天王寺詣り(てんのうじまいり) 五代目笑福亭松鶴  エエ、一席伺いますは、天王寺詣りの、お噺でござります。 「今日は」 「コレ喜さんえろうにこにこ笑うているが、どうしたんや」 「貴郎珍らしい物が好きだすが、珍らしい物見せまヒョか」 「珍らしい物てなんや」 「あんたひがんて、見た事おますか」 「ひがんてなんや」 「サア知りなはれしまへんやろがな、内へきてごらん、裏の小さい穴から、出たり這いったりしてまんね、丈けが五六寸で鼠のチョッと長いようなやつで、キチキチと鳴いて、いまんね」 「ナンや、お前が言うてるのほ、鼬《いたち》みたいなナア」 「ヘエ、ちょっとも違えしまへん、私いも鼬やとばっかり、思うてました、余り出たり這いったりするもんやさかいに、下駄で蹴ってやろと、蹴りかけたら、隣りの藤助はんが這入って来て、コレ何をするわ、ひがんやがなと、言いました、ひがんて鼬によう似てまっせ」 「それは何を言うのや、そら鼬が出たのやがな」 「ンンなら鼬が出たらひがんと言いますか」 「鼬が出たよって、ひがんと言うたのやない、彼岸中やから、これ何をするわ、ひがんやがなと、言うたのや」 「アアさよか、鼬が出たら彼岸なら、鼠が出たら中日だっか」 「ソラどうやしらん」 「ヤッパリ猫が出たら、けちにやんだすか、彼岸て何だす」 「天王寺で七日間、無縁の仏の供養をするのや」 「無縁の仏の供養をするというと」 「天王寺で、引導鐘を撞くと、それが十万億土へ聞えるというのや」 「ナンノカンノと、天王寺のやまこ坊主が」 「やまこ坊主とは、どうや」 「そうだんがな、私し所から天王寺へ、近いのに一寸も聞えまへんのに、十万億土へ迄、聞えそうな事がおますかいな」 「そんな、むちゃを言うもんやない、御出家は、十万億土の道を教えなはるのや」 「ソラあかん、私て此間、心斎橋筋を歩いていたら向うの方から来た坊んさんが、もうし八幡筋はどちらへ参りますと、聞いてました、八幡筋の、わからん坊んさんが、十万億土が、わかりそうな事が、おますかいな」 「コレそんな団子理屈を言うもんやない、御出家の極楽の道を教えなはるのや」 「そんなら、あても撞いて遣りたい者がおますね」 「お前の身寄りかなんぞで」 「イエ宅にいた男でやす」 「コレお前所にいた男なら、私は大抵知っているが、どんな男やええ」 「ヘエ色の黒い、目のちょっと釣った、ソレいつもお宅へ来て、可愛がってもらいましたがなア、ソレ買いたてのさかなを取ってから、憎たらしなったと言うて、あんた怒っていなはったやろがな」 「コレびっくりしたがな、犬かいな」 「サヨサヨ」 「男やというから私しは又、人間かと思うていたがな」 「アレ雄だす」 「なんぼ雄かて、アノ黒見ぬと思うたら、死んだのか」 「ヘエ表へ出るなよと言うてますのに、表へ出て横手の風呂屋の前まで行たら、向うの方から、長い棒を持った人が出て来て、いきなり鼻の上をば、ボン……と殴ったらクワーンと、言うたが、この世の別れアア……、無下性《むげっしょう》に、殴れんもんやなア、ボン……と、いたらクワン……、アア……、無下性に殴れんもんやなア……」 「コレお前泣いているな」 「ヘエこれから天王寺へ行て、鐘を撞いて遣ります」 「コレ犬の鐘を撞くとは、面白いな」 「ケドあれ犬どう鐘というて、有がたいかしらん」 「コレ啼いていて、洒落を言うやつがあるか、マアマア撞いて遣り、功徳になる」 「如何したら撞いて呉れますやろうか」 「アア銭の二十銭も包んで行たら、撞いてくださる」 「二十銭て僅かでやすな」 「ソヤ僅かや」 「チョト取替えて遣りなはったら、どうでやす」 「マダ誰ぞ、連があるのかえ」 「イイエ貴郎の前にいる、にこにこ笑うてる男に」 「ナンヤお前かいな」 「ヘエお前でやす」 「コレひと事の様に言うているな」 「ツイ吾事は、言いにくいので、一人仲人を頼んだのだす」 「そんな事しいないな、ややこしい、お前に一円三十銭、貸しがあったな」 