野崎詣り(のざきまいり) 五代目笑福亭松鶴  大阪名物野崎詣りを、一席伺います。皆様方も御存じの、野崎の観音さんは、大阪より東にあたる河内の国野崎村、芝居でするお染久松を語る由緒の有る処。この観音さんは居眠りをしていて、三十三所の番外で御詠歌が  きくならん のざきのてらの そのむかし えぐちのきみの なのみのこれる  とあります。よく居眠る人は野崎の観音さんへ詣って来いと申します。毎年五月一日より一週間、無縁経《むえんぎょう》で、近郷近在から詣ります。その群集を当込みに慈眼寺の附近には、諸商人が露店を出しております。これは大阪のうまの合うた二人連れ、野崎の観音さんへ詣ろうと、八軒家から土手下を通り、京橋から片町を東へ徳庵堤へかかりますと、なんしろ春先のことで、その道中の賑やかなこと(ここ、おうぎちょうという唄で囃子がはいる)。 「オイ……兄貴ちょっと待ってんか、オイ兄貴、兄貴の金比羅大権現、兄貴のきんだま八畳敷」 「コレ早う歩きんかお前の足べたには困るナア、またなんや喰うているなア……」 「フム……土手下でみたらし買うて喰うているのんや」 「コレ若いもんがみたらし喰うたりしイないなア、何……甘いか、うまけりゃ、わたしにも一つおくれ」 「お前かて喰うやろう、ちょっと見て見イ、えろう仰山人が出ているなア」 「それは時候が好いのに今日は天気が好いから、沢山人が出るのや、サアこれからお前を、野崎の観音さんまで、歩かさずに連れて行くのや」 「エライ負うて行てくれるか」 「誰がお前の様な大きな男を負うかいな……」 「けれども歩かさんというたやないか」 「舟に乗せて連れて行くのや」 「舟は板一枚下が地獄やないか」 「その替り板一枚上は極楽やで」 「ここらに舟があるか」 「向うに沢山舟が着いてあるがな……」 「アレハ小便買舟やがな」 「そんなことをいうてやりなや、無縁経の間は綺麗に掃除して、毛氈の一枚も敷いてある。乗ってやり。オーイ船頭はんもう船は出るか」 「ハイお前方お二人乗って貰うたら、すぐに船を出しますせイ」 「すぐ船を出すと云うてはる、乗ってやり、船頭はんなんぼやえ」 「一人前五銭づつや」 「誰がごてつくね」 「ごてつくやない、五銭づつやというてます」 「一人前が五銭づつなら二人前が拾銭で、三人前が拾五銭四人前が二十銭やなア」 「ハイ何人乗りなさるね……」 「二人やがな」 「そないに仰山勘定をしなはんな」 「オイ船頭はんこれ五銭が二枚や、オイ取って」 「ヘエおーけに、もし大将この銭一枚、つるつるやな」 「ヘッヘッ……あんじょ見イ、それは宝丹の入物やがな」 「しょむないことをせずに替えとくなはれ」 「こっちへかし替えてやろ、サアこれを取り」 「すみまへんなア……なんやこれもつるつるやがな」 「アハッハ……ふところの中をくぐらしたのや、オイ船頭はんこの辺に近目の両替屋はないかいな、あったらこれ替えてんか」 「しょむないことをしなはんな……」 「やるぜ」 「ヘエ大きにおかたじけのう」 「オイ船頭早う船を出しんか」 「ヘエもう二三人ほどお客さんを乗せんと○(銭)の都合がおますので……」 「エイやないか船を出したらまたどうなと、皆に頼んで貰うてあげるがな」 「オイ猪えヨ―お客さんがまたどうなとしてやるとおっしゃるで、船を出そう、このぽっこを其所へ投込んでおいてくれ、帰りに寒いといかんから、出しますソオ……ウントア…そこのお客さん」 「イヤ私かな」 「まことにすみまへんが、チヨッとその艪《ろ》を張ってんかな」 「張っても構ワンか」 「ハイ一ツ艪《ろ》をボンと張っとくなはれ」 「ヨシャ、この人やな」ポカン……(頭を張る音) 「アア……痛……こら無茶をすない何しやがんね、人の頭を張って」 