、これには熊谷蓮正坊と、敦盛公の墓がござります」 「向うの方に禿た山は何と云うのや」 「あれは吉田山、下にあるのが聖護院の宮」 「その最《も》一ツ向うの高い山は」 「あれは大文字山……ヘエあれは上加茂、下加茂」 「その北手は」 「そないにお尋ねなさると私が、のぞき屋の口上言いみたようでござります」 「しかし忠八、隣り座敷はしんねこで宜い声やなア、あの歌は京の四季、私しあの唄好きや、お時が舞妓《まいこ》の時代に舞うたがよかったで、あら何処の芸妓《げいこ》やろうなア」 「サア先斗町だすやろか、サモなければ、向い側(鴨川東)の芸妓はんだっしゃろオ」 「あれを、さかなに一ぱい注いで呉れ……これ何で顔をシカメているのや、エエどこぞ悪いか」 「イエどこも悪い事はござりませんが、“ちょうず”がしたいのでござります」 「これは恐れ入った……マアしておいで、そないに、こらえて居るのは、却って毒や」 「それでは、チョットやっていただきます」  番頭さんは用をたしに参りました。惣三郎は隣りの三味線の音を聞くにつけ、フト、お時さんの処へ行きたいなア、と思いましたる処から、床に置いてある、村正の刀を、腰に帯び表へ出ようと致しましたが、気もそわそわ致しておりますので、履物に、けつまづき、ガタリッ、という音に忠八が飛び出して来ました。 「オヤ、若旦那、あなたは何処へお出でなされます」 「チョットその辺まで」 「チョットその辺までや、ござりまへん、行くなら行くと私しに、一遍こたえてお出で遊ばせ、イッタイどこへお出でなさるね、さだめしお時さんとこへお出でなさる御了見でござりましょう」 「成程番頭、私しがだまって出ようとしたのが、おおきに悪るかった、実は、このあいだから、一遍お時の顔が見たいと思うている処へ、今隣りのあの三味線を聞いたとこから、急にお時の顔が見とうなった、どうぞ暫くの間、遣ってお呉れ、私しは直ぐに帰るから」 「それはいきまへん」 「なんでやエ」 「なんでと仰っしゃっても、マア、あんた能う物を考えて御覧遊ばせ、お時さんをば、伏見のお宅へお入れ申すにも出ていなさったお方の事ゆえ、今暫くお時さんなり、あなたの事をば、見抜いた上で、これならばと目途がついたら、伏見のお宅へさしてからに、お時さんを納めようという事になっております、それに今あんたが、向うへお出で遊ばしては、それはお為になりませぬ、今暫くの処は、あなたの御辛抱処でござりますからお宅は申すまでもなく、御親類でも、種々と御相談の上にて、私しをあなたのお側にこうやって、お付添い申しているので……というのも、あなたがお時さんの許へお出でなさらぬように、お宅さまなり、御親類からのお頼みです、それにお時さんの許へ遣ったと云うては、私しア、何うも伏見の旦那さんや、御親類さまに申訳が立ちません、それともお出でなさるようなら私しもお供いたして参りますが、若旦那、今日の処はどうぞおとどまり遊ばして」 「アア、番頭、おおきに私しが悪かった、かんにんしてお呉れ、ツイ何とも思わず、行きたいという気が出て、お前までいらぬ心配をかけた、モウ決して行きはせん」 「イヤ、それで私しも安心致しました、キット行ておくれなされますなや」 「アア行きません、大丈夫や」 「それでは、お座敷でごゆっくり……私はチョット御免こうむりまして」  と門戸のしまりをして、又もや用便に這入りました。若旦那惣三郎は、座敷へ帰って、ジイと座っておりましたが、もとより、魂はお時さんの許へさして、行とりますのんで、何う思い直してみても座敷に座っていられませぬ。