ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
mk1
   マルコ福音書講話

〈3〉 「主イエスの密室の祈り

聖書
 マルコ福音書1:35−45

35 朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
36
すると、シモンとその仲間とが、あとを追ってきた。 37 そしてイエスを見つけて、「みんなが、あなたを捜しています」と言った。 38 イエスは彼らに言われた、「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」。 39 そして、ガリラヤ全地を巡りあるいて、諸会堂で教えを宣べ伝え、また悪霊を追い出された。
 40
ひとりのらい病人が、イエスのところに願いにきて、ひざまずいて言った、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。41 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。 42 すると、らい病が直ちに去って、その人はきよくなった。 43 イエスは彼をきびしく戒めて、すぐにそこを去らせ、こう言い聞かせられた、 44 「何も人に話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた物をあなたのきよめのためにささげて、人々に証明しなさい」。 45 しかし、彼は出て行って、自分の身に起ったことを盛んに語り、また言いひろめはじめたので、イエスはもはや表立っては町に、はいることができなくなり、外の寂しい所にとどまっておられた。しかし、人々は方々から、イエスのところにぞくぞくと集まってきた。

講話

T主イエスの密室の祈り

 ★ローマ8:29に「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。」とあります。私たちが、キリストに似た者になることが私たちの人生の目的です。パウロは「私がキリストにならっているように、あなた方も私にならう者になりなさい」(Tコリント11:1)と言っています。

 ★ですから、主イエスの生活と行動の全ては、私たちの生活の手本です。35節「朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」とあります。前日、ペテロの家に泊まっておられた主のもとに、大勢の病人や悪霊につかれた人が連れて来られて、彼らを癒すために夜の遅くまで働いてお疲れだったはずの主は、短い睡眠の後、他の誰よりも早く起き出でて、父なる神と交わる祈りの時をもたれました。

 ★子なる神キリストと父なる神との間には、絶えることのない交わりがあることは子なる神として当然ですが、人となられた子なる神キリストは、私たちキリスト者に模範を示すために、朝早く起きいでて、人のいないところで祈っておられました。

 ★マタイ6:6で主はこう言っておられます。

 「6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」

 主は、ご自分の山上の説教の教えをご自分で実践しておられました。聖書は、朝の静思の時(デボーションの祈りの時)ばかりでなく、いつでも、あらゆる場合に祈ることを勧めています。ピリピ4:6は「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」と教えています。

 ★聖書の中に「祈りと願い」という言葉が決まり文句のように出て来ます。この場合の「祈り」は、公の祈りを指し、「願い」は個人的祈りを現しています。教会の祈祷会でみんなで心を合わせて祈ることも、密室の自分ひとりの祈りも共に大事な祈りであって欠かすことは出来ません。また、密室の祈りの中でも公同の祈りを怠ってはなりません。

 ★主イエスは、密室の祈り(デボーション)を守るために、朝早くまだ暗いうちに、ペテロをはじめ弟子たちが探しに出向かなければならない所に行ってそこで祈っておられました。デボ−ションは親しい人々からも離れて、ひとりで神と向き合って祈り、神様と交わる時です。主イエスとこの主にならったパウロが力ある働きを成し遂げることができたのは、このデボーションによって注がれた神の祝福によるものでした。

 ★主イエスは、38節で「私は福音を伝えるために世に来た。」と言っておられます。イエス・キリストの福音は地球上のすべての人々に伝えられなければなりません。15節で復活の主は、「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」と命じておられます。

 ★福音は、罪とその支払う報酬としての永遠の滅びからのキリストの贖(あがな)いとそれを信じる信仰による救いの知らせです。この福音を信じる信仰による救いは、今の世界、特に私たちの日本の社会に緊急に必要なメッセージです。

 聖書全体が偶像礼拝の邪悪性、極悪性を暴露しています。そして、我が日本国は、その偶像礼拝宗教の神道を信奉する天皇を国家の象徴と仰ぎ、最近は戦前のようにこの天皇を国家元首として祭り上げようと企む安倍晋三内閣が、司法・行政の人事権を手中に収め、今ややりたい放題の悪政を繰り広げています。国のトップが腐ってくると、社会も腐敗してきます。

 ★すべての災の原因は、人間の罪の性質にあります。「罪の支払う報酬は死」(ローマ6:23であり、永遠の滅びです。この死と滅びからの唯一の救いの道が、イエス・キリストです。

 「イエスは言われた、『わたしは、道であり、真理であり、いのちです。誰でも、わたしによらなければ父のみもとに行くことはできない』」(ヨハネ14:23)。

Uらい病人の癒し

 ★聖書の中のライ病は、人間の病気だけでなく、家の壁や衣服などにも症状が表れるカビのようなものも含まれています。それで、人間の身体に発症するライ病(ハンセン氏病)と区別するために、新改訳では、聖書協会口語訳で使われているライ病という病名を使わず、旧約聖書の言葉へブル語「ツアラト(ライ病の意)」を使っています。しかし、ツアラトだと聖書を初めて読む人には、何のことだかさっぱり意味がわかりません。英語訳聖書がレプロシー(ライ病)、聖書協会口語訳もライ病と訳しているので、筆者も「ライ病」と表現します。