「ヘエヘエ、あんなもの、だいじおまへん」 「それは、私しが言うのやがな、お前にもの言うたら損がいく、今他所へ持って行くので、包んだのが、此処にある、これ貸してあげる、併し白紙でも持って行けんで」 「何ぞ書きますのか」 「普通ならこれへ戒名を書いて持って行くのや」 「犬の戒名で、ワンワン信士と、どうでやす」 「ワンワン信士とは、おかしいな」 「それなら俗名は、どうでやす」 「俗名ならよかろう、俗名は何んとしとこ」 「俗名“くろ”とな」 「けったいな俗名やな、マアマア書いておいてあげよ、日は何日やえ」 「七月の二十四日でやす」 「オオオオよくせき、なんとか思えばこそや、犬の死んだ日を、覚えているだけ感心や、七月の二十四日俗名黒、もう無いかえ」 「なんぼ書いても、同値《おんなじ》でやすか」 「なんぼ書いても同じ事や」 「そんならついでに、お親父さんのも、書いて貰いまよか」 「コレちょっと待ちんか、どこぞの世界に、犬の序《つい》でに親の引導鐘を、撞くやつがあるかいな」 「ここらが、ハイカラだんな」 「何のハイカラな事があるものか、お親父さんの戒名は何と言うのや」 「ヘエ霊龕奇定信士《れいがんきていしんし》と言います」 「霊龕奇定信士、日は何日や」 「それ忘れました」 「お前は便りない男やな、犬の死んだ日を覚えていて、親の死んだ日を忘れるやつがあるか」 「ヘエ、ここらが現代で」 「何が現代な事があるものか、ちょっと待ちやお前のおとっさんの死んだ日は、エエ……こおつと、なんでも節句やったか、月見やったかと、違うか」 「ソウソウ、団子喰うた日だす」 「コレ喰物のほうで覚えている、八月の十五日霊龕奇定信士と、もう無いかえ」 「ソンナラ、もう一つ、俗名笑福亭松鶴と」 「コレ笑福亭松鶴てなんや」 「ヘエ背の高い口の大きな落語家だす」 「可愛想に、あの男死んだかえ」 「イエ未だ達者で働いています」 「コレ達者でいるのに、引導鐘を撞いてどうするね」 「私しまた、五代目松鶴がヒイキだすゆえ、撞いて遣ろと思うてます」 「それでは、松鶴が災難やがな、書いてしもうた物仕方がない」 「日は、何日にしておきまひょう」 「コレ未だ死んでえへんがな、サア詣っておいで」 「貴郎はどうだす」 「私しは間の日に詣るのはいやや、私の詣るのは中日や」 「中日といいますと」 「今日が三日目、翌日《あした》が中日や、翌日詣る」 「翌日詣るやなんて、気の長い、今夜にも死んでみなはれ、詣られまへんで」 「コレその様な、人の気の悪なる様な、ものの言いよをしいなや」 「ソウでやんがな、小野の小町は女でも、好い事を言いましたで、人間は風前の燈火でやすと、風前の燈火とは風の前の火でやすと、翌日をも知れぬ身の終りかなと、言いましたら、一休さんが小町は昔の人間で気が長い、風前の燈火なら、翌日をもどころやない、今をも知れぬ身の終りかなやと、また御開山が何とおっしゃった、翌日あると思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかや、ただ南無阿弥陀仏を」 「コレそんな所で法壇をしなや、人の気を心細うしよった、どうも仕方がない、牛に引かれて善光寺詣りや」 「犬に引かれて天王寺詣りでやす」 「コレ掛合で饒舌りな、コレおさよ、私の羽織を出してんか」 「私のんも出してんか」 「コレお前の羽織というてあれへんがな」 「貴郎のん借って行きますね」 「あんな男や、何なと羽織を貸してやりなされ、大きな方の銭入れ出してんか」 「お金を沢山《たん》と入れときなあれや」 「そんな事はっておき、早う外へ出なされ」 「用事のあるのに、引張り出して、気の毒におますな」 「出てから其様なべんちゃら言いなさんな、こんな雲った日に出ると、何とのう小忙敷《こぜわしい》てどもならん」 「モシ此所ら坊んさんが沢山と歩いてはりますな」 