大名将棋 五代目笑福亭松鶴  紀州の親殿様が御逝去になりまして今は若殿の御代でござります、毎日臣一同が殿様の御機嫌伺いに出ます。 ○「エエ若君には麗《うるわ》しき御尊顔を拝し、只だ只だ恐悦《きょうえつ》を申し上げまする」 若「フム菅沼か、予は毎日所在がないにより将盤《ばんじょう》手合にても致したいと思うが、其方将棋を心掛けおるか」 菅「ハッ、聊《いささ》か心得がござります」 若「然らば予が相手をいたせ」 菅「ハッ、お相手仕りまする」 若「コリャ坊主盤を持て」 坊「ハハッ」  と答えて茶坊主が其所へ将棋盤を持って参りました、持って来た将棋盤でも、私共が差しているような紙に罫を引いて蜜柑箱の底に貼り附けてあるような将棋盤とは違います。相手は何しろ紀州公でござりますから梨子地塗《なしじぬり》に三葉葵《みつばあおい》の御定紋が附いてござります。駒でも歩が足らんさかいといって巻煙草の吸口を千切って乗せたりマッチを折って乗せてあるというような駒とは駒が違います、象牙に彫刻《ほりこ》んでございます。茶坊主が盤に駒を並べますと、 若「菅沼、其方が予に不覚を取ったならばその方の頭をこれなる鉄扇を以て二つ打つぞ」 菅「委細承知致しました、若し君がお負けになりましたら……」 若「黙れ、主が家来に負けるという法やあらん」 菅「そりゃ不可《いけ》ません、手前とても打《うた》るれば痛《いと》うござりまする」 若「そこは成るたけ忍耐をいたせ、予が万一|行《や》り損ったら其の儘じゃわい」 菅「そんなじゃらじゃらした、敗けたら打《ど》つかれるり勝っても其の儘にせいというような……」  と云ってみたが鶴の一声、殿様の仰しゃることは仕方がござりません。皆様も御案内の通り紀州という所は大体将棋の盛《はず》む所でございます。殿様は何《ど》の位差せるかというと初段角落という所だ、将棋も初段に角落となれば中々大したもので素人初段というぐらいでござります。菅沼様はどのくらい差せるかというと三段の上差《かみさし》で将棋も三段の上ならば立派なものでございます。私も一寸慰みに差しますが、三段の一寸悪い所でございます、お笑い遊ばすと恐れ入りますが真実でございます、何をしても算談が悪るければ仕方がござりませぬ。さて平手で差掛けましたが段が開《あ》く将棋でござりますから堪りません。十五手二十手程差しますと殿様の王様は彼方此方《あちらこちら》へ逃げ歩いている、遂《つい》には堪らん所からそっと銀を横へ寄せた。これを目早く見附けた菅沼は、 菅「若君そりゃ不可ません、それは銀でござります銀は横へ寄れません」 若「イヤ宜い宜い金を斜に下って入合せをする」 菅「そないな乱暴なことされては困ります、金銀の働きが狂うております」 若「黙れッ、先程から予の王は彼方此方へ逃げ回っているじゃないか、王が逃げれば乱世である、乱世に金銀の狂うくらいは当然の事じゃ」 菅「仁輪加《にわか》やがな、そんなじゃらじゃらした……」 若「愚図愚図申さずに早く参れ……」 菅「若様そりゃ、不可ません、角がならん先に真直に行っては」 若「イヤ構わぬ、その代り飛車を斜に行って入合せをするワイ」 菅「何うもならんがな、そう桂馬が五つも六つも向うへ飛んでは」 若「予の駒は名馬である、このくらい駈ける駒でないと戦場の間に合うと思うか」 菅「香車をそう横斜に行っては困ります」 若「予の香車は東山実蔵院流の槍だ、この槍先が受けられるなら受けてみよ」  こんな無茶な将棋があったもんじゃない、菅沼さん向方へ逆馬に這入って好い加減に扱うております。