須磨の浦風 五代目笑福亭松鶴  ごく昔のお話を一席申上げます。大阪の今橋三丁目鴻池善右衛門さんというのがございます。従前《まえかた》は鴻池屋善右衛門と申しました、鴻池屋が紀州公の御用達になられました。この紀州公の御用を仰せつけられました時に紀州公はああいう華美者《はでしゃ》でございますから、この御用達になったならば鴻池の家がもたんじゃろうから、なんとかしておことわりをいたしたい、御用を仰せつけられて、今度はおまにあいかねますからと、いうて、商売屋へ物を誂《あつら》えたように、どうか他家さんへというふうに手軽ういきません。何しろ相手は紀州公でございます、どうしてお断り申したらよかろうかというので善右衛門さんはわざわざ紀州へ乗込んでこられた。紀州家では金方をささねばならぬ善右衛門が参ったというのでございますから、御前へ到着届を出します。すると、早速、逢いたいとおっしゃる。善右衛門は殿様の御前へ出ました。 善「殿には麗しき御尊顔を拝し恐悦至極に存じ奉りまする」 殿「オオ、善右衛門なるか、遠路の所よくこそ参った……コリヤ、善右衛門は空腹であろう、馳走を振舞え」 家来「ハハッ」  と云うなりズラッと其処へ御馳走が出ました。何処の料理屋が早いの彼処の料理屋が早いというても大名のような工合にはいきません。また、どんなに早うてもわれわれとこのような大根下しの中へ雑魚をはりこんであるとか、数の子を塩で揉んで花鰹がかけてあるというようなものとはちがいます。第一、紀州公はそんな物をおあがりになりやいたしません。とほうもない御馳走が出ました、大名が人を抱えるとはここらをさしていうたのでございましょう。 殿「善右衛門、盃を取らす……」  殿様からお流れのお盃でございます。鴻池さんは断りに来ているので、このお盃を頂戴したら断りをいう訳にいきません。というて、殿様がお出しになったお盃を戴かんという訳にはいきません。仕方がございませんから、 善「エエイッ、やけくそや、御酒を頂戴して無礼をしたらお手討に怒るじゃろう、手討ちになったら私一人の生命で済むのじゃ、家名に関わるような事はあるまい」  というので、度胸を定めて、飲んだ戴いた吸うた、づぶ六からづぶ十までやってしまいまして、殿様の御前で大の字になってグウグウと寝てしまいました。サア、こうなると傍の御家来衆が承知をいたしません。 家来「ヤア、おのれ、素町人の分際をして我君の御前を憚らず無礼千万であるぞ」  と刀の柄へ手をかけますると、御覧になった殿様は 殿「コリャコリャその儘で宜い宜い、長の道中の疲労が出たのである、退《さが》れ退れ」  と御家来衆を皆退らしてしまいなすって、御自身が召しておいでになったお羽織を脱いで、 殿「善右衛門、風邪をひいては相成らぬぞ」  と自らお着せになったそうでございます。ここにおいて鴻池善右衛門はスッカリ感じ入りまして、斯《かか》る殿様の為ならたとえ家が潰れても構わん御用達をせわはならぬと、それから紀州公の御用達をなさったという事を承わっております。金の威光というものは大したもので、紀州の殿様でもこれだけお世辞《じょうず》をなさるのでございます。  さて、極く暑い時分のことでございます。紀州公が鴻池の宅へお立寄りになるということでございまして、鴻池でも明後日お殿様がお越しになるというので、お店の者を皆集めなさった。 善「皆、こっちへ来なさい、此度は紀州のお殿様がお越しになるから何か御馳走をせねばならん就いては、何か宜いことはないじゃろうか考えて下さらんか」 ○「さようでございます、これという御馳走もございませんが、旦那様、私の考えまするのには薩摩芋の上等をば大凡《おおよそ》五六分の厚さに切りまして、一番のほうらくを火にかけまして、そこへ芋を並べて大鍋の蓋を持って来て蓋をいたし、コンガリ焼けたとこでひっくりかえし、塩をバラバラとふって、焼けたとこを、お殿様に差上げたらどうでございます」 善「それは焼芋じゃないか」 ○「左様でございます、私はチョイチョイやっておりますが、なかなか、うまい物で……」 善「お前と殿様と一つにいうたら、どむならん、何か宜いことはないじゃろうか」 △「旦那様、私の思いまするには、極く上等のおはぎでも拵えて差上げたら、どうでございます、えろう、仰山出来て、あまるようでございましたら、私共が頂戴いたします」 善「お前さん達は自分の喰べることばかりいうていなさる……コレ、番頭どん、お前さんが黙っていてくれてはドムならん、何か宜いことはないかナ」 番「さようでございますな、私の考えますのにはお炬燵でも差上げたら、どうでございます」 善「番頭どん、お前は呆けてやせんか、紀州公は若様もあれば姫君もある、お子達を差上げて御馳走になりますか」 番「イエ、お子達ではございません、お炬燵でございます」 善「ヘーエ、コレ番頭どん、この暑い最中に炬燵みたような物を差上げて何が御馳走になる」 番「そこでございます、寒い時分の炬燵なら何んでもございませんが、暑い時分の炬燵でございます、私は随分珍物じゃろうと心得ます」 善「フーム」 番「その炬燵も一通りの炬燵では面白うござりません、炬燵の櫓《やぐら》をばギヤマンにいたします」 善「ギヤマンとは硝子《びいどろ》じゃナ」 番「左様でございます、炭壺も硝子にいたします、その中へ水を一杯はって置きます、赤い物が無いと工合がわるうございますから、緋鯉を二三尾放り込んで置きます、そうすると火に見えます、蒲団も一通りのお蒲団では面白うございません、薩摩上布の飛切上等という肌に触っただけでも総身の汗がいっぺんに引くという極上等の蒲団を掛けておきます、其所へお殿様がお越しになり炬燵へお温《ぬく》もりになって足をお伸しになると水が張ってございますから、踵《かかと》のとこが濡れますでございましょう」 善「そりゃ濡れるじゃろう」 番「冷《ひ》いやりとして宜い按配じゃと仰っしゃって足をヂャブンとおつけになると緋鯉が入れてございますから、緋鯉が邪魔になるものですから、ピチピチと跳ねますと、殿様の足に水が掛ります、これは冷いやりとして宜い按配じゃとお気に入るかと思います」 善「成程、そりゃよかろう、それを一つ拵えて下さらんか」 番「畏まりましてございます」 善「それだけでは不可ん、何か他に御馳走はないじゃろうか」 番「左様でございますな、その他の御馳走といいますと、冬景色を御覧に入れたら、如何でございます」 善「冬景色とは、どうするのじゃ」 番「暑い時分の御馳走でございますから、庭前から築山を雪降りの景色にいたします」 善「そんなことが出来るか」 番「出来ますとも、木綿に綿を交ぜまして雪降りの景色にいたします、芝居で致します宮本武蔵の山の場のようなもので」 善「成程」 番「その上に須磨の浦風でも取寄せたら如何でございます」 善「須磨の浦風とは……」 番「どうもこの町の中の風は温うございますが、須磨の浦で吹く風は涼しゅうございますから、長持を百竿ほど持たせてやって須磨の浦の上等の風を取りにやります、向方の風を吹入れるなり目張りして持って帰り、お殿様がお着になった時に目張りをメクります、と、座敷中へ風が吹込みます、これは宜い按配じゃとお気に入るかと心得ます」 善「よかろう、それも、一つ取りにやって下さらんか」 番「畏まりましてございます、一竿の長持に肩代りをつけまして六人、むこうで目張りをする者やら糊を塗る者やら紙をあてがう者などが三四人いりますから、どうしても一竿の長持に十人ほど人足が掛ります」 善「なんぼ要っても構わん、取りにやりなされ」 番「承知いたしました」  というので長持百竿を人足に持たして、大きな握り飯の中へ梅干を放り込んだ弁当を拵えて一人前に三つ四つほど持たせました。当今なら須磨へ行くぐらいは何んでもございませんが、従前《まえかた》のことでございますから、右の足と左の足を交代に向うへ出して歩いて行かんならん時分でございます。夜どおしドシドシ走りまして、翌日の朝、須磨へ着きまして、スーッと浜辺へ百竿の長持を並べました。