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   マルコ福音書講話

〈4〉 中風の人の癒し

聖書
 マルコ福音書2:1-17

 1幾日かたって、イエスがまたカペナウムにお帰りになったとき、家におられるといううわさが立ったので、 2多くの人々が集まってきて、もはや戸口のあたりまでも、すきまが無いほどになった。そして、イエスは御言を彼らに語っておられた。 3すると、人々がひとりの中風の者を四人の人に運ばせて、イエスのところに連れてきた。 4ところが、群衆のために近寄ることができないので、イエスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて、中風の者を寝かせたまま、床をつりおろした。 5イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。 6ところが、そこに幾人かの律法学者がすわっていて、心の中で論じた、 7「この人は、なぜあんなことを言うのか。それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」。8イエスは、彼らが内心このように論じているのを、自分の心ですぐ見ぬいて、「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。 9中風の者に、あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。 10しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに言い、中風の者にむかって、 11「あなたに命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。 12すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので、一同は大いに驚き、神をあがめて、「こんな事は、まだ一度も見たことがない」と言った。

13イエスはまた海べに出て行かれると、多くの人々がみもとに集まってきたので、彼らを教えられた。 14また途中で、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをごらんになって、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。 15それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである。 16パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。 17イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。


講話

T中風の人の癒し

 ★中風の患者が四人の人に運ばれて主のもとに来ました。中風は脳梗塞などによって起こる病気で、多くの場合寝たきりになります。人間の世界に病気が入ってきた原因は、最初の人間アダムの罪にあることは間違いありませんが、すべての病人が何か特別の罪を犯したためにその病気にかかったとは言えません。しかし、モーセの姉ミリアムや、エリシャの弟子ゲハジがライ病にかかったのは、彼らの罪のためであったことがはっきりしています。

 ★この中風の人も、何かの個人的罪のため中風を患うようになったのかも知れません。主は、この中風の人を運んで来た四人の人とその中風の人の信仰をご覧になって、その人に「あなたの罪は赦された」と言われました。主は彼らが行動で示した信仰を喜ばれ、認められて、その人の罪が赦されたことを宣言なさいました。

 ★すると、そこに同席していた律法学者と、ルカによるとパリサイ人も、「この人は神を冒涜している。神の他罪を赦すことのできる者はいない。」と、マルコでは心の中で思い、ルカによると互いに論じ合ったとあります。

 ★学者たちはヒソヒソと論じ合ったのでしょうけれど、主は人の心の中を読み取るお方です。主は彼らに「何故そのようなことを論じ合っているのか。『罪が許された。』と言うのと、『起きて床をたたんで歩け。』というのとどちらが容易いか」、そして「人の子が、地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせるために」と言われて、中風の人に、「あなたに言う。起きなさい。床をたたんで(原語ギリシャ語では「取り上げて」)家に帰りなさい。」と言われました。

 ★「罪を赦す主の権威」は霊的な事柄であって、目で判別できないことですが、中風の人が、起き上がって、床を取り上げて帰る姿を目の前に見るなら、その事実によって主の罪を赦す権威は立証されます。

 ★この同じ中風の人の癒しを記録しているマタイ9:8にはこう書かれています。「群衆はそれを見て、恐ろしくなり、こんな権威を人にお与えになった神を崇めた」とあります。ここで、口語訳も新改訳も「人にお与えになった」と単数形で訳していますが、原語は「人びとに」と複数形になっています。

 ★マタイ9:8で、中風の人の癒しを見て、「群衆がこんな権威を人々にお与えになった神を崇めた」と記されているのは、群衆がキリストをただの人間と見て、ただの人間にこんな権威を与えてくださったことを思って、神を崇めたと言っているのではありません。

 ★マタイ9:8で聖書が言わんとしているところは、救い主イエス・キリストが、父のみもとからこの世に遣わされることによって、このキリストを信じるすべての人々に、罪を赦す権威と人の病気を主イエスの聖名によって癒す権威をお与えになったのだということです。

 ★ここで、中風の人を運んで来た四人の人々が、屋根に大きな穴を開けたという点について考えます。

 ★主イエスが歩まれた当時のユダヤの住宅が、どういう構造になっていたか正確には分かりませんが、四人が病人を主の御前に運び込むために、屋根に穴を開けたということは、この話を語るマタイ、マルコ、ルカの三福音書のどの書でも、とんでもない無礼なことをしでかしたと言う風には書かれていません。彼らの信仰は立派だったが、やり方は家の家主に失礼なやり方だったという印象はありません。

 ★これは、当時のユダヤの家の構造についてわずかな知識を持つことで、ある程度納得出来ます。当時のユダヤの家は、多くは平屋で、屋根は外付けの階段で上り下り出来て、その屋根は平らな床の屋上となっていて、中央に光を取り入れたり、空気の入れ替えが出来、人を吊り下ろすことが出来る程の四角い大きな穴が空いていて、普段はテントの幕のような覆いで覆われていた、という見解があります。