何ぼ無茶をなされても構わん段の開らく将棋でござりますから、 菅「サア若君何方へお越しになりまする、それは飛車道でございませんか……其所は桂馬が利いております」 若「色々な所に駒がおる、邪魔になるから取除《とりの》け」 菅「そないな事出来やしません、マア何方へお出でになります」 若「そう申せば予の王の行所がないわい」 菅「それでは若君のお敗けでございましょう」 若「黙れ主が家来に敗けるという法やあらん」 菅「では何方《どちら》へお出でになります」 若「予の王は右大将頼朝公の末弟《ばってい》にいたし、幼名を牛若丸と申し、成長の後源義経となって八艘飛《はっそうとび》をやった、その八艘を以て逃げるわい」 菅「そんな乱暴な事をされては不可ません……若君王を何所へおやりになりました」  王さんを盤の下へ放り込んで仕舞いなすって、 若「此方に片附けてある早く参れ」 菅「私も将棋を度々差しますが、敵の王様なしの将棋は差した事はございません、そんなじゃらじゃらした将棋は頼寄《たより》のうていけません、攻められるばかりで向うを攻める事が出来ん」 若「何うじゃ菅沼その方敗けじゃろう」 菅「これでは誰かて敗けます、攻める事の出来ん攻められる一方の将棋で……」 若「コリャ頭を此方へ出せ二ツ打つのじゃ」  と鉄扇でポカポカ。 若「コレヨ、次に控えし者参れ」 ○「ハッ」 菅「オイ田中氏、乱暴な将棋だぜこりゃ誰が行っても叶わん」  毎日家来一同が皆殿様に頭打たれる、七日というものは打たれ通しました。八日目の朝一同詰所へ集って、 ○「何れも御出仕大儀でござる」 △「盤将お手合せは如何でござる」 ○「色々な事が始まりましたな、拙者はモウこの将棋が三日も続くというような事なら殿様へ食禄をお返し申そうと考えております、そうして城下外れで焼芋屋でもする方が余程気楽でございます」 △「拙者も頭が病めるので、頭を揉《もみ》ますやら冷やすやら大騒動でございます」 ○「フム余程苦しい、芋屋でもしようと考えるが、芋はこの頃十貫目何のくらいで卸しますかな」  色々な事を云っております、丁度二十日程前より病気の為め登城をお休みでございました殿の御意見番、お年の頃は六十余り、頭は宜う流行る汁屋のお玉杓子のような格好をしております。石部金吉郎という固い固い石部金吉金兜といって恐ろしい固い人で、前日から全快届を出してございました。今日は久し振りの登城でございまして、 ○「ヤア、これはこれは石部氏には御病気全快の由お目出度《めでと》うございます」 金「アア病中は毎日御見舞下され有難う存ずる、各々方お見受申せば皆頭が腫《は》れてござるが如何召された」 ○「ハッ……」 金「フム、コリャ石部が誤まった、如何に泰平の御代なればとて、治にいて乱を忘れぬ為めに毎日剣道の稽古でござるな、素面素小手でおやりあそばしたとみえる、これは木太刀の跡でござるか、それはそれはお勇ましい事でござるわい」 ○「これは面目次第もございません、左様な気の利いた疵《きず》ではございません」 金「それでは如何召されたのじゃ」 ○「若君に毎日鉄扇にて二つずつ打たれたので」 金「フム鉄扇で打たれたとな、何故また君は左様な乱暴をなきるので」 ○「将棋を差して敗けると打たれるのです」 金「そりゃ仕方がござらん……流石は菅沼氏は紀州家に於て一と呼ばれて二と下らん将棋の名人と聞きしだけに、お敗けなさらんとみえて頭が腫れてござらんな」 菅「イーエ何うして拙者は最初からやられておりますので」 菅「それでも腫れてござらんじゃないか」 金「モウベッタリと腫れて目立たぬようになっているので」 金「コリャ怪しからん菅沼氏がお敗けになるというからは若君は余程差せますのじゃな」 菅「イヤ、弱い弱い」 金「弱いのに強い者が放ける法がないではないか、如何に勝負は時の運とはいいながら……ハハーンさては若君と云う所で勝を譲り追従軽薄《ついしょうけいはく》いたして御加増にでもなろうという御心中でござるな、何故武士たる者が槍先で知行をお取りなさらん、左様な追従軽薄などする武士は犬侍盗人侍と申す、馬鹿者奴がッ」  と怒鳴りつけられ、 ○「拙者もこれで得心じゃ、殿様には毎日頭を打たれ、石部氏には馬鹿侍、犬侍、盗人侍と云われていよいよ芋屋でもするか紙屑買でもする方が楽でございます」 △「如何にも左様でござる」 金「強い者が敗ける法はないではないか」 菅「それが何うしても勝てんので」 金「何故勝てぬのか」 菅「殿様が銀を横にお寄せなさるので」 金「何銀を横に寄せる」 菅「金を斜に下《さが》って入合せをすると仰しゃって……」 金「そんな乱暴な将棋はない、左様なことをなされば金銀の働きが狂うじゃござりませんかと何故申さん」 菅「不可ません、予の王は先程から逃げ回っている、王が逃げれば乱世である、乱世に金銀の狂いは当然の事じゃと仰しゃいます」 金「それは丸で仁輪加《にわか》じゃがな」 菅「それから飛車が成らん先に横斜に行って角を其直に行って入合をするとか、桂馬が五つも六つも向方へ飛んで、このくらい飛ぶ名馬でないと戦場で間に合うかとこんな事を仰しゃります、また香車を縦横十文字に行って予の香車は宝蔵院流の遣人《つかいて》だ、この槍先が受けられるなら受けてみょなどと云われる、それでも好い加減に扱ってやっておりますと王様が詰掛けますと、予の王は源義経だ、八艘飛《はっそうとび》を以て逃れると云って王様を将棋盤の下へ放り込んでしもうてです、敵の王無しに将棋が差せますか差せませんか考えて貰いとうござります」 金「フム、そんな乱暴な将棋はござらん」 菅「それでは皆が負けますので、負けるとやられます」 金「そんな乱暴な事をなされば何故|諌言《かんげん》なさらんのじゃ」 菅「諌言しても聞いて下さらんので」 金「一度二度諌言をしてお聞入なき時はなぜ切腹をして御意見なさらんのじゃ、斯様な事が他国へ聞えては我国の恥辱になる事でござるぞ、この国で禄を食《は》みながら、国の恥辱になることを捨置くとは何事じゃ、斯様な武士を犬侍、馬鹿侍、盗人侍と申したのが石部の誤りでござるか、馬鹿侍奴がッ」 菅「ホイホイ叱られ直しやぜ…」  この声が若君のお耳え入りましたとみえ、 若「コリャ、詰所にて高声に罵りおる者は何者じゃ」 ○「ハイ、石部金吉郎にござります」 若「オオ、石部か呼べ呼べ」 ○「ハッ……アイヤ石部氏、上のお召でござる」 菅「石部氏、お気をおつけ召されよ、貴殿も頭を打たれますぞ」 金「そう無暗《むやみ》に鉄扇で頭を打たれて堪るものか、借物の頭なら構わんが、皆自前の頭だ……ハハッ若君には麗わしき御尊顔を拝し、只だ只だお目出度《めでと》う存じまする」 若「オオ石部か、予は毎日所在がない、盤将手合せ致したい、其方は盤将の心得があるか」 金「ハッ、石部は余程強いのでござる」 若「此奴好い年をしながら物に遠慮をすることを知らぬ奴じゃな、己れの事を自慢する奴があるか……では聊《いささ》か心得おるな」 金「イヤ、余程強いのでござります」 若「怪体《けったい》な爺やな……然らば予の相手を致すか」 金「何時なりとも御相手仕ります」 若「坊主、盤を持て……」  茶坊主がまたそれへ将棋盤を持って来て駒を並べますると、 若「コリャ石部、其方予に不覚を取ったならば其方の頭これなる鉄扇を持って打つぞ」 金「ハッ委細承知致しました、もし殿がお敗けになったら」 若「黙れ、主が家来に敗けるという法やあらん」 金「そりゃ不可ません、手前とても打たるれば痛うござります、況《ま》してや老年になりまして頭の毛も薄くなって、かくの通り禿げておりますから、成るだけ打たれぬように致します」 若「万一予が敗けたらその儘じゃ」 金「ヘーッ」 若「その儘じゃわい」 金「その儘……その儘……それは何ということを仰せになります、貴方も紀伊国名草郡虎伏山五十五万石の御大守でござらんか、敗けたらその儘とは何ちゅうことを仰せになる、承われば他の家来は皆二つずつじゃそうでございますが、石部は若君だけお負け申して三つ打ちますぞ」 若「黙れッ、石部、己れ下司《げす》下郎の分際として主の頭を美事打つか」 