「イヨー俺知らんがな、船頭が供を張れと云うたので、あんたこの人の供やろ、そやよって一ツ張ったのやがな」 「無茶な人やなア」 「コレそんな無茶したら、どうもならん、お客さん勘忍しとくなはれや、イーエーナ違うがな、あんたの前の棒杭を持って、気張ってというのやがな」 「ソウならそう云うたら宜いのや、供を張れと云うから間違うのや、この棒杭を捕捉《とらまえ》えて気張るのやな……ヨシやこの棒杭やな、ウムートしょ、やっと……しょと……」 「お頼み申しますせ、ソレヨッート何で此様《こない》に船が動かんやろか、イーやヨッート……」 「オイ船頭はんもう放しても宜いか、手がぬける」 「ナンや船が動かんと思うたら其様処を持っているのかいなア、ソウやないその棒杭をポンと突いてお呉れと云うのやがな」 「そんならのっけ(初め)からそう云えば宜いのや、供張れとか棒杭持って気張れとか云うよってにややこしいのや、この棒杭を押したら宜いのやな、よしゃ押すで……ウームと、イヤア清やん勢おいというものは偉いもんやな、むかついててウーンと突いたら堤が跡へあんだけ寄った」 「阿呆やなア、船が出たのやがな」 「アアそうか、清やんえらいことをした」 「どうしたのや」 「忘れ物をした」 「お前の忘れには困るなア、このまえ中山詣りをした時に伊丹迄帰ってから、笠を忘れたというて後戻りをしたことがある、今なら船が出て間がないから、船頭に頼んで船をつけてもらい」 「イヤもうだんない」 「だんないというて帰りになったらないようになるで」 「構へん」 「構へんで何を忘れたのや」 「小便するのんを」 「ナンや吃驚《びっく》りしたがな阿呆やな―小便なら船から川の中へしたら、ええやないか」 「私は水を見ると病気が起るね」 「ソリゃ云うてやれん水見て起る癲癇《てんかん》か」 「イイヤあこわや」 「あこわてなんや」 「アア恐《こわ》アコハや」 「何を云うてるのんや、それならなんで竹の筒を持って乗らんのや」 「このまえ三十石に乗る時に竹の筒を持って乗ってえらいめに逢うた、皆小便が後戻りして隣りの人の弁当を濡して叱呵《しか》られたことがあるね、竹の筒を持って乗るのは懲りているね」 「お前のこっちゃよって、先へ穴を明けずやろう」 「先は如才なう焼火箸で、大きな穴を抜いておいたんや」 「ソレに何で後戻りしたのや」 「考えると真中の節が抜いてなかったのや」 「ソンな男や、そこにある握り飯を包んである、竹の皮で樋にしてしなはれ」 「かまへんか、するで……ジョンジョロリンジョンジョロリン……アア出る出る。お哀さんとこの灰汁桶《あくおけ》の口みたいに……すんだら竹の皮をほかそか」 「川で洗うて日向へ干しておき、乾いたらまた使えるがな」 「乾いたらまた握り飯を包むか」 「そんな汚ないことが出来るかいなア……」 「清やん堤の上を見てみ、仰山人が通る、アア賑やかなこっちゃオオチヨット、アレ……」 「コレ……チイト……だまっていられんかソウお前のようにやかましゅう喋べりなや」 「けども、だまっていられん、だまっていると口へ虫がわくのや」 「えらい難儀やなア、そんなんやったら、堤の上を通る人と、喧嘩をしんかいな」 「イヤあかん、船と陸と喧嘩をしたら、船の方が敗けや、堤から石を投げられても逃げることが出来んよってに敗けや」 「そんなことを云うさかいに、お前は阿呆や、日本の三名所三名物というて」 「三名所三名物てなんや」 「讃岐のさやばしの行違い、京の祇園のおけら詣り、大阪の野崎詣りの喧嘩というたら、口のけんかや、云い勝てたら運が強い、云い敗けたら運が弱い、運定めの喧嘩、向う行て互に顔を見合わして、さきほどは……イヨオ……で事がすむね、一つ運定めにやってみイ」 