「早いもんで、ちゃんと下寺町や、急がしい下寺町の坊主持ちと、いうのは此所の事や」 「モシ向うから来る坊んさん、えらい好い風体をしてはりますな」 「ほんに好い風体をしていなさるな」 「好い坊んさんとみえますな」 「好い御出家やな」 「上坊主でやすな」 「コレ上坊主という事があるか」 「アレは二十坊主だっか」 「コレ何を言うているね」 「此所どこでやす」 「此所が逢阪合邦ヶ辻や、この高台の寺が一心寺、こちらに鳥居のあるのが、天神山安居の天神ソレ早いもので、これが天王寺石の鳥居や」 「マアマア」 「コレ大きな声やな」 「マア立派な鳥居でやすな」 「これを日本三鳥居と言うね」 「ヘエ日本三鳥居て何んでやす」 「大和吉野にあるのが、金の鳥居、芸州安芸の宮島にあるのが、楠の鳥居、天王寺石の鳥居と、これで日本三鳥居と言うね」 「ソンナラ皆、同類だすか」 「盗人みたいにいいなな、上を見てみ」 「エライ所へ塵取を、上げよったんやな」 「コレ塵取やない、あれは額や」 「ヘイヘイ百日|病《わずろ》うたら死ぬ病気で」 「それは核(癌)や、中に書いてある文字が読めるか」 「ヘエ何や知らんが、四字ずつ書いて、四四の十六字、書いてます」 「字数やない、何と書いてあるか判っているか」 「ソレは判って、ない……」 「ソレ、釈迦如来、転法輪所、当極楽道、東門中心じゃ」 「なんにも、わからん、猫のふんじゃ」 「コレ、いらん事言いな」 「誰人が書いたんでやす」 「弘法の、支へ書と言う」 「鰌《どじょう》汁の中にご這入ってあるのん」 「それは、ごんぼのささがきや、誠は、小野の道風の、自筆ともいう」 「古いもんだすな」 「道風を聞いて、古い時代が判るか」 「イエ縁が一ツ取れてます」 「取れてあるのやない、額というても箕《み》の形ちに仕て有るのや、不意死をした者は箕で身を救うて遣ろという、また鳥居の柱の根元に蛙が三ツ彫ってある、上が箕で下が蛙る、上から下へ見返るという」 「私しが此所で、ひっくりかえる」 「コレそんな所で、とんぶりがいりをしないな、頭から着物まで、砂だらけやがな」 「前方《まえかた》これを言うて、お菓子を売りに来ましたで、蛙が三つでみひょこひょこ、向うに鳩が飛んでますやろ、はとくうはとくう、建石に石燈籠」 「コレそんなあほらしい事、言いないな」 「ケド建石が立てます」 「ソレハ建石やない、ぽんぽん石や」 「ぽんぽん石てなんだす」 「あの石の真中に四角な穴がある、石を持ってたたくとぽんぽんと唐金のような音がする、其所へ耳をあてると、吾身寄の者が、来世で言うてる事が、聞こえるのや」 「死んだ者の言うてる事が、聞こえますか、これはおかしい、一ぺんやってみよ(石で叩く其所へ耳をあてる)コレハおかしい、フウン……なんのかんのと、ちょこざいな……」 「コレ何を言うてるのや」 「私の叔父さんは口が上手でやすさかいに、来世へ行ても、うまく閻《えん》ちゃんを取込よったんだすな」 「コレ閻《えん》ちゃんて何や」 「サア閻魔《えんま》というとにくたらしいので、閻《えん》ちゃんと言うてますね、資本金出さして手広う商売してます」 「そんな事が判ってるか」 「ソレ聞てみなはれ、言うてますがな、どうぞこちらへお掛けやす、景色の好い所が空いてます、おでんのあっあっ、何でも出来ます」 「コレそれは隣りの茶店やがな」 「アア左様か」 「あんな狼狽者《うろたえもん》や、こちらへお出、これが西の御茶所、納骨堂に太子念仏堂、引声堂短声堂、見真大師、お乳母さんというて、乳の出ぬ人は此所へ詣る、布袋さんが祭ってある、これが天王寺の西門や」 「さいもんてなんでやす」 「西の門を西門と言う」 「ソンナラ東の門は」 「東門やないか」 「南の門は」 「南門や」 「なんもんと言うたらさいもんや(何文やと言うたら三文や)」 「ソンナ余計な事をいいないな」 