金「何でもない事打ってお目に懸けましょう」 若「エッ、豪い爺やナ、怒りよったぞ、こりゃ叶わん、お父さんも爾《そ》ういうてお在《い》でになった、石部には叶わんと、強い奴じゃわい」 金「宜しうござりますか」 若「宜いッ」 金「鉄扇をモット此方へお出しあそばせ、モット此方へ……」 若「石部奴、勝たん先から私を殴る気になっていやがる」 金「斯様なことを申せば釈迦に説法をする様でござるが、駒の働きは御存じでございましょうな」 若「ウーム」 金「あの銀は横に寄れませんぞ」 若「アア、宜い宜い、寄っても構わん、金を斜に下って入合せをする」 金「そんな乱暴なことは不可ません、乱世に金銀の狂いは当然などという仁輸加《にわか》みたような事は石部は嫌いでござります」 若「可怪《おか》しな爺じゃな」 金「併しこの銀とても向方の地面に入って全く成った時には今までの働きは廃してしまいまして、金の資格になりまする、宜しゅうござりますか」 若「フム、宜い宜い」 金「桂馬は横へ一つ向方へ三つずつ飛ぶものでござりますが、これも向方の地面へ入りまして全く成る時は今までの飛ぶのを廃して、金の資格になりまする、香車は向方へ八つまで飛べまする、これもまた向方へ入って成った時には金の資格になりますを、角はあれは斜限りのもので向方の地面へ入ってしまった時には縦横に一つずつ寄る事が出来る、飛車は縦横限りのものでございますが、これも向方の地面へ入って成った時には斜に寄ることを一つづつ許しまする」 若「嫌に固い爺やな、宜いわい」 金「宜しゅうございますか、そこでいよいよ王が詰った時に予の王は右大将頼朝公の末弟にいたして幼名牛若丸成長の後源の義経となって八艘飛《はっそうとび》など、それは前以てお断り申しておきますぞ」 若「アッ、この爺奴|彼方《あそこ》で聞いて来よったな、宜い宜い」 金「それでは金ですか、歩ですか」 若「金か歩かとは何じゃ」 金「先手後手を争います」 若「黙れ、主が家来より後に行くという法やあらん」 金「そりゃ不可ません、この将棋は戦場を形どったものでござりますれば先手後手の争いはあるもので、金なら金、歩なら歩と仰しゃれ」 若「喧《やかま》しい爺じゃな、宜いわ、歩じゃ」 金「歩でござりまするな」 若「アッ、待てよ金にいたそう」 金「何ちゅう事を仰せになります、武士の言葉に二言はござらん、歩なら歩で宜しい……」  カラカラバチン 金「サア、金でござります、私が先に参りますJ 若「可怪《けったい》な爺やなア」  この石部金吉郎はどのくらい差せる将棋かというと二段の上差で、これも若君とは大分開きます、それに平手で差出したから堪りません。十六手、二十手と差して行きますと、殿の王様はまた彼方へ逃げ此方べ逃げ回り、仕舞には銀を横へ逃げんならん様になって来たが、前に止められてあるから行かれん。若君は石部の顔と駒とを七分三分に睨み分けてソッと内所《ないしょ》で銀を横へ寄せた。 金「アイヤ若君、銀は横へ寄れません」 若「宜い宜い、金を斜に下って入合せをする、乱世に金銀の狂は当然じゃ」 金「そんな仁輸加《にわか》みたような事は石部は嫌いでございます……桂馬は幾つお飛びになるので」 若「予の桂馬は名馬じゃ、このくらい飛ばんと戦場の間に合うと思うか」 金「先程から若君には敗軍の体にござります、敗軍の時には総て人馬とも足を痛めております、そうお急ぎあそばさずにボツボツお出であそばせ」 若「怪体な爺やな」 金「香車は何処へおやりになります」 若「予の香車は東山宝蔵院流で練磨《れんま》いたしておる、この槍先が受けられるなら受けてみよ」 金「そりゃ不可ません、そんな香車は先程千段巻の辺りから打切ってございますマアボツボツお出であそばせ……王さんを何処へお出でになりますか、そこは角道じゃございませんか、何故銀の頭へ王を持ってお出でになります」 若「そう申せば予の王の行く所がないわい」 金「然らば若君はお敗けでございます」 若「黙れ、主が家来に敗けるという法やあらん」 金「それでは何方へお出でになります」 若「予の王は右大将頼朝公の末弟にして幼名牛若丸と申し成長の後源義経……」 金「八艘飛《はっそうとび》などは前以てお断り申してございます」 若「何うあっても不可んか」 金「不可ません」 若「そう云わずに八艘飛《はっそうとび》を一遍だけやらしてくれ」 金「不可ません」 若「只だ一遍だけじゃ」 金「不可ません。