「そんなら一つやったろ、こおっと待てよ何奴にしたろしらんて」 「コレ何を見ているのや」 「なるだけ唇の厚そうな奴をよっているね、唇の薄い奴はよう喋るよってに」 「コレそんなもんを探すない、誰でも宜いがな」 「よしゃ、コラー堤の上を通っている奴」 「コレ阿呆かいなみな堤の上を通っているがナ、どいつならどいつと云わねば、判らんがな」 「コラー、どいつならどいつ」 「そうやない、私が宜い奴を教えてやろウ、向うを見てみ、女に傘をさしかけて行く奴があるやろオ、あいつに云うてやり」 「どないに云うねん」 「嬶《かかあ》みたいな顔して傘を着せてるけども、嬶やあるまい、何処ぞの稽古屋のお師匠はん、野崎詣りをかこつけに、引張り出して住の道あたりで酒しおでいためて、後の胴空《どうがら》をボンと蹴たおそと思うてけつかるが、祭りの太鼓で、ゾヨゾンじゃ、ペケレンスの阿呆よと云うたり」 「それは誰が云うねエ」 「おまえが云うのやないか」 「ソラとても、よう云うてやおまへんで」 「ナンやひとごとのように云うてるなア、そんなことで喧嘩が出来るか、私がついているよってに大丈夫や、云うてやり」 「そらあかんで、彼岸のお茶の子の口上さへ、一週間かかったんや、そんなんやったら、チヨッと紙へ書いてんか」 「どないするね」 「向うへ突出してお辞儀するわ」 「新まいの乞食やがな、それくらいのことが云えんか……わたしが傍で云うてやるさかいに、云うてみイ」 「そんならいててや、こーら女に傘をさしかけて行く奴」 「ハイ女に傘着せているのは、後にも先にもないが、わしかえ」 「ヘーエ、あんたはんだす」 「あんたはんだすというような、やさしいことを云わずとおのれじゃと云うたれ」 「そんなことを云うたら、向うが怒るがな」 「怒るさかいに喧嘩になるのや」 「そんなら、己れじゃぞウ」 「何ぞ用か」 「オイ早う後を云わんかい」 「コラー嬶見たいな顔をしているけれど、やなア」 「そうやそうや」 「おまはんの嬶やなかろう、やなア」 「そうやそうや」 「何処ぞの稽古屋のお師匠はんでも、やなア」 「一々俺に答えんと、向うへ云いんか」 「けども間違うたら、いかんさかいに尋ねてんねがな」 「尋ねいでも好いがな、早う云わんかい」 「マーその何じゃい、マア急くな……」 「誰も急いてエへんがな……」 「そうか……なア、今日の野崎詣りを、かこつけに、住の道辺りで酒しおでいためて、あとの胴空をボンと蹴たおそと思うてけつかるけれども、祭りの太鼓でゾヨゾンじゃア、ベケレンスの阿呆よ……よオ」 「おまいが阿呆やがな」 「イヤこの女ですか」 「そのお女中でやす……」 「阿呆……お女中てなこと云わずと、その雌やと云うたれ」 「コラその雌やぞう……」 「兎みたいに云いやがるね……これは稽古屋のお師匠はんでも何でもおまへん、私のれっきとした女房でやす……」 「ソレは仲の好いことで……」 「オイそんなことを云やたら喧嘩が敗けやがな、嬶なら嬶にしといてうるが、好いて好かれたという、仲じゃなかろうか、女の親に金の貸しがあって、金の抵当に連れて帰ったのやろう、その証拠にピンシャンピンシャンしている毎晩冷たい尻を抱かされているのやろオ、それくらい冷たい尻が抱きたければ横堀の奥美町へ行て、水壺を買うて来て抱いて寝よ、派手で立派で冷とうて好いわい、と云うてやり」 「だんだんむつかしくなるナア、ヤイコラ娘なら嬶にしておいてやるが」 「ヘエ、して貰わいでも、私の嬶じゃ」 「ソレはまあ、あんさんお仕合せな方で」 「何をお辞儀をしているね、敗けやがな」 