「アアこんな所に車が、附いたある、アノよう廻る、どなたも廻してごらんなはい、大当りはカステイラが三本」 「コレ、ハッタリ屋やないがな」 「コレなんでやす」 「これは輪宝と言う」 「アア小便の出にくい病気だすか」 「それは淋病や、輪宝……」 「りんぽうてなんでやす」 「天王寺の寺内は、天竺の形を取ったもの、手洗水がない水と言う字が崩して車にしてある、三度廻すと、手を洗うたも、同全や」 「これを三べん廻したら、手を洗うたも同全だすか、一ぺんやってみよ(車を三べん廻して手をかぐ)なんのかんのと、もさひきが」 「もさひきとはどうや」 「ツウでやすが、三べん廻したら手を洗うたも同全や、私さっき尻かいて、コレ何べん廻しても、かざがぐと臭い」 「コレ汚ない事をしないな罰が当るで、コチラへお出で」 「敷居の高い事」 「天竺の形を取って敷居が高くしてあるのや」 「私が家主さんへ行くように」 「家賃を払わぬから敷居が高いのや、コレが義経の鎧掛松や、コレが経堂、経文ばかりで詰まってあるのや、コレが金堂、この格子の内を覗いて見なはれ」 「何やチョン髷《まげ》に結うたお親父さんが上下着て座ってますな」 「アレが淡太郎の木像や」 「コレだすな万さんとこの子を取りよったのハ」 「ナニが」 「ガタロ(河童)の極道だすか」 「淡路屋太郎兵衛という、紙屑問屋の旦那や、天王寺が大火で焼けた時、五重の塔を一建立で、建立しなはった、その木像が残してあるのや」 「五重の塔てどこにおますね」 「前にあるやないか」 「マアマア」 「大きな声やな」 「なんでこれ五重の塔と言いますね」 「五ツ重なってあるから、五重の塔や」 「一イ二ウ三イ四オ、四ツしかおまへん」 「上にもう一ツあるがな」 「あの蓋とも五重だすか」 「重箱みたいにいいないな、コチラへお出で、コレが竜の井戸、天王寺の境内は池であった、竜が主、聖徳太子がこの井戸へ符じ込んで仕舞たので、竜の井という、これが廻廊や、南門仁王さんの立っているのは此所や、西に見えるが神子さん、南のお茶所、虎の門、お太子さん、前にあるのは夫婦竹、太子引導鐘猫の門、左甚五郎作で、大晦日の晩にはこの猫が泣くという、用明殿、指月庵、聖徳太子十六歳のお像、亀井水、経木流す所や、たらりやの橋、俗に巻物の橋、向うに見える小さいお堂が丑さんで、前にあるのが瓢たんの池東に見えるが東門、内らにあるが釘無堂、コチラが本坊、足形の石鏡の池に、伶人の舞の台や」 「れいじんの舞の台てなんだす」 「前方《まえかた》この台の上で舞をまいなはったのや」 「誰が舞うたのだす」 「大晦日の晩に、天王寺の楽人が、舞うたというね」 「ソラ大晦日の晩に舞をまうのは天王寺の、らくにんやな」 「らくにんやない楽人や」 「沢山見に来ましたやろ」 「四方の門を閉めて誰にも見せぬのや」 「何にもならん事をしたもんやな」 「ソヤから何にもならん事をすると、縁の下の舞とこれから言うたのや」 「なるほど、ほんまだすか」 「コレは嘘や」 「うそつきなさぬな」 「お前には少しは嘘をまぜんと便りない」 「天王寺の蓮池に亀が甲干す、はぜをたべる、引導鐘ごんと撞きや、ホホラノホイてなんだす」 「コレそんなけったいな、尋ねかたを、しないな、皆がお前の顔を見てるがな、ソレハ此所や」 「アア向うに亀がたんといてます、向処へ往きまひょうか」 「向うへ行かいでも、手を叩くと、皆亀がこちらへ来るがな」 「ソレ知らぬよって、一遍やってみよ(ポンポンポン)アア来る来る、手を叩くと来るとは、うまい事仕込みよったな、ココの亀以前仲居をしてたのかしらんて」 「コレ其様な阿呆な事があるかいな」 「アア踊ってる、後でステテコ踊ってや」 「踊ってるのやない、何ゾ貰えると思うて、上手しているのや」 「可愛いもんやな、そんな事を知っていたら、空豆なと買うて来てやるのに」 「コレお前に物云うてると腹がたつ、空豆の様な堅い物を囁むかいな」 「ソンなら嚼《か》まぬもんに、かめとなんで云うた」 