 ★このマルコ1のライ病の癒しと同じ出来事を記したルカ5:12を読むと、このライ病人は全身ライ病に犯された人でした。旧約のレビ記では(レビ13:45)、ライ病人は「汚れた者、汚れた者」と人々の前で自己紹介しながら歩かなければならず、人々からあからさまに接触を拒否され、避けられ、交わりを絶たれて生活しなければなりませんでした。

 ★しかし、主イエスはこのライ病人が来た時、彼を避けるどころか、彼に手を触れ、「わたしの心だ、清くなれ」と言われました。このライ病人は、主イエスには癒す力があり、「お心一つで私を癒して頂けます。」と固い信仰を告白しています。しかも、この人は主の御前に膝まづいて、ルカ5:12では、「彼はひれ伏して主にお願いした」とあります。彼のへりくだった信仰を主が拒否される筈がありません。

 ★41節「イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われました。42節 すると、らい病が直ちに去って、その人はきよくなりました。

 ★ライ病を癒された人は、旧約レビ記によると、祭司のところに行って、身体を見てもらって、「癒された」「聖い」と診断されて初めて、社会に復帰することを許されます(レビ13:1-17)。

 ★主イエスは、癒された元ライ病人に、44節 「何も人に話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた物をあなたのきよめのためにささげて、人々に証明しなさい」。

 ★ルカ5:14の同じ話でも、主はこの元ライ病人に「誰にも話してはいけない」と口止めしておられます。病気の癒しを求める人々が大勢押しかけて、主のみことば宣教という本来の勤めが阻害されるからです。

 ★しかし、この元ライ病人は、あまりの嬉しさに祭司に見せる前から、人びとに病気の癒しを言いふらしてしまいました。そのため、主が予期なさった通り、人々は群れをなして主のもとにやってきたので、今までの様に町の会堂で福音を語ることも、街中を移動することも出来なくなったので、主は町はずれの寂しいところに避難する他はありませんでした。

 ★主が、癒された元ライ病人に、祭司のところに行って身体を見せるよう命ぜられたのは、この元ライ病人が正式にユダヤの社会に受け入れられ、社会復帰させると共に、主イエスの癒しの御業が、間違いのない事実であり、正真正明の癒しであることを、主に敵対し批判的である祭司をはじめ民の指導者に認めさせるためでもありました。

 ★癒されたライ病人がしたことは、喜びと感謝の心からとは言え、主の御心に逆らうことであり、褒められることではありませんでした。

 ★しかし、主は癒されたライ病人の不従順によって生じた不都合を善に変え、寂しいところにしばらく避難して、つかの間の休養の時とされました。

 ★ここで、ライ病の聖書的、霊的意味について学びます。ライ病はアダムの罪のため、天の父なる神が地を呪われた結果、人類に降りかかった災いの一つで、旧約聖書では罪を犯した人への罰として用いられています。

 ★モーセの姉ミリアムがモーセを妬んで罪を犯した際、彼女は全身をライ病に犯されました(民数記12:1-16)また、預言者エリシャの弟子であり、しもべであったゲハジが、アラムのナアマン将軍を騙して贈り物を不正に受け取った時、彼の身体にライ病が発症しました(列王下5:20-27)

 ★ライ病は単なる皮膚病ではなく、神経系統を犯すバクテリヤによって徐々に神経が蝕まれ、最終的には全身の痛みが失われ、手足の指がなくなり、耳や鼻が失われ、醜い身体に変形させられます。痛みの感覚が失われるため、寝ている間に手や足をねずみに食われても気がつかないという恐ろしい結果になります。

 ★これは、人間の罪の堕落が進むとだんだんと良心の痛みが鈍くなり、遂には失われ、地獄の火で焼かれる以外の道を選択できなくなることの、霊的現実の目に見えるモデル・シンボルである言えます。

 ★ダビデが、預言者ナタンにたとえを使って諌められた時、御霊と御言葉によって良心の呵責を覚えることができ、罪を悔い改めて主のみ前に立ち返ることができたことは、まことに幸いなことでした(サムエル下12:1-15)。

 ★御霊と御言葉によって罪を示され、良心の咎めを感じながらも、罪を悔い改めて主イエスのもとに立ち返らあない人は災いです。

 ★このライ病は、肉体に痛みの感覚と共に、心の良心の痛みの感覚が、如何に大切なものであるかを私たちに教えています。

聖書

 21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、 24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、26 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。ローマ人への手紙3:21-26



URL http://31church.net
キリスト紀元2020年 1月 29日公開