「アソ何や好いて好かれたというような仲やない、親の内に貸が有って、金のかたに連れて帰ったんやろう、その証拠にピンシャンピンシャンしている、毎晩冷たい尻を抱かされてけつかるのやろ、それぐらい冷たい尻が抱きたければ、水壺の奥美町へ行て横堀を買うて来い」 「それはあっちゃこっちゃや」 「そのあッちゃこッちゃを台所へ据えて置け、派手で立派で冷たうて寒氷り寒氷り」 「イヤ大きに、私は其様な、不品行《ふしだら》なことはしません、これには、仲人、媒酌人があって、婚礼の晩には、私が黒に麻の上下、彼女《これ》が白無垢に綿帽子で、媒酌人が―高砂やと謡を謡うて貰うた嬶でやす」 「コレそこ退け喧嘩が敗けになる、コラ……うかめない、馬の糞を踏んでいるぞウ……」 「どこに……イ」 「ア………嘘じゃワイ、阿呆よ……これで此方が勝ったのや」 「馬の糞を踏んでると云うたら勝か」 「そうやない、馬の糞を踏んでると云うたら謡でどこにと探したから、それでこちらが勝になったのや」 「アアそうか、そんなら私も遣ったろ、後から行く奴、馬の糞を踏んでるぞ……」 「踏んだらどうした……」 「アア恐……恐い奴やなア」 「阿呆やなア、直に糞踏んでると云うても、誰がほんまにするもんかいなア、ジッと立っているがな、何とか云わんとこっちが敗けになるがな」 「どないに云うのや」 「何で糞を踏んだと尋ねて遣れ」 「コラ何で糞踏みやがった」 「他の糞なら踏まんが馬の糞やで承知で踏んだんじゃい、それがどうした」 「清やん馬の糞やで踏んだんやと、馬の糞を踏むとなんぞになるのやろかな」 「ソンナことをわたしに尋ねんと、彼奴に聞いたれ」 「馬の糞踏むとなんぞになるねやろかな」 「馬の糞踏むと丈が高うなるわい」 「清やん馬の糞を踏むと丈が高うなると、こんなこと心得ごとやなア」 「そんなこと感心すない、云うたれ、そないに丈が高うて、まだ高うなりたいか、入日の影法師、半鐘盗人、燈明台の油注し、独活《うど》の大木、ヒョロ長、ノッポー阿呆よ―云うたれ」 「云うたろ段々面白なってきた、コラそれぐらい丈が高うて、まだ高うなりたいか、入日の影法師、半鐘盗人、燈明台の油注し、独活の大木、ヒョロ長、ノッポー阿呆よ、よ……」 「お前の方が余程阿呆やがな、こんど宜い奴教へてやろう、アノ後から頭をガシガシ掻いてる奴がある、頭が痒いのやない、襦袢《じゅばん》の袖口が赤い、それが見せたいばっかりに、頭を掻いてよるね、云うたれ、頭をガシガシ掻くな頭が禿げるで、頭が痒いことない襦袢の袖口が見せたいのやろ、それくらい見たせい襦袢ならクルッとぬいで竹の先へくくりつけて、これは私の襦袢でござりますと、野崎の観音さんまで見せつけて歩けと云うたれ」 「よっしゃ、云うたろ、コラ頭ガシガシ掻いて行く奴……」 「イヨー俺かなア」 「頭ガシガシ掻くな、頭が禿げるで、赤い襦袢の袖が見せたいのやろ、それくらい見せたい襦袢ならクルッと脱いでしもうて、竹の先へくくりつけてこれは私の襦袢でござりますと、せいだいじはんして歩け」 「コレしょうむない二輪加《にわか》をしいないなア」 「イヨー船の中の大将、ある因果で着てますね、あんたもあるなら着ておいなはれ」 「ヘエーそらわたしおまへん」 「阿呆、あるちうたれ」 「あるぞう―」 「ありゃア何で着てこんね」 「あったけれども質に置いた」 「そんなことを云うたら敗けやがなア」 「質に置けへんぞう」 「質に置かんのなら着てこんかえ」 「今日来しなに、紙屑屋に売った」 「阿呆、よけいあかんがなア、喧嘩は敗けどうしや……」  ワアワア云うておりますところへやって来ましたほ稽古屋の連中、屋台船で三味線太鼓を入れて、その賑やかなこと、オイ(ここでふけ川という鳴物がはいる) 