またも村正をば腰に差し、此度は河原に飛び降りて三条の橋下をばかみの車道へ上り縄手を下りまして、富永町のお時の許へ出て参りました(三絃唄 萩桔梗、中に玉章忍ばせて、月は野の草の露合、君を松虫夜毎に未すだく、更行く空や雁の声、恋はこうしたものかいなア) 「お時うちかえ」 「オオ若旦那やおまへんか」 「お松、お時は居るか」 「ハイ、お宅でおます、御新造さん、若旦那がお出になりました」 「アラ、若旦那……あなたおひとりどすか」 「ハア、私ひとりや」 「御番頭さんを連れずに、今日は何しいにおいでやしたのえ」 「何しにお出やした……これはおかしいなア、暫くお前の顔を見ぬよってに、今日はお前の顔を見に来たのやがな」 「それは、よう来とくれやした……サアと、申しとおすが、御番頭さんと御一緒でおいでやしたのなら、よろしおすけども、あなた、ひとりでおいでやしたのでは、チョットでもここに、居ておもらい申すという訳にはいかんのえ、どうぞ妾が可愛いと思召すなら、お帰り遊ばせ」 「それは分っているけれども、チョット位居たかても構やしまい、一ぱい飲もう、何んなとありあわせで、お酒を燗けて」 「お酒はおへんのえ」 「何んでないのんや」 「何んでないと仰っしゃるけども、今は、あのお松と妾とふたりきり、妾はお酒を飲みまへんやろう、それゆえ常にお酒のあるはずは、おへんがな」 「そんなら何ぞ、すしなと取りにやってんか」 「あの子は、足を怪我していますよってに、使いにやるという訳にゆきませぬ」 「そんならお前行ておいで」 「いまから行たとこで、おすし屋はヤマ入れていますわ――」 「そんなら何ぞ甘い物、いしいし(牡丹餅)でも」 「今から行たところで、いしいしもヤマ入れています」 「そんならままでも食べよ」 「アノ、御飯も、ふたりきりのこと、暑いじぶんでおすゆえ、よぶんに炊いておへん、おひつは空どす」 「そんなら、仕様がない、お茶を汲んで、茶を」 「あなたお察しの通り、火鉢には火はおへんよって、お茶なんぞは、いれられしまへんえ」 「それでは、水なと汲んで、おいで」 「イーエ、モウ井戸に水もおへんえ」 「ババ、馬鹿にするな、これお時、ここは誰の宅や、イヤサア、ここは一体誰の宅や、お前のカラダをひかして、こうして置くのも、皆私しが、してやったのや」 「そんな事をあなた、仰っしゃらぬかて、よう知っていますのえ」 「そんなら、たまに私しが出て来たのに、何に一つ、私の云う事を聞かず、めしを喰うと云えば、めしはない、茶を汲め、茶はない、水はない、エエ、ナナ、何んという事を言うのじゃ」 「若旦那、妾の云う事をば、おわかりに、なりまへんのどすか、妾のような賤しい者でも、いま暫くうちの、様子を見た上で、伏見のお宅へさしてからに、御親類から、も、御相談の上で、入れてやろうという、お噂も聞いております、よって妾が、可愛いと、思召すなら、りてお、どうぞけふの処は、帰って、お呉れやすと、これ程までに、お願い申しておりますのにあなたはそれが、おわかりになりまへんのどすか」 「オリャ、わからんわい(怒る)ナアナア云うていりゃ、宜いかと思うて、生意気な事を、吐しやがるな……コレ私が腰に、差しているのア、何やと思うている」 「妾は婦の事ゆえ、何も存じまへんが、刀やと思うています」 「エエ、刀は誰でも知っているわい、これは、村正という銘刀や、汝、グズグズ吐すと、この刀で、貴さま、ブチ斬るぞ」 「これは、変った言葉を仰っしゃる、妾の身の上、あなたのお身の上をば、思うて妾が申す事をば、聞き入れなく、斬ると仰っしゃるなら、いかにも斬られましょう、サアお斬り遊ばせ、お斬り遊ばせ、あなたに、ひかされてからは、妾のからだで、妾のからだとは思うておりません、サア斬るなと、どうなと、遊ばせ、サア斬って、サア斬り遊ばせ、斬りて赤うなかったらおあしはいりまへん」 「人を馬鹿にするなえ、新田西瓜じゃあるまいし」 「サアお斬り遊ばせ」 「ヨシ、斬ってやる」  斬るつもりやない、おどすつもりで、鞘のままパシリっとなぐると、鞘が破れてからに、無残やお時の、肩先より、ザクーリ。