「ソンな理屈をいいないな」 「亀、酒好きだんな、あて先度《せんど》、すっぽんの酒、亀に呑ました」 「コレお前は訳の分らん、物の云い方をするな、すっぽんの酒、亀に呑ましたてなんや」 「貴郎が、分らん人や、すっぽんという、酒を入れる物、その中の酒を亀に呑ましたのだす」 「ソンナラ、そういいな、すっぽん酒亀にと云うから、分らんのや」 「盃に酒をついで、亀の口の所へ持って行くと、亀こう短いおとがいを突出して、余程酩酊」 「ナンノ其様事《そんなこと》を云うかいな」 「少し盃に残して向うへ行きますので、オイそんな行儀の悪い酒を残して、皆呑んで仕舞いと脊《せ》からかけたら、そう進めて貰うても、こうの上は呑めまへん」 「コレそんな二輪加《にわか》をしないな」 「なんぞ遣る物が無いかいな」 「お前の前にはぜがある、それを遣り」 「コンナ物があるのを知らなんだ、ソレ遣ろ、何程《なんぼ》なと喰え喰えソレ遣ろ」 「コレ何程遣るね、一ぱい一銭やで」 「アアこれお金がいりますか」 「アアいう阿呆やがな」  此様に云うてますと、天王寺の境内には、右の男二人限りのようですが、中々彼岸中は、奇進坊主が出るやら、商人さんが沢山に店を出しています。八丁鐘の音がして賑やかな事。御焼香(此処で、ぜんと云う鳴物が這入る)押立うまいのうまいの(箱ずしを押す真似)握りたて握りたて(握りずしを握る真似)巻たて巻たて(巻ずしを巻く真似)本家は竹駒やでござい、ゴオ……(竹駒の音)亀山の媒ン平さん、こちらは覗屋、小さな台に、色硝子の這入って横手に目鏡が附いてある荷物、目鏡を覗くと中に名所の写真が見える、説明を仕ています、あなた御ろうじますは、東海道は鳴海の宿、有松や鳴海絞りの国境ここの名物菜めし田楽、あなた御ろうじますは、阿波の国は立江、躄《いざ》りでも足が立江の地蔵堂御籠所は左縁側、あなた御ろうじますは、東海道は矢走、登る早船矢の如く早きがゆえに矢走なりけり、あなた御ろうじますは、信州は善光寺、八方八棟八重造り燈火は消えず昼夜参詣。こちらはからくり、これは家台が小さい、神子《みこ》の口をあんかけにした様な事を云うてる、ホイ只今お目に掛けますからくりは、桂川は連理の柵《しがら》みと、しつらえましてホイヤ、お半は春めくとの伊勢参り、ホイや、長右衛門は遠州浜松より古掛集めの戻り道、ホイヤ、出合う所が東海道、東海道は阪の下ホイヤ、お前は帯屋の小父さんか、そういうお前は信濃屋のおはん女郎、ホイヤ、そもじはどこへ行きやったぞ、小父さん私しはお伊勢参りの下向道、ホイヤ、下向とあるなら共に宜い道づれだ、馬の上より手を取って、泊り合わすが石部の出羽屋、ホイヤ、出羽屋の奥の座敷の仮り枕、おはんは恋のいろはを書き染て、ホイヤ、これより連れて戻るか京じゃ、どうじゃどうじゃ、ガタン(中の背景を替る音)こちらは嫁はんと二枚者で、高い所へ上り、竹で叩いて、初段はヨお江戸で名も高い、アアそらやれお伝は人を殺しちゃよ神田佐久間町にゃいらりょまい、アアそらやれ四十と五名の探偵巡査がヨお伝御上意と詰掛る、ココリャ……このだい替れば石川島監獄所におきましてお伝死刑のていまで、お目が止りますれば先客様はお替り。只今はこのような覗きがなくなりまして、関東節とか、名古屋節とかいうて、エエ三府の一の東京で、波に漂よう荒男《ますらお》が、果無《はかな》き恋に流遇《であ》いつ、父は陸軍中将の、片岡子爵の長女にて、桜の花の開きそめ、人も羨む容色よし、その名片岡浪子嬢、海軍少尉男爵の、川島武雄の妻となり、伊香保の山の蕨刈、遊び疲れて諸共に、その夜我家に帰られる、武雄は軍籍ある故に、いつかは行く可《べ》き時は来て、厨子《ずし》の浜辺に急がるる、片割れ月の影寂し、武雄がボートに移る時、浪子は白のハンカチを、打振りながらねえ貴郎、早く帰ってちょうだいね、泣いて血を吐く、不如帰《ほととぎす》。