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    ローマ人への手紙講話

〈25〉挨拶と頌栄(1)御心が地でも行われるように

ローマ人への手紙15:14-33

 14さて、わたしの兄弟たちよ。あなたがた自身が、善意にあふれ、あらゆる知恵に満たされ、そして互に訓戒し合う力のあることを、わたしは堅く信じている。 15しかし、わたしはあなたがたの記憶を新たにするために、ところどころ、かなり思いきって書いた。それは、神からわたしに賜わった恵みによって、書いたのである。 16このように恵みを受けたのは、わたしが異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を勤め、こうして異邦人を、聖霊によってきよめられた、御旨にかなうささげ物とするためである。 17だから、わたしは神への奉仕については、キリスト・イエスにあって誇りうるのである。 18わたしは、異邦人を従順にするために、キリストがわたしを用いて、言葉とわざ、 19しるしと不思議との力、聖霊の力によって、働かせて下さったことの外には、あえて何も語ろうとは思わない。こうして、わたしはエルサレムから始まり、巡りめぐってイルリコに至るまで、キリストの福音を満たしてきた。 20その際、わたしの切に望んだところは、他人の土台の上に建てることをしないで、キリストの御名がまだ唱えられていない所に福音を宣べ伝えることであった。 21すなわち、

 「彼のことを宣べ伝えられていなかった人々が見、聞いていなかった人々が悟るであろう」と書いてあるとおりである。

 22こういうわけで、わたしはあなたがたの所に行くことを、たびたび妨げられてきた。 23しかし今では、この地方にはもはや働く余地がなく、かつイスパニヤに赴く場合、あなたがたの所に行くことを、多年、熱望していたので、―― 24その途中あなたがたに会い、まず幾分でもわたしの願いがあなたがたによって満たされたら、あなたがたに送られてそこへ行くことを、望んでいるのである。 25しかし今の場合、聖徒たちに仕えるために、わたしはエルサレムに行こうとしている。 26なぜなら、マケドニヤとアカヤとの人々は、エルサレムにおる聖徒の中の貧しい人々を援助することに賛成したからである。 27たしかに、彼らは賛成した。しかし同時に、彼らはかの人々に負債がある。というのは、もし異邦人が彼らの霊の物にあずかったとすれば、肉の物をもって彼らに仕えるのは、当然だからである。 28そこでわたしは、この仕事を済ませて彼らにこの実を手渡した後、あなたがたの所をとおって、イスパニヤに行こうと思う。29そしてあなたがたの所に行く時には、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと、信じている。

 30兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストにより、かつ御霊の愛によって、あなたがたにお願いする。どうか、共に力をつくして、わたしのために神に祈ってほしい。 31すなわち、わたしがユダヤにおる不信の徒から救われ、そしてエルサレムに対するわたしの奉仕が聖徒たちに受けいれられるものとなるように、 32また、神の御旨により、喜びをもってあなたがたの所に行き、共になぐさめ合うことができるように祈ってもらいたい。 33どうか、平和の神があなたがた一同と共にいますように、アァメン。

講話

Ⅰ.福音が伝えられていない人々への伝道

 このローマ1:8で「ローマ教会の信徒たちの信仰が全世界に言い伝えられている」と言って、パウロはローマ教会の兄弟たちの信仰が、当時の世界のキリスト者たちに高く評価されているという認識を示しています。

 ★また、1:2では「あなた方と私との互いの信仰によって共に励まし合いたい」と語り、新しい伝道地のイスパニア(スペイン)に行く時には、ローマ教会の人々の祈りと資金的支援を受けて出かけて行きたいと語っています15:24)。

 この様に、パウロの心の中で高く評価されているローマ教会の人々が、14節「あなた方が互いに訓戒し合うことが出来る」と確信していると言われるのももっともです。キリスト教会内の兄弟たちが互いに戒め合い、訓戒し合うことのできる状態とは、14節が言うように「善意に溢れ、知恵に満たされている」という状態です。