「アレー」と云いざま、お時は其処へドサーリと倒れる。この物音に、下女のお松はびっくりしまして「アレ若旦那アブナイ、お待ち遊ばせ」と留るのを、又もや、一太刀、ザクーリ、斬り付けられて、ドーンとそれへ倒れました。 「それみい、云うことを聞かぬよってにや、こんな処へ寝んと、早う起きんか、コレお時、お松も、おんなじように、何してる、コレコレ」  じっと見ますと、鞘は破れて刀に血が着いていますゆへ、びっくりしました「シモター」顔は其蒼になって、刀を持ってふるえております、こちらは番頭忠八、便所より出て釆まして、座敷へ参ります。 「若旦那、ながい間、おまたせいたしまして、さだめし御退屈でござりましたろう、誠にすみまへん、若旦那……アレ、どこへお出になったのやろ」  床の間を見ますると、村正の銘刀がござりませぬから、サテは若旦那は河原伝いにお時さんの許へ行ったのであろうと、番頭気もソゾロに、富永町へさして走って参りました。おもてから、 「お時さん、モシお松どん……、うちらは真暗がりで、どうしたんやろ、門を開けはなして置いてからに、内は火も燈さず、お時さん、オイお松どん」 「番頭やないか」 「ヤアーあなたは若旦那……」 と云うなり、頭の上から、一太刀、頭は二つに割れて、ハジカミ、キャッ――、ドサリーッと」 「何しに来やがった、こいつも斬られに来やがった、馬鹿め」  惣三郎は、人三人殺したから、気はかみずって、頭の髪はザンバラ、そのまま血刀を提げて、表へ出て行きまする。通りかかった芸妓や、箱丁やは、これを見て、人殺しや……と云うこの声にお茶屋は、表をば一ツ時に皆閉めますやら、夜鳴きのうどんやは、荷をひっくり返すやら、箱丁は三味線箱を打ち捨て置いて逃げるやら、往来の人等は、四方八方に逃げまどう。惣三郎は、むやみに、あばれ廻って、お茶屋の行燈は、片端しから切落し、遂に祇園の石段の所を曲りますと、下河原に出ます。祇園の南門の鳥居際には、むかいあいにお茶屋がござります。これは祇園というふの二軒茶屋と申しまして、この東側は中村屋、庭さきでは沢山な切籠燈籠を吊り、山猫の芸妓が、百人ばかりも秋草の模様のついた揃えの着物に黒繻子の帯を立こに結び、銀の団扇を腰に差して、あたまは、いづれも島田に結うて、すすきのカンザシを差し、華美しきいでたちで、総踊りをいたしております。処へ惣三郎は、血刀提げて、フラフラと参りました(囃子唄♪伊勢のやうだの一ト踊り二見の浦に住みなれてヨイヨイヨイヨイヨイヤサ)惣三郎は舞妓の肩先より一太刀ザクリー舞妓はそれへ倒れました。 「なにしとおいるね、こんなとこへ、ねんね、したら、いかんえ」 (唄♪ながいもあればみじかいも、あるはお武家の腰のもの、ヨイヨイヨイヨイヤサ)またもや斬り付けました「アレエ」(唄♪梶原源太景季は、ほうらく頭巾に長羽織、ヨイヨイヨイヨイヤサ)「人殺し」  惣三郎は片っぱしから、斬り付けました。何かはもって、たまりましょう、見る見る内に傷を受けた者は四五十人、即死した者は数知れず。「イヤ人殺しや――」というので、上を下への大騒ぎ、御上様も近うござりますから、早速此由を届けましたので、お捕方役人衆が向いました。