こちらには順礼が、ちいちいははの恵《め》ぐみも深き粉川寺《こかわでら》、おありがとうさんでござります。また乞食が、右や左のお旦那様や、かないませぬ片輪には、一文いただかしてやって、種々雑踏しております。 「サアこちらへお出《い》で、これが引導鐘や」 「マアみなはれ、市松人形や着物が沢山吊ってある、あれ売りはりますのか」 「あれは子達を死なしなさったお方が、涙の種になるので持って来てあげてあるのや」 「なんで涙の種になりますね」 「子供があの着物を着て遊んでいたとか、あの人形を持って遊んでいたとか、見る度に涙の種になるから持って来てあげてあるのや」 「それなら私も涙の種になる物がおます、黒が毎日喰うた摺鉢がありますね、こんな事なら持て来て、縄で括って釣って貰うのに」 「そん事が出来るかいな、サア今の包んだのを出して頼み」 「オイ坊んさん」 「坊んさんとはどうやいな」 「一ツお頼み申します」 「なまみだぶなまみだぶ、はいはいはいこちらへお上りなされ」 「上へあがり」  ガン(鐘の音) 「願我身浄如香爐《がんがしんじょうにょこうろ》、願我心如智慧火《がんがしんにょちえか》、念念梵焼戒定香《ねんねんぼんじょうかいじょうこう》、供養十万三世仏《くようじっぽうさんぜぶ》、一切恭敬《いっせいきょうけい》、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、今日引導鐘の功徳を以て、七月廿四日の精霊者、俗名くろ、このお方はお女中ですか」 「イエおんだす」 「これ」 「また願わくば、八月十五日の精霊者、霊龕奇定信士《れいがんきていしんし》、また願わくば、俗名笑福亭松鶴、このお方は日がおまへんな」 「ヘエ未だ達者だす」 「追福増進菩提《ついふくぞうしんぼだい》の為、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、光明遍照《こうみょうへんじょう》、十方世界《じっぽうせかい》、念仏衆生《ねんぶつしゅじょう》、摂取不拾《せっしゅふじゅう》、願以此功徳《がんいしくどく》、平等施一切《びょうどうせいっさい》、同発菩提心《どうほつぼだいしん》、往生安楽国《おうじょうあんらっこく》」ボン……ワンワンワンウン(鐘の音) 「コレどこを見ているねお前が鐘を撞いてやろという一心で、黒が鐘に乗り移っている」 「どこにだす」 「あの鐘の音を聞てみ、ウウムとうなるとこ、お前所の黒によう似ている」 「南無阿弥陀仏」ポー……ワンワンワン、ウン……。「テヘ……(泣く)黒お前が来ている事を知ってたら、鰻のシャッポンでも、買うて来て遣るのに」 「コレお前は訳の分らん事をいうな、鰻のシャッポンてなんや」 「鰻の頭と言いにくいので、鰻のシャッポンと言うてますね、オイ坊んさん、引導鐘三ツといいますよって、後の一ツ私に撞かしとくなはれ」 「サアサア撞いてあげなされ、功徳になります、こちらへ来て御焼香なされ」 「オイ御焼香しといで」 「御焼香てなんだす」 「むこの香焼へちょっと香をくべてくるのや」 「おしょうこう、今日わいな、御当家に、お金がどっさり儲かって、悪魔払いに数多、稲荷の数を寄せ集め、伏見では、熊鷹稲荷の大明神、権太夫稲荷の大明神、末広稲荷の大明神、白玉稲荷の大明神、人丸稲荷の大明神、数多稲荷を寄集め、御当家へは悪魔は、コンコン」 「コレそんな所で乞食のまねをしないな」 「今のウワンウワンを頼むで、ガンガシンニョ、ニョコロ、テエカネンネン、ボンジョカイジョ、コクヨ」 「コレお前がそんな事をいわいでもよい、早を撞き」 「一イ二ウ三ツ、クワン、ああ無下性《むげっしょう》には、殴れんもんやな」 天王寺詣りについて 題目  天王寺詣り  天王寺各所  犬の引導鐘  皆同一なり この噺の口演者  故三代目笑福亭松鶴  同桂燕枝  同桂南光  同桂小南光  四代目笑福亭松鶴 其の他は略す