一遍も半分も不可ません」 若「八艘飛《はっそうとび》の出来ん様な将棋なら負けじゃ」 金「お負けでございますか、それでは頭を此方へお出しあそばせ……イヤサ頭をお出し召され」 若「ウム」 金「家来衆は二つづつでございましたが、石部は若君だけ特にお負け申して三つ打ちますぞ」 若「そんなものは負けていらぬわい」  二度と再びそんな乱暴なことをしようと仰しゃらぬようにと、忠義の腕に任して若君の頭を思い切り力を入れてポカポカポカと三つ続け打に打った。 若「アーッ、痛い痛い、石部、無礼な事を致したな、退れ退れ」 金「ハハッ」 若「アア痛い、予はこの中より家来の頭を打ちしが皆斯程に悩むか」 金「それが為に妻子|眷族《けんぞく》の歎《なげ》きは如何ばかりでございまするか、何卒盤将手合せの儀は御中止の程願はしゅう存じます」 若「オオ止めだ止めだ……坊主盤将を焼捨てい……」  エライものですな、此辺が大名でございます、モウ将棋は止める、将棋盤はいらんから焼捨ててしまえと仰しゃった。紙屑買が来たら売ってしまえ、そんな事は云やしません。大名などというものは実に度量の大きなものでございます。 この気前は私と少しも達わん……これは余り当になりませんが、石部金吉郎は十分に殿様に意見をしておいて大きな身体をモウ一層大きくして退《さが》って参りました。家来衆一同は ○「石部氏、お身のお蔭でモウ今晩から頭の腫《はれ》が治ります、これで妻子の喜びは如何ばかり」、 △「ヤア石部氏、貴殿のお働きによって拙者の寿命が延びる様に思います」  中にも根性の悪い家来は、殿様は石部に頭を殴られて何んな顔をしているかしらんと殿様の顔色を見に来よる奴がある。 ○「若君には麗わしき御尊顔を拝し奉り只だ只だお目出度《めでと》う存じます」 若「ウム、今日は余り目出度くないわい」 ○「ハッ、如何召されたので」 若「石部奴、鉄扇で予の頭を三つ打ちおったのじゃ」 ○「へーッ、石部奴、下司下郎の分際をして主の頭を鉄扇で打つなどは無礼千万、この由お目付へ申し出で閉門の上切腹を申しつけまする」 若「コレコレそりゃ不可んのじゃ」 ○「何故不可ませんので」 若「予が将棋を差して敗けたのじゃ、それで打ちよったのじゃ」 ○「オオ、若君が将棋にお敗けになりましたので、これはこれはお目出度……」 若「何の目出度いことがあるものか」  家来衆は皆大喜びです、暫時致しまするとまた殿様が呼んでござる。 若「臣等一同参れ参れ」 ○「また殿様が呼んでまっせ、難儀でやすな、また将棋じゃございますまいか」 △「モウ将棋の気遣はございません、将棋盤は焼いてしまいましたから」 ○「それでは今度は碁ですかな」 △「碁は五目並べぐらいより知りません」 ○「何んでも行かんとゴテだっせ……ハハッ、お呼び遊ばせ」 若「フム、予は所在がないぞ」 ○「また所在がない、所在がないには叶いませんな」 △「難儀やな」 若「何うじゃその方共、予が話をしてやる、落し噺じゃ、面白いものじゃぞ、併し面白かったら皆笑えよ」 ○「モシ、殿様が落し噺をしてやろうと仰しゃる」 △「へー、結構ですな、私は落し噺が好きでな、一遍聞きたいと思うておりますが聞く折がございませんので結構なことではございませんか、落語をしてやるが面白かったら笑えと仰しゃる」 ○「フフン、落語家の方で笑えと催促する奴がございますかな、一体何んな落語を聞かして下さるのじゃろう」 