人足は暑いものでございますから、みな木の蔭へはいって休んでおります。 ○「オイ、今日の暑さは、また、何んたる暑さやろ、併し、早う風が吹いてくれんとマにあわんが、いつ風が吹いてくるやろ、金満家《かねもち》の狂人《きちがい》というものは贅沢なことをするなア、いつ吹いて来るやらわからへん」  と待っておりますところへ山手の方から極く上等の風がフウーと吹いて来ました。 ○「ソーラ、ここじゃ、目張り方、ええか、早う早う、ここじゃ、ここじゃ」 △「オイ、待った待った、待ってんかいなア、アイタタタ」 ○「どうしたんや」 △「まだやというてるのに蓋をしてしもうたよって、乃公の指が一本挟さまったんや」 ○「ビューッと抜いたら、どうや」 △「無茶いいな、そんなことしたら、指が千切れてしまうが」 ○「相手は金満家《かねもち》や、指の一本や二本は弁償て呉れるわい」 △「何んぼ鴻池かて指を弁償て呉れるもんか、痛い痛い、そんな無茶したら指が千切れてしまうがなア、ソレ見いな、このあいだが一本不足になった、十本なけりやならん指が不具《かたわ》になった、一《ひ》イ二《ふ》う三《み》い四《よ》う五《い》つ六《む》う七《なな》八《や》あ九《ここの》ツ……ソレ九本よりあらへんが、一本足らん、このあいだにモウ一本あったんや」 ○「お前は片一方ばっかり算《かぞ》えてるさかいや、両方、よんでみいナ」 △「そうか、ほんに両方であったあった」 ○「あらいでかいナ、明日《あした》の朝までにマに合わさんなちん、皆、急いでや」  ヨッショイ、ヨッショイ、と長持をかついで一生懸命、兵庫の湊川の土堤まで戻って参りました、人足は皆前日終夜走って来まして翌日は日光に照らされておりますから、モウくたびれてへナへナでございます。 △「暫だけ休ませとくなはれ、今晩、夜どおししても明日の朝までには屹度《きっと》マにあわしますよって」  というので、長持を土堤の上へ竝《なら》べまして、人足は皆ゴロゴロ寝てしまいました。しばらくして中で目を醒した奴が、 ○「アーア、暑いなア、寝ていても、タラタラ汗が出てきよる、今日の暑さは何んたる暑さやろ、併し、ワケの解らんのは、この長持や、風を吹込んで来たんやが、来た時と戻りと目方が同じこっちゃ、風がはいったあるのかいな、皆よう寝てよるな、寝ている間に、この目張りを一つやぶってみたろ、百竿もあんねん、一本ぐらい空になったかてわからしょまい、一本だけ目張りをメクってみたろ」  ベリベリベリ、フウーッ、 ○「オオ、宜い按配や、とほうもない宜え風がはいってるわい、アア涼しい、この風で生き返ったような気持がした、金満家《かねもち》というものは ゼイタクなことをするなア、こんな風をわざわざ取り寄越したりして、 一竿に何んぼもほいったあれへん、モウ一本やったろ」  ベリベリベリ、フウーッ、 ○「オオ、涼しいええ按配や」 △「アア、暑い暑い」 ○「誰や、一寸、ここえおいで」 △「暑いなア」 ○「暑けりゃ涼しいことを教えたろ、この長持の目張りを破ってみい」 △「そんなことをしたら、いかんぜえ」 ○「かまへん、百竿も長持があるねん、二本や三本やぶってもわからへん、俺は二本だけやったんや」 △「そうか、エライことをやったなアそんならわしも一本だけやったろ」  ベリベリベリ、フウーッ、 △「アア、ええ按配やなア、コラ涼しい、モウしまいや、余計もないナ」 ○「フン、何んぼもはいったあらへん」 □「アーア、暑い暑い、こう暑いと堪らんワ」 ○「オイ、暑けりゃ、ここへお出で、涼しいことを教えたろ」 □「何んや」 ○「一寸、その長持の目張りをやぶってみい」 □「そんなことをしてもかまへんか」 ○「今、二人で三本だけやったんや」 □「二人やったんか、そんなら乃公もやぶったろ」  ベリベリベリ、フウーッ、 □「成程、コラ宜い按配やなア、アッ、涼しいと思うたら、モウしまいや、何んぼもあらへんなア」 ○「ソヤ、すこうしよりはいってない」  