「イヨウ……えろうドンチャンドンチャンいわしてなはるな、このええ天気に障子を締切って、世間へ顔出しの出来ぬ奴ばっかりと、見えるなア、身代限りの寄合か蹙《いざり》の宴会か、それとも唐人の散財で、唐さわぎやろ……」 「モシこの好い天気に障子を締切てあるかさかいに、堤の上を通ってる奴が、冷かしてますがな、身代限りの寄合か、蹙《いざり》の宴会か、唐人の散財で唐さわぎや云うてますせエ」 「ホンにええことをいいよる」 「モシ感心をしているのやおまへんでエ、障子を開けなはれ」 (障子を開ける) 「イヤウー仰山乗ってけつかるなア、伝法の施餓鬼と間違うているのやろう」 「ヤイコラ……堤の上の飛脚詣り、尻からげして尻から風を引いて死にやがれエ」 「何を吐してけつかる蹙《いざり》め」 「コラ蹙《いざり》やないわい、ちゃんとこの通り足は揃うておる、その上おあしという物がたアンとあってそれを減らしたさに、こうして船で、花アので詣るのや、汝等《われら》みたいにブラブラ堤の上を歩かんと楽々と詣れ、コラ口惜《くや》しけりゃア此処へ出て来い、海老の頭で燗《かん》冷しを一盃飲ましてやろか」 「頬桁《ほおげた》の達者な餓鬼やなア、われが海老の頭で燗冷しを飲んでけつかるくせに」 「何を吐かしてけつかる阿呆ンだらめが、コラ見て見い、中には食い物で詰っているのや、憚《はばか》りながら酒は樽が二挺もあって、その上に肴がウンと揃うてある、造りに焼いた物に酢の物この通りや、見てびっくりしやがんな、目の正月をさしたるさかいに」 「何を吐かしやがるね、鯛の焼物なんて大き顔をするない、その鯛かて鎌倉山で三浦荒次郎やろう、芝居の船で片身片側やろう」 「ほんまに口の達者な餓鬼やなア、鎌倉山で三浦荒次郎、芝居の船で片身片側やて―ホンマに片身片側やがな、モシ雅墨さんあんただっしゃろう、これは看板やさかいに、住の道へ着くまでは手をつけたらいかんと、云うてあるのに、あんたが、ばりばり食うてしもうて、鯛の目玉食うて中へ紙をつッこんだりして、汚いがなすることが、両方あるように見せんと、この喧嘩は敗けや、サア退きなはれ、私が両方あるように見せてやる……コラ大きい鯛やろがな、片身片側やあらへんで、見てエよ、ソラこっちゃに身があるやろう、今ひっくり返すぞ……それどうじゃ、身があるやろう(同じ方ばっかり見せる)ソレーどうや」 「何を吐かしてけつかる阿呆ンだら、同じ方ばっかり見せてやがる、その鯛かて魚屋で腐ったん、貰うてきやがったんやろう」 「ナンジャテ、こんな鯛を腐ってると、コラ今朝魚喜ヨロシと持って来た、その鯛を一枚パリパリパリと鱗をはがして、塩をぱらぱらと振って、ツーッと焼いた、いきよいのええ鯛やで、ピンピン跳ね返っていたのじゃ」 「その鯛も魚屋に節季まで銭を持って貰うて節季にぽんとひくのやろう」 「何を吐かしてけつかるね汝と同じように思うてやがる、今朝ほど現金で払うたんじゃ」 「それは御きんとうさんです」 「阿呆よ……一寸見なはれ堤の上の奴お辞儀をしよった、お辞儀したさかいに船の方が勝ちや、今度は船の方が勝じゃ」 「阿呆やなアあんたは、そないに踊りなはんな、踊ったよってに折角勝ってるのにまた敗けやがなア」 「なんでやね」 「そやがな、あいつが云うてるがな、片仮名のトの字のチョボが踊ってるちゅうて笑うてるがな」 「片仮名のトの字のチョボてなんや」 「私が背が高いのに、あんたが背が低い、そやよってにあんたをトの字のチョボやと云うねん」 「オホホホホ……あたいその小さい云われたら、一番癪にさわるねん、わたいこれでもゆっくり六寸着るがな」 「六寸着たらそんなら一人前やがな、三尺六寸かいな」 「二尺六寸や……」 