 ★善意がなく、知恵に欠けていたのでは、相手を高め築き上げる訓戒ではなく、相手を傷つけ、単なる侮辱となってしまいます。

 ★ローマ教会の人々が互いに訓戒し合い自分達のことは自分たちで解決できるとしつつも、パウロは15節で「所々大胆に書き送った」と言っています。多分、それは、13章の上に立つ権威に従うべきこと、14章の信仰の弱い人々を受け入れるべきことなどを指しているのでしょう。

 ★15節「パウロがローマの人々にもう一度思い起してもらいたいと思っていることは、パウロが異邦人伝道者として召されている事実と、しかも福音を聞いたことのない人々にその福音を伝えることがパウロの使命だということです。

 ★21節でパウロが引用しているみ言葉はイザヤ52:15の御言葉です。52:13−15がまとまった一つの文章になっているので、それを引用します。

 「13見よ、わがしもべは栄える。彼は高められ、あげられ、ひじょうに高くなる。 14多くの人が彼に驚いたように――彼の顔だちは、そこなわれて人と異なり、その姿は人の子と異なっていたからである―― 15彼は多くの国民を驚かす。王たちは彼のゆえに口をつむぐ。それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟るからだ。」

 この預言は明らかに、受難と復活のキリストについての預言であり、パウロはこれをキリストの福音に関する預言として、人々がキリストの福音によって、今までに聞いたことのない事を悟る事実を示し、パウロの務めは、福音をまだ聞いたことのない人々に伝えることであるとしています。

 ★復活の主がマタイ28:18で弟子たちに、

 18イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。19 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し 20あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28:18-20)。

 主は「全ての国民を弟子とせよ。」とキリスト教会に命じておられるのですから、そのキリスト教会に属する私たち一人ひとりは、キリストの福音をすべての人々に伝える責任があります。信じる信じないは聞いた本人の責任です。信じる者は誰でも救われ、信じない者は誰でも永遠の滅びに定められます。

 Ⅱ.み言葉を教えられる人々は教える人に物質的に報いる責任がある 

 パウロは第三回伝道旅行で立ち寄ったマケドニヤとアカヤの教会の人々からエルサレムの教会の貧しい人人への捧げ物を託されました。マケドニヤ地方の教会には、ピリピ、テサロニケ、ベレアの教会があります。アカヤの教会には、アテネ、コリントの教会があります。これらの教会の人々が、エルサレムの教会の貧しい人々への経済的支援を申し出て、その献金をパウロたちに託しました。

 ★この第三回の伝道旅行の途中のエペソで、パウロの同行者マケドニア人ガイオとアリスタルコという名が出てくるし、使徒行伝21:15でこの書で始めて出てくる「私たち」という言葉から、この時、著者のルカもパウロに同行していたことが分かります。

 ★このことから、パウロは託された捧げ物を彼一人で運んだのでないことが分かります。この捧げ物は、エルサレムの貧しい人々に無事届けられたものと思われます。というのは、この献金が無事に届けられたという記事がないからです。

 ★献金がエルサレム教会に手渡されたことが記事にならなかった理由は、エルサレムで不信仰なユダヤ人の扇動によって、パウロに不当な宗教的な疑いが掛けられ、ユダヤの群衆に取り押さえられ、ローマの官憲の手によってローマに護送されることになったからです。

 ★パウロが逮捕された理由はユダヤ教の宗教上の問題であって、その理由は「パウロが律法に逆らうことを至る所で教え、エルサレムの神殿に異邦人を連れ込んで宮をけがした」ということです。

 ★パウロがエルサレムで逮捕されることについては、エルサレムに来る直前に立ち寄ったカイザリヤで、アガボという名の預言者から預言され、カイザリアの信徒からも、旅の同行者からもエルサレムに行かない様にたのまれましたが、パウロは「主イエスのためには、縛られることばかりでなく、死ぬことも覚悟している」と言って、人々の勧めを聞き入れなかったので、人々は沈黙してしましました(使徒行伝21:10−14)。

 ★エルサレムの貧しい人々の支援金に関してパウロは、27節で「しかし同時に、彼らはかの人々に負債がある。というのは、もし異邦人が彼らの霊の物にあずかったとすれば、肉の物をもって彼らに仕えるのは、当然だからである。 と言っています。