順々に起きて来てはやぶり遂には百竿のものをスッカリ空にしてしまいました、 ○「サア、エライことになった、調子にのって、エライことをしてしもうた、この長持はみんな空や」 △「どうしょう」 ○「今更、仕様があらへん、此処で風を入れるというても、いつ吹いてくるやらわからへん、須磨まであともどりしてたら、明日《あした》の朝のマにあわへんし、エライことをしてしもうたなア、この儘もって帰って目張りをメクった時に中から風が出なんだら、云い訳がたてへん」 △「そんなら、どうや、この長持の中へ屁でも垂れこもうか」 ○「屁を垂れるというても、そないにタント屁が出るかいナ」 △「これだけ仰山人が居るねん、一人前に五六発ズツ垂れこんだら、この長持に語らんことはあるまい」 ○「そうやなア、よっしゃ、そうしょう」  と、芋を食うてくる奴もあるし、牛蒡《ごぼう》を喰べて来る者もある。手荒い奴ばっかりで、イヤ垂れよった垂れよった、百竿の長持に屁をギッシリ詰めて目張りを元のようにしてしまいましたので、その儘、右の長持を担いで大阪今橋二丁目の鴻池の家へ持って帰って参りました。ガラリと夜が明けますると、紀州公のお屋敷は天神橋南詰を東へ入りました所にございました。この日は殿様はお微行《しのび》でございます、家来を三十人はど連れてお越しになりました。今橋を越えて鴻池家へお着きになりますと、鴻池善右衛門は羽織袴でお出迎い申し上げまして、 善「これはこれは殿様には宜くこそお越し下されました」 殿「善右衛門、鴻池は旧家と承わり、何か珍物があるじゃろうと思って参ったわい」 善「ハッ、殿様に何か珍しき御馳走を差上げたいと思いましたが、差当ってこれと申すものもござりませぬが、お炬燵を差上げようと心得ております」  紀州公も驚ろかれました。この暑いのに炬燵を差上げるて、どんなことをしよるかしらんと思われたが 殿「所望であるぞ」 善「ソレッ、御所望と仰っしゃる」  座敷の襖をスウーッと開けますると、案の定、炬燵を拵えて蒲団が着せかけてございます。 善「どうかお炬燵へお温《あた》まりを願います」  紀州公は、この暑いのに炬燵へ当れというのは、こりゃ私をば蒸し殺しよるのじゃないかとお思いなすった。大名というものは意地な者でございまして、当るぞよ、と、ツカツカと炬燵の中へ足をお入れになると、なかなか熱いどころじゃございません。蒲団は薩摩上布の飛切上等でございまして、肌に触っただけでも総身の汗が引くようでございます。 善「お足《みあし》をお伸しあそばせ」 殿「フム、そうか」  と、のばしなさると炬燵のスがございませんから、足をお入れになると水が一ッぱイ張ってございますから、踵《かかと》のとこが濡れました。殿様は好い按配ですからヂャブンと中へ突ッこみなさると緋鯉めがピチピチとアバレましたから、水が殿様の足へビッシャリかかった。 殿「善右衛門、この炬燵は予の気に入ったぞ」 善「ハッ、冬景色が設《しつ》らえござりますが、如何にございます」 殿「所望じゃ、見せくれよ」 善「ソレッ、御所望なるぞ」  と云うと縁先の葭障子をスーッと左右へ開きますと築山から離座敷は一面の降雪の景色でございます。 殿「オオ、見事見事」 善「殿様、須磨の浦風を取り寄せございます」 殿「フム、須磨の浦風、所望であるぞ」 善「ソレ、者共、浦風の用意をいたせ」  と言うと何んしろ芋を食うては腹を揉み、牛蒡《ごぼう》を喰べては垂れ出した屁《おなら》が一杯つめてあるので、長持の目張りを剥《めく》ると殿様と善右衛門との鼻ッ柱へ臭《えら》いヤツがフウーッと吹いて釆たから堪りません、二人は 鼻が千切れそうでございます。 殿「善右衛門、どうしたのじゃ、この須磨の浦風は……」 善「ハッ、殿様に斯かる粗忽なるものを差上げまして、まことに何んとも申訳もございませぬ、厳しく取調べたる上お詫びを申上げまする」 殿「コリャコリャ善右衛門、叱ってやるナ、暑気《うんき》の折柄じゃ、須磨の浦風が腐敗《くさっ》たと相見えるわい」