「やっぱり子供やがな、この人は……そう云うたんなアれ、あの堤の奴は余り小さい奴やない、至って大きい奴や、大きな者に様なもんあれへん、大男総身に智慧が廻り兼ね、大は小を兼ねるといえども箪笥長持は大きゅうても枕にゃならぬ、牛は大きいても鼠よう捕らんわいって、江戸の浅草の観音さんは、お身丈け一寸八分でも十八間四面の御堂へ這入ってござる、仁王さんは大きゅうても門番じゃい、山椒は小粒でもヒリリと辛いわい、ちゅうたれ」 「云うたろ……ヤイコラ堤の奴」 「イヨー舟の中の小さいのん、また出たなア、あんまり首を出して川の中へはまったら、こまんじゃこに咥《くわ》えて行かれるぞ」 「なんかしやがるね」 「小さいのん、物を云うのんなら、立って云うてくれ」 「イヤア……これで立ってるわい」 「いらんことを云いな、座ってると云いなはれ」 「コラ小さい小さいと餞別すない」 「餞別やない軽蔑やがな」 「そのべつじゃい」 「そないに、ずぼらな奴があるかいなア」 「ヤイコーラ座ってるのやぞ―ナア、小さい小さいと云うない、大きいものに剛《つよ》いもんがあるかい」 「イヤ妙ななにを聞くなア大きい者に剛い者は無いか、昔唐土に漢羽《かんう》に光明《こうめい》という人は八尺からあった、その漢羽や光明は阿呆かい」 「ソヤソヤせいだい唐の本を見て講釈しなはれ」 「コレ泣いてんと云うたれ、大男総身に智慧が廻り兼ねと云うたれ」 「コラ大男総身に智慧が廻り兼ねと云うわい、大は小を兼ぬといえど、箪笥長持は嫁入り道具じゃ」 「そら当りまえやがな、仕様がないなアこの男は枕にならぬや」 「枕にならぬわい、箸箱にかて」 「そんなよけいなこと云わいでもえい」 「牛は大けいてもモウーとなくわい」 「鼠を捕らぬや」 「そや鼠を捕らぬわい、馬かて象かて虎かて」 「何を云うてるのや」 「江戸のどさくさ」 「違う違うどさくさやない、浅草や」 「江戸の深草」 「深草やあらへん浅草や」 「深草なら少将[少々]の間違いや」 「そんな二輪加《にわか》していんと、浅草やちゅうのに」 「ほしたら江戸の浅草の観音さんは、お身丈け十八間四面でも、一寸八分のお堂へ……」 「そんな所へはいれるかいな、あべこべやがなア」 「これはアベコベや」 「何吐かすしっかり云え」 「仁王さんは大けいけれども、門番してるわい」 「そうそう」 「門番で喰えぬよって、草鞋作って売っているが、じぶんの足に合わすもんやさかいに、大けいて誰も買う人がない」 「そんな余計なことを云わいでもよい」 「コラ山椒はなア、山椒はヒリリと辛いわい」 「コラ教えて貰うたら、教えて貰うた通り云え、コラチンピラ、山椒はヒリリと辛いと吐かしてけつかる阿呆め……言い草一つよう云わんのやな、それも云おうなら、山椒は小粒でもヒリリと辛いと云うのじゃ、汝の云うたのは小粒が落ちているわい」  と云われてその辺を見廻して、 「ウム何処に……」 大阪より野崎への順路  野崎詣りの道筋、八軒家とは現今の天神橋南詰東をいう。土手下とは、天満橋の南詰東へ偕行社の下一帯を土手下、京阪電鉄架設にて取退きりになりしが、以前は飲食店が軒を並べ張ぼての蛸などが屋根に釣下げてあり、歯神様とて小さな社あり。線香の絶え間なく杉の箸を持って詣る。社の辺に箸を突指しあり。餅屋あり俗に土手下の焼餅という。京橋と備前島橋俗に御成橋という。両橋の間を片町、これを東に徳庵へ出で、住道を経て野崎村に至る。 上方はなし野崎詣り口演者  故桂梅丸  故二代目桂文三(俗に灯ちん屋の文三。後に天満亀の池林家の養子となる。林家木鶴という)  故月亭文都  故桂南光  故笑福亭松光 入目の松光(かんやん)  放桂枝雀  四代目笑福亭松鶴  桂小南(現在は東京の寄席出演)  故露の五郎(其他は略す)