「御上意御上意」と皆各手に十手を振り上げて、立向いましたが、誰一人捕り押える者がござりませぬ。名にしおう村正という妖刀でござりますから、さわるや、さわらんに、傷を受ますので、誰しも命は惜しいから唯ワイワイワイワイ云うておりますばかり。処が惣三郎の実兄惣兵衛は、木屋町の宅に用向きがあって来てみますと、惣三郎も番頭の忠八も居りませぬから、これは全く富永町のお時の許へでも行たのやろうと、思いまして、お時の宅へ来て見ますと、お時を始め番頭下女、三人とも殺されていますから惣兵衛は大いに驚きました。近所は一軒も門戸の、開いている所はござりませぬから、尋ねようにも致し方なく、ブラリブラリと何処へ行くともなく、祇園の南門……、ここは妙なもので、兄弟の縁に引かされましてか、思わず中村屋の庭さきへ出て参りました、すると大勢の役人が取かこんでおります中央に、弟の惣三郎が、血刀を持って、仁王立ちになっております。 「イヤー其方は惣三郎ではないか、チエー情ない事をして呉れたなア」 「コリャコリャ、其方は何者じゃア」 「ヘイ私は身寄の者でござります、何とぞ、あれなる乱心者をば、私に、召捕せて下されようなら有難い仕合せでござります」 「イヤ、苦しゅうない、早く行って召捕れ」  自分が行ったら斬られるから、行く方が余程苦しい。恰度願うてもない事だというので「サア早く行って召捕れ許す……」惣兵衛はツカツカと行て惣三郎の後からグット羽がいせめに致しました。 「コリャ惣三郎、汝はマア情けない事をして呉れた、町人風情の持つべき物でないこの村正、斯様な物を所持するから、多くの人を殺害なし、京洛中を騒がした、不埒者奴」 「エエ、チョコザイナ事を云うな、エエ放せ、放さねば斬るぞ」  惣兵衛にむやみに斬り付けます。すると傍に見ていた役人衆 「何れも御同役、只今彼れなる者の言葉をお聞きなされたか、町人風情の、持つべき刀剣ではない、村正という銘作じゃと申すが、如何にも不思議な刀の斬れ味、斬られし者も許多あるが、先刻よりあれ程に彼の者に斬り付けると雖も、傷一ヶ所も付かず、血の出たる様子もなし、誠に不思議な奴ではござらぬか」 「如何にも不思議でござる、アア、コリャコリャ其方は全体、これなる者の身寄と申すが、何者である、先刻より幾度斬り付けると雖も、傷一ヶ所も付かぬと申すは実以て不思議な奴じゃの、其方は何者じゃ」 「ハイ、私は、斬っても切れぬ、伏見(不死身)の兄でござります」  おなご(女) おんな子よりの転訛。  木屋町を上る(北へ入る) 往昔の御所が北に当るを以て京都人は北を上と云い南を下と謂う。  出養生 当時交通も不便であり且又市中にも極静かな所が沢山あったので遠地へ療養に行く者は少なかった。  げえこ(芸妓) 当時関西方面に“げいぎ”という言葉なし。“げえこ”という者と“げいしゃ”という者あり。此区別一言には尽し難けれど一般堅気の商人及び女達はこれを“げえこ”又は“げえこはん”と呼び、職人及び、武士階級はこれを“げいしゃ”と呼びしと思えば大過なし。“げえこ”は“げいしゃ”に稍敬意を含ませたる言葉なり。  ちょうず(手水) 用便の事なり。便所を手水場と云いしより来りし言葉。ちょうず(大)シシ(小)と遣い分く。  ハジカミ(芽生薑)  山猫の芸妓(東山ぢ町芸妓)東山《やま》の芸妓《ねこ》という意。  ねんね(眠る) この噺の主なる口演者  故曽呂利新左衛門(猪里重次郎) 故三代目桂文枝(橋本亀吉)  故桂 枝太郎(岩本宗太郎) 故桂 桃太郎(松下多三郎)  現 桂 三木助 前名手遊(松尾利雄)