若「石の上に亀がいよったのじゃ」 ○「アア、こりゃ大分下手だんな」 △「余程下手や……へイ……」 ○「誰や横手から返事をしなはったのは、落語を聞いて返事をする阿呆がおまっかいな」 △「併し返事せんならん様な云いようだんが」 若「空に鶴が飛んでおった」 △「へー……」 ○「また返事をしなはる」 △「そないに云いなはるけど、返事をせんならん様になって来ますがな」 ○「返事をする奴がおますかいな」 若「亀の心にしてみれば私にも翼があればあの様に飛べるものを」 △「へイ……」 ○「また返事をしなはる」 若「石の上で亀が地団太を踏みよったんじゃ、それは石亀の地団太じ分ったか」 ○「ハッ判りました」 若「判ったら笑わんか」 ○「笑えと云ってこんな事面白いことも何もあらへん」 △「何《ど》ないなとして笑いなはれ、一寸くすぐり合なとして……」 ○「面白くもないものを無理に笑えと云っても笑えますかいな」 △「笑わなんだらゴテだっせ」 ○「チョッとも可笑いことはない……」 若「コレ、予に落語をさせておきながら笑わんか、いよいよ笑わんとあればこの鉄扇を以って打つぞ」 △「サア、鉄扇の出ん先に笑いなはれ」 ○「オイオイ誰や、拙者の脇の下へ手を入れたりするのはくすぐったら不可ん不可んウフウフワッハ……」 若「アア予の落語が気に入ったとみえる、モウ一ツしてやるぞ」 ○「ソレ見なはれ、またあんた落語を聞かんならん……」 若「茄子《なす》がいよったんじゃ」 △「へイ……」 ○「モシ、拙者は殿様の落語より貴方の返事の方が気になりますが」 若「そこへ蟹《かに》が来よったんじゃ」 △「へイ……」 ○「何うぞその返事だけ勘忍しとくんなはれ」 若「蟹が茄子を挟みよった、茄子は茄子しやる、蟹は蟹してくれと云う、そこへ布袋和尚が来て、布袋な布袋なと申したぞ判ったか」 ○「判ってやすかい」 △「判ってやすが」 若「判ったら笑わんか」 △「笑いなはれ」 ○「笑えと云って可笑しいことも何もない」 △「そこはまたくすぐり合うて」 ○「そんな無茶なことをしたら不可ません」 若「笑わんとあれば鉄扇を以って打つぞ」 △「ソレソレ、鉄扇の出ん先に笑いなはれ」 ○「拙者ばかりくすぐったら困る、そんな無茶な事をしたら不可ん、ウッワッハハハ……」 若「予の落語《はなし》が余程気に入ったとみえる、まだまだしてやるぞ」 ○「あんな噺を三遍も聞かされたら患《わづらい》ますぜ」 若「山があったんじゃ」 △「へイ」 ○「真実にその返事だけ勘忍しとおくれやす、貴方の返事が気になって叶わん」 若「河があったんじゃ」 △「へイへイ」 ○「今度は二ツしなはったな」 若「そこへ白酒を売りに来よった、それで山河の白酒じゃ、判ったか、判ったら笑わんか……」 ○「判ってます、山があって河があって白酒を売りに来て山河の白酒でございます」 若「サア判ったら笑え、笑わんと鉄扇を以て……」 △「また鉄扇が出てます、笑いなはれ」 ○「チョッとも可笑しいことあらへん、そんなにくすぐったら不可ん、ウッワッハハハハ」 若「いよいよ気に入ったな、まだまだしてやるぜ」 ○「難儀でやすな」 若「鶴がいよったんじゃ」 ○「ハハア今度は鶴ですぜ」 若「亀がいよったんじゃ」 ○「また元の話しに戻って来ましたな」 若「鶴は千年亀万年……」 ○「アッ、違う違う」 若「東方朔《とうぼうさく》は九千歳《くせんざい》、浦島太郎は八千歳、三浦大助百六ツ、斯程目出度き折柄に如何なる悪魔が来《きた》るとも、この厄払いが引捕え、西の海へ真逆様にザブリン……」 この時一同の家来衆は声を揃えて、 一同「笑いまひょう笑いまひょう」 上方はなし「大名将棋」について 口演者 故三代目笑福亭松鶴。後竹山人と成る。本名、武田亀太郎。 故二代目桂扇枝。本名、浅野檜三郎。 四代目笑福亭松鶴、改松翁。本名、森村米佶。 其他は略す