 ★つまり、「異邦人クリスチャンは霊的なことで、ユダヤの人々から貰い物をしたのだから、物質的な物で彼らに奉仕すべきだ」と言うことです。言い換えれば、教会で聖書の教えを受けている信徒は、献金と言う形で牧師・伝道者に物質的に支援をすることは当然のことだということです。

 ★しかし、パウロは牧師・伝道者として当然受け取る権利のある教会からの報酬を断って、自分の手で働きながら伝道しました。「働かない者は食べてはならない」という彼自身の教えを身をもって実践し、人々の模範となるためであり、終わりの日天からの報酬に全面的に期待を寄せているためでした。

Ⅲ、執り成しの祈りの依頼

 ★30節でパウロは、ローマ教会の人々に、「私の為に祈ってくれるように」と願っています。祈りの課題は、ユダヤの不信仰な人々から救い出され、エルサレムに対するパウロの奉仕が、エルサレムの聖徒たちに受け入れられるように、ということです。

 ★その祈りはかなえられ、エルサレムでの不信仰な人々による騒動の時、暴徒の手にかかって殺されそうになりましたが、ローマの千人隊長の軍団が駆けつけて、パウロを救出し、ローマの法廷で裁判を受けさせ、地方総督や大祭司の前で弁明し、キリストの福音を語るチャンスを与えられました。

 ★そして、パウロがカイザルに上告したので、ローマに護送され、キリストの聖名のための囚人として、ローマ教会の信徒たちとの面会もかないました。

 ★パウロがエルサレムでの迫害を予想して、ローマ教会の人々に祈りを依頼した30節のことば「私と共に力を尽くして神に祈ってください(原語シュンアゴーニゾマイ=意・共に格闘する)。」は「祈りの中で私と共に格闘してください」とも訳せる言葉です。

 ★これと同じ表現がコロサイ4:12に出て来ます。そのコロサイ4:12は

 「あなたがたのうちのひとり、キリスト・イエスの僕エパフラスから、よろしく。彼はいつも、祈のうちであなたがたを覚え、あなたがたが全き人となり、神の御旨をことごとく確信して立つようにと、熱心に祈っている(祈りの中で格闘している/原語アゴーニゾマイ=格闘する)。 」

となっています。

 ★旧約の創世記の中で、ヤコブが兄エサウの復讐を恐れて、ヤボクの渡しで徹夜で祈り、み使いと格闘して、ヤコブという名からイスラエルという名に替えられました(創世記32:22–32)。

 ★聖書は重大な問題についての祈りは、ヤコブの格闘の様な祈り、不正な裁判官の前でのやもめの執拗な願い(ルカ18:1-8)のような祈りが必要であると教えています。

 ★祈りの内容の一つについて、Ⅰテモテ2:1は、

 「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。

と教えています。

 ★祈りは、自分と家族とキリスト教会のためだけでなく、全ての人々のため、特に国の為政者のために捧げられなければなりません。

 ★アメリカの福音派教会から、筆者のところにまでトランプ大統領とその家族のために、執り成しの祈りの依頼メールがしばしば届きます。

 ★我々日本国民特に日本のクリスチャンは安部首相とその政権のために、祈らなければなりません。米国大統領についての祈りの要請は全面的な祝福と加護ですが、日本の安部首相とその政権政党についての祈りは、そういう訳には行きません。

 ★筆者の理解するところでは、安部政権は大企業を大減税をもって優遇し、国民を消費税10%の重税で首を絞め、日本国を衰退と崩壊に陥れようとしています。

 ★筆者の日々の祈りの中の我が国のための祈りは、安部政権が速やかに退陣し、山本太郎氏の様な国を憂える真面目な若い政治家がどんどん起こされ、日本国がアメリカの属国状態から解放され、真の自主独立国家になることです。

 聖書 「御心が天で行われているように、地でも行われますように」 マタイ6:10



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キリスト紀元2019年 11月 10日公開

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