 ★四人はその屋上に登って、そのカバーを剥いで病人を簡易ベッドで下に吊り下ろしたと思われます。この四人と中風の人の熱心な信仰と癒されたいという熱意が、この主の大きな御業の成就に導きました。


U取税人レビの召命

 ★十字架に、主イエスと共に掛けられた二人の強盗の一人は、主イエスに「御国で私を思い出してください」という祈りをしています。これによって、この人が主イエスについて何も知らなかったのではなく、十字架にかかる前、主イエスの話を群衆と共に聞いたか、あるいは主についてのうわさ話を聞いていて予備知識を持っていた可能性が伺えます。

 ★ペテロ、ヤコブ、ヨハネが主の召命を受けた時も、全くの初対面でなかったように、このレビも町中で主の噂を聞き、自分も街角で主の説教を聞いていたと思われます。それで、「わたしについてきなさい」と言う主の招きのことばにすぐに従うことが出来たのです。

 ★当時のユダヤ人は、自分たちを政治的に支配していたローマ帝国から、独立したいと願っていました。それで、ローマの手足となって働いていた取税人を憎み、遊女と一緒にして軽蔑していました。取税人の中にもまじめに仕事をしている人々もいましたが、地位を利用して金儲けを企む者が多くいたので、ユダヤ国民の軽蔑もやむを得ない面もありました。

 ★レビという名は、ヤコブ(またの名はイスラエル)の12人の息子の3番目に二人の妻のひとりレアが生んだ息子で、その名は「加わる」という意味で、その名の通りレビは12人の主の弟子のひとりに加えられました。そして、レビのまたの名マタイは主の賜物・プレゼントという意味です。マタイは神がこの世にプレゼントしてくださった救い主イエス・キリストを伝える四福音書の最初の書を人類にプレゼントしてくれた人物となりました。

 ★レビまたの名をマタイは、取税人仲間を招待して、盛大な食事会を開いて、主賓として主をお迎えしました。マタイはこの食事会で自分が救い主イエス・キリストの12人の弟子たちの一人となったことを公表し、自分は取税の仕事を辞めることを宣言しました。ペテロやヨハネは、主が十字架に付けられた時、一時的に漁師の仕事に戻っていました。

 ★しかし、取税人という仕事は、一旦辞めると簡単に戻ることは出来ません。ですから、取税人の仕事を辞めることは、重大な決意をもってしなければなりません。

 ★レビ(マタイ)の主催した食事会に、主と弟子たちが参加したところ、パリサイ人がこれを見て、主の弟子たちに、「あなた方は何故、取税人や罪人たちと食事を共にするのか」と質問しました。これに対して、主は17節で答えておられます。「医者を必要とするのは、病人です。私は正しい人を招くためでなく、罪人を招いて悔い改めさせるために来たのです」

 ★パリサイ人という名称の意味は、「分離する者」という意味です。取税人遊女などの罪人に近寄らず、彼らと分離して清く正しく生きる者だと主張しています。

 ★しかし、取税人とパリサイ人のたとえが教えるように、彼らは律法の形式的儀式的行いを誇りとし、取税人、遊女、罪人をさげすみ、あなどって、慢心していました。彼らの心には、人生の道を踏み外した罪人に対する憐れみの心がありまんでした。放蕩息子の兄のように、悔い改めて父のもとに帰ってきた弟を受け入れず、軽蔑していました。

 ★マタイ9:13で、主は、レビの食事会でパリサイ人に、「医者を必要とするのは、病人だ」と言われた後、「私は憐れみを好むが、生けにえを好まない。燔祭より神を知ることを喜ぶ」という旧約聖書ホセア6:6を引用して、「この言葉がどういう意味か、行って学んできなさい」と命令されました。

 ★パリサイ人たちは、自分らは旧約聖書の学者である思い込んでいましたが、聖書の本当の意味を知りませんでした。

 ★主イエスは、ユダヤ人に「あなた方は、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、聖書は私のことを語っている。聖書の主人公はキリストである。」と語っておられます(ヨハネ5:39)。ユダヤ人が父と仰ぐアブラハムは、御子キリストを信じる信仰によって義とされた人でした。このアブラハムを父と仰ぐユダヤ人パリサイ人は、自分たちを罪と滅びから救うために父のもとから送られてきたキリストの人気を妬んで亡き者にしようと企むサタンの末となってしまいました。

 ★罪人を救うために父から遣わされた御子キリストをあなどり十字架に付けたパリサイ人、祭司長、律法学者らは災いです。御霊と御言葉によって霊の目が開かれ、唯一の救い主イエス・キリストを主と仰ぐすべての聖徒は幸いです。


聖書

御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、いのちに与ることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである。
            ヨハネ3:36



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キリスト紀元2020年 2月 3日公開